騎士と紫水の魔法士の合同訓練から数日後に遡る。

 ジョエル=ウェルツは宮廷魔法士団・紫水の副士団長の一人である。

 しかし平民のため、これより上の立場に上がることはない――……と理解していた。

 士団長も宮廷魔法士団の統括である第三王子殿下も、身分や出身で人を判断するような人物ではないが、宮廷魔法士は貴族も多い。

 自身の上に立つ者が平民であることに不満を持つ者もいる。

 真面目に仕事を行い、能力と実績を認めてもらい、何の後ろ盾もない平民がこうして副士団長の地位を与えられただけでも驚くべきことだった。

 チラリと視線を向ければ、そこには金髪青眼の美青年がいる。

 美青年はこの紫水のもう一人の副士団長、リュディガー公爵家の次男アルフリード=リュディガー。彼がいるので、いずれ彼が士団長の座を継ぐだろう。

 それが当然で、そうなるべきだと納得している。

 アルフリード殿は自分よりも強く、能力もあり、常に冷静で落ち着いていて頼りになる。

 ……しかも公爵家の者だから誰も反対はしない。

 手元の書類に視線を戻そうとして、アルフリード殿と目が合った。

 見つめすぎていたかと慌てていれば、アルフリード殿が席を立ち、こちらに来る。

「ジョエル殿」

「は、はいっ、すみません……!」

 思わず謝罪の言葉が口から飛び出した。

 アルフリード殿は無表情のまま小首を傾げたものの、手に持っていた書類を差し出してきた。

「こちらの書類の件ですが、確かこの日は士団長会議がある予定のはずです。実験を行う際は予備日にしていただいたがほうが良いかと思います」

 書類を受け取り、内容に目を通す。

 アルフリード殿が言う通り、これでは士団長会議と実験の日時がかぶってしまう。

 士団長会議は紅玉、琥珀、紫水の士団長、そして第三王子殿下が出席して行われるものなので、優先すべきは会議のほうだろう。

「気付いていただき、ありがとうございます。では、予備日のほうでメルディエル士団長に確認を取って、問題なければそちらを実験日にします」

「よろしくお願いします」

 士団長のナサニエル=メルディエルは忙しく、一人では仕事を回しきれないので、そのためにアルフリード殿と自分がこうして手分けして書類仕事や士団長本人でなくとも良いことなどを代理でこなしている。

 その本人は別の会議に出席中だ。

 仕事も出来るし、魔法士としての才能も素晴らしく、基本的に穏やかだが、絶対に怒らせてはいけない人物でもある。

 手元の書類に必要事項を書いていたが、ふと、アルフリード殿がそばに立ったまま動かないことに気付く。

 顔を上げれば、スッと折りたたんだ紙が差し出される。

 つい、反射的にそれを受け取ってしまった。

「アルフリード殿、これは……?」

「妻からです」

 アルフリード殿の妻といえば、この紫水の清掃員のミスタリア=リュディガーのことだ。本人が「ミスリルとお呼びください!」というので皆が彼女を「ミスリルさん」と呼ぶ。

 小柄で細身だが、身体強化がとんでもなく強くて騎士達ですら歯が立たないほどだ。

 その身体強化はもっぱら清掃員の仕事に生かされている。

 何度か山積みになった本や箱が廊下を移動しているのを見かけたことがあり、手伝おうとしても「わたしのお仕事ですので!」と颯爽と去って行く。

 少し風変わりだが、変わったものが好きな魔法士達からは『面白い清掃員』として結構好まれているようだ。

 そのミスリルさんの担当部屋は特にクセの強い者達ばかりなのだが、持ち前の明るさと人付き合いの良さ、清掃能力の高さのおかげか魔法士達からの評判もいい。

 とりあえず折りたたんである紙を広げる。

 紙は二枚あり、一枚目にはどこかの店の名前と商品らしきものの名前が二つ書かれていて、二枚目には簡素だが分かりやすい地図が描かれていた。

「妻から聞きました。今度、ボードウィン子爵家にご挨拶に伺うそうですね。……お付き合い、おめでとうございます」

「あ、ありがとうございます。まだ正式なものではありませんが……」

 浅く頭を下げたアルフリード殿に、思わず自分も頭を下げる。

 もう四十近い男が、女性との付き合いで祝われるというのは少々気恥ずかしいところがあった。

「……なんだか照れますね」

 思わず首の後ろに手をやり、気恥ずかしさを誤魔化すように笑う。

 それにアルフリード殿が頷いた。

「妻との婚約を報告した際、メルディエル士団長とジョエル殿に祝っていただいた時は私も少し照れくさかったです」

「え?」

 まじまじとアルフリード殿を見た。

 相変わらず表情と言えるものはないけれど、それなりに長い付き合いから、これが彼の通常なのだともう分かっている。

 この無表情さと人を寄せつけないところから『氷の貴公子』と社交界では呼ばれていたようだが、ミスリルさんと結婚して、きっとその呼び方もいつか消えるだろう。

 ……ミスリルさんといる時はたまに笑ってるしなあ。

 ほんの僅かな微笑みだけれど、それでも、基本的に眉根を寄せるか無表情かだったアルフリード殿がそれ以外の表情を見せるようになったことは喜ばしい。

「ですが、何歳になっても『おめでとう』と言ってもらえるというのは嬉しいものです」

 ふ、とアルフリード殿の目元が僅かに和む。

 それだけで冷たい印象がガラリと変わった。

 ……これは、なるほど……。

 普段の無表情でも美形なのに、滅多に笑わない人が自分だけに微笑んでくれるとしたら、落ちない女性はいないだろう。

 むしろ、アルフリード殿から告白を受けて反射的に返事をしなかったミスリルさんはかなり頑張ったと思う。

「ええ、嬉しいと感じた時に祝ってくれる人がいるというのは、幸せなことですね」

 アリエラ嬢のご両親に挨拶をして、受け入れてもらい、婚約が正式に決まったら士団長にも伝えるつもりだ。

「ところで、これは何ですか?」

 紙を持つ手を少し上げてみせるとアルフリード殿が「ああ」と思い出した様子で言った。

「ボードウィン子爵夫妻のお好きなものだそうです。ご挨拶に伺うなら、ご両親のお好きなものを手土産に持って行ったほうが喜ばれますから」

 手土産は何にするか悩んでいたので助かる。

「それと『ボードウィン子爵夫妻は人を見る目のある方々なので、ジョエル殿が真摯に向き合えば分かってくれるだろう』とのことです」

「本当にありがたい……。ミスリルさんには何かと相談をしてしまって、お恥ずかしいですが……」

「いえ、気にしないでください。妻もお二人の仲を応援していますし、本人も嬉々としてやっていることなので」

 ……そういえば、いつも目を輝かせていたなあ。

 アルフリード殿は無表情であまり感情が出ないけれど、横にいるミスリルさんが明るく元気な人なので、二人が一緒にいると丁度いい具合になる。

 それから、アルフリード殿が何故か声を潜めた。

「あと、こちらは妻からの伝言で『ボードウィン子爵令嬢は可愛いものが好き』だそうです。大人っぽい見た目を気にして可愛らしいものをあまり手に取らないそうですが、実は可愛らしいものがお好きなのだとか」

 その言葉に何となく思い当たるところがあった。

 買い物に出かけた際に、たまにアリエラ嬢が雑貨店の前で立ち止まったり、一瞬、そちらに気を向けるものの何も言わずに通りすぎたりしていた。

 ……もしかして欲しいものがあったのでは?

 雑貨店に何が置かれていたかは覚えていないが、店の場所は記憶しているので、仕事の後にでも寄って確認してみよう。

「『助言をありがとうございます』とミスリルさんにお伝えください」

「はい、承りました」

 紙を失くさないように服の内ポケットに仕舞う。

 ……俺も頑張らないと。

 こうして応援してくれる人達がいて、互いに思いも通じ合っているのだ。あとは自分の努力次第だろう。

 席に戻るアルフリード殿の背中に、心の中でもう一度、感謝の言葉を投げかけた。


 その日、仕事を終えると急いで王城を出た。

 店はまだやっているだろうけれど、目当てのものがなくては意味がない。

 辻馬車を拾って乗り、以前アリエラ嬢と出掛けた辺りの番地を伝えれば、馬車が走り出す。

 今はまだ、緊張よりもふわふわとした高揚感のほうが強い。

 ポケットから出した紙を開いて見つめる。

 アルフリード殿も、ミスリルさんも、こうして応援してくれる人がいるというのは心強く、とても安心する。アルフリード殿もそのような気持ちだったのだろうか。

 馬車が目的地に到着したので、紙を仕舞い、金を渡して降りる。

 記憶を辿りながら道を歩けば、目的の店を見つけた。

 店先のガラスの向こうには目当てのものがまだあった。

 それにホッとしつつ扉を開ければ、チリリンと可愛らしいベルの音が響く。

 店内には女性向けの可愛らしい雑貨が並んでいた。

 ……そういえば、アリエラ嬢は可愛いものが好きだと、ミスリルさんが言っていたっけ。

 もしかしたらデートの最中もこの店が気になっていたのかもしれない。

 あえて言わなかったのだとしたら、それは多分、こちらに気を遣ってくれたからか。

 確かに、この女性向けの雑貨店に入るのは少し気が引けるが、アリエラ嬢のためなら、多少目立っても構わない。今度誘ってみよう、と頭の片隅に残しておく。

「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」

 若い女性店員に声をかけられ、ガラスのほうを指差した。

「あちらに飾ってあるものを一つ購入したいのですが……」

「贈答用でしょうか?」

「ええ、そうです。包んでいただけますか?」

「はい、かしこまりました」

 店員はすぐに動き、それらの中から一つを選んで持って来る。

「こちらのお品でお間違えないでしょうか?」

「大丈夫です」

「それでは少々お待ちください」

 女性が一礼し、それを持って店の奥に向かう。

 包んでもらう間、少し店の中を見ることにした。

 可愛らしいオルゴールや置物などがあり、どれもキラキラしている。

 ……あ、これなんてアリエラ嬢に似合いそうだ。

 可愛らしいリボンの髪飾りやレースのチョーカーなど、彼女のことを思い出すとどれも買ってしまいたくなる。自分の贈ったものを身に着けてほしいというのは男の欲なのだろう。

 そういうものはあまり贈りすぎても良くないが、婚約した暁には二人で指輪を選びに行きたい。

 ……アリエラ嬢なら何でも似合いそうだ。

「お待たせいたしました」

 店員の声に振り返る。

 差し出された箱を受け取った。リボンなどがつけてあり、可愛らしい。

「ありがとうございます」

 大事に持っていると、店員に訊かれた。

「娘さんへの贈り物ですか?」

 それに苦笑してしまう。普通はそう見えるのだろう。

「いえ、恋人への贈り物です」

 それから店を後にする。

 子爵夫妻への贈り物は飲食物なので、行く前日に購入したほうがいいだろう。

 ……ミスリルさんの気遣いにも報いたい。

 箱を抱え直すと、辻馬車を止めるために手を上げた。


 そうして、ボードウィン子爵家に挨拶へ向かう日が来た。

 子爵夫妻とアリエラ嬢、そして自分の予定の合う日がなかなかなくて『もしかして避けられているのでは……』と焦ったが、本当に予定が合わなかっただけのようだ。

 子爵夫妻への手土産とアリエラ嬢への贈り物を持ち、辻馬車を捕まえてボードウィン子爵家に向かう。

 ……今日、本当に結婚の申し出に行くんだな。

 生まれて初めてのことに、緊張で体が強張っているのを感じた。

 魔物の討伐遠征に出た時でさえ、これほど緊張はしなかった。

 冷えた両手を重ね、指先を温める。

 緊張と同時に高揚感もあった。

 どれだけ反対されたとしても、頷いてもらえるまで諦めるつもりはない。

 アリエラ嬢の気持ちも、自分の気持ちも、もう互いに向いているのだ。

 今更、この気持ちをなかったことには出来ない。

 ……歳を取ってからの恋愛は引きずると言うが……。

 自分の中にこれほど誰かを思えるだけの熱量があったことが驚きだ。

 そして、その熱が案外、心地好いということも知った。

 だが、それにしても、こんなに緊張するものなのかと思う。

 ……アルフリード殿はすごいな。

 猛烈なアプローチだけでなく、リルファーデ子爵家にも行って相手の家族にも会い、その上でミスリルさんとの婚約をしっかりと掴み取ったのだから。

「……俺も負けてられないなあ……」

 そんなことを考えているうちに子爵家に着いた。

 やや早い気もしたけれど、何とか時間通りの到着に少し安堵しつつ、馬車から降りると、自分よりやや年嵩の男性と女性、それからアリエラ嬢、数名の使用人に出迎えられる。

 ……人生で一番不安だった宮廷魔法士の試験よりも緊張する……。

 少しの胃痛を感じながらも笑顔を心がける。

「お初にお目にかかります、宮廷魔法士団・紫水所属、副士団長のジョエル=ウェルツと申します。本日はお時間を取っていただき、ありがとうございます」

 礼を執ると年嵩の男性と女性が礼を返した。

「初めまして、ボードウィン子爵家当主、ルートガー=ボードウィンです。こちらは妻のリエル」

「初めまして、リエル=ボードウィンでございます」

 ボードウィン子爵はやや厳しそうな顔立ちの男性だが、子爵夫人は穏やかそうな美人で、どうやらアリエラ嬢は母親似らしい。

「ウェルツ様、本日は来ていただきありがとうございます」

 嬉しそうに微笑むアリエラ嬢に笑みを返す。

 アルフリード殿達の結婚式で顔を合わせた時から、彼女はいつだって好意を隠すことなくまっすぐに伝えてくれる。

 こんなに慕われて何も感じない男などいないだろう。

 つい微笑み合っていると、こほん、と咳払いが響き、我に返った。

「っ、失礼しました」

 使用人が近づいて来たので、荷物を馬車から下ろしてもらう。

 アリエラ嬢への贈り物だけは手に持つ。

 これだけは自分の手から渡したかった。

「こちらは子爵夫妻に。私はあまり詳しくないもので、お二方のお好きなものを選ばせていただきました」

「ありがとうございます」

「あら、まあ、お気遣い感謝いたします」

 使用人が手土産を運んでいく。

「どうぞ中へ」

 と子爵に促され、子爵邸に入る。

 士団長の家とリュディガー公爵家以外で貴族の屋敷に入るのは初めてだ。

 落ち着いた品のある調度品や色合いで統一されており、何度か屋敷までアリエラ嬢を迎えに来たことはあったが、改めて貴族の屋敷というのは華やかで広いものだと思う。

 リュディガー公爵家もより広くて華やかなものだったけれど。

 平民出身の自分からすれば、どこも大豪邸だ。

 廊下を進み、応接室に通される。

 向かい合った三人掛けのソファーの片方に子爵夫妻が腰掛け、勧められてその正面に腰を下ろせば、アリエラ嬢が迷うことなく自分の横に座った。

 それが嬉しくもあり、同時に心強くもあった。

 ……子爵の視線が突き刺さりそうな勢いだけれど。

 娘が結婚したいと言っている相手の歳が自分達おやに近ければ、そういう反応をされても仕方がない。

 こうして、挨拶の場を設けてもらえるだけでもありがたいことなのだ。

 使用人がお茶を用意してくれたので、礼を言って口をつける。

 ……ああ、いい茶葉だ。

 普段、自分が家で適当に飲んでいるものとは明らかに質が違う。

 そう思うと少しだけ、ズシリと心にのしかかるものがあった。

 アリエラ嬢は貴族で、結婚したいと言ってくれているが、平民と結婚するということは彼女も平民になるわけで。貴族のような暮らしは望めない。

 彼女のために出来るだけ稼いで困らせないようにしたいと思うものの、貴族の頃の生活をそのまま維持するのは不可能だ。

 ……それでアリエラ嬢は幸せなのだろうか。

 彼女は平民でもいいと言ってくれたものの、こうして貴族の生活を目の当たりにすると気後れしてしまう自分がいた。

「ウェルツ殿、とお呼びしても構いませんか?」

 子爵の問いに頷き返す。

「はい」

「ウェルツ殿は紫水の副士団長だそうですが、紫水ではそれぞれの魔法士が何かしらの得意分野を研究していると耳にしています。あなたはどのようなものを研究なさっているのでしょうか?」

 いきなり本題というわけではないようだ。

 それにほんの僅かにホッとしつつ、答える。

「私の専門分野は解毒魔法です。魔法士の中には解毒薬を専門にする者もおりますが、私の場合は魔法で毒を消す、もしくは毒の効果を無効にするというものを調べています」

 子爵が興味を示した様子で「ほう?」と身を乗り出した。

「それは魔物の毒ですか? それとも毒薬ですか?」

「私が研究しているのは主に毒薬のほうですが、そういった毒薬には魔物の素材を使うこともありますので、毒のある魔物にもそれなりに明るいと自負しております」

 ふむ、と子爵が考えるような顔をした。

 毒薬の研究と聞くと顔を顰められることが多いけれど、子爵はそうではないらしい。

「何故とお訊きしても?」

 それにもう一度頷いた。

 毒薬の研究を選んだ理由は隠しているわけではない。

「私の父は魔物の毒で命を落としました。母は父を失ったせいか、その後を追うように……。私が宮廷魔法士になり、研究を『解毒』にしたのは、父のように毒で亡くなる者を少しでも減らしたかったのです」

 薬ではなく魔法を選んだのも、魔物との戦いをする騎士などは毒を受けた時に手持ちの薬でどうにもならないといった状況に陥りやすく、魔法なら薬がなくても何とかなるからだった。

 遥か昔は『解毒魔法』や『浄化魔法』で魔物の毒や呪いを完璧に消せたようだが、今の魔法ではそうはいかない。

 毒を分析するか、前もってどの魔物の毒か分かっていなければ『解毒魔法』を使っても毒を消せない。

 魔法か薬かなら、薬のほうがある程度は効く幅があるけれど、魔法は特定していなければ解毒は出来ず、そういう点では少々扱いづらい。

 しかし、一瞬で体内の毒を打ち消すことが出来れば対象の体への負担も少なく、毒の後遺症も残りにくい。

 紫水で研究した結果は王族に献上される。

 これまで完成した解毒魔法や毒に関する知識などは全て王家に捧げてきたし、その功績も考慮されて、平民の身でも副士団長にまでなれたのだと思う。

 ……王族は毒殺の危険もあるから。

 第三王子殿下から是非毒薬を主に研究してほしいと言われた時は、自分の研究が王族や騎士達の役に立つのだと分かって嬉しかった。

 今でも時間のある時は研究を続けている。

 一通りの説明を終えると子爵が頷いた。

「なるほど。ウェルツ殿は宮廷魔法士として、そのように国と王家に尽くしておられるのですね」

「そのようにおっしゃっていただけると、これまでの努力が報われます。私の研究によって、王家の皆様や共に戦う騎士や魔法士達の命が助かるのであれば、と思います」

「ウェルツ様はご立派ですわ」

「ありがとうございます」

 子爵夫妻の反応が悪くないことにホッとする。

 横に座るアリエラ嬢もニコニコしていることから、恐らく、良い掴みを取れたのだと思いたいが……。

「そうでした。ア……ボードウィン子爵令嬢に贈り物をしたいと思い持ってまいりました。お渡ししてもよろしいでしょうか?」

 ずっと自分の横に置かれたままになっている箱。

 綺麗な包みとリボンで飾られたそれはアリエラ嬢に渡すために購入したものだった。

「ええ、どうぞ」

 子爵の許可を得て、箱をアリエラ嬢に渡す。

「こちらをあなたに。……気に入っていただけると嬉しいです」

「開けてもいいですか?」

「ええ、もちろん」

 アリエラ嬢が丁寧にリボンと包みを外して箱を開ける。

 中には可愛らしい真っ白なうさぎのヌイグルミが入っており、その首元にはネックレスが輝いている。

 以前、出かけた時にアリエラ嬢が一瞬だが立ち止まった雑貨店の店頭に飾ってあったものだ。

 ……多分、これだと思うけれど。

 アリエラ嬢が目を丸くして箱を見つめている。

「……本当にいただいても?」

 という問いに笑みが浮かぶ。

「はい、あなたに渡したくて選んだものですから。むしろ、受け取ってもらえないと私の部屋にこの子が居座ることになります」

 少しおどけて言えば、アリエラ嬢がおかしそうに小さく笑った。

 それから、彼女は箱からヌイグルミを取り出し、そっと抱き締める。

「ありがとうございます。……大事にします」

 そう言ってもらえて嬉しかった。

「はい、可愛がってあげてください」

 アリエラ嬢と微笑み合う。

「ヌイグルミのネックレスはボードウィン子爵令嬢も使える品ですので、そのままにしておいても、使っても良いそうです」

「では、時々他のネックレスをつけてあげるのもいいですね」

「そうですね、きっとこの子も喜ぶでしょう」

 既に成人を迎えている女性にヌイグルミを贈るのは子供っぽいかと思ったが、彼女が見ていたものはこれで良かったようだ。

 嬉しそうな様子に買って良かったと思う。

「良かったわね、アリエラ」

「はい、お母様」

 笑顔のアリエラ嬢に温かな気持ちになる。

 ……これからも、この笑顔をそばで見守りたい。

 そんなことを思っていると子爵が口を開いた。

「ウェルツ殿、このようなことを訊くのは失礼に当たると分かっているが――……現在、娘以外にどなたか良い仲の方がいる、またはご結婚の経験がある、ということはありませんか?」

 その問いに驚いたが、すぐに否定する。

「いいえ、ありません。……今まで研究一筋の身でしたので、このような話もほとんどなく、この歳で結婚の経験もございません」

「ウェルツ殿であれば縁談の話は来たと思いますが」

「ありがたいお話は何度かいただきましたが、平民の身ですから、相手に断られることが多かったのです」

 それにはつい苦笑してしまう。

 いくつか縁談の話はあったものの、相手の令嬢から『平民なんてありえない』と断られた。

 平民の女性との縁談もなくはなかったが、結婚したいと思えるほどの気持ちも湧かず、相手の『宮廷魔法士と結婚したい』という圧もあまり良い気がしなかった。

 ジッと子爵に見つめられる。

「実は、今回お会いするにあたり、ウェルツ殿の身辺調査を行わせていただきました」

 それは当然だろう、と頷く。

 しかし、アリエラ嬢は知らされていなかったようで、酷く驚いた様子だった。

「お父様、そんな勝手に……っ!?

「落ち着きなさい、アリエラ。貴族として、親として、娘の付き合う相手がどのような人物なのか調べるのはよくあることだ」

「それはそうですけど……」

 不安そうに見上げられて、大丈夫だと微笑み返す。

 貴族ならば関わる相手について事前調査を行うのは珍しくはないし、調べられて困るようなことはない――……と思う。

「好きなだけ調べていただいて構いません」

 良くない相手と交友関係があるわけでもなく、女性関係で問題があるわけでもない。平凡で地味な人生を歩んで来た。

 だが、それについて引け目に感じることもない。

 魔法士としての素養があり、宮廷魔法士になり、真面目にコツコツと仕事をこなして副士団長に昇格した。

 派手さはないが、後ろ暗いこともない。それだけは誰に対しても胸を張って言える。

 両掌を握ると僅かに汗ばんでいた。

「ボードウィン子爵、子爵夫人」

 緊張で口の中が乾く。

 けれども、ここで臆してはいけない。

「私はご令嬢との関係を真剣に考えております」

 全力疾走をした後のように心臓が早鐘を打つ。

 まるで全身が心臓になってしまったのではと思うほど、自分の鼓動を強く感じた。

 体の中心は暑いのに、手足は冷たい。

「私は平民で、ご令嬢よりずっと年嵩で……恐らく、これ以上の昇進は望めないでしょう。ご令嬢と結婚しても今まで通りの暮らしはお約束出来ません」

 自分で言いながら自嘲が漏れそうになる。

 貴族の令嬢の結婚相手としてはあまりに条件が悪い。

「もちろん、ご令嬢に苦労をかけないよう全力で努力いたします。……心の底から彼女の幸福を願い、そして、その幸せに寄り添うことが出来たなら、それに勝る喜びはありません」

 最初、出会った時は驚いた。

 もう何年も前、祭りの中で偶然見かけた迷子のご令嬢に声をかけた。

 ご令嬢はまだ幼くて、両親と逸れて不安だったのだろう。泣く姿を見て気の利いたことなんて何一つ言えなかった。

 これが貴族であったならもっと上手く対応したのかもしれないが、自分に出来たのはご令嬢の不安が少しでも和らげばと優しく声をかけることだけだった。

 ……無精髭の男によくついて来てくれたと思うよ。

 いくら宮廷魔法士の制服を着ていたとはいえ、不審者と思われても仕方がなかっただろう。

 そんな男を覚え、ずっと想いを寄せてくれていて、再会した時はあんなに喜んでくれて。

 年齢や身分などを考えれば『自分よりも若くて爵位のある男性のほうが釣り合うから』とキッパリ断るべきだったし、本当は今からでもそうしたほうがいいのではと思うこともある。

 そう思うのに、愛おしそうな眼差しを向けられると彼女の手を取ってしまう。

 熱のこもった声で名前を呼ばれ、返事をすると嬉しそうに微笑む姿を見ると抱き締めたくなる。

 ……歳甲斐もないと言われるだろうけれど。

 この歳になって今更だが、人を愛し、愛される喜びに触れてしまった。

「私はアリエラ=ボードウィン子爵令嬢を愛しています」

 傷付くことは恐ろしい。失うことも恐ろしい。

 そうだとしても、何もせずに掴み取れないまま、幸運の機会を逃すことのほうがずっと後悔するだろう。

「彼女との正式なお付き合いを、お許しいただきたい」

 顔を上げ、背筋を伸ばし、まっすぐに子爵夫妻を見る。

 そして出来るだけ深く、心を込めて頭を下げる。

「お願いいたします」

 そっと背中に細い手が触れるのが分かった。

「お父様、お母様、私からもお願いしますっ。ジョエル様は誠実な方で、私はこの方以外と結婚する気はありません……!」

 その必死な声に思わず顔を上げる。

「アリエラ嬢……」

 重ねられた手をしっかりと握り返す。

「ジョエル様、私もあなたを愛しています。ずっと、ずっと……助けていただいた時からお慕いしています」

 震える声に抱き締めてしまいたくなった。

 もしも許しが得られなかったとしても、それでも、許してもらえるまで何度でも通うし、何度でも交際を申し込む覚悟は出来ている。

 そう思っていると、ふう、と溜め息が聞こえた。

 顔を向ければ、子爵夫妻が苦笑を浮かべていた。

「ウェルツ殿は勘違いをされているようですね」

 と子爵が言う。

「私達はあなたと娘の関係に反対はしておりません」

 夫人の言葉に「え……?」と声を漏らしてしまう。

 横を見れば、アリエラ嬢も驚いた顔をしていた。

「私達は娘を愛しています。だからこそ、あなたの調査は徹底的にやらせていただきました。結果として、あなたの誠実さや勤勉さを知ることが出来ました」

「もちろん、こうして直にお会いして、少しでも不審な点があればお断りすることも考えていましたわ」

「だが、あなたは私達に対して誠実に向き合ってくださった。普通なら、自分と結婚することでいかに利益があるかを伝えるものですが、あなたは自分と結婚する不利益さを隠すことなく話してくれましたね」

 少しおかしそうに笑う子爵に顔が熱くなる。

 ……ああ、それもそうか。

 嘘は吐きたくないと全てを打ち明けたけれど、わざわざ不利益など伝えないのかもしれない。

 しかし、それは誠実と言えるのだろうか。

 彼女の今後に関わることなのだから、事実を伝え、その上で許しをもらうべきだろう。

「そして娘の様子から、それについて互いに理解した上で申し出ていることも分かりました」

「あまりに正直におっしゃられるものですから、私達、驚いてしまいましたわ」

 ふふふ、と夫人が穏やかに笑う。

「何より、あの手土産。あれはミスリル嬢から聞いたものでしょう?」

 夫人の問いに頷き返す。

「はい。その、恥ずかしながらミスリルさんには何かと相談に乗っていただいておりまして……」

「ああ、なるほど。彼女はアリエラのことも、私達のことも、よく知っていますからね」

 子爵夫妻の穏やかな表情から、二人がミスリルさんを好意的に思っていることが伝わってくる。

 ミスリルさんも子爵夫妻のことをよく褒めていたので、きっと同じ気持ちなのだろう。

「結婚式の件もあり、私とアリエラ嬢にとって、ミスリルさんは恩人のようなものです」

 ミスリルさんの結婚式に招いてもらえなければ、アリエラ嬢と会うことはなかった。

 その点でも、相談に乗ってもらっていることでも、感謝しても足りないくらいである。

「私達もミスリル嬢には感謝しておりますのよ。昔のアリエラは、それはもう気が弱くて、引っ込み思案で、このままでは社交どころかお友達も作れないのではと心配するくらいで」

「お、お母様……!」

 子爵夫人の言葉にアリエラ嬢が慌てた様子で止める。

「小さい頃のアリエラ嬢のお話、是非お聞きしたいです」

「もう、ジョエル様まで! 恥ずかしいからやめてください!」

 と、アリエラ嬢が少し赤い顔で怒る。

 そんなところも可愛らしくて、つい笑みが浮かんだ。

 それから、子爵夫妻は顔を見合わせ、頷くと、こちらへ頭を下げた。

「ウェルツ殿、どうか娘をお願いします」

「私達の可愛い娘を、幸せにしてあげてください」

 顔を上げた子爵夫妻が微笑んだ。

 横から、アリエラ嬢の嬉しそうな声がした。

「ありがとう、お父様、お母様……!」

 ……許してもらえた?

「ジョエル様……!」

 アリエラ嬢に抱き着かれる。

「こんなあっさり……よろしいのですか? 私はご令嬢とはあまりに歳も離れているのに……」

 子爵夫妻は朗らかに笑った。

「貴族では、家の利益のために親子ほど歳が離れている者との政略結婚をすることもあります」

「愛する人に望まれての結婚は幸せなことですわ」

 ……そういえば、貴族は歳の差婚は珍しくないのか……。

 遅ればせながら頭が理解する。

「けれど、すぐに婚約、結婚というわけにもいかないので、まずは半年のお付き合いで互いの人となりをきちんと確認して、それから改めて婚約を結ぶというのでいかがでしょう」

 子爵の提案に横を見れば、アリエラ嬢が幸せそうに微笑んでいる。

「っ、はい、それで構いません」

 ……彼女と正式に付き合うことが出来る。

 問題がなければ婚約し、結婚も出来る。

 じわりじわりと実感が湧いて、喜びが押し寄せてくる。

「……アリエラ嬢」

 名前を呼べば、彼女が「はい」と返事をする。

「私と結婚をすれば、あなたに苦労をさせてしまうかもしれません。……いえ、きっと苦労することが多いでしょう」

「はい」

 しっかりとアリエラ嬢が返す。

「私は人生を懸けてあなたを愛すると誓います。他の誰よりもあなたを愛し、慈しみます。だからどうか、あなたのこれからの時間を私にください」

 アリエラ嬢が微笑んだ。

 幸せそうに、嬉しそうに、まるで少女のように。

 ……あ。

 迷子だった幼い彼女の笑顔が重なる。

 自分のかけたありきたりな言葉に、安心したように笑った、あの少女の笑顔を思い出した。

 泣いている姿ばかり記憶に残っていたけれど、幼い彼女はあの時から自分のことを信じてくれていたのだ。

「はい、ジョエル様……!」

 ギュッとまた抱き締められる。

「私はあなたと歩んでいきます……!」

 あの小さな手の温もりは、今もここにあった。


◇◇◇


「――……というわけで、ジョエル様と婚約を前提に正式なお付き合いを始めました」

 親友のミスタリアの屋敷に招かれ、紅茶を飲みながら、アリエラは自分達のことを説明した。

 正式な付き合いが認められてから少し時間が経ってしまったが、直接話したかったので、それまでジョエル様にも黙っていてもらった。

 ミスタリアの横にはその夫もいる。

 屋敷は以前と同じく綺麗で、清掃も行き届いているが、今は物が増えて華やかになった。

 使用人も増えたし、屋敷全体の雰囲気も明るい。

 弟のイシルディンが子爵領に帰ったものの、親友は夫と共に暮らしている上に新しい使用人の少年も雇ったからか、親友は変わらず楽しそうだった。

 ミスタリアの目が輝く。

「改めておめでとう、アリエラ! おじ様もおば様も、ウェルツ様ならきっと許してくれると思ってたよ!」

 拍手するミスタリアの横で、その夫であるアルフリード様も小さく手を叩いた。

「おめでとうございます」

 相変わらずの無表情だが、その声は恐らく穏やかなものだ……と思う。

 彼は社交界で『氷の貴公子』と呼ばれているけれど、こうしていると『氷』というのは言いすぎのような気がした。

 ……いえ、きっと変わったのね。

 ミスタリアと出会って変化があったのだ。

 その気持ちは分からなくもない。ミスタリアを見ていると明るくて、元気で、前向きで、そんな姿に自分も変わりたいと思いたくなる。

「ありがとう、ミスリル。アルフリード様もありがとうございます。婚約するまでは公にはしませんが、そのうち噂は広まるかもしれません」

 本当はジョエル様と二人で報告をしたかったのだけれど、紫水の副士団長が二人揃って休むわけにはいかなかったので、まずは私から二人に伝えることにした。

 きっと明日にはジョエル様から改めて伝えられるだろう。

 嬉しそうに「お祝いだー!」とミスタリアが立ち上がる。

「実はお祝いが出来るようにケーキも用意してもらってあるの! すぐ持って来るね!」

「あ、ミスリル、ちょっと――……」

 止める間もなく、ミスタリアが応接室を出て行った。

 残された私とアルフリード様は顔を見合わせる。

 思わず苦笑を漏らしてしまった。

「ああいうことは使用人を呼べばいいのですが……」

「自分で持って来たいのでしょう。ミスティは緊張しすぎて、昨夜はあまり眠れていないようでした。夜に突然『ケーキを焼かなきゃ!』と言い出した時にはさすがに止めました」

「あはは、ミスリルらしいですね」

 その様子も簡単に想像がつく。

 きっと寝る前か、ベッドに横になったところで突然思いついて始めようとしたのだろう。

 それを止めたアルフリード様も驚いたはずだ。

 元々、聞き分けはいいからミスタリアもすぐに納得しただろうけれど、もし止めなければ本当にケーキを作り始めたと思う。

 ……昔から行動力のある子だったから。

「アニー!」と名前を呼ぶ声と「奥様、廊下は走らない!」と怒られる声がして、アルフリード様と顔を見合わせる。

 そして、どちらからともなく噴き出した。

 思わずといった様子で笑うアルフリード様は、やはり『氷の貴公子』などではない。

「ミスリルは結婚してもミスリルという感じですね」

「ええ。……ですが、あれが妻の長所ですから」

 そう言ってミスタリアの出て行った扉へ、アルフリード様が優しい眼差しを向ける。

「確かに。あの一直線なところが、ミスリルの長所ですね」

 時には欠点になってしまうこともあるけれど、あのまっすぐさや明るさに救われる者もいる。

 開け放たれたままの扉からサービスワゴンの音と、ミスタリアのものだろう鼻歌が聞こえてきた。

 少し音程の外れたそれは随分とご機嫌である。

「お待たせ!」

 サービスワゴンの上には大きなケーキがあり、綺麗にクリームが塗られて果物が飾られている。薄い板状のクッキーにはチョコレートで『おめでとう!』と書かれていた。

 恐らく、朝早く起きて午前中から作ってくれたのだろう。

 話したいことがあると事前に伝えてはいたが、こういう勘の良さも親友のすごいところだった。

「さあ、アリエラが切り分けて!」

 差し出された大きなナイフに驚く。

 そういうことをするのは初めてだ。

「大丈夫かしら。こんな大きなケーキ、切ったことがないわ……」

「じゃあ一緒に切る?」

「ええ、そうね。お願い、ミスリル」

 ニコッとミスタリアが明るく笑う。

 二人でナイフを持ち、丁寧にケーキを切っていく。

 途中、親友が「こういうのは新郎新婦でやったほうがいいのになあ」と何やら呟いていたけれど、切ったケーキは中までたっぷりの果物が入っていて美味しそうであった。

 立ち上がったアルフリード様が手伝い、ミスタリアとアルフリード様とが慣れた様子でケーキを皿に取り分けていく。

 普段からこんなふうに助け合って過ごしているのだと分かる、微笑ましい光景だ。

 テーブルの上にケーキとジュースが並べられる。

「それでは、アリエラとジョエル様のお付き合いを祝し、二人が婚約を結ぶ未来を願って!」

 席に着いたミスタリアがジュースの入ったグラスを持つ。

 それにアルフリード様も、私もグラスを手に取った。

 全員で顔を見合わせれば笑みが浮かぶ。

「乾杯!」

 ミスタリアの明るい声に私も、アルフリード様も続く。

「乾杯!」

「乾杯」