湖に浮かぶ球体をぼんやりと眺める。燃えないよう処理した木綿を編んで出来たそれは、中に入れられた蝋燭ろうそくの灯りを抱えるようにして水に浮かび、辺りを照らしていた。

なんの気なしに一歩踏み出して感じるのは、物が焦げる匂い。僅かに湿った土や草も香り、日中からやや温度を失った夜風が頬をでる。

今日は夏の半ば、暑さの底が見えてきた頃に開かれる死者をともらうための国の祭日だ。

貴族も平民も関係なく死んだ人間に対して祈るけれど、平民はランプを外に吊るして、貴族たちはこうして湖に浮かべることが習わしだ。僕も湖に流すため、緑に染めた木綿のランプを抱えている。でも、どうにも手放す気になれない。

一昨年まで、僕はミスティアにおねだりをして、平民たちの祭りに一緒に行っていた。

沢山の色とりどりのランプが街並みに沿うように吊るされていて、その下には屋台が立ち並ぶ。はぐれないよう彼女と手をつないであめ細工を食べたり、風が吹くと音が鳴る硝子ガラス工芸を見るのは楽しくて、ずっとこの時間が続けばいいと思った。

でも今日、湖の前に立つ僕の隣に、ミスティアはいない。

祭に行こうと誘ったけれど断られてしまった。彼女がいない祭なんて意味がない。そう思って屋敷にいようとしたら「社交は大事だから」と両親に貴族の集まりに出るよう言われてしまった。

ただ立っているだけならいいけれど、会場に着いてから令嬢たちに話しかけられて煩わしい。去年夜空に浮かんでいたランプはたしかに綺麗に見えていたのに、今視界に映るそれは、地を這い湖から湧き出てくるようで酷く無様だ。

各家が職人に作らせ、色鮮やかに作っているはずなのに、全部同じ色にすら感じる。

欝々うつうつとした気持ちで後ろを振り返れば、貴族たちが自分たちのランプを示して談笑をし輪を作っていた。

人の目も、笑い声も怖くなくなった。けれどまとわりつくようにびを売ってきたり、求めてくる令嬢たちは気持ち悪い。隙あらば触れようとしてくるし、僕の装いにあれこれ言ってくるところが嫌いだ。

僕が着飾るのは、ミスティアに好きになってもらいたいから。別に令嬢たちに好かれるためじゃない。ミスティアは装いで人を好きになる子じゃないと思うけれど、かっこいいな、素敵だなと思われるよう、僕は努力したい。その努力はミスティアだけのものだ。

「あっ、貴方あなたはハイム家の……」

振り返ると見覚えのない子息がこちらに向かって歩いてきていた。無数のランプが浮かぶ湖の前に立っているといっても、周囲は薄暗い。隣に立った彼の髪色は判断できず、暗い髪をしていることしかわからなかった。

「はじめまして。僕はセントリック家のクラウスと申します」

セントリック家……男爵家だ。次男は僕の二歳年上、長男の顔も見覚えがある。ということは、目の前にいるのは家督を継ぐこともない三男。

でも名乗られた以上、無視をするわけにもいかない。他人と仲良くすることはミスティアの望みだ。

きちんと挨拶あいさつをすると、クラウス・セントリックは柔らかく笑った。しかし、視界がよくないとはいえ暗がりに浮かぶ笑みは、不気味な感じがした。

「先ほど令嬢たちの話を聞いてもしやとは思いましたが、お会いできて光栄です。今日は待ち合わせですか?」

「なぜ?」

「待っているような目だと思いましたので、てっきり婚約者の方と約束を……」

悪意のない声に、「違うよ」と言葉を返す。この男はなんだろう。底が知れない。このまま相手をして利益があるようにも思えない。さりげなく距離を取ろうとして、ずっと見たかった横顔が見えた。ミスティアだ。

「俺 はあっちに行くから。さよなら」

セントリック家は、別になにか重要なことを取り仕切っている家じゃない。それよりも、ミスティアがここに来たことが一番重要だ。一直線に駆けていくと、眠たいのかどこかぼんやりした様子で彼女はこちらに振り向いた。

「エリク、こんにち……いや、今はこんばんは……」

「ふふ。どっちでもいいよ。それよりご主人今来たの? 来るの遅いよ〜! 僕ずっとご主人来ないかなって待ってたんだよ?」

「実はちょっと事情がありまして。この場に来ることはできたんですけど……」

ミスティアは真っ赤なランプを抱えながら、答えにくそうに視線を逸らした。嫌な予感がして「ちょっとってなに?」と問いかけると、彼女は申し訳なさそうに口を開く。

「実は先日のパーティーの件で、屋敷の中がちょっと落ち着かない雰囲気というか……、それで今日は屋敷にいることになっていたのですが、急遽皆にここに向かったほうがいいと言われて」

「ふぅん」

ミスティアが出たパーティーに参加していた下級貴族とその執事が、パーティーの最中に消えた。結構騒ぎになっているけれど、皆が気にしているのは突然二人の人間が消えたことだ。

消えた子息の家は元々経営が上手くいっておらず、爵位が危ぶまれるほど資金難に陥っていたらしい。当主も夫人も浪費癖があり、その息子も取り柄もなにもないくず。そして、ミスティアに取り入ろうとしていた。

僕は十歳の夏にミスティアと出会って、それまで彼女がどんなふうに過ごしていたかをまったく知らなかった。聞こうとしていたら秋に季節が変わり、彼女は乗馬訓練に出かけるようになって、会う時間が減ったのだ。

だから、本人に聞くのと合わせて、僕からミスティアのことを調べた。婚約者がいると最初に知った時は驚いたし不安だったけれど、さらに調べると会う機会もほとんどなく、さらに彼女から直接話を聞くと仲も良くなさそうで、とても安心したことを覚えている。

以降、僕はミスティアが誰と仲良くしようとしているか、誰が彼女に近づいているか調べるようになった。

直接聞いてもいいけれど、彼女は人間関係の認識がぼんやりしているし、信用していないわけではないけれど、どう考えても狙われているのに「家を狙ってる」なんて言ったりするところがある。

ちゃんと僕が調べてあげて、気をつけて守ってあげなくちゃいけない。

だから下級貴族とその使用人も僕は調べていて、なんとかしなきゃと思っていた矢先消えてくれた。手間が省けて楽だった。誰が消したかわからなくて、ちょっと困っているけれど。

「メロと執事長に支度をしてもらったんですけど、二人とも様子が明らかにおかしかったので、心配というか……なんとなく不安で……」

メロ。

ミスティアの専属侍女で、彼女の一番の大切な人間で、そして僕が一番この世界でいなくなってほしい人間。

全体的に色素の薄い姿を見るたびに、そのまま溶けて消えてほしいと願う。

銀髪の髪やそれに近い色……白い色なんかは、この国では公爵家くらいしかいない。たしか貴族学園の運営に関わるフィルジーン公爵家だけだ。だからたぶん別の国から来た奴なのだろう。

そのせいか調べても素性がよくわからない。もしも奴の親がお金を理由に手放した感じなら、僕が両親に言って奴を引き取るよう頼めるのに。

そうしたら、ミスティアの前から奴は消えてくれるのに。僕がすぐに一番になれるのに。

すごく残念だ。

「ねえご主人。それなら屋敷のこと考えるのやめちゃおうよ! 使用人の皆はさ、ご主人に今日集まりに行ってほしくて急いで準備したんでしょ? それならきちんと集まりのこと考えなきゃ! 屋敷のこと考えてちゃだめだよ。使用人の皆も悲しむんじゃないかな」

「そうですか……?」

ミスティアが少しでも僕のことを考えてくれるように、僕でいっぱいになるように、使用人たちの存在を消すよう仕向けていく。こうして使用人のためにと言葉を重ねれば、使用人たちが大好きなミスティアは自分の頭からその存在を消してくれる。

描かれた絵を、黒い絵の具でぐちゃぐちゃに塗りつぶして、見えなくするみたいに全部消えちゃえばいい。僕は湖を指さした。

「ほら、あっちで一緒にランプ浮かべよう? 僕まだ湖に流さないで待ってたんだ!」

ミスティアの手を引いて、湖へと向かっていく。真っ黒な湖は、ランプが浮かぶ部分はその色を流しているけれど、灯りのない部分はどこまでも深く、くらい。

ちょうどランプたちが集まっている逆の方向へと二人でランプを流すと、赤と緑のランプは極彩色の集まりから離れていき、暗がりへ吸い込まれるように流されていった。

「ランプはおいおい回収されるらしいですけど、あんなに離れてしまって大丈夫でしょうか?」

「大丈夫だよ! 集まってるランプだってぶつかりあって、これから離れていくかもしれないでしょ?」

浮かべたランプは、この集まりが終わったら主催の家の使用人たちがボートに乗って回収に向かうらしい。このまま湖に沈めてしまうと、住んでいる生き物たちが困って、最悪死んでしまうそうだ。

でも、沈まない分には湖の生き物に影響はないし、少し離れていたくらい、回収にちょっと手間がかかるだけだ。

今日は不快な青も見えなくて楽しい気持ちでランプを眺めていると、隣にいたミスティアが「あ」と声を上げた。

「どうしたの?」

「あれを見てください。あそこ……」

華奢な指が示す先には、ランプ同士がぶつかり、蝋燭の炎が直に木綿に当たってしまったためか、燃えている黒と白のランプがあった。

その炎はやがて隣にあったランプも道連れにするように燃え上がり、どんどん湖に沈んでいく。

「水の上で火災の心配はありませんが……、大変ですね……」

「うん」

沈まないなら、どうってことはない。

そう思っていたけれど、隣り合って一緒に燃えていくランプに、目が離せなかった。

揺らめく赤い炎は二つのランプを包んでいて、どんどん編み込まれた木綿を焼き尽くしていく。その間にも水の中へと蝋燭は沈み、やがてふたつとも、別の世界に行くみたいに波紋の中へと姿を消した。

「エリク……?」

今、目の前に映し出された光景が羨ましくて見入っていると、隣にいたミスティアが首を傾げた。なにも答えず笑みを浮かべると、また彼女は湖に目を向ける。

僕もまた、先ほど二人で流した赤と緑のランプを見つめた。

さっき沈んでいった二つのランプみたいに沈んだら、ミスティアと僕のランプは回収されずに済む。

湖に沈んだランプは、二人だけの世界に閉じ込めてもらうみたいだった。

羨ましい。

ミスティアと僕の周りは、邪魔なものが多すぎる。専属侍女も、婚約者も、皆。今この集まりに参加している奴らも、全員。

「ねぇミスティア。来年も一緒にランプ、僕と流してくれる?」

「はい。いいですよ」

ミスティアの返答に、僕は「やったー!」とはしゃいでみせた。彼女は専属侍女を可愛いと言うから、可愛く見えるような仕草で彼女の手を取った。

ミスティアの一番になりたい。今の一番も、僕以外の一番になりそうな奴も全員消して。

……だからミスティアのことは、全部僕が知っててあげないと。

そう心の中で笑ってから、僕はミスティアと指切りをしたのだった。