電子書籍版特典ショートストーリー『一日の終わり』



「さあさあ、ご遠慮なくどうぞぉ」

 咲弥が手招きすると、うろんげな面持ちをしたケルベロスたちがテントの前室に踏み入ってきた。

「……なるほど。こちらの天幕は、こういう構造になっていたのですか」

 そんな声をあげたのは、ケルベロスの真ん中の首たるルウである。本来の姿のままでは手狭であったため、ケルベロスたちは三体に分裂した可愛らしい姿であった。

 楽しいディナーが終了して就寝の刻限となったため、ケルベロスたちを初のテントにお招きしたのである。いち早くインナーテントにまで踏み込んだ咲弥の左右では、アトルとチコもちょこんと控えていた。

「それじゃあこっちに入ってもらう前に、おみ足を綺麗にさせていただくねぇ。まずは、前足から拝借」

「承知いたしました。お手数をおかけして、恐縮の限りです」

 いつでも礼儀正しいルウは、咲弥のほうにそっと右の前足を差し出してくる。やんちゃなケイはアトルに、陰気なベエはチコに、それぞれ前足を差し出した。

 フライシートの入り口も全開にされており、そちらからはドラゴンが顔を覗かせている。そちらに笑顔を届けつつ咲弥が黒い前足の裏を雑巾で拭き清めていると、ルウがさらに言葉を重ねてきた。

「サクヤ殿、こちらの天幕はなぜ二重になっているのでしょう? これでは持ち運びの際、倍ほども荷物がかさんでしまうのではないでしょうか?」

「えーっとね、テントを二重構造にすると、外気との寒暖の差をやわらげられるらしいよぉ。あと、通気が確保されるから、結露を防げるっていうメリットもあるみたいだねぇ」

「なるほど。確かにこのような薄い織物の一枚でも、ずいぶん冷気はやわらげられているように感じられます」

「でしょ? だからケルベロスくんたちも、遠慮なくくつろいでねぇ」

 すると、隣のケイが「へん」と鼻を鳴らした。

「魔族は魔力で体温を保ってるから、どんなに寒かろーと関係ねーんだよ」

「あ、そうなんだぁ? でも、スペースにはゆとりがあるからさぁ。せっかくだから、アトルくんやチコちゃんと一緒におねんねして親睦を深めてよぉ」

 本日は祖父のテントも持参したので、もともと咲弥が所持していたこちらのテントをケルベロスたちに使ってもらうことにしたのだ。すると今度は、ベエの面倒を見ていたチコが恐縮の面持ちで発言した。

「わ、わざわざわたしたちのためにこんなりっぱなねどこをじゅんびしていただいて、かんしゃいっぱいいっぱいなのです」

「いいんだよぉ。この前は四人でひとつのテントだったから、ちょっとばっかり窮屈だったもんねぇ。まあ、あれはあれで楽しかったけどさぁ」

「は、はいなのです。りゅーおーさまのしっぽがぬくぬくで、しあわせいっぱいいっぱいだったのです」

 そのときの温もりを思い出したかのように、チコはうっとりと目を細める。

 咲弥も「うんうん」と笑いながら、後ろ足の処置に取りかかった。

「今日なんかは五人一緒になっちゃうけど、みんなちんまりしてしてるから窮屈なことはないと思うよぉ。……よし、それじゃあ奥のほうに、ずずいとどうぞぉ」

 四本の足を拭き清められた三頭のケルベロスが、インナーテントの内側に踏み入っていく。フォームマットとシュラフの準備しかない殺風景な様相であるが、三頭ともに好奇心をあらわにして首を巡らせた。

「それでは、こちらも返しておこう」

 と、前室まで踏み入ったドラゴンが、どこからともなく毛布を取り出した。アトルたちが自宅から持参した品である。彼らは咲弥の祖父とキャンプを楽しんでいた時代から、その毛布一枚を寝具にしていたのだという話であった。

「あたしのシュラフも余ってるんだけど、さすがに二人で入るのは窮屈かなぁ?」

「えっ! そのねどこまでおかりできるのですか?」

「うん。シュラフもじっちゃんのを持ってきたからさぁ。とりあえず、広げてみるねぇ」

 咲弥は袋から取り出したシュラフを、フォームマットの上に広げた。

 しかし、どんなに小柄なコメコ族でも、やはり一人用のシュラフに二人でもぐりこむのは窮屈なようである。咲弥などはアトルたちよりも大きな図体で祖父のシュラフにお邪魔したこともあったが、あれはどちらかというと精神的な温もりを求めての所業であったのだった。

「じゃ、シュラフも敷物にしちゃおっかぁ。ふかふかが増す分、寝心地もいいだろうからねぇ」

「か、かさねがさね、ありがとーございますなのです! このごおんは、たましーをかえすそのしゅんかんまでわすれないのです!」

「あはは。それはさすがに、オーバーだよぉ。ほれほれ、ご遠慮なくどうぞぉ」

 アトルとチコはもじもじしながらフォームマットおよびシュラフの上に横たわり、自前の毛布をひっかぶった。

 ディナーでたらふく果実酒を口にした影響か、とたんに二人のまぶたが眠そうに下がっていく。その安らかな面持ちが、咲弥の胸を温かくしてやまなかった。

「さて。それじゃあ、ケルベロスくんたちは――」

 と、咲弥が視線を巡らせると、ケルベロスたちはすでにそれぞれ丸くなっていた。その姿に、咲弥は「うーむ」と腕を組む。

「なんか、見てるほうが寒々しいんだけど……みんなはそれで、寒くないのぉ?」

「はい。先刻も申し上げました通り、魔族は魔力で体温を保っておりますので」

「そっかぁ。それじゃあ毛布をかぶって温かくしたら、魔力の節約になったりするのかなぁ?」

「それは……おそらく、誤差の範疇ではないかと思われますが……」

「だったら、試してみればぁ? 少なくとも、チコちゃんたちはいっそう温かいだろうしねぇ」

 すると、うとうととしていたチコがねぼけまなこで身じろいだ。

「わ、わたしたちはじゅーぶんにぬくぬくなのです。ケルベロスさまのおてをわずらわせるのは、きょーしゅくのかぎりなのです」

「べつに、手間ではないと思うけどねぇ。ケルベロスくんの返答や如何に?」

「はあ……べつだん、頑なに拒絶するような話ではありませんが……そちらの者たちこそ、魔族などと寝床をともにするのは抵抗があるのではないでしょうか?」

「そんなことないよぉ。この前は、ドラゴンくんの尻尾を抱き枕にしてたんだもんねぇ」

 前室から見守っていたドラゴンも「うむ」と鷹揚に応じると、ケルベロスたちはそれぞれ不明瞭な面持ちで身を起こし、アトルたちと同じ毛布の下にもぐりこんだ。

 さして大きくもない毛布から、五つの頭がにゅっとのびている格好である。さしあたって、咲弥の心は存分に温められることになった。

「うんうん、愛くるしさの極致だねぇ。記念に写真でも撮らせてもらいたいぐらいだなぁ」

「へん。本当に、わけのわからねー娘っ子だなー」

 そんな悪態をつきながら、前足に下顎をのせたケイはまぶたを閉ざす。そのすぐ隣の位置であるチコはどこか幸せそうな眼差しでそのさまを見届けてから、自分もまぶたを閉ざした。

「それじゃあ、おやすみぃ」

 祖父のオイルランタンを手に、咲弥はドラゴンとともにテントを出た。

 テントの外は、すっかり夜の暗がりだ。オイルランタンのやわらかな光を頼りに、咲弥はドラゴンへと笑いかけた。

「きっと朝には、アトルくんもチコちゃんもケルベロスくんたちに抱きついてるんだろうなぁ。あんなモフモフに包まれたら、いい夢を見られるに違いないよぉ」

「うむ。であれば、ケルベロスの一体をこちらのテントに招けばよいのではなかろうか?」

「いやぁ、ドラゴンくんのすべすべとケルベロスくんのモフモフを同時に味わおうだなんて、それは贅沢が過ぎるってもんだよぉ」

 そんな風に答えながら、咲弥はすべすべで温かなドラゴンの首をそっと撫でさすった。

「それに今日はひさびさの、じっちゃんのテントだからねぇ。それだけで、あたしらもいい夢を見られるに違いないさぁ」

「うむ。楽しみなところであるな」

 ドラゴンは、優しく微笑むように目を細める。

 そうしてその日も、咲弥は心から幸福な心地で一日を終えることに相成ったのだった。