第三章 王宮


 カタルニア王国の王宮の裏庭は、そのままの自然を保ったような光景が広がっていた。高く太い木々が茂り、芝生は長く伸び、草花は自由自在に咲き乱れている。吹き抜ける爽やかな風に葉がそよそよと揺れる音が心地よく響く。

 太陽の光が木漏れ日となって降り注ぐ最低限整備されているだけの道を、メリアンと子共たち、そして青色のマントを身に纏ったフェルディナンドと彼の側近であるモーリス、騎士団長のエリオットは連れ立って歩いていた。

 メリアンは淡い黄色いドレスを、双子は形違いの水色の洋服を着ている。どれも王都での最先端ファッションのようで、メイドたちが一押しだと選んでくれた。

 五年も王都を離れていると流行は変わり、今はレースがとても流行っているらしく、メリアンのドレスの上半分はレースをふんだんに使ったデザインだ。目新しいがメリアンが好きな要素も散らばり気に入っている。子供たちは無論何を着ても似合う。

 王宮の裏庭は、精霊魔法の属性を代々受け継いできた王族たちが幼少期から魔法の修行を行い、精霊たちと交流を深めるために使われている。そのため庭全体が不思議な力に包まれたような神秘的な場所で、王族でないものが足を踏み入れることは滅多にない。メリアンも入るのは初めてだった。

「ここだ」

 森の中を十分ほど歩いたところに、広場のような場所があった。そこには太い丸太が転がっていて、フェルディナンドはメリアンにそこに座っているように伝えた。

「リリス、ルカ、私について来い」

 フェルディナンドはメリアンからも様子が見える程度離れた場所にルカとリリスを連れていき、ふたりを自分の両脇に立たせた。

「これからふたりに精霊魔法の基礎を教える。よく見て、そしてよく聞くのだ」

 ふたりにそう伝えると、フェルディナンドは深く呼吸をし真剣な表情で手を合わせた。そして低く力強い声で魔法を唱え始めた。精霊を呼ぶ呪文は一般的な言葉とは異なり、特別な音の調和と響きを持っている。

 精霊たちとの意思疎通は言葉よりも音の方が大事とされており、高度な魔法を使おうと思えば思うほど、音の高低や響きなどの使いわけが必要になる。それゆえ精霊魔法の使い手は音の微妙な違いを感じ取ることができる必要があった。

 精霊魔法は、その属性で生まれた者だけが持っている絶対音感がなければその力を覚えることも使うことも難しいため、使い手の数は非常に限られ、彼らは特別な存在として歴史上この国では尊敬されてきた。

 王族は古くから精霊魔法を操ることができる家系で、この力を継承し守っている。

 フェルディナンドが声を発すると、まるで自然界そのものが彼に反応しているかのように空気が震え、木々が軋む音が聞こえた。そしてその音に誘われるように精霊たちが姿を現し始める。

 呼び出された多種多様な精霊たちはフェルディナンドの周りをクルクルと踊るように囲っている。彼らのエネルギーが集まることで、まるで王子の立っている場所だけが違う世界のように光を放つ。

「すごい!」

「すごいっ!」

 ルカとリリスはフェルディナンドの凄まじい魔力に圧倒されていた。

「精霊魔法は自然にいる精霊たちを呼んで彼らの力を自分の魔力に変える魔法だ」

 フェルディナンドは子供にも分かりやすいように丁寧に説明した。

「精霊たちを呼び出すためには、ルカとリリスが彼らを大事に思うことを教えてあげなければならない。それによって彼らはこうして力を分けてくれるのだ」

 王子の言葉にルカとリリスはそれぞれ顔を見合わせて小さく頷いた。

「ぼく、やってみたい!」

「わたしも!」

 ふたりは勢いよく声を上げると、さっそくフェルディナンドの言葉通りにやってみることにした。メリアンはその様子を少し不安そうに見守る。

 ルカがまぶたを閉じて深呼吸を繰り返している隣で、リリスは何度も小さな声で「おねがいします、せいれいさん……」とささやいている。ふたりとも顔が真っ赤になり、緊張と集中が入り混じっているのが分かった。

「ルカ、リリス、大丈夫かしら……」

 思わず出たメリアンの声にも、ふたりは気づかず一生懸命だ。次第に緊張も取れ、ふたりは素のまま、精霊に語りかけられるようになった。

「ぼく、みずあそびがすきなんだ! いっしょにあそぼうよ」

 ルカは手を差し伸べながら話しかける。一方でリリスは、近くの野花に目を向ける。

「きれいなおはな、だいすきよ! もっとさかせてあげたいの」

 すると水の精霊がルカの小さな手元できらきらと輝き始め、リリスの足元には小さな花の精霊たちが集まり始めた。その様子を見たふたりは、驚きと喜びで顔を見合わせ、思わず声を上げた。

「きた! せいれいさんがたくさんきてくれたよ!」

「すごい! わたしのところにもいっぱいだよ!」

 メリアンは思わずほっと息をつき、ふたりの笑顔に微笑み返す。

 フェルディナンドもふたりの傍にしゃがみ込んで優しく声をかけた。

「よいぞ、ルカ、リリス。ちゃんと精霊と心を通わせられたな」

 王子の褒め言葉に、双子はますます嬉しそうに笑った。双子が純粋に喜ぶ姿を見て、メリアンの顔にも自然と笑みがこぼれた。

「わーっ! すごい!」

 その後もルカは歓声を上げながら、小さな雨雲を作る魔法を何度も試していた。

 水の精霊が彼に寄り添い、風の精霊たちが雨雲を形作る手助けをしている。ルカはこれまで苦手としていた風の精霊魔法を見事に克服していた。

 一方でリリスは枯れかけた花の前で小さな手を合わせていた。

 土の精霊にも力を借りて植物の成長を促し、さらに光の精霊の魔法で光合成を助けている。やがて薄紫の花がぽつんと咲き誇り、リリスはその花に頬を寄せて笑みを浮かべた。

「さいた……!」

「おかあさん! みてみて!」

 ふたりは一目散にメリアンの下へ駆け寄りそれぞれ新しく覚えた魔法を披露した。ルカは自信満々に小さな雨雲を操り、リリスは手の中で花を揺らしている。

「ふたりともすごいわ!」

 メリアンは感動を抑えきれず、大きな拍手を送りながら笑顔で称える。その表情は喜びに満ちているように見えたが、心の中では別の感情も押し寄せていた。

(こんなに……すぐに成長するなんて)

 ふたりの急成長は確かに嬉しい。けれどその一方で、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えていた。

 王都を離れてからの年月、ふたりを産み、育てることだけを支えに必死に生きてきた。何があっても自分が守る、育て上げる、そう決意していたはずだった。それなのにこんな時が来るなんて思ってもみなかった。

 フェルディナンドが突然現れてからというもの、子供たちの世界は目覚ましく広がり始めた。彼はメリアンには教えられなかったことをあっさりと教えてのける。そしてそれを吸収し伸びていくふたりの姿がメリアンにはまぶしく、そして少しだけ寂しく感じられた。

(悔しいわけじゃないのに……)

 フェルディナンドの存在がふたりにとってどれほど大きな意味を持つかをメリアンは痛感していた。

 こんな時間がずっと続けばいいのに――そう思わずにはいられなかった。フェルディナンドとふたりの子供たち、そして自分。もし、この時間が永遠に続くなら……。

 けれど、心のどこかでメリアンはその願いが叶わないことを知っていた。

 それは、フェルディナンドが愛しているのは、決して自分ではなく、エレオノーラだと分かっているからだ。

 王子が双子を支え、まるで家族のように振る舞ってくれるのは、全て「父親として」の役割であり、メリアン自身への愛情とは違うものだ。

 だからこそ、そんなフェルディナンドと過ごすこの瞬間がまるで夢のようで……本来は手に入らないことだから、愛しいと感じた。


「しばし休憩をする。その間子供たちを頼む」

 フェルディナンドは子供たちをエリオットとモーリスに任せると、メリアンの下へとやってきて隣に腰を掛けた。メリアンはその行動に驚き、緊張した。

「賢い子供たちだ」

 フェルディナンドはメリアンと同じ視点から子供たちを眺めた。

「お忙しい中お時間を作っていただき、ふたりに魔法を教えていただき、どうもありがとうございます」

 メリアンが丁寧にお礼をするとフェルディナンドは「当たり前のことだ」と言い放った。

 子供たちと話しているととても柔らかい表情をするのに、メリアンと話す彼はいつでも強張った顔をしているように見える。

(そんなに嫌ならば話さなければいいのに)

 そう思っても、フェルディナンドが自分の下に来たら来たで嬉しく思い、彼のことになると相変わらず胸中は忙しかった。

「精霊魔法は難しいが、ふたりは習得が早い。それはお前がふたりを自然のある環境で伸び伸びと育てていたからだろう」

 フェルディナンドの言葉にメリアンはびっくりした。今までの彼の態度から、子供たちはともかくまさか自分まで褒められるなんて思ってもいなかった。

 メリアンは王都を離れた後しばらく色々な場所を転々としていたが、妊娠が分かった時、お腹の子供が精霊魔法使いかもしれない可能性も考慮し、なるべく自然に囲まれた場所を住処に選んだ。長年フェルディナンドを見てきたメリアンは、精霊魔法使いが自然を愛し、自然から愛される必要があることを知っていたからだ。

「あそこはけがれも少なく、とてもいい場所だった。……戻りたいか?」

 ここまで強引に連れてきたくせに、なんでそんなに寂しそうな声で聞くのだろう。

 メリアンは少し考え込んだ後答えた。

「確かに、あの村は自然豊かで、私たち三人にとってはずっと暮らしてきた家があり、思い出が詰まっています。けれど私にとって場所などは本来どうでもよいのです。子供たちと幸せに暮らせれば、それだけで」

「そうか。それはよかった。私も彼らの成長を見守っていきたいからな」

 ほんのわずか胸のうちが軽くなるのを感じた。

 しかし、メリアンは自分がこの先も子供たちと一緒に幸せに暮らしていけるのか確信が持てなかった。だから、思い切って聞いてみようと思った。

 もしかしたら彼は答えてくれるかもしれない。少なくとも今ならその勇気が湧いてきた。

「……殿下、私はこれからもこの子たちの傍にいられるのでしょうか」

 恐る恐る、メリアンはその問いを口にする。

「お前はまだ勘違いしていたのか」

 フェルディナンドはメリアンの問いかけにびっくりしたように眉を顰め、続けた。

「……ああ、もちろんだ。お前たちが無事で幸せに暮らせるように、私は全力で支援する。そのためにお前たちをここに連れてきたのだ」

 メリアンはホッと息を漏らした。思わず目頭が熱くなり、涙が溢れるのを必死で堪えようとしたが、それは静かに頬を伝った。

 フェルディナンドはそのことに気づくと焦った様子を見せ、慌ててメリアンの涙を指で拭った。

「……申し訳ない、泣かせるつもりはなかった」

 頬をかすめる王子の指先が、ほんのわずかに震えていた。久しぶりに触れるその温もりに、耳元までもが熱くなる。

 何年も経っているはずなのに、どうして彼といるとこんなにもときめくのだろうか。

 五年前のことがまるで昨日のように鮮明に蘇ってきて、フェルディナンドの存在がいつまでも自分の中で特別なものだったことに気づいてしまう。

 それから何も言わずにただ寄り添うように、ふたりは静かに子供たちの様子を眺めながら過ごした。

 しばらくしてフェルディナンドが立ち上がると、メリアンの手をそっと取る。その手は優しく、そして力強い。

 メリアンは顔を赤くさせ彼の方を見ると、フェルディナンドは困ったように目を逸らした。

「そろそろ子供たちも疲れただろう」

 手の温かさとは裏腹にフェルディナンドの声が冷たく聞こえるのは、自分が気にしすぎだからだろうか。

(ああ、この胸の痛みも前と一緒! もう……こんな風に感じる自分が嫌だわ)

 フェルディナンドの気持ちが自分に向けられていないことを理解しているのに、それでも未だに心の奥では彼を求めてしまう自分が恥ずかしくて堪らない。期待してはいけないと分かっているのに、どうしても惹き寄せられてしまう。

 フェルディナンドが手を放し、子供たちの方へと歩いていく。その広い背中に、過去へと引き戻される。

 昔、フェルディナンドの背中を必死で追いかけていた自分がそこにいた。

 ちょっとでもその視線を感じたくて必死になっていた。フェルディナンドの存在が全てだった。少しでも近くに感じたくて、どんなに遠くても、背中を追いかけていた。

(どうしてこんなにも……まだ……)

 振り返ることなく歩き去る背中を見つめながら、メリアンは胸の奥であの頃と同じ願いが膨らむのを感じていた。

 ――ほんの少しでいいから、この想いに気づいてほしい、と。

 けれど、その報われない想いを胸の奥にそっと仕舞い込み、目の前の現実に意識を戻す。

 疲れ切って地面にペタっと座り込む子供たちがあまりにも無邪気で、この感情を忘れさせてくれる。モーリスとエリオットに礼を述べるフェルディナンドの姿も微笑ましく感じた。

「ふたりを見ていただき、どうもありがとうございます」

 メリアンも丁寧に感謝の言葉を述べた。

「おふたりとも、素晴らしい魔法でございました」

 エリオットの言葉に双子は喜び、エリオットの鍛えられたバキバキの脚をそれぞれ片方ずつぎゅうっと抱きしめた。四十過ぎだが未だ独身で子供に慣れていない様子のエリオットはその行動に少し戸惑ってはいたが、どこか嬉しそうだった。

 その後、一行は宮殿へと戻り、メリアンたちを部屋まで送った。途中、リリスはヘトヘトで歩くのもままならなかったので、フェルディナンドに担がれていた。そんなリリスを羨ましそうに見るルカに気づいたフェルディナンドは、もう片方の腕でルカも抱き上げた。ルカは王子の腕の中で嬉しそうにはしゃいでいた。

(私が悪役でなければこんな幸せな未来もあったのかしら……)

 その思いがふと心の中に浮かんだ。

 もし自分がフェルディナンドと結ばれていれば、こうして一緒に過ごし、子供たちが生まれた時からずっと家族のように暮らしていたのだろうか。

(いや、それはないか。五年前、本来私は国外追放されていたのだろうし、どのみち私がいなくなった後、エレオノーラとの婚約も決まったはずだし……)

 部屋に入ると、メリアンは子供たちに「お昼寝の時間にしようか」と声をかけた。

 大量の魔力を使い疲れ切った子供たちは、すぐさまメイドに動きやすい服に着替えさせられた。ふたりは着替えるとすぐ自分からベッドに寝転がり、同時に寝息を立てている。

 メリアンはふたりを見守りながら微笑みを浮かべ、毛布をかけてやった。

「お疲れ様。おやすみ」

 そして優しくふたりにキスをして、彼らが眠りについたのを確認する。メリアンは子供たちがぐっすりと眠る横で深い安堵に包まれた。

(私もこれでやっと、眠れる……)

 メリアンは、自分が処刑されると思っていた長い間、ずっと恐怖心に苛まれていた。

 でも先ほどのフェルディナンドからの言葉を聞いて、彼女の命が保証され、心の重しは一気に取り払われた気分だ。

(私は生きて、これからも子供たちと一緒に暮らせるんだ!)

 メリアンはやっと心の底からほっとすることができ、まだ白昼だというのに深い眠りについた。そしてずっと寝不足だったこともあり、次の日の朝まで起きることはなかった。