バッドエンドは誰のもの

「ここが客間だよ。といっても、この間来たところだけどね」

レイド・ノクターが、彼の屋敷の客間の前で困ったように笑う。私も困っている。

地獄の沈黙から二週間。なぜかが屋敷に届いたノクター家からの招待状により、私はまた彼の屋敷にいた。

招待状──もといノクター家から手紙が来た時、「婚約お断りの手紙でしょう、間違いなく」と期待し開いたその内容は「また屋敷に来てくれませんか」というものだった。手紙を受け取った父が「では近いうちに」と返事をし、双方の予定を鑑みた結果、現在に至る。

この、レイド・ノクターという攻略対象の存在が現れ始めてから、婚約が実は決定していたり、屋敷への招待など強引すぎる物事の動きは、「レイド・ノクターには婚約者がいる」という設定を崩さないための、ゲーム世界のことわり的なものが働いていると疑わざるをえない。

ということで今日もノクター家の屋敷に着き、私の両親はノクター夫人と大人のお話をすると別室へ行ってしまった。そのせいでまた、私はレイド・ノクターと二人きりだ。

ちなみにノクター伯爵はどうしても外せない用事があると言って出ていき、私の両親対ノクター夫人という図式らしい。「ごめんなさいね、招いておいて」と夫人が謝っていたけれど、できることなら永遠に招かないでほしかったという気持ちが拭えない。

……だが、考えども考えどもまったく意図がわからない。あの沈黙の顔合わせをしたのにもかかわらず、なぜ不審者令嬢ミスティア・アーレンを家に招くのだろう。

「次はどこへ行こうか、ミスティア嬢」

廊下を歩きながら、レイド・ノクターがこちらを振り返る。今回も一緒にお茶を飲むものだと思っていたけれど、「今日は屋敷の中を案内するよ」という彼の言葉により、現在屋敷を徘徊ならぬ案内してもらっていた。

視線を彼から逸らしていけば、しみ一つない真っ白な壁が広がっている。ノクター家の屋敷は基本的な色合いが黒と赤のアーレン家と異なり、白と金で構成されていて、さらに彼の瞳の色を彷彿ほうふつとさせるような青の色味がカーテンや天井の装飾に用いられていた。彼の王子様キャラというイメージが反映されているのだろう。

しかし見ている分には楽しいけれど、案内してもらったところで私はこの屋敷に住む日なんて永遠に来ないし、知る必要はどこにもない。出ていく扉だけ教えてほしい。

「はは。まだ緊張は解けないかな? 行きたい場所は見つからない?」

レイド・ノクターがこちらに笑いかけてきた。はい。地獄と刑務所以外ならどこでもいいです、という言葉を呑み込み曖昧に笑い返す。彼と会うたびに、曖昧な笑みの技術が向上していく。

というか彼は本当に前回の対面を忘れているのだろうか?

二週間といえども、人は簡単に物事を忘れられる生き物ではない。二週間前の食事ならまだしも、婚約不審者との初対面は強く記憶に残るだろう。白を基調とした廊下を歩きながら、私は前を歩く彼の背中を見つめた。

……もしや、婚約者との初対面だからこそ、あの地獄の沈黙を「恥」だと捉えたレイド・ノクターは、両親の手前正直に話せず、「ミスティア嬢はいい人でしたよ」なんて曖昧にごまかし、彼の両親が言葉のまま受け取ってしまった結果なのでは。

歩きながら考えていると、突然レイド・ノクターが停止した。距離が開いていて接触はしなかったものの、危うくぶつかるところだった。

「この先が、父の部屋だよ」

彼は廊下の奥を指す。そこには豪壮な、いかにも屋敷の主の部屋ですよ、といった扉があった。装飾には星形にも見える花があしらわれている。たしかこの花は、ブルースター。結婚式に用いられる花であると、庭師のフォレストから聞いた気がする。

「まあ、父はあまり家に帰ってこないから、覚えなくていいけどね」

ぼそっと彼がつぶやく。その表情は悔やむような、悲しむような、どちらともないものだ。

今まさに、私は彼の触れられたくない部分──地雷を踏んだのでは。

しかし、レイド・ノクターと彼の父に関するイベントなんてあった覚えはない。今朝喧嘩をして気まずいだとか、そういう可能性もある。

「ああ。大広間を案内するのを忘れてた、こっちだよ」

レイド・ノクターは、はっとして私の手を取り、来た道を戻っていく。声色も表情も、こちらを気遣うものに変わった。違和感を抱きながら歩いていると、大広間に到着した。

「今度夕食会を開くから、ここで一緒に食事をしよう」

彼は私に見て回ってもいいと、奥へ入るように促してくる。間違いなく最後の晩餐ばんさん。死ぬやつだ。私は震え上がりながら部屋の中をぐるりと見渡した。

視界に入るのは、白と金を基調とした調度品たち。

中央には、人間の火葬も可能そうな暖炉もある。白地にもかかわらずすすが見当たらないのは、きちんと掃除をしているからだろう。上には肖像画が飾れそうな空間があり、壁一面の白さも相まってまるで一枚のキャンバスにも見えた。

だからなのか、不思議とその空間が気になって仕方がない。部分的に色が違うならば、実は死体を隠して塗装している、隠し扉があることなどが疑われる。けれどその空間は本当にただ真っ白なだけだ。そこ以外は花や装飾がかけられ、まるで故意に避けているかのようにその空間だけなにも飾られていない。

「僕たちは、ここで食事をしていたんだよ」

違和感のある空間をじっと眺めていると、レイド・ノクターが沈黙を気にしてか、口を開いた。「……していた?」と疑問を感じるままに返すと、彼は「父は忙しいし、母は食事をとらないときがあるから。それに二人とも、だいたい自室で取るんだ」と、どこか寂しそうに言った。

「そうなんですか」

「別に、一緒に食べても食べなくても同じだけどね」

レイド・ノクターとて十歳の少年だ。父親がなかなか家にいないことは寂しいのだろう。

それにしても、あの謎の空間が気になる。ついつい食い入るように見つめてしまう。家族の肖像画でも飾ればいいのに、なんてお節介なことを思うのではなく、家に帰ったら空き巣被害に遭っていたけれど、なにを盗まれたかわからない、そんな感じがする。

いや、空き巣に入られたことはないけれど。

致命的な見落としをしている? しかしこの空間からなにかが現れる気配も、実はなにかが封印されているということもないはずだ。そういうゲームじゃないし。

「あの人は自分にも他人にも厳しい。忙しいから、仕方ないことだよ」

なんとなく、レイド・ノクターの言葉に引っかかるものを感じた。彼の物言いや、雰囲気、声色ではなく、その言葉自体に。前にも、聞いたことがある気がする。

──運命だから、仕方ないことだよ。

そうだ、これだ。

「なにかあった?」

じっと食い入るように壁を見つめる私を、レイド・ノクターが不審がる。彼の表情……、その、海を透かしたかのような蒼い瞳を見て納得した。

ああ、そうだ、この言葉はゲームの中で、彼が彼の母の墓前ぼぜんで発した言葉じゃないか。「運命だから、仕方ないことだよ」と、悲しげに彼は言ったのだ。

そうか、なるほど、そこで聞いた言葉だったのか。

「すみませんなんでもないです」

愛想笑いでごまかすと、彼は深く追及してくることはなかった。私から視線を外し、移動しようと広間の扉に手をかける。促されるまま彼の方へ向かい、私はふと立ち止まった。

……レイド・ノクターの母の墓前?

墓前って、死ぬところじゃないか。そう考えて、ゲームのイベント映像が、頭の中で再生されていく。主人公が、レイド・ノクターと一緒に彼の母のお墓参りをする、そんな場面が。

レイド・ノクターはある時、唐突に学園を休む。主人公が彼を心配してノクターの屋敷へ向かうと、ちょうど彼はどこかへと出発する途中で、話の流れで目的地もわからぬまま一緒に向かうことになる。

辿り着いた場所は、墓地。レイド・ノクターは自分の母の命日に墓参りをして、帰り道、彼は淡々と語るのだ。母がどんな存在であったかとともに、その死の理由を。

ノクター夫人は、殺された。レイド・ノクターが十歳の時、届かぬ恋心を抱き、その恋の炎を憎悪の炎に変えてしまった実のおいに夫人は殺された。夫人は、ゲーム開始時にはもう亡くなった状態だった。

私はゲームをプレイ中、この大広間で、今まさに空いているあの空間に、レイド・ノクターの母、ノクター夫人の肖像画が飾られていたのを見ていた。だからあったはずの肖像画がないことに違和感を感じていたのだ。

でも、ノクター夫人は、今日は生きている。

……今日は?

──母を殺す時に二人で幸せになろうと、彼は言ったんだよ。劇場でね。

そうレイド・ノクターは墓前で話していた。現在の彼は十歳だ。ということは一年以内に彼の母は殺されることになる。たしか、その季節は、ちょうど今ごろ。

彼の母のお墓参りに行く日は、彼の母の命日は……。

「明日だ」

呟いたその瞬間、レイド・ノクターがぱっと目を見開いた。しかしその表情も、徐々に薄れて見えていく。私の意識は、まるで糸が切れたように遠のいていった。


「ああ! このままミスティアが目覚めなかったらどうしよう」

「やめてくださいあなた! そんなこと聞きたくありませんわ! 専属医だって大丈夫だと言っていたでしょう?」

「スティーブが連れてきた男といえど誤診の可能性もあるだろう?」

私を呼ぶ声が聞こえる。この声は父と母の声だ。うっすらと目を開くと、両親が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。そして目を開いた私に驚き、父は私を抱き起こした。

「ミスティア、大丈夫かい?」

「え……?」

「ちょっとあなた! ミスティアは倒れたのだから、そんなに乱暴に抱き上げないでくださる!?

母の言葉に父は慌てて私から手を離した。状況が理解できずにいると、「ここはミスティアの部屋だよ、ノクターの屋敷で倒れて……」と父がおろおろしながら私を見た。

そうか、私は夫人のことを思い出した後に倒れてしまったのか。ゲームのイベントを無理やり思い出したかなにかで、脳が影響を受けたのかもしれない。

……まさか、丸一日寝てしまったのでは。

急いで窓の外を見ると外は暗く、部屋にある日めくりカレンダーも日付が変わっていないままだった。

「レイドくんが呼びに来てくれて、夫人が急いで医者を呼んでくれたのよ。屋敷に帰って専属医にも見せたのだけれど、寝不足で間違いないらしいわ。ねえミスティア、あなたまた夜更かししていたんでしょう? 倒れるまでそういうことをするのなら、お母さまにも考えがあるわよ」

母の言葉に頷きつつ、私はカレンダーを確認した。今は日付が変わっていない。ゲームのストーリーどおりに進むのであれば、ノクター夫人が殺されるのは明日だ。

まだ、間に合う。

「もう、まだぼんやりとして……。とにかく今日はゆっくり寝ていなさい」

「眠れなかったら、いつでも呼んでいいからね」

私を気遣い、両親は部屋を出ていった。扉が閉まるのを見計らって、私は飛び起きた。

明日の夜、ノクター夫人は殺される。ということはまだ夫人は殺されていない。今ならまだ助けられるはずだ。

両親に正直に話す? 信じてもらえるわけがない。子供の戯言ざれごとと片付けられる。ならば足止めして、夫人を劇場に行かせないようにする? でも、甥は劇場で殺すことにこだわってはいない。劇場に行くのをやめたところで、屋敷に来てしまう。

相手の行動をこちらが把握しているうちに、劇場でなんとかするのが一番いい手段だろう。しかし肝心の方法が思い浮かばない。劇場で夫人を守るためには、どうすれば……。

武器を用意する? 前世の十六歳ならまだしも、十歳の力だ。押し切られる。

そもそも劇場に同行するにはどうすればいい? 後でついていく?

なにかヒントはないかと見渡して、手鏡が目に入った。すがるように覗き込むと、きつい目をした少女が──私が、苦々しい瞳でこちらをにらんでいる。

そうだ、そこにいるのは、いや、ここにいるのは平凡な女子高生ではない。あらゆる悪逆非道を繰り返し、どんなことをしてでも愛を得ようとした最凶の女じゃないか。

──私に叶えられないことなんて、あっていいはずないわ。

そう言って、卑怯ひきょうな手を使い、悪に染まり、誰に憎まれても、さげずまれても最期まで諦めることだけは絶対にしなかった女。

今の私は、ミスティア・アーレン。

平凡な私にできなくて、ミスティア・アーレンにできることは、まだある。

私は意を決して、両親のもとへと向かったのだった。