十五年先の悪夢の記憶
「ヅィックラー男爵令嬢、エルネスタ・エマ・ヅィックラーを反逆の罪で斬首とする」
ぐるりと高い石塀で囲まれた広場には、春を前にした冷たい風が吹いていた。中央に盛られた砂はどす黒く変色しており、そこが無数の罪人たちが血を流したところであると告げている。
夜が明けきらぬうちに連れてこられた刑場で声も高らかに処刑を告げたのは、信じられないことについ先日まで愛を囁いてくれていた人の唇だった。いや、先日どころではない。昨日の朝、明日は私の誕生日だからといって金の首飾りをつけてくれたではないか。
しかし緩く波打つ艶やかな黄金色の髪の下で私を見つめる青い瞳は、まるで知らない人のもののように冷たい。
──アルベルト・ルエラス・レンバー。このレンバルト王国の王子にして、王位継承順一位で近い将来王位を継ぐ方は、まるで感情の無い人形のような表情のまま私を一瞥すると、そのままくるりと背を向けた。
「殿下! アルベルト様! これは一体どういうことでしょうか! 反逆とは一体!」
後ろ手に縛られ白い麻の夜着姿で砂地に跪かされたまま、私は声の限りに叫んだ。身を乗り出しそうになるのを左右に立った衛兵に取り押さえられる。がっしりと肩と頭を掴まれ、顔ごと砂地に倒れ込んだ。そのはずみで額の飾りが、ちゃりんと音を立てて地に落ちる。
「殿下!」
「この国の聖女ともあろう君が、まさか国の転覆を謀っていようとは、とても残念だよ。ユリウスの進言通り、君は相当な悪女だったというわけだ」
「ぬ、濡れ衣です! 国家の転覆など、私は! 私は安寧の祈りを捧げる聖女で……!」
「聖女の身分は剥奪だ。いや、君が聖女だったという記録も抹消しよう。もちろん君との婚約も破棄する」
「待ってください! 私は反逆など企んではおりません! 証拠を! 裁判を!」
「往生際が悪いとはこのことか。既に君が隣国の密偵と通じていたという証拠はこちらが掴んでいる。裁判はいま、この場がそれだ。衆目に晒されないで済むだけありがたいと思ってもらおう」
「証拠なんて……! それは本当なのですか!? 一体どんな証拠が!」
「それは自分の胸にでも聞きたまえ。全く、国をあげて育て上げた聖女が敵と密通して裏切ったなど、王家の恥もいいところだよ」
「待って! アルベルト様!」
淡々と言葉を連ねる王子は、私には背を向けたままだった。
裁判の体を成していない糾弾、身に覚えのない「反逆」、そして「密通」。何が何だかわからないまま、私は地面に四つ這いになったまま必死に叫んだ。しかし日頃は丁重に扱ってくれていた衛兵も力を緩めてはくれない。乱れて顔に被さってくる自分の銀色の髪が邪魔をして、だんだん彼の姿が見えなくなっていく。
昨日までの優しい面影はどこにいったのだ。愛していると囁いてくれていたのに、なぜ信じてくれないのだ。悪い夢なら一刻も早く覚めてくれ。両目からぼろぼろと涙が溢れて止まらない。頬を伝い落ちるしずくは、刑場の砂に新しい黒い染みを作っていた。
しかしどれだけ叫んでも王子は振り返ることはなく、私からどんどんと遠ざかっていく。その向こう側、王子を待つように佇む一人の少女がいるのが見えた。薄明の空に透けんばかりに白く輝く髪を靡かせ、淡い黄色のドレスを着て不安そうな面持ちで立っている。その少女は私と目が合うと唇を
「マルガリータ! これは一体どういうことなの? お願い、教えて!」
お姉様、と彼女の声が聞こえた気がした。しかしその口元はすぐに王子の肩で遮られて見えなくなる。次の瞬間、私は息を飲んだ。
覆い被さった前髪のせいで狭められた視界の中、王子の腕がマルガリータの細い腰に回されているのが見えたのだ。
何故、という言葉はもう声にならなかった。
──捨てられたんだ。
それだけは悟った。
十年以上にわたる修行の末、国王から聖女に任命されて五年。来る日も来る日も国の繁栄と民の安寧を祈り続け、任期を全うする直前にこんなことになろうとは。
失望で全身から力が抜けていく。
私の後継として育てられたマルガリータはとても優秀で、聖女の才能を有していると言われる証が発現したのが早かった。確か今年で十八歳。次代の聖女として最終候補生達が王家の方々に謁見した時、少女達の中でもマルガリータの緊張した面持ちが初々しいと話題になっていた。
その若く、美しく、まだ聖女に任命されていない少女を王子が見初めたのだろう。
幼い頃から親元を離れ聖女としての教育を受け、この国のためならと職務に励んだというのに。王子と出会い、ゆくゆくは王妃にと望まれ過分な幸せについて神に感謝を捧げていたというのに。こうも簡単に打ち捨てられてしまうとは、私が日夜祈りを捧げていた神には血も涙もないのだろうか。
祈る言葉もなく絶望に打ちひしがれ項垂れた私の視界に、砂を踏みしめる音とともに黒い靴が現れた。
「やはり俺の勘は正しかったということか」
感情を感じさせなかった王子のものとは異なる、憎しみに満ちた低い声に恐る恐る目線を上げる。そこにあったのは憤怒の表情を隠そうともしない、一人の男性の顔だった。ああ、と私は命乞いのための言葉を考えることも放棄した。
常に王子に付き従っている最側近である彼は、私のことを嫌っていたはずだからだ。
短い黒髪の下にある漆黒の瞳は、激しい怒りの炎を燃やしているかのようにぎらぎらと