◆シンシアの
久しぶりに会ったお姉様は、一緒に暮らしていた時よりずっとキレイになっていた。お姉様のくせに生意気だし、
「ありがとう」
しかもいい人ぶって紅茶を
「……どうして使用人に御礼を言うのか分からない?」
お姉様から何かを聞かれるなんて初めてだったかもしれない。
「御礼なんて言う必要ないでしょ! お金をもらって働いているんだから、私に
「使用人もシンシアと同じで血の通った人間なのよ。
何よ。お姉様のくせに生意気なことを。
「……学生時代、料理長にクッキーを作ってもらっていたんでしょう? シンシアが自分で作ったと
「なんでお姉様がそんなこと知ってるのよ!? でも別にそうだとしても、たかがクッキーなんてすぐに作れるんでしょ?」
「シンシアは一度でも自分でクッキーを作ったことがあるの?」
「
「私はあるわ。それに公爵令嬢であるカナン様も」
「えっ!?」
「とても大変だったわ。少なくとも私には、クッキーが簡単に作れるだなんて思えない」
何よ。何よ。何が言いたいのよ。別にそんなこと今さらどうだっていいじゃない。私は当たり前のようにお姉様を睨みつけた。
「シンシア。使用人だけではなく、私も同じ血の通った人間なの。だからシンシアに睨みつけられると悲しいわ。……ずっと悲しかった」
「……お姉様が人間?」
そんなこと考えたこともなかった。お姉様はお姉様でしょ? 私達が自由に
「シンシアは、どうして私を睨みつけるの?」
「だから! お姉様は! 私達が自由に扱っていい存在だから!」
「私達というのは
「お母様がそう言ったからよ! 『マーガレットは
「私が悪魔……。シンシアは、どうして私を悪魔だと思ったの?」
「だから! お母様が言ったから!」
「それだけ?」
「……はっ?」
「義母が言ったからそう思ったの? だからシンシアは自分では何も考えなかったの?」
「だってそんな必要ないもの! それにその通りにしてたらキースに愛された! 聖女だって言われた! 私は物語のヒロインみたいになれた! お母様の言う通りにしていたら! だから私は何も
「それでシンシアは今幸せなの?」
「しっ、幸せに決まっているでしょ? お姉様よりずっと幸せだわ! 見てよ! このドレス! お姉様が着たこともないような高価な物よ! お父様に買ってもらったの! お姉様はお父様に何か買ってもらったことなんてないわよね!」
「……私がドレスを買っていただけないことは気付いていたのね。それなのに、そんな私の部屋から宝石やドレスをとっていったのはどうして?」
「私の方が似合うから!」
「それはシンシアがそう思ったの?」
「お母様が言ったわ! マーガレットなんかにはもったいない! シンシアが身に着ける方が絶対に
「じゃあキース元
「だから! お母様が言ったから! マーガレットなんかにはもったいない! シンシアの方が
「それではシンシアは、キース元殿下が私の
「……えっ?」

「それでは今は? 私の婚約者ではなくなったキース元殿下のことは、それでも変わらずに好きなの?」
キースがお姉様の婚約者でなかったら? お姉様の婚約者でなくなった今のキースは? 毎日
「シンシアは、私が義母から物差しで
「しっ知らない! 私はそんなこと知らない!」
「……初めて物差しで叩かれた時、
「……おっ、覚えてない!」
『マーガレットのせいで私達は
その言葉を信じていれば、お母様はいつもの私にとっての優しいお母様のままだし、私は何も悪くないって思えた。だってお姉様は悪魔なんだから。そう信じていれば。
「シンシアは、私の何を見て
「だから! お母様が言ったからだってば!」
「シンシア自身では、何も考えなかったの?」
「そんな必要ないでしょ? だってお母様が言っているんだから!」
「じゃあ背中を叩かれた私が痛いとは考えなかった? 宝石やドレスを
考えなかった。たったの一度だって。私は、お姉様の気持ちなんて考えたことない。
「じゃあシンシア自身のことは? シンシアの幸せはどんなことなの?」
「……お母様が言ったの。お姉様より私の方が王妃に相応しいって。それにキースが言ったの。私が聖女だって。だから私はその通りに生きていくのが幸せなの」
「それはシンシアが自分で考えたの?」
「だから! 私は何も考えてない!」
「じゃあ考えてみましょう。シンシア自身が感じる幸せはどんなことなのか」
「私が感じる幸せ? ……そんなの分からない! 考えたことない! お母様は、お姉様を虐げれば幸せになれるって言った。キースは自分の罪だから私と
「シンシアは、自分で考えることができるのよ。シンシアだけでなく、人間は
「……私が、自分で考えるの?」
「そう。シンシアが考えるの。シンシアがこれからもっと幸せになるためにどう生きていくかを」
「だけど私には、キースとこのまま生活していくしか
「今のまま使用人を
「……私に、選択肢がある?」
「シンシアが自分で考えていいのよ。それに、シンシアが望むならキース男爵と
「ライリー様?」
「ええ。ライリー様はシンシアと結ばれることを望んでいるそうよ。私はライリー様と再婚してシンシアが幸せになれるとは正直思えないけれど……。でも、私自身がライリー様と直接お話をしたことは二回しかないし彼のすべてを知っているわけではないから、一年間一緒に過ごしたシンシアが自分で考えて決めるべきことだと思うわ」
私が決める? だけど私は今まで一度だって自分で何かを選択したことなんてないのに。突然そんなこと言われたって、どうやって決めたらいいかなんて知らない。だってそんなの誰も教えてくれなかったじゃない。
「……血の
「はぁ!? 何よ。それ」
「自分を一方的に
「……」
「今だからこうやってシンシアと向き合って自分の気持ちを伝えられるの。だけど、一緒に暮らしていた
お姉様は、ただまっすぐに私の目を見ていた。私はお姉様とこうやって話をするどころか、お姉様の目をまっすぐに見ることさえも初めてなことにやっと気付いた。
「シンシア。どうか
最後までまっすぐな視線のままお姉様はそう言い残して、カナンと一緒に帰っていった。

お姉様が訪問してからもう十数日が
「シンシア様。お客様がいらっしゃっています」
メイドの言葉に私は顔をしかめた。
「お客様? どうせ私を訪ねてくる人なんていないんだからいつも通りキースに対応してもらってよ」
「それが……。キース男爵はご不在だとお伝えしたのですが、シンシア様にお会いしたいと」
「……私に? 誰が来てるのよ?」
「ライリー・スミス
「ライリー様? 分かったわ。少し待ってもらって。それからすぐにドレスと
ライリー様が私と結婚したがっているというお姉様の言葉を思い出して、私は思わず
「ライリー様。お久しぶりです」
お気に入りのピンクのドレスに
「シンシア様。本当にお久しぶりです」
ライリー様が私を見つめる
「こんなところまで私に会いに来たんですか?」
学生時代のように瞳をうるうるさせてライリー様を見つめた。
「実はマーガレット様がルイスを
「……お姉様が?」
「俺はただシンシア様の幸せのために自分に出来ることをしたかっただけなのに! マーガレット様はシンシア様のことなど何も考えていないのです!」
あれっ? ライリー様の顔ってばこんなに
『愛していたよ。マーガレットの結婚式で、歪んだあの顔を見るまでは』
もしかしてキースには、私の顔がこんな風に歪んで見えているの?
「お姉様からライリー様が私と結ばれることを望んでいると聞いています」
「マーガレット様が? ははっ。それは伝えてくれたのか」
「……ライリー様?」
「マーガレット様は何もしてくれないと思ったし、謹慎までさせられてしまったのでこのままでは
「……私の幸せ?」
「シンシア様の幸せは、キース男爵と離婚して俺と
私の幸せ。
子供の頃からずっとお母様の言う通りに行動してきた。キースから望まれて
今までの私だったら、きっと自分では何も考えなかった。ライリー様の
「シンシア様どうしましたか? いつもみたいに
「……考えたい……」
「……何て?」
「自分で考えたい! 何が私の幸せか自分で考える時間をちょうだい!」
「ははっ。何を言っているんですか? シンシア様。シンシア様は何も考える必要なんてないですよ。ただ笑って頷けばいいんです」
「……それじゃあダメだってお姉様が……」
「またマーガレット様ですか。彼女を利用しようとしたのは失敗だったな。余計なことばかり」
「……ライリー様?」
「考えるまでもないだろう? いつもみたいに笑顔で頷けばいいんだよ」
初めてライリー様を
「なんだよっ! その
ライリー様どうしちゃったの? 突然叫びだすとかとっても怖いんだけど。ライリー様ってこんな人だった? 後ろでメイドの「ひっ」という声が聞こえた。
「シンシア様は、学園の女達とは
そう言ってライリー様はソファーから立ち上がった。じりじりと近づいてくるライリー様がものすごく怖かった。後ろにいるメイドが
「笑って頷くだけでいいんだ。そうすればシンシア様はすべてを手に入れられる。ドレスも宝石もすべて俺が買ってやる。メイドに好きなだけあたり散らしたっていい。こんな場所じゃ一生食べられないようなものを食べて、高級な酒だって飲ませてやる。シンシア様は学園にいた
歪んだ顔で言葉を続けるライリー様と私の
今まで自分で考えたことなんてないのに、そんなに急に決断なんてできない。ライリー様が与えてくれるって言ったものは確かに
「キース! 助けて!」
私は叫んでいた。どうして? わからない。だけどキースは、言ったから。『自分達に何が足りなかったのか。どうしてこれほどまで間違えたのか』『これから
私は初めて自分で考えて、自分自身で選んだの。
「どうして俺を選ばないんだっ!」
ぐにゃりと歪んだ顔をしたライリー様は一気に私に近づいてきて、私は気付くとソファーに
「シンシアッ!」
倒れた
たった一回殴られただけなのに、とってもとっても痛かった。痛くて痛くてもう大人なのに
だってこんなに痛いなんて知らなかったんだもん。お姉様がこんなに痛い思いをしていたなんて知らなかったんだもん。お姉様も、メイド達も、私が今まで何も考えずに傷つけてきた人間達が、私と同じように痛みを感じるなんて、そんなこと考えたこともなかったんだもん。だってお父様もお母様もそんなこと教えてくれなかった!
痛みとお姉様の言葉だけが、頭の中をぐるぐると回っていた。
『シンシア。どうか他の人も、貴女と同じで傷つけられたら痛いし悲しいということを忘れないでね』
