第1章 奇跡は起きるという希望


(今日はソフィアのおうちー)

(草のお店で僕たちが選んだお土産みやげをもってくのー)

しき中をはちみつにもれさせてベタベタにしてやろうか)


「くっきー、しょこら、みんと、おはよう。今日も元気いっぱいね」


 オルタナていこくから帰国した日から当たり前の日常がもどってきた。今日だっていつもと同じ平和な朝だけど、ソフィア様のお屋敷に遊びに行くことを楽しみにしていたようせいさん達はいつも以上に元気に飛び回っていた。楽しそうな妖精さん達を見て、私も朝から元気をもらった気持ちになった。そして、そんな私の気持ちに呼応するようにルイスもとなりで楽しそうに笑った。

「くっきー様、しょこら様、みんと様。おはようございます。みなさまがおを見ていると僕も元気になります」


(めがねは朝から眼鏡ー)

(元気めがねー)

(めがねは朝でも昼でも夜でも眼鏡だと気づかせてやろうか)


「みんと様。僕が一日中眼鏡であることは僕自身が一番知っています。そして僕はそれをほこりに思っています」


(めがねが得意げー)

(ドヤ顔めがねー)

(むむ。すでに気付いていたとは不覚だったと反省してやろうか)


 オルタナ帝国から帰国して一週間。妖精さん達とお話ができるようになったルイスは、彼らにからかわれながらもいつも彼らに対して真面目まじめな回答をしていた。たまにみんとが、その回答にタジタジしているのが可愛かわいくて私はそんな様子をいつも楽しくながめていた。


「今日は、ソフィア様のお屋敷にオルタナ帝国のお土産をわたしに行くのですよね?」


 妖精さん達に向けていた笑顔のままルイスはやさしく私に問いかけた。

「ええ。料理長のお店で買ってきたオレンジのはちみつけとグリーンソースのめ合わせを渡してくるわ」


(オレンジのはちみつ漬けは私の一押しー)

(グリーンソースは僕のおすすめだよー)

(こっそりにがにがソースのびんを交ぜてひーひー言わせてやろうか)


「くっきー、しょこら、みんと。これはソフィア様達へのお土産だからいたずらしたりこっそり食べたりしちゃダメよ?」


(私たちいたずらなんてしないよー)

(ほんの少しめるだけー)

(はちみつをこっそり口にふくんでぱらってやろうか)


 オルタナ帝国で楽しんだオレンジの蜂蜜漬けとグリーンソースの味を思い出したのか妖精さん達は幸せそうに飛び回った。


「ホワイトだんしやく家のみんなに、私は無事だったという報告をしてくるわ。それに、シャーロットにずっと私を見守ってくれていたれいを伝えてくるわ」


 私の言葉に、ルイスは相変わらず笑顔のままでうなずいてくれた。

「マーガレット様。本日はおしくださいましてありがとうございます」

 ホワイト男爵家にとうちやくした私をエントランスでむかえてくれたのは、しつの緑色のひとみと笑顔だった。そのむなもとには、変わらずにお母さまの形見のブローチとおそろいのタイピンが着けられていた。

「おはようございます。今日もいいお天気ですね」

 思わず笑顔であいさつを返した私に、執事は少しだけ困ったような顔をした。

 ……私、何か困らせてしまうようなことをしてしまったかしら?


「マーガレット様。せんえつながら、執事である私に敬語を使う必要はございません」


 執事に言われて、初めて自分が敬語を使っていたことに気がついた。

 ……私ったら無意識のうちに……。ほかの使用人には敬語なんて使っていないのに、ソフィア様のお屋敷の執事にだけ敬語だなんて不自然だわ……。

「……そうね。ごめんなさい。……おはよう」

 あわてて取りつくろう私に、執事は優しく微笑ほほえんだ。

「マーガレット様。おはようございます」

 執事のその一言で、私にとってとても落ち着くその声を聞いて、私の心は温かくなった。……それは……とても幸福なぬくもりだった。



「申し訳ございませんが、少々お待ちくださいませ」

 応接室に通された私は、執事の案内でソファーにこしけた。テーブルにはすでにアフタヌーンティーのスイーツセットが準備されていた。ソフィア様の様子を見に行くためか執事が応接室から退室した後で、シャーロットがすぐに温かい紅茶をテーブルにセットしてくれた。

「シャーロット。ありがとう」

「マーガレット様。おかえりなさいませ」

 心から安心したように笑うシャーロットを見て、私のことを本当に心配してくれていたのだと改めて感じた。


「ソルト王国に帰ってきたらすぐに、シャーロットに御礼が言いたかったの。……まだ幼かった私の好きな食べ物ときらいな食べ物を知っていてくれたこと、私を心配してそれをシルバーこうしやくの元料理長にたくしてくれたこと、本当にありがとう」


 私の言葉にシャーロットは目を見開いた。

「そのようなことでマーガレット様から御礼を言われるだなんてとんでもないことでございます。シルバー公爵家から追い出された当時の私には、マーガレット様のために出来ることはそのくらいしかございませんでした」


「それでも、私は料理長からその話を聞いた時には本当にうれしかったの! シャーロットが、何の力もない幼い私のことを本当に大切に思ってくれていたのだって改めて感じたの」


「マーガレット様にそのように言っていただけて、光栄です」

 シャーロットは顔をほころばせた。

「……ですが……実は、私にマーガレット様のお好きな物やお嫌いな物を教えてくださいましたのは、スカーレット様なのです」

「……お母さまが……?」


「スカーレット様は、毎日マーガレット様がお休みになった後で、とても幸せそうにその日のマーガレット様のお話をしてくださいました。『今日はマーガレットがとても美味おいしそうにチキンを食べていたの』『マーガレットはセロリだけこっそりお皿のはしけているのよね』『マーガレットはお庭をお散歩しているだけでとても楽しそうなの』そんな風にいつもいつくしむようにその日の出来事をお話ししてくださいました。『マーガレットの成長を見守ることが自分自身の幸せなの』と、いつも本当に幸せそうに笑っていらっしゃいました」


「……お母さま……」

 私はお母さまからの深い愛情を感じて、とても嬉しくて、だけど切なくなった。


「私は、スカーレット様のことを、月のようなお方だと思っておりました」


 遠くおもいをせていた私に向かって、シャーロットはなつかしむように言葉をつむいだ。


「スカーレット様は、お身体からだのこともございましたので……とてもはかなく見えましたが……。体調がかんばしくないはずの時でさえも、いつもおだやかに優しく微笑んでおられました。その微笑みは、周りを照らしてくださるような温かさにあふれていました。私はその微笑みを、どんなに暗い夜でも世界を照らしてくれるかがやく月のようだと思っていたのです」


 シャーロットの言葉に、私はお母さまの温かいがおを思い出した。

「……シルバー公爵家のだん様は、なぜか日常生活の中でスカーレット様を極力けておられましたが……。私と同じように、どうしようもなくスカーレット様にかれていたのではないかとひそかに思っていたのです」

「……そんなはずないわ。だってお父様にはとシンシアが……」

「申し訳ございません。余計なことを申し上げました。……ただ私は、旦那様が生前のスカーレット様に向けて、がれるような情熱的な視線を、必死でかくそうとしているのにおさえられずに思わず送ってしまった……そんな視線を、何度ももくげきしたことがございました。そのような旦那様がどうしてスカーレット様と同じ時期に新しい奥様との間にお子様までしたのか……。それだけでなくスカーレット様がおくなりになった後の旦那様の行動が、私にはどうしても理解できなかったのです……」

 シャーロットは申し訳なさそうに顔をせた。

 きっとシャーロットはかんちがいをしているのだわ。公爵家のお父様がお母さまを愛していただなんて、そんなことあるはずがないのだもの。

 ……だって、私はお父様の本当のむすめではないのだから……。

 お父様が本当に愛していたのは、えんじよのためにけつこんせざるを得なかったお母さまではなく、義母だったはずだから。だからこそ……お母さまがお亡くなりになった後の行動もきっとお父様にとっては正当なものだったのだわ……。

 しばらく二人で無言になってしまった後で、シャーロットはまた昔を思い出すように言葉をつないだ。


「スカーレット様はお亡くなりになる数か月前に、とてもしんけんに、時に幸せそうに、時に苦しそうに、まるでいのるようにお手紙を書いておられました」


 お手紙? それはきっと十六歳の私と、未来の旦那様に向けたお手紙だわ。

「けれどスカーレット様が書き上げた三通のお手紙は、私が気付いた時には一通になっていました」

「待って。シャーロット。今、三通と言った? お母さまがのこしてくださったお手紙は、二通ではなかったの?」

「……いえ? スカーレット様がふうをされたお手紙は、確かに三通ございました」

 シャーロットが見た三通のお手紙のうち、消えた二通のお手紙はお母さまがようせいさん達にわたしたものできっとちがいはないわ。

「受け取っていない残りの一通は一体……」

 思わずつぶやいた私を見て、シャーロットはほっと息をいた。

「お手紙はちゃんとマーガレット様のもとに届いていたのですね?」

「ええ。お母さまからのお手紙はちゃんと私の許に届いたわ」

「良かったです。……私は、あのお手紙は時が来たらマーガレット様に届くように、スカーレット様がおしきのどこかに隠してしまわれたのではないかと思っておりました。……新しい奥様の様子を見てマーガレット様の許にちゃんとお手紙が届くか心配しておりましたが、無事に届いていて本当に安心いたしました」

 確かに、もしも妖精さん達が預かってくれていなかったら、お母さまが十六歳の私に向けて書いたお手紙はきっと先にメイド長達に見つけられていたわ。そうしたらきっと義母にそのお手紙はうばわれて、一生私の手元には届かなかったに違いないわ……。


「……一通だけ残ったお手紙は、スカーレット様ご自身がお屋敷の庭園のすみでひっそりと燃やしておられました」


「……えっ?」

「ある日の夕暮れ時にスカーレット様がお部屋にいらっしゃらないことに気付いてさがしていた私は、庭園の隅でお手紙を燃やすスカーレット様を見つけました。燃えているお手紙を必死で火の中から回収しようとする私を、スカーレット様は穏やかに止めました」

 ……届かなかった三通目のお手紙は、お母さまご自身が燃やしていた? どうしてそんなことを? 私は、シャーロットの言葉に理解が追いつかなかった。


「スカーレット様は、ほんの少し悲しそうに、けれどどこかさっぱりとした顔で、このようにおっしゃいました。『この手紙は決して渡すことの許されない人あてに書いたものだからこれでいいの。きっと私にはもう長くは時間が残されていないと思ったらどうしようもなく苦しくなって、どうしてももう一度だけこの気持ちを伝えたいと願ってしまって、思わず書いてしまったものだから。だからこれでいいの』と」


 ……きっとそのお手紙は、私の本当のお父さまに、お母さまが人生でただ一人愛した人に、そのたった一人の人に向けて書いたお母さまの人生さいのラブレターだったのだわ……。

 お手紙を燃やした時のお母さまに思いを馳せて私はそっと目を伏せた。



「マーガレット様。大変お待たせして申し訳ございませんでした」

 お母さまのことを思いながらシャーロットのれてくれた紅茶を二口飲んだころに、ソフィア様が応接室にやって来た。ソフィア様といつしよに応接室にもどってきたしつもソフィア様の後ろにひかえていた。私は、そんな二人に笑顔を向けた。

「ソフィア様。おはよう」

 笑顔の私を見たソフィア様は安心したように微笑ほほえんだ。

「マーガレット様がオルタナていこくから無事に帰国されて安心しました」

 お屋敷に着いてすぐに探検をしにけていた妖精さん達もソフィア様と一緒に応接室に戻ってきていた。


(私たちのお土産みやげ渡すのー)

(みんな喜んでくれるかなー)

(喜びが足りなければからからソースを足してもんぜつさせてやろうか)


 自分達の選んだお土産が喜んでもらえるかウキウキしている妖精さん達にかされた私は、料理長のお店の店員さんが箱に入れて可愛かわいく包装してくれたお土産をテーブルの上に置いた。


「オルタナ帝国でたまたま入ったお店が、なんと料理長のお店だったの。お土産を買って来たから、もし良ければみんなで食べてくれるとうれしいわ」


「ありがとうございます! シルバーこうしやく家の元料理長から我が家のシェフ宛にレストラン開店のお手紙をいただいて『いつかぜひオルタナ帝国にお祝いに行きたいね』と皆で話していたんです」

「ソルト王国ではあまり流通していないけれど、オルタナ帝国でははちみつがよく食べられているみたいなの。だからオレンジの蜂蜜けと料理長オリジナルのグリーンソースを買ってきたんだけど……」


「オレンジの蜂蜜漬け? 初めて聞きます! どんな味なのか食べるのがとっても楽しみです! 甘そうなのでバニラアイスにも合いそうですね! それにグリーンソースも料理長からのお手紙に自信満々で『絶対にホワイトだんしやく家の皆に喜んでもらえる味』と書いてあったので、まさかこんなにすぐに食べられるなんてとっても嬉しいです! さつそく今晩シェフに料理してもらいますね」


(私の一押し喜んでもらえたのー)

(僕のおすすめ大好評ー)

(我々のセンスをいつわりなしだと認めてくれたれいに、みんと参上とグリーンソースで屋敷中に刻んでやろうか)


 とても嬉しそうなソフィア様のがおと、後ろで控えている執事とシャーロットも嬉しそうに微笑んだのを見た妖精さん達は、自分達のお土産が喜んでもらえたことに大喜びして、盛大にパタパタダンスをおどりだした。

 妖精さん達のダンスを見て思わずほっこりしていた私の目に、いつしゆん表情をくもらせたソフィア様の顔が映った。

「ソフィア様? ……何か心配事が?」

 私の問いかけに、ソフィア様はさらに表情を曇らせた。

「……マーガレット様」

 何かを言いたそうな、だけどなんとかこらえるように、ソフィア様は何度か口を開けては息だけを吐き出して閉じることをり返していた。こんなソフィア様の様子は出会ってから初めてで、私はとても心配になった。

「……ソフィア様は、先日私に『お友達は、相手のためなら何でもできる』と言ってくれたわよね?」

「はい」


「私もソフィア様と同じよ。ソフィア様は私の大切なお友達だから、困ったことがあればどんなことでも教えてほしいの」


 その言葉を聞いたソフィア様は、なみだを堪えるようにまゆを寄せた。

「……マーガレット様にそんな風に言っていただけるだなんて……本当に幸せです……」

 ソフィア様はゆっくりと言った後で、深呼吸をしてから話し始めた。


「……実は……スミスはくしやく家のライリー様との、こんやくの話が出ているのです」


 ソフィア様に婚約のお話が? それはとてもてきなことのように思えるけれど、ソフィア様の暗い表情からそれはソフィア様にとっては決して喜ばしい話ではないのだと分かった。

「ライリー様って、学園時代にキース殿でんの側近候補だった……団の……?」

 私はおく辿たどった。

「はい……。現在の騎士団長であるスミス伯爵のご子息で、学生時代はずっとキース元殿下の側近候補として仕えていらしたライリー様です……」

「ソフィア様とライリー様は、面識があったの?」

「まさか。身分もちがいますし、学生時代も全く接点はありませんでした。それがとつぜん……。マーガレット様に前回ご訪問いただいた直後くらいからなのですが……スミス伯爵家から婚約を結ぶように一方的に命じられているじようきようなのです……」

「一方的に命じられている……?」

 そのあまりにおんな言葉に私は思わず顔をしかめた。


(ライリーやっちゃう?)

(さくっとやっちゃう?)

(とりあえずオレンジに見立ててはちみつと一緒にびんづめにしてやろうか)


 くっきー、しょこら、みんと。ライリー様をさくっとやっちゃダメよ。ソフィア様の話を聞いてから……場合によっては色々と……考えましょう。


(まだやっちゃだめだってー)

(つまんなーい)

ひまつぶしにシェフのところでいたずら祭りをかいさいしてやろうか)


 ようせいさん達は、むくれながらも楽しそうにちゆうぼうの方へ飛んで行った。

 心の中でこれから強制的にいたずら祭りに参加させられてしまうシェフに謝罪しながらも私はソフィア様との会話に集中した。

「一方的に命じられていると言ってしまうとへいがあるかもしれないのですが……。スミス伯爵家とホワイト男爵家では、その……爵位が違いますので……。お父様がなんとか断ろうとはしてくれているのですが、スミス伯爵とは直接話も出来ない状況で、こちらからはお断りすることが難しくて……」

 暗い顔をして言葉をつむぐソフィア様を見ていると、とても悲しくて苦しい気持ちになった。


「ライリー様との婚約は、ソフィア様にとって幸せなことではないのね?」


 私の質問に対して、ソフィア様はさっきまでの暗いだけの表情ではなくまっすぐな目をして答えた。

「私は、お父様の人を見る目を信じているんです」

「……ソフィア様のお父様の人を見る目……?」


「このしきで働く使用人は全員、お父様が面接をして採用したんです。前にも少しだけお話ししたかもしれませんが……。お父様は面接の時には経歴などは全然こうりよしなくて、目の前の相手自身を見てひとがらだけで採用を決めているんです。……私は、この屋敷で働く使用人のことが皆大好きなんです。だからお父様の人を見る目は間違いないって信じています」


 後ろにひかえているしつとシャーロットは、私達の会話を聞いている間ずっとソフィア様と同じように暗い顔をしていたけれど、ソフィア様の『大好き』という言葉に、一瞬とても嬉しそうな顔をした。だけど、二人とも次のしゆんかんにはソフィア様を心配する顔になった。

 その顔は、使用人というよりは家族のような心からいたわるような心配そうな顔だった。

「……スミス伯爵家から婚約のお話が来た後で、ライリー様がこの屋敷を訪問されたことがあるのですが……その時の態度がとてもひどくて……。お父様も顔をしかめていました」

「……そんなに酷かったの?」


「『伯爵家のちやくなんで次期騎士団長の俺が何のメリットもない男爵家に婚約を申し込んでやっているのだから感謝しろ』と、本当にそのままの言葉をお父様や使用人達もいる前でき捨てるように言い放ったのです……」


「えっ?」

「……それを聞いた全員がこんわくしました……」

「……でも、そんなに酷い態度なのにどうしてライリー様は婚約を申し込んだのかしら……?」

「ライリー様がおっしゃるには、二年前に学園で開催された新入生かんげいのダンスパーティーの際に私のことをめたと……」

「では、ライリー様はソフィア様のことが二年前からずっと好きなのね?」

「……正直、あの態度を見ていたらとても信じられませんし……。それに……」

 ソフィア様はとても言いづらそうに口をつぐんだ。

「ソフィア様。どうしたの? 気になることがあるのなら何でも言って?」

 そんな風にソフィア様に言葉の続きをうながした私の耳に届いたのは、想像もしていなかった言葉だった。


「……なぜかライリー様から『マーガレット様に会わせろ』とせまられているんです……」


「えっ? 私に……?」

「……はい。理由を聞いても『お前なんかが知る必要はない』としか答えていただけないのですが……」

 ソフィア様はとても申し訳なさそうな顔をしていた。

 私は必死でライリー様との思い出をろうとしたけれど、思い出せることは何もなかった。

 ライリー様はキース殿下の側近候補だったから顔を合わせたことはあったけれど、個人的にお話ししたことはなかったはずだわ。それなのにどうしてライリー様は私と会いたがっているのかしら……。

「これはスミス伯爵家とホワイトだんしやく家の問題です。マーガレット様にごめいわくをおかけするつもりはございません。変なことをお話ししてしまってすみませんでした」

 思わず考え込んでしまった私に、ソフィア様はせいいつぱい微笑ほほえんだ。だけど、明らかに無理をしているその微笑みはとてもいびつなものだった。そしてそのいびつな微笑みのままソフィア様は言葉を続けた。


「私が、ライリー様にとつげばいいだけなんです。……私さえわがままを言わずに、スミス伯爵家に嫁げば解決する話なんです」


「「ソフィア様っ!」」

 ソフィア様のそうな決意を聞いて執事とシャーロットが同時に声を発した。

「……思わずお話をさえぎってしまい、大変失礼いたしました……」

 我に返って謝罪した執事に対してソフィア様は、いびつではないやさしいがおで微笑んだ。


だいじよう。私がライリー様に嫁いだらお父様が養子をむかえるわ。お父様の人を見る目は確かなんだから、きっとらしいこうけいしやがホワイト男爵家をいでくれるはずよ。だからマーカスもシャーロットもなにも心配することなんてないわ。安心してずっとこのお屋敷で働いていてね」


 そうだわ。ホワイト男爵家にはソフィア様しかあとりがいないから、ソフィア様は男爵家を継いでくださるだん様を探していたはずなのに。

 スミスはくしやく家は、ライリー様とソフィア様のこんやく結ばせようとしているだけでなく、ホワイト男爵家の跡取りであるソフィア様を、スミス伯爵家に嫁がせようとしているということなの? あまりのことに私は思わず言葉を失ってしまった。


「ソフィア様。私達が心配しているのは、自分達のしよぐうなどではありません。私達が心配しているのは、ソフィア様の幸せです」


 執事はとても優しい声でまっすぐにソフィア様を見つめて言葉を伝えた。

「私の幸せなんて……」

 悲しそうに言葉を紡ぐソフィア様の様子に、執事はたまらずというように言葉を発した。


「ソフィア様。……実は……私には、子どもがいるのです」


 とつぜんの執事の言葉に、ソフィア様もシャーロットもとてもおどろいていた。ソフィア様は口を「えっ!?」の形のまま開けてこうちよくしていたし、シャーロットの顔色は真っ青だった。

 ……きっと執事……お父さまにむすめがいることは今までだれにも言っていなかったのだわ。……だけどどうして急にこのタイミングで? 私が疑問に思っている間にもお父さまは言葉を続けた。


「……私には父親だと名乗ることはしようがい許されませんが、それでもいつもいつでも我が子の笑顔を、幸福を願っています」


 お父さまのその言葉は、私の心を明るく、温かく、優しく照らしてくれるようだった。私はそっとお父さまの、本当の家族の、そのだまりような言葉を心の奥でじっくりとみしめた。


「そして、同じようにソフィア様の幸せも願っているのです。ソフィア様にはいつしよに心から笑えるお方と結ばれてほしいと願っています。どうか『自分が嫁げばいいだけ』などと悲しいことをおっしゃらないでください」


 お父さまの言葉は、ソフィア様への深い愛情で満ちていた。


 オリバー殿でんがいらした歓迎パーティーで、私はカナン様の家族への愛情をうらやましいと思ったけれど、私だってカナン様と同じだったのだわ。

 私が、私のお母さまを愛していると思うのは、ただ血が繋がっていたからという理由だけではなく、私が生まれてからずっと、お母さまが死ぬさいの瞬間まで私の幸せをいのり続けてくれた愛情を信じられたから。

 私が、私のお父さまを大切だと思うのは、ただ血が繋がっているからという理由だけでなく、お母さまがおくなりになってもなお何も変わらず愛し続けられる愛情深い方だから。私とソフィア様の幸せを同じように願ってくれる心優しい方だから。

 だから私は、血が繋がっているからという理由だけでなく、私のお父さまとお母さまをほこりに思うのだわ。


「私も同じよ。私もソフィア様の幸せを願っているの。ソフィア様の問題なら私の問題だわ。理由は分からないけれど、ライリー様が私と会いたがっているのならいつだってお会いするわ」


 私はソフィア様の目を見て微笑んだ。

 ソフィア様は、ほんの少し目になみだかべて私を見つめた。

「マーガレット様……。ありがとうございます……」


「だってソフィア様は、私の大切な初めての人間のお友達だもの」


 そんな私の言葉にソフィア様より先に答えたのは、いつの間にかちゆうぼうでのいたずら祭りからもどってきていたようせいさん達だった。


(私たちがマーガレットの初めてのお友だちだよー)

(人間の中ではソフィアがいちばんー)

(友情とは永遠めつであると証明してやろうか)


 くっきー、しょこら、みんと。そうね。貴方あなた達は私にとって初めてで永遠のお友達だわ。


(えへへーマーガレットのはじめてー)

(僕たちは永遠なのー)

(喜びに打ちふるえているのだと気づかせてやろうか)


 人間の深刻な空気とは裏腹に、ひとしきりシェフにいたずらをして満足したらしい妖精さん達は元気に応接室中を飛び回っていた。

「ライリーがソフィア様にきゆうこんですか?」


 ソフィア様のおしきを訪問した日の夜に、自室のソファーで紅茶を飲みながらルイスに今日の出来事を話したら、ルイスもまどっていた。

「そうなの。ライリー様はソフィア様のことを二年前の新入生かんげいのダンスパーティーでめたと言っているそうなのだけど……」

「ライリーとは、当時キース元殿下の側近候補として学園生活で共に行動する時間も長かったのですが……。ライリーがソフィア様におもいを寄せていたとは、全く気づきませんでした。むしろライリーは……」

「どうかしたの?」


「……いえ……。僕はれんあいうといのできっと当たっていないと思います」


「ルイスが恋愛に疎いことは知っているわ」

「マーガレットにそこまでそくとうできっぱりとこうていされてしまうとさすがに傷つきます」

「あっ。ごめんなさい……。えっと……ルイスが恋愛小説を読んだことがないことは知っているけれど……」

「言いえても同じです」

 ねるように言うルイスが可愛かわいくて私は思わず笑ってしまい、そんな私を見てルイスも笑った。二人で目を合わせて笑いあった後で、ルイスは静かに言葉をき出した。


「ライリーは、シンシア様からいただいたクッキーを毎回とてもうれしそうに食べていました」


「……シンシアがクッキー……?

「キース元殿下達と一緒に昼食を食べている時に、持参したクッキーをシンシア様の手作りだと言ってたまにみんなわたしていたのです」

 ルイスの言葉に私は首をかしげた。

「シンシアが料理をしているところなんて見たことがないわ」

 そんな私の疑問に答えるようにルイスは自信満々に言った。

「あのクッキーは、シルバーこうしやく家の元料理長の手作りでした」

「どうしてルイスがそんなこと……」


「シンシア様からいただいたクッキーには、通常のクッキーよりもなめらかさがありました。僕はあのクッキーには、生クリームか牛乳か何らかの乳系の材料が通常よりも多めに入れられているのだと推察していました。先日オルタナていこくのガーデン・レストランで食したショコラミントクッキーには、シンシア様からいただいたクッキーと同じ滑らかさがありました。そしてえられていたバニラアイスを食べた僕は答えを見つけたのです。シンシア様のクッキーにはバニラアイスが使われていたのだ、と」


 シンシアのクッキーの秘密について熱く語っている間に、ルイスの眼鏡は妖精さん達にくもらされたうえにずらされていた。そんな眼鏡のまま、それでもルイスはしんけんに語り続けた。私はその勢いにあつとうされて、思わずしばらく話を聞き続けてしまった。

「ルイス……。一体何の話を……」

「ソフィア様からいただいたショコラミントクッキーにはあの滑らかさはなかったので、バニラアイスを加えるというのは元料理長のオリジナルだったのですね」

「ルイス。落ち着いて。曇った眼鏡もずれているし、一体何の話を……」

 私の言葉にルイスは我に返って、あわてて眼鏡をき拭きした後でくいっと元の位置に戻した。

「失礼しました。要するにシンシア様は、元料理長に作っていただいたクッキーを自分の手作りだと宣言して僕達に配っていたのだと思います」

 それはありえるというか、シンシアがクッキーを手作りしていたというよりもよっぽどなつとくできるわ。

「……だけど……。いくらなんでもキース殿でんが手作りのおなんて……」


「……キース元殿下は、シンシア様からクッキーをわたされると真っ先にし上がって『今まで食べたクッキーの中で一番美味おいしいよ』と笑っておられました」


 ほんの少し気まずそうにルイスは言った。

 第一王子であるキース殿下が、いくら相手がこうしやくれいじようだとしても差し入れされた手作りのクッキーを何のけいかいもなく真っ先に食べるだなんて……。

「だけど、それとライリー様に何の関係が……?」

「すみません。シンシア様のクッキーが元料理長の手作りだったことと、かくし味がバニラアイスだったことは僕のぶんせきの成果を伝えたかっただけなので、ライリーとは関係ありません」

「……でしょうね」


「ただ僕の目には、ライリーがシンシア様からいただいたクッキーを、まるでこいびとからのプレゼントのように大切にあつかっているように映っていたのです」


「……それは……」

「それが未来のおうであるマーガレットの異母妹いもうとからの差し入れだから大切に扱っていたのか、シンシア様自身を大切に思っていたのか僕には判断がつきませんでした」

「……ライリー様がシンシアを……。キース殿下は、そんなライリー様の様子を見てどんな反応をしていたの?」

「……キース元殿下は、シンシア様に夢中でライリーの様子など目に入っていないようでした」

 なんだか学生時代の話を聞けば聞くほどキース殿下って……。元こんやく者であるキース殿下のとても第一王子とは思えない対応を改めて知った私は、思わず遠い目をしてしまった。

 キース殿下は、王子としてはオルタナ帝国のオリバー殿下もかんぺきだったと認めるほどとてもゆうしゆうな方だったのに、どうしてシンシアに関してだけはそんなにもちよくになってしまっていたのかしら……。

「だけど、もしルイスのその推測が当たっているのだとしたら……。ライリー様が二年前のダンスパーティーの時からソフィア様を想っていたという話は……」

うそ……ということになりますね」

「ソフィア様は、『もしライリー様のその話が真実ならこの婚約ももう少し前向きにとらえられるのに』と言っていたの」

 ソフィア様のことを考えて私は胸が苦しくなった。


「ライリー様の言葉が真実か確かめられる方法はないかしら……」


『そんな方法なんてあるわけがない』と思いながらもため息交じりにつぶやいた言葉に、おどろくほどの速さで回答が返ってきた。


(あるよー)

(二年前にもどればいいんだよー)

(あの夜に連れて行ってやろうか)


「くっきー、しょこら、みんと。どういうこと? 二年前のダンスパーティーの夜に戻れるの?」


(戻るだけならできるのー)

(過去の人間には僕たちをみることはできないけどー)

(いくら戻っても過去は変えられないのだと非情な現実を伝えてやろうか)


「つまり過去は変えられないし、当時のみなさまに私達の姿も見えないけれど、二年前のパーティーの夜に戻って過去の出来事を見ることはできるということかしら?」


(そうだよー)

(僕たちすごいのーえっへん)

(過去に戻ってもクソ王子にかみうすくなるおまじないの重ねけが出来ないのが無念だ)


 二年前の新入生かんげいのダンスパーティーの夜の出来事を見ることができるのなら、ソフィア様をめたというライリー様の言葉が真実かかくにんすることができるかもしれないわ。……だけど……。

「マーガレット?」

 考え込む私の顔をルイスが心配そうにのぞき込んだ。


「……本来なら決して自分が見ることのなかった光景を、過去に戻って後からこっそり覗くのは……ずるいのではないかしら?」


「もしもそれが自分自身の利益のためならそうかもしれませんね」

 ルイスは、私の目をしっかりと見つめて言葉を伝えてくれた。


「ですがマーガレットが過去に戻りたいと思うのは、自分自身のためではなく、親友であるソフィア様の幸せのためでしょう? 僕は、そのことをずるいだなんて決して思いません」


 こんな風に、ルイスはいつだって私をこうていしてくれる。私の行動を。私自身を。ルイスのその肯定を、私はいつだって心からうれしいと思うの。

「ルイス。ありがとう」

 ルイスに心からの感謝を伝えた。そんな私の目をルイスはまっすぐに見つめた。


「二年前の僕は、あのダンスパーティーの時には、まさかマーガレットとけつこんできるなんて、二年後にこんなにも幸せな未来をむかえることができるなんて想像もしていませんでした」


 そう言ってルイスは、そっと私をきしめた。その温かいぬくもりをずっと感じていたいと、そう思っていた私の耳にようせいさん達の声がひびいた。


(めがねってばやるー)

(マーガレットとめがねがラブラブしてるー)

(はっれんだと目をらしてやろうか)


「すみません。目をうるませて僕を見つめるマーガレットがあまりにいとしくて、理性が保てず皆様の前でおずかしい行動をしてしまいました」

 妖精さん達にはやし立てられたルイスは、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに謝罪した。

 ルイスのそんな謝罪さえも愛しいと感じた。私だって同じなの。あの時にはまさかこんな幸せな未来が来るだなんて思ってもいなかった。二年後にこんなに幸せで愛しい未来が来るだなんて……。

「くっきー、しょこら、みんと。私を二年前の新入生歓迎ダンスパーティーの夜に連れて行ってくれる?」


(わ~いマーガレットと過去にお出かけー)

(僕たちもいつしよに過去に戻るのー)

(過去ではシンシアの炭酸を三十倍に出来ないことが無念だから今やってきてやろうか)


 こうして私は、まだキース殿下の婚約者だった二年前の夜に帰ることを決意した。

「マーガレット様。また呼び出してしまってごめんね」


 オルタナていこくから戻ってきて少しったころレオナルド殿でんからさきれをいただいていたルイスと私は、レオナルド殿下のしつ室をおとずれていた。私とルイスの前には、レオナルド殿下の婚約者であるアリス様のお好きなめいがらの紅茶と、おう様おすすめだというスイーツが置かれていた。


(レオに会いたかったのー)


 私がレオナルド殿下に答えるよりも先に、くっきーが嬉しそうにレオナルド殿下の周りを飛び回った。


「くっきー。ありがとう。僕もまたみんなと会えてうれしいよ」


(オルタナ帝国でだいかつやくした僕もいるよー)


「しょこらもありがとう。オルタナ帝国での大活躍はすごかったね」


(再会の喜びに王宮をシャンパンでひたひたにしてやろうか)


「みんとも喜んでくれて嬉しいよ。でも片づけをする使用人達が大変だから、シャンパンは僕が学園を卒業してお酒が飲めるようになるまで待っていてくれるかな? オルタナ帝国からはちみつを取り寄せるから一緒にかんぱいしよう」


(レオと一緒に乾杯ー? 楽しみなのー)

(僕たちもはちみつで乾杯したいのー)

(あと二年待ちわびてやろうか)


 レオナルド殿下とたくさんお話をして、一緒に乾杯をする約束もしてじようげんになった妖精さん達は、いつもみたいに楽しそうに王宮の探検にけて行った。



「今日来てもらったのは、マーガレット様にお願いがあるからなんだ」

「私にお願い……ですか?」

 レオナルド殿下からお願いされるようなことなんて全く心当たりがなくて私は首をかしげた。となりに座るルイスを見ると平然としているから、きっとルイスは事前にレオナルド殿下からしようさいを聞いているのね。


「実は、ソルト王国で年に一度かいさいされている『聖女のしき』の日に、これからはフェスティバルもあわせて開催することになったんだ」


「……フェスティバル……ですか?」

「『聖女の儀式』はソルト王国民の義務であり、ソルト王国の年に一度の一大イベントでもあるけれど、平民にとっては、ただ儀式が開催されているだけだよね? だから『聖女の儀式』がじつされる王都の中心の教会近くの広場をそうしよくして、だれでも屋台や出店が出せるようにして国民が楽しめるようなフェスティバルを計画しているんだ」

 レオナルド殿下は目をキラキラとさせて語った。

「広場の装飾作業は貧しい労働者を優先的に採用して働いていただいています。出店では養護院で作ったお等を売る予定です。貴族からもいらなくなった衣服等を集めています。働きにでられない子連れの女性労働者を優先的に採用して、それらをタオルやシンプルな平民向けの衣服に加工しフェスティバルで配る予定で準備が進んでいます」

 レオナルド殿下の言葉を補足するようにルイスが言葉をつむいだ。


「国民のみなさまうるおすためのもよおしなのですね」


 私はレオナルド殿下のその行動力に改めて感心させられた。言葉にするのはきっと簡単だろうけど、それを立案して実現するためにどれほどの苦労をされたことだろう。しかもレオナルド殿下は王太子に任命されたばかりのまだ十四歳なのに。

「それで、私にお願いというのは?」

 フェスティバルはとてもらしいイベントだと思ったけれど、それとレオナルド殿下から私へのお願いが結びつかなかった。養護院でのお菓子作りの準備とか? あるいはタオルや衣服への加工のお手伝い? フェスティバル当日にはんばい等のお手伝いもありえるかしら?

「当日は、広場にあるたいも予約制で貸し出しをする予定なんだ。たとえば歌手になりたい人間は自分の歌をろうしたり、ダンスが得意な人間はダンスを披露する機会をあたえたいんだ」

 世の中には才能があってもそれに気づいてもらえない人間もきっとたくさんいるから、誰かに見ていただけるチャンスがあることはきっととても素晴らしいことだわ。だけど、それと私と何か関係があるのかしら?


「マーガレット様には、フェスティバルの最後にその舞台でスピーチをしてほしいと考えているんだ」


 そんなレオナルド殿下の言葉に、私はこんわくした。

「……スピーチ……ですか? ……私が? 一体何の……?」

「何でもいいよ。マーガレット様が思っていることを自由に話してほしい」

「……レオナルド殿下。……私は、自分がようせいいとし子であることを国民の皆様に明かす意思はありません。……はくしやくちやくの妻にすぎない私がそのような大切なイベントで最後にあいさつをするなどと……」


「もちろんマーガレット様を聖女だと公表するなんてことはしないよ。『聖女の儀式』でマーガレット様が手をかざしても『聖なるすいしよう』は光らなかった。それはるぎない事実だから」


 レオナルド殿下は、そのみ切った青いひとみでまっすぐに私の目を見て言葉を続けた。

「だけどルイスとマーガレット様のけつこん式の日に、マーガレットの花びらが空からい落ちるというせきが起きたことは、ソルト王国民の誰もが知る、これも揺るぎない事実だよね?」

「……それは……」

「自分が何を信じるかを強制することなんて誰にも、国王にだってできないから。国から正式に公表されていることと、国民が信じているものが必ずしもいつしているとは限らないよね?」

「……」


「マーガレット様が生まれた十七年前からソルト王国はとてもめぐまれていた。それまで以上に国は豊かになった。だけどそれでも貧富の差はあるし病気になる人間だっている。それに……どんなに国が豊かだとしても、心の貧しい人間に苦しめられている誰かは必ずどこかに存在している」


 レオナルド殿下の言葉に私は過去の自分を思い出した。こうしやく家の娘として生まれたことで、何不自由なくとても恵まれた生活を送れたはずの私は、実際には義母やシンシアにしいたげられて物理的にも精神的にも決して豊かとは言えない生活をしていた。

 国が豊かだからと言って国民全員の生活が、その心が、満たされているとは限らないのだわ。

「そういう人間にとってマーガレット様の結婚式での出来事は希望になったと思うんだ」

「……えっ?」

「世界中で起きたあのマーガレットの花びらの奇跡は、たとえば当時この国よりももっと深刻なじようきようだったオルタナていこくでは数えきれないほどの人間の命を救ったと思うよ。だけどそれは、ただ薬や、パンや、金貨を与えられたからという物理的な話だけではなく、奇跡が起きたという精神的な希望によって」

「……希望……ですか?」


「奇跡は起きるという希望。マーガレット様の存在は、たとえ聖女だと公表されていなくても、それだけで誰かの希望になると考えているんだ」


 私の存在が誰かの希望になる……。そんなこと考えたこともなかった……。

とつぜんの話でおどろかせてごめんね。『聖女の儀式』まではあと三か月あるから、ゆっくり考えて答えを聞かせてほしいんだ」

 レオナルド殿でんは、私の目を見てやさしく言った。

「……レオナルド殿下は、ソルト王国の王太子殿下として私に命令をすることだって出来るのに、私に考える権利をくださるのですか?」

 思わず聞いてしまった。だって、聖女という存在がいることはソルト王国にとってメリットでしかないはずだわ。それなのに、レオナルド殿下は今まで一度だって私を利用しようとしなかった。今回だってきっと、私が断ればいなんてしないのだと、そう感じたから。


「マーガレット様が聖女でも聖女でなかったとしても、ソルト王国の大切な国民であることに変わりはないでしょ? 僕は、国民に命令なんてしないよ。たとえどんな答えだとしても、僕はルイスとマーガレット様が決めたせんたくを尊重するよ」



 王宮を出て、モーガン伯爵家に帰る馬車の中でも私の頭の中にはずっと先ほどのレオナルド殿下の言葉がめぐっていた。

「マーガレット。すぐに答えは出せないと思います。ゆっくりと考えてください」

 隣に座っていたルイスが、そっと私の手をにぎった。

「……私には、この国で『聖女』などと呼ばれる資格はないの……」

「資格……ですか? 聖女様になるために資格なんて必要ないですよね?」

「……えっ?」

「妖精様達に愛されている、それこそが聖女様であるあかしですから」

「……だけど……私は……」


 私は、本当の意味でこの国の人間ではないのに。


「マーガレットが聖女様でも聖女様でなくても、僕がマーガレットを愛しいと思う気持ちに変わりはありません。だからマーガレットがせいいつぱい考えて出した答えであれば、僕はその答えを信じます。……ただし、もしマーガレットがあやまちをおかしそうになった時には僕が全力で止めます。なのでマーガレットは安心して自分自身がなつとくのできる答えを探してください」


「ねぇ、ルイス。たとえば……たとえばもしも……。私が……私が、公爵令嬢でなかったとしても……ルイスはそれでも私を……」

 必死でしぼりだした言葉に、ルイスは私の手をさっきまでよりも強く握ることで答えた。


「何も変わりませんよ。マーガレットがマーガレットなら。貴女あなたが公爵令嬢でなくても、聖女様であっても、僕の貴女に対する気持ちは変わりません」


 そう。……そうなのね。

『妖精の愛し子だからではなく、マーガレット自身を見つめて、愛してくれる人』

 お母さまのその言葉を、私はずっと、私が特別な存在でなくても愛してくれる人のことだと、そう思っていた。妖精さん達の力が目当てではなく、何の力もない私でも変わらず愛してくれる人のことだと。だけど、きっとお母さまの言葉にはちがう意味もふくまれていたのだわ。


 私が妖精の愛し子という特別な存在でなくても愛してくれる人は、きっと私が本当は公爵家のむすめでなくても愛してくれる人だから。


 私が世間からしたらさげすまれるような立場だったとしても変わらずに愛してくれる人。きっとお母さまは、そんな人に私が出会えることを願ってあの言葉を言ってくださったのだわ。……私の出生の秘密を知っても、それでもなお私を愛してくれる人。そんな人に出会えるようにという願いを込めて。


「ありがとう。ルイス。これからしっかりと考えて答えを出すわ」


(めがねとマーガレットがまたラブラブしてるー)

(めがねってばマーガレットのこと好きすぎー)

(生意気めがねの眼鏡にはひびを入れてやろうか)


 モーガンはくしやく家に着くまでの間、ようせいさん達からどんなにからかわれても、眼鏡にひびを入れられそうになっても、ルイスは私の手をはなさなかった。私はその手のぬくもりをただただ心地ここちよく感じていた。