第四章 揺れる気持ち


 それから数日、フェルディナンドはメリアンたちの『迎え』に費やした一週間分の執務などを片付けなくてはならず、執務室に籠ることが多かった。

 しかし、五分でも空いている時間を見つけると子供たちに魔法を教えるという口実でメリアンたちと一緒に過ごしていた。

「おうじ、みて、みて!!

 なかなか会うことができないフェルディナンドが現れると、我先にとルカは王子がいない間に自主練した魔法を積極的に見せる。リリスは控えめに「ちがうせいれいさんと、おはなしできるようになったよ」と伝える。

 フェルディナンドは子供たちに魔法を教えることに熱心で、常にふたりが理解するまで丁寧に説明したり、わずかな時間でさえも実際に精霊たちを呼び出して見せたりしていた。

 ルカとリリスも、フェルディナンドに魔法を教えてもらう時間が楽しいようで、また、メリアン以外の者からの愛情に触れ、ますます王子を慕うようになった。

 メリアンも、フェルディナンドの近くにいられることで今まで深く知る機会がなかった彼の内面に触れることができて、とても新鮮な気分だった。

 子供たちが魔法の練習に夢中になっている間、フェルディナンドは何度もメリアンの方に視線を向けた。そのたびに、メリアンの胸の中に微かな緊張が走る。

(なぜ、私を見ているのかしら……?)

 青い瞳が自分を捉え、すぐにまた子供たちに戻るのを感じるたびに、メリアンはその視線が何を意味しているのかを考えずにはいられなかった。

 フェルディナンドはあくまで子供たちに魔法を教えることに集中しているが、その目からはふとした瞬間に何かを伝えたげな印象を受けることがある。

(でもきっとこれも私の思い違いだわ)

「殿下、もうそろそろ戻られないと……」

 今日もまたメリアンはフェルディナンドとの会話がないまま、彼はエリオットと共に部屋を後にする。


 元々のびのびと育てられ自由奔放な性格だったルカとリリスは、十年弱、王宮に通っていたメリアンよりも、この環境にすぐに順応することができた。そんなふたりにとって一番の楽しみは三時のおやつの時間だ。

「わー、こんなにおおきなケーキはじめてぇ! ふわふわクリームがすごーい、いっぱーい!」

 ルカはテーブルに置かれた大きなケーキを前に大はしゃぎ。周りの大人たちもその姿を微笑ましく見つめていた。

「でも、もうちょっとちいさいケーキのほうがたべやすいなぁ」

 リリスは残念そうに言う。メイドのアンジェリカが「リリス様のお好きな分だけお切りしますよ」と声をかける。するとリリスは恥ずかしそうに、でも嬉しそうに頷いた。

 アンジェリカが丁寧にリリスのためのケーキを小さく切り、プレートに盛り付ける。ルカには希望通りの大きなピースを。

 大人たちはふたりが可愛くて仕方ない様子で、口元にちょっぴりクリームがついただけですぐに拭き取ってあげるなど過保護なほどに世話を焼いていた。

 ルカとリリスは自分たちを温かい目で見守る人々に囲まれながら、王宮での生活に慣れていった。今まで触れてこなかったメリアン以外の人々との会話を通じて新しい言葉や知識をスポンジのように吸収し、びっくりするほど日々成長している。

 そんな子供たちは、おやつの時間だけでなくこの広々とした王宮中で遊ぶことも大好きになった。

 宮殿の間取りもだいぶ頭にいれ、ふたりで……または他の大人も巻き込みかくれんぼで遊ぶことがふたりのブームだ。最初のうちは自分たちの部屋だけに隠れていたのだが、どんどんと範囲を広げている。

 今日はメリアンがふたりを呼んでも見つからないため、王宮中を捜し回っていた。

「ルカ、リリス、どこにいるの?」

 返答はない。

 危険はないはずだが、人の出入りは多いし、部屋数も数えられないほどある。扉が閉まっている部屋には絶対に入ってはいけないと注意はしているが――。

(どこかに迷い込んでないといいけれど)

 メリアンはあちらこちら捜し回った末、フェルディナンドの部屋のさらに奥にある部屋のドアがわずかに開いているのに気づいた。普段この部屋の扉は閉まっていて、誰の部屋なのかもなんのための部屋かも分からずだった。

 メリアンはそっと中を覗き込む。

 中に人がいる気配はないものの、とても広い部屋なので、とりあえず「お邪魔いたします……」と言い入ってみることにした。

 部屋の中に入ると、目に飛び込んできたのはゴージャスな内装とごうけんらんな装飾品たちだった。しかし、その中でも目を引いたのが壁の中心にかかっているポートレイトだ。

 それは、黄金に光る金髪と、エメラルドの瞳が美しく描かれた女性の油絵――。

(エレオノーラ……)

 メリアンは、すぐにその人物を特定することができた。誰からも愛される華やかな笑顔は、彼女の特徴的なものだ。

 前世でプレイしていた乙女ゲームのヒロインであるエレオノーラ。ゲームのシナリオでは、メリアンが国外追放された後、エレオノーラはフェルディナンドと婚約している。

 けれど、メリアンが再び王宮に戻って来てから今まで、王宮の中でエレオノーラに出会ったり、エレオノーラの話題を聞いたりすることはなかった。

 だから、もしかしてメリアンがシナリオ外の行動をして自ら消えてしまったことでシナリオ通りにいかなかったのか、とも考えたが、やはりそんなことはありえなかった。

 この部屋は、エレオノーラのこの王宮での立ち位置を思い知らされるような部屋だ。

 それにエレオノーラが好んでつけていたラベンダーの香りが部屋には充満しており、彼女がいなくても彼女の存在を感じた。

 グチャッと握り潰されたように心が痛む。

 一秒でも早くこの部屋から出ていきたい。

 そう思い、扉の方へと駆けようとした――その時、フェルディナンドが慌てたように部屋に入ってきた。

 彼の登場に、息苦しい思いをしていたメリアンの呼吸は止まってしまうかのようだった。

「開いているはずのない扉が開いていたから不思議になって来てみたが……こんなところで何をしている」

 メリアンは思わず身を竦めた。

「で、殿下……申し訳ございません。かくれんぼをしていた子供たちが見当たらず捜していたら、この部屋の扉が開いていたものですから……もしかしたらと思い……」

 メリアンは小さな声で謝罪した。

「そうか。……でも気をつけてほしい。ここはエレオノーラの部屋だからな」

 王子がエレオノーラの名前を口にすると、メリアンの胸はさらに締め付けられた。過去の出来事や感情が嫌なほど蘇ってくる。

「殿下、あの……エレオノーラの姿が見えないのですが……」

「……彼女は、療養中だ」

「どこか調子が悪いのですか?」

「まぁ、そのようなところだ」

 はぐらかされるような返答に、メリアンはそれ以上の問いを飲み込む。

 フェルディナンドはさらに続けた。

「エレオノーラのことは気にしなくてもよい。お前はただ子供たちの世話に専念すればよい」

 フェルディナンドの言葉は本来はありがたいはずなのに、刃物のようにメリアンの心臓を鋭い痛みで刺す。

 ここまで自分たちを連れて来て住まわせ、最近はほとんど家族のように過ごせていたから、勘違いしてしまいそうになっていた。

(私は元々殿下から嫌われているし……殿下はきっと子供の母親だからと私にも最近はちょっぴりだけ優しさを見せてくれているんだ)

 何て身の程知らずだろう――メリアンは自分が恥ずかしくなった。

 フェルディナンドのヒロインは、今も昔もエレオノーラだけなのだ。

 何も言えずにいるメリアンに、フェルディナンドは意を決したような顔を向けた。

「いや、やはりお前に言わなければならないことが――」

「大変ご無礼なことは承知ですが、今は子供たちを捜しているので……失礼いたします」

「私も手伝おう」

「いいえ、お忙しい殿下に、そんなお手間はかけられません」

 本音だったが、それ以上に今は王子と一緒にいたくなかった。

(このまま一緒にいたら、また泣いてしまいそうだわ。言わなければいけないことだってきっとエレオノーラのことに決まってる)

 フェルディナンドを避けるようにその場から去ったメリアンは、その後王宮中を子供たちを捜しながら歩き回った。

 子供たちに向ける優しい眼差しや彼らの成長を心から喜ぶ姿、そして、一つひとつの小さな歩みを大切に見守るその様子を目にするたび、かつての憧れや情熱は形を変え、それを遥かに超えた深い愛おしさが心の奥底から湧き上がっていた。

(あんなふうに、子供たちを愛してくれる殿下……)

 だが、だからこそ、メリアンはその想いを自分の中で抑え込もうと必死になった。

 好きだからこそ心配はかけたくないし、これ以上の迷惑はもうかけたくない。もうフェルディナンドとエレオノーラの邪魔だってしたくない……それくらいは大人になったつもりだ。でも……。

「あ、おかあさん!」

 メリアンがふたりを捜していたはずなのに、なぜか子供たちから見つけられた。

「ふたりとも……ほんと……もぉ……どこへ行っていたの?」

「えへへ、ひみつー」

「おかあさん、どうしたの?」

 ふたりの顔を見ると、堪えていた涙がポロポロと止めどなく溢れてきた。

 そんなメリアンにふたりは心配げな顔を向ける。

「だいじょうぶ?」

「ごめん……大丈夫よ」

 子供たちはメリアンを心配そうに見つめて、彼女を優しく抱きしめた。

「おかあさん、だいすきよ」

「ぼくも、だいすき!」

「ええ、私もふたりを愛しているわ」

 メリアンは子供たちの柔らかな銀色の髪を優しく撫でる。

 これ以上の幸せなんてないと思っていた。

 ふたりだけいてくれればそれでいいと……、そう思っていたのに……。