十二歳

【春 Rの偶像】


鮮やかなドレスを身に纏う令嬢たちから距離を置くように、ダンスホールの隅を歩いていく。

雪解けが始まり春の訪れを感じさせるころ、僕は辺境伯の主催するパーティーに来ていた。

辺境伯の別荘に泊まり、初日から二日目まではゆっくり過ごし、三日目からはパーティーに出席する毎年恒例の旅行は、父と母に距離ができてからなくなり、去年の母の出産を経て今年から復活した。

家族で綺麗な景色を見て、この辺りの伝統ある歌劇を見ることは楽しい。家族揃ってパーティーに出席し教養を得ることが正しいことだと僕は思うし、ノクター家……まぁおそらくアーレン家を継ぐ者としても正しいことだ。

それなのにどこか上の空になってしまうのは、今月にホワイトデーが迫っているからだろう。

もうホワイトデーまであと少しだというのに、僕はミスティア嬢に贈るプレゼントが決まっていない。

無難に選ぶのだとしたら、焼菓子、ドレス、首飾りなどの装飾品、花などだ。しかしミスティア嬢は基本的に贈り物に対して良く思っていない節がある。

アーレン家は伯爵家ながら領地から得る税収は公爵家と並ぶほど、しかし領民を圧迫して搾取しているのではなく領地の特産品に銘をつけ街に卸したり、雇用を増やすなどのやり方で莫大な富を築き上げている。

普通、そこまで伯爵家が力を持てば、浪費癖や賭博などで消費されている傾向がない限り国や公爵家に潰されてしまうだろう。しかしアーレン家は自分の財をそのまま医院や孤児院に寄付をし、薬の研究所を造る資金に充てている。そして、領民が災害に見舞われた際に避難する建物を造るなど、貯めこむ様子も見られない。

だからこそアーレン家に、そしてその一人娘ミスティア嬢には贈り物が多い。アーレン家に支援を求めたり、動かす医院や孤児院に携わり、自分もその財に目をつける者が跡を絶たないからだ。

しかしミスティア嬢は自分に送られてくる贈り物を受け取らず、日持ちしない食品であれば毒が無いか調べた後に使用人へ、日持ちするものは孤児院に分配、花などはきちんと調べてから花細工を売る領地に送っているらしい。気に入ったものはないのか尋ねても、「別にあるもので間に合っているので……」と困ったような顔をしていた。

一度僕の贈り物もそういうふうにしているのか問えば、一度も会ったことのない相手の場合にのみで、知り合いからの贈りものはきちんと保管していると彼女は答えた。

僕はミスティア嬢の中で、知人程度にはなっているらしい。

そんな彼女は、バレンタインにチョコレートを手作りしたらしい。それが贈られたのは婚約者の僕ではなく、使用人だ。使用人……ほぼ全員。

ミスティア嬢曰く、使用人たちが彼女の手作りを所望し、作らざるを得なかったらしい。

そう聞いた時、彼女はバレンタインという行事を理解していない。あるいは誤解しているのだろうと思った。

バレンタインは、男女間でチョコレートを贈る日だ。

元々彼女は、誕生日は必ず使用人と家族のみで過ごそうとするなど、普通の令嬢より使用人に対して距離が近いとは思っていた。けれど、普通はあり得ないはずだ。使用人が仕えている令嬢に手作りのチョコレートを乞うなんて。

アーレン家の使用人は、観察すればするほど普通の使用人とはかけ離れている。

彼らはミスティア嬢に対して、絶対的な神を信仰するような目を向ける。アーレン伯爵や夫人に対しては向けず、ミスティア嬢に対してだけだ。

だから僕は前に、使用人と距離が近すぎることを彼女に指摘した。でも彼女はその指摘を受け止めた、というより僕に恐怖していた。なるべく言葉を選んだつもりだったけれど、危機感を感じてほしいという思いが先行して棘のある言い方になってしまったのかもしれない。いや、確実になっていた。

ミスティア嬢のためを思っての言葉だけど、彼女に伝わらなければ意味がない。そして彼女が今月、使用人からホワイトデーのお返しを大量にもらうことは明白だ。

贈り物は、それらに埋もれないものを選ばなければならない。

なにかいい案でも見つからないかとパーティー会場を眺めていた僕は、一人の令嬢が複数の令嬢に囲まれている姿が視界に入った。

囲まれているのはルキット家の子爵令嬢だ。何度か辺境伯の主催するパーティーで見たことがあるし、言葉も交わした。彼女を取り囲んでいるほかの令嬢たちも同じ。

近づいていくと、「ほかの殿方に色目を使って」「下品」とルキット嬢を糾弾する声が聞こえてきた。

たしかにルキット嬢が涙を耐え俯く姿は、助けを待っているようにも見える。振る舞いもどことなくびていて、言ってしまえば自業自得といえるかもしれない。

……でも、ミスティア嬢なら助けるのだろう。

「ねえ、どんな話をしているの? 僕も話に混ぜてくれないかな?」

にこやかにルキット嬢と彼女を囲む令嬢たちに微笑む。囲んでいた令嬢たちは即座に取り繕い笑みを浮かべ始めた。

「いえ、……その。淑女のたしなみのようなお話ですわ。ノクター様にお話するような話ではありません」

「なるほど、一人を囲んで色目を使った、下品だと糾弾するのがこの地の嗜みか。このパーティーに参加するのは久しぶりだったけれど、ずいぶんと変わってしまったんだね」

僕の言葉に令嬢たちは顔を見合わせた。そして狼狽えながらこの場を後にしていく。涙をこらえ震えるルキット嬢に目を向けると、彼女は「ありがとうございます」と呟いた。

「別に、方向性がどうであれ、なにかに努力した、しようとした姿勢はすべて誇っていいことだからね。こんなふうに糾弾されるべきではない。だから当然のことだよ」

ミスティア嬢ならどう言うか考えて、ハンカチを差し出した。するとルキット嬢は甘く微笑んで僕を見つめる。

「ありがとうございます……レイド様」

「気にしないで。ではこれで」

微笑みで返してから、彼女のもとを離れる。

こんなふうにミスティア嬢と接することができればいいのに。

彼女の前ではどうしてできないのだろうか。ただ優しくすべきなのに、いつも責めたような声色になってしまう。彼女といると僕は感情に支配され、冷静な判断ができない。

完璧に近いと思っていた自分が、実はまったくそうではなかったとミスティア嬢と会うたびに思い知らされる。

彼女と出会って二年。ただ時間だけが過ぎるばかりで、彼女に近づけている気がしない。考えたくはないけれど、日ごと心の距離は離れていっているようにも感じる。

夕食を共にすることも、今はない。

本当は誰よりも優しくしたい。なのになぜそれができないのだろう。

無理矢理距離を詰めないと彼女は離れていく一方だ。かといって強引に事を推し進めようとすれば、さらに嫌われる。そう思うのに実行してきたせいで、僕は幾度となく彼女を怖がらせ続けてきた。

ミスティア嬢の心を得るためには、どうすればいいんだろう。……なにを犠牲にすれば、彼女の心を得られるんだろう。

ああ。駄目だ。暗くなる。しっかりしないと。今は仮にもパーティーの最中だ。

僕は気を取り直して、令息たちが歓談する方へと歩いていった。



【夏 Eの欲望】


「あの星は、勇者座かな、あそこが剣で、隣が盾で」

「いいねえ! じゃあ僕はどれにしようかな」

ミスティアと一緒に夜空を見上げて、星々に名前をつけていく。

今日、ミスティアは僕の屋敷に泊まる。昼に来た彼女と遊んで、勉強もして、一緒に夕食を食べた。遊んで、一緒にお風呂へ誘ったけれど断られてしまった。

だからお風呂が終わった後、星を見ようと誘ったら、「湯冷めするし夏風邪は長引くから危ない」と断られて、僕は駄々をこね続けた。するとミスティアは折れてくれて、僕の屋敷で一番窓が大きく、よく星が見える書斎で星座を作って遊んでいる。

「じゃあ、あそこは弓の戦士座にしよう!」

ミスティアは一生懸命星座を作る。その様子はいつもより元気……というより、無理に場を明るくさせようとしている。理由は僕のせい。というより猫のせいだ。

今日、庭で飼っていた──というか庭に居着いていた猫が死んだ。ミスティアと一緒に庭園を散歩している時に見つけたけど、死んでからしばらく経った後で手遅れだった。

猫の死体は二人で庭園に埋めたけど、ミスティアは猫より僕の心配をしていて「今日、泊まっていきましょうか?」と聞いてきた。

だから、泊まってもらった。

猫。僕が本当に小さいころから庭の周りをうろうろしていたし、寿命で死んだんだと思う。猫が死んだことは悲しいと思ったけれど、すごく悲しいってわけでもなかった。でもミスティアがそうなっちゃったらどうしようと思って、彼女のことをずっとずっとぎゅってしていたいと思った。

「ねえ、ご主人。だっこして」

「え」

ミスティアは戸惑った顔をしている。星明りに照らされて、赤くて綺麗な瞳が揺れている。

「お願い、ご主人」

わざと弱々しい声でお願いすると、彼女は僕を抱きしめて落ち着けるように背中をさすってきた。僕は縋りつくようにして彼女に問いかける。

「……ねえ、死んじゃった時、猫も悲しかったのかな」

「悲しいとは、思うよ。でも、それより周りの人が心配だったと思う」

ミスティアはなにかを思い出すように話をした。僕も死んじゃったとき、彼女は僕のことを心配するのかな?

「でも、知らない道路とかじゃなくて、エリクがすぐに見つけてくれるような庭で、眠るように死ねたことは幸せだったんじゃないかな」

聞こえた言葉に目を見開く。たしかに猫はいろんなところをうろうろしていたし、僕の庭じゃない場所で死ぬこともあっただろう。それに病気や事故で死ぬこともあった。そういう可能性の中で、今日の終わり方は良かったことなのかもしれない。そんなふうに考えたことはなかったから、驚くとともに納得した。

ミスティアにぎゅっとしてもらいながら窓の外を見ると、きらきらした星が視界に映った。

一昨年も自分の部屋で夜空を見上げていた。けれど星なんて見えなかった。どこもかしこも真っ黒だった。

でも今は、しっかりと輝いて見える。

これも全部、二年前ミスティアが庭園で僕を見つけてくれたからだ。僕を見つけて、僕と一緒にいてくれて、酷いことをした僕を許してくれた。それからも遊んでくれて、誕生日を祝ってくれて、傍にいてくれたからだ。

あの時ミスティアに見つけてもらえなかったら、僕はずっと真っ暗な部屋の中で過ごしていたのかもしれない。誰にも見つけてもらえないまま、誰も知らないままに死んじゃってたのかもしれない。

……でも、ミスティアが、見つけてくれた。

僕に幸せを与えてくれるのは、彼女だけだ。彼女に幸せを与えられるのは僕だけじゃないのが残念だけど。

それに、彼女が幸せを与えようとするのも僕だけじゃない。優しい彼女が大好きなのに、なんだかすごく残念な気持ちになってしまう。

本当はミスティアが優しいのも、全部僕だけがいい。

「僕と一緒にいてくれて、僕を見つけてくれてありがとう」

素直に思った言葉をそのまま伝える。これも以前はできなかったことだ。それが今は普通にできた。

「えーっと、こちらこそ、私の話を面白そうに聞いてくれたり、話をしてくれてありがとう」

ミスティアは肩越しに、戸惑ったような声でそう話す。

嬉しくてつい彼女の頬にキスをしたくなったけれど、今日はやめた。今のままで十分幸せだったから。

今の僕は、場所も人の目も気にすることなく過ごせる。怖いものなんてなにもない。僕の毎日は変わった。間違いなく幸せな方向に。

……でも、たまに思うことがある。ミスティアとならあの真っ暗な部屋に閉じこもっていても幸せだと。

彼女と、僕。二人だけの世界。誰にも邪魔されることのない場所だ。そうすれば、猫のもしもの可能性みたいに、彼女を一人ぼっちにしないで済む。

でもそんな場所どこにもない。もしそんな世界が作れたらいいなと思う。だけどそれを彼女が幸せと感じるかは別だ。僕は彼女を幸せにしたいのであって、閉じ込めたいわけじゃない。彼女は家族や使用人を大切にしているしそんなことは望まないだろう。

……でも、もしもミスティアが望むなら、望んでくれるのなら。

僕はすぐにでも、彼女と二人きりになる。周りを皆消して、無くして、本当の二人きりに。

「ね……ご主人。そろそろおやすみする?」

「ああ。たしかにもう遅い時間だね、寝る時間だ」

僕の問いかけに、ミスティアは頷く。

二人で書斎から出て、僕はいつの日か来るかもしれない、彼女と本当の二人きりになったときのことを考えながら、扉を閉めた。



【秋 Jの我慢】


「これから、採用試験がある。悪いが合格まで会えない」

愛する恋人ミスティアにそう伝えてはや二週間。俺は国立図書館の自習室にて、参考書を前に精神の限界を感じていた。

漠然と次の逢引きの行き先を考えてから、問題を解いていたペンが完全に止まっていたことに気づく。我ながらなんて意志薄弱なことだろうかと頭を抱えた。

ミスティアに会いたい、だが、会わない。これはけじめだ。

あいつと会うと、頑張ろうと思う反面、その前後一週間俺は使い物にならない。一週間前はあいつと会える期待と喜びで、一週間後はあいつと会えた喜びと嬉しさでいつもおかしくなる。

だからしっかり勉強をして、合格して立派な教師になり、ミスティアを嫁に貰い幸せにするため、俺は試験に合格するまで会わないことに決めた。

しかし毎日、毎時間、毎秒「試験が終わるまでミスティアと会えない」という事実が俺を蝕む。今までも会う頻度が減ったり期間が空くことはあったが、今は違う。

会わないとミスティアに宣言した以上、会いに行けない。行くわけにはいかない。もしも会うとするならばあいつが危険なときくらいだ。

理性ではそう考えられるのに本能がミスティアを欲して邪魔をする。ああ、駄目だ。早く会いたい。このまま会いに行きたい。会って、動いているところが見たい、声が聞きたい。

……駄目だ。我慢しろ俺。今ごろミスティアも俺と会うことを我慢している。寂しさを必死でこらえながら、俺が教師になれるよう祈り信じて待っているあいつを裏切るわけにはいかない。

それにミスティアは、去年の冬ごろから育児本を読むようになった。「傷つけない叱り方」「悪癖の直し方」「更生大辞典」など、俺との未来を考え、俺との子供のために今から育児の勉強をしている。そんな健気な、母親になろうとしている女を裏切るなんて、父親として最低だ。

ぐっと拳を握り、問題集に目を落とす。自習室で勉強を始めて三時間。解いた問題の正誤を確認し、すべてに丸をつけていく。問題用紙から顔を上げると、自習室に飾られた絵画が視界に入った。

銀で描かれた馬の絵だ。いつかあんな馬に乗って迎えに行ってやりたい。あの絵は、元は貴族学園の運営に関わる上層部……、理事を務めるような公爵家が住んでいた地域の川の絵だったが、未曽有の疫病が流行り多数の死者が出てからは絵が取り換えられたと聞いた。親父から聞いた時は特になにも思わなかったが、今見るとそういう危ないものが流行ったときは絶対ミスティアを外に出さないと思うし、自分も持ち込まないよう気をつけようと思う。

ミスティア、会いてえなあ……。

ぼーっとしているとペンを落としかけた。慌てて問題用紙に視線を戻す。

正直筆記試験は悪くないと思うが、問題は面接だ。口の悪さを正そうと気をつけてはいるが、目つきと顔は直らない。だからなるべく筆記で点数を取りたい。黙々と問題用紙に向かっていると昼を知らせる鐘が鳴った。

なにか食って少し落ち着こうと図書館を出ると、目の前を見覚えのあるガキが通り過ぎた。

忌々しい金髪。ミスティアの花婿候補だか婚約者のガキだ。そのガキは花束を持って通りを抜けていく。

花束……。ミスティアにあげるってことか。

ミスティアのことは信じている。ミスティアが好きなのも愛しているのも俺だけだ。万が一でもほかの男になびくなんてありえない。でも、それでも俺以外の奴がミスティアを好きでいる、優しくする、なにかをあげることに腹が立つ。

……クソガキ。今すぐ捕まえてどうにかしてやりたい。それかもう、ミスティアを攫ってどっか遠くへ行きたい。クソガキの手の届かないところに。でもそんなことをしたら秘密の関係がばれる。教師になってミスティアを嫁に貰う計画が台無しだ。

そうしていられるのも今のうちだからな。てめえは今、我が物顔でミスティアを自分のものだと思ってるかもしれねーけど、あいつの心はずっと前から、そしてこの先も俺のものなんだよ。てめえが入る余地なんてどこにもない。覚えてろよ。

心の中で宣言し花束を抱える背中を睨み続けると、その姿は小さくなり見えなくなった。

ミスティアはクソガキから貰った花束をどうするんだろうか。誠実だから捨てはしないだろうが、きっと俺を思って困っているんだろう。俺の未来の嫁を困らせやがって、やっぱり追いかけてどうにかしてやろうか。そう考えて駄目だと首をふる。

ミスティアに会えていないから苛々しているのもあるだろうが、ミスティアに関することになるとどうも俺は怒りっぽくなるらしい。

俺もまだまだガキだ。あいつに会わない間に、しっかり余裕のある男になっておかないと。

飯食って、さっさと勉強に戻るか。

俺はクソガキとは逆の方向へ、一歩足を踏み出した。



【冬 ミスティア・アーレン バレンタイン前夜の怪】


夜も深まったころ、私は一人、調理場に立っていた。目の前にあるのは製菓用チョコレートの……山だ。

私、ミスティア・アーレンにとってバレンタイン前日は戦いである。使用人約四十人ほどのチョコレートを用意する責務があるのだ。その量、個人経営の業者に近い。いや、もっとか。

事の発端はいつだろう。たしかかなり前のバレンタインに私が、メロ含む屋敷で働く使用人の皆からチョコレートを貰うことに対して異議を申し立てたことかもしれない。

日頃の感謝を込めてとバレンタインにチョコレートを贈ってくれる使用人の皆、その気持ちは嬉しいけれど、こちらは元々皆に働いてもらっている立場だ。皆が掃除をしたり、ご飯を作ったりいろいろお世話をしてくれているから、私は楽に過ごせている。

それに、この屋敷の使用人の皆は、「御嬢様は口を開けているだけでいいんですよ」と食事を食べさせてくれようとしたり、「屋敷の中は俺が運ぶので動かなくていいんですよ」と運ぼうとしてくれたり、「御嬢様はなにもしなくていいんですよ。ただここにいるだけでいいんです」と肯定してくれたり、とにかく良くしてくれる。良くしてくれすぎてこちらが駄目になりそうになるため、すべて丁重にお断りしているものの全部受けていたら本当になにもできなくなりそうだ。

よって日頃の感謝の気持ちを込めるのはこちらのはずで、立場が逆である。

だからバレンタインにボーナスを出すことを父に進言したけれど、どういう訳か「それなら御嬢様からのチョコが欲しい」という御者のソルさんと、彼に同調した使用人皆の発言で私がバレンタインチョコを皆に届けるという話になったのだ。

ならばボーナスが貰いたい人はボーナスで、チョコレートが欲しい人はチョコレートで、希望制にすればいいと思い私は了承した。

元々、約四十人からチョコレートを貰い食べきることは大変で、せっかく貰ったものを賞味期限を気にして食べることに申し訳なさを感じていた。それに本来私が感謝を皆に示す立場なのだ。だからいい提案かもしれないと思っていた。

……その道がいばらの道であったことに気づいたのは、昨年のバレンタインデー二週間前。

アンケート片手に使用人の皆に要望を尋ねて回ると、なぜか使用人全員がチョコレートを所望していた。さらにどこの店のものがいいか希望を聞くと、全員が手作りを所望した。

私の想像ではボーナス九割、物珍しさでチョコレート一割を所望されると思っていたけれど、まさかの手作り配給が総意となったのだ。

全員の好き嫌い、アレルギーを調査し、衛生や食中毒に気を使い約四十人分のチョコレートを用意することは簡単なことではない。バレンタインデー前日のチョコレート作りは戦場である。私は去年の今ごろ、たしかに戦地を駆け抜けた兵士であった。

しかしその辛さも、チョコレートを受け取った皆の笑顔ですっかり吹き飛んだ。

だから忘れていたのである。二月に入るまでバレンタインデーの存在自体を。そして先週両親の「今年も、レイドくんへのチョコレート選びで街に出るんだろう? お父様も行きたい」「お母様もミスティアと出かけたいわ」という誘いの言葉で思い出したのだ。

レイド・ノクター宛のチョコレートは、すでに手配した。きゅんらぶの世界においてバレンタインデーは、「男女間必須行事、婚約者同士であるならばなおさら」な行事であり、若者のみに流行している行事ではなく、ほぼお歳暮、お中元と同義の行事だ。さすが恋愛シミュレーションゲーム。

よってレイド・ノクターとハッピーな婚約の解消ができていない現在、チョコレート贈答は、「常識」になってしまっているため、なるべく今後に支障がないチョコレートを選んだ。

ハートがなく、赤やピンクの雰囲気がなく、幼いレイド・ノクターの弟ザルドくんが誤飲の恐れのない包装で、原材料に酒類のないもの。その条件を満たしたものを店で見つけ、バレンタインデーにレイド・ノクターのもとへ届くよう配送の注文をしたのだ。

母はハート形にしなくていいのか再三尋ねてきたし、挙句の果てに手作りでなくていいのかと聞いてきた。しかしそんないかにも本命みたいな雰囲気のものを贈りたくはないし、そもそも彼はバレンタインデーになんらかの思いを抱いているらしく、去年の今ごろ使用人のチョコレートは手作りなのか尋ねてきて、私が肯定すると、「バレンタインに手作りはちょっと……」と敬遠するよう言ったのだ。これから先解消しない婚約関係にあったとしても、手作りが苦手な人間に手作りを贈ることはよくない。

ということでレイド・ノクターのチョコレートは手配を終え、戦地にリターンズだ。

確認のためまずはアレルギー表に目を通す。また今年新しく一人ずつ聞いたものだけれど、見た目は去年と同じだ。アレルギーの内容から、人数……。人数まで……?

夏に使用人の増員があったはずなのに、使用人の数が増えていない。

そんなはずはない。毎年毎年増員されているはずだ。なのにずっと変わらないなんておかしい。増えた人間は、いったいどこに行ったのだろう。

背筋に冷たいものが走る。

これ、もしかして七不思議的なやつじゃ……。そう思ったのと同時に背後でカチャンと金属の音がした。おそるおそる後ろを振り返ると、そこには長い黒髪を垂らしこちらに虚ろな目を向ける女も、おかっぱ頭でニタリと笑う花子さんもいなかった。ただ調理器具がずれただけだろう。

安心した。良かった。これがホラーゲームなら確実にやられていた。

深呼吸をして手を洗い、またチョコレートの山に目を向ける。

さて、今年も皆の笑顔のために頑張ろう。

私は去年見た使用人の皆の笑顔を思い出し、チョコレートの山に手を伸ばした。