第四話 三つ首の黒き狼
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咲弥はその日も、ひとりで「うーん」と悩ましげな声をあげていた。
場所は祖父から受け継いだ家の前庭で、咲弥の眼前には愛車たる黄色の軽ワゴン車が鎮座ましましている。その後部の座席を潰して確保したラゲッジスペースは、もはや完全にキャパオーバーを起こしていた。
「さすがに、これで限界かぁ。まあ、めいっぱい頑張ったよなぁ」
こちらのスペースは、もとより咲弥のキャンプギアで埋め尽くされていた。そこに追加のギアを押し込んだため、このような有り様に成り果てたわけであった。
追加したのは、祖父のキャンプギアである。咲弥は自分なりに装備を整えていたし、祖父の大事な遺品を軽々しく扱う気持ちにはなれなかったので、これまでは手をつけずにいたのだが――ドラゴンばかりでなく亜人族の兄妹ともお近づきになったことで、いよいよギアの補充に着手せざるを得なかったのだった。
祖父の遺品から借り受けたのは、拠点の設備として、テント、シュラフ、フォームマット。火まわりは、焚火台、焚火シート、グリルグレート、バーナー。調理器具は、コッヘル、メスティン、スキレット、兵式飯盒、カッティングボード。その他の装備として、ブッシュクラフトナイフ、手斧、ランタン、レジャーシート、コンテナボックスというラインナップになる。本当はローチェアやローテーブルも拝借したかったところであるが、それを積み込むスペースはもはや存在しなかった。
「ま、チェアやテーブルを一台ずつ追加したところで、焼け石に水だろうしなぁ。レジャーシートをうまく活用するしかないか」
悩んでいてもしかたないので、咲弥は出発することにした。
リアゲートを閉めて運転席に乗り込むと、助手席にはウォータージャグと五キロの米袋が積み上げられている。咲弥の新たなお仲間たるダッチオーブンは祖父のコンテナボックスに移し、代わりにこれらを積み上げることになったのだ。米袋は本日の食材であり、余った分はアトルとチコに預かってもらおうかと思案していた。
「他にも荷物を預かってもらえば、新しいギアを補充できなくもないけど……洗う必要があるギアは持ち帰らないといけないし、やっぱり難しいところだなぁ。じっちゃんの形見は、外に置き去りにしたくないしなぁ」
と、ついつい独り言をこぼしながら、咲弥は軽ワゴン車を発進させた。
前回のキャンプからは、また三日目となる日である。祖父の家に転居してから十日目で、四度目のキャンプだ。わずか十日でこれほど自分を取り巻く環境が激変するなどとは、さすがに想像の及ぶものではなかった。
(ま、楽しいからいいけどさ)
緑の深い林道を進んでいく内に、咲弥の心は速やかに晴れわたっていった。やがて山道に差し掛かり、周囲に異界の風景が混じり始めたならば、ますます楽しい気分がわきかえっていく。咲弥はもともとキャンプをこよなく愛する身であったが、それがこの十日間でさらにブーストされたようであった。
(まさか、グルキャンの楽しさまで教えてもらえるとはね。じっちゃんは、ほんとに色んなものをあたしに残してくれたなぁ)
そうして咲弥の心がすっかり満ち足りたところで、キャンプスポットに到着した。初日のキャンプで活用した、もっとも手近なスポットだ。他の二ヶ所に比べるとやや手狭であったものの、四人で楽しむのに窮屈なことはなかった。
(なんだかんだで、予定より早く着いちゃったか。ま、ひとりの設営も悪くないさ)
今回も来訪の日取りとおおよその到着時間を告げていたので、アトルとチコも早めに仕事を切り上げて合流する予定になっている。そのためのキャンプ料理も、すでに考案済みであった。
「せっかくだから、じっちゃんの手斧で薪割りにチャレンジしてみよっかな。アトルくんたちのほうが使いなれてたら、なんか悔しいもんなぁ」
そうして運転席から降りた咲弥が軽ワゴン車の後部に回り込んだとき、背後でガサリと茂みが鳴った。何気なく振り返った咲弥は予想外の光景を目の当たりにして、ぽかんと呆気に取られる。深い茂みから身を乗り出していたのは、ドラゴンならぬモンスターであった。
「なんだ……どうしてこんな人間族の小娘が、竜王の気配をぷんぷんさせてやがるんだ?」
巨大なるモンスターが、不穏な響きをはらんだ声でそう言った。体長五メートルに及ぶドラゴンほどではないにせよ、トラやライオンに匹敵する巨体だ。それは全身に漆黒の獣毛を生やした、狼のごときモンスターであり――そして、三つの首が生えていた。
「もしや……竜王殿が、人間族の姿に変じているのでしょうか?」
「そんなわけねーだろうが! 火竜族が、人間族なんざに化けるもんかよ!」
「うむ……それに、数々の魔法を修めた竜王でも、変化の術は得意にしていなかったような……」
と、三つの首がてんでに発言した。声質は同じであるのに、口調の違いから別人のように聞こえてしまう。咲弥から見て左側、当人にとって右側の首は荒っぽく、真ん中は丁寧で、左側は陰気な口調であった。
「えーと……キミたちも、ドラゴンくんのお友達かなぁ?」
咲弥がそのように問いかけると、真ん中の首だけが深く一礼した。
「私は、ケルベロスと申します。竜王殿と相まみえたことはなくもありませんが……友を名乗るほど親密な関係を築いてはおりません」
「おいおい! 人間族の小娘なんざに、何をぺこぺこしてやがるんだよ!」
右側の首が文句をつけると、真ん中の首は沈着なる眼差しをそちらに突きつけた。
「察するに、こちらのご婦人は竜王殿にゆかりある御方でしょう。であれば、礼を尽くさなければなりません」
「へん! こんな小娘にぺこぺこするのは、俺の流儀じゃねーな!」
右側の首は、ぷいっとそっぽを向いてしまう。そちらの首は右の目もとに大きな古傷が走っており、いかにも勇猛そうな雰囲気であった。
いっぽう左側の首は耳が垂れており、常にうつむいていて、咲弥のことを上目づかいで探るように見やっている。口調ばかりでなく、表情までもが鬱々としていた。