予期せぬ招待

 王立大学校をはじめとする教育施設は、王都の中央地区にある王城の隣に集約されている。屋外に出て空を見上げれば、そびえ建つ王城が否が応でも目に入る仕様だ。将来国の重要な役職に就くことを期待されている上級貴族の子弟達が通うということもあって、立地の利便性のほか、城を近くに感じておけという設計者の狙いもあるのかもしれない。

 初めて来た時は城とあまりに近くて、王子に会いやしないかとヒヤヒヤしたけれど王家の方は大学には入ってこないのですぐ安心できた。学年も違うし、王子が手がけていたのは教育機関ではなく商業の活性化だからそんなもんだろう。今も同じであれば、だけれど。

 敷地の中には研究施設も兼ねた大学の他、初等学校、高等学校も建てられており、食堂や王立図書館といった福利厚生施設も充実している。卒業式が行われるのは大学の式典用の広間だったが、祝賀会は家族や来賓を招く関係上、敷地内で一番広い全学共用の大広間で行われることになっていた。

 つつがなく卒業式を終え、私は晴れて大学の卒業証書を手にしていた。

 首席として名を呼ばれ学長のいる檀上に進み出たとき、広間に集まっていた同期や教官から声が上がっていたがそれらがすべて賞賛だったわけではない。約百人の同期の中で女性は二十人に満たない。女が首席、という訝し気な声もあれば、女のくせにとやっかむ声も少なからず聞こえていた。

 王立大学は四年の在学中、史学、法学、科学、工学の分野に分かれて学問を修める。各分野で優秀な成績を収めた者の中から業績──例えば論文の出来だったり研究発表した数だったりするものを比較してその年の首席を決めているんだから、称号が欲しければ努力すればよかっただけの話だ。

 でも努力しなかった連中のひがみや妬みなどはどうでもいいくらい、私は浮かれていた。これでようやく自力で公的な職をつかめる機会を得たのだから。

 次は官吏の任用試験だ。武官はどうしたって無理だけど、文官狙いならこの成績でぶっちぎりで採用されるに違いない。

「やあヅィックラー嬢」

 心の中で拳を握ったまま式後に続く祝賀会のため全学共通の大広間へと歩いている途中、同期の男子学生の一人が声をかけてきた。

 トレス伯爵令息、エウゼビオ・ミレレス・トレスという学生だ。がっしりとした体型を強調しているが決して窮屈そうに感じさせない上等なスーツを着て、大広間に続く渡り廊下でこちらを振り返っている。日の光が当たると額から後ろへ撫でつけてある明るめの茶の髪が金色に透けて見えた。

「首席で卒業、おめでとう」

「ど、どうもありがとう」

 にっこりとエウゼビオに微笑まれ、私も釣られて口角を上げて挨拶を返す。

 普段それほど親しく話すわけでもない相手だけれど、祝福をされたのであれば返事をしないわけにもいかない。ただ何の用だろうと私は少しだけ首を傾げた。その間、話しかけてきた本人は悠然と、やや胸を反らせるように堂々とした風情で歩み寄ってくる。

 エウゼビオは成績でいえば次席、つまり私のすぐ下であり、試験の度に私の点数を探りに来て毎回がっかりしたり叫び声をあげたりしていた相手だ。どちらかといえば私の成績を妬んでいたはずである。

 卒業式でひそひそと聞こえたやっかみ声を思い出し、私は思わず身を固くした。しかし予想に反し、歩み寄ってきたエウゼビオは晴れやかな表情で私の前に立った。

「入学して四年。ついに一回も試験の点数で君に勝てなかったよ」

「え、と、エウゼビオ様も毎回素晴らしい成績でした。語学は特に僅差が多かったと……」

「嫌味かな?」

 しまった。言葉の選択を間違えた。私がはっとして口をつぐむと、隣に立って歩きだしたエウゼビオはくすくすと笑いながら肩を揺らした。

「すみません……」

「気にしてないよ。僕は一度も総合で君に勝てたことはなかったんだ。毎回毎回、本当に妬ましかったもんだが」

「わ、私のほうはエウゼビオ様がいらっしゃってくれて、とても励みになりました。いつも追い抜かれないように必死で勉強する理由の一つになったというか、その……エウゼビオ様あっての今の私ですね」

 へえ、とエウゼビオがまた笑う。ごつめな見た目のわりに、屈託のない笑顔だ。伯爵家の坊ちゃんだし、毎回のリアクションを見る限りプライドも高そうだと敬遠していた相手だっただけに、意外な一面を見つけた気分になる。

 しかし、だ。額に落ちた髪のひと房をかき上げる仕草がやけに大げさだ。指に跳ねられた髪は勢いよく側頭部に当たり、今度は二房ほど余計に額へ落ちてきている。

「卒業年次は試験も難しかったし、どおりで今年は一際熱い気持ちになったわけだ。僕も、君も。そして君はしっかりと僕の前に立ち、僕へ自分の存在を主張してくれたんだね」

「は、はい? ああ、そうですね。今年の夏は特に暑かったですね」

「大丈夫、君のその熱い気持ちはしっかり受け取ったよ。次は僕が君の期待に応えよう」

 妙に機嫌が良くなったエウゼビオの言葉の意図を掴みかねた私は、愛想笑いを浮かべて首を傾げた。

 追い抜かれないように必死だったというのは本当だったけれど、その気持ちを受け取るとはどういうことだろう。二位に甘んじていてくれたということか。そうだとするとなんか見くびられたようで納得がいかなくなる。

 頭の中でうーんと考え込んでしまったが、エウゼビオは上機嫌のまま私の横に回りこみ並んで歩きだした。

「ところでヅィックラー嬢。ご実家は、えええっと男爵領は東のほうだったと思うが、今日はこちらにお父上やお母上はいらしているのかな」

「いいえ、春先は領地の税収についての取りまとめが忙しいので、あえてこちらへは呼んでおりません」

「それは残念だ。では近々こちらから伺おう。大丈夫、僕に任せておきたまえ」

「は、はあ……?」

「ああ、男爵領は静かな領地と聞いているし、ご挨拶に伺うのが楽しみだ。学業に忙しくしていた分、都会の喧騒を離れてゆっくりするのもいいな」

 それほど仲がいいわけでもない相手の出身をよく知っているものだと私は感心した。相手が貴族であれば領地がある場合がほとんどだから、当たりをつけることができなくもないけれどこちらはしがない男爵家である。

 我がヅィックラー家はレンバルト王国の東のすみっこにひっそりと小さな領地をいただいている木っ端男爵家だ。公爵家や伯爵家のように大きな領地があるわけでもないし、家名が領地のある地方に由来しているわけでもない。さらに特別な名産があるわけでもないので、よく覚えていたなとさえ思える。

 しかし、挨拶とはいったい何のことだろう。卒業をした記念旅行に男爵領にでも行くつもりなのだろうか。

 そりゃ伯爵家の坊ちゃんがいらしたら領主自ら挨拶しないわけにもいかないだろうけれど、大したもてなしもできないし、名産があるわけでもないから寄っても仕方ないと思うんだけれど。

 意味が分からないまま、私は並んで歩くエウゼビオに当たり障りなくそうですねと答えた。すると満足げに頷く伯爵令息が、私が歩く側の肘を外に突き出してくる。まるで夜会に女性をエスコートするような仕草である。私達が向かっているのは夜会ではなく、卒業式の祝賀会だ。歩きにくい踵の高い靴を履いているわけでもないので、同級生にエスコートされるいわれはないのだが一体どうしたらいいのだろう。

 うーん、とまた首を傾げながらその肘から視線を上げると、大広間の前で顔なじみの女子学生達が手を振っていた。

 真ん中に立っているのは王都でも一、二を争うレニ商会という大商家の娘であるクロエだ。数学的なセンスと討論の実力は学年でも群を抜いており、卒業後は自分の商会を立ち上げたいという。そのため、大学に入学した目的が上流階級のご子息と知り合って人脈を作ることと言って憚らない。

 そんな、学問の徒としては宜しいとはいいがたいがはっきりとした目的意識のある彼女は、私がトレス伯爵令息と歩いているのを見つけて眉を吊り上げた。そして女子学生たちの輪から離れ、つかつかと歩み寄ってくる。

 上背もありセンスもよい彼女が祝賀会用のドレスを着ていると迫力が違う。黒く滑らかな髪を優雅に揺らしている様は遠目で見れば女の私でもうっとりする容姿だが、険しい顔で近寄られるとその迫力にエウゼビオも一瞬たじろいだようだ。その証拠に彼は私の方へ突き出していた肘をすっとひっこめている。その隙にクロエが二人の間に体をねじ込んだ。

「エルネスタ! 首席おめでとう!」

「あ、ありがとうございます、クロエさん」

「さすが、科学誌に論文が載った才女ね。同じ女子学生として鼻が高いわ!」

 ことさら朗らかに賞賛の声をかけてくれるクロエだが、満面の笑みを作っている中で眉だけは吊り上がったままだ。ほぼ同じ空間を共有しているエウゼビオを一瞥もしないあたり、ちょっと怖い。

 そしてクロエは私の腕に自分の腕を絡ませ、広間の入り口を指さした。

「さ、行きましょ。今日の主役が遅刻なんて恰好が付かなくてよ」

「主役だなんて、そんな……」

 普段もかなり強引なところがあるクロエだが、今日は一段と圧が強かった。でもさすがに伯爵令息と挨拶もなしにこの場を離れるわけにもいかないだろう。

 しかし私がエウゼビオに会釈をしようとすると、耳元で「いいから」とクロエの鋭く、小さな制止が飛んだ。そしてそのままぐいぐいと引っ張られて、エウゼビオの隣から引きはがされる。

「あ、ちょっと待ちたまえ! まだ話が……!」

 背後でエウゼビオが何か言いかけているが、すぐさまそれが聞こえなくなった。私とクロエの周りにはいつの間にか女子学生たちが壁のように輪を作っている。こうなってはさすがのエウゼビオも彼女たちをかき分けてまでこちらに来ることができないのだろう。肩越しに振り返ったときには、すでにかなり距離ができていた。

 ちょっと申し訳ない気持ちにはなるが、要領を得ない話から救ってくれたクロエたちには感謝するべきなのかもしれない。

 そして歩幅の違う彼女に引きずられるように足をもつれさせながら広間の扉へと歩いていると、隣のクロエはこれ見よがしにため息をついた。