あとがき



 本作を手に取っていただきありがとうございます。著者の葵あおい大和やまとと申します。

『百ひやく魔まの主あるじ』、六巻目です。そして、実はこの六巻が書籍版『百魔の主』の最終巻となります。

 今まで刊行させて頂いたすべての巻にそれぞれ思い入れはありますが、この六巻はその中でも特に感慨深いものがありました。WEB版と同時に読んでくださっている方はお分かりかもしれませんが、なんと言ってもこの六巻はほぼすべて、新規書き下ろしです。いやはや、死にかけました。……いえ、労力的なもの以外にもいろいろありますよ? 思い入れあります。オモイイレアル。ともかく、現在公開されているWEB版『百魔の主』にはないストーリー展開で、かつ、最終巻として自分なりに納得のできるものが書けたと思います。不思議なことに、完全書き下ろしであるにもかかわらず、すらすらと書けたような気がします。たぶん、物語が最終的にどこへ向かっていくかが、この六巻である程度見えたからでしょう。……今大事なこと言いました。そうです、『百魔の主』は書きはじめた当初、明確な終着点が決まっていない物語でした。物書きさんの中にもさまざまな方がいらっしゃって、人によっては終着点までのプロットをしっかりと練って書く方もいらっしゃるでしょうし、とりあえず創作欲の赴くまま、キャラクターの動くままに物語を展開させていく方もいらっしゃると思います。ちなみにわたしの場合は物語の質によって作り方が変わりますが、「とりあえずこんな感じだろう」という終着点はぼんやり頭に置いておくタイプです。ではなぜ『百魔の主』の終着点が決まっていなかったかというと、それはもともと、この物語が「メレア」「ハーシム」「セリアス」の三主人公を中心とした群像劇を想定して描かれたものだったからです。たしか書籍版一巻のあとがきでそんなことを書いたような気がします。書籍版はメレアたち〈魔王〉に焦点を当てるよういくぶん推すい敲こうしましたが、出発点は三主人公による群像劇でした。つまるところ、誰が望みを叶かなえるか、によって、物語の終わりが都度変わる可能性があったのです。わたしは終わり方がハッピーであるかバッドであるかにさほど強いこだわりがありません。できるだけ登場人物に好きに動かせて、それでなるようになった結末を書くつもりでいます。

『百魔の主』は、早い段階で登場人物たちが勝手に動き出した作品でした(メレアを除く)。ですので、気づいてみればなるようになった、という感じもいたします。それでも、メレアと、ハーシムと、セリアスという三人の意志が交差して、この世界の中で、どういう結果に行き着くのかはわたしの中でもずっと霧が掛かったようにおぼろげな状態でした。だから、わたしも読者の皆さんと一緒になって、これから先どうなるんだ、と物語を見守っていたような気がします。ちなみに、メレアが一番、勝手に動くのが遅かったのですが、その点に関しては自分なりにいろいろ分析して、ある程度納得しているところです。話すと長いので省略しますが、やはり外の世界から来た、というのはなかなか特殊なものですね。以前、メレアが一番書きづらかった、というお話を担当編集さんにしたら、驚いていました。

 とまあ、それぞれの登場人物について語り出すととてもあとがきでは語りきれないので割愛しますが、またどこかで機会があれば、お話しできればと思います。あとは、WEB版の方はまだ続いていくので、いずれは活動報告等で書いてみてもいいかもしれないですね(やったー、真面目な話題だー)。

 それでは、最後に謝辞を。

 今回、『百魔の主』に書籍という場を提供してくださった担当編集様。あなたがいなければこの物語は本になりませんでした。その点で、おそらくこの作品の第二の産みの親になるのだと思います。わたしの感謝度合を言葉に表すとだいぶページ数を割くので、ひとまず今度ご飯奢おごらせてください。そして一巻から六巻にわたってイラストを担当してくださったまろ様。あなたに『百魔の主』のイラストを描いてもらえて本当に良かったです。この言葉に尽きます。ちなみにわたしの感謝度合を言葉に表すとページ数が(以下略)ご飯奢らせてください。

 そのほか、この作品に関わってくださったすべての方に、感謝を申し上げます。この物語が本になるのに、いったいどれだけの方が助けてくださったのか、無知なわたしには到底把握しきれないところではありますが、実際にこうして「本」という媒体に関わってみて、自分が最初に予想していたよりはるかに多くの方が関わってくださっている、ということはよくわかります。本当にありがとうございました。

 そして最後に、読者の皆様。本作を読んでいただきありがとうございます。わたしにとって、物語は読んでもらってはじめて自分の中で強く輝くものでした。物語を書き、それを読んでもらい、あわよくば感情を動かし、感動してもらう、というのは、大仰に言わずともわたしの生きる意義の一つです。いろいろ考えた結果、人間は感動するために生きている、と思っているわたしは、無論自分が感動するためにも物語を書き続けますし、その中で別の誰かが感動してくれれば、なによりも嬉うれしく思います。

 と、長くなりましたが、こうして最終巻までわたしの作品を読んでいただき、本当にありがとうございました。書籍にかぎらず、WEBにかぎらず、またどこかでわたしを見かけたら、そのときはよろしくお願いいたします。

 ではでは、そんなところで。


平成二十八年 九月 月の綺き麗れいな中秋の夜に        

葵 大和