姫の目覚め

エリーに出会ってから一か月が経った。

もう季節は完全に夏に変わった。私はこの一か月、ハイム家に通い続けている。雨の日も風の日も通い続け、ほぼ毎日通っている。

人形作りから派生した街の作成は、もうすでに城も屋台も家も完成し、約十畳はあるエリーの部屋半分を埋め尽くすまでの規模になった。しかし彼女的には「まだ完成まで半分くらいある」らしい。

どうやら彼女は職人気質なようで、一度作った建築物を手直しして一日を過ごすこともある。将来有望な職人のこだわり。研究者も向いているかもしれない。

連日通う私に対し、当然ハイム夫人は娘の様子について私に尋ねてくる。エリーからは街づくりに関することのみ話をしてもいいと許可が出ているから、架空の街の建設状況の話をしているけれど話を聞く夫人は本当に嬉しそうだ。ひとしきり街の状況について聞いた夫人は、たいてい最後に必ず私にエリーと遊ぶことは苦しくないかと不安そうに尋ねてくる。

正直アウトドア派でもないのに、連日人の家に訪問する行為は楽ではない。しかし苦しいわけでもなく、むしろエリーと過ごす時間は有意義で、とても楽しい。はじめは腕をぎりぎりされるから、放っておけないという思いだったけれど、彼女と他愛のない話をする時間や、一緒に街づくりに取り組む時間は私にとってかけがえのないものになってきた。

逆に籠っている側からしたら、出会って日の浅い人間が部屋に入ってくるということは、不登校の学生に対し担任が登校を求め訪ねてくるレベルで気が重い。にもかかわらずエリーには嫌がっている気配が見られない。

一度「こんなに来てもいいの?」と問いかけたら、「来たくないの?」と腕を掴まれぎりぎりされた。よっておそらく排除対象にはされていない。

これは、友情が芽生えているのでは。友達になれるのでは。むしろ友達では? と浮かれた考えすら持ってしまう。

「ミスティア、お水できそう?」

「今のままだとまだ無理だよ。住民全員干からびるよ」

そして今日は朝から「水場が欲しい」と言うエリーの指揮のもと、二人でせっせと水汲み場を作っている。エリーが画用紙に色を塗って井戸本体を作り、私は水色の画用紙を切り抜いて、井戸の水を作っていた。

この二つを組み合わせることにより、街に無数の「水があふれた井戸」が出来上がる。日照りにさいなまれた街が勇者の水魔法により救済される設定だ。しかし勇者こそが街に日照りを起こした張本人であり、勇者は街から金品をだまし取ろうとしていた、というなかなか問題がある裏設定がある。エリーはこの設定に笑ってくれていた。

そんな彼女の様子が、今日はあまりにもおかしい。

なんだかずっと話を絶やさないようにしている様子だ。別に無言でも苦にならないし、彼女もそのタイプだと思っていたけれど、今日はずっと進捗状況の確認や、こちらの顔色を窺いながらその他質問をしてくる。

「ミスティアはさ、好きな動物はなあに?」

一見普通の質問だ。けれどこの質問は今日、四度目の質問である。朝から私は約一時間おきに好きな動物を問われているが、別に私は一時間おきに好きな動物が変わる人間として広く知られているわけではない。普通に心配だし、不安だ。レイド・ノクターが同じ質問をしてきたなら、「今日殺されるのかな」という不安だけれど、エリーは普通の女の子。純粋に彼女に対して不安を感じる。なにがあったのだろうか。

思い返せば前世時代、小学校のころ、前の席のクラスメイトが飼っていた犬が死んだと突然泣き出したことがあった。彼は授業が中盤にさしかかったころ突如泣き始めていたけれど、授業に入る少し前の休み時間、突然口数が増え様子がおかしくなっていた。それに似ている。

「エリー、なにか嫌なことあった?」

「ないよ」

そう言いながらも彼女は布を深く被った。明らかにおかしいけれど、話をしたくないなら無理に聞きださないほうがいい。

でも気になる。なにかできることがあるなら協力したい。でもそう思われること自体が、相手の負担になるかもしれない。

時計を確認すると、お昼を取りに行く時間になっていた。ハイム家に来るたびに、私はここでお昼を頂いている。はじめのうちは屋敷から持ってきていて、ハイム夫人にそれくらいはさせてほしいと悲しい顔をされてからはここで食事を頂くことになった。だからこそ、部屋の前に食事を運ぼうとする夫人に対しエリーと自分の分の運搬を申し出ている。今日もそろそろ昼食の時間だ。

「そろそろお昼ご飯取りに行ってくるね」

「……行けなくてごめんね」

「気にしないでいいよ、井戸作りよろしく」

大丈夫だと言っても彼女は申し訳なさそうにしている。律儀な人柄だ。「いってきまーす」と明るい声で部屋を出て、廊下を歩くとちょうど夫人が昼食を台車に乗せて持ってきていたところだった。

「今日のお昼はサンドイッチよ」

「ありがとうございます、すみません私の分まで用意してもらって」

「気にしないで、毎日……ううん毎食でもあの子と一緒に食べてほしいくらいなのよ。きっと一人で食べるのは寂しいでしょうから」

毎日毎食はさすがにエリーも嫌がるのでは。昼食に目を向けるとサンドイッチは卵、ハム、レタスがぎっしりと挟まっていた。付け合わせにポテトもある。ティーポットから香るお茶の香りはきっと桑の葉のものだろう。

「じゃあ、持っていきますね。ありがとうございます。いただきます」

夫人に見送られ台車を押し、部屋へと戻っていく。そしていつもどおり部屋の扉を開くと、いつもどおりではない──なにかを破くような音がした。

音の発生源、目の前の光景が信じられず唖然とする。

あれだけ街づくりにこだわりを持っていたエリーが、己の手で描いた井戸を引き裂いている。彼女が一生懸命塗ったはずの画用紙は、散り散りになって床に散らばっていた。

「え、エリー?」

私の呼びかけに、彼女は狼狽え驚いたのか大きく後ずさった。その拍子で纏っていた布が滑り落ちていく。そうして現れたのは、翡翠の瞳からぼろぼろと大粒の涙を流す少女……エリーだった。

彼女は暗い黒とび色の髪を揺らして泣いている。泣かせてしまった。私はなにをやってしまった? なにか言葉を、慰めを、なにかしなければ、どうしよう。

「井戸……嫌だった?」

「ちがうぅ……」

「なにが、なにか失敗して」

「ちがう……!」

エリーが叫び、さらにぼろぼろと涙を流す。

「だ、だってミスティアがいなくなっちゃう、街が、完成した、ら、やだ、もっとお話ししたいのに。でもなにを話していいかわからない、おそいの、話がでなくて、待たせちゃうのに、うまく話せないから、街が完成したら」

「エリー」

「……友達でいてもらえない」

か細い、震えるような声だった。

悔しそうに不安に揺れる瞳。その様子を見て、ようやく自分がエリーを放っておけない理由がわかった。

彼女は私に似ているのだ。

上手く話せない。面白い話ができない。だから、人と話すのが苦しい。

前世の幼少期、私も人と関わることが苦手だった。いや、今もだ。口下手で、面白いことも言えず、家族以外の要件のない雑談が苦痛だった。たしか近所の男の子に、なにか話をした時、「つまんなーい」と言われたことがきっかけだった。

以降私は、人と話をした後、「あの発言は良くなかったのか」「場の空気を乱したのでは」とあれこれ考え、会話自体に苦手意識を持った。

そんな苦手意識が払拭されたのは中学に上がって間もないころ、「別にテレビじゃないんだから、他人の話に面白さなんて誰も求めてないし、金もらってるんじゃないんだから堂々としてなよ」と妹に指摘されてからだ。それ以来、少しずつ日常会話が苦にならなくなった。

エリーも、おそらく悲しい目に遭ったのだろう。酷い言葉を言われたのか、されたのかはわからない。それから、沈黙してはいけない、面白い話をしなければと緊張し、「なにか」言わなければと、なにかを探すことに時間制限を設けては、パニックに陥ることを繰り返した。

後悔をして、後から何度も何度も思い出して反省する。もう二度と繰り返さないようにと決める。その誓いは彼女自身の脅威へと変わり、自分の身を守るために彼女は自室に籠り、外界との接触を断ったのだろう。

そうして一人でいることを望んでいる一方で、寂しくないわけではない。話すことが怖い、一人でいることも辛い。きっと彼女は苦しいのだ。だから緑蘭の庭園で私と会った時に強引に腕を掴んできたのだ。助けを求めて。

「別に無理に話さなくていいよ」

布が解けたエリーにそっと近づき、固く握られ震える手に自分の手を重ねる。彼女は戸惑いがちに私の顔を見た。

「で、でも」

「大丈夫だよ、話なんて関係ない。私はずっと傍にいるよ。黙ってても、なにもしなくても、大丈夫。話がしたくなったら話せばいい、したくないならそのままでいい。ずっと友達。いなくなったりしない。約束するよ」

だから泣かないでと、祈るように手を握る。

「ほんとに?」

「本当」

「ぜったい?」

「絶対だよ」

笑いかけると、エリーは縋るように抱きついてきた。「井戸、破っちゃってごめんね」と声を震わせている。

「大丈夫だよ。また作り直そう? 何度だってやり直せるよ」

エリーの温かい背中を撫でると、彼女は私を抱きしめる力を強くした。安心したように身を預けてきて、やがてすやすやと寝息を立て始める。

床で長時間寝かせるのは体に悪い。しかし起こすのも忍びない。十歳の非力な力ではベッドに運べない。外は暗くなり始めている。というかもう暗い。帰る時間だけど、いなくなったりしないと約束した当日に勝手に帰宅するのはいかがなものか。しかし門限が……。

でも、とりあえず今は、エリーとの約束を破らないことが大切だ。

私は彼女を抱きしめ、安心して眠れるように優しく背中をさすっていた。


「あ……」

ぼんやりと目を開くと、見知らぬ天井が広がっていた。

ここはどこだと考え、昨日の出来事を思い返す。そうだ。昨日はたしか眠るエリーを抱きかかえていると、ずっと部屋から出てこない私に気づいたハイム夫人が部屋に来て、お泊りを提案してくれたのだ。

遣いを出して家に連絡してもらい、エリーをベッドに運んでもらった。私もその横で眠った──ということは、私は今、彼女と眠っているということだ。そう思って隣を見ても、誰もいない。

「うそでしょ」

寝相で蹴り落とした? 完全にやってしまった。慌ててベッドの下を確認すると、そこにはなにもなかった。

なんで誰もいない?

エリーの姿を探して辺りを見渡すと、窓の外がいやに明るいことに気づいた。隙間ほどしか開かれていなかったカーテンは全開になっていて、差し込む日の明るさが時間の経過を物語っていた。

まずい。私は寝過ごしたのだ。おそらくエリーはもう起きている。優しさゆえに寝かしておこうと思ったのか、何度も警告されたにもかかわらず私が起きなかったのかはわからない。現状私が寝坊していることだけはたしかだ。

人の家に泊まっておいて寝坊とは何事だ。なんたる失態、飛び起きると隣に新しい服が用意されていた。ミスティアさんへ、とカードまで添えられている。

たぶんハイム夫人が気を利かせてくれたのだろう。厚遇を寝坊で返すこの愚行。なおさら最悪じゃないかと、私は急いで着替え部屋を出たのだった。


急いで広間へと向かっていく。けれど人の屋敷で走るわけにもいかず、早歩きしかできないのがもどかしい。失礼にあたらないぎりぎりのラインを狙って廊下を進んでいると、曲がり角から人影がぬっと飛び出してきた。

「あ」

現れたのは、エリーに似ている少年だ。というかそっくりだ。顔も、身長も、体型も、すべて同じに見えるけれど、髪の長さだけが違う。昨日初めて見た彼女は膝まで伸びたふわふわロングヘアだった。しかし彼は、僅かに癖がある爽やかなショートヘアだ。

エリーに兄弟がいたのだろうか。身なりは上質そうだし、貴族の子だろう。親戚……? でも、そんな話は彼女から聞いていない。

もしや、このハイム家にんでいる先代当主の幽霊の可能性は……、足はあるし影もある。大丈夫だ。いやこんなこと考えている場合じゃない。挨拶をしなければ。

「はじめまして、ミスティア・アーレンと申します、このたびは……」

自己紹介の途中で、相手はくすくすと笑い出した。寝癖がついているのかもしれない。人の家で寝坊して、さらに寝癖を披露してしまう。なんだこの愚行の重ね技は。慌てて髪を押さえると、彼はさらに笑った。

「はじめましてじゃないよ。エリーだよ、いや、正しくはエリクなんだけどね」

「エリク……」

エリクと聞いて、頭の中が真っ白になった。酷い耳鳴りがして、走馬灯のように記憶がよみがえっていく。「一人にさせてごめん」と、彼が私の手を握った。その手は間違いなく昨日握っていたエリーの手、そのものだ。