十一歳
【春 Jの将来計画】
雪が解け、暖かな日差しが俺の恋人を照らしている。
今日も俺の恋人、ミスティアは世界で一番可愛い。
屋敷の庭で馬を呼ぶと、俺の隣に立つミスティアは慣れた様子で馬に跨ろうとする。
本当は手を貸さなくても大丈夫だ。だが男として、恋人として俺はミスティアに手を差し出した。
「あ、ありがとうございます」
遠慮がちに俺の手を取り、馬に跨ると礼を言う。そんな姿も可愛い。俺も自分の馬に跨って、二人で近くの泉へと出発した。
いつもの流れ、いつもの逢引き。
俺の八歳年下の恋人は、この春十一歳になった。一歳年を重ねたといっても、別に俺たちの年の差は埋まらない。ミスティアと交際を開始して半年、相変わらず関係は秘密のままで、デートはもっぱら乗馬デートだ。
雨の日は、勉強会と称して屋敷で馬の話をする。たまに備品調達なんて名目をつけ、馬具を買いに二人で街へ出ることもある。
俺は一人前じゃない。だから「理由」を作らないと会えないし、その頻度も多くは作ってやれない。周りを見ていると恋人という関係にしては健全で清すぎる関係だと思う。でも互いに半人前、両想いで、交際しているだけで充分だ。
ミスティア自身、幼いながらにそれを理解している。恋人の俺と過ごせないのならと、ミスティアは自分の誕生日パーティーを家族と使用人だけで行った。俺が腑甲斐無いばかりに辛い思いをさせてしまったが、ミスティアの気持ちは嬉しかった。
結婚さえすればいつだって祝ってやれる。なにも一年に一度祝うんじゃなく、今まで我慢した分たくさん祝ってやればいい。約束された未来について考えれば、いくらでも耐えられる。
だが、決してこのままでいていいわけじゃない。
ミスティアには婚約者がいた。先週、些細な会話から花婿候補ではなく、婚約者がいると聞いた時は目の前が真っ暗になったが、結局それは親同士が決めただけのこと。ミスティアが好きなのは俺だということに変わりはなく、不安がる必要なんてどこにもない。
それに、ずっと俺に言い出せず、俺はかわいそうな思いをミスティアにさせていた。俺に言って、俺にふられることを考えて泣いていたかもしれない。そう考えると胸が潰れそうに苦しくなった。
もうそんな思い、絶対させたくない。
ミスティアの恋人としてしっかり頼られるように、ミスティアが辛い思いをしなくて済むように。きちんと頼られる男になって、ミスティアを幸せにする義務が俺にはある。
だから俺は真っ当な人間になる。別に元から曲がった人間でもないが、それでも真っ当に、誰が見ても一人前だと認める男になってミスティアを迎えに行く。
二週間前、親父から教師の道を打診された。家を継ぐ前に人を導く者として経験を積めということらしい。
教師と聞いて真っ先に浮かんだのはほかでもないミスティアの顔だった。
ミスティアは俺を「先生」と呼ぶ。乗馬を教えていた名残だろう。二人でいる時くらい名前で呼んでほしいもんだが、まぁ誰が見ているかわからない。それにミスティアから先生と呼ばれることについてはなかなか悪い気はしないと思っていた。
でもまさか、親父から教職の道を推薦されるとは思わなかった。
十五歳になった貴族は貴族学園へ入学する。ミスティアだってそれは同じだ。
今からなら、ちょうどミスティアが入学するころに俺は教師になっているはず。
もしも二人が同い年だったらと考えない日はなかった。それはどこへ行っても同じで、屋敷にいても街にいても、森にいても学園にいてもそうだった。同い年だったらきっと同じ授業を受けていたんだろうとか、一緒に飯が食えてたんじゃないかとか。いつだって、どこにいたってミスティアの姿を探していた。でも教師になれば同じ校舎にいられる。担任にだってなれるかもしれない。そうしたら、もっと会える時間だって増える。
それに、婚約者の無粋な魔の手からも守ってやれる。
教師と生徒では手は出せないが、俺はもとからミスティアがきちんと大人になるまで手を出す気はなかった。
さすが俺の運命。神は常に俺に味方している。
そう考えた俺は今までならばしぶしぶ受けていた親父の打診を即決で受けた。
「俺さ」
並走するミスティアに声をかけると、奴はこっちに顔を向けた。可愛い、じゃなくて危ねえな。落ちて怪我でもして顔に傷でもできたらどうすんだよ。そのときは責任とって俺が嫁に貰う──いやなにもなくても貰うが、普通にミスティアが怪我すんのも落ちるのも嫌だ。
「前見て聞け、危ない。話をするときはちゃんと前見ながらって言ったろ」
「はいっ!」
慌ててミスティアが顔を前に向ける。こいつの横顔も好きなんだよな。綺麗な顔している。日に日に綺麗になっていくな。いやそうじゃない。ミスティアが綺麗で可愛いのは今は関係なくて、将来の話をすんだよ俺は! 馬鹿か!
「俺、教師目指す」
ミスティアはまた俺の方を向いて、驚いたように目をぱちぱちとさせている。この反応はなんだ。いい反応か。悪い反応か。くそ、気になって待ってらんねえ。
「どう思うんだ。お前は、俺が教師になるって」
「……本当ですか?」
「おう」
「……応援します! すごくいいと思います! きっと天職ですよ!! 運命です!」
興奮した様子でミスティアが何度も頷く。こいつも、運命だと思ってくれているのか。こんなに喜んでくれるなんて想像していなかった。ほっと安堵していると、またミスティアがこっちを向いていることに気づいた。
「あ、危ねえ、前見てろって言ったろ」
「っはい!」
俺に言われたミスティアは前を向き手綱を持ち直した。くそ。咄嗟に言ったせいで、つい乱暴な言い方になっちまった。怖がらせないように言い方には散々気をつけていたのに。
「言い方、きつかったな。悪い」
「いえ、大丈夫ですよ」
「嫌じゃないか?」
「はい」
そう言ってミスティアはしきりに嬉しそうにしている。別に、俺のそのままの話し方でいいってことか……?
こいつはそのままの俺が好きなのか。
俺の夢を応援してくれる。ありのままの俺を受け入れてくれる。
「さすが、俺の、運命だなぁ……」
小さく呟いた愛の言葉は、馬の走る音にかき消され、俺の恋人の耳には届かない。だが今はそれでいい。俺たちはまだ健全で清く正しい関係でいる必要がある。
でも、その関係を終わらせる時が来たら、たくさん、たくさん好きだと、愛してると声に出して伝える。
それまでの、少しだけの辛抱だ。
愛してる。
声に出さず心の中で伝えると、まるで俺たちを祝福するかのように二人の間に春の風が吹いていった。
【夏 執事の観察結果】
アーレン家に勤めて六年、御嬢様は十一歳になり、はじめのころはやる気なんかなかった俺も、今や立派な執事として働いている。
前までは着辛いとしか思わなかった深紅の
ということで、片眼鏡をつけいかにも執事らしい歩き方──執事長の真似をして、廊下を歩いてみる。でも外は普通に
アーレン家で迎える六度目の夏。今年も面倒な季節がやってきた。「使用人の増員雇用」の夏だ。
春にはなにかと当主様が忙しく、煩わせないよう使用人も機敏に動く。その時期に新人教育などしていられないと、アーレン家では毎年夏に新しい使用人を雇用する。
人が増える。それ自体はいいことだ。一人当たりの仕事量が減り、仕事が早く終わり、その分休める。給料はいつも通りで身体はいつもより楽。いいことしかない。
しかしアーレン家で勤めるにあたっては、むしろ悪いことしかない。一人当たりの仕事量が減り、仕事が早く終わることは、御嬢様と関わる時間が減るということだ。
それどころか御嬢様を慕うものが増える。もしかしたら御嬢様を狙う屑の可能性もある。むしろ最悪なことしかない。なんて面倒な季節だ。最悪だ。使用人は今のままで十分だし、もっと減らしたいというのが使用人の総意だ。
しかし当主様は毎年使用人の数を増やそうとする。ほかならぬ御嬢様の進言によって。というかあの人は基本御嬢様の言葉か自分の妻の言葉でしか動かない。昔はもっと金や権力に対して欲深く活動的だったらしいが……。
ともかく御嬢様はどうやら俺たちが人手不足の中、死に物狂いで人員をやりくりして働いていると認識しているのだ。他の屋敷と比べて使用人が圧倒的に少ないと感じているらしい。たしかにそのとおりだ。でも別に人がいないのではなく、俺たちが自主的に減らしている結果だ。
御嬢様が心配をしてくれるのは嬉しいが、人員の増員だけは別だ。人が増えれば御嬢様を慕う危険人物が増える。だから俺たちは減らしてやらなきゃいけない。
基本的に害虫の雇用は、希望職の長……執事長、掃除婦長、料理長などが、送付された書類の審査と面接、そして採用から新人指導までを担う。
よって屑処理の機会は書類審査、採用面接、雇用後の解雇と三回だ。少しずつ振り落としていき、増員を抹消する。全員書類審査で落としても当主様が不審がる。面接で落としても不審がる。だから段階を踏む。
……面倒臭え。
当主様から受け取った害虫の素性や経歴が書かれた書類を持って溜息を吐く。これを各使用人の長に届けに行かなければならないのだ。我が屋敷の倫理観も道徳心も普通じゃない狂人たちに。憂鬱だ。
まずは料理長、ライアスとかいうおっさんからだ。御嬢様は昼食を終わった時間だろうから、忙しくはないだろう。
……ああ面倒だ。料理長は、使用人長連中の中で最も面倒臭いのだ。俺はうんざりしながら調理場へと向かった。
調理場に入ると、料理長は御嬢様の夕食になるであろう肉を叩いていた。打撃音が響いてうるさい。
「料理長、これ、今年の雇用の書類です」
「ああ! ルークじゃないか! なんだ今年もそんな時期か! ははは! ありがとう! その鍋の近くに置いておいてくれないか!」
料理長の指す方向には煮立った鍋が置かれている。そんなものの近くに置いたら燃える。こいつは過去にいた料理人、菓子職人や、パン職人を、「御嬢様が食べるものを、俺以外が作っている。それをただ眺めることに耐えられない」と嫉妬に狂い解雇した過去があると聞いた。ほかならぬ本人から。
それからずっと、アーレン家の食事はこいつがすべてやっているらしい。菓子もパンも、なにもかも。初めて聞いた時は冗談かと思った。でも御嬢様がいる時のこいつの挙動と、毎年この時期の様子を見れば納得する。
こうしている間にも料理長が肉を叩く速度が速まり、どんどん力も込められていった。
ああ、きっとあの肉は「御嬢様に食べさせるわけにはいかない」と、こっちのまかないになるんだろうな。
料理長は力任せに肉を叩きながらも口元は無理やり笑みを浮かべているが、しかしその目は間違いなく怒りの炎が揺らめいていた。きっと想像したのだろう。自分以外の人間がここで御嬢様へ料理を作る姿を。
……今年も料理人は増員されないんだろうな。八つ当たりされる前に、はやく出よう。
そそくさと調理場を出る寸前、料理長が叫びだした。俺は振り返らず、今日のまかないは肉団子で、下手したら明日もそうなるだろうと覚悟しながらその場を後にした。
調理場を後にした俺は、相変わらず鬱々とした気持ちで庭園へと歩いていた。次は、庭師のフォレストだ。こっちは料理長ほど情緒不安定でもないが、危険人物に変わりはない。
かつて屋敷には三人の庭師がいたらしいが、四人目として奴が入った三か月後……ほか三人、奴以外の庭師が一斉に辞めた。
辞めた庭師の退職理由は「良い就職先が見つかった」「親の病気」などさまざまで全員異なる。不審点は見つからなかったが、同時期に三人だ。いまだになにをしたのかわからないが、奴の仕業に違いない。
それに奴が来てから、毎年の庭師志望の害虫たちは害虫のほうから書類審査や面接の取り消しを求めてくるのだ。奴は裏で絶対なにかやっている。
だから庭師は現在奴一人だ。しかし奴は庭師の長を名乗るわけでもなく、庭師としてこの庭を取り仕切っている。この屋敷で庭師として在り続けるのは、永遠に自分だけだと宣誓するように。
庭に入ると、奴は脚立に乗って枝を
「雇用書類を届けに来ました」
「その下にお願いします。飛ばされると困るので」
庭師は手を止め、書類の置き場を指定すると剪定を再開する。
言われた通り脚立の傍にあった作業道具の下に置き、風で飛ばないようにしてから俺はさっさと庭を出た。
奴とは関わらないに限る。
情緒は普通で、取り乱した様子もなかったが、書類と聞いたとたん規則的だった枝を切り落とす音が力任せなものに変わった。
身震いをしながら振り返ると、広大な庭が視界いっぱいに広がる。普通なら五人体制でも手入れが困難な広さだ。奴はこの広さの庭を一人で整え、さらに独自の研究を行っている。もはや人のなせる業ではない。研究も、「御嬢様のために季節が異なる花を咲かせたい」なんて言っているが実際はどうかわからない。
毒物だと認識されず嗅いだだけで人を死に至らしめる花、人の精神に作用する花、くらいは研究していそうだ。美しく咲く花壇の下だって、一人二人いてもおかしくはないだろう。俺は半ば逃げるようにして、屋敷へと戻っていった。
「はぁ、やっと終わった」
誰も見ていないことを確認して襟を広げ、籠もった空気を逃がしていく。
ちょうど広間を歩いていた御者のソルに書類を渡し、順番に使用人の長の元を尋ねて回っていれば、青かった窓の景色は赤みを帯び始めていた。
この屋敷で働く人間は総じて癖が強い気がする。それらの長を務める人間は、さらに酷い。簡単な会話をするだけでも疲れる。どうせ疲れるなら御嬢様のために働きたいのに。
「最後は執事長か……」
焼かれるような暑さにも消耗しつつ髪をかき上げていると、不意に窓の外、屋敷の敷地内を歩く御嬢様の専属侍女の姿が視界に入った。進む方向を見ると御嬢様が敷地内の散歩をしていた。