アーレン家の使用人

ノクター夫人が襲われた事件から一か月。

伯爵から「落ち着いたら屋敷に招待するね」といった内容の手紙が我が家に届いた。夫人の甥は投獄され、裁判になれば死罪になるか、ならなくても一生外には出ることはできないらしい。

これで夫人の身の安全は保障されるから安心だ。私の行動についても偶然と認識しているようで、事件の日は私に対して不思議そうにしていたけれど、時間が経つにつれて思い直したらしい。危ないところだった。いろんな意味で。

当初私は夫人を救うことしか頭になかった。夫人の死を回避した今改めて考えると、夫人の命を救うことはノクター家との縁を深める危険性があった。

ノクター家が私を恩人と解釈することは、投獄の道からは一見遠ざかって見える。しかし大きすぎる信頼は、裏切られた時の憎悪も大きい。好きの反対は無関心と言うが、間違いなく無関心のほうがいいに決まっている。

でも偶然となれば、助けようという意思があった行動よりも、感謝の濃度は薄くなるはずだ。

「あともう少しで淹れおわりますので」

安堵しながら自室の椅子にもたれていると、メロがティーポットのふたを押さえながらこちらに振り返った。

その洗練された所作と凛とした佇まいは、この世のものとは思えないほど美しい。同じ人間であることが疑わしいくらいだ。天使、大天使メロ。

「本日の紅茶は、フォルテ孤児院で育てた茶葉になります」

「懐かしいねえ、メロとの出会いのお茶だ」

紅茶の注がれたティーカップを受け取り、昔を思い返す。私とメロの出会いは私が四歳のころだ。父が関わっているフォルテ孤児院に、当時八歳だったメロが預けられた。茶葉の収穫祭に参加した父が、娘の話し相手にとメロをアーレン家に迎えたらしい。私は当時よくフォルテ孤児院に遊びに行っていたけれど、大天使との遭遇はあまりに衝撃的な出会いだったのか、よく覚えていない。

「本日のご予定はいかがなさいますか? 門番の演奏でもお聴きしますか? それとも専属医の下で絵画を?」

「そのことなんだけどさ、ちょっとお出かけしない?」

「なにかご入用なら、すぐお持ちいたしますが」

私の返答に、メロは露骨に不服そうな顔をした。「ちょっと、外に出たほうがいいと思うんだ」と続けると、彼女は黙って視線を落とす。

実のところ、私は事件以降屋敷から出ていない。

一か月籠りっぱなしだ。元々インドア派だということもあり、外に出るのは両親によってお茶会に連れていかれるか、孤児院、アーレン家が出資している施設に向かうくらいだ。自主的に外に遊びに行ったり、買い物に行きたいと考えることはあまりない。自主的に外出するのは、使用人の誰かの誕生日プレゼントを買いに行く時だ。でも、最近は少し事情が異なる。外に出ようとするとメロやほかの使用人の皆が止めにかかるのだ。

甥はもう捕まり、牢に入れられている。けれど使用人の皆は屋敷の令嬢が事件に遭ったという衝撃がいまだに消えないのか、外出を全力で止めてくる。

その心配は留まることを知らない。私の就寝時に部屋に入ってきて、巡回をするほどだ。夜中目が覚めると、必ず使用人の誰かがベッドのそばに立ち、私の顔を覗き込んでいる。

屋敷の皆は私を心配してくれている。嬉しいし、申し訳ないと思う。しかしそれだけならまだしも、皆私に合わせて休日であっても外に出なくなってしまった。使用人の皆は休みの日が定期的に設けられているにもかかわらず私の手前外出し辛いのか、非番であるのに屋敷の中で見かける。それが外に出るのが好きではないという理由なら、私は別に構わないけれど、今の屋敷の空気は、たいそう重苦しい。

籠る令嬢と、令嬢に合わせ、外に出られない使用人。そんな環境は良くない、良いはずがない。だからここは原因の私が外に出ることで、使用人の皆が外出しやすい環境を作りたい。そのためには、専属の侍女であり護衛を務めてくれているメロの説得が必要不可欠だ。

「ねえ、メロ。お出かけしない?」

「しません。これも御嬢様の身の安全のためですから、どうぞご理解を」

「でもさ、たまには外に出て太陽光に当たらないと、体内に必要な栄養素が不足しちゃいそうじゃない? それに運動しないと太っちゃうし」

「どれだけ肥え太り、歩けなくなっても私がいます。しかし……、御嬢様がどうしてもとおっしゃるなら、屋敷の中を歩くのはいかがです?」

メロは真顔で言う。気持ちは嬉しいけれど歩けなくなってもって。

「メロは私と出かけるの嫌?」

「私は、御嬢様が外に出て危険に晒されることが嫌です」

「じゃあ私と外に出ることは嫌じゃない?」

「当然です」

「じゃあ行こうよ」

「それとこれとは話が別です」

「じゃあメロにぴったりくっついてるから! それで手もつなごう」

私の言葉にメロはじっと考え込んでいる。たぶんこれはいけるパターンだ。

「約束破ったら、ずっと外に出なくてもいいよ」

「……そこまでおっしゃるなら」

メロは「約束ですからね」と念を押して、クローゼットから私の外出着を選ぼうとする。そんな彼女を私は慌てて制止した。

「時間もったいないから、私は自分で支度するよ! 待ち合わせしよ! 庭園の噴水のところで!」

「庭園……ですか?」

「うん! そこで待ち合わせ」

「庭園……」

メロは渋る。「お願いお願い」と頼み続けると、やがて彼女は頷き、部屋から出ていった。お出かけだ。そしてデートだ。私が勝手に思っているだけだけど。

クローゼットから着ていく服を選び、さっと着替える。鏡を見ながらおかしいところがないか確認をして、鞄にお財布を入れ中身を点検し出発だと扉を開くと、目の前に大きな影が差した。

視界に入るのは、たくましい鍛え抜かれた腕と、磨き抜かれた出刃包丁。顔を上げると料理長のライアスさんが、「御嬢様……? なぜ外出を……なさるのですか……?」と、そのすずめ茶色の瞳を胡乱げに揺らし、包丁を握りしめて立っていた。

もしかして、メロが嬉しくなって話してしまったのだろうか。楽しみすぎて……? 可愛い。しかし、さっそく見つかってしまうとは。ライアスさんはまくしたてるように「どうして!」と大きな声を出した。

「俺の料理が不満ですか!? だから外に出るんですか? ほかの人間が作った料理を食べに行くんですか!? 許せません! どうなんですか? そうなんですか? そうなんですよね! 俺のいないところで! 俺が作っていないものを食べるなんて! そんな! そんな! 俺を、俺を捨てるんですか? 俺の料理に飽きたんですか? 俺を胃に収めてくれるんじゃなかったんですか!?

まるで話がかみ合っている気がしない。

ライアスさんは怒りが爆発寸前といった様子だ。心なしか瞳の色より明るい短髪も逆立って見える。包丁を握っているのは料理をしている途中、急いで持ってきてしまったのだろうがなかなか危ない。

基本的に、ライアスさんは私が外で料理を食べる話になると取り乱す。理由は自分が作ったものより外で食べたものが美味しかったら、自分がクビにされると彼は思い込んでいるからだ。

ライアスさんがこの屋敷で働き始めたころ、元々屋敷にいた料理人が辞める時期とたまたま重なった。以前は料理長、料理人複数名、パン焼き係、パティシエがいたけれど皆辞めてしまい、次に辞めさせられるのは自分だと思い込んでしまっているのだ。

いつもは私が外食をしてからライアスさんは取り乱し、食べる前には取り乱さない。これも私が襲われた、仕える主の娘が襲われたストレスだろうか。

「ライアスさんの料理は、これから先も、それこそ一生食べていたいと思う味です。ほかの料理人によそ見をしたり、心奪われたりなんて絶対しませんよ」

だからクビになんてならないと説明すると、ライアスさんは目を見開いた。そして右手に持った包丁を滑り落とす。拾おうと手を伸ばせば、がっしりと肩を掴まれた。

「俺……、俺……ずっと、ずっとこれから先も一生作り続けますから……俺の料理で御嬢様の身体を作っていきますから……! 俺が……俺が御嬢様の細胞一つひとつ……全部俺が作ります……! 異物が入り込んでも、俺の料理で上書きして、蹴散らしてやりますからね!」

いや臓器の中での戦いは困る。というかライアスさんの顔が赤い。心なしか息も荒く汗も滲んでいる。肩を掴まれた手に触れると、手も燃えるように熱かった。

「熱があるんですか?」

「いえっ! 趣味で走ってただけで、その熱です! これからも走ります!」

そう言ってライアスさんは「では!」と勢いよくきびすを返し、そのまま全速力で走り去っていった。

とりあえずライアスさんには疲れが取れるものをプレゼントしよう。走ったりして、疲れそうだし、毎日料理を作ることは大変だ。というか、使用人の皆にお土産を買おう。

でも、どういったものがいいのだろうか。

考えながら、近道をするため北棟の廊下へと向かっていくと、後ろからぐいっと二の腕のあたりをなにかに掴まれた。振り返ると御者のソルさんが、首を傾げながら私の腕を掴んでいる。

「おじょーさま。どこ行くの? 三階は危ないから、おじょーさまは、行っちゃだめだよ……?」

ソルさんは暗い灰色の瞳を私から北棟の階段に向けた。その様子はどこか虚ろで、心がここにないようにも見える。

「大丈夫ですよ、一階に降りるだけです。それで……突然で申し訳ないのですが馬車を出していただいてもよろしいでしょうか……?」

「おじょーさま、お出かけしたい?」

「はい。街の方に行きたくて……」

「だめだよ。お外……危ないもん。俺とお散歩しよ」

ソルさんは私を米俵のように抱えようとした。私が彼の力に逆らい踏ん張ると、彼は不思議そうに私を見下ろした。

「おじょーさま?」

「お願いします。外に出たいんです。それで、ソルさんに馬車を出していただきたくて……」

「……どうしてもぉ?」

「はい」

ソルさんがじっと考え込む。そして自分の人差し指で水色のふわふわとした髪をひとしきりいじった後「いーよ」と間延びした声で頷いた。

「いいんですか?」

「うん……。邪魔なのはぐちゃってやってもいいなら……」

「ぐちゃ……? 邪魔なのってなんのことですか?」

「虫」

虫……? ぐちゃ……って、たぶん潰すことについて言っているのだろうか。なんでわざわざ虫を潰すことについて私に聞いてくるんだろう。ソルさんは別に虫が嫌いな印象はなかったけれど……でもこう言っているわけだし……。

「どうぞ。好きにやっちゃってください」

「やった……。じゃー準備してくる……門に馬車出しておくねぇ〜」

「ありがとうございます」

ソルさんは嬉しそうに顔を綻ばせ、ゆったりとした足取りで廊下を歩いていく。その背中を見送っていると、メロを待たせていることを思い出した。

このままだとまずい。メロがもう待っているかもしれない。

私はソルさんに背を向け、庭園へと急いだのだった。


屋敷を駆け抜けるようにして外に出る。あれからもちょこちょこと使用人の皆に止められ、説得をすることが繰り返された。はやく、早くメロのもとに向かわなければ。急いでいると、木々の剪定をしている庭師のフォレストが視界の隅に入った。彼はこちらを振り返って、枝を切る大ぶりなはさみを滑り落とした。

「御嬢様……!」

なんで皆、刃物をそう簡単に落としてしまうんだ。フォレストは落ちた鋏をそのままに、ゆらめくようにこちらへ近づいてきた。

「御嬢様……、御嬢様。間違いだったらすみません。御嬢様はこれからどちらに向かわれるのですか? まさか、まさかとは思いますが、ははっ屋敷の外に出られるなんてことはありませんよね……?」

「あの、今日はメロと街に買い物に行こうと」

「んああああああああ!」

私の返答に、彼は俯いて唸りだした。私と同じ真っ黒な髪を握るようにして自分の頭を掴んだ後、そのまま這い上がるように私の腕に縋り付いてくる。

「俺の手入れした庭が気に入らなかったからですか? 雑草にそそのかされたんですか? なんで危険な外に行こうとするんですか? あの執事がいけないんですか? あいつ、あいつ自分だけほかの奴らと違うみたいな顔をして、御嬢様に妙に馴れ馴れしいんですよね。結局自分だけ抜け駆けをしようとしているんだ。それとも御者ですか? あいつは信用してはいけませんよ、話の仕方だって御嬢様の前ではいい子ちゃんですけどほかの奴らの前では……、あああ! もしかして俺以外の全員からですか?」

フォレストの言っている意味はわからないけれど、とにかく肺活量がすごい。早口なのに滑舌もいい。ただ雑草は話さないし、執事については私と接していることが多い執事……おそらくルークについて言っているんだろうけれど、彼とは今日朝食の時に顔を合わせて以降会っていない。

「買い物に行くだけですし、メロが一緒だから安全ですよ。ご心配ありがとうございます」

「うわ! あなたはいつも、いつもそうだ! あの専属侍女に甘い! 人の心に寄り添う言葉をかけて! 俺を好きにさせて! きちんと俺を見てくれるのに! 俺だけを見てくれない! 困った人間のもとへ向かってそのまま拾って帰ってきて! 面倒見て! 優しくするだけ! 俺を奪ってくれない! 俺はこんなに御嬢様のことが好きなのに! 御嬢様は俺に全部くれない! 人の心をこんなにかき乱しておいて! いつか絶対御嬢様はさらわれますよ。俺は我慢しますけど。だから外に出してはいけないのに! あああ御嬢様が無理矢理ほかの誰かのものにされてしまうならいっそここで……」

「いや落ち着いてください。私はフォレストのこと好きですよ」

「うっ」

フォレストは胸を押さえて突然しゃがみこんだ。心臓発作を疑い慌てて駆け寄ると、そんな私を彼は手で制した。

「どうしたんですか?」

「申し訳ございません、行ってらっしゃいませ、御嬢様。どうぞ、俺のことは気にせず。そうしないと……あとその声やめてください。俺の心に効きます」

彼は俯いたまま、一向に顔を上げようとしない。

「え、あの……、声を小さくってことですか? 心臓が痛いとかですか? 立ち上がれそうですか?」

「いえ、病気じゃないです。心の問題なので本当に気にしないでください。あと声小さいのも、ささやく感じで心がやられるので、とにかく、行ってらっしゃいませ。お出かけの際は侍女の傍を離れないようにしてください」

「でも」

「行ってらっしゃいまっせえええええ!」

絶叫するような勢いに押され、躊躇ためらいがちにその場を後にする。心配だから、後で門番のブラムさん経由でフォレストのことを執事長のスティーブさんに伝えておこう。

……というか、屋敷で働く人たちは皆、体調が良くないのではないだろうか。心身ともに不調をきたしている気がする。このままだと引き籠り屋敷ではなく、体調不良屋敷になってしまう。

不安を覚えながら噴水に向かうと、そこには天使がいた。天使兼専属侍女である大天使メロ。その佇まいはやはり名画に等しい。装いには控えめなレースがあしらわれ、護衛も兼ねているということで動きやすさを重視しハーフパンツを穿いているにもかかわらず上品に見えるのは、彼女が天使だからだろう。

メロは私に気づくと、「ミスティア様」と嬉しそうに駆け寄ってきた。可愛さに思わず頬が緩むと、彼女はどことなく緊張した面持ちで私に手を差し出してきた。

「では行きましょう、ミスティア様」

「うん」

差し出された手をぎゅっと握る。そして私はメロと共に、門の外に停めてある馬車へと向かっていった。