第八章 春の嵐
春の嵐がカタルニア王国王宮にやってきた。
メリアンはそんな荒く激しい様子の中年男性と向かい合っている。厳しい表情をしたその人は、何を隠そうメリアンの父親であるシュトルツ公爵だ。
実に五年ぶりに会う父親。濃い赤茶の髪と髭が特徴的だったが、今では白髪がかなりの割合を占めている。
「メリアン、お前という娘は」
シュトルツ公爵は三年前に大臣の職を辞し、王都から離れて領地で静かな日々を過ごしていた。しかしメリアンが無事に発見されたという知らせを受け、王都に戻ってきた。
王宮に出向くという事前の知らせは届いていたものの、メリアンは父親との再会に緊張していた。五年という歳月の間にどれほど家族を困らせ、心配させたのか、その責任を痛感していたからだ。
「父上、このたびは大変申し訳ございませんでした」
「この五年間、どれだけの兵がお前のために動いたと思っている。それに、フェルディナンド殿下のご苦労も……殿下はお前を見つけるために、自ら捜索に出向いてくださっていたのだぞ」
「父上、殿下、そしてたくさんの方々にご迷惑をおかけしたことは承知でございます」
メリアンが深く反省したように頭を下げる。
本来ふたりだけで話す予定だったが、父親が一日早く王都についたことで、そのことを知らずに前庭で散歩をしていたメリアン、フェルディナンド、双子、そしてモーリスに
「こんなところでは、なんですので……」
モーリスがそう促そうとすると、モーリスの後ろにいてシュトルツ公爵からは今まで見えなかった双子たちがメリアンを守るようにいきなりメリアンの前に飛び出して来た。
「おかあさんをいじめたらだめ!」
「だめえ!」
子供のことはまだ知らされていなかった父親に、彼らのことを報告するタイミングを見計らっていたが、まさかこんな形で知られてしまうとは。
「ルカ、リリス、下がっていなさい」
シュトルツ公爵は驚愕の表情を浮かべた。彼の視線が子供たちに注がれる。
「メリアン……まさか、この子たちは……」
言葉の続きを口にすることを躊躇い、眉間に深い皺を寄せる公爵。双子の特徴的な銀色の髪とアクアマリンの瞳は、どう見てもフェルディナンドに似ていた。
「……私の子でございます」
「どうして……どうして黙っていたのだ? 王都から離れた後でも、もし子供ができたのであれば、秘密裏に戻ってきてくれればよかったのだ」
「自分の責任で産み、育てたかったのです。父上にも、他の誰にも、迷惑をかけたくなくて」
「けれど、この子たちは……」
シュトルツ公爵は続けようとしたが、言葉を飲み込んだ。フェルディナンドの存在を意識しながら、軽率に断定することを避けたのだ。
たとえ推測だとしても、こんな大事を易々と言葉にしてはいけないと、元大臣なりに悟ったのであろう。
シュトルツ公爵は頭を抱えた。
「国王陛下はこのことを知っているのか?」
問いに答える前に、フェルディナンドが静かに口を開いた。
「モーリス、子供たちを部屋に」
これ以上は子供たちには聞かせられないとフェルディナンドは判断し、メリアンが答えを伝える前にモーリスに告げた。モーリスは「承知いたしました」と言い、子供たちの手を握り、この場から立ち去った。
応接間に場所を移すと、フェルディナンドはメリアンの傍に構えた。そして自分が全てを伝えるというように、先に話し始めた。
「シュトルツ公爵、さぞ驚いたであろう。お前の推測通り、あの子たちは、私の血を分けた子供たちだ」
メリアンは少し驚くように目を見開く。
「そうだな、メリアン?」
メリアンは戸惑いながらもこくりと頷き、初めてそのことをフェルディナンドの前で認めた。
フェルディナンドはそのことに少し安心したように息を吐いた後、続けた。
「陛下には私から既にその可能性は伝えている。周りの者たちも皆、分かっているだろう。しかし、私はまだ子供たちに自分が彼らの父親であるということは告げていない。四年もの間、父親らしいことなどひとつもしてあげられなかった者が、父親だと名乗り出ることはできない。彼らとの絆をきちんと築いた上で、堂々と彼らに父親だということを認めてもらいたい。そしてふたりの父親として陛下には彼らを紹介したいのだ」
メリアンは王子がそのような考えを持っていたなどとは知らなかった。自分が父親なのかと聞いてこなかったのは、フェルディナンドの中で自分はまだ彼らの「父親」ではないという認識からだったのだ。
「そうでしたか。国王陛下も広いお心をお持ちで感謝いたします。子供たちと殿下との関係は殿下にお任せいたします。メリアン、でも私は違う。私はお前の父親だ。もう一度彼らに会いたい。ちゃんと紹介しなさい」
「はい。子供たちにもちゃんと父上を紹介したいと思っています」
その後、メリアンはシュトルツ公爵を自分たちの部屋へ連れて来た。
「ルカ、リリス、さっきはちゃんと紹介できなかったけれど、この方は私の父上、つまりあなたたちのおじい様なのよ」
メリアンがそう言うと、双子は目を丸くして顔を見合わせた。
「おじいさま……?」
ルカが声を小さく上げ、リリスがルカの袖を引っ張る。
「おかあさんとおめめ、いっしょ」
リリスの無邪気な指摘に、シュトルツ公爵の厳しい表情が崩れた。彼はそっと膝を折り、子供たちの目線に合わせる。
「そうだ、お前たちの母の瞳は私によく似ているのだ」
「きんいろ、きらきら」
「ねえ、おじいさまって、ほんとう?」
リリスに続きルカが尋ねた。その問いに、公爵は優しく頷く。
「本当だとも。少し怖がらせてしまったようだが、私と一緒に遊んでくれるか?」
双子は一瞬顔を見合わせ、それから揃って「うん!」と元気よく答えた。その反応に、公爵は笑みを浮かべ、彼らの手を優しく取る。
シュトルツ公爵はメリアンにも笑顔で語りかけた。
「メリアン、良いか」
メリアンも嬉しそうに「はい」と続ける。そして、揃って中庭へ向かった。
マグノリアの花はもう散り、代わりに
シュトルツ公爵が子供たちと一緒に花を観察したり駆け回ったりしている様子を、メリアンとフェルディナンドは寄り添いながら眺めていた。
「あの子たちは、本当に私によく似ているな」
「ええ」
「けれど、笑顔はお前にそっくりだ。とても……可愛い」
フェルディナンドは困ったような顔をしながら片手を顔に置いていた。
「無理されなくても」
「いや、伝えたいんだ。本当はずっと伝えたかった。後悔したのだ。なんせ五年間……どんなに思っていても、言いたいことがあっても、伝えられなかったんだ。まあ、お前を取り戻した後も、なかなか言えなかったんだが」
フェルディナンドは顔を染めながらメリアンの顔を見た。
メリアンが姿を消したのは自分のためでもあったが、もちろんフェルディナンドのためでもあった。けれど、こんなにも彼を苦しめていたのだとメリアンは胸が痛くなった。
「殿下……」
「ここで、お前と初めて会った時から、お前を愛しいと思う気持ちは何ひとつ変わらない」
フェルディナンドは、近くのマグノリアの木の裏にメリアンを引き寄せた。そして大切なものに触れるように真っ赤な髪を撫でると、メリアンの背丈に合わせるように少し屈んでキスをした。短いけれど、愛情がストレートに伝わるような熱いキス。
メリアンはフェルディナンドの胸に顔を埋めた。
「殿下、私もあの時からずっと、貴方様のことを愛しています」
ふたりはしばらくその場で抱き合い、互いの温もりを感じていた。やがて「あれ、おかあさんとおうじがいない」と捜すルカの声を聞くまで。
その可愛らしい声にお互いに笑い合い、フェルディナンドはメリアンの手を引き、子供たちのもとへ戻った。
シュトルツ公爵はそんなフェルディナンドと娘の様子を見てニコリと微笑み、ふたりの気持ちを確かめたようだった。
「おうじと、おかあさんだ!」
「あー、おててつないで、なかよしだ」
「なかよし、なかよし!」
ルカとリリスも喜びに満ちた顔でフェルディナンドとメリアンに抱きついた。ふたりは子供たちを一緒に抱きしめ、幸せそうな笑顔で見つめ合った。
次の日、王宮を去る前の公爵は、訪れた時と比べだいぶ穏やかだった。
見送りはメリアンだけ。親子水入らずの時間があった方がよいとフェルディナンドが気を遣ってのことだ。
「家の皆にも、きちんとお前の無事、そして子供たちのことを伝えておく。色々と落ち着いたら、今度はお前たちがこちらに遊びに来なさい。あいつも早く会いたがっておったぞ」
メリアンは静かに目を閉じ、過去の出来事を思い返していた。
あの日、失踪を決意した時、その原因がフェルディナンド王子との関係であることを、シュトルツ公爵はすぐに察していたに違いない。彼の立場からすれば、王族に絶対忠誠を誓う者としての葛藤があったはずだ。
メリアンは父が言葉にしなかったその心情を感じ取り、思わず胸が熱くなった。
「父上」
瞳には涙が浮かびそうになったが、必死にそれをこらえた。言葉にできない感謝と、温かさに包まれていた。
シュトルツ公爵はメリアンの表情を見て、微笑みを浮かべながら頷いた。
「お前がこれからも幸せであること、それが何よりの親としての願いだ。殿下とお前はまだ若く不器用だったせいで失敗を犯したが、別々の場所で成長し、再び巡り合うことができた。お前に対してここまで強い思いを持ち続け、誰もが……親である私さえもが諦める中、執念で見つけ出した殿下にならば今度こそ全てを任せられる」
我慢していた想いが頬を伝う。
シュトルツ公爵は一歩近づき、優しく娘の涙を拭った。
「私と同じ、いや、それ以上にお前を愛している殿下ならば今度こそふたりで共に……いや、四人で一緒に成長していってほしい」
しっかりとその言葉を届けると、春の嵐は去っていった。
シュトルツ公爵が王都を後にしてから、メリアンとフェルディナンドはふたりの時間を大切にしながら、穏やかに愛を育んでいった。
フェルディナンドと子供たちも信頼を深め、メリアンはそろそろふたりにフェルディナンドが父であることを伝えるべきだと思っていた。
ある日の夕暮れ時、庭園で散策を楽しみながら語り合った後、子供たちのもとへと戻った。空は柔らかな茜色に染まり、遠くから聞こえる子供たちの笑い声が心地よい風に乗って耳に届く。
部屋に足を踏み入れると、そこではモーリスがルカとリリスにチェスを教えているところだった。
モーリスとルカが真剣な顔つきで対戦している中、メリアンたちの姿にいち早く気づいたのはそれを観戦していたリリスだった。
「おかあさん、おうじ、いた!」
リリスは嬉しそうにふたりの間に入った。フェルディナンドはリリスを抱き上げた。
「いい子にしてたかい?」
リリスはこくりと頷く。そしてフェルディナンドの顔をじっと見つめた。フェルディナンドはどうした?というように首をかしげた。
「おうじのおめめ、ルカとそっくり。リリスと、ルカもそっくり。リリスとルカとおうじ……にてるってみんなにいわれる」
突然の言葉にフェルディナンドが返事に困っていると、ルカも続けた。
「おじいさまと……おかあさんもにてる」
『父親』という存在を今まで認識していなかったであろう子供たちは、メリアンの父に会うことで、そのことについて考えさせられたのだろう。ふたりで話し合っていたのかもしれない。
リリスは一度メリアンを伺うように視線を向ける。メリアンが微笑むと、改めてリリスはフェルディナンドに向き合って聞いた。
「おうじはリリスとルカのおとうさまですか?」
控えめなリリスだが、唐突に驚くようなことを直球で言うところはメリアンに似ていた。
フェルディナンドはリリスを下ろした。そして、リリスとルカ、どちらもいっぺんに見るように、ふたりの背丈に屈みながら訊ねた。
「ふたりは私を父だと思ってくれるのかい?」
「ぼく……おうじがおとうさまだったらうれしい」
「リリスも。おうじ、やさしいし、かっこいい。まほうも、おうまもじょうず」
「そうか」
フェルディナンドはふたりをいっぺんにギュッと抱きしめた。
「ルカ、リリス、ありがとう」
王子の声は、いつになく震えていた。
リリスはその声の揺れに気づき、小さな手を伸ばして彼の袖を掴む。ルカも驚いたように目を見開き、普段とは違う王子の姿に一瞬言葉を失った。
フェルディナンドは一度目を閉じ、深く息を吸い込む。
「そうだ、私はお前たちの父だ。今まで一緒にいられなくてすまなかった。けれど、これからは、ずっとお前たちの傍にいたいと思っている。父親として、お前たちの成長を近くで見守らせてくれないか?」
その様子を傍で見ていた誰もが目に涙を浮かべて三人の様子を見ていた。メリアンも。
リリスとルカは、フェルディナンドの腕の中で顔を見合わせ、笑顔を交わした。そして同時に声を揃えて言った。
「「いいよ!」」