第一章 幸せ子育て
メリアンは、薄手のカーテンから漏れる朝の陽ざしで目を覚ました。
ゆっくりと身体を起こし、横にいる双子のルカとリリスを見る。
ふたりはくぅくぅと同じような可愛い寝息を立て、気持ちよさそうに眠っていた。
(ああ、可愛い。どうしてこんなに可愛いのかしら)
子供たちの艶やかな銀色の髪を撫でながらあどけない寝顔を存分に堪能すると、布団を抜け出して朝食の準備を始める。
火魔法で鍋を温めながら同時にフライパンで卵を焼き、空いた手で野菜を刻む。
時折、癖のある赤髪を払い上げながら料理を進めていく。その手際の良さは、かつて厳格な貴族の家で育った令嬢だとは思えないほどだ。
メリアンは五年前、逃げるように王都を後にし、幾つもの村や街を移り歩き、最終的にこの地に辿り着いた。
以前は侍女たちが常に身の回りの世話をしてくれて、何不自由ない生活を送っていた。だから、頼れる者はなくひとりで全てをやらなくてはならない環境に、初めのうちは戸惑いと不安ばかりだった。しかし、あれから五年。今はなんでも自分ひとりでこなせるようになった。
料理が完成すると、木製のテーブルに真っ白なテーブルクロスを掛けた。そして、パン、オムレツ、サラダなどを彩り豊かに盛り付けた皿と、あつあつのスープをよそったボウル、水が入ったコップ、そしてカトラリーを並べた。
息子のルカは、香ばしい匂いで目を覚ましたのか「ペコペコだー!」と声を上げながらメリアンのところに駆け寄り、彼女の太ももをぎゅっと抱きしめた。
まだ四歳の少年はやんちゃな性格で、泥だらけの靴のまま家に駆け込んだりポケットに小石や虫を隠していたりと、よくイタズラをしてはメリアンを困らせることがある。しかしそんなところもメリアンにとっては可愛い。
娘のリリスは、まだ眠そうに青い目をこすりながら、赤ちゃんの頃から長く使っているお気に入りのブランケットを引きずり、ゆっくりとメリアンの方に歩いてくる。
「ねぇ、だっこ……」と甘える声を出し近づいてくる姿はよちよち歩きの頃から変わらない愛らしさがあった。
リリスがやっとメリアンのもとに辿り着いたところで、メリアンは髪色も目の色もそっくりな双子を同時に抱き上げ、同じようにふっくらとした頬にそれぞれキスをした。
「ご飯できてるわよ」
メリアンはひとりずつ食卓に着かせる。
「すべてのいのちにかんしゃして、いただきます」
朝から元気のいいルカの声と、それと対照的に穏やかで柔らかいリリスの声が小さな家で響いた。
「はい、いただいてください」
メリアンがそう伝えると、ルカは待ちきれない様子でパンを掴み、大きなひとかけらを勢いよく頬張った。もぐもぐと食べながら得意げな顔で言う。
「おかあさん、このパン、とってもおいしいね! きのうのよる、やいたやつだよね」
「そうよ、ふたりが手伝ってこねてくれたやつ。リリスもおいしい?」
リリスは小さな手でパンをしっかりと握りしめ、口いっぱいに咥えたままこくりと頷く。その頬はぽってりと膨らみ、まるでリスのよう。
ふたりとも夢中で食べ続けていたが、ルカは大好物のマッシュルームが入ったオムレツをフォークで突きながら、「ねえ、きょうはなにする!?」と目をキラキラさせて聞く。
「今日はアンデの森に行きましょう。あなたたちの魔法の訓練もしなくてはならないし。きっと今だとお花もたくさん咲いているわ、どう?」
「うん!」
双子は声を揃えて答えた。
ルカは大きな声で、リリスは小さな声だったが、どちらもニコニコ嬉しそうな顔。
「もりには、どうぶつがいるかな?」
ルカは興味津々だ。
「冬眠明けのりすさんとか、うさぎさんとか、いるかもしれない」
メリアンが答えると、ルカはさらに興味を引かれた様子で身を乗り出した。
「ライオンは?」
「ライオンはいないわ」
「えー!」
残念がるルカに、リリスは「ライオンがいたらリリスたちたべられちゃうかもしれないよ」と不安そうに言う。
「そしたらぼくが、みずのせいれいまほうでたおしてやる! おかあさんとリリスをまもるんだ!」
「ありがと。ルカはみずのせいれいさんとなかよしさんだもんね」
メリアンは子供たちのやり取りを微笑ましく見て心底幸せを感じていた。
自分がまさかこんなに可愛い双子の母親になれるなんて思ってもいなかった。
五年前、長年想い続けた王子に純潔を捧げ、彼の子を身ごもることができた。しかもふたりも。
今のメリアンにとってこのふたりの子供たちの成長を見守りながら生きることが何よりも幸せで、この幸せは絶対に手放したくない。
(なにがなんでもこの日々を守ってみせる)
可愛い双子を見ながら改めて心に誓った。
◇ ◇ ◇
メリアンには前世の記憶がある。
中小企業に勤めるサラリーマン家庭に生まれ、不自由なく育てられ、大学では薬学を学び、薬剤師として普通に働いていた。五歳年上の製薬会社の社員と二十六歳の時に職場で出会い、二十七歳で結婚をした。
結婚後はすぐに子供を作り自分たちの手でしっかりと育てたい、というふたりの意見が一致し、弥生は薬剤師を辞め専業主婦になった。
二十代だし、すぐ子供はできるだろう。
そう思っていたが、その願いはなかなか叶うことはなかった。
妊活はうまくいかず不妊治療を受けることになったけれど、期待するような結果はなかなか出ない。治療は長期化し、精神的にも金銭的にも追い詰められる日々が続いた。
夫は最初こそ彼女を慰め支えてくれていたが、次第にその態度は変わっていき、あまり協力的ではなくなっていった。
弥生にとってとても辛い時期で、現実逃避をしたくて乙女ゲームにはまり始めた。そのことについても「お前は気楽でいいよな」と仕事後の夫から責められることもあった。
気づくと弥生は三十三歳になっていた。周りの結婚、出産ラッシュが余計彼女にプレッシャーを与える中、突然夫から衝撃的なことを告げられる。
三ヶ月前に知り合った女性を好きになり、その相手と関係を持ち、妊娠をした彼女と結婚するために弥生とは離婚したい、と。
つい先日、弥生ともしたのに?
そう問い詰めると「別に、男は好きじゃなくてもヤれるんだよ」と言い捨てられた。
好きではないのは三ヶ月前に会ったばかりの女ではなく弥生だということも告げられショックだったが、それ以上に夫が他の女性との間に簡単に子供を授かったことが何よりも弥生を苦しめた。
夫が家から出ていき、悲しみや孤独感に
長期間の妊活の結果が得られなかったことで既に自分に対する自信を失っていた弥生は、夫に裏切られたことで誰も信じることができなくなった。
長年のブランクでつける職もなく、ただ憂鬱に過ごす日々が続く。独身時代にためていた預金は不妊治療で切り崩していたこともあって底が見え始め、ついに弥生は生きる力も意味も失ってしまう。
薄暗い部屋の隅で弥生の視線が棚に置かれた薬の瓶に向けられた。いくつもの夜、眠れない心を落ち着けるために手を伸ばしていた睡眠薬。瓶を手に取り、その重さを確かめた。
「これだけあればきっと……」
かすれた声が、部屋の中で消えていくように響いた。もう苦しみたくない、もう自分を責めたくない……。
「もし、もしもまた目を覚ますことができたなら、これまでの人生を全て捨てて新しく生き直す。もう一度やり直してみよう……」
そうして弥生の人生は幕を下ろすことになったのだった。
……しかし、その幕は時空が変わり再び上がることになる。
弥生は生まれ変わった、乙女ゲーム『ミスティック・ロイヤル』の悪役令嬢メリアンとして。
メリアンはフェルディナンド王子の二十歳の誕生日を記念する舞踏会の前夜、王子に純潔を捧げた。その一夜は、幸福と絶望の入り混じった瞬間だった。
王子の温もりに触れるたびずっと抱いてきた恋心が溢れ出し、この瞬間が永遠に続けばいいと願った。しかし、心の奥底では分かっていた。
これが頂点であり、同時に終わりでもあることを。
翌日の舞踏会――それは、ゲームの中でメリアンの人生が決定的に転落する日だ。
王子は舞踏会で彼女との婚約を公然と破棄し、エレオノーラとの婚約を発表する。そしてメリアンは、これまで王子とエレオノーラに対して行ってきたとされる嫌がらせの罪で国外追放を命じられるという運命が待っている。
――ならば自らその運命を先取りし、この世界の進行を乱さないようにしよう。
メリアンはそう決意し、一夜限りの記憶を胸に静かに姿を消した。
彼女がどこで何をしていようと、物語のヒロインであるエレオノーラと王子は結ばれ、ゲーム通りのハッピーエンドを迎えるだろう。――それでいい。この報われない気持ちは封印して、前向きに生きよう。
だが、運命は予想外の展開を見せる。
王都を自ら去った後、体調に微妙な変化を感じたメリアンは、ある日自分の体に新しい命が宿った可能性に気づいたのだ。
初めてその可能性に思い至った時、心は驚きと不安に揺れた。
それでも、母として新しい命を守る覚悟が芽生えた。
その瞬間、自分のこれまでの弱さや依存を断ち切り、未来を切り開くことを決めたのだった。