幕間 ~アトルとチコの憧憬~



「サクヤさまは、おとぎばなしのおーじさまのようなりりしさであったのです!」

「いえ! サクヤさまは、おとぎばなしのおひめさまみたいにきれーでかれんであったのです!」

 アトルとチコがそのように声を張り上げると、同じ食しよく卓たくを囲んでいた家族たちは一様にきょとんとした。その中で疑問の声をあげたのは、兄妹の母である。

「おーじさまとおひめさまでは、はんたいなのです。アトルとチコの、どっちがただしいのです?」

 アトルとチコは二人仲良く「えーとえーと」と頭を悩なやませた。

「チコのいうとおり、サクヤさまはおひめさまのようにきれーでかれんであったのです」

「でもでも、アトルのいうとおり、おーじさまのようにりりしかったのです」

「それでは、けっきょくわからないのです。サクヤさまとは、どのようなおかたなのです?」

 母の言葉に、兄妹は「うーん!」といっそう頭を抱え込んでしまう。すると、父が屈くつ託たくのない声をあげた。

「どちらにせよ、りっぱなおひとであることはたしかなようなのです。さすがはりゅーおーさまのごどーはいなのです」

「はい! サクヤさまは、とてもりっぱなおひとであったのです!」

「それに、つよくてかしこくてうつくしかったのです!」

 兄妹の言葉に、他の家族たちも安あん堵どの表情を覗かせた。魔まの山の新たな住人である咲さく弥やという人間族がどのような存在であるのか、みんな気にかけていたのだ。大切な家族であるアトルとチコを預ける以上、それは決して二の次にできない話であったのだった。

「アトルとチコには、くろーをかけるのです。でも、ふたりのおかげでみんなしあわせなせいかつをおくれているのです」

「とんでもないのです! じゅーよーなしごとをまかされて、ぼくはとってもこーえいなのです!」

「そうなのです! それに……りゅーおーさまもサクヤさまもおやさしいので、わたしたちはしあわせいっぱいいっぱいなのです!」

 兄妹のそんな言葉に、家族たちはいっそう表情を安らがせた。

 今から、およそ一年前――突とつ如じよとして、コメコ族の集落に竜りゆう王おうがやってきたのだ。魔の山に竜王が住みついたという話は周知の事実であったが、集落までは歩いて一日がかりの距きよ離りであるし、こちらの砂さ漠ばく地帯に竜王の関心をひくようなものは存在すまいと、みんな気楽に過ごしていたのである。それでいきなり竜王の来訪に見み舞まわれたコメコ族の面々は、誰もが一族の滅ほろびを覚かく悟ごしたわけであるが――竜王は火か炎えんの息い吹ぶきを吐はくこともなく、予想外の言葉を告げてきたのだった。

「突とつ然ぜんの申もうし出で恐きよう縮しゆくであるが、こちらの集落から二名ほど人手を借りることはかなおうか?」

 それは生いけ贄にえを差し出すべしという話であろうかとおうかがいをたてると、竜王は日輪のように輝く黄金色の瞳に苦く笑しようめいた色をたたえたものであった。

「我の悪名が轟とどろいていることは承知しているが、そのように無体な真似を申しつけることはない。あちらの山に畑を開くので、そこで働く人手が必要であるのだ。無論、十分な報ほう酬しゆうを支し払はらうつもりでいる」

 コメコ族は、畑というものを知らなかった。彼らは祖父母が幼子であった時代から、この砂の海の只ただ中なかで生きているのである。貴重な水場に集落を開き、キャメットを育てながら、デザートリザードを狩かる。あとは、デザートリザードの肉や革、キャメットの乳にゆう脂しや乳酒や乾かん酪らくを使って、時おり訪おとずれる行商人から塩や豆や布などを買いつけるのだ。それが、コメコ族の生活のすべてであった。

「畑とは、野菜を育てるための場である。其方たちは頑がん強きような肉体を持っているので、さしたる苦労ではなかろうかと思う。若くて力のある人間を二名ほど貸してもらえるならば、そちらで収しゆう穫かくした野菜を報酬として受け渡わたそう」

 その野菜という言葉も、コメコ族には馴な染じみがなかった。砂漠に生える希少な植物はのきなみキャメットの餌えさであったし、そもそもコメコ族が口にできるような味わいではなかったのだ。

「其方たちは砂の船にて訪れる行商人から、干した豆や果実などを買いつけているのであろう? 生鮮の野菜にも其方たちに必要な滋じ養ようが詰つまっていることは、すでに解かい析せき済みである。悪い取り引きではないはずなので、どうか前向きに考えてもらいたい」

 竜王はそのように申し述べていたが、そもそもコメコ族に拒こばむという選せん択たく肢しは存在しなかった。竜王の怒いかりを買ったならば、火炎の息吹のひとふきでコメコ族は全ぜん滅めつしてしまうのだ。それで、一族の中でもきわめて働き者であったアトルとチコの兄妹が涙なみだながらに捧ささげられることになったのだった。

 そして――コメコ族は、思わぬ幸いに見舞われることになった。アトルとチコは毎日のように連れ出されることになったが夜には無事に帰されたし、そしてしばらくののちには畑の収しゆう穫かく物ぶつという報酬が届けられたのである。

 それらはすべて、素晴らしい味わいであった。さらには美味なる果実酒まで届けられて、集落は喜びの思いに満たされることになった。そうして竜王が決して暴ぼう虐ぎやくな存在でないという事実を思い知ることになったのだった。

「りゅーおーさまのごどーはいであられるトシゾウさまというおひとも、すばらしいおひとがらであられたのです!」

「はい! さいしょはちょっとこわかったですけれど、トシゾウさまはとってもおやさしーのです!」

 アトルとチコもほんの数日ていどで、そんな風に申し述べていた。魔の山には人間族の老人も住まっており、それが竜王とともに畑というものを作りあげたのだという話であった。

 その歳とし三ぞうという人間族の老人は、しばらく前に魂たましいを返している。七十年という歳さい月げつを立派に生きて、天に昇のぼったのだ。アトルとチコからその事実を告げられた夜には、コメコ族の集落でも歳三の旅立ちを祝福する祝祭が開かれたのだった。

 そしてその後には、歳三の孫まご娘むすめである咲弥という娘がやってきて――アトルとチコは、ついにその人物と対面を果たすことになったわけであった。

「サクヤさまがりっぱなおひとで、なによりであったのです。アトルとチコはこれからも、いちぞくのためにがんばってほしいのです」

「はい! もちろんなのです!」

「サクヤさまとおあいできて、わたしたちもうれしーうれしーなのです!」

 そうして食事を終えた後は、家族みんなで眠ねむることになった。キャメットの脂あぶらで作った蝋ろう燭そくは無む駄だにできないので、日が暮れたらすぐに眠る習わしであったのだ。

 しかし、アトルとチコは同じ毛布をかぶりながら、なかなか眠ることができなかった。咲弥とは今日の朝方に別れたばかりであったので、まだその昂こう揚ようを引きずっていたのである。二人は他の家族たちの眠りを邪じや魔ましないように気をつけながら、いつまでも小声で語り合っていた。

「あしたのあしたには、またサクヤさまがきてくれるのです。ぼくはいっぱいいっぱいたのしみなのです」

「わたしもなのです。サクヤさまはおやさしいので、いっぱいいっぱいだいすきなのです」

 咲弥は歳三と同じように、いつでものんびり笑っていた。しかし、時としては御お伽とぎ噺ばなしで語られる王子様のように凛り々りしく見えたし、お姫ひめ様さまのように美しくも見えた。きっと腕わん力りよくなどはコメコ族よりも劣おとるぐらいであろうし、魔ま法ほうの類いも使えないようであったが、てきぱきと指示を下して自らも仕事に打ち込むその姿は、集落の族長よりも力にあふれかえっているように見えた。

 そんな咲弥の指示で作りあげた数々の料理は、とてつもない味わいであった。アトルとチコは歳三が作りあげる料理にも心から満足していたのだが、咲弥の料理はそれとも比ひ較かくにならないぐらいの出来栄えであったのだ。咲弥の料理にはコメコ族の知らない味がたくさん詰め込まれており、それを口にするだけで夢見心地になれたのだった。

「それに、きのうのよるもしあわせいっぱいいっぱいだったのです」

 うっとりと目を細めながら、チコはそう言った。昨日の夜は、咲弥が持ち込んだテントという小屋の中で眠ることになったのだ。

 もちろんかつては歳三も、アトルとチコをテントの中で眠らせてくれた。ただ昨晩は、咲弥が竜王の身に抱だきついており――アトルとチコもそれにならうべきではないかと申し述べてきたのだった。

「今日もなかなかの冷ひえ込みだからねぇ。ドラゴンくんが嫌いやじゃなかったら、どうだろう?」

「アトルとチコが望むのであれば、べつだん拒む理由はない」

 そう言って、ドラゴンは長い尻尾をしゅるりとのばしてきた。それでアトルとチコは、そのつやつやと照り輝かがやく尻尾の温ぬくもりに包まれて一夜を明かすことになったのだった。

「やっぱりサクヤさまだけじゃなく、りゅーおーさまもおやさしいのです」

「はい。りゅーおーさまにおつかえできて、わたしはしあわせいっぱいいっぱいなのです」

 そんな風に言い合いながら、兄きよう妹だいは毛布の中で笑え顔がおを見み交かわした。

 他の家族たちはすっかり寝ね入いったようであるが、アトルとチコがこの昂揚から脱だつして眠りに落ちるには、まだまだ時間が必要であるようであった。