エピローグ 【歴史の結節に】



「殿下、ネクロアの所在が判明しました」

「ほう」

「サイサリス教国です。霊山にいたネクロアも分身体でした」

 天高くに黒国の王子がいた。

「どこまでも用意が周到なやつだ。やつはサイサリスで起こる戦乱に己の望む混こん沌とんを見ているのだろうな」

 高速で過ぎ去る風景。

 雲を切り、ときに大気を叩たたき付け、飛び行くのは黒い鱗を持った〈天竜テイシーア〉である。

「バーラミッツ、もう少し速度をあげろ」

 その背に乗る黒いローブ姿の男──〈セリアス・ブラッド・ムーゼッグ〉が言った。

「いずれにせよ、〈死神〉が暗躍しようがしまいが、この戦が歴史の結節点になる。戦端が開かれれば大陸全土を巻き込む戦いになるだろう」

 セリアスは遠く地平へ目を向けた。

「数え切れぬ人の願いが交差する。その場で誰かの夢が消え、そしてまた誰かの夢が成就する。願いと夢を成就させるのは勝者だ。今、この時代においては力こそが夢の礎になる」

 そういう時代を、人が作った。

 戦乱の時代を作り上げたのは、まぎれもなくこの世界に住まう人なのだ。

「自分だけがのうのうと蚊帳かやの外にいられると思っている者たちは、あるいは嘆き、あるいは悪態をつくだろう。だが違うのだ。それぞれの人間に、時代を作り上げた責任はある。動いた者も、動かなかった者も、みなに平等に」

 だから、嘆きも悪態も的外れだ。

「自覚せよ。お前たちはこの世界の住人なのだ」

 セリアスは地平の向こうへと言葉を放った。

「──で、ミハイ。霊山からの報告書の中にやつらの記述はあったか?」

 ふとセリアスが隣に立っていた男に訊たずねた。

 もう一人、黒鱗の天竜の背に乗る人物がいる。

「……」

 セリアスの腹心、〈剣王〉ミハイ・ランジェリークだ。

「……はい、あります」

 ミハイはセリアスの問いを受けてわずかに物憂げな表情を見せたが、すぐに観念したように重く答えた。

「〈術神〉の霊体はかの〈魔神〉メレア・メアが消滅に追い込んだ、と」

「……そうか」

 セリアスはその報告を受けて笑みを浮かべた。

「──そうでなくてはな」

 子どものように、無邪気な笑み。

 セリアスはローブのフードを剝はいで灰色の髪を風になびかせた。

「フランダーを倒したか、メレア。そうだ、それでいい。この新しい時代に過去の遺物はもう必要ない。私とお前の間には、過去など必要ない。〈術神〉も、〈白帝〉も、〈死神〉も、すべてを取り除いたうえで──」

 セリアスは両腕を大きく開いて、まるで時代の流れを一身に受け止めるように天の風に身体を晒さらす。

「再度見まみえよう!」

 セリアスは遠くどこかに、しかし必ずそこにいるであろう宿敵に言葉を投げかける。

「お前は言ったな、メレア。時代を作るのは人だと」

 セリアスはかの宿敵が再び自分の前に現れることを疑わなかった。

「では、私たちで時代を作ろう。私と、お前、あるいは──クード、お前も入れて」

 セリアスはまた笑った。

 その青い視線の先に、かつての友と望んだ宿敵の姿を描く。

 セリアス・ブラッド・ムーゼッグは黒国の王子である。

 民にとっての〈英雄〉である。

 そして誰かにとっての──〈魔王〉である。


◆◆◆


「そろそろだ、メレア」

「わかってる」

 日が中天にあった。

「用意はいいな」

「もちろん」

 サイサリス教国の領空に今まさに踏み入ろうという場所に、一人の男と一頭の白い天竜がいた。

「シャウからの伝書によると、南東部に海上戦力が密集しているらしい」

 南大陸の空は、レミューゼで見た空と変わらず、何事にも動じぬ青で彩られている。

「海賊都市の旗と、北大陸の都市国家の旗が海風にはためいているって」

「応戦するのは?」

「サイサリスの戦力。シャウはうまくやったみたいだな」

 二人は進む先、地平の向こう側を見ていた。

「北東からはムーゼッグの騎兵隊。たぶん尖せん兵ぺいだろう」

「あるいは強襲部隊だな」

「でも、そこにはズーリア王国の〈紺碧槍団カレウム・ランサニア〉がいるみたいだ。クシャナ王国の術機大砲も何台か」

「そうか。……であれば、〈魔王〉たちは──」

 クルティスタが背に乗るメレアの様子をうかがうようにわずかに首をもたげた。

「北だ。ハーシムの読みは当たっていた」

 メレアは手元の羊皮紙を丸め直して懐にしまった。

「ムーゼッグから迂う回かいもなにもせず、ただまっすぐに向かってきた大本隊こそが──本命だ」

 メレアは確信する。

 サイサリスの南東からの海上戦力による強襲。

 東から側面に回り込んだ足の速い騎兵隊。

 そのどちらもが本命の一手を打つための布石。

「行こう、クルティスタ」

「ああ」

 二人は高空を一気に直進していく。

 空の風が二人の頰を撫なでた。


 メレアがサイサリス教国の上空にたどり着いたとき、そこにはシャウの伝書どおりの光景が広がっていた。

 メレアとクルティスタはなにも言わず一直線に教国北部の激戦区へ向かう。

 空を下る途中、メレアは北側の空に黒い天竜の姿を見た。

 ──セリアス。

 メレアは内心に言葉を浮かべる。

 ──そこにいるんだろう。

 メレアは灰色髪の男の姿を思い出した。

 ──なら、ここで終わりにしよう。

 決意が宿る。

「お前の魂も、救いを求めているか」

 クルティスタに乗ってサイサリスに来るまでの間、メレアにはずっと考えていたことがあった。

 そして考えた果てに、思ったことがあった。

「ムーゼッグ王。そこにいるのなら、俺はお前にこそ剣を突き立てる」

 遠方から続々とやってくる黒い鎧よろいの軍団の中心に、ひときわ大きなムーゼッグの旗を見た。

「すべてがお前の思いどおりになると思ったら、大間違いだ」

 ふと、メレアの髪が黒く染まる。

「そしてネクロア、お前の救いがたい罪の代価は、ここで支払ってもらう」

 メレアの赤い瞳ひとみの中に、金色の術式紋様が浮かんだ。

「虐げられる〈魔王〉の意地を、しかと見ろ」

 身体からあふれる金色の術素で、きらきらと宙に線を描きながら、〈白神〉が今かの地に舞い降りる。

 眼下にいた〈魔王〉たちが空を見上げた。

 誰かが彼を指差した。