「ああ、ついにジゼルも学園の一年生か……」
「制服、よく似合うわ……」
真新しい制服に袖を通した私を見つめて、両親はいつも以上にうっとりとため息をついていた。
この翠翼の帝国では、貴族の子女は六歳になったら学園に入学することになっている。そこで年の近い者たちと交流しつつ、様々なことを学んでいくのだ。
一年生から六年生までの初等科は必須で、そのまま七年生から九年生の高等科に進む者も多い。たまに、それ以降も学園に留まり研究を続ける者もいるのだとか。それくらいに学園は面白いところなんだよ、と両親は教えてくれた。
帝国の領土は広大で、そこにはたくさんの貴族がいる。だから、こうやって子供のうちから帝国への忠誠心を育てておくのだろう。けれどこれだけの仕組みを作り上げるには、膨大な富が必要だ……って、いけない。また前世の癖が出た。国の統治のことなんて、忘れよう。
制服を見下ろして、くるんと回ってみる。長袖のワンピース型の制服は上品でおしゃれで、着心地もいい素敵な服だ。六年間同じデザインの制服を着ることになるからか、ちょっぴり大人っぽい雰囲気なのもいい。両親が選んでくれるリボンとフリルたっぷりの可愛らしい私服も好きだけれど、本音を言えばこれくらいすっきりした格好のほうが落ち着く。
それに、教育のほうも楽しみ。何でも学園には様々な分野の教師たちや書物がそろっていて、生徒たちはその能力と希望に応じて、色んなことを学べるのだそうだ。魔法、もっと上達できるかな。
ただ、同世代の子供と話が合うかどうかはちょっと心配だ。でも甘やかしてくる両親相手に子供らしくふるまうことにはすっかり慣れたし、そのうちどうにかなるような気もする。
それでもやっぱり、緊張する。学園生活なんて、もちろん初めてだし。
「なんて愛らしいんだ……男子生徒が放っておかないぞ……あっという間に、求婚の申し込みが殺到しそうだ……これは、今のうちに練習しておかねば! ……こほん。『うちのジゼルはまだ嫁にはやらん!』うん、こんな感じかな」
「あらあらあなたったら、頼りにしているわよ。それはそうと、また肖像画を描いてもらいましょうね! この初々しくて凜々しい姿、きちんと残しておかないと」
考え込む私の周りを、両親はそんなことを言いながらぐるぐると回っている。好物のヒマワリの種をもらった時のルルよりも落ち着きがない。
そしてそのルルは、部屋を調べるのに忙しいようだった。それもそのはず、ここは私が生まれ育ったあの屋敷ではないから。
ここは帝都の閑静な一角にある、小ぶりながらもしゃれた屋敷の一室だった。学園は帝都の、しかも帝城のすぐ隣にあるので、さすがに生家からは通えない。
だから両親は、私が生まれてすぐに帝都の空き屋敷を探し始めた。六年後、私と一緒に移り住んで、私が問題なく学園に通えるように。その間の執務については、執事に手紙や書類を転送してもらえばどうにかなる。
こんな風に、子女が学園に通う間だけ帝都に移住し、卒業したら家族で領地に戻るという方法を採る貴族もそこそこいるのだそうだ。だから、じっくり探せば空き屋敷も見つけられる。もっともお金はかかるし、しかも両親の執務が
ちなみに移住するには領地が遠すぎたり、移住先を見つけられなかった場合でも、学園には寮が併設されているので問題はない。ただ、さすがに親と一緒に暮らすことはできなくなるけれど。
ちちい。
一通り確認し終えたルルが満足げに鳴いて、窓辺の机の上にぴょんと乗る。そこの陽だまりの中で、仰向けになって眠り始めた。開けた窓から吹き込むそよ風に、お腹の毛がそよいでいる。
「ルル、気持ちよさそう……くつろいでる」
「そうね。ジゼル、あなたもこの屋敷、気に入ってくれた?」
「うん! この屋敷、好き!」
元気よくそう答えたら、両親がほっとしたように息を吐いた。
「それはよかったよ。仮の住まいとはいえ、ジゼルが少しでも楽しく暮らせるようにかなり吟味したから」
「いい物件がないかって探して探して、ようやく去年ここを見つけたのよね。あのまま見つからなかったらどうしようって、焦ったけれど」
「おかげで、満足いく屋敷が手に入ったよ。ジゼルが卒業する時に、また売りに出してもいいのだけど……せっかくだから、このまま別荘として所有し続けるのもいいかもしれないね。そうすれば、ジゼルの友達を気軽に呼べそうだから」
「あら、素敵な思いつきね。でも、ジゼルが恋人を連れてくるかもよ?」
「恋人!? まだ嫁にはやらんぞ!」
「ふふっ、いい感じに練習の成果が出ているわ、レイヴン」
いつもとは違う屋敷で、いつも通りにはしゃぐ両親と、すっかりくつろいでいるルル。それを見ていたら、胸の内の緊張も和らいでいくようだった。

そんなやり取りから少しして。いよいよ、入学式の日がやってきた。
学園の大広間に椅子が並べられ、私たち新入生はそこに案内された。その後ろには、家族や付き添いの人たちの席もある。
全員が席に着くと、大広間の奥の扉からぞろぞろと大人たちが入ってきた。年齢も性別も服装もばらばらのその人たちは、色違いのブローチをつけていた。この人たちが教師だろう。確かあのブローチは教師の証であると同時に、それぞれが担当する分野を表すものだと、そう聞いている。
そうして最後に入ってきた上品な初老の女性が、その場の全員を見渡して口を開いた。
「ようこそ、みなさん。私はこの学園の管理を任されている、学園長です」
彼女はそこで言葉を切り、ふっと微笑む。
「今日はみなさんのために、カイウス様がお越しになられています」
その言葉に、新入生は明らかに動揺し始めた。後ろのほうからも息を吞む気配がした。カイウス様はきさくな方だという評判だけれど、さすがにここで出てこられるとは予想もしていなかったのだろう。
学園長は大広間の人々を優しい目で見渡すと、奥の扉に向かってひざまずく。周囲の教師たちも、彼女にならって膝をついた。それを見て私たちも席を立ち、見よう見まねで頭を下げた。
じっと石の床を見つめていたら、また扉が開く気配がした。こつ、こつと、ゆったりとした足音が近づいてくる。それも、二人分。
「よい、面を上げよ」
そんなカイウス様の声に、そろそろと顔を上げた。前と同じ豪華な衣装をまとったカイウス様が、そこには立っている。彼の隣にはゾルダーがいて、私と目が合うとこっそり微笑んでくれた。
「子らよ、そちらはこの帝国の未来を担うひな鳥だ」
カイウス様の張りのある声が、朗々と大広間に響く。私が成長したのと同じように、カイウス様もまた少し大きくなっていて、かすかに残っていた幼さはもう抜けていた。すっかり、一人前の青年だ。
「ここで学び、力をつけよ。そしてその力を、帝国のために活かせ」
みんなはその言葉に大いに感じ入り、憧れのまなざしでカイウス様を見つめていた。
けれど私はこっそりと、首をかしげていた。今の言葉は、彼が以前私にかけてくれたものとはまるで違っていたから。
あの時彼は、不思議なくらい切なげに『もう自由だ』と言っていた。まるで、以前の私の生きざまを知っているかのように。そんなはずはないって、分かってはいるのだけれど。
あれは、どういう意味だったのかな。できることなら本人に尋ねてみたくはあるけれど、さすがに皇帝相手にそんなことはできない。
悩んでいるうちにカイウス様の話は終わり、二人はまた奥の扉の向こうに消えていった。去り際に一瞬、カイウス様がこちらを見たような気がした。
それから私たち新入生は、教師たちに連れられて学園の中をぐるっと見て回った。家族や付き添いの大人たちは、玄関近くの待合室で私たちの帰りを待つ。
学園は広かった。色んな部屋があった。座学の授業を受ける教室、魔法や武術を練習するための本格的な鍛錬場、もっと気軽に運動するための屋外の運動場、様々な書物が集められた図書室、他者と交流する談話室、などなど。どこも長い歴史を感じさせる雰囲気ながら、きちんと手入れが行き届いていた。
見学が終わったところで、今日は解散ということになった。本格的な授業は明日からだ。新入生たちが元気よく、学園の玄関に向かっていく。
しかし私は、途中の廊下で立ち止まっていた。そこの壁には『掲示板』と刻まれた大きな板が取り付けられていたのだ。生徒のものらしい字が並ぶ紙が、たくさんピンで留められている。そのうちの一枚を、小声で読み上げてみた。
「『剣術同好会、途中入会者募集中! 初心者大歓迎、共に剣の道を楽しもう! 体験入会も可!』……同好会……そんなのがあるんだ。剣をたのしむ? どういう感じなんだろう?」
剣術を学ぶのは、身を守るため。国を守るため。あるいはその腕で、功を立てるため。そんな考えが染みついてしまっている私には、剣術を楽しむという感覚はぴんとこなかった。
「ジゼル君、久しぶりだな。さっそく学園の探検か。何とも君らしい」
掲示板の前で考え込んでいたら、いきなりゾルダーの声がした。楽しげな笑みを浮かべ、こちらに歩み寄ってくる。
「こんにちは、ゾルダーさま」
ぺこりと頭を下げて、それから急いで言葉を続ける。せっかくなので、この機会に言っておきたいことがあったのだ。
「魔法の粉を、ありがとうございました。おかげで、魔法陣をらくに描けるようになりました」
ゾルダーからもらった魔法の粉と、カイウス様からもらった魔導書。その二つの品のお礼については、既にきちんとお礼状を送っている。でもできれば、きちんと顔を合わせてお礼を言いたかった。
「君の役に立ったなら本望だ。……おや、その木の棒は……?」
さらりとそう返したゾルダーが、私の背中に目を留める。私が背負っているカバンからは、あの木の棒がちょっぴりはみ出ていた。屋敷に置いてきてもよかったのだけれど、手元にないとどうにも落ち着かなかったのだ。
木の棒を見つめるゾルダーの表情は、とても真剣だ。たぶん、これがただの木の棒ではないことを見破っているのだと思う。だったら、しらばっくれても無駄かな。
「たまたまみつけたんです。その、魔法陣を描くのにちょうどよくて」
「ふむ、少し触ってもいいだろうか」
そうして木の棒を受け取ったゾルダーが、目を見開いた。
「これは……驚いた。職人の手こそ入っていないが、これはまさしく魔法の杖だ」
ああ、やっぱりそうだった。そんな気がしてた。だってこの木の棒、魔力の伝わり方が他の木の枝と全然違うもの。……ルルが見つけてきたことは、黙っておこう。何だか大騒ぎになりそうな気がするから。
「はは、本当に君は……恐ろしくなるほどの才能だ。いっそ今ここで、正式に魔導士として任命したくなってしまう」
一生懸命口をつぐんでいる私をよそに、ゾルダーが愉快そうに笑っている。ちょっと熱心すぎる節はあるけれど、この人はこの人なりに私を応援してくれている。そのこと自体は嬉しい。
ところが、そこにさらに別の声が割って入った。
「おい、おまえ! 一人だけゾルダーさまにひいきされて、いい気になるなよ!」
大股で駆け込んできたのは、ちょっとふっくらした新入生だ。金色の髪につぶらな
「おれはペルシェ・リングル! おれだって、もう魔法を使えるんだからな! いずれは、ゾルダーさまみたいなりっぱな魔導士になるんだ!」
名乗るが早いか、その子はごにょごにょと口の中でつぶやき始めた。はっきりとは聞き取れないけれど、たぶん属性魔法の詠唱だ。
次の瞬間、彼が突き出した手からぽたりと水が滴り落ちる。廊下の石畳に、ゆっくりと水たまりが広がっていった。とってもささやかなものだけれど、間違いなくこれは魔法だ。
六歳で属性魔法を使う。ペルシェもまた、優秀な子供ではあるのだろう。だからといって、こんな風に突っかかられても困る。
そんなことを考えつつ、ちらりとゾルダーのほうを見る。彼は愉快そうに微笑みながら、私とペルシェを交互に見ているだけだった。どうやらゾルダーは、見物を決め込むつもりらしい。
ということは、私が自力でこの状況をどうにかしないといけない。
さて、どうしよう。ゾルダーが私にやけに目をかけてくれているのは事実だけど、別にいい気になった覚えはない。嬉しいな、と思っただけで。
でもそれを正直に喋ったら、ペルシェの機嫌がさらに悪くなるだけのような気がする。どう話しても、自慢しているとしか思われないだろうし。
ううん、子供の扱いって難しいなあ。
小さくため息をついたその時、視線を感じた。何だろうと振り返ると、また誰かがこちらに近づいてくるのが見えた。
くるくると巻いた綺麗な栗色の髪に、水色の目をした可愛い男の子だ。年の割に大人びていて、思慮深そうな雰囲気をまとっている。この子にも見覚えがある。入学式の時から、私のことをちらちらと見ていたから余計に。
「先ほどからみていましたが、そちらのかたとゾルダーさまは、どのようなご関係なのでしょうか」
その子は笑顔で、さらりとそんなことを言った。子供とは思えないほど丁寧な口調に戸惑いつつ、できるだけ当たり障りのない言葉を返す。
「えっと……魔法について色々おそわっただけ、かな……?」
そしてゾルダーも、すかさず答えた。気のせいか、笑いをこらえている。
「彼女は魔法の素質を持っている。それを少々手助けしただけだよ」
私たちの答えを聞いた栗色の髪の子が、ひときわ穏やかに微笑んだ。
「それならペルシェくんも、同じように手助けしてもらう資格はあるとおもいますよ。この機会に、ゾルダーさまにお話をうかがってはどうでしょう」
「そうか! おねがいしますゾルダーさま、どうかおれともはなしてください!」
何とも鮮やかに、栗色の髪の子は話をそらしてしまった。さっきまで私に敵意をむき出しにしていたペルシェが、目をきらきらさせてゾルダーに迫っている。
そうやって質問攻めにあっているゾルダーに、栗色の髪の子は一礼した。
「ぼくは、こちらのかたとお話ししたいことがありますので。しつれいいたします」
そのまま、栗色の髪の子に手を引かれてその場を後にする。ゾルダーはおかしそうに笑いながらも、ペルシェの相手をしてやっていた。もしかすると子供好きなのかな、あの人。
手を引かれたまま廊下を進んで、角を曲がって。足を止めることなく、どんどん進んで。
「さっきは助けてくれてありがとう。でも、学園の出口はあっちよ?」
栗色の髪の子は、なぜか出口と逆のほうに歩いていく。不思議に思って彼を呼び止めると、彼はようやく立ち止まった。けれど私の手を放すことなく、こちらを振り返って……ぽろりと一粒、涙をこぼした。
「ああ、やっぱりそうだ……間違いない……」
上品で大人びていたその顔が、くしゃりとゆがむ。涙交じりに、彼はつぶやいた。
「エルフィーナ……さま……」
突然その名前を呼ばれたことに驚いて、息ができない。間違いなく、それは前世の私の名前。
「ぼくは、あなたを……お守りしたくて……でも、できなくて……また、お会いできて……よかった……」
絶句する私の手をしっかりと握って、彼は泣きながら大きく笑った。
彼は、前世の私を知っている。私との再会を、ここまで喜んでくれる。彼は、もしかして。
「……ヤシュア? あなたは、ヤシュアなの?」
湖月の王国の騎士団長、いつも私を守ろうとしてくれたあの人。かつての私の、数少ない味方だった。もしかしてこの子は、彼の生まれ変わりなのだろうか。でももしそうだとしたら、彼もあの内乱で命を落としたことに……。
期待と不安をこめたそんな言葉に、目の前の子供は力なく首を横に振った。
「ごめんなさい、エルフィーナさま。分からないんです」
ぽろぽろと涙を流し続けながら、彼は説明する。
「前のぼくが死んで、今のぼくが生まれた。そのことはたしかなんです。けれど、前のぼくが誰だったのか、そのことについては、何一つおぼえていないんです」
無念そうに彼は言い、それからまっすぐに私を見つめてきた。
「ぼくが覚えていたのは、エルフィーナさまの笑顔。そして、エルフィーナさまを守れなかった無念の思い。これだけなんです」
そのひたむきなまなざしを見返していたら、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。彼がヤシュアの生まれ変わりであろうとなかろうと、関係ない。
「ねえ、よかったら友達になってくれない?」
彼は私と同じように、子供の体に大人の心を持っているように思われる。だったら、他の子たちよりずっと話が合うかもしれない。
そんな私のちょっとした提案に、彼はぽかんとして、それからぱっと頰を染めた。
