幕間 ~ケルベロスの主張~



「くどいようですが、私はあくまでケルベロスというひとつの個体であるのです」

 ケルベロスがそのように告げると、さくという名を持つみような人間族の娘は「んー?」とのんびり小首をかしげた。

 ケルベロスがかのじよと出会って、二日目の朝のことである。他にはりゆうおうとコメコ族のきようだいが、しよくたくとして扱われている『祝福のねや』を取り囲んでいる。コメコ族の兄妹はまだ眠そうな目つきをしており、もともと眠そうな目つきをした咲弥は朝から楽しげにコーヒーなる飲み物の準備を進めていた。

「いちおう、それは理解したつもりだよぉ。ケイくんとルウくんとベエくんは性格も考え方も違うけど、根っこの気持ちはひとつってことだよねぇ?」

「気持ちはひとつと申しますか……あくまでケルベロスという個体が、三つの口でそれぞれ言葉を発しているにすぎないと表現したほうが正確であるかもしれません」

「んー。でも、みんなはそれぞれ性格も好みも違ってるよねぇ?」

「でしたらそれは、人間族における多重人格というものにあてはめると理解しやすいかもしれません。人間族も多重人格というものをはつしようしたならば、別人のごとき言葉を発するのでしょう? この身は常に、三つの人格がはつしているようなものであるのです」

 すると、咲弥にベエと名付けられた左側の首が「うむ……」と引き継いだ。

「それに……多重人格などというものを持ち出さずとも、人間族の内にも異なるしようというものは複数ひそんでいるはずであろう……ひとつの事象に対して、いかりや悲しみや喜びを同時に抱くことは、決して珍しい話ではあるまい……この身はそういった感情を、三つ同時に発露できるというだけのことだ……」

 小さな器具でゴリゴリと豆をいていた咲弥は、「ほへー」と間の抜けた声をあげた。

「それじゃあ、三人の意見がちがってるときは……あたしらで言うと、脳内会議の模様がそのまま表面化してるってこと? 何だか、想像がつかないねぇ」

「無理に想像する必要はありません。ただ、理解を深めていただければ幸いに存じます」

「うーん。わかったようなわからないような……しかもケルベロスくんは、三人にぶんれつできるんだもんねぇ。みんなが同一人物なんだとしたら、どうしてそれぞれが自由に動けるの?」

「もとよりこの身には三つの意識が宿されているのですから、造作もありません」

「それじゃあひとりに合体してるときは、あっちに行きたいこっちに行きたいって考えがぶつかったりしないの?」

「ええ。心根はひとつであるのですから、そこで意見が分かれることはありません」

「うーん。やっぱりあたしには、ちょっと難しい話みたいだなぁ」

 咲弥はのんびりと微笑ほほえみながら、細かく挽いた豆を容器の上にうつし替えた。

 とても和やかな笑顔であり、その眼差しは温かい。そして彼女は初めて出会ったころから、ケルベロスにこういった眼差しを向けていたのだった。

「まあ、あたしは三人とも大好きだから、問題ないかぁ。やんちゃなケイくんもクールなルウくんもシャイなベエくんも、それぞれりよくてきだからねぇ」

「ほら見ろ。こいつにややこしい話をしたって、理解できるわけねーんだよ」

 ケイと名付けられた右側の首があくびまじりにそう言うと、咲弥は同じ笑顔のまま手をのばしてケルベロスの背中を撫でてきた。

「うんうん。このモフモフの気持ちよさも、みんないつしよだもんねぇ。お別れする前に、もっぺんたんのうさせてもらってもいいかなぁ?」

「だーっ! このケルベロス様に、なれなれしくさわるんじゃねーよ!」

 それが、ケルベロスの本心であった。この世に生を受けてからずっと人間族にされてきたケルベロスは、人間族のせんさいなつくりをした手でれられることに慣れておらず、たいそう落ち着かない心地を味わわされるためである。

 ただし、決して咲弥に触れられることを忌避しているわけではない。それどころか、咲弥がケルベロスをおそれていないという事実をありありと感じられるため、むしろ幸福な心地であるのだが――そんなことを口にするのは気恥ずかしいというのが、三つに分かたれた意識の共通した見解であったのだった。

(それに……)と、ケルベロスはルウと名付けられた真ん中の首で竜王とコメコ族の兄妹たちの姿を見回した。

 この世で誰よりも恐れられている竜王と、この世で誰からも見下されているコメコ族が、仲良く並んで食卓を囲んでいる。それらの安らいだ表情が、ケルベロスをこの地にとどめたのだった。

(竜王殿とコメコ族のえんつないだのは、サクヤ殿の祖父君であるという話だったが……今このやわらかな空気をつくりあげているのは、きっとサクヤ殿であるのだろう)

 ケルベロスがそんな思いを新たにしたとき、咲弥が「よーし」と声をあげた。

「ようやくコーヒーが完成したよぉ。みんなの口に合うかなぁ」

「ふん! ずいぶん鼻のむずむずする香りだな!」

「ですが、未知なる飲み物には興味をかきたてられます」

「それで……これを飲み終えたら、サクヤは山を下りるのだな……?」

 最後に発せられた問いかけに、咲弥は「うん」と笑顔でうなずく。

「でもまたすぐに、キャンプの計画を立てるからさぁ。ケルベロスくんたちも、それまで元気でねぇ」

「ふん! ひ弱な人間族に心配されるいわれはねーや!」

 右側の首がざつに答えたが、咲弥のにこやかな顔に変わりはない。

 そして、ケルベロスの三つの首はそれぞれ異なる表情を浮かべていたが――その尻尾は、咲弥との再会を期待してぶんぶんと振りたてられていたのだった。