やがて一年生たちが教師たちに引率されて去っていき、魔導士たちも塔のほうに引き上げ始めたその時。
ちちっ!
私が手にしていたノート、そこの表紙に描かれた魔法陣からにょっきりとルルが顔を出していた。今日は学園以外もあちこち歩き回るから、いったん異世界に帰っていてねって言ったのに。
「それは、前に君の屋敷で見た召喚獣か。相変わらず、自由気ままなことだ」
ちょうどペルシェと話していたゾルダーが、ルルの鳴き声でこちらを向いた。あ、ペルシェが不服そう。
「はい。今ではここから、出入りしてもらっています」
そう答えたら、他の魔導士たちもぞろぞろと寄ってきた。ノートの魔法陣に目をやって、驚きの声を上げていた。
「この魔法陣、永続化の魔法がかけられている……一年生で、ここまで召喚魔法を使いこなしているとは……」
「いや、ちょっと待て。この魔法陣、制約の魔法がかけられていないぞ!?」
「呼んでいるのは、比較的大人しく危険のない種族のようだが……それでも……」
そうして、魔導士たちが一斉に私に尋ねてくる。
「君はなぜ、制約の魔法を外しているのか!?」
「教本の注意書きを、忘れてしまったのか!?」
「あ、えっと、お願いしたら、けっこうきいてくれるので……なくてもいいかな、って」
「しかしそれでは、危険な目にあうのではないか!?」
「今のところ、だいじょうぶです」
そう言っている間にも、ルルはすぽんと魔法陣を飛び出して、私の肩で顔を洗っている。さらに次々と飛び出したウサネズミたちが、近くにいるセティやアリアによじ登って遊び始めた。それを見て、魔導士たちが絶句している。
出入り自由の召喚獣、しかもこの世界で何をするも自由。それでいて召喚主や周囲の人間と問題を起こすことなく、共存している。そんな芸当を、たった六歳の子供がやりとげている。その事実に驚いているらしい。
「彼女はジゼル・フィリス。四歳にして陛下の御前に呼ばれた、あの天才少女だ。それを思えば、これくらいは当然だろう。諸君らも、彼女に負けぬようせいぜい励むことだ」
すると、ゾルダーのそんな声が割って入った。魔導士たちはびしりと背筋を伸ばし、はっ! と一糸乱れぬ敬礼を返している。ちょくちょく会って話しているせいでつい忘れそうになるけれど、ゾルダーは魔導士長で、皇帝陛下の片腕なのだった。つまり、とっても偉い人。
つられて小さく敬礼をする私に、ゾルダーがかがみ込んで笑いかける。
「君は、優しい子なのだな。こんな小さな獣たちにも、情けをかけている」
彼の笑顔が、すぐ近くにある。穏やかなのに、厳しさをも感じさせる。
「だが時として、その優しさが命取りとなることもある。それだけは、覚えておくといい」
……それは、そうなのかもしれない。前世の私は、ただひたすらに民のことを思い、そのせいで死ぬことになった。女王となってすぐに、民も国も捨てて逃げていれば、エルフィーナはまだ生きていたかもしれない。
何も言えずに立ち尽くしていたら、ゾルダーがぽんと私の頭に手を置いた。
「ジゼル君。君は他の子供たちとは違う。その素晴らしい力、聡明なまなざし……君はそう遠からず、こちら側に来ることになるだろう。君と共に帝国の力になれる日を、楽しみにしている」
彼の笑みは明るくさわやかなものだったけれど、私はほんの少し胸が苦しくなるのを感じずにはいられなかった。

校外学習が終わってすぐ、私たち一年生に紙が配られた。そこには『同好会一覧』と書かれている。入学式の日に掲示板で見た剣術同好会も、そんな同好会の一つのようだった。
教師の説明によれば、同好会とは学園の初等科、一年生から六年生までが一緒になって行う活動で、それぞれが興味に応じて好きなものを選べるのだとか。週に二回、午後いっぱいを使った大掛かりな活動だとかで、内容も中々本格的らしい。
「剣術、馬術、舞踏……このあたりは定番ですね」
「……演劇、合唱、絵画……こういうのも、あるんだ……」
「他にも色々あるけど、魔法同好会はないのね。えっと『魔法についての活動を望む場合、高等科の魔法研究会に参加すること』か……」
魔法が使えるようになるのは、早くても十歳くらい、つまり五年生くらいだ。そもそも魔法の使い手自体も少ないし、魔法同好会を作るには人数が足りない。だから、高等科の七年生以上で組織される魔法研究会に交ざることになるのだろう。
「セティとアリアは、どこにするの?」
「そうですね……候補はいくつか見つけましたが、たぶんきみたちとは別のものになりそうな……」
「わたしたち、たいがいいつも一緒なんだし、同好会くらいは好きにえらびましょうよ。そうして、そこで学んだものを披露しあうの! 素敵だとおもわない?」
「いいですね、それ。でも、アリアは一人で大丈夫ですか?」
「怖いけど……頑張って、みる……」
そういう訳で、私たちはお互いに内緒で同好会を選ぶことにした。入会前の見学も、それぞればらばらに向かっていった。
この学園は、貴族の子女が学ぶ場であると同時に、子女たちの出会いの場でもある。ここで恋仲になって、そのまま婚約する者も少なくないとか。
普段の授業は同い年の者ばかりで集まるけれど、同好会は様々な年齢の者と知り合える。出会いの場としては、より重要だ。だから親の意向で同好会を選ぶ子も、それなりにいるのだと聞いている。
でもうちの甘々な両親は、そんなことはまったく気にしない訳で。
「ジゼル、君はどこの同好会に入るつもりなんだい? あれはもう二十年ほど前になるかな、自分が入る同好会を決めた時よりわくわくしているよ」
「あなたならどこに行っても、大歓迎されるに違いないわ!」
とまあ、こんな調子だった。なので私も、素直に一番気になる同好会を選ぶことができた。
「料理同好会に入ろうとおもうの。昔から、一度やってみたかったから」
自分の手で、料理を作る。それは前世の私が、女王になる前から抱いていたささやかな夢の一つだった。もちろんそれは、かなわぬ夢だったけれど。うっかり料理中に指でも切ろうものなら、料理人たちが罪に問われてしまうから。
でも今の私は、ごく普通の貴族の娘だ。これなら、料理に挑戦することも可能だ。本当は、もっと早くに両親を口説き落として、料理を習おうとした。うちの両親はちょっとだけ料理ができるし。でも二人とも、首を縦に振ってくれなかったのだ。まだ危ないから、もう少し大きくなってからねと、そう言って。
「料理同好会なら、医務室に回復魔法を使える魔導士が常駐しているから安心だね。私も何度かお世話になったものだよ。料理中に指を切ったとか、うっかり熱い鉄板をつかんで火傷したとか」
「あれ、パパって料理同好会だったの?」
「そうさ。そこで作った料理を剣術同好会に差し入れにいったのが、プリシラとのなれそめでね」
「一年生の私が一生懸命に竹の剣を振っていたら、『可愛いおじょうさん、運動の後は甘いものをどうぞ』って。当時四年生のレイヴン、すっごく大人に見えたのよ」
「あの頃の君、可愛かったなあ……もちろん今でも、とっても可愛いよ」
「パパ、ママ、娘の前で堂々とのろけないで……」
いつもとはちょっと違う話題で、それでもやっぱり楽しそうに大はしゃぎする両親をたしなめつつ、こっそりと決意する。料理同好会で頑張って料理を覚え、手料理を二人に食べてもらおう、と。
その時の二人は、いったいどれだけ大騒ぎするのかな。想像しただけで背中がむずむずしてしまう。けれどそんなことにも、幸せを感じずにはいられなかった。
そうしていよいよ、私たち一年生が同好会に参加する日がやってきた。
料理同好会に入会を決めたのは、今のところ私だけらしい。なのでセティとアリアに別れを告げて、学園に隣接する寮の厨房に向かっていった。ここが、料理同好会の活動場所なのだ。
「こんにちは、入会希望です……わっ」
そうして厨房に顔を出した私は、ずらりと並ぶ笑顔に面食らうことになってしまった。少し早めに顔を出したつもりなのに、もうそこには上級生たちが待ち構えていたのだ。それも、みんなとってもやる気に満ちた表情で。
「ようこそ、天才少女さん!」
ほんの少しふっくらした感じの少女が進み出て、私に手を差し出す。その手は柔らかく、心地よかった。彼女はまだ年若い少女だというのに、何だか母親のような雰囲気をたたえている。
「私はエマ・ラーラ、六年生。料理同好会の会長よ」
「一年生の、ジゼル・フィリスです」
ちょっぴり緊張しながら、ぺこりと頭を下げた。
「ええ、知っているわ。あなたは有名人だもの。学期末試験全問正解の天才三人組の一人だって。陛下にも謁見できたんでしょう?」
「そんな子が、よりによってこの料理同好会を選ぶなんて、思わなかったよ」
エマに続けて、他の生徒たちも口を開く。みんな親しみのこもった、優しい笑みを浮かべている。
「そうそう。ここって、貴族なのに料理がしたいっていう変わり者しか来ないから」
「新入生が来ない年もあるんだよね。まあ、そういう時は料理で釣って、よその同好会から引っこ抜いてきたりもするけど」
「『うちの同好会に移籍すれば、しょっちゅうおいしいものが食べられるよ』って甘い言葉をささやきかけてね。だから意外と、人数はそこそこ確保できてるんだ」
その言葉に、ぐるりと厨房を見回してみる。監督の教師が一人と、生徒が十五人くらい。割と気取らない、素朴でほっとする雰囲気の人が多い。厨房全体に、和やかな空気が流れている。
「あなた、料理は初めてよね。大丈夫、私たちみんな同じだったから」
「僕たちが料理を基礎からじっくり教えるから、安心してね」
「はい! あの、これからよろしくお願いします」
背筋を伸ばしてぺこりと頭を下げると、周囲から「可愛い!」という声が次々と上がった。両親に褒められるのはもう慣れたけど、初対面の相手にこう褒められると、それはそれで照れくさい。
ほんのり熱くなった頰をこっそりと押さえて冷ましながら、生まれて初めての料理に取り組む。笑顔であれこれと教えたがっている上級生に、ぐるりと取り囲まれながら。みんなで、おそろいのエプロンを着けて。
厨房の作業台の前に居並ぶみんなに、エマがほんわかした笑顔で呼びかける。
「今日は、クレープを作るわよ。簡単だから初心者でも作れるし、中身を変えればいくらでも味を変えられる。意外と、奥の深い料理なの」
彼女の指示に従って、小麦粉と牛乳、卵と砂糖をボウルに入れる。踏み台に乗って、こぼさないよう、慎重に計って……よし、できた。
今度は上級生たちにボウルを支えてもらって、中身を混ぜていく。両手でしっかりと、泡立て器を握りしめて。中身がちょっと跳ねて頰についたけれど、気にしない。そうやって頑張っていたら、ボウルの中身は、薄黄色のとろりとした液体に変わっていた。これが、クレープの生地になるのだ。
ボウルを抱えてかまどの前に移動すると、そこでは上級生たちがフライパンを温めてくれていた。ボウルをかまどのそばに置いて、おたまを手にする。
「もう油は引いたから、生地を流せるよ」
「生地はおたま一杯分、フライパンの真ん中にそうっとね!」
「急がなくていいよ、落ち着いて!」
そんな声援を浴びながら、そろそろと生地をフライパンに流していく。それから、フライパンを傾けて生地を全体に広げて……。
「そろそろ焼けてきたから、これで生地を裏返してね。手でつかんでもいいんだけど、初心者には難しいから」
エマがそう言って、フライ返しを渡してくれた。いったんフライパンを火から下ろして、焼き上がった生地をそろそろとはがしていく。不慣れなのもあって端のほうがちょっと破けてしまったけれど、何とかやりとげた。
裏面も軽く焼いたら、今度は皿に取る。よく泡立てた生クリームと小さく切った果物を載せて、包むようにしてぱたんぱたんと畳んだらできあがり。
「すごい、わたしにも作れた……」
できあがったクレープを前に、呆然と立ち尽くす。どうしよう、ちょっと泣きそう。昔からの夢がこんなにあっさりかなってしまって、嬉しくて。
一生懸命に涙をこらえていたら、急に拍手が聞こえてきた。袖で目元をぐいと拭って振り返ると、笑顔の上級生たちがぱちぱちと手を叩いているのが見えた。
「おめでとう、ジゼル。素敵な仕上がりじゃない」
「感極まって泣く子、多いんだよな」
「かっこつけちゃって、あなただって泣いてたうちの一人だったじゃない。でもやっぱり、初めて自分で作ると感動するよね」
「ほらほら、冷める前に食べてみて」
上級生にせっつかれながら、恐る恐るクレープをつかむ。まだほんのり温かくて、柔らかい。そうして、ぱくりとかじってみた。
皮のもっちりとした歯ごたえが楽しい。少し遅れて、生クリームのふんわりとした甘さと、果物のさわやかな甘酸っぱさがやってきた。
とってもおいしい。生まれて初めての料理が、こんなにおいしくできるなんて思いもしなかった。思ったよりは簡単だったし、両親にも食べさせてみたい。
「……もっと練習したら、家でもつくれるかな……」
ぽそりとそうつぶやいたとたん、上級生たちが満足げにうなずいた。彼ら彼女らがさっと左右に分かれ、その向こうからエマが歩み寄ってくる。
きょとんとしている私に、彼女は一枚の紙を差し出した。
「はい、これどうぞ。そのクレープのレシピよ。ずっと前からみんなで改良し続けてる、門外不出のレシピなんだから」
「門外不出……そんなものをもらっても、いいんですか?」
受け取った紙とエマの顔を交互に見ながらあわてて尋ねると、またみんなが一斉に明るく笑った。
「気にするなよ、エマが格好つけてるだけなんだ。ただ、これは俺たち料理同好会が代々受け継いできたものだから、大切にしてくれると嬉しい」
「そうね、料理はみんなで楽しむものだから。練習して、パパとママに食べさせてあげたらきっと喜ぶわよ」
「これからも、私たちみんなと一緒に料理を作って、腕を磨いていきましょう!」
「はい、ありがとうございます!」
紙を両手でしっかりと持って、感謝を込めて深々と頭を下げる。周囲から、また優しい笑い声がさざ波のように聞こえてきた。
それから私たちはみんなで、手分けしてクレープを山のように作った。中身も生クリームや果物だけでなく、焼いたベーコンや魚肉のオイル漬けに葉野菜を添えたもの、小さく切ったチーズを入れたオムレツなど、様々だった。
「よし、完成ね。それじゃあ、行くわよ!」
そんなエマの号令に続いて、私たちは厨房を後にする。クレープを積み上げた大皿を載せた数台のワゴンを押しながら。
こんなにたくさんのクレープ、どうするんだろう。みんなに聞いてみたけれど「すぐに分かるよ」といった感じの言葉ではぐらかされた。みんな、私が驚くのを楽しみにしているらしい。
ともかくこの量、私たちだけでは食べ切れないのは確かだ。かといって、たくさんの人に配るには少ないし。そもそも、早く食べないと傷んでしまう。持っていくとしても、どこか近くのはずだ……あ、そういえばお父様が、差し入れがどうのこうのと言っていた。だったら、これってもしかして。
そこまで考えたところで、目の前がぱっと明るくなった。薄暗い廊下から、開けた場所に出たのだ。砂色の地面と灰色の壁、重い木の扉だけの殺風景な広場だ。
布でできた防具を身につけた生徒たちが、竹と布でできた細身の剣を振り回して打ち合っている。じゃり、という砂を踏みつける音が、あちこちから聞こえてきた。
ここは確か……鍛錬場だったかな。入学してすぐに案内してもらったけれど、それ以降足を踏み入れたことがないのでうろ覚えだ。そもそもここって、もっと上の学年にならないと使わないし。
その時、鍛錬場にいた生徒の一人が足を止めてこちらに向き直った。
「おっ、料理同好会が来たぞ!」
この上なく嬉しそうなその言葉に、他の生徒たちが同時に剣を下ろす。
「待ってました! さっきから、お腹が鳴って困ってたんだ」
「みんな、休憩にしよう! おやつの時間だ!」
「その前に、手を洗ってきてね!」
エマが軽やかに叫ぶと、生徒たちがはしゃぎながら広場の奥にある扉の向こうに消えていく。
「さっ、今のうちに支度してしまいましょう」
その号令に、料理同好会のみんなが手慣れた動きでワゴンを広げ始めた。このワゴンには天板や脚がしまい込まれているので、それらを引っ張り出して組み立てれば、あっという間にちょっとしたテーブルに早変わりするのだ。
その動きを目で追いながら、エマに尋ねてみる。
「あの、さっきここにいた人たちって……」
「ああ、剣術同好会のみんなよ。今日はここに、おやつの差し入れ」
皿をテーブルの上に並べ、ついでに持ってきたナッツやクラッカーなんかも添えて、準備は終わりだ。
「鍋料理とか、たくさん作ったほうがおいしくできるものもあるのよ。でもそうすると、私たちだけでは食べきれないから」
「だったら最初から、あちこちに配ること前提でたくさん作ってしまおうって、昔々の先輩たちがそう決めたんだ」
「私たちの差し入れ、かなり好評なのよ」
そんなことを話していたら、手洗いを済ませた剣術同好会の人たちがわっとワゴンに押し寄せてきた。その中に、セティを見つけて歩み寄る。
「セティ。あなたは剣術同好会にはいったの?」
「はい。ついていくのがやっとですが。きみは料理同好会ですか。おいしそうですね」
「うん。私たちみんなで、頑張ってつくったの。はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
クレープを受け取って、セティはにっこりと笑った。たっぷりと鍛錬していたらしく、頰は赤らんでいるし、いつもくるくるふわふわしている栗色の髪は汗で額に張りついてしまっていた。
「……剣術同好会、か。やっぱり、強くなるため?」
「それもあります。けれどこうやって鍛錬をしていると、なんだかおちつくんです……前世のぼくも、剣をふるっていたのかもしれません」
その言葉に、またふと疑問がよみがえってくる。やっぱりセティは、湖月の王国の騎士団長ヤシュアなのかな、と。……顔は、確かに似ている。でも態度や雰囲気はまるで違う。それは、セティが前世の記憶を持っていないからかもしれないけれど。
そんな思いをしまい込んで、にっこりと笑いかける。
「だったら、剣術同好会に入ったのは正解だね。ほら、クレープたべてみて」
「はい、ぼくもそう思ってるところです。それでは、いただきますね」
大きく口を開けて、セティがクレープにかぶりつく。それからぱっと、顔を輝かせた。
「ふふ、とてもおいしいです。料理同好会が時々差し入れにくるとはきいていましたが……まさか活動初日に、こんな素敵なものをもらえるなんて」
「まだまだ色んなレシピがあるから、差し入れも毎回かわるんだって。わたしも頑張って料理を覚えるから、楽しみにしててね」
「ちょっと、あなたたち!」
二人で和やかに話していたら、いきなり不機嫌な声が割って入った。
「特別研究の時だけでなく、同好会でも二人っきりなんてどういうことですの!」
振り返ったら、怒りに顔を真っ赤にしたイリアーネが立っていた。他の剣術同好会の面々と同じ服装だけれど、汗はきれいに拭き取られ、動きやすいよう頭の上で束ねられた髪も、少しの乱れもなく巻き上げられている。
たぶん、休憩時間になったのをいいことに身だしなみを整えにいって、戻ってくるのが遅れたのだろう。もっとも差し入れはまだまだあるし、それくらいで食いっぱぐれることはない。
しかし彼女は、一人だった。いつもの取り巻き二人の姿は見えない。
イリアーネはさっそく私とセティの間に無理やり割って入り、いつものようにきゃんきゃん吠えている。貴族が飼っている小型犬に似ているなあなどと思いながら、考えを巡らせた。
そもそも剣術同好会は、圧倒的に男性のほうが多い。……お母様が剣術同好会だったというのは、なんだか納得がいくけれど。あの人、とっても活発で元気だし。
しかしイリアーネは普段からおしとやかで、そもそも運動はあまり得意なほうではない。しかも彼女は貴族の中でもかなり上の侯爵家の令嬢だから、ダンスより激しい運動をする必要なんてない。まして、剣術なんて。
……彼女ってやっぱり、あなたを追いかけてきたの?
視線だけで、セティにそっと問いかける。
はい。ぼくが入会届を出そうとしたら、ずっとついてきたんです。
セティも無言で、苦笑を返してきた。
イリアーネは、相変わらずセティにぞっこんだ。しかしそのためだけに、わざわざ剣術を学びにくるなんて。それも見た感じ、彼女も真面目に稽古をしているようだった。セティに追いつきたいのか、セティにいいところを見せたいのか、その辺りは分からないけれど。
ああ、可愛いなあこの子。微笑ましいなあ。
大急ぎでクレープをもう二つ取ってきて、セティとイリアーネに渡した。
「じゃあわたし、料理同好会として他の人にも差し入れをくばってくるから。二人とも、ゆっくりあじわってね?」
にっこり笑って、そう宣言する。セティがほんのちょっと困ったような顔になり、イリアーネがぱっと顔を輝かせた。とびきりの笑顔で、セティに向き直っている。
セティが戸惑うのも、分からないでもない。彼にとって彼女は、まだまだ子供だ。……でもあと十年もすれば、彼女も素敵なレディになるだろう。案外お似合いかも。
仲良くお喋りする二人の声を背中で聞きながら、軽い足取りでワゴンに向かっていった。
ちなみに次の日、さっそくクレープを両親にふるまってみた。両親は文字通り感涙にむせびながら、次々とクレープを平らげていた。
そしてそれ以上に、ルル率いるウサネズミたちもクレープが気に入ったようだった。料理に毛が入ったら大変なので、料理同好会の時は全員異世界に帰ってもらっていたのだ。それで仲間外れにされたと思ったのか、昨日からルルたちはちょっとご機嫌斜めだったのだ。
「ごめんね、でもまたこうやって、おいしくて面白いものを作るから」
ほぼ草食のルルたちに合わせて、新鮮な葉野菜をくるんだ小さなクレープ。それをちっちゃな両手でしっかりとつかみ、もしゃもしゃと食べながら、ルルはちゅっと満足げに鳴いていた。
料理同好会は、とても精力的に活動していた。あちこちの同好会に差し入れをして回ったり、既存のレシピを改良したり、料理の本を読み
そうして今日も、私たちはワゴンを押して学園の中を突き進んでいた。目指すは学園の一角にある、小ぶりの劇場。舞台と客席がきちんと作られていて、演劇などの同好会はここで練習の成果を披露するのだ。
「こんにちは、料理同好会です!」
「おやつの差し入れに来ました! 焼きたてのマフィンと、あったかいお茶です!」
劇場の裏手から入ると、そこは広く飾り気のない部屋になっていた。しかし壁際には、質素な大机や木の棚などがずらりと並んでいて、部屋のいたるところにかつらや小道具なんかがこれでもかというくらいに置かれている。かなり、ごちゃごちゃした雰囲気だ。
私たちの明るい声に、練習中の演劇同好会の人たちが一斉にこちらを向いた。手にした台本やら何やらを置いて、わらわらと駆け寄ってくる。
その人たちの向こう側に、アリアの姿が見えた。両手で持てるくらいの箱を、慎重に机に置いている。
「あ、ここにいたんだ!」
マフィンとお茶を持って、人をかき分けるようにしてアリアに近づく。
アリアはどこの同好会に入ったのか、いくら聞いても教えてくれなかった。そのうち分かるから、今は内緒。そう言って。
「初公演の時に、明かそうとおもってた……でも、差し入れが先にきちゃったね……」
「……子供が苦手なアリアが、みんなで活動する演劇同好会に入ってるって、なんだかちょっと不思議な感じ」
声をひそめてそうつぶやくと、アリアはお茶の香りをかいでくすりと笑った。
「上級生なら、まだ大丈夫……それに、わたしも他人に慣れないと……あと、演劇に興味もあったから……」
「分かる! 舞台に立って別の人間を演じるのって、楽しそうだよね!」
「ううん、わたしは裏方志望……目立つの、いや……」
それもそうか、とちょっぴり拍子抜けしつつ、さっきから気になっていたことを尋ねてみる。
「ねえ、その箱って何?」
アリアが置いた箱は、さっぱり訳の分からないものだった。表面は金属で、複雑な模様が彫り込まれている。そして箱のあちこちが、うっすらと光っていた。
「……操作盤。魔導具の一種なの……」
魔導具とは、魔法の力を有する道具だ。魔法が使えない者であっても、魔導具を特定の方法で操作することで、中にこめられた魔法を発動させられる。一部の魔導士たちだけに作り方が伝えられているもので、一般にはほとんど流通していない。学園では、時々見かけるけれど。
「この操作盤には、光と風の魔法がこめられているの……。これ一台で、舞台全体の背景と、それに音の演出ができる……」
「それって、責任重大だね。一年生でそれをまかされるって、すごいね」
「わ、わたし、物覚えはいいから。……このマフィン、おいしい」
私の素直な感想に動揺したらしく、アリアが照れ隠しとばかりにマフィンを頰張った。そうして、年相応の愛らしい笑顔を見せている。
「家で食べるのより、おいしい……」
「そう言ってもらえると嬉しいな。料理同好会が長年に渡って研究した、特製のレシピなんだ」
「……すごいね。だったらこっちも特別なもの、みせてあげる。マフィンのお礼。こっち、きて」
アリアはそう言うと、操作盤を手にして歩き出した。よく見ると、彼女が向かう先、部屋の奥には木の小さい階段がある。そこを上がると、舞台袖に出た。高いところから、分厚いカーテンが何枚も吊るされている。その間から、何もないがらんとした舞台が見えていた。
「……舞台の真ん中で、待ってて」
言われた通りに舞台の真ん中に進み出て、振り返る。アリアはカーテンの陰で、何やらごそごそと準備を整えているようだった。操作盤についていたベルトを首にかけ、操作盤を胸の辺りで構えている。そうして、ちょうどピアノでも弾いているかのような手つきで、アリアは操作盤に触れ始めた。
次の瞬間、私は青い世界に立っていた。
床には透き通る深い海の青が、壁には明るい空の青が広がっていた。どこからか、ぱちゃん、ぱちゃんと波の音がする。上から降り注ぐまぶしい光が、波をきらきらと輝かせていた。目を凝らすと、青の向こうに舞台袖がうっすらと透けて見えている。アリアがそこで、楽しげに微笑んでいた。
「これ、海」
「うわあ、すごい……!」
「……ここをこうすると、嵐の海になるの」
さらにアリアが手を動かしたとたん、周囲の様子が一変した。
全ての光を吞み込むような藍色が、床で激しくうねっている。重くよどんだ灰色が、辺り一面に満ちた。ばあん、どおんという荒れ狂う波の音と、吹き荒れる風の音が響いてくる。
これは現実の光景ではない。それが分かっていても、恐ろしくて動けない。そんなはずはないのに、肌に飛んでくる水しぶきの冷たさまで感じられるようだ。
と、また突然風景が変わる。目に映るのは白い漆喰の壁に美しい石張りの床、ゆったりとした音楽も聞こえてくる。顔を上げたら、美しいシャンデリアがいくつも下がっているのが見えた。どこかの屋敷の大広間、舞踏会の真っ最中。そんな感じだ。
驚いて舞台袖を見ると、アリアが顔いっぱいに得意げな笑みを浮かべていた。いつも引っ込み思案な彼女にしては珍しいその表情に、こちらまで笑顔になってしまう。
彼女に笑い返していたら、妙に視線を感じた。目を凝らすと、アリアがいるのとは別のカーテンの陰に、たくさんの人影が見える。しかもみんなやけに優しい笑みを浮かべて、私を見つめていて……。
「さすがアリア、見事な演出だな。料理同好会の新入りさん、すっごく驚いてるじゃないか」
「ああ、初々しい反応だなあ……僕たち、もうすっかり慣れっこだから……」
「そうね、見ていて和むわ。さっきの驚いた顔、可愛かった」
みんなの言葉に急に恥ずかしさがこみ上げてきて、とっさに両手で顔を隠す。とても温かい笑い声に包まれながら、こっそりと笑みを浮かべる。とってもくすぐったいけれど、こういうのも悪くないなと、そんなことを思いながら。
「さあ、今日は魔法研究会に差し入れよ」
またある日、エマがいつものように明るく声を張り上げる。今日の差し入れは、オニギリとかいう異国情緒漂う料理だ。といっても作るのは簡単で、たくさん米を炊いて、具を入れて小さく丸めるだけ。中身によって味も雰囲気も変わる、クレープと似たような料理だ。
魔法研究会にはちょっと変わり者が多いとかで、珍しいもののほうが好まれるらしい。そう説明しながら、エマはとびきり辛いトウガラシのピクルスをひとかけら、そっとオニギリにしのばせていた。他のみんなも、レモンとかチョコレートとかを遠慮なく入れているし……。いいのかな、あれ。
ひとまずそれは置いておいて、気になっていたことを尋ねてみる。
「魔法研究会って、高等科の人がおもなんですよね? どんな感じの会なんですか?」
学園に通う貴族の子女は、大きく三つに分けられる。まずは一年生から六年生、初等科と呼ばれる義務課程に属する子供たち。最初の六年で基礎の教養を学び、同世代の人間たちとの人脈を作っていく。
そして七年生から九年生、高等科と呼ばれる課程に属する少年少女たちだ。こちらの課程は任意となっていて、より高度な学びを求める者が集まっている。この高等科にも同好会のような活動があり、そちらは『研究会』と呼ばれているのだ。
さらに高等科を卒業した後も、さらなる知の探究のために学園に残る者がたまにいる。そろそろ一人前の年頃の彼ら彼女らは、研究生と呼ばれる。政治や軍事、魔法などの専門を自主的に研究し、卒業後はそのまま文官や魔導士などとして働く者が多いのだとか。
「そうよ。高等科の学生を中心に、研究生と初等科の生徒が集まっているの。年はばらばらだけれど、みんな意外なくらい仲良くやってるわよ」
「あそこってちょっと……ううん、かなり変わった人間が多いから気が合うのかもね……」
「わきあいあいっていうより、いたずらっ子の集団みたいなところもあるし……大人げないというか……」
みんなでそんなことを話しつつ、魔法研究会の活動場所である平屋の建物──魔法研究会の人間は、『実験室』と呼んでいるらしい──に向かっていく。
実のところ私は、その実験室を何度も見ている。というのもその建物は、魔導士の塔のすぐ隣にあるのだ。そして調べ物をしに魔導士の塔に向かうたび、気になって仕方がなかった。魔導士の塔の荘厳さに比べると、隣の平屋はやけに粗末で、質素だったから。なので先日、通りすがりの魔導士を捕まえて聞いてみた。どうしてあの建物は、あんなに粗末なんですか、と。
そうしたら「あそこは魔法研究会の活動場所でね、初心者も多いんだ。柱や
その平屋に、いよいよ足を踏み入れることになった。それも、料理同好会の一員として。小さく身震いして気合を入れたその時、ふとある疑問が浮かんできた。
「あれ? これからむかうのって、魔法『研究会』ですよね。だったら初等科のわたしたちじゃなくって、高等科の料理『研究会』が行ったほうがいいんじゃ……」
私のそんな言葉に、全員が一斉に首を横に振った。エマが心底残念そうに、言葉を付け加える。
「料理研究会は存在しないのよ。そもそも料理って、貴族の子女には全く必要がない技能だから」
ぴたりと足を止め、エマは語り出す。学園の廊下に、彼女の声が凜々しく響いた。
「私たち貴族の子女は、文官や騎士になることもある。また、演劇や音楽などの教養を深めておいて損はない。けれど私たちは決して、料理人になることはない。そもそも屋敷の厨房に立つこと自体珍しいし、立つとしても内緒にすることが多い」
ついこないだまで、私はお父様が元料理同好会だなんて知らなかった。両親がちょっとだけ料理をできることは知っていたけれど、それについても「よその人たちには内緒ね」と言われたし。前世の湖月の王国では、貴族が厨房に立つことはまずなかった。それを思えば、この翠翼の帝国は割と大らかなほうなのかもしれないけれど。
エマに続くようにして、他の生徒たちも口々に主張し始めた。
「貴族と料理。それが、不釣り合いだってことくらい分かってるさ」
「でも、俺たちは本気で料理を愛してるんだ」
「もっと堂々と料理ができる、そんな世の中になったら面白いとは思わない?」
みんなの口調に、徐々に熱がこもってくる。
「だから私たちはレシピを集めて、改良して、おいしい料理をあちこちにふるまってるの! それこそ、ずっとずっと前の先輩たちの時代から」
「そうして少しずつ料理に興味を持つ子を増やしていって、貴族の意識を変えていく。それが最終的な目標さ」
「その前段階として、料理研究会の設立を目指しているの。もう、学生や研究生、それに教師たちの賛同もたくさん集めたわ。頃合いを見て、陛下に直訴しにいこうって考えてる」
若々しいその熱意が、とってもまぶしい。前世の私は国を丸ごと一つ統治していて、必要に応じて色んな決まりや仕組みを変えてきた。
けれど、こんな熱意をもってその仕事に取り組んだことはなかった。あの頃の私にあったのは、悲痛な使命感だけだった。女王になどなりたくなかったけれど、なってしまったからには民のために頑張らなくては。ただそんなことを、考えていたような覚えがある。
そして当時の感覚からすると、たかだか十歳程度の子供たちが、新たに何かを作り上げるのは中々に大変なことのように思えた。学園の中のことだけとはいえ、仕組みを変えようだなんて。
でも同時に、私はみんなを応援したいとも思っていた。それにあの陛下なら……まだ四歳の子供に、臣下の証である忠誠の首飾りをぽんと与えてしまうようなあの方なら、案外面白がって許可を出してくれるんじゃないかな、という気がしなくもない。
「さあ、着いたわよ。今日も私たちの料理で、みんなをうならせてあげましょう!」
そんなことを話していたら、もう目的地に着いていた。目の前にある質素な平屋の中からは、にぎやかな声がかすかに聞こえてくる。
「おじゃまします、料理同好会です!」
エマが勝手知ったる様子で、平屋の中に入る。彼女に続いて中に入り、目をむいた。
そこは仕切りの一切ないだだっ広い部屋になっていて、たくさんの人たちが話をしたり作業をしたりしていた。これだけなら、割と普通の光景だと思う。
ところがこの部屋ときたら、恐ろしいほど色んなものが、それは無秩序に積み上げられていたのだ。まるで何年も、ううん何十年も掃除していないんじゃないかと疑いたくなるくらいに。
本の山はまだいいとして、その横には
それ以外にも、正体不明のものがあっちこっちに転がっていた。うっかり踏まないよう気をつけて進む。……あっちの物陰に落ちてるの、牛の頭蓋骨!? そんなもの、何に使うの!?
困惑し切っていたら、あちこちのものを器用にかき分けるようにして、次々と人が集まってきた。
「待ってました!」
「このおやつの順番が、もう待ち切れなくて!」
「おっ、今日もちょっと面白そうな料理だな」
魔法研究会の人たちにオニギリを配っていたら、ちょっぴり偉そうな声がした。
「ジゼル、おまえはてっきりここに入るとばかりおもっていたぞ。おれの好敵手が料理など、力のむだづかいだ。もったいない」
それは、ペルシェだった。彼は前よりもずっとなめらかに詠唱し、近くにあった空いた器に水をたたえてみせている。いつの間にか、魔法がかなり上達したようだった。
「わたしは、特別研究で魔法のことを学んでいるから。それに、魔法がじょうたつする手がかりって、意外なところにおちてるの。もしかしたら料理のおかげで、もっと魔法がうまくなったりして」
いたずらっぽくそう言ったら、彼は真剣な顔で考え込み始めた。
「ふうむ、そうか……おれも、もっと視野をひろげるべきだろうか……」
ペルシェはやたらと私に食ってかかってはくるものの、意外と素直なところがある。セティ一筋のイリアーネと似て、魔法一筋……というより、ゾルダー一筋かもしれない……。
やっぱり子供って面白いなあと思いながら、もう一度部屋の中を見回す。話に聞いていた通り、魔法研究会の人たちのほとんどは高等科の学生だ。私たち初等科の生徒の制服とちょっと似た作りの、色違いの制服を着ている。さらに高等科の制服と色違いの格好をしているのが、研究生かな。ちょっと大人びてるし。
さらに、学園の活動ということもあって、指導監督役の魔導士もいる。あのいでたちからすると、一般の魔導士だ。
魔導士は、大きく二つに分かれている。魔導士長ゾルダー率いる精鋭は、皇帝のそば近くに
一方、その他一般の魔導士たちは、皇帝と顔を合わせることはあまりない。けれど魔導士の塔での魔法の研究や、学園での後進の指導、文官や騎士たちと協力して帝国の統治に必要な様々な業務をこなしたりと、国の維持については一般の魔導士たちのほうが頑張っていたりする。だからどちらの魔導士も、人々からは大いに尊敬されているのだ。
そんなことを考えつつ、さらに視線を動かして。そうして、凍りついた。あり得ない光景が、そこに広がっていたのだ。
部屋の奥のほうで、ひっくり返った木箱を椅子代わりにして若い男性がせっせとオニギリを食べていた。年は二十歳前くらい、研究生の服を着ていて、ちょっぴり寝ぐせのついた黒い髪に、生き生きとした青い目をしている。
彼は両手に一個ずつオニギリを持って、交互にかじっては「うわっ、苦っ! いや、案外これはこれでいける……」などと小声でつぶやいていた。
……みんなで相談して一つだけ作った『大人の味の苦いオニギリ』、あの人に当たっちゃったんだなあ……。
じゃなくって。彼の顔、あの人とそっくりなんだけど。表情がまるで違うせいで、ぱっと見では気づき辛い。でもあの声は……やっぱりそうだ。間違いない。
そろそろと彼に近づき、他の人に聞こえないよう思いっきり声をひそめてささやきかけた。
「あの、なぜかちょっと色がちがいますけど、もしかして……カイウスさま……」
「おお、どうした? 俺はカイン・ユース、見ての通り学園の研究生だ。専攻は属性魔法」
私の言葉にかぶせるようにして、彼が声を張り上げた。私の目を、まっすぐに見つめて。頼むから黙っていてくれ、と言外に頼み込んでいるような、そんな表情で。
間違いない、この人はカイウス様だ。正面から見つめられて確信した。服装も、態度も、髪や目の色も違うけれど、彼が私を見つめる時のこの切なげな色は、前のままだ。
そのまま呆然とカイウス様の青い目を見つめていたら、周囲から研究生たちの声が飛んできた。
「カインはたまにしか来ないけれど、優秀なんだ。面倒見もいいし」
「研究しながらでも魔導士になればいいってみんなで勧めてるのに、なぜかうんと言わないんだよ」
「俺はこの気軽な身分がちょうどいいんだよ。やりたいことがやれるからな」
カイウス様が軽やかに笑いながら、そう言い返している。彼の態度は帝国の頂点たる皇帝陛下のものではなく、どこからどう見てもただの貴族の令息そのものだった。……というかカイウス様、いつからこうやって魔法研究会に交ざってるんだろう……すっかりなじんじゃってるけど……。
ここにいるのは学生の関係者ばかりで、みんな皇帝とはめったに顔を合わせない。だからこうやって人懐っこく朗らかにふるまっていれば、誰も彼が皇帝だなんて思わないだろう。しかもなぜだか、髪や目の色まで変わっているし。
顔が引きつりそうになるのをこらえながら、カイウス様に向き直る。怪しまれないように、自然な態度を心掛けながら。
「ええと、カイン……さん。わたしはジゼル・フィリスです。初等科の一年生、料理同好会所属です」
取ってつけたような自己紹介をして、さりげなくカイウス様の袖をつかんだ。そのまま、近くの本棚の陰に彼を引っ張り込む。
「……あの。どうしてあなたが、こんなところにおられるんですか」
そろそろとささやきかけたら、彼は不敵な笑みを浮かべた。
「ずっと執務室にいると気が滅入る。皇帝としての仰々しい立ち居ふるまいは疲れる。だからこうして、ここでささやかな気晴らしをしているんだ。楽しいぞ? 今のところ正体がばれてはいないし」
くすくすといたずらっぽく笑うカイウス様を見ていたら、頭が痛くなってきた。色々と思い切ったところのある方だなあとは思っていたし、皇帝としての悠然とした態度の裏に別の一面を隠していそうな気もしていたけれど、まさかここまで型破りだったとは。
「そうですか。それと、その髪と目の色は……」
「魔導具で変えた。帝城の宝物庫からくすねてきた、便利な首飾りだぞ」
そう言って、彼は自分の胸を親指で指している。どうやら制服の下に、その首飾りをつけているのだろう。
「鮮やかな緑の髪は、皇族の証だ。あんな頭でふらふらしていたら、それこそ兵士にすら怪しまれかねないしな」
「……ええと、じゃあわたしは、ごく普通の研究生……学園の先輩に接するかんじでふるまっていればいいんですか?」
とんでもない話を次から次に聞かされてあぜんとしながらも、ひとまずそう尋ねてみる。するとカイウス様は、それはもう嬉しそうに笑ったのだった。
「その通りだ。飲み込みが早くて助かる。さすがお前だ」
こんな無邪気な笑顔を見て、彼が皇帝かもしれないと疑う者がいるだろうか。そしてこの笑顔こそが、きっと彼の本当の顔なのだろう。これだけ表情豊かできさくな彼が、あの荘厳な皇帝を演じていられるということに驚きだ。
それと同時に、うらやましさも感じてしまう。前世の私には、こんな自由は許されなかった。
……いや、私に度胸がなかっただけなのかもしれない。ただ王宮にこもるのではなく、もっと外に目を向けていたら。民の目線で、色んなものを見ていたら。あの悲劇も、回避できたのかも。
ふっと過去に思いをはせていたら、また思わぬほうから声がした。
「ああ、どこかで見たと思ったら、君がジゼル・フィリスだね。初等科一年生の」
声の主は、指導監督役の魔導士だった。ほっそりした中年男性である彼は、私のほうをまじまじと見ながら楽しそうに話しかけてきた。
「一年生にして召喚魔法の特別研究に着手し、さらに前学期末の試験で満点を取った。その褒美に、魔導士の塔への自由な立ち入りを許された生徒。君のことは、魔導士の間では有名だよ? こないだ君を塔の中で見かけて、どうしてここに子供がいるんだって首をかしげていたら、同僚が教えてくれたんだ。あれが、例の子だって」
……あ、久々に褒め言葉の大盤ぶるまい。背中がむずむずする。というか、注目されてしまっている。隣のカイウス様がこっそり顔をそむけて、みんなに見られないようにして笑いを嚙み殺していた。もう、他人事だと思って。
「えっ、あなたがやたらと優秀なのは知ってたけど、そこまでだったの? 魔導士の塔に出入り自由、って……」
呆然としたようなエマの声が、少し離れたところから聞こえてきた。
「いつも一生懸命に料理を作ってる可愛い後輩って感じだから忘れてたけど、そういえばこの子、天才少女だったね」
「年の割に物覚えはとてもいいけれど、それよりも食い意地のほうが勝ってるし……」
料理同好会の面々も、口々にそんなことを言っていた。私、食い意地張ってるんだ……自覚、なかったな……確かに、新しいレシピを見るのも、作るのも、食べるのも好きだけど。
それはそうとして、またしても目立ってしまっている。できるならごく普通の貴族の娘としてひっそりのんびり生きていきたいと、生まれ変わってからずっとそう思っているのに。どうにも、うまくいかない。魔導士の塔に本を読みにいく時だって、できるだけ他の人に見つからないように注意していたのに。
「君の噂は聞いたことがあるよ。いつもネズミっぽいのを連れてるって話だったけど……」
静かに頭を抱えていたら、今度は研究生が話しかけてきた。
「料理同好会の活動中は、召喚獣のみんなはおうちに帰ってもらってるんです。料理に毛が入るとたいへんなので」
そう答えると、研究生たちがうずうずした顔で身を乗り出してくる。
「だったら、何か召喚魔法を見せてくれよ!」
「あっ、私も見たいわ! 後学のために!」
わいわいと騒ぎながら、研究生たちがわっと私のところに押し寄せる。少し遅れて、高等科の学生たちも。気づけば魔法研究会のほぼ全員に、取り囲まれてしまっていた。
「大変だなあ、『天才少女』も」
私が有名になってしまった原因の、少なくとも半分くらいについては責任があるだろうカイウス様は、そう言ってあっけらかんと笑っていた。
差し入れが全部片付いてから、私たちはみんなで移動していた。平屋を出て、すぐ近くに広がる草地へ。ちょうど先日の校外学習の時、ゾルダーが魔法を披露していたあの場所だ。
しかし今そこには、私が一人で立っている。そっと振り返ると、わくわくしたたくさんの視線が遠くのほうにずらりと並んでいた。料理同好会のみんなと、魔法研究会のみんな、それにもちろんカイウス様もだ。しかもこの騒動を聞きつけて、魔導士の塔からさらに何人か魔導士が出てきていた。えっと、カイウス様の正体は……ばれてないっぽい。よかった。
さて、召喚魔法を披露するとして……何にしよう。魔法の研究生とか魔導士とか、専門の人たちもいるからちょっとこだわったものにしてみたい。かといって、万が一のことがあると大変だし。
……うん、あれにしよう。両手をすっと挙げて、空中に魔法陣を描いていく。それも、一つの指で一つずつ。ちょうどピアノを弾く時のように指を動かして。
すぐに、空中に十個の円が浮かんだ。小ぶりのコインくらいの大きさの、繊細な線で彩られたものだ。
「お、前見たのと比べてずいぶんと小さいな! ここから、どうなるんだ?」
「カインさん、危ないのでもうちょっとはなれていてください」
好奇心むき出しの声が、後ろから一気に近づいてくる。カイウス様、自分の立場をわきまえているんだろうか。彼の身に何かあったら、帝国が大騒ぎになってしまうのに。あと、私たちは一応今日が初対面ってことになってるはずだけど……怪しまれたらどうする気だろう。
「召喚魔法は、召喚主のそばが一番安全なんじゃなかったか? それにお前は、危険な召喚獣なんて呼ばないだろう。だから、ここで見たい」
見上げたら、笑顔のカイウス様と目が合った。仕方ないなあ。
ため息を一つついて、魔法陣に最後の線を描き加える。と、魔法陣の中から白く輝く何かが勢いよく噴き出してきた。まるで光る柱のように、横向きの滝のように。頭のすぐ上で、おお、という楽しげな声がする。
そして背後からは、たくさんのささやき声が聞こえてきた。
「何なの、あれ? 水かしら」
「いや、もっと軽い……小さな何かが集まっているような感じかな……?」
「花びらみたいにも見えるね。とびきり濃密な花吹雪だ」
そうしている間にも、その白い何かは空中に広がっていく。そのままふわりと広がって、大きな蝶を形作った。
私の身長より、いや大人の身長よりもずっと大きな蝶が、白く輝きながら優雅に宙を舞っていた。その幻想的な光景に、たくさんの歓声が上がる。
「うわあ! すごい!!」
「綺麗ね……」
「あんな召喚獣、見たことないぞ!?」
これは、私の新しい研究の成果だった。
特別研究において、まず私は『杖を使わずに、より大きな魔法陣を描く方法』を探した。そしてセティのオルゴールのおかげで、その研究は一段階進んだ。描いた線を突っついて動かすことで、魔法陣を一回りか二回り大きくすることはできるようになったのだ。でも、それ以上大きくするのがどうしてもうまくいかない。
そうして行き詰まった私は、気晴らしも兼ねていったん逆の研究をすることにした。『どれだけ小さな魔法陣を描けるか』『同時に複数の魔法陣を描けるか』というものだ。線を可能な限り細くして、狭い範囲に詰め込んでみたのだ。これはこれで、いい練習になった。手先も器用になったし、魔力の制御もうまくなったし。
「この子たちは危なくないから、近くで見ても大丈夫ですよ」
と言いながら振り返ると、既にカイウス様は少しもためらうことなく大きな蝶に手を差し伸べていた。彼の指先が触れると、大きな蝶の端のほうがほどけて、小さな光のかけらになる。
「ああ、小さな蝶が群れを作っていたんだな。まるで真珠のような、美しい羽だ」
彼の指先では、小さな蝶が羽を休めている。子供の爪くらいしかない繊細な羽を、かすかに震わせて。
その頃には大きな蝶はきれいさっぱり形を消していて、小さな蝶たちが辺りを好き勝手に舞っている。春の花吹雪そっくりのその光景に、みんなしてきゃあきゃあとはしゃいでいた。
しかしその中を突破するようにして、数名の研究生が駆け寄ってくる。
「ねえねえ、その魔法陣、もっとよく見せて! うわ、小さい!」
「虫眼鏡、虫眼鏡持ってきて!」
「いや、光魔法で像を拡大してしまおう!」
そうして研究生が大きく映し出した魔法陣を見ながら、あれこれと考察している。頭に何羽もの蝶を止まらせたカイウス様も、身を乗り出して目をまたたいていた。
「この制約の魔法、普通のものと違うな? 俺は専門外だから、それ以上のことは分からないが」
「今の芸を披露してもらうために、おねがいしたんです」
私の言葉に、カイウス様だけでなく研究生たちもこちらを向く。
「何度も呼んで仲良くなっている子たちなら、制約の魔法をかけなくても話をきいてくれるんですけど……この子たちとはそこまで親しくないので、仕方なく制約の魔法をつかいました。でも、形はかえています」
四歳の頃、皇帝陛下の前で召喚魔法を披露した。あの時、悩みつつも制約の魔法を使ったら、ハトたちに思いっきりへそを曲げられた。許してもらうまで、かなり謝ることになった。
召喚獣は、みんな制約の魔法が嫌いだ。それもそうだろう、初対面の相手に偉そうに命令されてそれに従わなくてはならないなんてことになったら、私だって腹を立てる。
だからその代わりに、『お願い』を魔法陣に描き込むことにしたのだ。
「制約の魔法を変形させて『こんな感じで動いてもらえると嬉しい』って描きました。わたしは『お願いの魔法』とよんでいます」
それを聞いて、研究生たちがまた魔法陣に向き直る。さらに真剣な顔で、ああだこうだとささやき合いながら。
そんな彼らに目をやって、カイウス様が心底おかしそうに笑った。そうして、そっと耳打ちしてくる。
「しかし、『お願いの魔法』か。ゾルダー辺りが聞いたらあんぐりと口を開けそうだな」
「わたし、召喚獣に命令するのは嫌なんです。この子たちは、友達みたいなものですから」
カイウス様が、こぼれんばかりに目を見開く。驚いたような、感心したような表情だ。
「この帝国ではな、召喚獣は人により使役される獣で、力そのものなんだ。だから召喚魔法の研究は、その力をどれだけ有用に用いるか、そういった事柄に絞られる」
やがて彼の表情が、切なげなものにゆっくりと変わっていく。皇帝として私と顔を合わせていた時に、垣間見せていたあの表情だ。
「……カインさん?」
今の彼は皇帝カイウス様なのか、それとも研究生カインさんなのか。ふとそんなことが分からなくなってしまい、ためらいがちに呼びかける。
「召喚獣を友達と呼び、ただみんなを楽しませるための魔法の研究に取り組む。お前がそんな優しいままのお前でいられるよう、俺も頑張るよ」
戸惑う私に、彼は柔らかい笑みを向けてきた。彼の頭に止まっていた蝶が一斉に舞い上がり、後光のように彼を彩っている。
かつてゾルダーは、私の優しさが命取りになるかもしれないと忠告してくれた。
けれどカイウス様は、優しいままの私でいて欲しいと言ってくれている。
ゾルダーは、共に帝国の力になろうとも言っていた。彼はどうやら、いつか私が彼と共に帝国のため力をふるう、そんな未来を望んでいるように思える。
でもカイウス様は、私のことを守ろうとしてくれている。なぜかは分からないけれど、彼は私に対して親しみを抱いているようにも思える。
今の帝国は、とても平和だ。それはきっと、カイウス様がこの平和を守ってくれているから。でも、それに甘えてしまっていいのかな。私にも、できることがあるんじゃないかな。ゾルダーが言っていたように。
ぽんと頭に置かれた手の感触に、我に返る。いつの間にか、すっかり考え込んでしまっていた。
「お前が何を考えているか、分かるよ。お前は自分のことより他人のことを優先させてしまう、そういう人間だからな。きっと、自分にできることがあるんじゃないかとか、そういうことを考えてるんだろう」
泣きそうなくらいに目尻を下げて、カイウス様は笑っていた。私の頭を、愛おしそうになでながら。
「今はただ、遊べ。手にした幸せを、思う存分満喫するんだ。力だ責任だと面倒なことで悩むのは、もっとずっと後でいいさ」
ぽかんとしたまま、彼の顔を見つめる。どう言葉を返せばいいのか、分からなくて。
周りのみんなのはしゃいでいる声が、やけに遠くから聞こえてくるように思えてならなかった。