エピローグ~偽りの愛に溺れる序章~

「と、いうことでだ。俺と君は婚約することにしよう」

 挨拶もそこそこに王城を後にし、屋敷に戻った公爵は屋敷の離れにある私の部屋へ着くなりあっけらかんと言い放った。

「ちょっと、それ冗談じゃなかったんですか?」

 突拍子もない申し出に、思わず素の声が漏れる。

「いや、今日改めて思い知った。アメリアのことを考えれば、殿下に女性を紹介しようとした俺が間違っていた。それにこれでも君にも悪いことをしたと反省しているんだ。君も俺と婚約をしたとなれば、殿下もおいそれと君に声をかけることはしないだろう」

 ああ疲れたとでも言わんばかりに、公爵は首元のタイを緩めた。

「待ってください。そんなことしたら」

「この先、俺が殿下に叱られるかもしれんが、まあ気にしないでくれ。怖い思いをさせた上、先日失礼なことを言った詫びだ」

「詫びなんて……いえ、待ってください。それはフリですよね? 公式に婚約するわけではないですよね?」

「噂を流すだけでもいいのかもしれないが、万が一王子がそれを気にせず誘ってきたらどうする? 君は断れるか? と考えると、ここは正式に婚約をするほうが得策じゃないか?」

 う、と私は言葉に詰まる。身分を盾にされ王子に関係を迫られたら、そりゃ一介の男爵家の娘ごときに逆らえる話ではない。それはそうなのだが、納得がいかないじゃないか。

「それはその。でも、待ってください。今日のことについてはお助けいただき感謝しています。でも私、つい先日結婚はしたくない、自立したいって言ったばっかりですよね? そもそも私、結婚にもあなたにも興味がないって──」

「それはそれとしてだ。俺は君に興味が湧いてるよ。君の考え、君の夢、どれもが興味深い。それに君がどうして度の入っていない眼鏡をかけているかも気になるね」

 するりと公爵が私に顔を近づけた。新調した黒縁眼鏡は王子に取られてしまっていて、何の障壁もない視界にまっすぐ公爵の瞳が飛び込んでくる。その瞳の色に、エルネスタと名を呼ばれたときの声が重なったような気がして、私の胸がどきりと跳ねた。

 公爵はそんな私の困惑を知ってか知らずか、体を戻すと胸の前で腕を組んだ。

「それにな、今日見た通り、俺の方にも最近かなりの圧力がかかっている。二十を過ぎて婚約もしてない、独身貴族となると方々から望まぬ縁談が舞い込むわけだ。そろそろ身を固めろと国王陛下にも言われる始末」

「……そりゃ、そうでしょうね」

 身分も高く、経済力もあり、見目麗しく、将来性もあり、そして独身。こんな優良物件、引く手数多に違いない。庭園ではしゃいだ声を上げていた令嬢たちも、王子に言われたからではなく本当に公爵との縁を求めてきていたのではないだろうか。

 でもいくら美しい娘たちであっても、押し付けられたら逃げたくなる気持ちも分かる。上昇志向でうまい汁を吸おうとやってくる連中だけではないだろうけれど、ひっきりなしに縁談を持ち込まれたら嫌気がさすだろう。

 だがしかし。だがしかしそれとこれとは話が別だ。

「俺としては経済力や身分に惹かれた好みでもない娘に言い寄られても困るし、かといって政略結婚で足枷を着けられるのも面白くない。夜会の度によく知りもしない貴族の娘と踊るのも面倒だ。けれど、婚約者がいればそれも避けられる。君も王子やほかの男から不本意な求婚をされることがなくなる。ほら。利害は一致していないか?」

「え……ええ、まぁ……そうとも言える、かも……?」

 にやりと何か企んだように、公爵は口角を持ち上げた。いたずらっぽいその笑顔に今まで大人びて見えた彼の様子とは違う、年相応と言えば年相応のやんちゃな一面が垣間見える。

 利害は確かに一致する……のかもしれない。当面の間、王子からの盾になってもらえるならばそれも悪くない。場合によっては実家からの「結婚しろ」という圧力も減るかも、いや、恐れ多くて両親は信じてくれないかもしれない可能性は高いけど。

 けど、けど。

 結婚したくなくて自立したいという私の意思はいったいどうなってしまうんだろう。

 ていうか、「婚約のフリ」だよね? 本当にするわけじゃないよね?

 恐る恐る公爵を見上げると、おかしそうに私を見て笑っているその目と視線が合う。

「俺と君、両方の利益を守る方便だと思ってもらえばいい。とりあえずは噂が流れれば牽制にはなるだろう。ほとぼりが冷めたら解消すればいいし、なんだったら本当にそのまま結婚してもいいが」

「それはご遠慮申し上げます!」

 夕暮れの赤い陽の光が入ってくる室内で、燭台の灯りが揺らいだ。

 偽装婚約って、何か罪になるんだっけ。バレたら親戚一同ががっかりするだけじゃすまないのでは?

 ──明日になったら図書館で法律関係の本を片っ端から借りてこなくては。私はにやにやしている公爵を横目に、そっとこめかみを指でほぐしたのだった。