公爵家の華たる姫君
翌朝、公爵のお屋敷に招かれたと聞いて発奮したハンナは、持ちうる限りの装飾品を使って私を飾りたてた。耳飾りに首飾り、髪に挿す真珠の飾りなど、いったいいつ持ち込んでいたのだろうという数だ。いつもより相当に濃い化粧を施された顔が鏡に映り、それを見た私は大きく肩を落としてため息をついた。
別に公爵と見合いをするわけでもなければ、祝賀会場で見初められたとかそういう話でもない。ただ単に妹君の家庭教師にならないかという仕事の依頼があって詳細な話を聞きに行くだけだ。そう何度もハンナには説明したのだが、公爵直々に招かれたという一点だけを聞いて舞い上がった侍女の耳には全く届かなかったらしい。
ただ彼女の思い込みの激しさだけを責めるのは確かにかわいそうかもしれない。なにせ自分が仕える未婚のお嬢様が公爵家の紋章が入った封筒を持ち帰り、心ここにあらずな状態であったとなれば一大事と思うことだろう。
まあそれだけでも十分面倒くさいのに、この部屋にはもう一人面倒くさい人がうろうろしている。
「え、エルネスタ……本当に、本当に公爵閣下に招かれたのだな? 拾った招待状だとか、そういったものではないのだな?」
落ち着かない様子でうろうろと部屋を歩き回っているのは、ダリオおじ様である。礼装とまではいかないが、ちゃんとしたジャケットにタイ、そして職位を表す小さな勲章を胸に着けた余所行きの姿だ。浮かれまくるハンナとは対照的に、うっすらと青い顔をしてせわしなく口ひげを撫でつけている。
ある意味忠義者のハンナは侍女の身分の自分だけでは手に負えないと判断したらしく、朝一番に王城内に住むおじ様に使いを出して呼びつけたのだ。
「おじ様、落ち着いてください。正真正銘、ご本人からいただいた本物の招待状です。拾ったものだとか、誰かのおさがりだとかではありません」
「し、し、しかしなんだな。なんだって公爵閣下は君にそんな招待状を寄越したんだ。いったいいつからそんな仲に……」
「勘違いなさらないでください、おじ様。そんな仲も、どんな仲もありません。昨日初めてお会いして、妹君の家庭教師をですね」
「いやしかしだよエルネスタ。それをきっかけに公爵家から結婚の申し込みがあるかもしれないじゃないか。いいのかい? お父上ではなく、付き添いが父の従兄弟なんていう私でも」
「そんなことにはなりませんから……」
なんだって大人たちはこう、結婚結婚とすぐに結び付けたがるんだろう。私は鏡を見てまたため息をついた。胸元が開いてデコルテがあらわになったドレスは、仕事の話をしに行くには場違い感が甚だしい。白粉も大量に叩かれたし口紅も真っ赤。いつもの化粧じゃなさすぎて、まるで別人である。せめて眼鏡を、と着けてみるが白い顔に黒縁が悪目立ちすることこの上ない。
約束の時間までまだ余裕があるし自分で着替えなおそう、と立ち上がると寮に備え付けてある呼び鈴が鳴った。窓の外を覗くと、大学寮の門に横付けするには立派すぎる馬車が止まっている。
「お、お嬢様! 公爵様のお迎えですわ!」
「えぇぇ……歩いて行けるって言ったわよ。……人違いじゃない? 寮から引っ越す誰かの迎えとか……」
「何をおっしゃってるんです! 公爵様のような身分の方が、ご自身の大切な女性に表を歩かせるわけがないでしょう!」
ほらダリオ様も、とハンナに急き立てられておじ様と一緒に外へ出ると、馬車の外にグレイヘアの初老の男性が一人立っている。私たちを見つけると帽子を脱いで深々と礼をし、馬車の扉を開けてくれた。馬車の正面には、ぴかぴか輝く公爵家の紋章が掲げられている。
つまり、というかやはりというか、私を迎えに来た馬車ということが確定してしまった。
背後に控えていたハンナの気配が色めき立ったのがわかったし、隣に立つおじ様がひゅっと息を飲んだのも分かった。
「エルネスタ・エマ・ヅィックラー様でいらっしゃいますね? 主の命でお迎えに上がりました。執事のグラッドと申します。……ええっと、そちらの男性は……?」
深々と下げた頭を上げたお迎えの男性──グラッドさんは目線を上げると私の隣のおじ様をみて少し困惑したように目を細めた。
「……わたくしの父の従兄弟にあたるダリオ・カンティロ・ヅィックラーです。王城で議会書記官をしております。本日は、その……」
「つ、付き添いです! この子の父より、王都での暮らしについて託されておりますので……!」
ああ、とグラッドさんは得心したように頷く。そして同行を断られることもなく、私たちは馬車にエスコートされてしまったのだった。
そして、だ。
公爵が所有する大きく立派な屋敷に足を踏み入れた私は、目を丸くしてその場に立ち尽くしてしまった。前世、いや今となっては別の未来で見た王宮もかくや、という豪華さである。
我等がレンバルト王国は大陸の西方に突き出した巨大な半島に位置している。気候も良く、平地では農業も盛ん行われている豊かな国である。国境を接しているのは二国。東にある険しい山脈地帯を国境として接しているオルファング王国、海峡を挟んで南にある大陸の北端に位置するモダバ帝国である。大陸が異なるモダバ帝国はさらにその向こうの国とは港を介して貿易を行い、比較的友好関係にあるが、山脈に隔てられているオルファング王国とは昔から権勢を争う仲だ。
王都マリバルは半島のど真ん中にあり、我がヅィックラー領は国土の東側のほんの一角にある。オルファング王国と王都とどちらが近いかといえば、隣国のほうが近いかもしれない農業が主体の領地だ。そんなヅィックラー領はのんびりしているといえば聞こえはいいが、つまり田舎でそれほど豊かとはいえない。屋敷も貴族の屋敷とはいうものの家族三人と使用人が十人もいない程度の小さなものである。
そんなところの出の娘が、いきなり王都でも最上位に位置する公爵の屋敷に圧倒されるのは当たり前だと思ってもらいたい。対するヴォルフザイン公爵家は王都の南に広大な領地を構え、農業や国内の流通事業について力を持っていると聞いている。経済力は雲泥の差だ。
屋敷の扉から一歩中に入れば壁一面に描かれた絵画があったり、大きいのに繊細な彫刻が柱の一本一本に設置されていたり、ところどころに飾られている花を活けている器が大きく立派な焼き物だったり田舎貴族の家には縁がないものばかりである。おそらくどれもこれも、一つだけでうちの家屋を丸ごと一つ買えてしまうほどの値段がするのではないだろうか。
保護者としてついてきたおじ様も、王城に勤めて目は肥えているだろうに公爵家の豪華さに口が開きっぱなしだ。
正直なところ、ここまでの格差があるとは思っていなかった。
絶対触ってはいけない。万が一汚したり、壊したりしたら一生かかっても弁償できないばかりか、父や母が処罰されてしまうかもしれない。大理石が敷いてある廊下も、歩く際に靴の踵を打ち付けないようにしながらそうっとグラッドさんに付いていくしかなかった。
しかし応接間に通されても極度の緊張は緩むことがなかった。お部屋の中の調度類の立派さを目にして固まっていると、給仕のメイドさんがお茶を運んできてくれたのだ。……ものすごく高そうな茶器で、ものすごく高級そうなお茶を。
ポットから注がれたお茶は紅く輝き、フルーティで上品な香りがする。が、飲めない。茶器に手を伸ばしてそれを持ち上げることが恐ろしかった。どうぞと言われてそうですかとひょいひょい口をつけるなど、万が一傷でもつけたらと思うとできるわけがない。
給仕のメイドさんはどう見ても挙動がおかしい私たちに対し何か思うこともあっただろう。しかしよく訓練されているらしい彼女は、表立って首を傾げたり何か言ったりすることなく静かに部屋を出ていった。
残された私とおじ様はそれに対して会釈もできないまま、ソファの上でカチコチに固まって館の主を待つことしかできなかった。
そしてどのくらい時間が経っただろう。
こんこん、と応接室の扉をたたく音がした。返事をする間もなく扉が開き一組の男女が姿を現す。男性のほうはもちろんこの屋敷の主、ヴォルフザイン公爵だ。王宮へ仕事にでも行っていたのだろうか。昨日の礼装ほどではないが、それなりに格を感じさせるジャケットにタイ、そして胸に爵位を表す勲章を着けている。
私を見た瞬間、ほんの一瞬だけ足が止まったような気がしたが思い過ごしだろうか。いや、思い過ごしじゃないだろうな。ハンナの気合で作られた私の顔を見て、びっくりしだんだろう。
しかし、そこを気にして考え込むより彼の隣でしずしずと歩く少女の姿に目を奪われた。
なんと可愛らしい、花のような可憐さを持つ少女だろうか。
形の良い卵形の輪郭、薄い桃色の唇、伏せた目元にかかる長い睫の影。それらは幼さが残るものの、部屋の入り口と中央ソファという距離から見ても美しい顔立ちをしていることはよく分かる。まっすぐで滑らかな金色の前髪は眉の下できれいに切り揃えられ、残りは首の後ろで一束にまとめられていた。
公爵よりずっと背が低いが、子どもというには長身の部類だろう。自宅用のシンプルな薄水色のドレスがよく似合っているが、顔立ちの美しさと合わせると夜会用のドレスを着て王城の広間に立っていたらダンスの申し込みが絶えないほど映えるに違いない。
「やあ、お待たせして申し訳ない、ヅィックラー嬢。朝一番に王城で会議に呼ばれてしまったもので、たった今戻ったところです」
「は、はい!」
ここはお招きありがとうございます、とでも返事をする場面であろう。しかし私の口からは突拍子もないほど大きな返事だけで、しかもみっともなくひっくり返っていた。
屋敷の中に通されてから極度の緊張に晒されていたのだ。見逃してもらいたいものである。
そしてそんな私の気持ちを知ってか知らずか、いや恐らく考えてもいないだろうが公爵はつかつかとソファの近くまで歩み寄り、私の対面に腰を下ろした。一緒にやってきた少女もそのあとに続く。近くに来ると何の香りだろう、柔らかく甘い匂いが私の鼻をくすぐった。美少女は香りまでかわいいのか。
「お呼び立てしたというのに申し訳ない。急ぎで相談したいことがあると国王陛下に呼ばれてしまってね」
「い、いいえ、お気遣いなく」
「どうぞくつろいでください。こちらはヅィックラー書記官ですかな?」
はい、と隣に座るダリオおじ様が頭を下げた。さすがに私ほどひっくりかえってはいないものの、それでも緊張が残る掠れ声だ。
「わざわざご足労いただいて恐縮です。お身内の令嬢にこのような不躾なお願いをすることをお許しください」
「い、いえ公爵閣下とご縁ができるなど、光栄なことでございます」
「こちらこそよろしくお願いいたします。さて、ご紹介します。妹のアメリアです」
アメリアと呼ばれた少女は弾かれたように立ち上がり小さくぺこりと頭を下げた。顔を伏せてはいるが、金色の髪の隙間から覗く耳が真っ赤だった。
「は、初めまして。エルネスタ・エマ・ヅィックラーと申します。エルネスタとお呼びくださいませ、アメリア様」
立ち上がって私が挨拶をすると、消え入るような声で「はい」と言ったのが聞こえた、気がした。真っ赤になってしまった妹君の背をさすりながら、公爵は私たちに着席を促した。顔を上げることもなく、こちらを見ることもなく、アメリアもソファに腰を下ろす。
両の拳をぎゅっと握りしめて膝の上に置いた様は、まるで先ほどの私たちのようだ。
あれ、と思った。つまり……?
「礼儀がなっておらず申し訳ない。見ての通り、妹は極度の人見知りなのです。そのおかげで十一を過ぎたというのに、王立学校へ通えず困っておりまして」
え、と私は目を瞬かせた。
十一歳から学校に行くのか、ということと、アメリアというこの少女がまだ十一歳だということに驚いてしまったのだ。背が高いからもう少し上、十四、五歳くらいかと思った。私が王立大学に入ったのが十六歳だったし、家庭教師が必要なご令嬢と聞いててっきり妹君もそのくらいかと思い込んでしまっていた。
「王都にお住いの貴族の方は、みんなそのようなお歳から学校へ行くものなのですか?」
「そうですね、早い者ですと十歳くらいからでしょうか。私も十歳で初等学校に入学をしています。ほかの公爵家や伯爵家も同じようなものでしょう。特に男子はみんな、大学へ行く前の基礎教育のため初等学校へ入って集団生活を学ぶのです」
「そ、そうなのですね。申し訳ございません。田舎の出で
「お気になさらず。貴女は初等学校も行かず大学へ入学したと伺っています。その上、並み居る貴族の子息たちを退けて首席となった。素晴らしいことではないですか」
この公爵という人物は人心掌握に長けているのだろうか。卒業式で向けられた妬みの記憶もまだ新しいが、彼が発する賞賛の言葉には嫌味な感じがなくてなんだか照れてしまう。おじ様も私が褒められていて悪い気がしないのか、不必要なほどうんうんと相槌を打っていた。
いやあ、とうまく笑顔が作れないまま、私は頬を掻いた。もちろん話はそこで終わらず、公爵は隣に座る妹の肩に手を添える。
「まあそういった貴族の例にもれず、妹もまずは初等学校への入学手続きをしたのです。人見知りといえど初等学校は入学希望者が少ない分一クラスの人数も少ない。なんとかなるのではと思ったのです。しかし、一つ問題が発生してしまいまして」
「問題、ですか?」
それがですね、と公爵が前置きをすると妹君がますます顔を赤くして小さくなった。なんとなくそれで予想がついた。
「我が家の血筋なのか学問そのものは大変好きなようなのですが、学校の教師陣は皆男性の学者ですし、同級生になる者も良家の子息ばかり。勉強したい意欲はあれども、教室にはいれなかったのです」
「……そう、でございましたか……」
やっぱり、である。私は唇を噛んだ。
教育を受ける必要があるのは男だけだ、というのはこの国に根強く残る考え方だ。田舎に比べれば王都はまだ先進的な考えを持つ者もいるだろうけれど、それでもわざわざ女が学問をしなくてもという風潮はある。その風潮がある故、学校というところ自体はいくら女にも開放されているとは言われていても女子学生の数は少ないし、女性教員の数などゼロに等しい。
教室に行けば周りはすべて男という環境も珍しくないのである。
男爵領で農繁期に領民の手伝いをしていた私でさえ、同年代の男子学生との距離が近すぎて戸惑ったこともあったくらいだ。もちろん田舎娘だからといって良家の子息たちから排除されかけたことだってある。
公爵家の姫君という深窓の令嬢には、その環境は耐えられないかもしれないと納得できてしまう。
「それは……さぞお心残りでしょう……」
入学当初のことを思い出し、ついついしみじみと呟いてしまう。気持ちは分かる。勉強したいだけなのに、学問に触れたいだけなのに、その環境に入れないというのは辛かったろうし悔しかったろう。
その声がアメリアの耳にも届いたのか、ふいにぴょこんと彼女が顔を上げた。
伏せられていた目がこちらに向けられると、それがきらきらと澄んだ青い色だと分かった。深みがある、とても理知的な瞳である。
共感が得られたと思って安心したのか、頬の赤みがやや引いたように見えた。落ち着いてよく見てみると、公爵によく似た顔立ちで
「妹は公爵家の娘として、近い将来に国の政にも関わっていく立場になるでしょう。その際に教養は絶対に必要となります。そこで学校へ行けなくても学問を身に着けられるよう、家庭教師をお願いすることを検討しました」
「それで、わたくしに……」
「先日、学長にご相談に上がった際、貴女を推薦されました。確か卒業研究は虫による病気の媒介の可能性について、でしたかな。大変熱心で優秀。しかし集中すると寝食も忘れて机に向かいすぎるほどであると……」
「え!」
「エルネスタ、君は、そんな年になってもまだそんなことを……」
まさかそんなことを学長がご存じとは思わなかった。おじ様に肘で小突かれ、今度は私がうつむく番だ。かあっと頬が熱くなり、その熱が耳まで伝わっていく。
「この子は昔からそういうところがあるのです、閣下。本を預ければ貪る様に読みふけり、一冊読み終わるまでは呼んでもうわの空になることも多く……。」
「アメリアもそういう傾向がありますよ、書記官。そんなところもあって、是非ヅィックラー嬢にと思ったわけです」
ふふっとおかしそうに公爵が肩を揺らした。アメリアを見ればそれまで緊張しきっていた様子だったのに、何故か表情が輝いている。
「妹はこのように内気ではありますが、兄の欲目で見てもよそのご子息と比較しても十分優秀で、かつやる気もあります。ヅィックラー嬢、この子に初等学校で学ぶ内容をご教授願えませんか?」
「お……! お願いします……!」
ここでついにアメリアが大きく言葉を発した。まだ十一と言われれば確かにと感じる幼さを残す声音で、緊張が手に取る様にわかる口調で。
しかし顔を真っ赤に染めながらも、彼女は両拳を胸の前で握りしめて立ち上がった。
「わ、わたしも勉強を続けたいのです! でも、でも情けないことにどうしても教室に入れないのです……! 教室に入ろうとすると足が竦んでしまって……でも、他の家のご子息たちと同じように勉強をしたいのです……!」
「お気持ち、わかります。わたくしも初めはそうでした。田舎の男爵家出のわたくしですらそう思ったのですから、公爵家のご令嬢であれば無理もございません」
「あ、兄に教わるにも、公務もあるのでお仕事に差し支えてしまいます。それでは国王陛下にもご迷惑になってしまいますでしょう……そこへ兄から先生のお噂を伺い、わたしからぜひお願いしたいと兄にわがままを言ったのです」
「わがままではございません。学びたいというそのお気持ちこそご立派です。わたくしでよければ、ぜひアメリア様のお手伝いをさせてくださいませ」
「本当ですか! ありがとうございます! お兄様、ありがとう!」
少女の顔がぱあっと輝いた。いやもう、比喩でもなんでもなく、お日様が差し込んだように彼女の周りだけが明るくなっているくらい華やかな笑顔だ。必要以上に緊張して固くなっていたのは、断られたらという恐怖もあったのかもしれない。
もともと仕事が欲しかったし引き受けるつもりでいたけれど、とにかくこのアメリアに共感してしまった。そして彼女の内に秘めた熱意に圧された。
しかし条件も何も聞かないうちに仕事を引き受けた私に対し、公爵は驚いたような表情を浮かべていた。