「ふむ……それは期待をそそられる文言であるな」

 うずうずと身を揺するドラゴンの所作に微笑みをゆうはつされつつ、咲弥は『ほりこし』の蓋を親指で跳ね上げた。

「ドラゴンくんのお好みに合わなかったら、次からは塩とペッパーで仕上げるからさぁ。まずは、こちらをご賞味あれ」

 咲弥がシイタケを除く食材に『ほりこし』のパウダーをけていくと、たちまちスパイシーな香りがたちこめて、ドラゴンの瞳を期待にかがやかせる。咲弥は鼻歌まじりにトングをあやつり、コッヘルの蓋に食材を取り分けていった。

「はい、どうぞ。テーブルに置いておけばいいかなぁ?」

「うむ。サクヤの親切と温情に、心よりの感謝を捧げる」

 そんなおおぎような言葉とともに、ドラゴンはさっそく尻尾の先をのばした。そこに巻き取られたスポークの先端が、まずは粗挽きウインナーにぶすりと突き立てられる。

 破れた皮からあぶらにくじゆうがしたたるのを待って、ドラゴンはウインナーを口に運んだ。ぞろりときばの生えそろった口が開かれて、大きなウインナーを丸ごと収納し――その末に、ドラゴンは大きく目を見開いた。

「これは……きわめて、美味であるな……」

「あ、おしたかなぁ?」

「うむ。このウインナーなる食材はこれまでに何度となく馳走になっていたが、これほど美味に感じたのは初めてのこととなる。いや、決してこれまでの出来えを不満に思っていたわけではなく、もともと美味であったウインナーがさらに驚くほどの味わいにしようされたのだ」

「あはは。めっちゃしゃべるじゃん。よっぽどおなかいてたんだねぇ」

いな。たとえ空腹でなかろうとも、この味わいのらしさに変わりはあるまい」

 ドラゴンは入念にしやくをして、次なる食材に取りかかった。そうして二ぶんかつされたピーマンを食したならば、今度はうっとりと目を細める。

「こちらも、美味である。このげきてきな味わいは肉にもっとも調和するのではないかと思ったが、それは浅はかな考えであったようだ。ただ焼いただけの野菜が、これほど美味に感じられるとは……それこそ、魔法にかけられたようなここである」

「うんうん。お気に召して何よりだったよぉ」

 咲弥は追加の食材を焼き網に並べてから、自分もタマネギの輪切りをかじり取った。

 ただ焼いただけのタマネギであるので甘みよりもからみがきわっているが、『ほりこし』の力があればこちらも絶品である。ガーリックやペッパーの風味は言うに及ばず、トウガラシ系の辛みもきいており、さらにバジルやオレガノやコリアンダーなど各種のハーブの香りがこんぜん一体となって舌と鼻を楽しませてくれるのだ。塩気はあまり強くないが、チキン由来の旨みが豊かであり、それがタマネギ本来の味をはなばなしく彩っていた。

「あー……『ほりこし』の味が胃袋にしみるなぁ」

 咲弥が思わず満足のいきをこぼすと、ドラゴンは「ふむ?」と小首を傾げた。

「サクヤはずいぶん感じ入っているようであるな。サクヤにとっては、これも食べ慣れた味であろう?」

「うん。でもやっぱ、半年ぶりだから格別だよぉ」

「半年ぶり……つまり、山の外ではその『ほりこし』とやらを使用していないということであろうか?」

「うん。こいつを食べると、どうしたってキャンプに行きたくなっちゃうからさぁ。でも、我慢に我慢を重ねたがあったよぉ」

 まったく大仰な話でなく、咲弥の身にはようやくキャンプに来られたのだという喜びの思いがあふれかえっていた。咲弥の中でぼんやりとかすみがかっていたキャンプの楽しいおくというものが、『ほりこし』のせんれつな味わいによってかつての彩りを取りもどしたような心地であったのだ。

 咲弥が初めて『ほりこし』を口にしたのは、五年ほど前のことになる。というよりも、『ほりこし』が世間に出回り始めたのがその頃であったのだ。まだ高校生であった咲弥は原付バイクで移動していたため荷物を減らすことに躍起になっており、この『ほりこし』のうわさを聞き及ぶなりすぐさま入手することになったのだった。

(初めてこいつを使ったのも、バーベキューだったっけ。アレは、感動だったなぁ)

 ちちやまおくにまで足をのばした咲弥は、今日のように暗くなってからバーベキューの準備にいそしんだ。そうして『ほりこし』を掛けたタマネギをかじり取った際には、ひとりで「なんじゃこら」と驚きの声をあげてしまったものである。

 それ以降、咲弥にとって『ほりこし』はキャンプのひつじゆひんとなった。軽ワゴン車をこうにゆうしてからはさまざまな調味料をはこび込むようになったものの、決して『ほりこし』を切らすことはなかった。そうして五年前から、咲弥のキャンプの記憶はずっと『ほりこし』によって彩られていたのだった。

「……そのように幸せそうな表情を見せられると、我の心も満たされてならんな」

 ドラゴンは、やたらとやさしげなこわでそのように言った。

 照れくさくなった咲弥は「にゃはは」とおかしな笑い声をあげる。

「そんな、まじまじと観察しないでよぉ。……おっと、シイタケが焦げちゃうね」

 咲弥はじゅわじゅわと水分のいてきたシイタケのかさの裏に塩を振り、しようを垂らした。それを口にしたドラゴンは、「ああ」と満足げに吐息をつく。

「これは、トシゾウが供してくれたものと同じ味わいだ。とてもなつかしく思う」

「そっかそっか。確かにあたしもシイタケをしいと思ったのは、じっちゃんとのキャンプが初めてだったなぁ」

 咲弥が笑うと、ドラゴンもまた楽しそうに目を細めた。

 咲弥がこのドラゴンと出会ってから、まだ三十分ていどしか経過していない。しかし咲弥はこのしゆんかんかれと同じ楽しさを共有できているのだと信ずることができた。



「それじゃあお次は、ホイル焼きだねぇ」

 空いた焼き網に輪切りのキャベツを並べてから、咲弥はたきだいで出番を待っていたホイル焼きを火ばさみで取り出していく。テーブル代わりにしているスチール製のグリルスタンドに包みを並べて、トングとチタン製のはしでアルミホイルを広げていくと、ジャガイモもナスもニンニクもニンジンも問題なく焼きあがっていた。

 オリーブオイルの香るジャガイモにはミルでいたブラックペッパーと塩を掛け、ナスには醤油を垂らし、ニンジンのみ『ほりこし』を振りかける。『ほりこし』はきわめてゆうしゆうな調味料であるが、そればかりを使っていたらみんな同じ味になってしまうのだ。さまざまな調味料の味わいを楽しんでこそ、『ほりこし』のありがたさはいっそう痛感できるはずであった。

「はい、出来上がりぃ。火傷やけどしないように気をつけてねぇ」

「大事ない。りゆう族たる我は、何より熱に強いのだ」

 ドラゴンはさっそくスポークをのばして、まずはジャガイモにき立てた。ほくほくのジャガイモをくずさない、ぜつみようの力加減である。そうしてオリーブオイルのしたたるジャガイモのスライスを食したドラゴンは、こらえかねたように背中をすった。

「こちらも、素晴らしき味わいである……塩と胡椒と油が舌の上でからみ合い、たえなる調べをかなでているかのようであるな」

「あはは。詩人だねぇ。ではでは、ニンニクのホイル焼きはいかがでしょう? こいつこそが、『ほりこし』のりよくの決め手だと思うんだよねぇ」

「うむ……これはまさしく、さきほど味わわされた調味料のちゆうかくを成す香りであるな。そしてこのジャガイモと似て非なる食感も、きわめて好ましく思う」

 何を口にしても、ドラゴンはごまんえつの様子であった。まあ、うろこおおわれた顔では表情の動かしようもないのだが――その目の輝きや身を揺する所作だけで、内心の浮かれあいが伝わってくるのだ。もともとがダンディで風格にあふれかえった存在であるので、なかなか愛すべきギャップであった。

 そんなドラゴンの姿をながめながらホイル焼きの料理を口にしていると、咲弥の心もいっそう深く満たされていく。半年ぶりのキャンプの楽しさが、ドラゴンのおかげでさらにブーストされたようである。それはまた、二年弱に及ぶ過酷な労働と祖父の死によってかわききっていた咲弥の心に、がしみこんでいくような心地であったのだった。

「……そんでさ、ドラゴンくんはいつ、じっちゃんと出会ったわけ?」

 咲弥がナスのホイル焼きにしたつづみを打ちながら問いかけると、ニンジンのホイル焼きをほおったドラゴンは「うむ」とげんしゆくにうなずいた。

「我がトシゾウと出会ったのは、今から一年と八ヶ月ほど前のこととなる。そちらのこよみでは、一昨年おととしの五月のちゆうじゆんといったあたりであろうかな」

「えー、マジで? あたしがじっちゃんと最後にキャンプを楽しんだのが、ちょうどそのころなんだけど」

「うむ。確かにトシゾウも、あと十日ばかり早ければ孫娘も立ちあえていたのだと語っていた」

 しみじみと語りながら、ドラゴンは最後のジャガイモを口に運んだ。

「しかし、その頃の我はまだこちらの世界の道理をわきまえていなかったのでな。トシゾウから、さまざまなことを学ぶことになったのだ」

「ふむふむ。そういえば、ドラゴンくんは日本語もぺらぺらだねぇ」

「否。これは、言語かいせきの術式の応用である。そちらの世界の言葉で言うと、自動ほんやくの機能が作用しているに過ぎん」

「ほうほう。それじゃあ、じっちゃんからは何を学んだのかな? こっちの世界の常識とか、法律とか?」

「否。そういったものに関しては山の外にまで感知のしよくしゆをのばし、不特定多数の人間の思考を走査することで知識を修めた。およそ一万名の思考を精査したので、大きなへんこうはないものと自負している」

 そんな風に言ってから、ドラゴンはふっと目を細めた。

「よって、我がトシゾウから学んだのは……山の中で生きるいんとん生活の楽しさというものであろうかな」

「あー、じっちゃんて、なんかせんにんみたいなふんがあったもんねぇ。あたしもそれに感化されたひとりだけどさぁ」

「うむ。トシゾウは、満ち足りた生を送っていた。そんなトシゾウとともに過ごすことで、我も満ち足りた心地を得られたのだ。それで我は異界の門を閉ざさず、この山においては二つの世界が正しく調和できるように調整を施した。そうしてこの地で、隠遁生活を送ることに相成ったのだ」

「そっかそっか。色々と納得できた気がするよぉ。……はい、キャベツ」

「かたじけない。……うむ。こちらも素晴らしき味わいであるな」

「うんうん。『ほりこし』はばんのうだからねぇ。そろそろスープも食べ頃かなぁ」

 咲弥はこぽこぽとえたつスープに塩とブラックペッパーを投じてから、半分ていどの分量をスモールサイズのコッヘルにうつえた。

「はい、どうぞ。なーんの細工もないコンソメスープだけど、悪くないと思うよぉ」

「かたじけない。……うむ、美味である」

「うんうん。寒い夜には、やっぱりスープだねぇ」

 白い息をきながら、咲弥は天をあおいだ。

 食事を楽しんでいる間にすっかり日は沈み、細かい宝石をちりばめたような星空が広がっている。咲弥がこんな星空を目にするのも、半年ぶりのことであった。

 しかし実のところ、半年前に行った最後のキャンプについては、記憶もおぼろげである。過酷な労働にぼうさつされていた咲弥はくたびれ果てた体にむちってキャンプをかんこうしたため、夜も早々にってしまったのだ。そうしてテントのどこではだん以上につかれが取れず、いっそうのろうかかみながら帰路を辿たどることになり――どうして自分はこんなことをしているのだろうというきようれつきよかんにとらわれてしまったのだった。

 よって、現在の咲弥がおもい浮かべているのは二年前のゴールデンウィーク、祖父と最後にキャンプをともにした日の夜のことである。

 その記憶は、今でも咲弥ののうにまざまざと刻みつけられている。祖父のゆったりとしたがおや、五月でもまだまだはださむい山の空気や、パチパチとはぜる焚火の音、二人で作りあげた肉じゃがの味――ごくありふれたキャンプの記憶が、咲弥にとっては特別なものになったのだ。今にして思えば、咲弥は生活が激変してからもあの日の楽しさを追い求めて、無理やりキャンプに出向き――そしてそのたびに、大きく失望していたのかもしれなかった。

(でも……逆に言うと、それで二年近くもがんれたんだろうなぁ)

 いずれ転職なり退職なりすれば、またあの日のようにキャンプを楽しむことができる――それが咲弥の、心のよすがであったのだ。

 そうして咲弥は、今日という日をむかえることになった。残念ながら祖父はとなりにいなかったが、その代わりに真っ赤なドラゴンがいつしよにキャンプを楽しんでくれている。もしも咲弥がドラゴンと出会わず、ひとりでキャンプに取り組んでいたならば、いったいどのような思いに至っていたのか――あまり、想像はつかなかった。

「……どうであろうか?」

 と、ふいにドラゴンの低い声がひびきわたる。

 ぼんやり星空を見上げていた咲弥は、夢から覚めたような心地でドラゴンのほうに向きなおった。

「まだまだ語るべき話は残されていようが、必要最低限の情報は提示できたように思う。……その上で、どうであろうか?」

「んー? どうって、何が?」

「……トシゾウは其方そなたにこの山を受けがせるべきか、最後までなやんでいた。ぜんある其方にこのようなものを遺すのは、むしろ迷惑であるかもしれないし……しかもここには、我のような異界の住人が住みついてしまっているわけであるしな」

 ドラゴンは真剣そのもののまなしで、そう言った。

「しかしトシゾウは、其方にこの山を受け継がせると決断した。其方こそが、この山の正統なるけいしようしやであるのだ。もしも其方が、この山の在りように不服があるのなら……我も、考えを改めねばなるまい」

 咲弥は、きょとんとしてしまった。

「よくわかんないなぁ。ドラゴンくんは、この山でスローライフを楽しんでるんでしょ? あたしが文句をつける筋合いはなくない?」

「否。こちらの世界におけるこの山には所有者も存在しないが、そちらの世界における所有者は其方であるのだ。それを勝手に改変する資格は、だれにもあるまい」

「いやいや。ここはあくまで、じっちゃんの山だよ。ただでもらったあたしが、あれこれ文句はつけられないさ。じっちゃんだって、ドラゴンくんが楽しく過ごせるようにいのってるだろうしねぇ」

 そう言って、咲弥はドラゴンに笑いかけた。

「それよりむしろ、心配なのはあたしのほうかなぁ。あたしはじっちゃんの家でちょぼちょぼぜにかせぎながら、キャンプざんまいの日々を送る予定だったんだよねぇ。あたしがあんまりおじやしちゃったら、ドラゴンくんはめいわくかなぁ?」

「そのようなことは、決してない。この山の新たな所有者が其方のような人間であったことを、我は心よりがたく思っている」

 そんな風に言ってから、ドラゴンはもじもじと身を揺すった。

「ただ……我には美味なる料理をけるすべもない。こうして其方の食事を分けあたえてもらえたら、望外の喜びであるのだが……」

「そんなの、全然オッケーだよぉ。あたしはもともと、じっちゃんとキャンプを楽しむつもりだったんだからさぁ。ドラゴンくんがおつきあいしてくれたら、あたしもうれしいなぁ」

 咲弥がのんびり答えると、ドラゴンは感じ入った様子で息をついた。

「其方がトシゾウに似ているのは、ねむたげに見える目つきばかりかと考えていたが……やはりその内面には、数多くの共通点が存在するようだ」

「眠たげな目つきで悪かったねぇ。……あたしとじっちゃんって、そんなに似てるかなぁ?」

「うむ。もちろん似ていない面も多々あろうが……我のような異界の存在をやすやすと受け入れる度量は、とてもよく似通っている」

「あはは。ドラゴンくんこそ、ダンディなところはじっちゃんにそっくりだけどねぇ」

 そのように答えながら、咲弥はキャベツの切れ端を口に運んだ。

「ま、何より嬉しいのは、こうやってじっちゃんのことを語れることかなぁ。今まで、そういう相手がいなかったからさぁ」

「うむ……しょせん我などは、二年足らずの交流であったがな」

「それを言ったら、あたしなんて二年近くもえんだったよぉ。……じっちゃんには、もっと長生きしてほしかったよねぇ」

 そんな言葉をこぼすなり、咲弥の目からも何かがこぼれそうになってしまった。

「おお、いかんいかん。湿しめっぽくならないように、宴の後半戦を開始しますかぁ」

「うむ? 食材はすべてきてしまったように見受けられるが」

「いや、うっかりこいつを出し忘れてたんだよねぇ。ドラゴンくんって、いけるクチ?」

 咲弥がクーラーボックスから缶ビールを取り出すと、ドラゴンはすぐさまひとみを輝かせた。

「それは、酒であろうか? トシゾウは、酒をたしなまなかったのだが」

「ああ、じっちゃんはいっつもノンアルビールだったねぇ。きっと心臓を悪くして、禁酒したんだろうなぁ」

 咲弥は缶ビールの蓋を開け、愛用のマグカップに半分だけ注いだ。

「アテは、さばかんで十分っしょ。あ、でも、ストローとかはないんだけど、ドラゴンくんはどうやって――」

 そのように言いかけた咲弥の鼻先に、ドラゴンの尻尾が差し出される。そこに巻き取られていたのは、銀色をしたチタン製のマグカップであり――黒くプリントされたブランド名も、咲弥のマグカップと同一であった。

「ほうほう。察するに、そいつもじっちゃんからのプレゼントだねぇ」

「うむ。其方もトシゾウに感化されて、そちらを買い求めたわけであるな」

 咲弥とドラゴンは、目を細めながら視線をわした。

「それじゃあ、二人の出会いを祝して……そして、じっちゃんのめいふくを祈って」

 同じ形状のマグカップをかちんと打ち合わせてから、咲弥とドラゴンはビールを口にした。

 かくして両名のキャンプ生活は、ここに幕を開けたのだった。