
「ミスティ」
と呼ばれて車窓から顔を戻す。
わたし、ミスタリア=リュディガーはリルファーデ子爵家の長女だったけれど、元婚約者から婚約破棄をされ、支援が受けられなくなったため王城の宮廷魔法士団・
前世の記憶があったため労働への忌避感はなかったし、実際、紫水での清掃の仕事はやりがいもある。
「なぁに、アル?」
そして、そこで働く中でいじめや嫌がらせなどもあったけれど、紫水のメルディエル様達がきちんと彼ら彼女らを処罰してくれた。
「今日はミスティが喜ぶことがある」
金髪に青い瞳を持つ、美形の青年――……わたしの夫であるリュディガー公爵家の次男アルフリード=リュディガーこと、アルが微笑む。嫌がらせなどを受けていた時にアルはよく気にかけてくれて、そこから惹かれ合って婚約した。
互いの元婚約者の件や、アルのドラゴンの呪いの件など色々あったものの、全て解決してわたし達は結婚した。
わたしは今も紫水の清掃員として働いており、アルは紫水の副士団長で職場では上司に当たる。
「わたしが喜ぶこと?」
何だろうと首を傾げるわたしの頭をアルが撫でる。
「楽しみにしているといいよ」
そう言ったアルも、どこか嬉しそうだった。
王城に到着し、馬車を降りる。
アルと二人で紫水の士団長室に向かった。
以前は汚すぎて『魔窟』と呼ばれていた紫水も、清掃員が入ってからは見違えて綺麗になったと思う。
……宮廷魔法士の皆さんの意識も変わってきたし。
最近はどの部屋の魔法士様達も、出来る限り汚さないように気を付けているようだ。
たまに実験が失敗して室内が大惨事になることもあるけれど、そういう時は率先して片付けに参加してくれるし、綺麗にしていたほうが仕事の効率も良いと分かったらしい。
士団長室に着き、アルが扉を叩く。
中から「どうぞ~」と声がした。
士団長室に入ると既に士団長様ともう一人の副士団長様が出仕しており、わたし達を見ると声をかけてくれる。
「アルフリード君、ミスリルちゃん、おはよう~」
「お二人とも、おはようございます」
紫の髪を三つ編みにして肩に流し、金の瞳に丸メガネをかけているほうの男性がナサニエル=メルディエル様。三つある宮廷魔法士団の一つ、紫水のトップだ。
そして茶髪にやや暗い緑の瞳をした、メルディエル様より年嵩のこの男性が、アルと双璧を張るもう一人の副士団長のジョエル=ウェルツ様だ。
二人とも、わたしの上司である。
「おはようございます」
「おはようございます!」
アルとわたしも挨拶を返す。
メルディエル様がニコニコ顔で頷いた。
「そうそう、今日から新しい掃除道具を導入したから、後で倉庫に寄ってね~」
「新しい掃除道具ですか? あ、もしかして
「それもあるけど、もっと別のものをリュディガー公爵家から購入したよ~」
……公爵家から?
目を瞬かせているとアルが耳打ちしてくる。
「王城内の清掃作業に、掃除機を導入したんだよ」
「えっ!?」
思わずアルとメルディエル様、ウェルツ様の顔を順に見てしまう。
頷く三人に、じわじわと喜びが込み上げてきた。
「掃除機を使っていただけるなんて嬉しいです!」
以前、リュディガー公爵家の伝手で職人さん達に掃除機を試作してもらった。
その後、公爵家でもお試しで使ってもらったのだが、それが好評で一般向けにも販売しようという話が決まっている。先に王城で使ってもらえれば良い宣伝になるだろう。
それにしても、王城の清掃に導入されるとは。
アルがまたわたしの耳元に顔を寄せてくる。
「母上が王妃様にいくつか贈り、それが使用人達の間で広まって導入が決まったらしい」
「お
わたし達が頷き合っていると、始業前の鐘の音が響く。
「さあ、僕達も仕事の準備をしようか~。それじゃあ、ミスリルちゃんも今日の清掃もよろしくね~」
メルディエル様の言葉にわたしは大きく頷いた。
「はいっ!」
……今日も一日頑張るぞ!
「アル、またお昼休みにね」
「ああ、また後で」
アルにギュッと抱き締めてもらってから、士団長室を出る。
言われた通り、倉庫に行くと目立つように部屋の真ん中に数台の掃除機が置かれていた。
王城内で使うためか陶器製の花柄が描かれた綺麗なものだ。しかもホース部分は普通は茶色の革製なのだが、白色の革で作られており、以前作ったものからより改良されて掃除機の後ろ下部に小さなタイヤがついている。触ってみるとゴムのような感触だ。
「少し重いけど、タイヤがあるなら持ち運びもそれほど困らないよね。それにしてもオシャレな掃除機~!」
ただ、どこかにぶつけたら壊れてしまいそうなので、扱いには細心の注意が必要だろう。
壁際にいくつか張り紙がしてあり、それは掃除機の扱い方に関する説明書だった。書類全てに清掃員の名前が書かれてあったので、わたしの名前が書かれているものを壁から取る。
しばらくはこれを持ち歩いて使い方を覚えるように、とのことだった。
とりあえず、清掃の時間もあるので
本日最初の掃除場所である部屋に向かう。
そうして、目的地の扉を叩いた。
「清掃員のミスタリアです。お掃除にまいりました!」
声をかければ、中から扉が開いた。
「……今日もよろしく……」
長い灰色の髪に、オリーブみたいな暗めの緑色の目をした紫水の宮廷魔法士の一員、ブレアス=エングリーヴ様だ。
わたしが担当している十部屋のうちの一つがここだ。
俯きがちで性格もやや引っ込み思案なようで、いつもボソボソと小声で喋っているけれど、意外と声がよく通るのでそれでも十分聞き取れる。
アルよりかはいくらか背は低いようだが、それでも長身で、でも猫背だから実際よりも少し背が低く見える。
エングリーヴ様の視線が
「そ、それが、新しく導入された、掃除機……?」
「はい、そうです!」
気になるのかエングリーヴ様は掃除機に近づき、あちこち触って確認し始める。
「……なるほど……風魔法で……ふむ、式は別々なのか……」
恐らく、満足するまで離れないだろう。
紫水で働くようになって知ったが、魔法士は好奇心が強くて変わったものや珍しいものが好きらしく、一度こうして興味が湧くと納得するまで調べるのだ。
……まあ、先にやれる掃除をすればいっか。
どちらにしても、棚の埃を落として、落ちている紙ゴミや床に積んである本を片付けないと掃除機はかけられない。
「あの、掃除を始めますね?」
エングリーヴ様は小さく手を上げたけれど、その視線が掃除機から外れることはなかった。
昼休憩を告げる鐘の音に顔を上げる。
本棚に本を入れてくれていた魔法士様が振り返る。
「ここで一旦休憩にしましょうか」
「そうですね、午後にまたまいります」
「はい、午後もお願いします」
掃除道具を部屋の隅にまとめておき、部屋を後にする。
手を洗ってから食堂に行けば、先に来ていたアルがわたしへ手を振った。
そこへ行くとアルとメルディエル様とウェルツ様がいて、わたしの分の食事を用意してくれていた。
「お疲れ様です」
お二人に声をかけて、アルの隣に座る。
「アルもお疲れ様。それとありがとう」
「どういたしまして」
人が多い場所だからか微笑むことはなかったが、目元を僅かに和ませるだけでもアルの雰囲気が柔らかくなる。
昼食を摂り始めると、メルディエル様に訊かれる。
「掃除機はどうだった~?」
「最初にわたしが提案したものより、とても使いやすくなっていました。見た目も綺麗ですし、吸引力もあって埃もよく取れます。あとは耐久性がもっとあればいいなと思いました。陶器製だと、どうしてもぶつけてしまった時に壊れてしまいますので」
「そうだね~。木製のもののほうが多少ぶつけても壊れにくくて軽いのは分かってるんだけど、王城内で使うにはちょっと見た目がそぐわないからね~」
だからこそ、陶器製のオシャレなものが採用されたのだ。
ちなみに、掃除機は紫水の清掃だけでなく、王城全体の清掃で採用されたそうで、人目のある場所で使ったり持ち運んだりすることもあるので見た目も重要だ。
……まあ、わたしは多少重くても問題ないけどね!
わたしは魔力を体の内側で循環させるのが得意な魔力内向者なので、身体強化を使えばどんなに重いものでも持ち上げられる。ただし、体の外に魔力を出して使う、他の魔法は一切使えない。
逆にアルやメルディエル様達のように火球を放ったり、風の刃を使ったりといった魔法を使える人は、体外に魔力を出すのが得意な魔力外向者と呼ばれる。
割合で言うと魔力内向者のほうが少なく、更にその中でも、身体強化の硬さの度合いは人による。
わたしはずば抜けて身体強化の能力に優れているらしい。
「でも、使い心地はいいです! 埃が溜まっている場所は掃除機で吸ってから掃除すると綺麗になりますし!」
「うんうん、清掃員の負担が減るのはいいことだよ~。今後もう少し人数を増やす予定だから、それまで大変だろうけどお願いね~」
清掃員の人数が増えるのはありがたいことだ。
今は一人十部屋を担当しているけれど、わたしはそこに廊下や紫水専用の応接室なども掃除しているため、他の人に比べて清掃場所を一周するのに時間がかかってしまう。
あと二人くらい入ってくれると部屋の分担も楽になるし、場合によっては廊下などの共用スペースも他の人と手分けして掃除することが出来る。
「はい! ……でも、今回は掃除に少し時間がかかるかもしれません。魔法士の皆様が掃除機に興味を持ってしまって……」
わたしが苦笑すると、三人も困ったような顔をした。
「あ~、みんな掃除機に食いついちゃうか~」
「魔法士は初めて見る魔道具に目がありませんからね」
メルディエル様とウェルツ様の言葉に、アルも頷く。
「色々な魔道具はありますが、掃除道具というのは今までなかったので仕方ないかと。正直に言えば、私も開発中、とても楽しかったです」
「あはは……納得するまで調べられるので、その間は清掃に使えなくて……」
これについては、どうしようもない。
掃除中、使いながらあれこれ調べられるくらいなら、最初に好きなだけ見てもらったほうがいい。
……きっと他の清掃員も同じ状況だろうなあ。
清掃員同士はあまり関わることがなく、仕事上で必要な時以外はほぼ会話もない。
そもそも、会うことも滅多にない。
……若干避けられているような気もするけど。
わたしに嫌がらせをした上に仕事もしていなかった清掃員が以前クビになったこともあって、何となく、他の清掃員から距離を置かれているようだ。
他にも理由はあるのかもしれないが、関わりたくないと思われているならお互い距離を置いていたほうがいいだろう。
仕事で困ることはないし、メルディエル様達や魔法士の皆さんは気さくに接してくれるし、アルもいるからわたしは毎日楽しく働けている。
「でも、それについては最初だけだと思うので、皆様に見てもらっています。わたしとしても、発案したものに興味を持っていただけるのは嬉しいですから!」
魔法士様達が興味を持つくらいには、良い魔道具が出来たと思えば悪い気分ではない。
メルディエル様が小さく笑う。
「ミスリルちゃんは本当に前向きだね~」
「はい、それが取り柄ですから!」
ははは、と昼食の席に和やかな空気が流れる。
アルの口元も微笑んでおり、目が合うと、綺麗な青い目が優しく細められる。
この穏やかで幸せな時間が大好きだ。
◇◇◇
掃除機が導入されてから数日後。
いつものように、終業後にアルと落ち合うために士団長室に行くと、アルとメルディエル様、ウェルツ様が残っていた。
「ああ、丁度いいからミスリルちゃんも見る~?」
と、メルディエル様に言われて小首を傾げた。
その手には何かの書類がある。
「わたしが見てもいいものでしょうか?」
「うん、他の清掃員から掃除機に関する報告書というか、感想というか、まあ、そういう感じの書類が上がってきたんだけどね~」
それにギョッとした。
「え、報告書が必要でしたか!?」
少なくとも、わたしは『報告書を提出しろ』といった話は聞いていないのだけど――……。
慌てるわたしの頭にアルが触れる。
「いや、報告書の義務はない。ただ、他の清掃員達は改善してほしい点などがあったようで、報告書を書いてもらったんだ」
「あ、そうなんですね」
アルの言葉にホッと胸を撫で下ろす。
わたしだけ提出していないのは気まずいし、仕事を忘れていると思われるのも嫌だ。
メルディエル様からアルを経由して書類を受け取る。
その内容に目を通した。
細かな改善点はいくつもあるけれど、一番望まれているのは『大きな紙ゴミも吸えるようにしてほしい』と『重くて扱いにくいのでもう少し軽量化してほしい』とのことだった。
まず、大きな紙ゴミというのは魔法士様達が書き損じでグシャグシャに丸めた紙のことだろう。これは全て集めたら焼却処分されるのだけれど、それぞれの研究に関する内容について書かれているため、他のゴミと一緒には出来ない。
もし掃除機でそれも吸うとなると、今度はもっとホースも本体も大きくする必要があり、そうなれば当然重量が増す。
しかし、次の問題が『重さ』なので、単に大きくして吸えるようにすればいいという話ではない。
他にも『陶器製だと衝撃に弱そうで不安』や『余計なものまで吸ってしまう』『すぐに詰まるので使えない』という意見もあった。
「詰まるに関しては、多分、大きなゴミを吸ってしまうからだと思います。掃除機は基本的に小さなゴミや埃を吸うのが目的なので、まずは大きなゴミをある程度片付けてから掃除機をかけるんですけど……『掃除機』という名前から紙ゴミもそのまま吸わせているかもしれませんね」
わたしの言葉にウェルツ様が「ああ」と納得した様子で呟く。
「そういえば、私の部屋を担当している清掃員は掃除機で紙ゴミもそのまま吸い込んでいましたね。頻繁に止めてゴミを取り出していたので、手間のかかる魔道具なのかと思っていましたが……」
ふとアルがわたしを見た。
「ミスティ、もしかして掃除機は扱い方を覚えるだけでなく、掃除機を使う前提の清掃の仕方があるのでは?」
そう言われて、自分の行動を思い返してみる。
……ああ、そっか。
掃除機を使う時と、使わない時とで掃除の仕方を変えるのはわたしにとっては当たり前のことだったけれど、他の人は初めて『掃除機』という道具に触れる。
最初に掃除機では吸えない大きさのゴミを片付けるとか、吸ってほしくない小物や袋などの入れ物は高い場所に上げておくとか、邪魔な荷物を退かすという事前作業を知らないのだ。
「はい、確かに掃除機を使う前の準備といいますか、やっておくことはいくつかあります」
わたしがそれらについて説明すると、三人が納得した様子で頷いた。
「すみません、わたしも失念していました……」
自分の『当たり前』が他人もそうとは限らない。
「あの、掃除機を使うための事前作業について、説明書を書かせていただいてもよろしいでしょうか……?」
このまま、扱いにくいからと敬遠されたくない。
申し出るとメルディエル様が少し首を傾げた。
「それはすごくありがたいけど、大丈夫~?」
「はい、注意事項を書いて、どういう手順で行うと効率的か書き出すだけなので問題ないと思います」
「じゃあお願いするよ~。せっかく導入したのに、きちんと使えないまま『使い勝手が悪い』って評価されるのは残念だしね~」
それに頷きながらも考える。
王城内でも他の清掃場所は恐らく問題なく使えているだろうが、紫水では紙ゴミがよく出るので、掃除機はあっても事前準備などで手間が増えてしまうだけかもしれない。
「とりあえず、今日はもう帰ろうか~。掃除機を使う上での事前準備についてはミスリルちゃんに書き出してもらうとして、それを配ってからまた様子をみよう」
メルディエル様のその言葉で解散となった。
アルと共に馬車に乗って屋敷へと帰る。
馬車に揺られながら、考えていたことをアルに伝えた。
「ねえ、アル。掃除機を導入してもらったけど、紫水の清掃では掃除機はむしろ邪魔になっちゃうかも」
わたしがそう切り出すと、アルも少し考えてから小さく頷いた。
「そうだね。扱い方に慣れていないというのもあるだろうけど、他の清掃と違って
「やっぱり?」
アルも紫水と掃除機の相性の悪さに気付いたようだ。
「大きなゴミを拾って、小物とか荷物を退けて、それから掃除機をかけるくらいなら最初から箒で掃いてから拭いたほうが手順も少なくて早く感じるかもなあ。……掃除機をかけても水拭きが必要なこともあるだろうし」
そうなると、紫水は掃除機を導入せずに以前の清掃のやり方を続けたほうが楽だし分かりやすいだろう。
掃除機は清掃員の負担軽減のために導入したものだ。
それが逆に手間を増やし、負担がかかるのでは意味がない。
「紫水での掃除機の使用の取りやめを進言する?」
アルに訊かれて悩んでしまった。
「うーん……保留で。とにかく、事前作業について急いで書類を作って提出するよ」
「ああ、そのほうがいい」
アルがわたしの手に、自分の手を重ねる。
それを握り返して大丈夫だと微笑んだ。
二人で寄り添っているうちに屋敷に到着し、アルとわたしは馬車から降りた。
玄関先には、見慣れた小柄な姿があった。
「旦那様、奥様、おかえりなさい!」
綺麗な短い黒髪に紅い目の男の子は使用人のお仕着せを着て、笑顔で出迎えてくれる。
「ただいま、ラディ」
「ただいま、ラディ君」
ラディ君の本当の名前はラディスラストといって、リルファーデ子爵領の鉱山の地下で長く眠っていたドラゴンである。
遥か昔に存在した魔王のドラゴンの息子だ。
そして、この国王家には代々『呪い持ち』と呼ばれる存在がいて、魔王にトドメを刺した初代国王はドラゴンの呪いを受けてしまい、それがずっと子孫に引き継がれてきたのだ。
アルも実はその『呪い持ち』なのだけれど、ラディ君と出会い、王家の呪いは解くこととなったものの、アルの体から呪いを取り除くことは出来なかった。それでも、アルが死んだらそこで呪いが消えるそうなので、もうこれ以降は王家に『呪い持ち』は出ないらしい。
ラディ君の頭を撫でると嬉しそうな笑顔が返ってくる。
人間のことを知りたいというラディ君を引き取り、表向きはリュディガー公爵家の遠縁の子として我が家の使用人にしているが、実際の目的は監視である。
ラディ君自身は戦うことが苦手なようで、人間と争うつもりはなさそうだが、国としても放っておくわけにはいかないのだ。
屋敷に入ると家令のヴァンスも出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、旦那様、奥様」
「ただいま」
「ただいま、ヴァンス」
アルの上着はヴァンスが、わたしの上着はラディ君が受け取ってくれた。ラディ君は最近、こういう仕事も率先して行ってくれて、少し時間はかかるものの、新しいことに挑戦するのが楽しいようだ。
苦手だという言葉遣いの勉強も真面目にやっているそうだし、仕事も覚えが早いとのことで、一人前だと認められる日はそう遠くないだろう。
ふわりといい匂いが漂ってくる。
「ラディ君、今日の夕食は何かな?」
わたしが訊くとラディ君が笑顔で答える。
「海のものを使ったグラタンです! アニーが『いいエビが手に入りましたよ』って言っていました!」
「そっか~、それは楽しみだね」
リルファーデ子爵領は海から離れていて、海産物を食べる機会が少なかった。全くないわけではないけれど、どうしても輸送の手間などもあって高価な食材だった。
王都でも海産物はそれほど安くはない。
だが、そういうものが食卓に上がるということは、アルとわたしとで、それらを購入出来るくらいには稼げていて、金銭的余裕があるということだ。
……それにアニーは買い物上手だしね。
わたしとアルは二階の寝室へ着替えに行く。
ラフな私服に着替えつつ、後ろにいるアルに訊いてみた。
「アルは海産物、好き?」
何故か一瞬、沈黙があった。
「……大体は好きだけど、大きすぎる魚はあまり好きじゃない」
という不思議な返答に思わず振り返った。
シャツを羽織り、
着替えを続けながら更に質問を重ねてみる。
「どうして大きな魚は好きじゃないの?」
アルはわたしに背を向けると釦を留めていく。
ややあって、呟きのような返事があった。
「……昔、大きな魚に水をかけられたことがあるんだ」
それにわたしはつい「え?」と訊き返してしまった。
アルの動きが止まったので、わたしは着替えの手を止めて、アルの背中に抱き着いた。
「大きな魚ってどれくらいだった?」
「……多分、これくらいで、あの時は六歳だったから、より大きく見えたんだ」
アルがこれくらいと両腕を広げた。
大きさ的には四十から五十センチ前後くらいで、確かに大きな魚だ。
「そんなに大きなものは初めてで、思わず魚が入っている桶に近づいてしまった」
はあ、とアルが小さく溜め息を吐く。
「そうしたら水をかけられちゃった?」
「ああ。……その水が顔にかかったことにも驚いたけれど、とにかく臭くて……当時は海産物特有の臭いを知らなかったし、その時は興奮して少し呪いも出ていて嗅覚も鋭かったから……」
「ビックリしたんだね」
アルが無言で頷いた。
もしかしたら、魚もアルからドラゴンの気配を感じて、怖くて水をかけてしまったのかもしれない。
子供のアルも好奇心で近づいたら痛い目に遭った。
「子供っぽいでしょう?」
気恥ずかしいのかアルの口調が丁寧なものになっていて、後ろから見える耳もほのかに赤く染まっている。
ギュッとアルを抱き締めた。
「子供っぽくないよ。むしろ、そういうところが可愛いし、アルの一面が知れて嬉しい」
アルの手がわたしの腕に触れる。
「……呆れていない?」
「呆れてないよ」
振り向いたアルの頭を引き寄せて口付ける。
「……早く着替えて、下に行こっか。ラディ君もきっとお腹を空かせて待ってるだろうし」
「そうだね」
わたし達は小さく笑い合う。
着替えを済ませて階下に降り、食堂に入ると、ヴァンスとラディ君が食器などを用意してくれていた。
アルと共に席に着く。
すぐに奥から家政婦のアニーがやって来た。
「おかえりなさいませ、旦那様、奥様!」
その手にはグラタン皿があった。
「今日は海鮮グラタンですよ!」
どうぞ、とアルの前にグラタン皿が置かれる。
それから次々に皿が運ばれて、全員分が揃い、みんなも席に着く。
「美味しそう!」
と、わたしとラディ君の言葉が重なった。
顔を見合わせて笑ってしまう。
「特にいいエビが沢山買えたので、今日はエビたっぷりグラタンです。おかわりもありますからね」
アニーの言葉に全員が返事をし、食前の挨拶をしてからグラタンを食べ始めた。
弾力のあるマカロニと、ニンジンやブロッコリーなどの野菜にホワイトソースがよく合う。たっぷりのチーズにはブラックペッパーがかかっていて、中には細くしたエビが、上には丸ごとのエビが沢山入っていた。
アニーのグラタンはいくつかのチーズを混ぜて作るらしく、何度食べても飽きないくらい美味しい。
「――……それでね、王城でも掃除機を導入してもらえたの」
食事をしながら今日あったことを話すのが日課だ。
もちろん、話してはいけないことは魔法で口外出来ないようになっているけれど、普段の何気ないことなら問題ない。
「まあまあ! それは良うございますね!」
「掃除機は公爵家でも、我が家でも大人気ですからねえ」
アニーとヴァンスが朗らかに笑う。
「でも紫水で使うにはちょっと適さないみたい。掃除機を使った掃除のやり方だと、逆に手間が増えちゃうの」
わたしの説明に二人が困ったように眉を下げた。
「掃除機、私達は使いやすくていいんですけどねえ」
アニーのどこか残念そうな言葉に、ラディ君が首を傾げた。
「絶対に掃除機じゃないとダメなの? ……ですか?」
ヴァンスの目が光り、ラディ君が慌てて言葉を付け加える。
だが、確かに掃除機に固執する必要はない。
大切なのは『清掃員の負担軽減』であり、絶対に掃除機を使わなければいけないという理由もなかった。
「そうだよね。掃除機が合わないなら、用途に合う他のものを使えばいいんだよね」
「だけど、他に掃除用の魔道具なんて聞いたことがないけど――……」
言いかけて、アルがわたしを見た。
「もしかして、新しくまた何か作るつもり?」
それにわたしは頷き返した。
「うん、そう出来たらいいかもって思ってる。いくつか魔道具について考えがあるし、掃除機で得た利益から新しい魔道具の開発費を出すなら金銭的な問題も少ないよね?」
「それなら問題ない。……僕達でまずは案を出して、母上に報告して、新しい魔道具の製作に協力してもらえるか訊いてみよう。技術者達は皆、公爵家お抱えだから僕の一存では動かせないし」
アルと頷き合う。
「ラディ君、ありがとう。わたし達は掃除機のことばっかり考えてて、一番大切なことを忘れるところだったよ」
もう一度「ありがとうね」と感謝の気持ちを伝えるとラディ君が、えへへ、と嬉しそうに笑った。
おかげで突破口が見えた気がする。
……掃除機以外にも作れるものは多分ある!
◇◇◇
翌日、わたし達はメルディエル様とウェルツ様に相談してみることにした。
「メルディエル士団長、ジョエル殿。清掃の件で、掃除機は紫水の清掃に合わないと感じました。そこで他の魔道具を製作してみたいと考えているのですが、試してみてもよろしいでしょうか?」
まずはアルが話題を出してくれた。
「新しい魔道具を開発するってことかい?」
メルディエル様の目がキラキラと輝く。
ウェルツ様も興味深そうな顔をしている。
「はい、妻からいくつか案を聞いておりますので、それらを製作しようかと。一応、お二方からも許可を得ておこうという話になりました。開発費は我々が出すので」
それにメルディエル様が首を横に振った。
「ダメダメ。紫水で使うことが前提なら、
ビックリして訊き返してしまう。
「でも、上手くいくか分からないですし……」
「僕達が日頃やってる研究だってそうだよ~。役立つかも、上手くいくかも分からないけど、無駄なことではないよね? 魔道具開発なんて特に失敗は付きものだし。まあ、掃除機っていう成功例もあるし、僕はアルフリード君とミスリルちゃんに賭けてもいいと思うよ~」
アルと顔を見合わせる。
「清掃員も紫水の一員ですから、負担を減らすために新しい魔道具の開発は必要だと思います」
ウェルツ様も笑って頷く。
……開発費をいくらか出してもらえたら、ありがたいけど。
「あ、もちろん発案者の権利は二人が持てばいいよ~。その代わり、完成した時は一番にうちで使わせてもらうけどね~」
それにアルが少し呆れた顔をした。
「あなたは新しい魔道具が気になるだけなのでは?」
「それはそうだよ。魔道具に興味のない魔法士のほうが少ないでしょ~? もし製作で行き詰まるところがあったら相談に乗るから、二人とも頑張ってね~」
というわけで、新しい魔道具開発の話はトントン拍子で決まったのだった。
開発時間はきちんと仕事に含めるそうで、早めに清掃を切り上げて、空いた時間で新しい魔道具についてアルと案を固めることにした。
メルディエル様達への相談はその後になるだろう。
アルの研究室で、二人で考える。
「まずはどういった魔道具を作るかだな。ミスティ、いくつか案があると言っていたけど、書き出せる?」
渡された紙とペンを受け取った。
「うん」
昨日から考えていた魔道具の方向性を書き出す。
一つは、落ちている大きな紙ゴミを拾う魔道具。
一つは、床に落ちるゴミを受け止める魔道具。
一つは、動き回って床を掃除してくれる魔道具。
書いた紙をアルに見せる。
「この三つなんだけど、上二つで悩んでるの。掃除機で分かったけど、紫水はとにかく紙ゴミが多いでしょ? だから、第一にそれを何とかしたいかな」
みんな机のそばにゴミ箱があるけれど、書き損じなどの紙を丸めてクシャクシャにしたものをよく捨てていて、ゴミ箱がいっぱいになると机の上、そこが更にいっぱいになると床に散らばっていくのだ。
わたしの場合は十部屋を二日か三日で一周回るペースだけれど、清掃員によってはもっとかかることもある。
その間にそういった紙ゴミが溜まって、散らばって、それを拾ったり箒で掃いたりするのに実は時間を取られてしまう。
紙を見たアルが小首を傾げた。
「ゴミを『拾う』は分かるけれど、こちらの『受け止める』というのは?」
わたしの書いた文字をアルが指でなぞる。
「そのままの意味だけど……書き損じの紙ってある?」
アルが頷き、立ち上がると机のほうに行った。
そうして、机の足元から紙を取り出した。
どうやら足元に大きい箱を置いて、ゴミ箱代わりにしているらしい。前回の清掃ではなかったと思うが……。
「それ、他の人も真似してくれないかなあ」
わたしが呟くと、アルが僅かに苦笑を浮かべた。
「どうだろう。置いてみたけれど足元が狭いし、必要な書類も落としそうだから、最後に中身の確認をすることを考えると二度手間かもしれない」
戻って来たアルから紙を受け取り、クシャクシャに丸めて立ち上がる。
丸めた紙をアルに返すと、わたしは備え付けの小さな円筒形のゴミ箱を抱えて扉のほうへ離れた。
「アル、ゴミを投げて」
頷いたアルがゴミをわたしのほうへ投げる。
わたしはそれを両手に持ったゴミ箱でキャッチした。
「簡単に説明すると、こういう感じ!」
ゴミ箱を手にアルの下へ戻る。
ソファーの脇にゴミ箱を置いて座った。
「丸めた紙を投げたり、床に落としたりするとゴミ箱が自分から受け止めてくれるの」
前世でもそういうゴミ箱を開発してみたというニュースが一時期流れた覚えがある。
それは機械で動かしていたけれど、この世界の魔法なら、もっと滑らかに動けるのではないかと期待している。
「なるほど」
アルが考えるように顎に手を当てる。
「『拾う』と『受け止める』なら、後者のほうがいいかもしれない。床に落ちているものを拾う魔道具を作ったとしても、積んである本や落とした小物類までゴミと認識してしまう可能性がある」
「うーん……本はともかく、落とした小物とかに関しては『受け止める』ほうもゴミだって認識しちゃうかもしれないよね」
「それは判別させれば――……いや、前者も後者も同じか」
アルが眉根を寄せる。
「いっそ、大きな掃除機に自分で動いてもらう?」
白い紙に大きな掃除機を描き、四つの車輪をつけて正面に口を開けて、進行方向にあるゴミを全部吸い取ってもらう。
……でも、これだと積んだ本を薙ぎ倒した挙句、それに引っかかって動けなくなるかもしれない。
「その大きさの魔道具はあまり現実的ではない。それなら、足元に箱を置いてまとめておいてもらうほうがまだいい」
「だよね~……」
丸めた紙をゴミ箱へ放る。
「それなら、ゴミ箱が自分から投げたゴミを受け止めるほうがいいね。……たとえばだけど、そこにあるゴミ箱に『丸めた紙ゴミだけを受け止める』っていう魔法式を刻むことは出来る?」
「出来なくはない。ただ、それをそのまま刻むと『丸めた紙ゴミ以外のゴミは全く入らないゴミ箱』になる」
「……確かに!」
わたしの頭の中ではゴミ箱が自走してゴミをキャッチしてくれるイメージがあるけれど、アルの言う通り『丸めた紙ゴミだけを受け止める』という魔法をかけると、それ以外のゴミは受け付けないただの不便なゴミ箱が完成するだけだ。