「ごちそうさま、ありがとう、とても美味しかったよ」

「どうも」

食べ終わり空になった皿を前にレイド・ノクターは私を見た。このまま彼には着席したままでいてもらい、食べ終わった食器は、使用した調理器具と一緒に洗ってしまおう。

食器を下げようと伸ばした手は、彼によって止められた。

「食べさせてもらったんだし、僕が洗うよ」

一宿一飯というやつか。

しかし彼用のエプロンがあるわけでもない。今の彼の服装は、汚れてもいいものではないはずだ。でも彼はこちらの、「大丈夫です」を受け入れるようにも思えない。

……そうだ。皿拭き係なら服も汚れない。

「じゃあ、お皿拭きをお願いしてもいいですか?」

「わかった」

私の提案をレイド・ノクターは快諾した。

二人で皿や食器を流し台に運んでいく。二人で並んで、私が皿やフォーク、調理器具を洗い、隣に立つ清潔な布巾を持ったレイド・ノクターにパスをしていく。

話をしなくてもいいし楽だなと思っていると、そんな思いを裏切るように彼は口を開いた。

「今日は本当にありがとう」

「いえ」

「……料理人以外に料理を作ってもらうのは久しぶりだったから、とても嬉しかった」

また、彼に違和感を抱いた。なんだか彼は死に別れていくような言い方をしている気がする。料理人以外の料理を食べないなんて、貴族というものはわりと皆そういうものだし、いったい彼の身になにが起こっているのだろう。

「昔は、母がよくミートパイやキッシュを作ってくれたんだけど……」

お母さんの手料理が恋しくなったということだろうか。

いやでも彼の母、ノクター夫人は生きている。心身ともに健康なはずだ。事件以降、家族との時間が取れていないということか……?

「今は違うんですか?」

「まぁ、母は身重だしね。でも、子供がいるとわかるまでは作っていたよ。煮込み料理とか」

彼の悲愴な顔つきにはっとした。そうだった、彼の母は今身重の身体。おそらく伯爵は、出産を控えている夫人にかかりきりなのだろう。

私は前世の時、妹とそこまで年が離れていなかったから、物心がついた時には妹が隣にいる状態だった。でも彼は十歳。すでに物心もついているし、年のわりにしっかりしているけれど、それでも子供だ。妊婦がお腹の子に気を配るのは当然で、周囲が身重の夫人を気にかけるのも当然だ。おそらく彼に対して、おざなりになってしまうところがあるのかもしれない。

……手紙を送ってきたり、屋敷に突撃してきたのは婚約者としての務めからだと思っていたけれど、寂しさや孤独からきているのかもしれない。

もし、事件以降親しい友人と疎遠になっていて、まともに話しかけたりできるのが私だけだったとしたら、私は今まで彼にとんでもない仕打ちをしていたのではないだろうか。

いや、彼に親しい友人がいるのかすらわからない。私は彼についてなにも知らない。自分の将来のことばかり気になって、私は彼をちゃんと見ようとしていなかった。

「あの、レイド様」

……今も、一家の命や使用人の雇用問題がかかっている以上、バッドエンドは気になるしこれからも気にする。

だけど──、

「わ、私で、よければ、作りに行きましょうか、料理、とか」

「……いいの?」

レイド・ノクターの孤独は私に原因がある。彼にはもともと弟も妹もできないはずだった。しかし私が彼の母、ノクター夫人が死ぬはずだった現場に立ち会ったことで、そのストーリーを変更させた。夫人を救ったことに対しては、なんの後悔もない。今から時間が巻き戻ったとしても私は同じ行動を取る。だからといって、このままでいいとは限らない。行動には責任が伴う。彼の孤独を生み出した責任を取らなければいけない。

でも、家族や使用人の皆のことが第一だ。彼と悪戯に接触を増やすことは、将来的な投獄死罪の危険が高まってしまう。

「に、二週間とか、三週間に一回くらいなら」

妊娠から出産するまで十か月と聞く、以前の彼の報告から計算していくと、あと一か月くらいで出産のはずだ。さらに生まれる前も大変だろうけど、生まれた後も大変だろう。人ひとり、お腹から出てくるのだ。

……だいたい出産後半年くらい経てば、彼の家族は落ち着く兆しを見せるだろうか……。

そのうちに三週間に一度のペースであれば、最多でも屋敷への来訪回数は十回未満。そしてゲームの本編が始まる十五歳まで丸々三年はある。私がノクター家の屋敷に数回行ったところで、「弟か妹の誕生」というビックイベントに一瞬にしてかき消されるはず。

さらにこれからは「弟か妹と喧嘩」「弟か妹と一緒に遊ぶ」という、楽しいイベントが続々と発生するのだ。大丈夫。衛生面やアレルギーに気をつけ、中毒でも起こさない限り私が料理を作ったということが彼の記憶に残ることはないだろう。ああ、でも夫人は出産で負担があるはず。私の屋敷に来てもらうほうがいいのだろうか。

考えていると、レイド・ノクターは不思議そうに、それでいてつきものが落ちたかのようにこちらを見た。

「てっきり、君は僕のことが嫌いなんだとばかり思ってたよ」

突然の爆弾発言に、洗っていたフライパンを滑り落としそうになった。皿ではないから割れこそしないが、普通に危ない、落とさなくて良かった。彼の顔を見ると、先ほどの悲愴な表情は一変し、明るいものになっていた。

「は、はい?」

「でも、そう言ってくれるってことは、嫌いでもないんだね」

うんうん、と一人で納得し、頷く彼。しかしこっちは意味がわからない。おいていかないでほしい。

「二、三週間に一度か、じゃあ二週間に一度と考えて……」

布巾を置くと、すたすたとレイド・ノクターはカレンダーに向かって歩き出した。

もしかしなくても、私はさっき取り返しのつかないことを言ってしまった。彼を追いかけたいものの私の手は泡だらけで、手元には洗浄中のフライパンがありうかつに動けない。

一方彼は調理場のカレンダーを確認し、「この日は、大丈夫」「この日は駄目かな」とぶつぶつ言っている。

本当にどうしよう。私は頭の中が真っ白になりながら、茫然と立ち尽くしていた。