「ちょ、ちょっと待て、なんか女が多くないか!?」

「ああ、よくよく考えてみるとそうかもしれない」

「お前、フランダーよりも性た質ちが悪そうだな!? あの馬鹿もほかの女によく言い寄られていたが、お前ほどではない気がしてきたぞ!」

「まあまあ、ほかにも金の亡者な男とかもいるから、大丈夫だよ」

「それは大丈夫なのか……? と、ともあれ、しかしだな、まさか全員と恋愛関係にあるわけではないだろうな。もしそうなら私は母としてお前にいろいろと忠告しなければならないことが──」

 レイラスはまだメレアを離さない。力強く抱きしめたまま、離そうとしない。

「大丈夫だよ、レイラス。誰ともそういう関係にはなってないから」

「それはそれでどうなんだ。お前男としてそれでいいのか。せっかくいい顔に産んでやったんだから財産はしっかり活用していけ」

「意外と積極的なアドバイスするんだね、レイラス……」

「それは当然だ。息子がモテて嫌な母などいないからな!」

 レイラスは徐々に饒じよう舌ぜつになっていく。気恥ずかしさが抜けてきたのだろう。

 それでもまだ、メレアの顔を正面から見ようとはしなかった。

「ま、まあ、なんだ……や、やるときはやるんだぞ、メレア。なにごとも思いきりが大切だ」

「う、うん」

「でも無計画は良くないぞ。なにごとも計画的に」

「どっち?」

「な、なんかうまいことやれということだ! 孫が生まれたらまた呼べ! 見に来てやる!」

「また無茶苦茶な」

 そこで、ようやくレイラスが動きを見せた。

 ゆっくりと、メレアの肩に手を持ってきて、

「っ……」

 身体を離そうとして、途中でレイラスの手が止まる。

 レイラスの手は震えていた。

 メレアはそれに気づいて、ふっと笑みを浮かべる。

「緊張してるの?」

「くそ、私としたことが、情けない」

「それにしても、レミューゼで会ったときより今のレイラスの方がなんだかかわいいね」

「っ!」

「気づいてないとでも思った?」

「お前、息子のくせに……っ」

「まあ、年のころは近いからね」

 メレアはレイラスをからかうように言う。

 そこでようやくレイラスの手に力が戻った。

 そして、ついにレイラスはメレアの身体から離れ、真正面からメレアの顔を見る。

「──」

 瞬間、レイラスの時間が止まった。

 瞬まばたき一つなく、レイラスは大きく目を見開いて、メレアの顔を見ていた。

 果てに──

「嗚あ呼あ……」

 彼女の目から涙がこぼれる。

「すまなかった、メレア。お前には過酷な運命を背負わせた」

「そんなことないよ、レイラス」

 レイラスの手がメレアの頰を優しく撫でる。

 メレアはその手に自分の手を重ねた。

「自由に、ただ自由に生きさせてやろうと、そう思っていた。だが、私たちが関わることで、お前の生は端はなから過酷なものになると、知っていた。そして私も、口では自由に生きろと言いながら、お前に希望を乗せてしまっていた」

「それのなにが悪い。俺はむしろ、レイラスやフランダー、ほかのみんなに希望を乗せられて、嬉うれしく思うよ。俺にとっては最初、それこそが存在意義だった。それくらい、俺はみんなに感謝してるんだ。レイラスは知らないかもしれないけど、俺は前の生で、ろくに生きられなかったから」

 メレアはかつての生を思い出す。そしてあえてレイラスにそのことを伝えた。

「そうか……」

「だからそのことを気負わないでくれ。俺は感謝してる。本当に、これ以上ないくらい、みんなに感謝してる」

「……ありがとう」

 レイラスはまたメレアを抱きしめた。

 メレアもまた彼女を抱きしめた。

 思っていたより、レイラスの身体は細く、華きや奢しやだった。

「これからどこへ行く、メレア」

「仲間たちのもとへ。そして救いの手を求めている〈魔王〉たちのもとへ」

 メレアは目を瞑つぶる。未来に思いを馳はせた。

「〈魔王〉にとっての〈英雄〉になるか」

「うん。その上で、俺が思う最善を探していくよ」

「そうか」

 ふと、レイラスの身体が光の粒に変わりはじめた。

「なら、お前に私からの祝福をやろう」

 レイラスがメレアの身体を緩く離す。

 再びメレアの顔を見て、そしてその額に──口づけをした。

 メレアは一瞬ぽかんとしたが、すぐに嬉しそうに笑う。

 無邪気な、子どものように。

「どうか健やかに、私の子」

 レイラスは最後にメレアの頭を優しく撫でて、ゆっくりと空に昇りはじめた。

「忘れるな、私はいつでも、どんなときでも、お前のことを愛している。たとえどんな道を辿たどろうとも、私だけは、ずっとお前を愛している」

 雪が止やむ。

 代わりに、メレアの眼から涙がこぼれ落ちた。

 そしてレイラスの身体が光になって、月光の中に消える。

 メレアは空を見上げながら、震える声で言った。

「さようなら──母さん」

〈白帝〉の願いは、その日〈英霊の子〉に祝福を施した。

 けっして色あせることのない、無償の愛を。


◆◆◆


 夜が明ける。

 霊山に最後の客人が訪れたのは、暁の日光が山頂を照らそうとした時分だった。

 メレアの耳を、聞き慣れた音が撫でる。

 大翼が、大気を打つ音だった。

「久しぶりだね、クルティスタ」

 メレアが言った。

「ああ、久方ぶりだな、メレア」

 白の天竜テイシーア〈クルティスタ〉。

 かつて英霊たちの旅立ちを見守った世界の観察者が、再びリンドホルム霊山へと降りてきていた。

「なにかあったの?」

「なにも。そしてなにもかもが」

「相変わらずクルティスタの物言いは難しいね」

 メレアが振り向くと、そこにはあの日と変わらぬ彼の姿があった。美しい白の体表。大きな二枚の翼。どことなく人間味のある表情は、やはり前と変わらない。

 メレアはクルティスタに近づき、ふとクルティスタが差しだしてきた尻しつ尾ぽに手で触れた。挨あい拶さつのようなものだ。よくメレアはクルティスタと会うときにこうした。

「メレア、ムーゼッグが天竜を手中に収めた」

「ムーゼッグが?」

「そうだ。天竜も一枚岩ではない。特に黒こく鱗りんの天竜はもともと下界に興味を示していてな」

 何度か天竜の世界について話を聞いたことがある。体色が血の系譜を表すこと。それぞれに一族があって、必ずしもまったく同じ思想で動いているわけではないこと。クルティスタの属する白竜の一族は、より厳密に世界の観察者であろうとしていたこと。

「ここに来て、あのムーゼッグの王子にそそのかされおった」

「なら、サイサリスにも来るのかな」

「来るだろうな。今のところ一頭のみだが、今後の下界の動向によってはさらに増えかねん」

「クルティスタはそれを伝えに来たの?」

「それもある」

 クルティスタの言い回しには含みがある。

「それ以外は?」

「メレア、お前は私の友人だ」

 不意にクルティスタがそんなことを言った。

「おそらくフランダー以上に、お前は私の友人だろう。フランダーとも長い付き合いだが、やつとは生前そう長く話をしなかった。それはやつが〈魔王〉の名にまつわるしがらみに長い間捉われていたのもあるが、やつ自身に私に対する畏い敬けいが強くあったのも要因だ」

 クルティスタは翼を畳んで身じろぎする。

「だが、お前は良くも悪くも私に対する畏敬がない。ないとは言わないまでも、強くはない」

 クルティスタが少し皮肉っぽくメレアに言う。

「お前は私を対等に見ていた。〈天竜テイレーア〉としてではなく、一個の存在として」

 メレアには天竜に対する先入観があまりなかった。竜という架空の存在に対して抱いていた憧あこがれはあれど、それはこの世界一般の人間が持つような畏敬ではない。

「だから、私もお前を対等に見ていた」

「そっか」

 メレアは少し嬉しそうに笑う。

「ゆえに、私は唯一の対等な友人であるお前に提案をする」

 そして白の天竜は言う。

「私とともに戦え、メレア。私は私の矜きよう持じに則のつとって、かの国に味方した天竜と相対せねばならん。それが私の天竜としての矜持であり──」

 クルティスタはメレアを真っ向から見据えて言う。

「お前の友人としての矜持でもある」

 メレアはクルティスタの視線を受け止め、わずかの間を置いたあと、うなずいた。

「わかった。なら俺も、クルティスタの友人として、その目的の成就を手伝おう」

 再びクルティスタが尻尾の先をメレアの前に持ってきて、握手を求めるように置いた。

 メレアはその尻尾に手を伸ばし、優しく触れる。

「ならば行くぞ。悠長にしている時間はない。くわしい話は空でしよう」

 クルティスタはメレアに自分の背に乗るよう首で促す。

 メレアは身軽な動作でその背に乗った。

 そして白竜が翼を広げる。

 巨体が空に昇り、雲を抜けた。


 高空の風がメレアの頰を打つ。

 クルティスタが鼻先を南へ向けた。

「ねえ、クルティスタ」

 空を進む最中、メレアが不意にクルティスタに言った。

「レイラスに会ったよ」

「……そうか」

「俺を愛してるって、言ってくれた」

「……そうか」

「俺は、幸せ者だな」

 メレアはクルティスタの背に寝転がった。

 雲のない空は今まで見たこともないくらい澄んで見えた。

「やるよ、みんな。俺は、俺の道を歩み切ってみせる」

 メレアのつぶやきは、空に昇って行く。

 そこにいるすべての英霊たちに、届けとばかりに。