埋め逢瀬
レイド・ノクターに手紙を送ってから三日、私は自室の窓から雪が降りつもる庭園を眺めていた。
寒い。外気は窓と壁で遮断されているのに、冬将軍到来と言わんばかりに寒い。こんな日は屋敷に籠るのが一番だけれど、今日はレイド・ノクターが屋敷に来る日だ。
時計を確認すると、彼が屋敷に来訪する時間まであと二十分だった。彼が事前告知有りで屋敷に来ることは初めてだけど、彼の性格上約束の十五分前に来ることが予想できる。
そろそろ門の前で待っていなければならない。これから世界を救う勇者の気持ちでマフラーを手に取り玄関ホールに降りていくと、私の専属侍女であるメロがマフラーを持って立っていた。
「メロ、駄目だよ自分の部屋にいなきゃ」
彼女は立場上、私の専属侍女を務めていることをレイド・ノクターに知られ、なおかつ私と仲がいいというところを見られている。今後私が投獄される際に、メロを共犯として扱われたらたまったものではない。だからこれ以上メロを見られないよう昨日のうちに、レイド・ノクターが屋敷に来ている間は隠れておいてと彼女に頼んでいたのだ。
「いえ、よければ、こちらをと思ったのですが」
国の姫……もといメロがそっとマフラーを差し出してくる。私の持っているマフラーではない。これはもしやメロのマフラーでは?
「これって」
「先日、美しい毛糸を見かけたので」
「あ、あ、編んでくれたの?」
「はい。ミスティア様のために」
「今つけてもいい?」
「もちろんです」
メロからマフラーを受け取り、さっそく巻く。長さと厚みもあるし、丁寧に編んであるのが素人目でもわかる。大変だっただろう。きっと仕事が終わった後、時間を作って編んでくれたに違いない。
「大事にする! お守りにする! ありがとうメロ!」
部屋にあったマフラーは小脇に抱えた。後でしまおう。元気出てきた。嬉しい。地獄の底に向かう足取りが一瞬にして浮立ったものに変わる。
「行ってきます。メロ、隠れててね。出てきたら駄目だよ」
念を押してから屋敷を出ると、敷地の柵の隅にノクター家の馬車が見えた。
タイミング的にはばっちりだ。メロの手編みマフラーに触れて心を落ち着ける。門の方へ歩いていくと、ノクター家の馬車は停車し扉が開かれた。やがてゆったりとした足取りでレイド・ノクターが現れる。
「やぁ、会えて嬉しいよミスティア嬢」
にこやかに馬車から降り立つその姿は、さながら王子様のようだ。
しかし、この笑顔をそのまま受け取ってはならない。
事実上、エリクと鉢合わせ事件によって、私はレイド・ノクターに将来的に不貞の恐れがある人間と判断された。
今でも、鮮明に思い出せる。エリクと共に彼が去ろうとした時の、口元は弧を描きながらもまったく笑っていなかった憎悪の瞳。その瞳はまさしくミスティアが主人公に向けるものだった。それも終盤の方の、めちゃくちゃに拗れている時だ。
不貞婚約者と考えられることは婚約解消のステップとして正しいと思ったけれど、このままだと主人公を陥れたゆえに訪れる投獄死罪が、レイド・ノクターに恨みを買ってのものになってしまう。
ミスティアの投獄は、学園への放火が決め手だった。
それまで主人公を崖から突き落としたり、張り倒したりし続けても捕まらなかったのは、ミスティアが事件を揉み消していたこと。主人公がミスティアを通報しなかったこと。そして、レイド・ノクターが泳がせていたからの三つだ。
彼がミスティアを泳がせていたのは、証拠集めのため。ミスティアが主人公を侮辱して崖から突き落した後など、彼が見つけるミスティアはいつも「断定はできないけどたぶんミスティアのせい」という場面ばかり。
だから証拠を固めるために、彼はミスティアを泳がせていたのだ。
しかし今ははっきりとした憎悪がある。早急に投獄を進められかねない。絶対に投獄の布石を打ってはならない。もう砂粒ひとつ撒いてはいけない。
そう思って、彼を迎えようと決意したものの──、
「さて、どこを案内してもらおうかな」
そう言って私の前に立ち笑うレイド・ノクターに、違和感を感じた。切迫しているような、それでいて元気がないような。彼の温和な微笑みに私はいつも不安を感じていた。しかし今日感じるのは彼自身に対する不安だ。
親と喧嘩して出てきた? 道中嫌な目に遭った?
ぐるりとアーレン家の敷地内を見渡すレイド・ノクターをよく観察する。
特に目立った異変はない。髪型も服装も普通……、つま先から眺めていくと、ふと白い首が露わになっていることに気づいた。
そうか。マフラーがない、彼は寒いのだ。なるほど、納得した。
「よければどうぞ」
小脇に抱えていたマフラーを彼に差し出す。ちょうどこちらは使っていない。後でしまおうと思っていたものだ。つまり使用前。一方彼はマフラーを見て困惑の表情を浮かべた。
「えっと……」
「大丈夫です。洗濯済みです。使おうと思っていたら、なんとなく、別のマフラーを使いたくなって、ですのでこちらは持って移動しただけというか……使いかけではありません」
慌ててマフラーの来歴を伝えると、彼はじっと私を見つめた後、マフラーを受け取った。
「ありがとう」
レイド・ノクターはマフラーを自分の首に巻いた。良かった。これで暖は取れた。寒さは油断ならないし、十歳の身体だ。子供は風の子といえども、暖かくしていることに越したことはない。
さて屋敷を案内するかと屋敷へ振り返り、そして気づいた。……そうだ。屋敷の中に入れば暖炉がある。ここでマフラーの来歴を語るよりも、屋敷の中に入ってしまえば良かったのだ。
「すみません。寒いですよね。屋敷の中に入りましょう」
「いや……まずは庭園から案内をしてもらいたいな」
レイド・ノクターが庭園の方を指す。先ほどより顔色はいいけれど、なんだろう、まだ違和感は拭えない。
私は頷き、違和感を抱えながらも彼と共に庭園の方へ向かったのだった。
草花の柄が刻まれた
アーレン家の庭園は、屋敷からは中が見える。けれど、それ以外からは木々に囲まれ中の様子がわからない。だからか、レイド・ノクターは辺りを見回し、私の後ろに続いていた。
「あれは……」
しかし彼は近くに咲いていた花々ではなく、なにやら遠方をじっと見つめ足を止めた。彼の視線に目を向けると、庭師のフォレストが木に肥料をまいていた。
厚手のコートを着て、こちらに気づく様子もなく熱心に働いてくれている。
「君の家の庭師はずいぶんと若いんだね。僕らと五つくらいしか変わらないくらい……?」
「いえ、もう成人していますよ」
「そうなんだ……」
レイド・ノクターはすっと視線を落とし、目の前の花壇に目を向けた。そこにはチェス盤のように植えられた白百合と黒百合が咲いている。
「百合が咲いてる……冬なのにどうして?」
「庭師が冬も庭を楽しめるようにといろいろ工夫してくれているんです」
フォレストは、以前から冬の庭の景観について思うことがあったらしい。ここ数年、交配や試行錯誤を繰り返し、冬でもあたたかい気温を好む花々を咲かせることに成功した。彼の能力と根気強さには感嘆させられるばかりで、その成果を学会に発表することをすすめたけれど「好きでしているから」と断られてしまっている。
もったいないとは思うけれど、彼の選択、彼の人生だ。しかし彼の気が変わり「やっぱりやりたい」と言った時、すぐに行動に移せるように準備はしてある。
「この花は……」
興味深そうに一点を見つめるレイド・ノクターの手前のポットには、弟切草が色鮮やかに揺れていた。これはフォレストが、季節が過ぎた花をどれだけ長く持たせられるかと研究中のものらしい。昨日、「婚約者様がいらっしゃるならば」と特別に分けてくれたのだ。
「レイド様が屋敷にということで、庭師が置いたのです。生薬にも用いられると聞きました」
「そうなんだ。では彼に礼を伝えておいてくれるかな」
「はい」
レイド・ノクターはじっと花を見つめている。それにしても冷えてきた気がする。そろそろ屋敷で暖を取らなければ彼が風邪を引いてしまう。
「では、そろそろ屋敷の中をご案内します」
「そうだね。庭園、見せてくれてありがとう」
「いえ……」
本当に、私はなにもしていない。ただただ、庭師のフォレストがすごい。私は遠方にいる彼に一礼し、庭園を出てレイド・ノクターと共に屋敷へと向かった。
「へえ、ここがミスティアの部屋なんだ」
私の両親に挨拶を済ませたレイド・ノクターは、「さっそくだけど、ミスティア嬢の部屋が見てみたいな」と調理場、トイレ、広間、廊下、客間、書庫、物置、など、あらゆる選択肢の中から私が最も、「一番最初に連れていくのは嫌だな」と思った場所、私の部屋を所望した。
なぜ私が自室に彼を入れるのが嫌なのかといえば、将来的に修羅場イベントがそこで起きるからだ。
ゲームが終盤に差しかかったころ、レイド・ノクターから婚約解消の意向を宣告されたミスティアは、彼を騙し部屋におびきよせ昏倒させる。そして自身は婚約者の酒乱により襲われた悲劇の令嬢を演じ、婚約解消が絶対にできないよう、彼を追い詰めるのだ。
しかしそれでもレイド・ノクターは徹底抗戦の意思を表明する。ミスティアは彼の態度に憤慨し、今度は妊娠したと偽造した診断書で彼を脅すのだ。もはや乙女ゲームの枠組みを超えている。
そんなストーリーの舞台となる部屋に、関係者であるレイド・ノクター本人といるなんてもはや自分が将来殺害される現場を見ているかのような気持ちになる。
もう大方屋敷の案内が済み、彼の帰宅の時間が差し迫ってきたくらいのタイミングで訪れるべき部屋だ。
私の部屋を少しずつ、そして注意深く観察していくレイド・ノクターは、さながら殺人現場を捜査する刑事のようにも見えてくる。
「ミスティア嬢はいつもここで生活してるんだね」
「はい……」
そういえば、ノクター家の屋敷に行った時、私はレイド・ノクターの部屋に入っただろうか。彼の屋敷に行った時は、とにかく恐ろしい気持ちでいっぱいだったからあまり記憶がない。
「ねえ、彼はここに来たことはあるの?」
「かれ?」
「ハイム家の彼だよ」
「あります……ね」
「ふうん」
彼はじっと私を見据えた。怖い、嘘じゃないか探られている気がする。完全に刑事や探偵の目つきだ。嘘はついていないのに恐怖を感じる。
「彼とは小さいころから仲が良かった?」
「いや、そういうわけでは」
「いつ、どこで知り合ったの?」
「今年の夏にハイム家主催のお茶会で」
さながら取り調べ、いや尋問だ。この場所だけ、私だけ普通より何十倍もの重力が上からかかっているに違いない。
「泊まったこともあると聞いたけどよくあるの?」
「い、一度大雨で、危ない日があって」
その日はいつも通りエリクと遊んでいて、去り際に突然土砂降りの雨が降ったのだ。バケツをひっくり返したような水量で、このままの帰宅は困難と判断し、帰ろうとするエリクを私が引き留めた。
「なら、このまま大雪が降ったら、僕のことも泊めてくれる?」
「へ?」
思いもよらない質問を投げかけられ、思考が止まる。てっきり、「本当に雨でも降ってたの?」とか、「それはいつの日?」とかの質問を想定していた。大雪が降ったら馬だって危ないし、路面凍結の恐れもあるから当たり前だ。レイド・ノクターが屋敷に泊まることは危険だけど、人命は優先されるべきだ。
「それはもちろんです。危ないですからね」
答えると、今度は彼のほうが驚きの表情を浮かべた。人に質問しておいて目に見えるほど驚かないでほしい。
「そうなんだ……。そろそろ別の部屋を案内してもらおうかな」
「はい」
レイド・ノクターがあからさまに動揺している。以前、彼の屋敷で我儘を言い暴れたことがあったけど、あの時の彼は冷静で、動揺というよりゴミを見る目に近かった。そんな彼が動揺している。
……お手洗いに行きたい?
気持ちはかなりわかる。人の家に行ってトイレの申し出をすることは緊張する。そもそも人の家に来ることすら緊張するのだ。
どうやら次の部屋の指定はないみたいだし、トイレに案内しよう。いやでも「トイレに行きたいことを気づかれた」と思わせてしまうのもかわいそうだ。
さりげなく近くの書庫を案内して、「すみません今日、鍵しまってるみたいですねー」とワンクッションをおいて、トイレを案内しよう。
私は動揺を隠せていないレイド・ノクターと共に、自室を後にしたのだった。
「調理場はこちらです」
立ち入り可能区域を回り終え、向かった先は調理場だ。料理長のライアスさんにはしっかり事前に許可を得ているため、仕事の邪魔にならないように細心の注意を払わなければ……と思ったものの──、
「料理長がいない……」
レイド・ノクターを連れていくと調理場はもぬけの空だった。がらんとしている。時計を確認するとちょうどおやつタイムだ。ライアスさんはこの時間いつも調理場にいる。なのに今はいない。
「おかしいな……」
壁に貼られているライアスさんの予定表を見ても、街に出かけている様子はなく今日のこの時間は調理場にいることになっている。しかし用具もすべて片付けられ、普段あるはずの仕込みもない。
「と、とりあえずここが調理場です」
気を取り直してレイド・ノクターの方を見ると、彼は一点を見つめていた。その視線の先は私の調理道具セットが置かれている棚だ。
棚は「御嬢様専用棚」と記され、中には子供の身体に適したエプロン、フライパン、包丁などが収納されている。私が両親に買い揃えてもらった調理セットだ。調理場が忙しくなく、かつ私が気が向いた時に料理するセットとも言う。
ちなみにその近くに、実食するための簡単な椅子と机もある。椅子は子供用だけど、机は普段料理長がレシピを考える作業台として使っているため、なかなかの大きさだ。
「もしかして、ミスティア嬢は料理ができるの?」
「まぁ妹に………、い、芋をに、に、煮たり、焼いたり程度ならできますよ」
「へえ、ミスティア嬢は、料理ができるんだ」
含みのあるような言い方でレイド・ノクターが頷く。なんだろう、考えられる可能性を一つ一つ洗い出して、はっとした。
「……もしかしてお腹空いてます?」
「空いてるって言ったら作ってくれるの?」
「え」
質問を質問で返されるとは。そしてなんだこの流れは。不穏な気配がする。むしろ不穏な気配しかしない。
「お腹が空いてるなら、焼菓子がありますよ」
「僕はミスティア嬢の料理の話をしているんだよ」
おかしい、この流れ、私が作るみたいな流れになっていないだろうか。
「あの……、たぶん想像している料理とは違うと思います」
「想像もできないな、食べたことがないからね」
私の言葉に、レイド・ノクターがにっこりと笑う。出している圧力と、笑顔があまりにも一致していない。
「もしかしてハイム家の彼にはよく作ってたりする?」
「いや、一度もないですけど……」
「ふぅん……」
間が苦しい。無言が苦痛すぎる。
「た……食べます?」
「ありがとう、嬉しいよ」
作りたくない。できることなら作りたくない。ミスティアがレイド・ノクターに手料理を食べさせる……そんなイベントなんてない。しかしエリクの名前が出た以上、事態の悪化をさせないため作らなければいけない。意を決して、冷蔵庫を漁る。
「なにしているの?」
「私が使ってもいいものを、仕分けしてもらっているんです」
トレーを出すと、そこにはパンやハム、チーズにベーコンなどがあった。
このトレーは、料理長であるライアスさんがその日使わなかったり、余ったものを入れて、私がそれを料理するシステムが構築されているのだ。そしてトレーの中身の消費期限が迫ってきたら、ライアスさんがまたなにかに利用する。
「……甘いのと、塩みがあるもののどちらがいいですか? それと嫌いなものとか、食べたら身体に不調をきたす食材はありますか?」
「なにもないから、全部お任せするよ」
「では、そこに座っていてください」
レイド・ノクターに着席を促し、私は彼に背を向け、手を洗いエプロンをつけてから調理に取りかかった。
しかし、背中にびしびしと視線を感じる。もし視線が矢であるならば、確実に私は負傷兵となっているだろう。震える手を押さえながらボウルに目をとめる。……そうだ。金属は鏡のように物を映すから、後ろを振り返らずとも彼の現在の顔の向きを確認できる。
もしかしたら、こちらを見ていないかもしれない。
さりげなくボウルを選ぶふりをして確認し、即座に後悔した。
レイド・ノクターは、こちらに顔を向け手を振っている。こちらを見ている。さらにボウルで確認しようとしたこともばれている。
彼に振り返って一礼し、料理に取り掛かった。もうそれしかできない。とりあえず、卵とハムとチーズ、パンがある。賞味期限もどれも万全だ。
時間の問題を考えると、サンドイッチが無難だ。殺菌の意味合いも込めて焼こう。
いつもどおりの手順でサンドイッチを作り、バターをならしたフライパンで焼く。私はそうしてできたサンドイッチ、というよりホットサンドを盛った皿を、フォークとナイフを添えて彼に出した。
「えーっと、どうぞ」
「ありがとう」
レイド・ノクターはお礼を言って、ホットサンドを見つめたかと思えば、私の方に顔を向けた。
「君の分は?」
「いえ、私はまったくお腹空いてないので……」
「いいの?」
「はい」
「そうか……、いただきます」
レイド・ノクターが優雅な所作でホットサンドを一口食べた。簡単な所作なのにこうも美しく見えるのは、容姿からくるものなのか、その風格からくるものなのか。
しかし、一口食べてなにかしら言うかと思ったけれど、彼は沈黙した。ただただホットサンドを見つめている。口に合わないのを必死に隠しているというよりも、心がここにないような、でも表情が明るいような……よくわからない顔だ。
「塩足しますか? それとも濃かったですか?」
「いや、とても美味しいよ」
レイド・ノクターは微笑む。私は行き場の失った塩の入った小瓶を握りながら、その様子を眺めていた。