「……ぼくが友達で、いいのでしょうか。エルフィーナさま」
「もちろんよ。でもね、わたしはもうエルフィーナじゃないの。ジゼル・フィリス、それが今のわたしの名前だから」
「はい。ぼくはセティ・ランカードです。よろしくおねがいします、エルフィーナさま……じゃなくて、ジゼルさん。あなたとお友達になれて、うれしいです」
きりりと顔を引きしめて生真面目に答えるセティに、苦笑しながら小声でささやきかける。
「お友達なんだから、『さん』はいらないわ。それに、『あなた』じゃなくて『きみ』ってよんでほしいな」
セティは礼儀正しい人のようだったけれど、せっかく子供の姿なのだから、もっと肩肘張らない付き合いがしたい。そんな私のちょっとしたわがままに、セティはもじもじしながらもうなずいてくれた。
「それじゃあ、玄関までいっしょに帰りましょう!」
今度は私がセティの手を引いて、跳ねるようにして廊下を歩く。いきなり前世の名前を呼ばれた時は驚いたけれど、おかげでいきなり友達ができた。
生まれて初めての、友達。それは想像していたよりもずっと、心浮き立たせる響きだった。

期待に満ちた学園生活、しかしその始まりはちょっぴり波乱含みだった。
授業は簡単だし、セティという話し相手もいる。同級生が遥か年下の子供にしか見えないという問題はあるものの、教師たちからあれこれと教わるのは楽しい。
ところがじきに、私の持ち物が時々荒らされるようになったのだ。といっても、机の上に積んでいた本が別の場所に動かされているとか、置きっぱなしのカバンの中身が引っかき回されているとか、その程度のことばかりだけど。片付けがちょっと面倒なだけで、実害はない。
「貴族の子女たるものが、こんなことをするなんて……」
セティはぐっと顔を引きしめて、本を運ぶのを手伝ってくれた。怒ってくれているらしい。たったそれだけのことが、とても嬉しい。友達っていいな。
一応、ペルシェには聞いてみた。「わたしの持ち物、さわってないよね?」と。そうしたら彼は、ふっくらした頰を怒りに赤く染めて、凜々しく言い放った。「おれの好敵手たるおまえに、そんなひきょうなまねをするものか!」と。私、いつの間に彼の好敵手になったんだろう。ともかく、犯人は彼ではなさそうだった。
首をかしげながら、両親にも話してみた。「さいきん、こういうことがあるの」と、軽い感じで。
「きっとそれは、ジゼルが可愛くて優秀だからよ! ねたんだ子がいるのね!」
「いや、好きな子にいじわるをして気を引きたいという男心かもしれないな」
「迷惑なのよね、あれ。レイヴン、あなたがそういう男性じゃなくて本当によかったわ」
「あ、ああ。ありがとう。……しかし現状では、手の打ちようがないな」
二人とも大いに
つまり、このいたずらの犯人が格上の家の子だとしたら、こっちもちょっとだけ慎重に動かなくてはならないし、ちょっぴり配慮しておいたほうがいい。面倒だけれど、そういうものなのだ。だから、証拠をつかんで犯人をはっきりさせるまでは動けない。
「そんなに困らないけど、めんどうだよね」
自室でルル相手にぼやいていたら、ルルの様子が急に変わった。ルルはぢゅぢゅっ! と鋭く鳴くなり、机の上に置いたままになっている魔導書を開こうともがき始めたのだ。
「なあに、読みたいの? ルルにはわからないでしょ?」
そう言いながら、分厚い革の表紙を開いてやる。するとルルはその小さな手で紙をつかむと、ぴょんと跳んでページをめくり始めた。しかしじきに、ルルの動きが止まる。鼻の周りのひげをひこひこと動かしながら、食い入るように本を見つめ始めた。
ちゅいっ、ちゅっ!!
高らかに鳴くと、ルルが本の上に跳び乗った。そこに描かれている図をたしたしと手で叩き、いつになく大声で鳴き続けている。
「ええっと、永続化の魔法……?」
魔法陣にあれこれ魔法を描き加えることで、追加の効果を得ることができる。今ルルが指さしている永続化の魔法も、そんな魔法の一つだった。この魔法を描き足すことで、その魔法陣を発動したままにできる。もちろん、魔法陣が発動している間は魔力を消費し続けるし、何より召喚獣が出入り自由になってしまうから、この魔法はあまり使われない。
「これなら、描けるけど……だれをよぶの?」
ルルが何かを主張していることは分かる。でも、何が言いたいのかさっぱり分からない。眉間にぎゅっとしわを寄せたら、今度はルルがどんと自分の胸を叩いた。
「……もしかして、あなたをよんだときの魔法陣を、永続化つきで描け、ってこと……?」
そうつぶやいたら、ルルはこくこくとうなずいた。というか、上半身をぶんぶんと大きく振っている。合っているらしい。けれどどうして、急にこんなことを主張し始めたんだろう。
首をかしげつつ、その辺の宙に魔法陣を描こうとした。
ぢゅっ!
その私の手に、またしても突然ルルが飛びついてきた。そのまま私の指をつかんで、学園で使っているノートの表紙に誘導していく。ここに描け、ということらしい。
さらに訳が分からなくなってきたと思いながら、ひとまず魔法陣を描き上げる。そうしたらルルは、その魔法陣にぴょんと飛び込んでしまった。どうやら、いったん異世界に戻ったらしい。私が三歳の時に呼んでから一度も帰ろうとしなかったのに、急にどうしたのだろう。不思議に思いつつ、その日は眠りにつくことにした。
ルルの狙いは、すぐに分かった。次の日の昼休み、セティと二人で廊下を歩いていたら、誰もいないはずの教室から叫び声が聞こえてきたのだ。
あわてて駆け込んだ私たちが目にしたのは、ちっちゃなウサネズミの大群だった。机に置かれたノートの魔法陣から、さらにぞくぞくとウサネズミが姿を現している。
床に敷いた毛皮のようになっているウサネズミたちの中に、男の子が二人埋もれていた。身動きしようとするたびにウサネズミに飛び蹴りをくらっているせいで、何もできずにただ呆然と床に座り込んでいる。よく見ると、彼らの手元には私の本。そして、彼らの頭上をルルがぽんぽんと跳ねている。他のウサネズミたちより一回り大きいから、すぐ分かる。
「……もしかして、わたしの持ち物にいたずらしてたのって……」
ぽかんとしながらそうつぶやいたら、ウサネズミたちが声をそろえて鳴いた。どことなく誇らしげに。
そして男の子たちは、泣きそうな顔で答えた。
「おまえが目立ってて、くやしくて……」
「ちちうえに『おまえもあれくらいの功績をあげてみろ』と言われたんだ……」
……要するに、私が目障りで、嫌がらせをしていたと。ただいいところの子供だけあって、あまり思い切ったことはできなかったのだろうな。
「だからってあんなことしてたら、もっとくやしくなるわよ?」
そっとたしなめたら、二人ともしょんぼりした顔でうなだれた。
「もうしないって約束してくれるなら、今回だけは水にながすわ」
どうやらこの子たちは反省しているようだし、私に知られた上でなおも嫌がらせを仕掛けてくるほどの度胸はないと思う。それに私としても、変に騒ぎ立てたくはないし。私が望むのは、ただ平穏な日々だから。
私の言葉に、男の子たちは無言でうなずく。納得できていない様子のセティをなだめつつ、とぼとぼと教室を出ていく二人の背中を見送った。
「みんな、ありがとう。それじゃあ、魔法陣を消すからその前に……」
帰ってね、と言おうとしたとたん、ルルがウサネズミの群れから飛び出してきて、両手両足を広げて魔法陣の上に伏せた。ちょうど、全身で魔法陣に覆いかぶさるような感じだ。
「……消しちゃだめ、ってこと……?」
呆然とつぶやくと、ルルが満足げに耳をひこひこさせた。
「この魔法陣ならほとんど魔力を使わないから、描いたままにしておいてもだいじょうぶ、だけど……」
戸惑いもあらわにそう答えたら、今度はちいちいという声があちこちから上がった。ルルに同意しているらしい。
「あの、きみとこの子たち、ふつうに会話ができていませんか……? その、このしかけといい、かなり賢いようなきがします……」
すぐ隣から、あっけにとられたようなセティの声がした。振り返ったら、彼は既にウサネズミたちによじ登られていた。ただ、悪さをした子を捕まえた時とは違って、ウサネズミたちは単に遊んでいるだけらしい。
「わたしも、そんな気がしてるの……召喚魔法の常識がひっくり返りそうだから、考えないようにしてたけど……」
召喚獣は、普通の獣くらいの知性しか持たない。それが、今の常識だ。でもルルを見ていると、とてもそうだとは思えない。ルルだけじゃない。狭い魔法陣の仕返しとばかりに、召喚主を海に、しかも危なくない浅瀬に落とした青いワシたち。あの時の、ワシたちと角馬たちの笑い声はまだよく覚えている。やっぱり、召喚獣って結構賢いのかも……?
「……このことはもうちょっと、内緒にしておこうとおもうの……確信がもてるまで……」
「はい。ぼくも、そうしたほうがいいと思います」
声をひそめて、セティと二人うなずき合った。彼は何とも言えない、神妙な顔をしていた。

そんなこんなで悩みも無事解決して、やっと学業に専念できるようになった。とはいえ予想通り、六歳の子供向けの座学は私とセティには易し過ぎた。
時々こんな風に、早熟な子が入学してくることがある。そんな子供も全力で学べるように、この学園には面白い制度があった。
一部の科目において群を抜いて高い学力を有していると認められれば、その科目についての座学は免除される。その代わりに、より高度な特別研究に取り組むことになるのだ。しかも、研究内容については本人が自主的に決めることができる。特異なことをもっと伸ばせ、そういうことだ。
私とセティも教師たちによる口頭試験をあっさり突破し、晴れて特別研究に着手することになった。
「わたしは、召喚魔法をいろいろ工夫してみようとおもうの」
召喚魔法を研究して、新たな何かを生み出す。今のところの候補は、あの木の棒を使わずに大きな魔法陣を描く方法、それにもっと簡単に魔法陣を描く方法だ。
この広い帝国でも、魔法の使い手は少ない。そしてその中でも、召喚魔法の使い手はさらに少ない。そんなこともあって、召喚魔法の研究はあまり進んでいない。しかもその数少ない研究者は、たいがい『より強く、より有用な召喚獣を呼び出す方法』を探しがちだとか。……そもそも、体が小さくて魔法陣がうまく描けないなんて悩みを抱えてるの、私だけだろうし。
そんなことをセティに説明すると、彼は納得したような顔でうなずいた。
「それはすてきな試みですね。ぼくは、機械弓を改良してみるつもりです」
「機械弓? 武術に関係することじゃなくて? ……あと、機械弓ってなに?」
これまでもセティは、時間を見つけては自主的に鍛錬に励んでいた。もっと強くなって、今度こそきみをまもるんですと、口癖のようにそう言って。この帝国は平和だし、守るとかそういう状況にはならないんじゃないかと指摘したけれど、それでも彼は努力を続けていた。
だからてっきり、より効率のいい鍛錬法とか、そんな感じの研究をするんだろうなと思っていたのだけれど。
「金属の糸や歯車、バネなどを組み合わせたものを機械、あるいはからくりとよぶんです。機械弓は機械の力で
ほんのり頰を上気させていたセティが、ふと無念そうに唇をとがらせる。
「……この体だと、ちゃんとした剣も弓ももてませんから」
彼は、自分の前世を覚えていない。でも間違いなく、彼の心は一人前の大人だ。けれどこうやって膨れているところは、年相応の子供にしか見えない。可愛いなあと思ってしまって、あわてて顔を引きしめる。
そうして私には魔導士を兼任している教師が、セティには金工職人を本業としている教師がつくことになった。とはいえ、教師たちがつきっきりになることはない。必要に応じて質問したり手を貸したりしてもらうけれど、基本的には自分の頭で考え、進めていく。そういう流れだ。
そんなこんなで私たちは、二人きりでのんびりと図書室にこもっていた。……もっとも、厳密には二人きりではない。大机の上にも、近くの本棚にも、たくさんのウサネズミがうろちょろしている。先日いたずらを解決して以来、ルルだけでなく他のウサネズミたちまでもが私の周りで遊ぶようになったのだ。ノートの表紙に描かれた、あの魔法陣を自由に出入りして。
興味深そうな顔のウサネズミたちを引き連れて、図書室の膨大な蔵書から参考資料を探し出す。それを大机に運んでいって、片っ端から読み込んでいく。面白い記述を見つけたり何か思いついたりしたら、適宜ノートに書き留める。その繰り返しだ。
魔法や機械弓を実際に改良するのは、当然ながらそう簡単なことではない。まずは理論や構造をしっかりと組み立てて、計画を作る。その計画が実現できそうか、安全かを教師に確認してもらってから、いよいよ実践に移るのだ。今はとにかく、じっくりと計画を練っていく段階なのだ。
そうして二人黙々と、作業をこなしていた。これは大切な作業なのだと分かってはいるのだけれど、ずっと同じことをしているとちょっと飽きてくる。気分転換に、ウサネズミたちと遊んでもいいけれど……どうせなら、セティの話を聞いてみたいな。
「ねえ、セティは今どんな感じ?」
そう声をかけると、彼は何やら書いていた手を止めた。それから、すぐそばに広げた書物を見せてくれた。そこには、何やらごちゃごちゃした図が描かれている。
「こちらが機械弓の構造図です。ぼくは今、この図をもとにあれこれ考えているんです」
セティがぱっと顔を輝かせて、図を指さしつつ説明してくれた。私にはそれが全く理解できないけれど、彼はとても楽しそうだ。好きなんだろうな、こういうの。
「各パーツの強度をたもちつつ、できる限り小さく、軽くできないかなって。手を入れるならこのパーツかなって、けんとうはつけているんですけど」
「む、むずかしい……こんなの、初めてみた……こんなこと、いつ知ったの?」
目を回しながらそう尋ねると、セティははにかんだように笑う。
「ぼく、生まれ変わってからずっとひまで……小さなころから、ずっと屋敷の本を読んでいたんです。中でも、機械の本がお気に入りで」
「あ、わたしもそうだったの! あるていど動けるようになったら、真っ先にパパの書斎に行った!」
「ふふ、やっぱりそうですよね。そうしてもう少し大きくなったぼくは、からくり作りに手を出したんです。金工や機械の職人の工房が、屋敷の近くにたくさんありましたから」
「えっ、あなたが自分でからくりをつくったの?」
「いえ、危ないのでじっさいの作業はさせてもらえませんでした。でも、図面の引き方はおぼえたので、その図面をもとに職人たちにからくりを作ってもらったんです。生まれて初めて、自分の考えが形になった時は、とてもどきどきしました」
小声でそんなことを話していたら、いきなり図書室の扉ががらりと開いた。そこに立っていたのは、大きな本を抱えた女の子。
「あっ……」
まっすぐな明るい銀髪が、胸に垂れかかってさらりと揺れている。長いまつ毛の下からのぞく目は、アメジストのような素晴らしい紫だ。彼女はその目を真ん丸にして、ぽかんと立ち尽くしている。気が弱そうだけれど、すっごく可愛い子だ。
しかし次の瞬間、彼女はまた扉を閉めてしまった。ぱたぱたと、遠ざかる足音が聞こえる。図書室に用がありそうな様子だったのに、どうしたのかな。
「……今の子って、一年生よね。わたしたちと同じブローチ、つけてたし」
「ええ。でも、見覚えのない子でした」
二人そろって、首をかしげる。私たち一年生は二十一人。選択制の授業なんかもあるし、私たちは一部の座学を免除されているから、他の子たちとはそこまで交流がない。でも、さすがに顔は覚えている。それなのに。
「……ねえセティ、何回数えても、わたしとあなたをふくめて二十人までしか思い出せない……」
「ぼくもです。今の子、だれなんでしょう?」
ふと興味がわいてきて、席を立つ。セティも同時に、立ち上がっていた。
そうして二人で、図書室を飛び出していったのだった。
あの女の子がどっちに行ったかは分からない。ひとまず、その辺を探してみよう……と思ったら、意外なところに助っ人がいた。
あの子が扉を開けた時、興味をひかれたウサネズミたちがこっそり彼女に近づいていたのだ。そうして、素知らぬ顔で彼女と一緒に図書室を出ていた。ウサネズミたちはこそこそとあの子の後をつけ、そのうち追いかけてくるであろう私たちを曲がり角で待っていた。気が利くなあ。
あちこちの曲がり角に点々と立っているウサネズミたちに道を教えられながら、学園の中をぐねぐねと歩いていく。探検みたいで、ちょっと面白い。
学園の奥のほうにある階段を昇って、やけに静かな廊下をそろそろと歩いて。ウサネズミたちが少しずつ合流しているせいで、気がつけばちょっとした行進のようにもなっていた。
やがて、三階の一角にたどり着いた。そこは中庭に突き出た長いベランダのようになっていて、さわやかな風が吹き抜けていた。そのあちこちに椅子と机が置かれていて、休憩してもよさそうだし、勉強の場所としてもいい感じだ。
えっと、次のウサネズミはどこにいるんだろう。きょろきょろしたとたん、ついてきていたウサネズミたちが一斉に走り出した。近くにある、柱の向こう側を目指して。
「きゃっ! え……かわいい……」
押し殺したような悲鳴に続き、戸惑ったような声が上がる。あわててウサネズミたちの後を追うと、さっきの女の子がそこにいた。ウサネズミたちを肩や手に乗せて、目を輝かせている。しかし彼女は私たちに気づくと、びくりとおびえたような表情になってしまった。
「あのね、わたしたちも一年生なの。わたしはジゼル・フィリス。こっちはセティ・ランカード」
一年生の証である胸のブローチを指し示しながら、急いで自己紹介する。
「……アリア。アリア・ティエラ……」
彼女は視線を落として、もごもごとそう名乗り返してくれた。ただ、まだ私たちを警戒しているようなそぶりを見せている。そういえばさっきも、図書室に来たはいいものの私たちを見るなり逃げていったし。たぶんアリアは、かなりの人見知りなのだろう。
どうにか、話をつながないと。そう考えつつまた辺りを見回すと、アリアのそばの机に本が置かれていることに気がついた。さっき、彼女が抱えていた本だ。
何の気なしに題名を見て、うっと言葉に詰まる。『帝国法の変遷とその転機について』……つまり、この帝国の法律がどんなきっかけで変わっていったのかを解説している本、ってこと? 中を見なくても分かる。この本、とっても難しいものだ。前世で女王をやっていた私でも、ちょっとうんざりするくらいには。
「あなた、その本を読んでいるの? むずかしそうだね?」
だから、そう呼びかけてみた。アリアはまだこちらを見ないまま、それでもこくりとうなずいてくれた。
「……わたし……これが、特別研究……なの」
「あ、そうなんだ! わたしたちも、特別研究をしてるの! わたしが召喚魔法で、セティが機械弓! アリアは、法律について学んでるの?」
「……知りたい……?」
彼女の問いに、セティと同時に大きく首を縦に振る。するとアリアがゆっくりと、こちらを見た。さっきまでのおどおどした表情が、突然変わる。
「……帝国暦百二十五年、のちに『ドルドナ紛争』と呼ばれる騒動が起こる。ドルドナ川流域に領地を持つ男爵と伯爵の、水利権にまつわるいさかいに端を発した騒動であり、法の不備により騒動は拡大する一方だった。これを収めるために時の陛下は……」
凜々しく顔を引きしめて、アリアは昔の騒動について語り始めた。その姿は、まるで一人前の文官のようですらあった。
やがてドルドナ紛争について語り終えたアリアは、最後に自分の意見を付け加えて話をしめくくった。そうして、ほうと満足げなため息をつく。
私とセティが、目を丸くして拍手をする。近くの机の上に集まったウサネズミたちも、同じようにちっちゃな手を叩いていた。
「すごい……今の、覚えてたの? ううん、ちゃんと理解してはなしてるみたいだった……」
感心してそう問いかけると、アリアははにかんだように微笑んだ。
「……えっと、わたし、物事を覚えるのがとくいなの……。それに、法律について考えるのもすき」
とびきり賢くはあるけれど、彼女のその表情は年相応の可愛らしいものだった。自然と、こちらの声も弾んでしまう。
「わあ、だったら将来は研究者かな? 立法について陛下にじょげんする、とか」
「文官や裁判官などというのも、いいかもしれませんね。民のため、帝国のためにはたらく立派な役職です」
「う、うん……」
戸惑いつつも頰を染めるアリアを見ていたら、彼女ともっと親しくなりたいなという思いがふっとわいてきた。
「ねえアリア、よかったらお友達になってほしいな! わたし、あなたのことをもっと知りたいの」
そう言って、元気よくアリアに手を差し出す。彼女は紫の目を見張ってぽかんとしていたけれど、やがて戸惑いがちに手を握ってくれた。
「わたし、男爵家の娘だから、たぶん格下だけど……それでもいいなら」
「家の格なんて関係ないわ。わたしは伯爵家の娘で、セティは侯爵家の子だけど、ふつうに遊んでるもの」
「そうですよ。どうぞよろしくお願いしますね、アリアさん」
「あ、アリアでいい……」
そんな私たちを囲むようにして、ウサネズミたちがぴょんぴょんと跳ねていた。新しい友達ができたことを、この子たちも大いに喜んでいるようだった。
アリアと私たちは、順調に仲良くなっていった。赤子の頃から少々体が弱く、ずっと寝台で書物を読んで育った彼女は、六歳にして大人顔負けの知識を身につけていた。
しかし重度の引っ込み思案だったこともあって、彼女は学園に入るなり困り果てることになった。両親と年の離れた兄に大切に育てられた彼女は、同世代の子供のにぎやかさと幼さについていけなかったのだ。
だからすぐに特別研究に移りたいと申請して、それ以来いつもこの三階のベランダで隠れるようにして本を読んでいたのだとか。
そうして先日、図書室に本を戻しにきた彼女は、新たに特別研究を始めていた私とセティにばったり出くわした。驚いて逃げ出したものの、追いかけてきた私たちと話してみて思ったのだそうだ。この子たちなら騒がしくないし、難しい話も聞いてくれる。もしかしたら、仲良くなれるかも、と。
それを聞いた私とセティは、こっそりと苦笑し合った。私たちの中身は子供ではないから、子供が苦手なアリアも楽に接することができたのだろう。理由はどうあれ、お友達が一人増えたのは嬉しい。
教師たちも、私たちが仲良くなったことを喜んでくれていた。とびきり繊細なアリアのことを、みんなずっと気にかけていたらしい。あの子のことをよろしくね、と頼まれたので、元気よく答えた。もちろんです! と。
そんなある日、私とセティは動きやすい服装に着替えて、他の一年生たちと一緒に運動場をぐるぐると走っていた。私たちは六歳という年齢にしてはずば抜けて賢いけれど、運動のほうは年相応だ。だから、体育の授業にはきちんと出なくてはいけない。
体の弱いアリアは、運動場に面した回廊で見学している。以前はもっと別の場所、運動場からは見えにくい物陰に隠れていたらしい。知らない人ばかりで怖いと、そう主張して。だから、私もセティも彼女に見覚えがなかったのだ。
でも今日の彼女は「友達が頑張ってるから、ちゃんとみるの……」と言ってちょっとだけ近づいてきていた。そんな風に言ってもらえるのって、なんだか嬉しい。でも他の一年生が、あの可愛い子は誰だってそわそわするようになったけれど。
今日は規律正しく動くための授業ではなく体を鍛えるための授業だから、走る速さはめいめい好きにしていい。それをいいことに、私とセティは速度を調整して、走りながらお喋りしていた。
と、そんな私たちの横をペルシェがはあはあ言いながら勝ち誇った顔で駆け抜けていく。ふっくらとした体格のわりに、意外と機敏だ。というか彼は、運動においても私を好敵手扱いするつもりらしい。
「元気ですね、彼」
「でも、いちいちわたしに食ってかかるのはやめてほしいな。こそこそしてないのはいいんだけど」
前にルルたちが他の子たちをこらしめてくれた時のことを思い出して、くすりと笑う。隣のセティはそんな私を見ていたけれど、ふと何かを思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ。ちょっとしたものを実家から取り寄せたので、こんど持ってきますね」
「ちょっとしたもの?」
「まえにお話しした、ぼくが生まれてはじめて図面を引いたからくりです。いちど、きみに見せたくて」
走りながらセティが、両手で何かを包むような動きをする。
「これくらいの大きさの、手回しのオルゴールなんです。ねじを回すと、音楽に合わせて小鳥が歌うんですよ」
「すてき! そんなものを作れたんだ!」
「いえ、ぼくは図面を描いただけですから……」
照れくささを隠せずに微笑むセティが可愛くて、つい顔をのぞき込んでしまう。セティは困ったように、視線をそらしてしまった。
「ちょっと、あなたたち!!」
そうやってはしゃいでいたら、いきなり甲高い声が割り込んできた。ちょっと舌っ足らずの、女の子の声だ。
「今はじゅぎょう中よ、まじめにおやりなさい!」
声の主は、きらんきらんの金髪をきれいに巻いた、ちょっと派手な美少女だった。そのすぐ後ろに、取り巻きらしき女の子が二人、ぴったりと並走している。えっと、誰だったかな、この子たち。
「それでなくてもあなたたちは、いっつも特別研究でいっしょにいるのだと聞いていますわ。それはしかたない……しかたないということにしてさしあげますけど、走る時くらいは離れなさいな!」
金髪の子はそう言いながらも、ちらちらとセティを見ている。じれったそうなその視線で、ぴんときた。この子、セティのことが気になってるんだ。
「もうしわけありません、イリアーネさん。友人と話せるのが楽しくて」
立ち止まって、セティが頭を下げる。ああ、思い出した。この子、イリアーネだ。今年の一年生の中では一番格上の、パスティス侯爵家の子だ。
「もう、セティさまったら! でしたらわたくしとも、お話ししてくださいませ! わたくしたち、去年の舞踏会でいっしょにおどった仲でしょう!」
なるほど、彼女はセティと旧知の仲だったのか。で、やっと学園で彼と一緒に過ごせると思ったら、当てが外れていら立っているのだろうな。
「その、座学の授業にあなたがいないから、さびし……いえっ、なんでもありませんわ!」
わあ、寂しいって言っちゃった。本音が出てる。可愛いなあ。などとこっそり和んでいたら、イリアーネがぶんと首を振ってこちらを見た。巻いた金髪をひるがえしながら。
「そちらのあなた。ジゼル・フィリスですわね? 身のほどをわきまえませんと、今後どうなるかわかりませんわよ!」
そう言ってびしりとこちらに指を突きつけるイリアーネと、その後ろでうんうんとうなずいている取り巻きたち。これは間違いなく、私に対する宣戦布告なのだろう。
でもやっぱり、可愛いなあ以外の感情が浮かんでこなかった。前世の私は王の一人娘で、こんな風に子供と関わったことなんてなかった。だから、知らなかった。一生懸命になっている子供が、こんなにも可愛いものだったなんて。
「あ、あの、ジゼル……ちょっと……」
などと考えていたら、セティに袖を引かれた。ふと我に返ると、イリアーネが真っ赤になっていた。緑色の目で私をにらみつけて、ぷるぷると震えている。
「その、気持ちはわかるのですが……口に出てしまっていますよ」
「口に出た……なにが?」
「……『可愛いな』って、そう言っていました」
どうやら私もまた、ついつい本音をもらしてしまっていたらしい。これでは、さっきのイリアーネを笑えない。
「あ、あなたっ、いい加減にしてくださいませ! きょ、今日はこれくらいにしてあげますわ!」
ほんわかしている私に、イリアーネは分かりやすい捨て台詞を吐いて走り去ってしまった。やっぱり可愛いなあ。
「ジゼルさん、セティさん、足を止めずにちゃんと走ってくださいね!」
ちょうどその時、教師のそんな声が飛んできた。セティと顔を見合わせて、また走り出す。回廊にいるアリアが、小さく手を振ってくれた。
「……前から思ってたのだけど、セティって……もてるよね。すっごく」
体育の授業も終わって、またいつものように図書室で本を広げる。何気ないそんなつぶやきに、セティとアリアが同時にこちらを見た。
アリアの人見知りは私たちと友達になってからも相変わらずで、特別研究の際はやっぱりあの三階のベランダにいることが多い。けれど気が向くと、こうして私たちと一緒に図書室で本を読むようになっていた。彼女によれば、これはかなりの進歩らしい。
そしてそんな彼女のまねをするように、ルルたちウサネズミも時々本を読むようになった。といっても、一年生向けの易しい絵本を広げて、それをみんなでのぞき込んでいるだけだけど。
「もてる……女の子ににんき、ってこと……? だったら合ってる、かも……」
じっとセティの顔をのぞき込んで、アリアが真剣な顔でそう付け足す。
「ふ、二人とも、いきなりどうしたんですか!?」
突然そんな話を振られたセティは、真っ赤になっている。中身は大人なのに、こういうところは割と子供だ。私が子供っぽくふるまうのにすっかり慣れてしまったように、彼も多少は見た目に引っ張られているのかもしれない。
それはそうとして、セティはとても人気があった。とっても愛らしい見た目に、大人っぽい気遣い。惚れたはれたといった気持ちには
その筆頭が、イリアーネだった。彼女はあれからも、幾度となくセティに近づいていた。のみならず、どうにかして私とセティの間に強引に割って入ろうとしていたのだ。
ところがセティは、そんな彼女をのらりくらりとかわし続けていた。大人であるという自覚のある彼には、子供の全力の求愛をどうあしらっていいのか分からなかったらしい。
「人気があるのは、うれしいですが……でもぼくからすると、みんな子供ですし……」
セティは本で顔を隠しながら、そんなことをかすかな声でつぶやいている。
「だいたいそれを言うなら、ジゼルとアリアも人気があるんですよ?」
「わたしたち?」
「……え?」
急に話の向きが変わったことに、今度は私とアリアがぽかんとする。
「はい。ジゼルは元気いっぱいで、凜としていて物おじしないところがかっこいいと、もっぱらのうわさです。そしてアリアは、『正体不明の美少女』とよばれているみたいです。謎めいたところが気になるな、素敵だなって言っている子もおおいんですよ」
「しょうたいふめい……」
「あ、アリアは他のみんなとつきあいがないし、誰かが近づくとにげちゃうから」
セティの言葉に呆然としているアリアをなだめつつ、自分のことについても考える。そっか、私、かっこいいって思われてたんだ。今の私はもう女王じゃないけれど、ちょっとそれっぽい雰囲気とかがまだ出ているのかな。嬉しいような、複雑なような。
ちぃ!
そうこうしていたら、机の上に置いたノートからウサネズミたちがぞろぞろと現れた。興奮気味にちいちいと鳴きながら、てんでに跳ねている。その真ん中では、ルルが小さな手を挙げて、一生懸命に振っている。
「『自分たちはどうか』って言ってる気がする……」
次の瞬間、アリアがばっと机に覆いかぶさった。と思ったら、絵本を囲んでいたウサネズミたちをまとめて抱きしめている。
「可愛い! みんな、とっても可愛い!」
実はアリアは、かなりの動物好きだ。初めて私たちと出会った時も、ウサネズミたちに気を取られて逃げるのが遅れたのだそうだ。
アリアに頰ずりされて喜んでいるウサネズミたちを見やって、セティが首をかしげる。
「といいますか、ルルたちは割と好き勝手に出歩いて、いろんな人たちと交流していますよね。既にそちらでさんざん、ほめてもらったのでは……」
「たぶん、わたしたちにもほめてほしかったんだと思う。可愛いって」
ぼそりとつぶやくと、ウサネズミたちのはしゃいだ鳴き声が図書室にとどろき渡った。驚いて様子を見にきた教師に「特別研究の間はお静かに」と怒られてしまったけれど、それもまた楽しかった。
その次の日。今日は私とセティの二人だけで、特別研究にいそしんでいた。
「ジゼル、約束のものをもってきましたよ」
どことなくうきうきした様子で彼が机の上に置いたのは、綺麗な銀色の置物だった。花畑にたたずむ小鳥をかたどった飾りが、六角形の台座の上に載っている。
「昨日話した、オルゴールです。ここのねじを巻くと……」
ねじを巻いたとたん、台座の中から優しい音色が聞こえてくる。小鳥がはばたき、歌うようにくちばしを動かしている。
「うわあ、すごい……これ、本当にあなたが図面をひいたの? 生まれてはじめて?」
「そう感心されると、てれますね。三か月かけて、試行錯誤しながらひきました。そうだ、中もみてみますか?」
セティがオルゴールを持ち上げ、底板を外す。中には、大小さまざまな歯車や刻みをつけた小さな棒など、とても細かな部品がぎっしりと詰まっている。
「ねじの回転が、こちらの棒に伝わって、この歯車に……」
顔を寄せ合ってオルゴールをのぞき込み、その繊細な動きに目を凝らす。
「あ、この棒のうごきが、小鳥のくちばしのうごきに関係するの?」
「はい、そうです。翼も同じような仕組みなんですよ。この歯車から、こちらとこちらに力がつたわって……」
私がからくりに興味を持ったのが嬉しいのか、セティはとても丁寧に教えてくれていた。それを見ているうちに、頭の中である考えが形を取り始めた。
からくりの基本は、いずれかの部品に動きを与えることで、他の部品たちに思いもつかない動きを与えること。その仕組みを、魔法陣に組み込めば。
「あ、そうだ!」
顔を上げ、目の前の宙に指で魔法陣を描いていく。私の短い腕でも描ける、小ぶりの魔法陣を。ただし、線はいつもより多い。
それから、淡く輝く魔法陣をつんと指でつつく。描かれた線の一部がばらりとほどけ、互いにぶつかり合いながら広がり、かちかちと規則正しくはまり込んでいく。
そうして、さっきのものより二回りほど大きな魔法陣が、その姿を見せていた。中からひゅんと大きな影が飛び出し、近くの床に着地する。全身タンポポ色の、大きなオオカミだ。おっとりとした優しい顔をしていて、笑顔で尻尾をぶんぶん振っている。
「ジゼル、今のって……」
「からくりの仕組みをまねしたら、もっと大きい魔法陣が描けるかなっておもいついたんだけど、うまくいったみたい」
とはいえ、やっぱりぶっつけ本番ではそこまで大きなものにはできなかった。この方法、まだまだ改良が必要だな。寄ってきたオオカミをわしゃわしゃとなでながら、そんなことを考える。
「あ、でも、先生に確認してもらうまえに、実践しちゃった……セティ、このことはひみつにしてね」
「はい、もちろんです」
あわてて口止めをする私に、セティがおかしそうに笑う。しかし彼のその整った顔は、なぜだか急にくもってしまった。
「あなたの魔法の才能、やっぱり素晴らしいですね……こんなオルゴール一つを参考に、もう次の段階にすすんでしまった」
「それをいうなら、あなたの研究のほうが順調じゃない。もう、機械弓の図面をかきはじめてるんだから」
「順調ではあるんですが、まだまだ足りません。……今度こそ、まもらなくては」
その思い詰めた様子に、眉をひそめつつ口を挟む。
「女王エルフィーナはもういない。この翠翼の帝国は平和だし、戦いなんておこらない。わたしたちはずっとずっと、平和にくらせるの」
アリアは言っていた。かつて翠翼の帝国は積極的に戦いを起こし、領土を拡大していた。けれどカイウス様の代になってからは一気に方針転換し、今では国土を富ませることに重点を置いているのだとか。
「だから守るための力を、無理においもとめなくてもいい。分かってるでしょう?」
「ええ。それでも……ぼくはまだ止まれないんです」
私の言葉にじっと聞き入っていたセティが、静かにつぶやいた。
「もしぼくが、あなたのように前世の記憶を全部もっていたなら、きっともっと簡単に前をむけたでしょう。もう過ぎたことなのだと、自分にそういいきかせて」
そう言って、彼はぎゅっとこぶしを握りしめる。
「でも今のぼくにあるのは、焼けつくような後悔だけなんです」
うつむき気味のその顔には、ひどく大人びた表情が浮かんでいた。寂しげで、けれど決意を秘めた、そんな顔だ。
「だからもうしばらく、ぼくは強くなる方法をさがします。いつか、この後悔をのりこえられる、そんな日がくることをしんじて」
「……うん。わたしにできることがあれば、いつでも言ってね? 今のわたしは、あなたの友達なんだから!」
そんな彼を少しでも元気づけたくて、彼の手を取って懸命に笑いかける。返ってきたのは、ちょっぴり照れくさそうな笑顔だった。

そんな風に充実した日々を過ごしていたら、あっという間に初夏になっていた。この学園では春・夏の前学期と秋・冬の後学期に分かれていて、学期末にはそれまでの学習内容を確認するための試験があるのだ。
一年生の出題範囲は、基礎の教養のみ。でも、それなりに難易度は高い。賢い子でもきっちり試験勉強をしておかないと苦戦するし、満点を取るのはかなり難しい。
……私たち三人を除いて。
私とセティは、中身は大人だ。六歳の子供が身につける程度の教養はもう頭に入っている。そしてアリアは、一度読んだことは忘れない。教養なら、入学前に全部覚えていたのだとか。というか彼女の特別研究、初等科じゃなくて高等科の範囲だし……。
かくして今年の一年生は、『全科目満点が三人もいる』という、学園始まって以来の記録を叩き出してしまったのだった。
そんなとんでもない試験結果が出た数日後、私たち三人は学園の一室に集められていた。眼鏡をかけた上品な中年の女性教師が、私たちを順に見る。
「あなたたちは大変優秀な成績を収めました。そのため、特別なご褒美があるとのことです。そそうのないよう、行儀良くしているのですよ」
ちょっぴり心配そうにそう言うと、彼女は私たちに声をかけて部屋を出る。そのまま一緒に廊下を歩き、学園を出て……どこまでいくんだろう?
きょとんとした顔を見合わせる私とセティ、そして私たちに隠れるようにしておびえた顔で歩くアリア。教師は立ち止まらず振り返らず、少し緊張した足取りですぐ隣の帝城に向かっていく。あ、この道って、まさか。
なんとなく行き先を察したまさにその時、見覚えのある豪華な扉の前にたどり着いた。教師がぴたりと足を止め、小声でささやいてくる。
「……陛下が直々に、あなたたちにお言葉をかけてくださるとのことです。私はここで待っています。さあ、行ってらっしゃい」
彼女がそう言い終えると同時に、扉の両脇に控えていた兵士たちが扉を開けてくれた。気のせいか、みんな私たちの姿を見て和んでいる。
「陛下に謁見ですか……さすがに緊張しますね……」
「こわい……」
「二人とも、大丈夫。カイウス様は怖いお方じゃないから。ほら、前にいったでしょう。わたし、前にもカイウス様とあったことがあるのよ」
「……はい」
「……う、うん……」
緊張を隠せないセティと、半泣きのアリア。そんな二人をなだめて、しずしずと謁見の間に足を踏み入れる。
そこでは前と同じように、玉座に座ったカイウス様が私たちを待ち受けていた。ただ今回はゾルダーも騎士たちもおらず、彼一人だ。皇帝がこんなに無防備でいいのかと心配になるような、そんな状況だった。まあ、謁見の間の外には兵士がいるし、中に入るのは子供が三人だけだからいいのかな。
「よくぞ参った。ほら、もっと近くにくるがいい」
前の時とは違い、今度は言われるがままカイウス様のすぐそばまで歩いていった。右にセティを従え、アリアと左手をつないで。
そんな私たちを、カイウス様は金色の目をきゅっと細めて見守っていた。とても優しくきさくなその表情に、アリアがちょっと肩の力を抜いている。
「全科目満点の最優秀生徒、それが三人。何とも頼もしいことだ。しかも、そちらは親しき友人同士だと言うではないか。互いに
ゆったりと笑い、カイウス様が私を見る。
「こうして言葉を交わすのは久しぶりだな、ジゼル。少し見ぬ間に大きくなった。よき友もできたようで何よりだ。……楽しく、過ごせているか?」
「はい。わたしがこうして楽しく日々をすごせているのは、この帝国が平和だからだと、そうおもっています」
私の返事を聞いたカイウス様は、一瞬切なげに目を伏せた。まただ。また、カイウス様は不思議な表情をしている。私が四歳の時も、そして今も。どうしてそんなに、こんな子供のことを気にかけてくれるのだろうか。
しかし次の瞬間、彼はゆったりとした笑みを浮かべ、今度はセティとアリアに呼びかける。
「セティ、アリア。そちたちにはこれを授けよう。我は良き人材を見逃すほど、愚かではないのでな」
彼が二人に渡したものを見て、目を見張る。それは、見覚えのある首飾りだった。エメラルドの目をした白いワシが描かれた金のコインが、金の鎖に下がったもの。私が今制服の下に、こっそりと身につけているものと同じ。
「忠誠の、首飾り……ですか……身にあまる品に、ございます……」
「わ、わたし、これ……」
二人は首飾りを手にしたまま、がっちがちに硬直してしまっていた。私も二年前は、あんな感じだったのかなあ。
「気にせず受け取るがよい。ジゼルも同じものを持っておる。友人同士、揃いというのも悪くはなかろう」
すると二人は、弾かれたようにこちらを見た。四歳の時にカイウス様に呼ばれたことについては話していたけれど、この首飾りについては黙っていたのだ。どう話しても、自慢みたいになりそうだったし。
「たかが首飾りだが、それが役に立つ局面もあるやもしれぬ。未来ある子らにとって、使えるものは多いに越したことはない」
カイウス様の声は朗々と、私たちを包み込むように響く。
「思い思いに、持てる力を存分に伸ばすがいい。そちたちがどのような道を選んだとしても、それは我が帝国の力となり、
「……はい、ありがとうございます!」
「は、はい……」
それでもまだ面食らっている二人がおかしかったのか、カイウス様は明るく声を上げて笑った。それから、また私に向き直る。
「そしてジゼル、そちには魔導士の塔への立ち入り許可を与えよう。あの塔にある資料に、好きなだけ触れて構わない。さすれば、そちの研究もよりはかどるであろう?」
魔導士の塔。それは帝城のそばに立つ高い塔で、そこにはこの帝国における魔法の知識の全てが収められているという。魔法の使い手なら一度はのぞいてみたい、魅惑の場所だ。
自然と顔が輝くのを感じながら、カイウス様の顔を思わず見つめる。口調こそずっと仰々しいままだったけれど、彼の金色の目はいたずらっぽく笑っていた。前よりもぐっと親しげなその視線に、少し戸惑いつつも笑顔で答える。
「はい、ありがとうございます!」

学期末の試験が終わったら、夏の長期休暇だ。生徒たちは一度自分たちの家に戻り、家族と一緒にゆっくりと過ごすのだ。実家が遠い生徒にも配慮して、休暇はたっぷり二か月取られている。
とはいえ、私は帝都で両親と一緒に過ごしているし、中身は大人だ。わざわざ生家に戻る必要も感じなかったので、ここぞとばかりに帝都で遊んで回ることにした。帝都は長い歴史を誇り、そして今なお大いに栄えている都ということもあって、遊ぶところも見て回るところも山のようにあった。
お買い物をしてお茶をして、劇を見たり絵画を見たり。またある時は、両親の馬に乗せてもらって帝都の外まで遠乗りしたり。さらにある時は、帝都のすぐ外にある川にも行った。そこには子供でも安全に泳げるように、自然の川を整備した浅いため池があるのだ。
買ってもらった新しい水着で、親子三人きゃあきゃあとはしゃぐ。学園で召喚魔法を研究しているのも楽しいけれど、こうやって両親と遊んでいるのもとっても楽しい。学園に入学してから両親と過ごす時間が減ってしまったけれど、まだまだ二人のちっちゃな娘でいられることに、嬉しさを感じた。
そんな元気いっぱいの夏の、ある日。
「その……ぼくがお邪魔して、よかったのでしょうか」
帝都の屋敷の応接間で、ソファに座ったセティがちょっと困ったように笑っていた。にこにこ笑う両親の熱い視線を受けながら。
「もちろんよ。わたし、あなたと遊びたかったんだもの」
私の返事に合わせるように、ルルたちウサネズミがちぃっ! と鳴いていた。
こんなことになったそもそもの始まりは、夏休み前のこんな会話だった。
「セティとアリアは、夏休みはどうするの? わたしは帝都で過ごすつもりだけど」
「わたしは、家にかえるの……まだ読んでない本がたくさんあるし、お兄様にあそんでもらいたいから、ぎりぎりまであっちにいるつもり」
「ぼくも一度家に戻りますが、休みの途中でまたこちらに戻ってこようとおもいます。家にいてもひまなので」
セティの実家であるランカード侯爵家の屋敷は帝都から遠く、しかも彼の両親はあれこれと忙しくしている。そして中身は大人であるセティは、親兄弟と離れていてもさほど寂しいとは感じていない。だから休みを早めに切り上げて、学園の寮でのんびりと自主的に特別研究を進めるつもりらしい。
彼のように、休みの途中で学園に戻ってくる子も少なくはない。特に上の学年の子たちなんかは里帰りをぱぱっと済ませて帝都に戻り、友達同士で城下町に繰り出し遊ぶのだとか。
でもセティは、せっかくのお休みのほとんどを寮と学園で過ごすつもりらしい。それは、ちょっともったいないと思った。
だからセティを、遊びに誘ったのだった。夏休み、うちに遊びにおいでよ、と。まだ両親の了解を取ってないけれど、たぶん大丈夫だよね、と思いながら。
帰ってこのことを話したら、両親はすっかり張り切ってしまった。ジゼルのお友達を招待できるなんて最高だ、これは頑張らないといけないわね、そう言って。
そして今、私たちの目の前には、クッキーが山のように積まれた大皿が置かれている。そして両親は、さっきから私たちにせっせとお茶とお菓子を勧め続けていた。
「パパ、ママ、少し落ち着いて。セティがこまってるよ」
「だって、やっとセティさんと会えたんだもの。いつもあなたから話を聞いていて、どんな子だろうって気になっていて」
メイドたちが動き出すより先に、お母様がセティのカップにお茶のお代わりを注いでいる。
「ジゼルの大切なお友達をお招きできたんだ、少し浮かれるくらい許しておくれよ。ところでセティ君、お茶は口に合ったかい? とっておきの茶葉なのだけれど」
そしてお父様も、そわそわしながらセティの顔色をうかがっている。そんな両親に、セティがおっとりとした笑顔を返している。これでは、どちらが大人か分からない。
「はい、とてもおいしいお茶ですね。お気遣い、ありがとうございます。……ジゼルから聞いていましたが、素敵なご両親ですね」
そう言ってセティは、こっそりと目配せをしてきた。ちょっぴりおかしそうな顔で。
遊びに誘った時に、一応セティに説明はしておいた。うちの両親、とってもわたしに甘いの。というか、甘すぎるの。びっくりするかもしれないから、心の準備だけはしておいて、と。
「こちらこそ、ジゼルに君みたいなしっかりしたお友達ができて嬉しいよ。ほら、ジゼルは小さい頃からとても賢くて大人びているから、同世代の子と仲良くできるか心配していたんだ」
「それにとっても可愛いから、嫉妬されていじめられたらどうしようって、ずっと心配で」
うう、恥ずかしい。うちの両親は、娘の同級生の前でも少しもぶれない。いつもと同じように、堂々と自慢話をしている。しかも困ったことに、二人とも自慢しているということを自覚していない。ただ事実を述べているだけなんだという顔をしている。そのせいか、余計に恥ずかしい。
「ジゼルは強い子だからきっと大丈夫だって、毎日レイヴンとそう言っていたのだけれど……」
「入学してすぐにお友達ができたって聞いて、ほっとしていたんだ」
「ちょっとしたいたずらをされた時は、本当に気をもんだの」
「あの時は、セティ君がいてくれてよかったと心から思ったよ。少なくとも一人は、ジゼルの味方がいてくれるんだって思えたからね」
今度は二人して、過保護を隠そうともしていない。セティがとても温かいまなざしをこちらに向けている。微笑ましいですねと言わんばかりの目だ。あああ、恥ずかしすぎていたたまれない。
そうやってわいわい騒ぐ私たちを、机の上でルルがのんびり見守っていた。こりこりと軽やかな音を立てて、クルミをかじりながら。
その日、セティは私の屋敷に泊まった。前もって寮に届けを出しておけば、外泊も許されるのだ。セティはやはり恐縮しつつも、それでも両親の熱烈なもてなしに喜んでいた。
そうして、次の朝。
「さあ、それじゃあ行くわよ!」
「二人とも、はぐれないようにな!」
朝から元気いっぱいの両親が、私たちよりもはしゃいだ顔で声を上げる。そうして四人一緒に屋敷を出た。今日の目的地は割と近いということもあって、馬車は使わず徒歩だ。今日は特に人出が多くなるので、馬車で向かうと逆に時間がかかるのだそうだ。
今日はルルもついてきている。とはいえこんなに可愛くて珍しい生き物がふらふらしていたらとっても目立つ。実際、こないだお買い物についてきた時は、通りすがりの人たちや他の客だけでなく、店員までもがルルに見とれてしまっていた。なので、今日はぬいぐるみのふりをしてもらっている。それでも、「いいなあ、どこで買ったんだろう」という声がちらほら聞こえているけれど。
両親に左右から挟まれるようにして、セティと手をつないでせっせと歩く。
「なんだか、不思議なきぶんです」
にぎやかな声が飛び交う中、隣のセティが小声でつぶやいた。
「……こんな風にきみと遊びに出かけることになるなんて、おもいもしませんでした」
「そうかなあ? わたしたち、今はごく当たり前のお友達だし、これくらい当然だとおもうわ」
明るく子供らしく言ってから、思い切り声をひそめる。
「とはいえ、前世では友達なんていなかったから、断言はできないけど」
前世のことについては、今のところ私たち二人だけの秘密だった。あの湖月の王国にゆかりの者だと知られたら、どんなことになるか分からなかったから。それにセティはともかく私は、前世のことなんてもう忘れていたかったから。
気を取り直して、弾んだ足取りで歩き続ける。肩からかけた小さなポシェットに入ったルルが、こっそりと耳をぴこぴこ動かしていた。
夏休みに入ってからあちこち遊びに出てはいるけれど、こんな風に通りを歩くことはあまりない。帝都は治安もいいし気軽に歩く貴族も多いけど、このちっちゃな体ではちょっと大変だ。
あそこの鉢植えが素敵ね、とか、あっちに格好いい犬がいるぞ、とか、歩いている間も両親はひっきりなしに話しかけてくる。それに笑顔で答えていたら、セティがくすぐったそうに笑った。
「お二人は、きみのことを大切に思っているのですね。その友達であるぼくのことも楽しませたいという思いが、ひしひしとつたわってきます」
「うん。ちょっと過保護だけど」
「愛しくてたまらないひとり娘なんですから、過保護にもなりますよ。ふふ、きみもたっぷり甘やかされて、幸せそうです」
私たちの内緒話は、身長差と辺りの喧騒にかき消されて両親の耳には届いていない。両親は仲のいい子供たちが微笑ましくてたまらないといった表情で、顔を寄せ合っている私とセティを見守っている。
「……うん。でも、できればパパとママがこんなだってことは、学園のみんなには内緒にしてほしいな……これ以上、めだちたくないし」
「けれどもう、きみは一年生で一番めだっていますよ」
「う、それはそうかもしれないけれど」
珍しくもからかっているような様子で、セティが笑う。うまく言い返せなくてわたわたしていたら、彼がふっと目を細めた。
「……きみは、本当にいいところに生まれ変わったんですね。こうしてきみが幸せに過ごしているのを見ていると、ぼくの胸もあたたかくなります」
空いた右手でそっと自分の胸を押さえているセティに、そっと呼びかけた。
「セティは、幸せ?」
彼の今の両親であるランカード侯爵夫妻は、領地の開拓といった仕事もあるとかでとても多忙にしている。三番目の息子のセティとは、あまり接触がないらしい。上位の貴族ではよくある話だし、セティの心は大人だ。でも私が彼の立場だったら、少し寂しいと思うかもしれない。
「はい、幸せですよ。両親も、兄たちも、忙しいながらもぼくとの時間を大切にしてくれていますから。それに、こうしてきみともめぐりあえた」
「うん。前世のことはあまり思い出したくないけど……それでも、秘密を分かち合える人がいるのはいいよね」
ちょっとしんみりしながらささやき合う私たちに、ルルが首をかしげてちいっ、と鳴いていた。
「ほら、着いたぞ!」
「話には聞いていたけれど、本当に大きいのねえ!」
それからもう少し歩いたところで、両親が歓声を上げた。道行く人たちがどんどん増えているなとは思っていたけれど、もう人だらけだ。そのせいで、周りがよく見えない。しかも、みんな私たちと同じ方向に進んでいるし。
歩きながらつま先立ちをして、それからぴょんと跳んでみて。何か大きなものが行く手にあるなってことしか分からない。
「み、見えないよ……なにがあるの?」
「大丈夫よジゼル、ほら、もうすぐそこだから」
お母様がそう言ったとたん、目の前が開けた。地面に細い鉄のくいが等間隔にたくさん打たれ、その間に細縄が渡されている。どうやらこれは、簡易の柵代わりらしい。
その向こうには、広々とした草地が広がっていた。そしてそのど真ん中に、とびきり大きな天幕が立っている。ちょっとした建物なら丸ごと一軒すっぽりと……いや、二、三軒かな? もっとかも……入ってしまいそうなくらいに大きい。あの天幕、どうやって立てたんだろう。
天幕のいたるところにはきらきらした飾りがつけられていて、とても華やかだ。その周囲では派手で不思議な格好をした人たちが何人も、飛んだり跳ねたり楽器を奏でたりしている。
そして集まってきた人たちはみんな期待に目を輝かせて、列になって天幕の中に入っていく。
なんだろう、これ。昔、絵本で似たようなものを見た気がする。
「もしかして、サーカス?」
どきどきしながら尋ねると、お父様が満面に笑みを浮かべた。
「そうだよ、ジゼル。今、このサーカス団が評判でね。一度、君に見せたかったんだ。セティ君は、見たことがあるかな?」
「いえ、ぼくも初めてです。話にはきいていましたが……外から見ているだけで、わくわくしますね」
無邪気に笑って、セティも天幕を見つめている。彼にしてはちょっと珍しい表情だ。それを見たお母様も、嬉しそうに微笑んでいる。
「このサーカスは、とびっきりの芸を見せてくれるんですって。陛下の御前に呼ばれたこともあるって話よ。……ふふ、あなたたちと一緒ね」
「なんでも、引退した元魔導士が団員にいるとかで、技のみならず演出も素晴らしいんだそうだ」
そうして、私たちも天幕の中に入っていった。分厚い布を留めただけの入り口をくぐると、突然外の喧騒が聞こえなくなる。まるで別の世界に足を踏み入れたような、そんな気分だ。召喚獣も魔法陣をくぐる時、こんな気分になるのかな。
天幕の中は、やはり広かった。けれど魔法の温かい光があちこちを照らしているので、思っていたよりはずっと明るかった。
中央に、円形の広い空き地がある。あそこで、出し物が披露されるのだ。そしてその空き地を囲むように、たくさんの長椅子が並んでいる。こちらが客席だ。既に席は三分の一くらい埋まっているけれど、客たちはみな声をひそめて、ただ静かに待っていた。
四人並んで長椅子に腰を下ろし、そわそわしながらじっと待つ。きっと私も、周りの人たちと同じようにわくわくした顔をしているんだろうな。見ず知らずの人たちと同じ気持ちを分かち合っているということが嬉しくて、心がさらに浮き立つ。
そうして待つことしばし、ふっと天幕の明かりが消えた。そして次の瞬間、空き地だけがぱっと明るくなった。その中央に誰か立っている。
天幕中の視線を集めているのは、黒い礼服のような服をまとった壮年の男性だ。手入れの行き届いた口ひげがよく似合う、かなりの男前だ。服に何か縫いつけてあるのか、星空のように輝いている。
「紳士淑女のみなさま、このたびはお集まりいただき、恐悦至極に存じます」
深みのある声で男性がそう言うと、ぱんという軽い音と共に、色とりどりの紙吹雪が天幕中に舞い散った。いよいよ、サーカスが始まるのだ。
生まれて初めての……前世の分も含めて初めてのサーカスは、驚くことばかりだった。華麗な衣装をまとった五人の女性が、信じられないほど機敏に動き、踊り、跳ね回る。魔法の光が様々に色を変えながら、天幕中を飛び交っている。その美しい光とあまりに巧みなその舞に、まるで何十人もが同時に踊っているかのような錯覚に陥る。
さらに筋骨隆々の大男が、お父様の倍くらいありそうな丸太を軽々と振り回し始めた。ぽかんと口を開けていたら、ぴったりとした服を着た美女がするすると大男の体を登り、丸太を登り……丸太のてっぺんまでたどり着いたところで高々と足を上げ、ぴたりと静止した。どんな鍛錬をしたら、あんな動きができるんだろう。
ほうと感動のため息をついていたら、次の出し物の準備が始まった。大きな輪っか、大人の身長くらいの輪っかがついた台と、とびきり大きな金属の檻が、天幕の奥から引き出されてくる。中には、私くらいなら楽々丸吞みできそうな大きな猫……じゃなくて、トラだったかな。そのトラが恐ろしげな牙をむき出して、低くうなっている。前列のほうから、小さな悲鳴がいくつも聞こえた。
「さあ、これより狂暴なる猛獣を、自由自在に従えてみせましょう! お客様、恐れる必要はございません!」
最初に挨拶をした壮年の男性が、高らかにそう言い放つ。檻の扉が開いて、トラがゆったりと進み出てきた。悲鳴がさらに大きくなっていく。しかし次の瞬間、輪っかのそばに控えていたがっしりとした中年の男性が動き出した。
彼は輪っかに火を放つと、トラに向かって高い声で何事か吠えかけた。どことなく眠そうな目で客たちを見渡していたトラが、すっと身構え、跳んだ。輪っかめがけて。ルルがぢいっ、と鳴いて、ポシェットの奥にもぐりこんだ。
天幕中を悲鳴が満たす中、悠々とトラは燃える輪っかをくぐり、中年の男性のもとに歩み寄っていった。男性から鶏肉らしきものをもらって、おいしそうに食べている。怖いけれど、猫みたいでちょっと可愛くもある。
トラって初めて見たけれど、もっともっと大きな魔法陣を描けるようになったら、あんな感じの召喚獣も呼べるかな。そうしたら、もっと面白い芸ができるかも。
もっとも、そんな大きな子を呼ぶ前に、召喚獣と仲良くなるこつをつかんでおかないと。制約の魔法はできるだけ使いたくないし、いつかのピクニックの時みたいなことになったら大変だし。あの時は海に落とされただけで済んだけど、トラの召喚獣が暴れたら……考えたくない。
「……ジゼル、召喚魔法のことを考えていますか?」
あれこれ思いをはせていたら、隣のセティがこそっと呼びかけてきた。そちらを見ると、とても楽しそうに微笑んでいる。
「うん。このまま魔法の研究を続けていったら、もっとすごい芸ができそうだな、って」
そんなことを話していたら、また次の出し物が始まった。空き地の真ん中に置かれた、私と同じくらいの背丈の人形。綺麗なドレスをまとい、手にはつぼみのままのバラらしき花を持っている。
ここから、どうなるのかな。さっきのトラと違って、団員は誰もそばについていない。首をかしげていたら、いきなり人形が動き出した。トラの時とは違う悲鳴が、あちこちから上がる。
客たちが
「世にも珍しきからくりの真髄、ご覧いただけたでしょうか!」
壮年の男性の声に、ようやく客たちがほっと息を吐いた。ああ、やっぱりあれはからくりだったんだ。とても自然な動きだったから、逆に不気味だった。
ふと隣を見たら、案の定セティがきらっきらの目をしている。「うわあ……すごい動きだ……中、どうなってるんだろう」とか「見てみたいな……無理かな……」などという子供らしい独り言が、その唇から漏れていた。いつもと、ちょっと口調まで違ってしまっている。
「お休みなのに、特別研究から離れられないのね、わたしたち」
くすりと笑ってささやいたら、セティもちょっぴり決まりの悪そうな照れ笑いを返してくれた。
「そうですね。でも、普段は戦いのための武器のことばかり考えていましたから、こういうのも新鮮でたのしいです」
「……ねえ、だったらそのうち、一緒に研究しない?」
普段よりもずっとくつろいだセティの表情を見ていたら、私の口から自然とそんな言葉が飛び出した。
「今の特別研究が一段落ついたら、共同研究にとりかかるの。わたしたちの魔法と機械の技術を駆使して、どんなサーカスがつくれるか考えてみるとか、どう?」
セティは一瞬きょとんとして、それからふわっと愛らしく笑った。
「……ふふ、いいですね。今この天幕に満ちている驚きや歓喜を、ぼくたちの手でうみだす……たのしそうです」
私の召喚魔法。セティの機械技術。それはどちらも、戦いにおいて大いに役に立つ。以前の翠翼の帝国のように攻める戦であっても、あるいは湖月の王国のように守る戦であっても。
けれどやっぱり、私は自分の力をそういったことに使いたくなかった。そして、セティにも使って欲しくなかった。
そんなことを考えてしまったのを見抜かれたのか、セティがそっとささやいてきた。
「でしたらいっそ、アリアも巻き込んでしまいましょうか。今までに例を見ないふしぎなサーカスには、それ相応の手続きも必要になるとおもうんです。彼女なら、必要となる内容を的確にまとめてくれるでしょう」
「うん!」
我ながら、子供っぽい夢だなとは思う。現実的に考えれば、貴族の子供が三人でサーカスを開くことなんて、まずあり得ない。それでも、そんなふわふわした夢を見ることができるだけで、とても嬉しかった。前世では、そんなことは決して許されなかったから。
「噂通り、いや噂以上に素晴らしかったね!」
「そうねレイヴン、来てよかったわ!」
そうしてサーカスを見終えた私たちは、また並んで城下町を歩いていた。まだ熱気冷めやらぬ両親がきゃあきゃあとはしゃいでいるのを、微笑ましく思いつつ。
サーカスをたっぷり楽しんだ後は、そのまま外でお昼ご飯だ。両親は今日のためにしっかりと下調べをして、いいお店を見つけてくれていた。私たちを楽しませようと張り切ってくれたらしい。いつものことだけれど、本当に愛されてるんだなって実感する。
にぎやかな大通りを離れると、とたんに閑静な雰囲気の区画に出た。住宅地のようだけれど、ところどころに店のようなものがある。
「さあ、ここだよ。予約の時間ぴったりだ」
「友人に教えてもらった、隠れ家みたいなお店なのよ。店主の方は、わざと大きな馬車の入れない細い通り沿いにお店を開いたんですって。目立つのも騒がれるのも苦手だとかで」
「でも、味はとびきりだって評判なんだ。お昼時しか営業してないから、予約を取るのも大変だって言われてる」
「セティさんが遊びにくるって聞いて、すぐに予約を入れたの。ふふ、ぎりぎり間に合ったわ」
四人で店に入ると、すぐに給仕が出迎えてくれた。そのまま、外の通りが見える窓際のテーブルに案内される。
お父様があれこれと注文している間に、店の中を見回してみた。壁は木の板に
そんなことを考えていたら、料理を載せた大皿が次々と運び込まれてきた。
「うわあ、ピザだ! トマトたっぷり!」
「こちらは生ハムのサラダですね。おいしそうですし、花がのせられていてかわいいです」
昼食というより軽食、それもこぢんまりとした立食パーティーなんかで出てくるような料理が、どんと大皿に載って出てきたのだ。それぞれ手元の皿に取り分けて食べろということらしい。
はしゃぎながら手分けして、めいめい料理を取り分けていく。ポシェットに収まったまま目を輝かせているルルにも、サラダの飾りの花をあげた。
そうして同時に料理を口に運び、一斉に顔をほころばせる。
「トマトの酸味とチーズのコクのある香りが、すっごくあう……バジルの風味もすてき」
「しゃきしゃきした葉野菜に、ハーブのほろにがさが、とても食欲をそそりますね」
料理がおいしくて、つい二人してそんなことを言ってしまう。普段はちょっと意識して子供っぽくふるまっている私たちの大人びた言葉に、両親は目を丸くした。けれどすぐに、とっても嬉しそうな笑みを浮かべた。
「あらジゼル、立派な論評ね。もしかしたら、料理の才能もあるのかしら?」
「セティ君も、中々に鋭い舌を持っているじゃないか。そうだ、大きくなったら二人で料理店を開くのもいいな」
「パパ、ママ、またおかしな方向に話がずれてるよ……セティを困らせないで」
私がもっとずっと小さかった頃、両親は寝台に横たわっている私を囲んでよく言っていた。この子は大きくなったら何になるかな、と。そうして、私の未来の姿をあれこれと想像していた。その中には、皇妃なんてとんでもないものも混ざっていたけれど。
ともかく、私が召喚魔法を使い始めた辺りから、両親のその空想……というか、妄想……は割と落ち着いていた。それなのに、突然セティを巻き込んで暴走するなんて。
「いえ、そういうのも素敵だとおもいますよ」
「もう、セティまで……」
しかし当のセティは、平然と食事を続けている。はしゃぐ両親を、穏やかな目で見守って。やっぱり、どちらが大人なのか分からない。
これ見よがしにため息をつきながら、今度はサラダを一口食べる。生ハムとハーブの香りが見事に調和していて、とってもおいしい。ついしみじみと、味わってしまう。
前世では、こんな風に食事を楽しむ余裕なんてなかった。国は貧しかったから私の食事も切り詰めていたし、気苦労が多すぎて物の味なんてろくに分からなかった。
そんなことを思い出した拍子に、ちょっと涙がにじんできた。両親に見つかって大騒ぎされる前に、視線をそらしてごまかす。
そうしたら、セティと目が合った。私を気遣うような、そんな目をしている。
「どうしました?」
「ご飯がおいしいな、って」
「はい。おいしいですね」
どうやら私の気持ちが伝わったらしく、セティはちょっと切なそうに、けれど嬉しそうに笑いかけてくれた。もう一口料理を頰張って、笑顔のまま目元をそっと拭った。
「パパ、ママ、おはよう」
「おはようございます」
次の日の朝、私とセティが居間に顔を出すと、そこには妙な光景が広がっていた。
「おはよう、ジゼル、セティ君」
「おはよう、よく眠れたかしら?」
両親が口々に、挨拶を返してくれた。けれど二人とも、すぐにテーブルの上に視線を戻してしまう。不思議そうに、首をかしげながら。
そこには、私のノートが置かれていた。永続化の魔法つきの魔法陣が表紙に描かれた、ルルたちウサネズミの出入り口になっているあれだ。ちょうど今も、よいしょと一匹がこちらに顔を出している。
そしてその周囲に、なんだか妙なものたちが置かれていた。本を積み重ねて作った階段のようなもの、
「これ、なあに?」
「サーカスごっこよ。この子たちが遊びたそうな顔をしていたから、その辺のものでそれっぽいものをこしらえてみたの」
「楽しんでもらえたのはいいんだが……さっきから一つ、気になることがあるんだ」
そう答えて、両親はテーブルの上を見つめ続けている。
「どうもこの子たち、言葉が通じているような気がするんだよ」
腕組みをするお父様。その言葉に、私とセティが同時に黙り込む。
すると今度は、お母様が口を開いた。眉をぐっと寄せて、ウサネズミたちに呼びかけている。
「みんな、輪っかくぐりをしてみない?」
すると、ウサネズミたちが一列になって、丸い木枠をぴょんぴょんとくぐり始めた。そうして両親は同時にこちらを見る。ほらね? という表情で。
「昨日ルルがサーカスをみてたから、みんなでそのまねをしてるだけなんじゃ……」
どうにかこうにか反論してみたものの、両親はふるふると首を横に振った。
「私たちも、最初はそう思ったわ。でもね」
そう言って、お母様がルルの両耳を指でそっと塞ぐ。それから小声で、お父様がささやいた。
「宙返り、お願いできるかな?」
次の瞬間、他のウサネズミたちが一斉にくるんと宙返りした。ちょうど今魔法陣から出てきたばかりの子も一緒に。
「ほら、ルル以外の子たちだけでもちゃんと動けたでしょう」
ルルを手に乗せて優しくなでながら、お母様が肩をすくめている。
「口調や言い回しを変えてみたり、長い文章にしても、ちゃんと言うことを聞いてくれるのよね……お願いの内容が分からない時は、じっとこっちの顔を見つめてくるし」
「やっぱりこの子たち、かなり賢いよ。召喚獣って、こんな風に言葉を理解するものだったかな?」
口々にそう言う両親を見て、それからセティと顔を見合わせる。かつて、私たちも同じようなことを考えた。この子たち、もしかして言葉が通じてるんじゃ、と。
「ううん、聞いたことない。……魔導士の塔の資料を全部さがせば、そんな話もみつかるかもしれないけど……」
「そうか、まだ不明なんだね。もしかしたら新発見かも?」
「じゃあ、この子たちが賢いのかもってことは、私たちだけの秘密にしましょうか」
「いずれジゼルが、この件について研究して論文を書くかもしれないね」
「歴史に残る論文になるかも……素敵だわ」
そっとセティの袖を引き、大盛り上がりの両親から距離を取る。そのまま壁際まで移動して、ささやいた。
「一つ、仮説をおもいついたんだけど」
興味深そうに目を見張るセティにだけ聞こえるように、さらに続ける。
「まず、召喚魔法の使い手は、みんな自尊心が高いんじゃないかなあって、そんな気がするの」
「ぼくも同感です。召喚魔法は習得するまでに長い年月を要し、かつその使い手は属性魔法の使い手よりも圧倒的に数が少ないですから。召喚魔法の使い手は、自分たちは選ばれた者だという意識が、多かれ少なかれあるのでしょうね」
「そう。だから召喚魔法の使い手は、どうしても召喚獣を見下しちゃうんじゃないかなって。それこそ、道具としかみていないのかも。そのせいで、あの子たちの本当の能力を見落としてる、とか」
私のそんな言葉に、セティは考えつつうなずく。
「確かに、普通は召喚獣を『何かの目的のため』に呼び出しますね。それも、制約の魔法できっちりしばりあげて」
特別研究の合間にお喋りしていたから、セティも召喚魔法についてはかなり詳しい。そして、私も召喚獣も、共に制約の魔法を毛嫌いしていることも。
「でもルルは、きみが最初によんだ召喚獣で、ただそこにあることだけを望まれた、そんな存在ですよね」
「うん。もちろん、制約の魔法もかけてない。無理やりいうことを聞かせるのは嫌だし。だからあの子たちは、のびのびと本来の能力を発揮できている……のかなあって」
思い当たることは、それくらいしかない。
そうやって顔を見合わせていたら、ルルがぽんと跳んできて、ちちっと鳴いた。まるで笑っているような、満足げな顔で。