「……やはり、異界に移り住むのは困難であると判じたためであるな。サクヤの暮らす世界はほうの文明が発展しておらず、魔族もじん族も存在しないのだ。そのような地で生きるのは面倒が多いので、我は移住を取りやめた。しかし、サクヤの祖父たるトシゾウとゆうを結ぶことがかなったため、門を開いたままこの山で暮らすことに決めたのだ」

「へーえ! それで二つの世界の山を融合させちまうなんて、やり口がちやちやだな! せっかくの玉座を捨ててまで、何をやってるんだか!」

 ケイはそのようにがなりたてたが、食事でずいぶん心が満たされたためか、これまでよりも陽気なふんだ。ドラゴンもまた、「左様であるな」とおだやかに目を細めた。

「しかし我は、どうほうとともに過ごしていた百年前よりも安らかな心地を得ている。よって、この地をついすみにしようという所存である」

「こんな辺境の地が、かつての王の死に場所かよ! ……本当に、もう玉座に未練はねーのか?」

 ケイがいくぶんしんみような調子で問いかけると、ドラゴンは「ない」とそくとうした。

「我が王として百年を過ごしても、この世から戦乱が絶えることはなかった。であれば、我が玉座に座る意味はない」

 ケイは「そっか」と溜息をつき、ルウとベエは無言のままドラゴンを見つめている。しかし、ドラゴン自身はとても穏やかなまなしのままであったので、咲弥も安らかな心地で見守ることができた。

「さて。ぼちぼち日も暮れてきたし、明かりを追加しよっかぁ」

 咲弥の言葉に「はいっ!」と応じて、アトルはLEDランタンを、チコは『サラマンダーのぐうきよ』をオンにする。そして咲弥は、コンテナから祖父のランタンを取り上げた。これもかなり年季の入った、レトロなデザインのオイルランタンである。しんちゆうかさと台座はにぶく照り輝き、『サラマンダーの寓居』にも負けない風格だ。オイルはすでに注入しておいたので、あとは点火するばかりであった。

 まずはガラスのホヤを持ち上げて、調整レバーでバーナーのしんをのばす。そこにターボライターで火をともし、ホヤをかぶせると、やさしいオレンジ色の輝きが広がった。他にも二台の光源があるので、こちらは控えめの光量で十分だろう。芯とオイルを節約するためにも、咲弥は調整レバーで限界まで芯を引っめた。

「……そちらの器具を目にするのも、実にひさかたぶりのことだ」

 ドラゴンが咲弥のほうに首を寄せて、一緒にランタンの光を覗き込んだ。しんうろこおおわれたドラゴンの顔も、オレンジ色に照らし出されている。

「それにやっぱりほのおというのは、器具によってずいぶん趣が異なるように感じられる。これは我のおもい込みやもしれないが……我はこちらの炎をもっとも美しいと感じるぞ」

「うん。あたしのLEDランタンなんて、電気の光だしねぇ。あとはホヤの具合なんかで、趣が違ってくるんじゃないかなぁ」

 祖父のランタンで、ドラゴンと同じ光を浴びていると、咲弥の心に得も言われぬ安らぎがあふれかえった。

「LEDなら燃料を補給する必要もないし、ドラゴンくんが貸してくれたお宝ならじゆうでんの必要すらないけど……キャンプって、不便を楽しむのがだいみたいな面もあると思うんだよねぇ。一番手間のかかるこのオイルランタンが、あたしも一番好きかなぁ」

「うむ。便利はすなわちすいということであろうかな」

「あはは。お水が使い放題のお宝アイテムなんかは、ありがたい限りだよぉ。でも、それを無粋だって感じる人もいるかもしれないし……けっきょくは、個人の好みなんだろうねぇ」

「うむ。だからこそ、好みのいつする相手とはいっそうの喜びを分かち合えるのやもしれんな」

「そうだねぇ」と、咲弥は意味もなくドラゴンの首に頬ずりをした。

 すぐ目の前では、アトルとチコとケルベロスたちがバーベキューをめぐっておおさわぎをしていたが――ほんのつか、咲弥とドラゴンは静かな喜びを分かち合うことになったのだった。



 しばらくして、ついにメインディッシュとなるふた品が完成した。

「お待たせしましたぁ。今日の献立は、炊き込みご飯と和風煮込みのおなべでぇす」

 トータルで一時間以上も火にかけていたため、ダッチオーブンの中身はすっかり煮詰まっている。なおかつ、蓋も分厚いちゆうてつせいであるダッチオーブンは密閉性が高く、圧力鍋に似た圧力効果が望めるのだ。それでがんきようなるデザートリザードの肉がどれだけやわらかく仕上げられるかは、前回のロースト料理でも証明されていた。

 他なる具材はダイコンとジャガイモとニンジンとタマネギの四種であるが、あつとうてきな質量を誇っているのはダイコンとなる。これはご近所の田辺たなべ老婦人からいただいた大量のダイコンを消費するための献立でもあったのだ。そのダイコンこそ、トングでつまむだけでくずれてしまいそうなほどやわらかく仕上がっていた。

 咲弥はそれぞれの食器に、炊き込みご飯と和風煮込みを取り分けていく。アトルたちは自前の木皿を持っているし、メスティンやコッヘルの蓋も空いているので、新参たる銀の食器も活用すればまったく不自由はなかった。

「ケルベロスさまも、おさけをおのみになるのです?」

 チコがおずおず問いかけると、ケイが真っ先に瞳を輝かせた。

「酒! 酒まであるのかよ! なんの酒だ? しゆか? ばくしゆか?」

「こ、こちらはよすてびとのえつらくのかじつしゅなのです」

「『世捨て人のえつらく』? そんなもん、都じゃ高級酒じゃねーか!」

 ケイはぶんぶんとしつりたてつつ、今にもはしゃぎ回りそうなぜいである。そしてルウとベエも表情は動かさないまま、ぴこぴこと尻尾を振っていた。

「そっか。ケルベロスくんたちは、食料庫に入らなかったんだっけ。こんなに喜んでもらえるなら、がんってお酒を造った甲斐があったねぇ」

「は、はい。ケイさまは、とてもかわいらしいのです」

「だ、だれ可愛かわいいだよ! ふざけたことかすと、その角をへし折ってやるぞ!」

 そんなせいのいい言葉をきながら、ケイはとてもずかしそうだった。ふさふさの毛がなければ、頬が赤くなっていたのかもしれない。

 ともあれ、『世捨て人の悦楽』の果実酒も人数分が準備される。咲弥とドラゴンはマグカップ、アトルとチコはりのコップ、ケルベロスたちは銀の深皿だ。顔が見えないとさびしいので、ケルベロスたちはよこだおしの丸太を足場にしつつ、台座に前足をのせた格好で料理を楽しんでもらうことにした。

「ではでは、いただきましょう。みなさん、ご堪能あれぇ」

 かくして、ようやく食事の本番が始められた。さんざん間食をしてしまったが、食欲が減退したメンバーはひとりとして存在しないようである。まずは炊き込みご飯から口にした亜人族の兄妹が、「おいしーのです!」と声を張り上げた。

「おこめはトシゾウさまからもいただいたことがあるのですけれど、これははじめてのりょーりなのです!」

「ほんとーなのです! おこめそのものがおいしーおいしーなのです!」

「うんうん。悪くない仕上がりだねぇ」

 デザートリザードの肉はやはりいくぶん歯ごたえが強いように感じられたが、これだけ小さく切り分ければ気にならない。そして、巨大キノコの豊かな風味が、炊き込みご飯の味をいっそう向上させているように感じられた。ほのかに香る『黄昏の花弁』の甘い香りも、好ましい限りである。

 そして、アトルたちよりも勢いよく炊き込みご飯を食しているのは、ベエであった。その耳は垂れたままであったが尻尾はせわしなく振りたてられており、何よりその食べっぷりが彼の心情を物語っていた。

 いっぽうケイは先刻のしゆうしんも忘れた様子で、和風煮込みをがっついている。たとえ肉が好物であっても他なる具材をよけたりはせず、一緒に食しているようだ。それでこそ、肉の味もいっそうきわつはずであった。

「うーん。ダイコンもとろとろだねぇ。ちょっと火にかけすぎたぐらいかなぁ」

「それでも大ぶりに切り分けられているため、食感を楽しむことに不都合はない。きわめて、美味である」

 スポークを扱うドラゴンはじかいのケルベロスたちほどがっつくことはなく、一定のペースで二種の料理を食している。しかしその瞳の輝きは、他の誰にも負けていなかった。

「これまでの料理はげきてきであったが、本日の料理はきわめて心を安らがせてくれるようだ。やはり、サクヤの手腕というのは見事なものであるな」

「いやいや。なぁんも難しいことはしてないからねぇ。でも、みんなが美味しそうに食べてくれるのは嬉しいなぁ」

 咲弥がそんな内心をこぼすと、ドラゴンがそっと耳もとに口を寄せてきた。

「あのケルベロスは、ぞくでもくつの危険なる存在であるのだ。それがああまでじやな姿をさらしているのは、ひとえにサクヤの度量に感服したゆえであろうな」

「そんなことないっしょ。ケイくんはちょっとやんちゃだけど、根っこは優しい子だろうからねぇ」

いな。サクヤの優しさこそが、ケルベロスのかくされた内面を引き出したのであろう。少なくとも、我の知るケルベロスはゆうもうさとれいこくさとざんぎやくさをあわせもつ危険な存在であったのだ」

 そのように言われても、サクヤにはピンとこない。ただ、ドラゴンの優しい眼差しに心を満たされるばかりであった。

「まあ何にせよ、今日のキャンプも大成功だねぇ。これもドラゴンくんが大事なお宝を貸してくれたおかげだよぉ」

 咲弥がマグカップを持ち上げると、ドラゴンもスポークをマグカップに持ちえた。そうしてチタンのマグカップを軽く打ち合わせてから、『世捨て人の悦楽』なる果実の酒を口に運ぶ。こちらの果実酒は、もものような風味と甘さを持つ味わいであった。

「……りゆうおう殿どの、折り入ってお願いしたきがあるのですが」

 ルウがそのように声をあげたのは、大量に作り上げた料理の七割がたがそれぞれのぶくろに消えたのちのことであった。

「もしよろしければ……私もこちらの山に住まうことをお許し願えないでしょうか?」

「ふむ。放浪の生活にもみ果てたということであろうか?」

「はい。いずれの地におもむこうとも、他なる種族との戦いをけることはかないませんし……この地であれば竜王殿ののもとに安息を得られるのではないかという、浅ましき思いにとらわれての申し出と相成ります」

 そのように語りながら、ルウはぜんと頭をもたげている。そして、ケイとベエは素知らぬ顔でそれぞれの好物を食べあさっていた。

「ふむ……そちらの者たちの心情をうかがう必要はないのであるな?」

「はい。たとえ意識が分かたれていようとも、心根はひとつですので」

 ドラゴンはひとつうなずいてから、咲弥のほうに視線を向けてくる。咲弥が期待を込めて見つめ返すと、ドラゴンは深い理解をたたえながら目を細めた。

「よかろう。では、其方そなたにも我の仕事を手伝ってもらいたい」

「はい。竜王殿の仕事とは?」

「この山の、あんねいを守ることである。我は二つの世界の融合が安定するように処置したが、まだ不安定な部分も残されているのでな。かで調和が乱れていないかかくにんするために、定期的に見回っているのだ。しかしこの山は広大であるので、其方の助力を願えればありがたく思う」

「承知いたしました。竜王殿のご温情に、心よりの感謝を申し上げます」

 そんな風に言ってから、ルウはちらりと咲弥のほうに視線を向けてきた。そして、ケイとベエも熱心に食事をあさりつつ、上目づかいに咲弥の様子をうかがっている。それで咲弥がまとめてがおを返すと、三つの尻尾がまとめて振りたてられたのだった。

「ひゃーっ! なんだか、すごいのです!」

 と、アトルがいきなり声を張り上げたため、咲弥は三頭のケルベロスとともにギクリと身をすくめてしまった。その中で文句の声をあげたのは、やはりケイである。

「い、いきなり大声を出すんじゃねーよ! びっくりするじゃねーか!」

「も、もうしわけありませんのです! でも、ぼくもびっくりびっくりなのです!」

 何事かと思ってアトルのほうを振り返ると、彼は横合いに目を向けている。そちらは、切り立っただんがいの方角であった。

 その視線の先を追った咲弥は、思わず言葉を失ってしまう。断崖の向こうのやみに、宝石のごとき輝きがちりばめられていたのだ。

「わーっ! なんだ、ありゃ?」

 同じものを目にしたケイが、もうぜんたる勢いでがけのふちにけていく。咲弥たちも、おっとり刀でそれを追いかけることになった。

 すでにとっぷりと日は暮れているので、何もかもが闇に包まれている。そして、断崖の向こうにはとなりみねやまはだが広がっているはずであるが――その一面に、青とも緑とも黄ともつかない不思議なきらめきがいくつも灯されていた。まるで、星空のヴェールが地上に投げかけられたかのようである。

 それはほたるの光にも似ていたが、規模がじんじようではない。闇が深くて判然としないが、おそらくは山肌のすべてに光のつぶがまぶされているのだ。そうして頭上を見上げれば星空が広がっているのだから、咲弥は宇宙空間で銀河に包まれているようなここであった。

「あれは、星の花であるな」

 咲弥のすぐかたわらから、ドラゴンの低い声がひびきわたった。

 三頭のケルベロスと亜人族の兄妹は、もっと際どい崖のふちまで進み出て、それぞれその信じがたい光景に見入っている。ケイとアトルとチコのはしゃぐ声が、とても遠くに感じられた。

便べん上、我がそのように名付けた。おそらくは、二つの世界が融合したことにより生まれた新たな種であるのであろう」

「それじゃあ……こんなすごい光景を見られるのも、ドラゴンくんのおかげってことかぁ」

 咲弥は名付け難い感情に胸をふるわせながら、そのようにつぶやいた。

 ドラゴンは、とても優しいこわで「うむ」と応じる。

「星の花は、冬の終わりにくようだ。春の訪れなど、まだまだ先ではないかと考えていたが……存外、間近にせまっているようであるな」

「うん、そっか。……ねえ、じっちゃんもあの花を見たことがあるの?」

「うむ? 星の花は、あちらの峰のあの位置にしか生息していないようであるのだ。あれを目にするにはこの場所にたたずむ必要があるので、トシゾウが目にする機会はなかったろうな」

「そうなんだね。……じゃ、じっちゃんはこの場所まで来たこともないってこと?」

「うむ。トシゾウが足をみ入れたのは、アトルとチコに任せた畑ぐらいであるな」

「……そうなんだね」と、咲弥はり返した。

 ドラゴンはいくぶん心配そうに、横から咲弥の顔を覗き込んでくる。

「どうしたのであるか? サクヤは……いくぶんだんと様子が違っているように見えるのだが」

「ごめんごめん。別に落ち込んだりしてるわけじゃないから、心配はご無用だよぉ」

 咲弥が心からの笑顔を届けると、ドラゴンもほっとした様子で目を細めた。

「落ち込むどころか、その反対かなぁ。今までは、じっちゃんと同じ思いを辿たどれるのが嬉しかったんだけど……これは、じっちゃんも知らなかった楽しさなんだもんねぇ」

「ふむ。それが、嬉しいのであるか?」

「嬉しいっていうのとは、ちょっと違うのかなぁ。なんか、気合が入ったっていうか……もっともっと楽しんでやろうって気持ちがわきたってきたんだよねぇ」

 気持ちも考えもまとまっていない咲弥は、心にかぶ思いをそのまま言葉にするしかなかった。

 そんな咲弥の姿を、ドラゴンは優しい眼差しで見守ってくれている。

「じっちゃんはせっかくドラゴンくんと仲良くなれたのに、二年足らずでお別れすることになっちゃったわけでしょ? もっと長生きしてれば、こんな楽しさも味わえたはずなのにさ」

「うむ。トシゾウはあまりこうしんおうせいひとがらではないようであったが……楽しいと思う心地に変わりはなかろうな」

「うん。だから、この山をプレゼントされたあたしは、じっちゃんの分まで楽しんであげないとなぁとか思っちゃったりなんかしてさ。なんか、うまく説明できないけど……この山の楽しさを、ひとつ残らず味わってみたいんだよねぇ」

 そう言って、咲弥はもういっぺんドラゴンに笑いかけた。

「でも、あたしひとりじゃこの山をせいすることはできそうにないからさ。ドラゴンくんも、協力してくれる?」

「それを断る理由があろうか?」

 それが、ドラゴンの返答であった。

 咲弥は満ち足りた思いで、また正面に向きなおる。

 星の花は、今もなおさんぜんときらめいていた。ひとつひとつの輝きはささやかなものであるが、それが無数に寄り集まることでこれほどの美しさを形づくっているのだ。

 ドラゴンの言う通り、祖父はそれほど好奇心の旺盛な人間ではなかった。咲弥が初めて出会った十二年前のあの日から、祖父は充足しきっていたのだ。はんりよに先立たれて、実のむすめからはいないもののようにあつかわれて、このようなやまおくどくに過ごしながら――祖父はいつもねむたげな目つきで、満足そうに微笑んでいたのだった。

 その血筋は、咲弥にも確かに受けがれているのだろうと思う。母は祖父をきよぜつしていたが、咲弥は最初から祖父に共感をいだいていた。ひとりで気ままに生きていくことができる祖父の人柄は、かくせい遺伝で咲弥にけいしようされていたのだ。

 だが――咲弥は祖父と出会ったことで、今まで以上の楽しさを知ることができた。ひとり気ままのソロキャンプは十分に楽しかったが、祖父とのデュオキャンプはそれ以上の楽しさであったのだ。

 そして咲弥はドラゴンと出会い、アトルやチコと出会い、ケルベロスと出会い――いっそうの楽しさを知ることができた。祖父が知らないこの岩場で、祖父が知らない宝物をキャンプギアにして、祖父の知らない美しい光景を見て――こんなに幸福な心地を抱くことができた。

 きっと祖父もこの場にいたならば、咲弥と同じ思いであったことだろう。『ほりこし』の美味しさだけは共有できなかったが、きっとケルベロスとは仲良くできただろうし、ドラゴンの宝物には感心しただろうし、この光景には目をうばわれていたはずであった。

 しかし祖父は、もうそんな楽しさを味わうこともできない。

 であれば、この山を受け継いだ咲弥が何もかも楽しみくすべきではないのか――と、言葉にすると、そんな話になるのかもしれなかった。

(ま、くつなんてどうでもいいさ)

 咲弥はただ、この胸の内側に満ちる思いに従うのみである。

 その第一段階として咲弥がドラゴンの首を撫でると、かれは無言のまま目を細めて咲弥の思いに応えてくれたのだった。