第一話 出会いの夜



1


 大おお津つ見み咲さく弥やは二十二歳さい、生物学上の分類は女で、やたらとマイペースな性格をしている他には特筆するべき個性も何もない、至し極ごく凡ぼん庸ような人間だと自じ認にんしていた。

 美人と称しようされることは多いが、残念と称されることはもっと多い。そしてどちらにせよ、咲弥にとっては関心の外である。咲弥は何より、他者からの評価というものに重きを置けない性しよう分ぶんであったのだ。

 いっぽう咲弥の両親というのはきわめて厳格な人ひと柄がらで、社会的な成功と洗練された生活と、それにまつわる他者からの評価というものを何より重視していた。それに感化された弟などは順当にエリート街道を突つき進すすんでいたのだが、咲弥はそういった事柄にもまったく関心を持てなかった。それで、両親の厳しい目をこそこそとかいくぐりながら、ひとりのほほんと生きてきたのだった。

 そんな咲弥にとって唯ゆい一いつの生き甲が斐いは、キャンプである。十歳の頃ころに祖父から手ほどきを受けて以来、咲弥はキャンプの楽しさにどっぷり浸つかることになったのだ。

 小学校を卒業するまでは長期休きゆう暇かのたびに電車とバスで三時間かかる祖父のもとに通いつめ、デュオキャンプを楽しんだ。中学校にあがってからは自転車で近場のキャンプ場まで出向き、高校からは原付バイク、十八歳になってからは中古の軽ワゴン車と、移動手段をグレードアップさせるとともにキャンプギアの充じゆう実じつをはかり、どんどんキャンプにのめりこんでいった。咲弥の青春はキャンプと資金集めのアルバイトがすべてであったと言っても決して過言ではなかった。

 そんな咲弥の人生に暗雲が垂れこめたのは、二十歳はたちの頃である。咲弥は一生フリーのアルバイターでもかまわなかったのだが、厳格なる両親がそんな気ままな生活を許すはずがなく、高校の卒業後はウェブデザインの専門学校に入り、そちらの卒業後にはそこそこ名の通った会社に就職することになったのだ。

 入社当初は、それでも問題なく過ごせていた。会社はそれなりに忙いそがしかったが土日の休みは確保できたので、週末には滞とどこおりなくキャンプを楽しむこともできたのだ。アルバイト時代よりは収入もいいし、いずれは有給も取れるようになるはずであるし、そんなに悪いことばかりではないかなと思えるほどであった。

 そうしてゴールデンウィークには田舎いなかの祖父のもとを訪おとずれて、二人で存分にキャンプを楽しみ――それから会社に出勤してみると、現場の主任が行ゆく方えをくらませていた。咲弥も前々から主任の生ける屍しかばねのような顔色を心配していたのだが、どうやら彼かの女じよは退職願も出さずに失しつ踪そうしてしまったようであった。

 それからは、もう地じ獄ごくの日々である。これまで主任が一身に背負わされていた苦労が、均等に配分されることになったのだ。咲弥などは入社二ヶ月目の新米社員であったにも拘かかわらず、身に余る大きな仕事を次から次へと丸投げされてしまったのだった。

 毎日の残業と休日出勤が当たり前の話となり、現場の社員が馬車馬のように働いても仕事が尽きることはなかった。そうして毎週のお楽しみであったキャンプが隔かく週しゆうとなり、月イチとなり、隔かく月げつとなり、ついにはシーズン中に一回行けるかどうかという有り様に成り果てて――咲弥は、肉体以上に心を削けずられることになってしまった。

 それでも咲弥が退職しなかったのは、親の目をはばかってのことである。三年も待たずに転職なんてとんでもない、というのが両親の揺ゆるぎない美意識と価値観であったのだ。咲弥は幼少の頃から親を失望させ続けてきたという負い目があったため、なかなか真っ向から歯向かう心持ちになれなかったのだった。

 そうして咲弥は「三年間だけ頑がん張ばろう」という指針を打ち立てて、会社の仕事に没ぼつ頭とうした。三年後にはまた存分にキャンプを楽しめるのだという思いだけが、咲弥の心のよすがであった。

 それから時間は、ナメクジが這はいずるようにのろのろと過ぎていき――入社二年目の年明けに、祖父が倒たおれたという一報が届けられた。

 祖父とは一昨年おととしのゴールデンウィーク以来、会っていなかった。時おり電話をかけることはあったが、あんまりへたばった声を聞かせたくなかったので、それも疎そ遠えんになりつつあったのだ。そんな矢先にやってきた、凶きよう報ほうである。咲弥は死しに物もの狂ぐるいで仕事の山を片付けて週末の休みを確保し、祖父が入院した病院に駆かけつけることになった。

「なんだ、ひどい顔色だな。きちんと食べているのか?」

 それが、病室における祖父の第一声であった。ベージュ色の病院着で白いベッドに横たわった祖父は、存外に元気そうである。それで咲弥はその場にへたりこみそうになるのを懸けん命めいにこらえながら、安あん堵どの思いを噛かみしめることになった。

「じっちゃんは元気そうだねぇ。いきなり倒れたとか聞かされて、びっくりしちゃったよ」

「うむ。わしはもともと、心臓が悪かったからな。それでも七十まで生きられたのだから、もう十分だ」

「なに言ってんのさぁ。仕事のほうが落ち着いたら、またじっちゃんとキャンプを楽しむつもりだったんだからね。百まで生きて、一いつ緒しよに楽しもうよ」

 咲弥がそのように言いつのると、祖父はもともと眠ねむたげな目を細めて「そうだな」と微笑んだ。

「そういえば、お前さんに渡わたしたいものがあったのだ。そこの引き出しを開けてくれるか?」

 咲弥がベッドテーブルの引き出しを開けると、そこには奇妙なペンダントがぽつんと置かれていた。紐の部分は黒いレザーで、トップには炎を封ふうじ込こめたかのような真紅の飾かざりがつけられている。爬は虫ちゆう類るいの鱗みたいなデザインであったが、こんな巨大な鱗を持つ生き物はこの世に存在しないのではないかと思われた。

「そいつは、魔ま除よけのお守りだ。お前さんがキャンプに出向くときは、そいつをつけていくといい」

「へえ。じっちゃんがそんなゲン担かつぎをするなんて、珍めずらしいね」

 祖父からプレゼントをもらったのは、中学時代におさがりのキャンプギアをいただいて以来となる。多た忙ぼうな日々で心が摩ま耗もうしていた咲弥は、うっかり涙なみだをこぼしてしまいそうだった。

「ありがとね。でも、キャンプに行くときは、じっちゃんも一緒だよ?」

 祖父はまた眠たげな目を細めて、「そうだな」と微笑んだ。

 そして――その三日後に、祖父は他界してしまったのだった。


◇


「――で、じっちゃんは田舎の家とこの山を遺産として、あたしに残してくれたわけだよ」

 咲弥がそのように締しめくくると、ドラゴンは「なるほど」とうなずいた。

「おおよそは、トシゾウから聞いていた話と一いつ致ちする。無事に其方そなたと巡めぐりあえたことを、トシゾウの魂たましいに感謝するとしよう」

 歳とし三ぞうとは、祖父のファーストネームである。ワークキャップをかぶっていた咲弥はそれを外してから、自分の頭を引っかき回した。

「やっぱりキミは、じっちゃんと顔見知りだったわけね。こいつのおかげで、なんとなく察してたけどさ」

 咲弥は防寒ジャケットの襟えりもとから、真紅の鱗のペンダントを引っ張り出した。

 ドラゴンは、悠ゆう揚ようとしてせまらず「うむ」と首しゆ肯こうする。

「我の鱗を身につけていれば、他なる魔ま物ものに襲おそわれる心配もない。それで親愛の証あかしとして、トシゾウに贈おくることにしたのだ」

「……他なる魔物?」

「うむ。この山にも、いくらかの魔物が暮らしているのでな」

 咲弥は頭をかきながら、周囲に視線を巡らせた。すっかり宵闇に包まれているので、あまり判然としなかったが――明らかに、これまでと様相が異なっている。空き地を取り囲む木々はうねうねとした奇き怪かいなシルエットを描えがき、その隙すき間まには正体の知れない人ひと魂だまのようなものが行き交かっていた。耳をすませば人とも獣ともつかない不気味なうなり声が響き、鼻には南国の果実を思わせる甘あまい香りがねっとりと忍しのび込んできて――心なしか、ただでさえ低かった気温がさらに下がったように感じられた。

「……キミが現れるまでは、こんな感じじゃなかったと思うんだけど」

「うむ。そちらの世界の住人は、我が許可を与えた者しかこちらの世界の要素を感知できないのだ。……今この山は、二つの世界が同期しているのでな」

「なるほど、わからん」と溜ため息いきをついてから、咲弥は上目づかいにドラゴンの顔を見た。

「まあとりあえず、キミはじっちゃんにプレゼントを贈るような間あいだ柄がらだったわけね。それでその……じっちゃんのことは……」

「うむ。トシゾウとは、別れの挨あい拶さつを済ませている。……トシゾウは、まことに気の毒なことであったな」

 ドラゴンは深い悲しみをこらえているような眼まな差ざしで、咲弥の視線を受け止めた。

「我もトシゾウにあらゆる治ち癒ゆの術式を施ほどこしたのだが、生来の病びよう魔まを和やわらげることはかなわなかった。力及およばず、無念の限りである」

「ああ、うん。そんな風に言ってもらえるだけで、じっちゃんも喜んでると思うよ」

 鼻の奥おくがつんと痛くなった咲弥は、それを振ふり払はらうために頭をもたげた。

「それじゃあお次は、そっちが説明してもらえるかなぁ? キミはどこからやってきたの? 二つの世界って、どういうこと? じっちゃんとは、どういうご関係?」

「うむ。その前に、ひとつ確かく認にんさせてもらいたいのだが……どうして其方は、これほど早々に参ずることができたのであろうか?」

 その言葉に、咲弥は首を傾かしげることになった。

「早々にって? もうじっちゃんの葬そう式しきから、ひと月ぐらいは経たってるよね。相続の手続きってあれこれややこしいから、こんなに時間がかかっちゃったんだよ」

「しかし、其方がやってくるのは数年後か、あるいは数十年後になるやもしれんと聞いていた。それがわずかひと月でやってきた理由を聞かせてもらいたく思う」

「……それって、そんなに重要なこと?」

「うむ。トシゾウの見み込こみが外れていたのなら、その理由は知っておきたく思うのだ」

 ドラゴンの黄金色の瞳ひとみには、きわめて真しん摯しな光が宿されている。

 咲弥はひとつ溜息をついてから、説明した。

「まあ、あたしにとっても予定外だったことは認めるよ。実はあたし、じっちゃんの葬式の喪も主しゆを受け持ったんだけど……あ、喪主ってわかる?」

「うむ。弔とむらいの儀ぎ式しきの取り仕切り役であるな」

「そう、それそれ。で、喪主を務めるからには、数日ばかり仕事を休むしかなかったんだけど――」

 咲弥は無理を言って、会社を欠勤した。そうして祖父を見送ったのち、重い足を引きずって出勤してみると――会社の社長が「こんな忙しい時期にくたばるとは、まったくはた迷めい惑わくなじいさんだな」と暴言を吐きかけてきたのだ。

「だからまあ、その場で退職願を書き殴なぐって、馬鹿社長の顔面に叩きつけてきたわけだよ」

「なるほど……それは、怒いかりを禁じ得んな。我も思わず、火炎の息吹を吐いてしまいそうだ」

「そうしたら、あたしが灰と化すだけだねぇ」

「うむ。よって、懸命に自制している」

 咲弥が見上げると、ドラゴンの目にはいくぶん楽しげな光が灯ともされていた。どうやら、冗じよう談だん口ぐちの類いであったようである。

「しかし、其方は気の合わない親との和を保つために、私心を排はいして過か酷こくな労働に従事していたのであろう? そちらに問題は生じなかったのであろうか?」

「えー? じっちゃんは、そんなことまでバラしてたのぉ? 案外、口が軽いんだなぁ」

「否。こちらもわけあって、仔し細さいを聞いておく必要があったのだ。トシゾウは、決して其方の存在を軽かろんじてはいなかった。それだけは、信じてもらいたい」

 ドラゴンの瞳が、にわかに真しん剣けんな光を帯びる。

 咲弥は「ああそう」と、もういっぺん頭をかき回した。

「まあ別に、隠かくすような話じゃないけど……お察しの通り、あたしが勝手に仕事をやめたもんだから、親どもは怒ど髪はつ天てんを衝ついてらっしゃったよ。じっちゃんの遺産も相続放ほう棄きさせようと躍やつ起きになってたから、余計にね」

「なに? それは、如い何かなる話であろうか?」

「えーっとね。じっちゃんは亡なくなる前に持ってる畑をみーんな売っぱらったから、家と山の他にもけっこうな遺産を遺のこしてくれたんだよ。でも、家とか山とかって所有してるだけで税金がかかるからさ。数十年単位で考えると、決してお得なだけの話ではないし……そもそも両親は大の田舎いなか嫌ぎらいだったから、そんなもんは絶対に相続するなっていうスタンスだったわけよ」

 ドラゴンはいっそう真剣な眼差しで、ぐっと身を乗り出してくる。

 その綺き麗れいな黄金色の瞳を見つめ返しながら、咲弥は言いつのった。

「でもさ、あたしだって頭にきてたんだよ。いくらじっちゃんと折り合いが悪かったからって、入院にも葬式にもノータッチなんて、ありえないっしょ? それでまあ、家庭内に大戦争が勃ぼつ発ぱついたしまして……あたしは家族と縁えん切きりして、じっちゃんの家に引っ越こしてきたってわけ」

「では其方は、トシゾウの家に移り住んだのであろうか?」

 ドラゴンの目が、びっくりしたように見開かれる。

 それが妙に愛くるしく思えて、咲弥はつい笑ってしまった。

「うん。あれこれ面めん倒どうな手続きにひと区切りついたから、今日の昼過ぎに引っ越してきたんだよ。で、しんぼうたまらなくなって、この山にまで出向いてきたの。何せこっちは、半年以上もキャンプを我が慢まんしてた身だからさぁ」

「そうか……そういうわけであったのだな」

 ドラゴンは大きく見開いていた目を細めて、また微笑むような仕草を見せた。

「相分かった。立ち入った話まで聞きほじってしまって、申し訳なかったな。読心の術をかけることは容易たやすかったが、其方の口から事情を聞かせてほしかったのだ」

「なんか怖こわいことをさらっと言われた気がするけど、納なつ得とくしてもらえたんなら何よりだよ。……じゃ、そっちの話を聞かせてもらえる?」

「うむ。もちろん、すべてを語って聞かせたく思うが――」

 と、ドラゴンは大きな体を小さく揺すった。何かに恥はじらっているような挙動である。

「ただ……其方と相対していると、我は空腹感をかきたてられてならんのだ」

「えええええ? この流れで、あたし食べられちゃうのぉ?」

「否。我は人間の作る料理というものを、こよなく好ましく思っているのだ。トシゾウからも、何度となく馳ち走そうしてもらったので……その孫まご娘むすめたる其方と相対していると、どうにも期待の思いを抑おさえられなくなってしまうのだ」

「あらそう」と、咲弥は脱だつ力りよくした。

「まあ今日はひとりで宴うたげのつもりだったから、食材はがっぽり積んできたけど……でも、さすがにキミの巨大な胃い袋ぶくろを満たせるほどではないかなぁ」

「大事ない。魔ま族ぞくにとっての食事というものは、心を満たすための行いであるのだ。生存に必要な魔ま力りよくは大地や大気から摂せつ取しゆしているため、物質としての食事は人間と同程度で事足りる」

「ふーん。だったらまあ、何とかなるか。実はあたしも、腹ぺこだったからさぁ。すっかり暗くなっちゃったし、とりあえず準備を始めますか」

「ありがたい。其方の温情に、心から感謝を捧ささげよう」

 そのように言い放つなり、ドラゴンの巨体が真紅の輝きに包まれた。

 咲弥は「どひゃー」と言いながら、目もとを手で覆う。それから、そろそろと手をどけてみると――体長五メートル強であったドラゴンの姿が、シベリアンハスキーていどのサイズに縮んでいた。

「わー、なになに? いきなりかわゆくなっちゃってぇ」

「人間の食事というものは、食感が重要であろう? 本来の大きさではその食感を正しく味わうことも難しいため、食事の際にはこの姿を取ることにしている」

 サイズが縮んでも、そのダンディな声音や立ち居振ふる舞まいに変わりはなかった。

 咲弥は「そっか」と、また笑ってしまう。

「じゃ、こっちも準備を始めるよぉ。お口に合えば幸いだねぇ」


2


 大型犬サイズのドラゴンに見守られながら、咲弥は調理の準備を始めた。

 とはいえ、必要な物資はすべて手もとに集めていたので、腰こしを上げる必要すらない。基本的に、キャンプの場では座すわったまま調理を進めるのが咲弥の流りゆう儀ぎであった。

 座面高四十センチのローチェアに対して、二台のローテーブルも高さは三十センチ弱となる。かたやウッド、かたやスチールで、後者は本来焚火の火にかけるグリルスタンドであったが、そちらは専用の焼き網あみたるグリルグレートを所有しているので、咲弥はテーブルとしてのみ活用していた。スチール製であれば火のそばでも安心して使えるし、熱した器具をそのまま置くこともできるので、なかなかに便利であるのだ。

 あとは、巨大なコンテナボックスとクーラーボックスに必要な物資はすべて詰つめ込まれている。グリルスタンドにはすでにバーナーをセットしていたので、焚火台に焼き網を設置すれば、もう事前準備は完かん了りようであった。

「でもさ、今日は遅おそいスタートだったから、手軽にバーベキューで済ませる予定だったんだよねぇ。それで問題なかったかなぁ?」

「うむ。トシゾウも、バーベキューは数多く手がけていた。この地では塩も香こう辛しん料りようも希少であるため、十分な馳走であるのだ」

「あー、じっちゃんはキャンプ料理もシンプル志向だったもんねぇ。じゃ、今日のメニューでもそれなりにご満足いただけるかなぁ」

 咲弥はコンテナボックスから、コッヘルを取り出した。直径十五センチほどの丸い容器に持ち手のついた、キャンプにおいてはもっとも基本的な調理器具である。深さ八センチていどのポットは小こ鍋なべとして、深さ四センチ弱のフタはミニフライパンや皿としても活用できる。さらに蓋ふたを開いたならば、ひと回り小さいスモールサイズのひとそろいが収納されていた。

 咲弥はラージサイズのポットにウォータージャグから水を注ぎ、バーナーの火にかける。丸いガス缶かんの上にゴトクを設置する、きわめてコンパクトなガスバーナーコンロである。この丸いガス缶はOD缶と呼ばれる寒冷に強いタイプの燃料であるため、火力の安定も申し分なかった。

「寒いから、スープぐらいは準備するねぇ。そのお口だと食べにくそうだけど、大だい丈じよう夫ぶ?」

「大事ない」と、ドラゴンは細長い尻しつ尾ぽの先せん端たんを咲弥の鼻先に突きつけてきた。そこに巻き取られていたのは、スプーンの先端が四つに割れていてフォークとしても活用できる、とても便利な食器カトラリー――いわゆるスポークであった。

「あれー? それって、じっちゃんのスポーク?」

「うむ。トシゾウからの贈り物となる。我にこちらを授さずけたのち、また同じものを買い求めたのだそうだ」

「そっかぁ」と頬ほおをゆるめつつ、咲弥はコンテナボックスから同じ品を引っ張り出した。今度は、ドラゴンが目を丸くする番である。

「其方も、同じ品を所有していたのであろうか?」

「うん。こいつはチタン製でちょっぴり値が張るんだけど、じっちゃんに借りたらすごく使いやすかったからさぁ。けっきょく同じのを買っちゃった」

「左様であるか」と、ドラゴンは丸くしていた目を細める。

 咲弥はいよいよ愉ゆ快かいな気分で、食事の準備を進めることになった。

「じゃ、ちゃちゃっと準備するから、ちょっとだけ待っててねぇ」

 咲弥はテーブルにカッティングボードとタマネギの準備をして、腰のベルトにさげていたブッシュクラフトナイフを鞘さやから抜ぬいた。そのステンレス製の刃やいばでタマネギの頭と尻しりを落とし、皮を剥むいて、薄うす切ぎりにする。数ヶ月ぶりのキャンプに備えてナイフの刃を研とぎなおしておいたので、切れ味も抜ばつ群ぐんだ。あとはニンジンをスライサーで薄く削そぎ、それらとともに顆か粒りゆうのコンソメをコッヘルの湯に沈しずめれば、スープの準備は完了であった。

「よしよし。お次は……こいつらか」

 咲弥は数ある食材の中から、ジャガイモとナスとニンニクを引っ張り出した。ジャガイモは芽を取り、ナスは縦に真っ二つ、ニンニクは頭と尻を落として皮を剥き、余りのニンジンは小さめの乱切りだ。それから一考して、ジャガイモを厚めにスライスした。丸ごと焼きあげるのも捨てがたいが、それではあまりに時間がかかってしまうのだ。

 しかるのちに、テーブルの上にアルミホイルを広げ、濡ぬらしたキッチンペーパーを敷しいたのち、スライスしたジャガイモをのせていく。バターの持ち合わせはなかったのでオリーブオイルをひと回しして、キッチンペーパーごとアルミホイルを固く巻けば、完了だ。ナスとニンニクとニンジンは、そのままアルミホイルに包み込んだ。

「……それは、如何なる準備であろうか?」

 そわそわと身を揺すっていたドラゴンが、興味深げに問うてくる。

 咲弥は火ばさみを手に取りながら、にっと歯をこぼした。

「この焼き網ひとつじゃ、スペースが足りないっしょ? だからこうして、同時進行でホイル焼きを仕上げるのさぁ」

 咲弥は火ばさみでアルミホイルの包みをつかみ、焚火台で燃える薪と炭のかたわらに添そえていった。

「よーし。いよいよ本丸だねぇ」

 咲弥は、残る食材を引っ張り出した。新たなタマネギ、粗あら挽びきウインナー、ピーマン、シイタケ、キャベツというラインナップである。ウインナーとシイタケはそのまま鉄てつ網もうの上に並べていき、それから二つに割って種を除去したピーマンと輪切りにしたタマネギを追加した。キャベツはスペースを取るので、あとのお楽しみだ。

「……塩や胡こ椒しようは、まだ使用しないのであろうか?」

 ドラゴンが真剣な声音で問うてきたので、咲弥はつい「ぬっふっふ」と笑ってしまった。

「準備はあるから、心配めされるな。……ところで、そっちの話もぽつぽつ聞かせてもらえないかなぁ? よくよく考えたら、まだあたしはキミの名前も知らないんだよねぇ」

「名前か……名前は、百年ほど前に捨ててしまったのだ」

「ええ? どうしてさぁ? 名前がないと、不便でしょ?」

「その時代の大きな戦いで、我はすべての同どう胞ほうを失った。この世に火竜族は我ひとりとなったため、個体を識別する名は不要となったのだ」

 そのように語るドラゴンは、とても穏おだやかな眼差しをしていた。

 咲弥は「そっか」と頭をかく。

「じゃ、そっちのみんなは、キミをなんて呼んでたのかな?」

「我は、竜りゆう王おうと呼ばれていた。その戦いに勝ち抜いた我は、こちらの世界の玉座に座ることになったのでな」

「……わお」

「しかし今は、玉座を捨てて出しゆつ奔ぽんした身だ。我のことは、其方の好きなように呼んでもらいたい」

「ふーん」と、咲弥は思案を巡らせた。

「じゃ、ドラゴンくんでいいや。竜王くんは、なんか堅かた苦くるしいからさ」

「…………」

「おやおや? ご不満でありましょうか?」

「いや……トシゾウもそのように我を呼んでいたので、いささか驚おどろかされただけだ」

 咲弥は、ドラゴンと一緒に目を細めることになった。

「安直なのは、血筋かねぇ。……あ、あたしも自己紹しよう介かいしてなかったけど、名前はじっちゃんから聞いてるのかな?」

「無論である。我もトシゾウと同じように、サクヤと呼ぶことを許されようか?」

 咲弥はますます心が和なごむのを感じながら、「うん」とうなずいた。

「ほんで? ドラゴンくんは、なんで王様をやめちゃったのかな?」

「それは、戦乱の絶えない世のありように嫌いや気けがさしたためとなる。百年の昔に我が王となり、すべての種族が平等の立場となったはずであるのに、魔族も人間族も亜あ人じん族も決して争いをやめようとしなかった。それを制圧するには、我も武力を行使する他なく……我は、自分が玉座についている意義を見失ってしまったのだ」

 そう言って、ドラゴンはいくぶん憂いげに目を伏せた。

 咲弥はトングで、焼き網の食材をひっくり返していく。

「そうして我は、別なる世界に旅立とうと決意した。そのために、新たな魔ま法ほうの術式を考案し……こうして、異界への門を開くことがかなったのだ」

「ふむふむ。で、この山は二つの世界が重なってるって話だったっけ?」

「うむ。異界への門を開くには、たがいの世界の一部を同期させるしかすべがなかった。言わば、この山そのものが門であるのだ。現在この山は、二つの世界の要素が融ゆう合ごうしている。その環かん境きようを安定させるのに、半年ばかりの時間がかかってしまったが……今では過不足なく機能しているはずだ」

「うーん。聞けば聞くほど、頭がこんがらがりそう……だけどまあ、ドラゴンくんたちの姿は、ドラゴンくんが許可した人間にしか見えないって話だったよね?」

「うむ。こちらの住人の姿ばかりでなく、変容し果てた動植物の姿も正しく感知することはできん。感覚の鋭い人間であれば、多少の違い和わ感かんを覚えることになろうが……何せそちらでは、魔法の文明が発展していないのでな。魔力を扱えないのであれば、我の結界を見破るすべもなかろう」

「うん。魔法だの魔物だのってのは、ファンタジーの世界だねぇ。ドラゴンくんは、まさしくファンタジー世界の住人ってことかぁ」

「うむ。しかし、ほんのわずかな差異で分ぶん岐きした並へい行こう世界に過ぎないのであろうな。そちらでは科学の文明、こちらでは魔法の文明が発展したが、ほんの数千年前まではさして変わらぬ歴史を歩んでいたのだろうと推察される」

「うーん、そっかぁ。……まあとにかく、ドラゴンくんも色々と大変だったんだねぇ」

 咲弥がそんな言葉で締めくくろうとすると、ドラゴンはいささかならず驚いた様子で身じろいだ。

「我はそちらの世界の住人にとって常識外の話ばかりを口にしているはずであるが……其方はまったく動じる気配も見せないのだな」

「あー、リアクションが薄くってごめんねぇ。自分で聞いておいて何だけど、あたしって細かいことは気にしないタイプだからさぁ」

「それでも、限度を超こえているように思うが……しかし今にして思えば、それはトシゾウも同様であったな」

「あはは。じっちゃんだったら『そうか』のひと言でおしまいにしちゃいそうだねぇ」

 祖父の面おも影かげを追いながら、咲弥は焦こげつく寸前になっていたウインナーを焼き網の端はしに寄せた。

「それじゃあお次は、じっちゃんとの馴なれ初そめなんかを聞かせてもらいたいところだけど……その前に、食たべ頃ごろになっちゃったねぇ」

 咲弥はコンテナボックスに手を突っ込み、とどめの品を取り出した。

「じゃじゃーん。こちらが本日のメインディッシュを彩いろどる最終兵器、アウトドアスパイスの『ほりこし』でございますぅ」

「……それは、我の知識にない存在であるようだ」

「うんうん。じっちゃんって、あんまりニンニクが好きじゃなかったみたいでさぁ。こいつに対しても、反応が鈍にぶかったんだよねぇ」

 咲弥はにまにま笑いながら、『ほりこし』の小こ瓶びんをマラカスのように振ってみせた。

「キャンプってのは、いかに装備を減らせるかが重要だったりするからさぁ。それでこういうアウトドアスパイスってもんが流は行やったみたいだねぇ。色んなスパイスに塩やら旨うまみ成分やらも配合されてるから、これひとつで料理の味が格段に跳はね上がるんだよぉ」