幕間 ~竜王の安息~



 気づけば、咲さく弥やは竜王の身を抱いたまま眠ねむってしまっていた。

 咲弥と出会って、二度目の夜である。正確には、まだ夜と呼ぶほどの刻限ではないはずであったが、食事中に摂取したアルコールの影えい響きようであるのか、はたまたそれだけ安楽な心地であったのか――テントの中で竜王の身を抱きすくめた咲弥は、あっという間にすうすうと寝入ってしまったのだった。

(……本当に、サクヤは我のことを警けい戒かいしておらぬのだな)

 竜王は解析の術式をかけていないので、咲弥の真情というものを知らないままでいる。しかし、その真情を疑う気持ちにもなれないぐらい、咲弥は安らかな寝ね顔がおを見せていた。

(トシゾウも、きわめて特異な人ひと柄がらであったが……このサクヤも、まったく負けておらぬようだ)

 幼子のように安らかな咲弥の寝顔を見つめながら、竜王は出会いの日のことを思い出していた。

 あの日――竜王は小さからぬ緊きん張ちようと不安を胸に、咲弥のもとまでおもむくことになった。ついに、歳とし三ぞうに託たくした竜王の鱗うろこを携たずさえた人間が山中に踏み入ってきたのだ。よほど不測の事態が生じていない限り、それは歳三の孫まご娘むすめたる咲弥であるはずであった。

 生前の歳三から、咲弥については入念に聞き及んでいる。少しとぼけたところのある娘だが、決して自分より不出来な人間ではない――歳三は、そのように語っていた。

 しかし如い何かなる種族であっても、身内に対しては見る目が甘あまくなるものであろう。咲弥という娘が本当に歳三ほど立派な人間であるのか、竜王はそれが不安でならなかったのだった。

(この山の所有権は、トシゾウからサクヤに受け継つがれた。もしもサクヤが、我の居住を許さなかったら……我の平へい穏おんな生活も、これまでであるのだ)

 そうして竜王が鱗の気配のもとに降り立つと、そこに咲弥がいた。

 テントの前に設置した背の低い椅い子すに腰こしをかけて、ぼんやりと焚火の炎を眺めている。歳三から聞いていた通りの年格好であるので、これが咲弥であるに違いない。あちらはまだ異界の要素を感知できない状態にあるので、竜王は差し向かいの位置から思うさま検分させていただいた。

 竜王が歳三の談話から抱いだいていた印象よりも、ずいぶん秀しゆう麗れいな容姿をしている。まあ、人間族の容姿の美び醜しゆうなど竜王の知った話ではないのだが、まぎれもなく美人と称しようされる容姿なのだろうと察することができた。

 ただし彼かの女じよは歳三と大差のない男のごときいでたちをしているし、焚火をぼんやりと眺めるその目つきは歳三のように眠たげである。歳三はいつもこういう半分まぶたの下がった眠たげな目つきをしており、その穏おだやかな眼差しが竜王の心を安らがせてくれたのだった。

(……これはまさしく、トシゾウの血を受け継ぐ人間なのであろう)

 そのように確信した竜王は、解かい析せきの術式をかけたい欲求に強くとらわれた。歳三とそっくりの目つきをしたこの娘が、歳三と同じように好ましい人物であるのか――それを知りたくてたまらなくなったのだ。

 しかし竜王は、すんでのところで思いとどまった。いかなる種族であっても、勝手に心の奥おく底そこを覗のぞかれて楽しいわけがないのだ。歳三の言葉からそんな当たり前の真理を学んだ竜王は、今後懇こん意いになりたい相手の心は決して盗ぬすみ見まいと誓ちかうことになったのだった。

(人間族であれ竜族であれ、誰でも対等な立場から絆きずなを深めるべきであるのだ)

 そのように考えた竜王は、咲弥に異界の要素を感知する許しを与あたえた。

 眠たげな目つきで焚火を眺めていた咲弥は、けげんそうに周囲を見回す。すでに宵よい闇やみが下りているので人間族の目では周囲の様相も見て取れなかろうが、大気や大地の組成が変化したことを肌で察知したのだろう。魔ま法ほうの文明が発達していないそちらの世界の人間でも、それぐらいは気配で察せるはずであった。

 闇の向こうを見み透すかそうとするかのように眠たげな目をいっそう細めた咲弥は、小首を傾かしげつつ正面に向きなおる。それでようやく、竜王と相対することになった。

 そちらの世界には存在しない竜族の姿を目まの当たりにして、咲弥はぱちぱちとまばたきをする。

 そして――何事もなかったかのように、焚火の炎に視線を戻もどした。

 自分の姿が見えていないのかと、竜王も小さからぬ驚きに見み舞まわれる。しかし咲弥はしきりに首をひねりつつ、自分が目にしたものの意味を考かんがえ込こんでいる様子であった。

 そののちに、咲弥の眼差しがもとの穏やかさを取り戻す。何やら、思い悩むのを放ほう棄きしたかのようである。その豪ごう胆たんさに、竜王は舌を巻くことになってしまった。

(いやいや……竜族が目の前にいるのであるぞ? 何か、言うことがあろう?)

 しかし咲弥は、焚火の炎に目を落としたままである。

 なんとなく――この山で過ごす楽しさを、しみじみ噛かみしめている様子であった。

(……そうか。其方そなたは過か酷こくな労働に追われて、二年近くもトシゾウのもとを訪おとずれることがかなわなかったという話であったな)

 竜王は、そんな咲弥の大切なひとときを邪じや魔ましてしまったのだ。

 竜王は大いに反省して、自らも焚火の炎に視線を落とした。

 歳三は寡か黙もくな人間であったため、こうして無言で過ごす時間が長かった。そんなときも、竜王はこうしてともに焚火の炎を眺めていたのだ。それでも竜王は退たい屈くつすることもなく、大きな安らぎを得ることがかなったのだった。

 そんな風に考えていると、竜王の心からも不安や緊張や焦しよう燥そうの思いが溶とけていく。咲弥の超ちよう然ぜんとしたたたずまいと焚火の炎の美しさが、竜王の心をなだめてくれたようだ。そうして竜王は無意識の内に、念話のつぶやきをもらしていたのだった。

「……やはり、焚火とはいいものだな」

 咲弥はきょとんとした面持ちで、竜王の顔を見上げてきた。

 そうして竜王が焚火に対する自らの見解を申し述べると、その形のいい唇くちびるが初めて言葉を発した。

「……焚火ひとつで、ずいぶん仰ぎよう々ぎようしい言葉を並べたてるんだねぇ」

 その声には、やはり恐れの気持ちも警戒の気持ちも感じられなかった。

 そうして竜王は至し極ごく安らいだ心地のまま、咲弥と交流を深めることがかなったのだった。


 その夜は、咲弥からさまざまな料理でもてなされることになった。

 まあ、おおよそは食材を火にかけるだけの簡素な料理であったのだが、それらがいずれも素晴らしい味わいであったのだ。竜王は歳三の振ふる舞まう料理でも十分に心を満たされたが、咲弥の料理はそれ以上であった。

 とりわけ驚かされたのは、『ほりこし』なる調味料である。そこには塩と胡椒とさまざまな香こう辛しん料りようと、さらには鳥ちよう獣じゆうの骨肉から抽ちゆう出しゆつしたと思おぼしき成分が詰つめ込まれていたのだ。竜王はこれでも世界の王たる立場であったため、かつての王宮では美食をほしいままにできたわけであるが――そんな竜王でも感服するぐらい、その調味料の配合は完かん璧ぺきであったのだった。

(それに、おそらくは……サクヤの思いというものも付加されているのであろうな)

 調理の作業に励はげむ咲弥は、心から楽しげな様子であった。眠たげな目つきはそのままであるし、ことさら機き敏びんに動くわけでもないのだが、その所作のひとつひとつに喜びの思いがあふれかえっていたのだ。

 彼女は半年ぶりのキャンプだと言っていたので、それが何よりの喜びをもたらしているのだろう。

 だが――それより何より、咲弥は竜王との交流を楽しんでくれている様子であった。竜王が彼女の所作や『ほりこし』の味わいなどに感服するたびに、彼女も楽しそうに笑ってくれたのである。竜族と遭そう遇ぐうしてわずか数分でそれほど心のままに振る舞えるというのが、いっそ信じ難がたいほどであった。

 しかし解析の術式をかけるまでもなく、彼女が真情をあらわにしていることは信ずることができる。それぐらい、彼女はあけっぴろげであったのだ。彼女には、老成した落ち着きと幼子めいたあどけなさが等分に備わっているようであった。

 そんな咲弥が思いを込めて作りあげた料理であるから、これほどに美味であるのだ。

 顔も名前も定かではない宮きゆう廷てい料理人が作りあげる豪ごう奢しやな宴うたげ料理よりも、目の前で焚火の炎に炙あぶられる簡素な料理のほうが、竜王には得難く感じられる。そして、咲弥の真心というものが、『ほりこし』と同じぐらい鮮せん烈れつに竜王の胸を打つのかもしれなかった。

(本当に……其方は不思議な娘むすめ御ごであるな)

 追憶から覚めた竜王は、あらためて咲弥の寝顔を見つめた。

 シュラフという寝しん具ぐに下半身をもぐりこませた状態で、咲弥は竜王の身を抱きすくめている。咲弥は竜王の体温を求めてそのような真ま似ねに及およんでいるわけであるが、竜王のほうこそ彼女の温もりに満たされている心地であった。

 安らかに眠る咲弥は老成した落ち着きが抜ぬけ落ちて、ひたすら幼子のごときあどけなさをあらわにしている。人間族の二十二歳というのは立派な成人であるはずであったが、今の彼女は幼子そのものであった。

 しかしそれもまた、咲弥の素す顔がおであるのだろう。いまだに出会って数日しか経たっていない竜王は、咲弥のほんの一部分しか知らないのだ。

 これから咲弥は、竜王にどのような素顔を見せてくれるのだろう。

 そんな風に考えると、竜王の心はいっそうの安らぎにくるまれてならなかったのだった。