息を整えながら、カイウス様がつぶやく。

「だが、それでも……嫌な予感がしてならなかった。だから、様子を見にきたんだ」

「だからって、あなたがこんなところに……」

 皇帝その人が、子供や教師を救いに危地に身を投じる。かつて女王だった私にとって、それはとてつもない、あり得ない行いだと思えてしまった。

 私の言いたいことをすぐに察したのだろう、カイウス様は優しい目で私を見つめてきた。

「命の重さに、皇帝も子供も関係ない。みんな等しく大切なんだよ」

 しかしすぐに、その青い目に影が差す。

「けどな、この帝国の人間はそう考えていない。特に、偉い連中は。実力や運に恵まれた子供なら、多少の危機くらい自力で何とかして生き延びるだろう。たとえ死んだところで、また産めばいい。いまだに、そんな考えが残っているんだ」

 力こそ全て。強き者こそ正しい。だから、帝国は強くあらねばならない。昔の帝国には、そんな風潮があったと聞いている。そしてその考えのもとに、帝国は周囲の国々を次々と併合し、大きくなっていった。

 ゾルダーと一緒に、魔導士の塔から城下町を見下ろした時、似たような話を聞いた。彼もまた、帝国のさらなる繁栄を望んでいた。多くの民を豊かにし、幸せにするために。カイウス様の右腕だけあって、ゾルダーもカイウス様と同じような考えを持っているのだろうな。

「俺は皇帝として、そんな考えを変えていこうと頑張ってるところなんだ。……ま、そう簡単にどうにかなるようなものでもないけどな」

 カイウス様はそう言って、寂しげに笑った。

 彼が皇帝の座に就いたのが、四年前。それから帝国は、少しずつ変わっているらしい。

 どこの街にも、貧しい者、病める者、身寄りのない者などがいる。かつて、そういった者たちを助けるのは、各地を治める領主の仕事だった。だから地域によって支援にばらつきがあったし、それどころかそういった者たちが見捨てられている地域すらあった。

 しかしカイウス様はそういった者を支援するための法律を作り、設備を整えていったのだ。どこで暮らしていようと、等しく救いの手が差し伸べられるように。昔とは大違いなんだよって、以前に両親がそう教えてくれた。

 たぶん、そこまでの間にかなりの苦労があったのだろうな。彼は皇帝とはいえ、その周りには古い考えの人間がうじゃうじゃいるのだし。

「……カイウス様は、頑張ってるとおもいます」

「励ましありがとうな、ジゼル。でも結局今回も、ここが後回しにされてしまった。だから俺は、手っ取り早く自分で何とかすることにしたんだよ。……炎を吐く赤いドラゴンなら、俺の氷魔法で時間稼ぎくらいはできる。そう判断して」

 カイウス様はふうと息を吐いて、それから不思議そうに小首をかしげた。その視線が、私のすぐ隣に浮いている帰還の魔法陣に向けられている。

「それはそうとして、その描くだけ描いてほったらかしの魔法陣、どうするんだ?」

「あっ」

 ドラゴンの炎と氷の壁、それにカイウス様……次から次へと色んなことが起こり過ぎたせいで、気が動転してすっかり忘れていた。……カイウス様になら、事情を話しても大丈夫かな。

「じつは、この魔法陣であのドラゴンを帰還させられないかな、って……」

 そう打ち明けると、カイウス様の目が真ん丸になった。興味深そうに、もう一度魔法陣をまじまじと眺めている。

「理論上は一応可能、実際には限りなく不可能。そう言われてるやつだな。さすがは我が帝国が誇る天才少女、またとんでもないことに挑んでるな。いったいどうやって、その魔法陣を編み出したんだ?」

「これはわたしが編み出したんじゃなくて、ルルたちが提案してくれたものなんです」

 ちらりと背後を振り返ると、離れたところの芝の上で、ルルたちがぴょんぴょん跳ねていた。どことなく誇らしげに。

「ルルたちがやけに自信たっぷりなので、この魔法陣ならいけるんじゃないかなあ、って……」

 改めて言葉にしてみると、結構無謀だったかも。行き詰まっていたとはいえ、それだけの根拠でドラゴンに迫っていくなんて。

「よし、じゃあもう一度やってみようか。俺も援護する。駄目でもともと、気楽にな」

 しかしカイウス様は、即座にそう言い切った。私の迷いを、吹き飛ばすように。

 本当にこの人は、とんでもない。優先順位の低い子供を単身助けにくるし、ちっちゃな召喚獣の根拠もない提案を信じてしまうし。しかも、自分も手伝うつもりらしいし。

 でもそんなところが、頼りになる。

「……それじゃあ、お願いします。セティはうごけそう?」

「はい。矢はまだ十分にのこっています。短時間ドラゴンの気をそらすくらいなら、どうにかできそうです」

 三人で顔を見合わせて、同時にうなずく。もう一度氷の壁に向かって、身構えた。

「それじゃあ、いくぞ。一、二の、三」

 カイウス様の掛け声と共に、氷の壁が消える。まだスライムにまとわりつかれたままのドラゴンが、私たちを見て目を丸くしていた。そのドラゴンに向かって、まっすぐに走る。セティとカイウス様に両側を守られて、大きな魔法陣を掲げたまま。

 私たちのやろうとしていることを察したのか、スライムが動きを変えた。それまではドラゴンの全身にへばりついていたスライムがするすると下に移動し、足と翼、それに尻尾をしっかりと抑え込んだのだ。うっかりドラゴンが逃げてしまわないようにという気遣いらしい。

 しかしそのせいで、ドラゴンの口が自由になってしまった。ドラゴンはぶんと首を振ると、また炎を吹きつけてくる。怒っているらしい。……ううん、さっきと表情が違う気がする。もしかするとこの子、戸惑っているのかも。

「はは、これくらいどうということはないな!」

 すかさずカイウス様が氷の盾を掲げて、あっさりと炎を防いでしまう。

「きみのためなんですから、おとなしくしていてください!」

 それでもなお炎を吐こうとしたドラゴンの口の中めがけて、セティが矢を打ち込んだ。ドラゴンはとっさに口を閉ざして、それをやり過ごしている。

 そうやって二人が作ってくれた隙をついて、どんどんドラゴンに迫っていった。

 あと少し。あと三歩。あと……よし、今だ!

 魔法陣に両手を当てて、全力でドラゴンのほうに押し出す。

 ドラゴンの顔が、とても近くに迫っていた。ドラゴンはきょとんとした顔で、私と魔法陣を見つめていた。不思議と、もう怖いとは思えなくなっていた。

「お願い、もとの世界に、帰って!!

 魔法陣がドラゴンに触れた瞬間、そこからまばゆい光がほとばしった。

 とっさに顔をそらし、腕で目をかばう。それでもまだまぶしい。両足を踏ん張って、じっと耐えた。

 やがて、光が薄れてきた。ドラゴンは、もう影も形もなかった。それに、帰還の魔法陣も。捕まえていた相手が急にいなくなったからか、スライムがべちょっと平らになって芝の上に落ちていた。元の形に戻ろうとしていたけれど、さすがに疲れたらしくその動きはゆっくりだった。

 ほっとしたら、膝から力が抜けた。その場にぺたんと座り込んでしまう。

「ほんとに……できた……」

 ルルたちがわらわらと駆け寄ってきて、私の膝や肩の上でぴょんぴょんと飛び跳ねている。いつも以上にご機嫌だ。周り中から、ちいちいという鳴き声が聞こえてくる。

「大丈夫ですか!?

「怪我は……なさそうだな」

 セティとカイウス様が、私のそばで膝をついた。

「だいじょうぶ……色々あってびっくりしただけ……二人とも、ありがとう。それに、ルルたち、スライム、黒ヒョウたちも」

 芝の上に座り込んだまま、周りのみんなに声をかける。笑顔だったり鳴き声だったり体を揺らしたり、色んな返事がやってきた。

 それらに笑顔で答えていたら、向かいにカイウス様がどっかりと腰を下ろした。

「ところでお前たち、なんでドラゴンと戦ってたんだ? 状況からすると、召喚獣たちに後を任せて逃げられただろう?」

 不思議そうに見つめてくる彼に、セティと二人していきさつを説明する。

「……友達を助けにいって、それから召喚獣や城下町が心配になって離れられなくなった、か……健気すぎて泣けるぜ。騎士たちも少しは見習えってんだ。あいつら、『陛下の御身をお守りせよ』しか言わないんだよなあ。あの頭、中身入ってるのか?」

 カイウス様は、感心しながら盛大にぼやいている。

「あの……騎士って、そういうものだとおもいますよ」

 ぼそりと言葉を挟んだら、セティも苦笑しながらうなずいていた。

「まあいい、ドラゴンの問題は無事に片付いたんだしな。……ところでジゼル、さっきの魔法陣について知ってるのって、ここにいる者だけか?」

「はい。セティと二人だけで戦っていたら、ルルたちがあの魔法陣を教えてくれたので……」

 当のルルは、私の膝の上でくつろいでいる。目を細めて、ひげを風にそよがせて。

「そうか。そいつに聞いてみたいこともたくさんあるが……それはまた今度だな。だいたい、召喚獣と意思疎通ができていることすら伏せてるしな、俺たち」

 ルルの手旗信号について、カイウス様も知っている。ルルのリュックを見て目を輝かせていたカイウス様に、ルルは手旗で答えたのだ。『しごと、がんばる』と。そしてカイウス様はたまたまその手旗信号を知っていたらしく、さらに目をきらっきらに輝かせてしまったのだ。

 でも、このことはやっぱり内緒だった。「俺たちには召喚獣の事情をうまく説明できそうにないし、ルルがもっと人間の言葉に慣れて自分で説明できるようになるまで、隠しておこう」というカイウス様の一言によって。

「ひとまず、あの魔法陣についても秘密だな。細かい検証は後だ」

「それより、この状況をどういいつくろうか、それを急いでかんがえないといけませんね……」

 私とカイウス様の隣に、セティも腰を下ろす。三人で円陣を組むようにして、こそこそとささやき合った。

「……よし、じゃあその言い訳でいくか」

 やがて、カイウス様がそう話をまとめる。

「『俺たちがみんなでドラゴンを追い払おうとしていたら、ドラゴンが帝都の外のほうに飛んでいってしまった』だ。あの巨体が誰にも見つかることなく行方不明になったってのは若干苦しいが……帝城も混乱してるし、ぎりぎり通るだろう」

 その言葉に、私とセティ、ルルにウサネズミたち、それにスライムと黒ヒョウたちが一斉にうなずく。話し合いの最中に、全員集まってきていたのだ。

「でも、だいたいは本当のことをいっていますし!」

「……最後のところ以外は、ですが」

「そうだな。よし、それじゃあ俺は騎士たちが来る前に逃げ……ん? 何だこれ?」

 立ち上がりかけていたカイウス様が、首をかしげて何かを拾い上げた。それは、ほんのり透き通った、宝石のように美しい赤い板だった。大きさはだいたい、彼の親指の爪くらい。

「三つ同じものがありますね。はじめて見ました、これ」

「石にしては軽いんだよな。ひんやりした感じもしないし……やけに硬いし……」

「まさか、これって……」

 三人でカイウス様の手の上のものをのぞき込んで、小声でつぶやく。

「……ドラゴンの、鱗……?」

 そうして同時に、黙り込む。

「……どうしましょうか、これ?」

「魔導士の塔に持ち込めば、大喜びされるのは間違いないが……そうすると、さっきの言い訳が苦しくなるんだよな。どうやってドラゴンから鱗をもぎとったんだって話になるから。この面々だと、守るのは得意だが攻撃はそこまででもないし」

「だったら、わたしたちで分けてしまいませんか? ちょうど三枚ありますし、一人一枚ずつ」

 この鱗は偶然落ちたものではなく、あのドラゴンが置いていったものなんじゃないかなと、何となくそんな気がしていた。最後、まばゆい光の中にちらりと見えたドラゴンの顔には、いら立ちも怒りも浮かんでいなかった。どことなく、嬉しそうだった。だからきっとこの鱗は、私たちへのお礼なんだと思う。

「ああ、お前がそれでいいのなら。頑張ったご褒美といったところだな」

 さっさとそう決めてしまって、鱗を分け合う。しかしセティは、浮かない顔をしていた。

「……ぼくは、あまり役に立てなかったのですが……もらってもいいのでしょうか」

 すぐ隣に置いた機械弓に視線を落として、セティは深々とため息をついた。

「何言ってるんだ、お前も役に立ってたじゃないか。いい弓さばきだったぞ」

 カイウス様が朗らかに言い、黒ヒョウがセティの肩に大きな頭をすりつける。けれどセティは、顔を上げない。うつむいたまま、低い声でつぶやいている。

「でもぼくの機械弓では、ドラゴンに傷一つ負わせられませんでした。……やっぱり、もっともっと威力を上げたものを作らないと……設計図だけなら、もうできていますし……」

 小さなこぶしをぎゅっと握りしめるセティに、カイウス様があわてた様子で声をかける。

「おい、落ち着けセティ。さらに威力を上げるって、そんな物騒なものを持ち歩く気か? 見たところその機械弓は、既にそこらの剣より強いぞ。今回は少々、相手が悪すぎただけで」

「ですが、また似たような目にあうかもしれません。そして次は、もう助けがこないかもしれません」

 それでもセティは、強固に主張している。

「ゆっくり強くなっていたら、おそすぎるんです。やっぱり一刻も早く、力をてにいれないと……」

 焦りをにじませた彼に、カイウス様が静かに言った。

「守れなくて、後悔する。その気持ちは、嫌というくらい分かるさ」

 なぜだろう。その声が一瞬、泣きそうに聞こえたのは。

「でもな、力だけを求め続けたら……きっとその先に待つのは、破滅だよ。……だからこそ俺は、帝国を変えることにしたんだ」

 彼の言葉に、自然と前世のことを思い出す。父王は自分を守るための力を追い求め、他のものをないがしろにし続けていた。もっともその結果である破滅は、私の上に降りかかったのだけれど。

 セティも思うところがあるのか、唇をぎゅっと引き結んで黙り込んでしまった。

 そんな私たちを、カイウス様は無言で見守ってくれていた。けれどやがて、ふっと笑みを浮かべる。

「なあ、セティ。そもそも俺は、お前の知恵と勤勉さを買っているんだ。そんなお前を戦いに放り込むなんて、使い道が間違っていると思わないか?」

 快活なその言葉に、セティはきょとんとした顔でカイウス様を見つめた。そうして、困ったようにつぶやく。

「でも……それでも、ぼくは強くなりたいっておもってしまいます……これって、間違いですか?」

「さあな。それを判断するのは俺じゃなくて、お前だよ。ただ、そうだな……」

 すがるような目をしたセティに、カイウス様は笑いかけた。鮮やかな、見事な笑顔だった。

「自分が望むもの、目指すところ。その辺を忘れずにいれば、たぶん何とかなるんじゃないか? 根拠なんてないけどな」

「……ありがとうございます」

 そう言って、セティがぺこりと頭を下げた。彼の幼い顔にも、ようやく笑みが戻っている。

 張りつめていたこの場の空気が、ようやく和らいだ。と、カイウス様が何かに気づいたような顔で目を見張る。すっと立ち上がると、困ったように顔をしかめて小さくうなった。

「あ、まずい。あの鎧の音、騎士たちが来たぞ。今頃来るとか遅すぎるよな」

「相変わらず見事な耳ですね」

 前に帝城の中を歩き回った時のことを思い出してそう言うと、カイウス様は得意げに目を細めた。

「だろう? それはそうとして、逃げようにも運動場の出入り口は一つきり、そしてこの服装だと研究生のふりをしてやり過ごすのも難しいし……だったら、あれしかないな」

 にやりと笑って、彼はすっと胸元に手を当てる。

 次の瞬間、黒かった髪は美しいエメラルドグリーンに、青い目はきらきらとした金色に変わった。彼の、本来の姿だ。

 生気にあふれた軽妙な表情も鳴りをひそめ、堂々たる威厳に満ちた笑みがその顔に浮かぶ。

 たったそれだけのことで、『学園の研究生カイン』は『帝国の若き皇帝カイウス』へと姿を変えていた。……帝冠がないせいで、髪が一房跳ねてしまっているけれど。

「……見事ですね」

 セティが目を丸くして、カイウス様の変わりっぷりをたたえている。私たちが立ち上がってカイウス様のそばに控えたちょうどその時、騎士たちが運動場になだれ込んできた。剣を抜いたまま、統制の取れた足取りで。

 しかし彼らは、目の前の光景を見て立ち止まった。顔を完全に覆っている兜のせいで表情は分からないけれど、あれは間違いなく驚いている。だって明らかに、腰が引けているし。

 まあ、それも仕方がない。運動場の真ん中には大きなスライムがどっしり構え、その隣では翼の生えた黒ヒョウが二頭、互いに寄り添って昼寝している。そしてその横にいるのは、初等科の子供二人。さらに辺り一帯を、小さなネズミのような生き物の群れがうろちょろしている。

 これだけでも、彼らを驚かせるには十分だっただろう。ところがその子供のすぐ隣には、なんと皇帝陛下までもが立っていたのだ。ついさっきまで野良召喚獣が大暴れしていたはずの、この場に。

「へ、陛下!」

「どうしてこのようなところに!」

 うろたえつつも、騎士たちは剣を鞘に納め、一斉にひざまずく。

 あ、いけない。私たちがカイウス様と親しくしているのは内緒なんだった。だったらここは、私たちもひざまずくべきなのかな。そう思った次の瞬間、カイウス様がにやりと笑って片目をつぶってきた。そのまま立っていろ、と身振りで示している。

 それからカイウス様は、ゆったりと彼らに向き直った。

「面を上げよ。我は、学園で騒ぎが起きていると聞き、こうして足を運んだ。帝国の未来を担う子供たちに、万が一のことがあってはならぬ。そう考えたのだ」

 その言葉に、騎士たちの間に動揺が走った。それも無理はない。誰よりも優先して守られるべき存在が、よりによって最前線に出てきてしまったのだから。しかも、自分たちを連れずに。

「そうしたら、子らがドラゴンと戦っているところに行きあった。子らは、ドラゴンが城下町に飛んでいったら大変なことになると、自らの身をもって懸命に足止めしていたのだ」

 静かに語っていたカイウス様の声が、少しくぐもる。

「このような幼子が、健気に頑張っておったのだ。大人が助太刀にくるのを、ただひたすらに待ちながら。……助けが遅くなったことを、我らはわびねばならぬな」

 皇帝の重々しい言葉に、騎士たちが身をこわばらせた。

「そうして我らは怪我一つ負うことなく、ドラゴンを帝都の外へと追い払うことに成功したのだ。そちらがたどり着くより、ずっと前に」

 息を吞むようなかすかな音が、あちこちから聞こえてきた。そこにカイウス様が、とんでもないことを言い放つ。

「……もっとも我は、少々力を貸したに過ぎないが」

 続いて聞こえてきたのは、はっきりとしたどよめきのさざ波だった。騎士たちは皇帝陛下の御前であることも忘れてしまっているのか、せわしなく顔を動かし、私たちを順に見ていた。ルルを頭に乗せた私と機械弓を提げたセティ、それに周囲の召喚獣たち。

 ああ、みんな呆然としているなあ。兜の下の表情が見てみたい。きっと、すごい顔をしているんだろうな。そう思ったら、うっかり笑ってしまいそうになった。

 笑いをこらえようと騎士たちから視線をそらしたら、カイウス様の姿が目に入った。どうにかこうにか皇帝らしく悠然と構えているものの、口元がわずかに笑いの形に引きつっている。……自分は力を貸しただけっていうあの発言、騎士たちの反応が見たくてわざと言った気がする。

「さて、そちたちが来たのならちょうどよい。この場の調査及び後片付けを命ずる」

 小さく息を吐いて、カイウス様はそう言い放つ。そして、騎士たちにてきぱきと指示を与え始めた。そんな姿を見やって、そっと後ろに下がる。セティの袖を引いて。

「あの、セティ」

 ドラゴンと戦っている間から、ずっと気になっていることがあった。ずっとばたばたしていて聞けずにいたけれど、今なら。

「さっき、わたしの騎士がどうとか、そんなことを言っていなかった?」

 そう尋ねると、セティはぽっと頰を染めて、視線をそらしてつぶやいた。

「あ、はい。その、場の勢いで、つい……」

 けれど彼はすぐに姿勢を正し、私に向き直る。

「でもあの時、ぼくの頑張りが、ぼくの力がきみの役にたつのだと思ったら……いつもよりもずっと、いい動きができたんです。不思議な感覚でした」

 ほんの少しうっとりしたようにつぶやいてから、彼は小声で続ける。

「ぼくは前世の苦しみからのがれたくて、力を求めていました。でもそれだけでは意味がないのでしょう。さっきドラゴンと戦って、そしてカイウス様と話して、そう感じました」

「意味がないって、どういうこと?」

「きっとこのままだと、いくら力を得ても苦しみからは逃れられないのだとおもいます。カイウス様が言っていたように」

 この短い間に、セティの心境にも大きな変化があったらしい。驚きに目を見張りながら、彼の言葉に耳を傾け続ける。

「ぼくの望み……それは、考えるまでもなくはっきりしているんです。『エルフィーナさまを守りたかった』ただそれだけです。今となってはもうかなうことのない、そんな望み」

「……うん」

「きみはエルフィーナさまだったけれど、もうエルフィーナさまではない。それでも、ぼくにとって大切な存在であることはかわりありません」

 以前とは違う力強さが、その声からは感じ取れた。

「だから……その、きみの騎士になってもいいですか? ぼくの力で、きみを助けるのだという決意の証として。言葉遊びみたいなものですが、これはぼくが前をむいていくための、最初の一歩となるようなきがするんです」

 とても真剣な目で、まっすぐに私を見つめてくるセティ。そのまなざしの強いきらめきに一瞬見とれて、それから大きくうなずいた。

「うん。わたしはエルフィーナじゃないけれど、それでもいいならよろこんで」

 そうして、二人で笑い合う。子供のごっこ遊びのようなものだと分かってはいるけれど、それでもくすぐったかった。

 と、セティの表情が突然変わる。いつもは湖面のように澄んだ水色の目が、極限まで見開かれ、凍りついた。驚きと動揺を顔に張りつけ、彼は周囲の人ごみの一点を凝視していた。

 そのあまりに尋常でない様子にうろたえながら、彼が何を見ているのか探す。その視線をたどり、目を凝らして……そして私も、驚きに息を吞むことになった。

 かつて湖月の王国で、私を守ってくれたあの人の姿が見えた。私を力づけてくれたあの面影、記憶にあるものより年を取っているけれど、間違いない。

 周囲の騎士たち、兜を脱いで作業に取りかかっている彼らの中に、ヤシュアがいた。ああ、彼は生き延びていたんだ。

 胸がじんわりと温かくなる。滅びゆく王国から命からがら逃げだしたのだろう彼は、たった数年で翠翼の帝国の騎士となっていた。きっと、色々なことがあったのだろうな。でもさすがは、ヤシュアだ。

 私が、エルフィーナがふがいないせいで、彼にはたくさんの苦労をかけてしまった。生きてくれていて、よかった。

 懐かしさに目を細めていると、隣からうめくような声がした。

「……にい、さん……」

 それは、セティの声だった。そのとぎれとぎれの声には、まぎれもない恐怖と、そして絶望とがにじんでいた。