完全無欠の王子様
ゲームでのレイド・ノクターは、わかりやすく言えば完璧な紳士だ。
主人公やミスティアと同い年。現代で言う高校にあたる貴族学園にて、クラスメイトとして登場する彼は由緒正しき伯爵家の一人息子である。
頭脳
そんな完璧な紳士になる少年。つまり十歳のレイド・ノクターが、机を挟んだ向こう側、私の前に座っている。そして、こちらを見て微笑んでいた。
時は
私の耳に入ってもいなかったのだから、婚約と言っても見合いをして、あわよくば婚約といった流れだろう。
メロが婚約者と言ったのは、たぶんたまたま。なにかの間違いだと祈りながら父に尋ねたところ、婚約は決定事項であった。婚約を決定してからの、顔合わせだった。
父が言うには三か月前、「そろそろミスティアにも婚約者が必要だね」という話になり、私は「はぁ」と答えたらしい。あまり記憶がないけれど、当時は誕生日の前夜祭を三か月前から夜通し行いたいと言う父に
私の返事を了承ととらえた父は、あっという間に婚約者候補からいい人を選び、一人に絞ったということだった。
そんな婚約の経緯を聞きながら私は朝食をとり、身なりを整え両親と共に馬車に揺られ、ノクターの屋敷に辿り着いてしまったのだ。屋敷に到着してすぐ、ゲームで見覚えのある、どこか機械的で淡々としたノクター伯爵と、
ということで、私は今二人きりのお茶会でもするように、彼とテーブルを囲んでいた。目の前には湯気と香りの立つ紅茶、繊細な柄が施されたクッキーが並び、中央に置かれた花瓶には彼の瞳の色と同じ花束が飾られている。けれど、今は緊張と絶望によって、私にはすべて白黒の石に見える。
「はじめまして、僕の名前はレイド・ノクター。よろしくね」
「こちらこそ、はじめまして。ミスティア・アーレンと申します」
挨拶をして、そっとレイド・ノクターの様子をうかがう。ゲームでの登場、主人公を介してのはじめましては彼が十五歳のころで、現在の彼とは歳が離れているけれど、髪の色も目の色も同じだ。違和感はあまりない。装いも気品があり、高貴というか……どことなく王子様っぽい。
しかし実物を前にしても、肝心な彼とのイベント内容が思い出せない。
ミスティアの犯罪的所業の印象が強すぎて、かき消えてしまっている気がする。彼を見て思い出せるのは、歯を食いしばった
自分の前世を思い出した時に、前世の記憶やゲームの物語のだいたいの結末は思い出せた。でも彼とそのイベントや、選択肢に関してはさっぱりだ。
結局、主人公がどの選択を選んでハッピーエンドに入れるか知っているところで、悪役の私には関係ない。問題は、物語を進行していくうえでわかっていくトラウマやコンプレックス、彼自身の根幹に関わるような物事がわからないということだ。
行きの馬車の中、私はこの婚約をなかったことにするため、なにができるか考えていた。しかし相手の地雷がわからない以上、下手な手出しができない。
無礼な態度を取れば破談になりそうなものの、お見合いならまだしも婚約は確定の中、一方的な無礼行動は両親に迷惑をかける。下手に悪評がたち、後に投獄死罪の布石になるのも怖い。
だから今日は婚約話を覆すことは諦め、婚約解消の際は協力すると伝え敵ではない姿勢を示そうと決めた。
しかし、突然「あなたには十五歳の時運命の出会いが訪れるので、その際は身を引きます。私はいわばその間のつなぎの婚約者です」と宣言すれば、変人か、怪しげな宗教に傾倒していると思われるだろう。
「僕のことは気軽にレイドって呼んでね」
「……はい」
ゲームのミスティアは自分だけがレイドと呼ぶべきと、周囲に激しい牽制をしてたから絶対呼ばない。
目の前の紅茶に手を伸ばすこともなく、紅茶を見つめるだけの人として生きていると、彼がくすりと笑った。
「そんなに緊張しないで。ほら、僕たち同い年だから」
「あはは」
こちらの緊張をほぐそうとしてなのか、砕けた口調でレイド・ノクターが微笑むものの、私の口から出たのは「あはは」だった。「あ」に「は」がふたつ。
そんな不審者を極めた私を前に、彼は気にせずにこにこと笑っている。なにか話さなければいけない。でも、思い浮かばない。
「こ、婚約って、いきなりですよ、ね……」
駄目だ。言葉がしどろもどろになる。なにを話せば一家離散にならず屋敷で働く人を離職させずに済むのだろう。正直もう私の命は諦めるから、家と使用人は見逃してほしい。
「まぁお互いの両親が決めたことだからね」
彼の話すこの言葉は、前にも聞いた記憶がある。婚約者がいることを主人公が指摘した際、似たようなことを言っていた。このまま会話を進めていけば、彼について徐々に思い出していけるのかもしれない。なにか将来への打開策を見つけなければ。会話のネタになるようなものはないだろうか。
「そうですよね。お互いの両親が決めたことですからね」
頑張ってくれ私の口角筋。顔を上げて「それにしてもいい部屋ですね」と部屋を見渡しヒントを探すと、棚に置かれたチェスセットを発見した。
てっきりここは客間かなにかだと思ったけれど、もしかしたら違う部屋なのかもしれない。少し古びたチェスセットは、
「やり方はわかる? 少しやってみない?」
チェスセットを凝視した私を見て、彼が立ち上がった。そしてチェスセットを取り、テーブルにのせる。私は別にやりたくはない。しかし彼は「先攻と後攻はどちらにする?」と着席しながらこちらをうかがった。どうやらチェスをするのは決定らしい。
どうしよう、このまま呑気にチェスをしていいのだろうか? でも、断る理由もない。
「……後攻でお願いします」
「わかった。僕から始めよう」
レイド・ノクターは、おもむろに駒を動かす。私は緊張しながらも自軍の駒に手をかけた。
一つひとつ駒を進め、守りに徹する。ゲームを開始して早十分。形勢はレイド・ノクターが優勢であるものの、逆転は不可能ではない。私は完全に手加減をされていた。
「だいぶ慣れているみたいだね、よくやってるの?」
実はオンラインゲームで毎日やっていました、なんて言えずに曖昧な笑みを返す。
そもそも、ゲームをしながらの会話は苦手だ。基本ソロプレイだったのもあるかもしれない。黙ってゲームをすることが普通だから、まったく言葉が出てこない。すると彼は「あ、そうだ!」となにかを思いついたような声をあげた。
「ねえ、負けた方がなんでも言うことを聞くっていうのはどうかな?」
なんでそういう発想になる?
理解できない社交的強者の発想に混乱していると、あることに気づいた。
なんでも言うことを聞くということは、このゲームに勝てば、彼を思いどおりにできるということだ。勝って「今すぐこの婚約は解消でお願いします」と言──えるわけがない。「チェスゲームに勝ったので婚約解消します」なんて伝えれば、両親たちは間違いなく冗談と受け取る。最悪婚約解消コントのように扱われ、永遠に解消できなくなる。
勝っても得られるものなんてない。というか負けたとして、レイド・ノクターは私になにを願うのか。今は思いつかないから後日という話になって、貴族学園に入学する前に「婚約を解消してほしい」とお願いしてはもらえないだろうか。そうしたら二つ返事で頷くのに。
「あ、チェックメイ……」
今ならビショップを置いて勝てる。反射に近い手癖でレイド・ノクターのキングを追い詰めてから、呆然とした。勝った、勝ってしまった、私が。
なにがチェックメイトだ。私の人生がチェックメイトだ。どうしよう、彼の機嫌を損ねたら私は死ぬ。おそるおそる彼の挙動を観察すると、彼は「わ、僕の負けだ。結構強いつもりだったんだけど、すごいね」と私を称え始めた。
どうやら、勝敗は気にしていない様子だ。ありがたい、心が寛大。さすが品行方正で、誰にでも優しいレイド・ノクター。十歳から器が違う。「あはは」と「……はい」しかまともに会話ができない不審者に負かされても、暴れださないし声も荒げない。
「さ、僕にお願いごとはあるかな?」
ほっと
ここで言わずに、突然自分の意思を表明し、相手に理解をさせる交渉力が私にあるのだろうか? いやない。まったくない。あるなら「あはは」なんて言わない。
──チャンスは間違いなく今だ。
「……では、レイド様にお好きな……、運命を感じる女性が現れた際は、私に必ず教えていただけないでしょうか?」
「どういう意味かな?」
「世はいずれ家柄に囚われない、自由な恋愛の形が広がります。ですから私はレイド様が大切に想う方を見つけた際、婚約解消ができるよう必ず尽力したいのです」
本当に。全力で協力する。この誠意がどうかレイド・ノクターに届いてほしい。私の望みは、家族と使用人の生活の安定だけだ。
「君は婚約に前向きではないの?」
レイド・ノクターが戸惑い気味に声をかけてきた。たしかに今、彼は主人公と出会ってはいない。この時点で「婚約解消に協力するよ」なんて言っても、「なに言ってんだこいつ」にしかならない。
婚約者による協力および全面降伏宣言ではなく、突如「あはは」を発する、不審な人間の言葉にしかならない。でも、押し切るしかない。今必要なのは、ミスティア・アーレンがレイド・ノクターの恋愛に協力を表明した事実だ。
「婚姻は、愛する者同士でするものですからね。一生を添い遂げるのですから」
こう言えば、恋愛至上主義令嬢の言葉として受け止めてもらえるだろう。それにレイド・ノクターがゲームで同じようなことを言っていた。大丈夫だと自分に言い聞かせるように、チェスセットに手をかけ私は片付けを始めた。
「愛する者、か」
一瞬彼の声が冷えたような気がした。気づかないふりをしていると、「僕のことが、嫌い?」と平淡な、なんてことのない話を聞くような調子で彼は爆弾を投げてきた。
「え」
どうして、よりによって地獄の質問を投げかけてくるのだろう。趣味、音楽の好み、食の好み、装飾品や絵画の数多ある話題の中で、なぜ剛速球を投げてくるんだ。意味がわからない。
でも、たぶん、これは十歳の素直な疑問。他意はないはず。
「……いえ、私が言いたいのは、私ではレイド様に分不相応ということです。この先あなたに運命の女性が現れたとき、私との婚約は必ず障害になるでしょう。私は自分の存在が将来的に誰かの恋路の……幸せの邪魔になることが嫌なのです」
「運命、ねえ」
懐疑を全力で
疑わしいとは思いますが、あなたは今から五年後運命の恋に落ちるんです。その恋が私を殺します。そして一家と使用人を離散させるのです。そう言ってしまいたいけれど、言えない。
かといって、いい言葉も思い当たらず、言葉に詰まる。静まり返った室内に、時計が秒針を刻む音だけが響き渡った。
そうして、地獄のような沈黙は、双方の両親がそろそろ時間だと部屋に訪れた夕方まで続き、その間私たちは互いの内情を探るかのように、ずっと押し黙っていたのだった。
「疲れた……」
アーレン家の屋敷に帰ると、私は湯あみを済ませ夕食をとることなくベッドに向かった。寝ころび、今日について考える。
私はノクター家で地獄の沈黙を作り出した。そして帰りの馬車で、そのことをたいそう悔やんだ。
しかし、帰宅して時間が経ち、私の胸にあるのは奇妙な安心感だ。レイド・ノクターという脅威から離れじっくり考えていくと、今日の顔合わせはそこまで悪くはなかったように思う。なぜなら彼に対して、「ミスティア・アーレンは完全なる不審者である」という印象を作り出したからだ。
不審者と付き合いたいという人間は、少ない。
これからなにか行動しなくても、婚約の話は流れるはずだ。ゲームのミスティアは顔合わせで沈黙という状況は作り出さなかったはず。婚約を無理に取り付けるようなことはあっても、解消しようとはしないはずだ。
今日の私の行動は、ゲームのミスティアから完全に逸れている。
ミスティアはミスティアでも、中身は凡人の私。運命というものは、案外簡単な分岐点で大きく変わるものなのかもしれない。
「今日はぐっすり眠れそう……」
目を閉じて、羊を数える。羊が二千五百匹を超えたころ、羊たちは共食いを始め、徐々に私の意識は薄れていった。