こう問いかけたら、ルルはぴょんぴょん跳んで『うん』と答えた。それから『にんげん、おもしろい』と返ってきた。なるほど、それでルルはほぼずっとこっちの世界で過ごしているのかな。

 それから、もう少しあれこれと話してみる。難しい言葉はつづれないし、ちょっとずつしか話を聞けないけれど、結構楽しい。両親がはしゃいでしまったのも、ちょっと分かる気がする。

 ルルはたまたま呼ばれたこの世界と、あと私のことが気に入って、もっと色々見てみたいと思ったらしい。ノートに永続化された魔法陣が描かれてからは、友達や親戚など、仲のいいウサネズミたちに声をかけて自由に出入りしているのだとか。ちょっとした、観光旅行気分で。

 そんなことを説明していたルルが、ふと背筋を伸ばした。かしこまっているような表情でぺこりと頭を下げて、また紙の上を跳び回る。

「『ないしょ、おねがい』……なにを内緒にしたいの、ルル?」

 ちちっ、と鳴いて、ルルがまた跳ねる。

「『るる、はなす』……えっと、ルルがこうやっておはなしできることが内緒なの?」

 するとルルは、ちっちゃな頭を縦に振った。それからはっとした顔になって、またぴょんぴょん跳び始めた。

「『せてぃ、ありあ、かいん、だいじょうぶ』……その三人には話してもいいってこと……? でも、こうやって跳ねておしゃべりしてたら、そのうちほかの人にもばれちゃうんじゃ……」

 眉間にしわを寄せてそう指摘したら、お父様とお母様、それにルルが同時に首をかしげた。

「確かに、言われてみればそうね」

「可愛いルルがぴょんぴょん跳ねていたら、嫌でも目立つしね」

「『こまった』」

「じゃあ、お話しするのはこの屋敷のなかだけ、にしたらどうかな?」

 そうすれば、目立つこともない。もうしばらく、この事実を隠しておける。ほっと胸をなでおろした次の瞬間、お父様が声を張り上げた。

「そうだ、もっと手軽に、もっとこっそりと意思疎通できる方法を探してみたらどうだろう?」

「あら、いい思いつきね、あなた。だったらひとまず、言語学の本を当たってみましょう」

「よし、そうしようか!」

 ちちっ!

 ぽかんとする私を置き去りに、二人と一匹は弾むような足取りで書斎に駆けていく。

「……まあ、いいか。ルルともっとおしゃべりできたら、素敵だし」

 考えてみたら私は、生まれ変わってからこのかた、楽しいこと、興味のあることを追いかけてきたのだった。今度こそは幸せになるんだっていう、そんな思いと共に。

 また何か騒ぎに巻き込まれるかもしれないけれど、それも楽しんでしまおう。

 そう割り切って、私もみんなの後を追いかけた。



 などと色々ありつつも、割と日々は平和だった。

 ある休日、私はアリアと一緒に買い物に出ていた。リボンやレースなどをたくさん取り扱っている、そんなお店に来ていたのだ。

「あっ、これ可愛い。ほらほらアリア、どう?」

 お店の人が出してくれたリボンを一本選び、アリアの髪にあてがってみる。そうして、二人一緒に姿見に向き直った。

「……可愛い、けど……少し、派手かも……?」

 幅が広くて、縁が花びらのようにひらひらした、優美な桃色のリボン。それはアリアの銀の髪に、とてもよく映えていた。けれどアリアは、恥じらって目を伏せている。

「こどものうちは、ちょっとくらい派手でもいいの。むしろそのほうが似合うくらい」

 ぐっとこぶしを握って、力強く断言する。

「小さいうちしか似合わないものって、あるのよ。だから今楽しめるものは、今のうちにたっぷり楽しんでおかないと」

「そういうものなの……? わたし、よく分からない……」

 アリアは全く実感できていないようだった。それもそうだろう。私だって、実際に体験していなければ、こんな風に思わなかっただろうから。

 前世の私、エルフィーナには、お気に入りのリボンがあった。前世の母が亡くなる直前、幼い私に贈ってくれたものだった。私は片時も、それを離さなかった。

 けれど体が大きくなってきて、子供から少女に、乙女に変わっていくにつれ、そのリボンはちっとも似合わなくなってしまった。それに気づいた時は、大いにしょんぼりしたものだ。

 そうして身につけられなくなったリボンは、宝石箱の底にそっとしまい込まれたままになっていた。あのリボンも、きっともうなくなってしまったんだろうな。リボンのほかには何も入っていなかったとはいえ、女王の宝石箱なんて、民たちの怒りが向くには十分な品だから。中身ごと叩き壊されたとしても、驚きはしない。

 ひとかけらの寂しさを押し込めて、にっこりと微笑む。

「そういうものだって、きいたことがあるの。それより、こっちのもすっごくアリアに似合ってるよ」

「……やっぱり、派手……」

 そうやってはしゃぐ私たちを、店員と他の客、そしてアリアの母が優しく見守っていた。

 アリアの母はアリアと似た面差しの、もっと儚げな女性だった。城下町に買い物にいきたいから付き添いをお願いします、と頼んだら、花が咲いたような笑顔でうなずいてくれた。あなたがアリアのお友達ね、いつもありがとう、という言葉を添えて。

 今日は、うちの両親はついてきていない。今日この店にいることも、ここで買い物をすることも、両親には内緒なのだ。

 こんな状況になっているのには、もちろん理由がある。もうすぐお母様の誕生日なので、内緒のプレゼントを贈ってびっくりさせようと思ったのだ。

 しかしさすがに、六歳の子供だけで買い物にはいけない。お金は心配いらないのだけれど、付き添いなしに出歩く訳にはいかないから。

 そうして困っていたら、アリアが協力してくれたのだった。「わたしのおかあさまについてきてもらって、二人で遊びにいくことにすれば、内緒でおかいものができるよ……」と言って。

 これで、付き添いの問題は片付いた。とはいえ、城下町のどこで何を売っているかなんて分からない。なので、たまたま私たちの特別研究を見物にきていたカインさんに相談してみた。すると彼は、すぐにいくつかの店を挙げてくれた。割と高級な、貴族の女性向けのお店を。「人気の店なんだよ」という言葉を添えて。

 どうやらカイウス様は、城下町についてかなり詳しいらしい。『カインさん』と初めて会ったセティとアリアは彼の大胆さと雰囲気の変わりっぷりに驚いていたけれど、彼の城下町についての知識の豊富さに、さらに驚いていたものだ。

「……それより、ジゼルはプレゼントをさがしにきた……んだよね……?」

「あ、そうだった。アリアに似合いそうなものがたくさんあって、忘れてた」

 両手に一本ずつリボンを持ったまま、アリアの言葉で我に返る。

 今まで両親の誕生日には、自分で描いた絵や手紙などを贈ってきた。召喚獣に分けてもらった綺麗な羽を添えたり、召喚獣たちに歌や踊りを披露してもらったこともある。

 でもそろそろ、もっとちゃんとしたプレゼントを探したかった。カイウス様に教えてもらったこの店は趣味がいいし、アリアのおかげでこうしてここまで来ることができた。

「今日はありがとう、おかげで、いいプレゼントがえらべそう」

 改めてお母様へのプレゼントを探しながら、隣のアリアに笑いかける。真剣な目でレースを見つめていたアリアが、こちらに向き直って首を横に振った。

「……ううん、わたしも街を見てみたかったから……それに、演劇同好会の役にもたつし……」

「アリアって、演出の担当よね?」

「うん。……でも、衣装担当の子たちに教えてあげられるから……こんなお店があるよって……」

 彼女が演劇同好会に入ったと聞いた時は驚いたけれど、案外うまくやっているようだった。初めて会った時は極端な人見知りだったアリアも、今ではごく普通の人見知りくらいで済んでいる。

「あのね……お礼をいうのは、わたしのほう……」

 ふと、アリアがそんなことを言った。私から目をそらし、もじもじしながら。

「あなたとセティが、お友達になってくれたから……わたし、ほかの子と関わってみようって、そうおもえたの……勇気をだして、演劇同好会にもはいれたの……」

「わたしたちは、あなたとお友達になりたいなっておもっただけ。むりやり追いかけていったのに、友達になってくれてありがとうね」

 そんな風にお礼を言い合う。どちらからともなく、くすくすという小さな笑い声が漏れた。

「……プレゼントをえらぶの、わたしも手伝おうか……?」

「うん、お願い!」

 そうして二人で、プレゼントを選び始めた。やがて、レースの縁取りがされた可愛いハンカチが数枚見つかった。気取っていないし、これなら普段使いにもできそう。それじゃあ、このどれかにしようかなと、改めて選び直しにかかる。

 その時、アリアがぽつりとつぶやいた。ひらひらきらきらな店内を見回して。

「……カインさん、どうしてこんな店を知ってたんだろう……?」

 カイウス様はこの店について「上質な割に値段はそこそこ、お勧めだが女性ものの下着なんかも売ってるから、セティは行かないほうがいいな」などと言っていたのだ。……だったらカイウス様は、なんでそんなところに足を踏み入れたんだろうか。私たち三人とも、そんなことを思っていた。

「……カインさんって、やっぱりとんでもない」

 彼女も既に何度か、『カインさん』と顔を合わせている。『皇帝カイウス』とはまるで違ったその様に、最近では驚くのを通り越して、ちょっぴり呆れているようだった。彼に対して、それだけ親しみを感じているということでもあるのだろうけど。

「……それにあの人、ジゼルのこと、とっても気に入ってる……」

「気に入られてるな、とは思うけど……そんなに?」

「うん。……はっきりとは言えないけど、ひとりだけ特別……みたいな……?」

 アリアの指摘に、言葉に詰まる。その言葉は正しいような、そんな気がしたから。

 カイウス様と初めて会ったのが二年前、わたしがまだ四歳の時。あれからあれこれと、よくしてもらっている。けれどこの前、市場の片隅で彼の前世の話を聞いてから、ずっと悩んでいる。どうして彼は、私にあんなことを話したのかな、と。

 そしてアリアはアリアで、何やら考え込んでいるようだった。

「…………もしかして……好き、とか……?」

「妹みたいな感じで?」

「ううん、女性として」

 気軽に尋ねたら、とんでもない答えが返ってきた。びっくりしたのを、笑顔でごまかす。

「まさかあ。それはないよ」

「そう……かな。だけど……」

 けれどアリアは納得いかないようで、きゅっと眉を寄せて首をかしげている。

「カインさんって、ジゼルのことを子供扱いしてない気がする。だから、特別……? はっきりとは言えないけど……」

 子供扱いしていない。その言葉には、ちょっと心当たりがあった。

 彼は初めて会った時から、妙に心に残る切なげな視線をこちらに向けていた。そして親しく話すようになってからは、まるで同世代の女性、一人前の女性に対する敬意と気遣いのようなものを、時折感じるようになった。彼のちょっとした言動、仕草に、そういったものがにじみ出ているように思えたのだ。

 でもそんなはずはないし、気のせいだろうなと思っていたのだけれど。アリアまでがそう言うのなら、本当に何かあるのかな。

「このまま、仲良くしてたら……いつか、謎もとける……かもしれない……」

「そうだね、たぶんこれからもしょっちゅう会うだろうし、わたしもカインさんのこと、もっとしっかり見てみる」

 ハンカチを並べて見比べながら、二人顔を寄せ合ってひそひそと話し合う。大人たちの微笑ましげな視線を感じながら。

「それにしてもアリアって、やっぱり賢いのね。わたし、カインさんのことをきちんと考えてなかった。……ただのとんでもない人って、そうおもってたから」

 小声でアリアをたたえると、彼女はちょっぴり得意げに笑った。

「……実はね、最近人間についてまなんでいるの」

 そして唐突に、そんなことを言い出した。

「わたしの夢は、いつか法務大臣になること。……そのためには、まず文官になって、それから裁判官を経験するのが、いちばん可能性がたかいんだって……」

「それって、こないだカインさんが教えてくれたんだよね」

「うん……陛下じきじきの情報だから、まちがいない……すごく、貴重……」

「陛下がおともだちになっちゃったっていうのは、もっと貴重だけどね」

 周囲の大人たちには絶対に聞かせられない、私たちだけの内緒話。くすりと笑って、またアリアが話し出す。

「だからわたし、すぐれた裁判官になろうっておもったの……。だったら、法律だけじゃなくて人のきもちも知らないといけないわねって、おかあさまが言ってた……」

「そうだね。わたしもそう思う」

 人の上に立ち、人を裁く存在。それには、ただ法律を厳格に適用するだけではなく、他者の心情をくみ取り、より柔軟に判断していく能力が必要とされるのだろう。

 今の私には、そのことがすんなりと理解できる。けれど前世の私は、果たしてそうできていただろうか。私は湖月の王国を保つのに必死で、王国を支える一人ひとりのことまで考える余裕がなかった。法にのっとって、迅速に淡々と片付けることしかできなかった。

 そうしているうちに、小さな不満が少しずつ降り積もって……そしてあの、内乱に……。

「だから、物語の本もよむようにしたの……」

 過去の記憶に取り込まれそうになった私を、アリアの穏やかな声が現実に引き戻す。

「……おばさまが、たくさんもってた。……その、恋愛の本……人のこころについて書かれた、すてきな本よ、って、色々かしてくれたの……」

 実家が遠いアリアは、母親と二人で帝都の親戚の屋敷に移り住んでいる。そこのあるじ夫妻は、物静かなアリア母子とはまるで違う、陽気で行動的な人たちだった。そしてどうやら、本の好みもかなり違っているらしい。アリアはとにかく難しい本が好きで、アリアの母は詩集をのんびり口ずさむのが好きだと聞いている。二人とも、恋愛の本には無縁だ。

「……けど、わたしたちの年で恋愛の本って、まだ早くない?」

 アリアは大人びていて賢いとはいえ、私と違って本当に六歳だ。恋愛ものの物語は、少々刺激が強いのではないか。ちゃんと読んだことはないから、具体的にどんなものなのか想像がつかないけれど。

「ちゃんと、子ども向けのをかりたから……大丈夫。こんど、ジゼルも読んでみる……? 学園にも、もっていってるから……」

「……うん。こんど、試してみる」

 そんなことを話していたその時、近くの棚に置かれていた一本のリボンが目についた。春の日差しのような優しい黄色の、レースのリボンだ。

 あれなら私の夕焼け色の髪にも、アリアの銀の髪にもよく似合うだろうな。それにこれはちょっと大人っぽいから、十年経っても使えるし。ふと、そんな考えがぷかりと浮かぶ。

「ね、ねえ、アリア!」

 ちょっぴり緊張しながら、リボンを指さす。

「あのリボン、なんだけど……かわいいと思わない?」

 アリアは一瞬ぽかんとして、視線を動かした。それから、力強くうなずく。

「素敵。……派手じゃない。わたし、ああいうの好き……」

「だったら、買って帰らない? その、わたしとあなたでおそろいにしてみるのも、いいかなって」

「うんっ!」

 返ってきたのは、とびっきりの笑顔だった。

 お友達との、おそろいのリボン。これはずっと私のお気に入りになるんだろうな。私が大人になって、リボンがすっかり古びてしまってからも、私は時々宝石箱からリボンを取り出して、子供の頃の思い出に浸るのだ。いずれ、リボンを私の子供や孫に見せる日がくるのかも。この日の思い出を語りながら。