「木こつ端ぱ微み塵じんだと思う。膂りよ力りよくが尋常じゃないから。シラディスの中にはほかにもたくさんの獣の因子が潜在していて、獣型に変態したときそういう因子が発現して身体能力が爆発的に上昇する。シラディスは今まで変態ができなかったけど、これも先代の〈獣神〉との戦闘中に一発本番で教えられたみたい」

「なんでこう、あなた方戦闘系の魔王の先祖はそういう命がけの鍛練を課してくるんでしょうね」

 シャウがげんなりとして言った。

「暗黒戦争時代を経ているとは言っても、厳しすぎやしませんか? ライオンがかわいらしく思えてくる」

「ハハ、俺もそう思うよ」

 と、そのあたりでようやくメレアとシャウはみなのもとへたどり着いた。

「お待たせ、シャウを連れてきた。これで全員だ」

「おう、死んでなかったか」

 サルマーンがわざとらしくそう言いながらシャウの肩を叩たたく。

「殺しても死ななそうな感じではあるんだがな」

「失敬ですね、私だって人間ですから殺せば死にますよ」

「金貨がぎっしり入った壺つぼに入れておけばそのうち復活しそうだろ」

 むすっとするシャウにサルマーンがにやにやとして追撃を入れる。

「もしそうだったら便利ですね。その性質を利用して臓器を売りさばいて金を稼ぎましょう。きっと金の亡者も本望だと思います」

「ちょっと、そこの奇天烈メイド。そんな本望をさぞ事実のように語らないでください」

 マリーザがシャウの帰りに気づいて、一瞬露骨に苦々しい表情を浮かべたあと、今度は努めてすました顔をして言った。

「えっ? 違うのですか? これはこれは、金の亡者ともあろう方がなんと女々しい」

「どこからツッコめばいいんでしょうかね! 少しくらい休ませてくれてもいいものを……!」

「はっ」

「鼻で笑いましたよ!?」

 いつものやり取り。魔王たちは二人が言い合う光景を見て、平常心を取り戻す。こうしてみなが無事でまた集まれたことを、このときようやく実感できた。

「アイズ」

 するとメレアが中心にいたアイズに歩み寄り、声を掛ける。

「ほかに異変はない?」

「うん、ない、よ。もう、レミューゼの中には、〈魂の天海〉から呼び出された人はいないと思う」

「そこまでわかるの?」

 メレアは思いがけないアイズの断言を受けて、きょとんと目を丸くする。対するアイズは、メレアの方をちらと向いて微笑を浮かべた。

「見える、から。〈魂の天海〉から呼び出された人は、身体から出てる術素? みたいなのが普通の人とは違うから」

 メレアは一瞬アイズが自分と同じレベルの眼を発現させたのではないかと内心穏やかではなかった。もしそうであれば、アイズには自分が〈白神の魔眼〉を使ったときと同等の負荷が掛かっているのではないか。

「式が見えたりはしてないよね?」

「式?」

 アイズが小動物のように首をかしげる。

「式は、見えてないよ。うまく、口では、言えないけど、ぼんやりと、違いがわかるの」

「空間に散在する世界式を〈天魔の魔眼〉で見て、そこにあるわずかな歪ゆがみを無意識的に察知しているんだろう」

 そんなことを言ったのはメレアではなかった。

「ハーシム」

 魔王たちの視線が一斉にある方向を向く。大星樹の方向。

「こちらもおおよそレミューゼ内の被害状況を確認した。負傷者はいるが奇跡的に死者はいなかったようだ」

 そこには脇に侍女アイシャを引きつれてこちらへ歩いてくるハーシムの姿があった。背中に〈魔ま槍そうクルタード〉を携え、簡素ながらも丈夫そうな軽けい鎧がいに身を包んでいる。どうやらハーシムは大星樹を挟んでちょうど反対側に位置する〈白王城〉から徒歩でやってきたらしい。

「お前たちのおかげだろうが、一部、おかしな目撃証言もあった」

 ハーシムはメレアの前へやってくると、ふと西方の空を指差した。

「西側の空から、『白い光』が飛んできて、暴れていた霊たちを打ち抜いたらしい」

「そういえば俺もその光は見たな」

 ハーシムの言にサルマーンが答えた。

「誰がやったかは知らねえが」

「おれにもそれはわからない。だが、方角を考えると──」

 ハーシムはちらりとメレアを見る。

 メレアは一人、なにかを確信するように地面に視線を落として固まっていた。

「──まあいい。メレア、お前にこれを渡しておく」

 すると、ハーシムがアイシャに指示を出して、ポーチからとある本を出させると、それをメレアに渡した。

「これは……」

「騒動の前、お前が〈白王城〉の蔵書室で見つけた〈パラディオンの狂書〉だ。もうお前には必要のないものかもしれんが、これからまたバタバタと動きはじめる。読めるうちに読んでおいた方がいいだろう」

「……」

 メレアはその本を受け取ると、おもむろに一ページ目をめくった。

「……読めるよ。でも、読もうとすると精神を持ってかれる気がする」

「落ち着いた場所で読んだ方がいいな。城へ戻ったらどうだ」

 ハーシムの提案を受けてメレアは仲間たちの顔をぐるりと見回した。彼らはメレアの視線を受けると、各々うなずきや返事で応こたえる。

「わかった。たぶん、そんなに時間はかからないと思う。一度〈星樹城〉に戻って読もう」

 そうして魔王たちは中庭から再び城へと戻った。


◆◆◆


 メレアは仲間たちに見守られながらパラディオンの狂書に目を通しはじめた。場所は玉座の間。メレアの異変にすぐに対処できるよう、〈医王〉を含め近場に魔王たちが待機している。

 メレアはパラディオンの狂書をめくっている間、終始無言だった。まるで魂ごと本の中に入り込んでいるかのようでもある。メレアの眼からは金色の涙がこぼれ、瞳ひとみの中の術式紋様はやはり同じ金色に輝いていた。

 しばらくして、メレアがついに口を開く。

「──世界の式だ」

 ぽつりと、メレアが言った。

「このパラディオンという男は、世界の式を紐ひも解とこうとした。そして自分の研究の成果を、この本の中に綴つづった。ただ、書き方はひどく不親切だ。普通の言語と術式言語がごちゃ混ぜになってる。もう人としてなにかを説明するという理性が残ってなかったんだろう」

 しかしメレアにはパラディオンの狂った言語形態で綴られた文章が読めた。

「自分が見た世界式を直接綴っている箇所が、俺には理解できる。俺はここ数時間の間でかなりの量の世界式を見たから。あとは──」

 メレアは一度目を閉じて目ま蓋ぶたに手を置いた。

「この眼のおかげだろう。ところどころ術式で文字を圧縮している箇所があるんだが、この眼にはその圧縮された部分も正確に映るんだ。パラディオンはおもしろい術式を使う」

 術士にはそれぞれ独特の感覚が存在する。修練の果てに得られる感覚だ。理解や分析の過程を吹き飛ばして、直感的にそうとわかるもの。おそらく〈術神〉フランダー・クロウであれば人の生み出した大半の術式に対してそれがどういった効力を示すものかが感覚的に理解できていただろう。メレアにもまた、そんなフランダーとは少し違った感覚がある。

「俺が英霊たちの訓練によって培った変な術式感覚が、パラディオンのやり方によく合致するんだ。反転術式を直感で編むときの感覚に似てる。自動的に文字が入ってきて、意味を為なす」

 だがそれを言葉で説明するのは至極難しい。書いてある内容がまた世界式についてというのが余計に。

「これは空間式。こっちはサンテハリス地方の空の世界式。かなり高空のものだ。天力術素の存在証明がされてる。あとこっちは──」

 メレアはパラパラとページをめくっていく。まるで大好きな本の好きなページを紹介しようとする子どものようだった。

「パラディオンは天才だ。それでいてかなりの怖いもの知らずだ。人間の式についてもまとめてある」

 好奇心の獣。その獣に圧倒的な才能を与えた結果が、メレアの手の中の書物に証明されていた。

「これは、該当部分の世界式が実際にどういうものであるかを見たことがある者か、あるいはある事象についてこれでもかと言うほど親しんだ者にしか理解できない作りになってる。俺は実際に世界式を見たから大体わかるけど、そうでなければ解読するなんて無理だろう」

「レイラスが半分ほどを読めたのは〈白帝の魔眼〉で世界式を見ていたからか」

 ハーシムがうなずきながら言った。

「そうだ。そしてフランダーは人の生み出す術式に対して広く極めていたから、該当部分が読めた」

「しかし数ページだ」

「世界の式に対して、人の生み出した式が占める割合はその程度ってことだよ」

 メレアの説明を聞いて周りの魔王たちがごくりと息を吞のむ。

「でも、これはあまりよくない本だ。レイラスがそう言ったのもわかる。パラディオンは世界の式を見すぎて、絶望してる。どうやら人間の行き着く先を世界式を通して予想して、絶望したようだ」

 知らなくてもいいものを知ってしまった。そんな絶望が狂書の中にはところどころ悪態のように書きなぐられている。

「気持ちはわかる。逆にこれを見ても希望を抱こうとしたレイラスの精神力が凄すさまじいんだ」

 メレアは改めてレイラスの意志の強さを知った。

「メレア、お前にはおれたちが行き着く先が見えているか?」

 ふと、ハーシムが言った。

「──いや、見えないよ」

 メレアは答えた。

「未来なんて、見えない。〈時帝〉のように、ほんの数秒先の未来を見ることはできるかもしれない。その時その時の状況と、空間に漂ういくつかの世界式、それにその場にいる人間の式、そういうものをまとめて解読して、ほんの数秒先に起こり得ることなら、もしかしたらわかるかもしれない」

 でも、とメレアは続けた。

「遠い未来なんて俺にはわからない。俺はさほど頭が良くないし、世界の情勢なんてものにも詳しくない。レイラスやパラディオンのように、一般的な知識と、社会情勢に厚い人間なら、あるいはこういった世界式と一緒に先を想像することで、それが未来だと断定してしまうかもしれない。けれど、俺にはすべて、所しよ詮せんは可能性に過ぎないと思える」

「そうか」

 ハーシムはメレアの返答を聞いて、ほんの少しの間なにかへ思いを馳はせていた。

「なら、レイラスがその本を見て予言のようなものを残していたとしても──」

「必要ない」

 メレアは即答した。視線はハーシムの目をまっすぐに貫いている。

「それを俺が知ることでなにか良い影響を及ぼすというのなら、レイラスは俺に対してそういう伝言を残しただろう」

「そうか。──そうかもしれんな」

「俺が言うのもなんだけど、英霊たちは俺に甘かった。だから、彼らがなにも言わなかったのなら、それは俺が知る必要のないものだ」

 メレアには確信がある。メレアの眼の中の光はまるでブレず、強烈な意志の光を放っていた。

「なら、これ以上は言うまい。おれも未来は所詮可能性であると信じることにしよう」

「ハーシム」

 すると今度は、メレアが逆にハーシムに言った。

「お前がなにを知っているのかはわからない。でも、それを盲信するな。お前のことだから盲信はしないし、むしろ逆にそれを利用しようとすらするだろう。でも、不安なら俺が言ってやる」

 メレアは赤い瞳でハーシムの海青色の瞳を真っ向から見据える。そのときのメレアの眼はこれでもかと燃ゆるような意志の光を宿していて、ともすればその光に吞みこまれてしまいそうだった。

「世界式は揺れ動くものだ。諸行は無常で、すべては移り変わる。レイラスが見たときの世界式と、今の世界式は違う。俺はこの眼でそれを確かめた。だからもしレイラスがお前に対してなにか予言のようなものを残したとしても、それを重く受け止めるな。それと──」

 メレアは玉座から立ち上がり、パラディオンの狂書をハーシムに投げ渡した。

「もしろくでもない未来が見えたのなら、俺が変えてやる」

 メレアの身体から金色の術素がゆらゆらと燃え上がりはじめ、びりびりと空間を揺らした。

「俺は自分がこの世界にとっての異分子であることを自覚している。〈異界草〉は世界の外側から因子を求め、世界式を歪めるものだ。レイラスもそれを知っていて俺を呼んだんだろう。だから、俺が生まれた時点でレイラスの見た未来は変わっている。──もう、未来は変わっているんだ」

 ハーシムはそのことを知っていた。すでに未来が変わっていることを、知っていた。

「そうだな。でなければおれは今ここにはいない」

 ハーシムはレイラスの残したとある碑文のことを知っている。そこに書かれていた未来は、ハーシムにとって悲劇そのものだった。しかし、その一節目はすでに否定されている。その碑文によれば──

「おれはムーゼッグとの最初の遭遇戦で、死んでいた」

「……」

 メレアはハーシムの答えを聞いても動じなかった。おそらくそうなのだろうという予想がメレアの中にはあったのだ。

「だから、たしかに未来は変わるものなのだろう」

「なら、諦あきらめるな。俺は断定された未来を否定する。可能性を信じろ」

「わかった。お前の言葉におれの夢を乗せよう」

 ハーシムはそう言ってうなずいた。隣にいたアイシャが、人知れず涙をこらえていた。

「ならばメレア、お前はこれからどうする」

 そして話は本題に移る。現状を見越しての、これから。

「俺は各地に出現した英霊をすべて鎮圧してくる。エーテル、今使える〈空帝門〉はどれくらいある?」

 メレアはふと〈空帝〉エーテルの方を向いて訊たずねた。

〈魔王連合〉に加入してはじめてメレアの圧倒的な存在感を目の当たりにしたエーテルは、しどろもどろになりながらも答える。

「ろ、六ヶ所くらい、です。一応、それぞれの大陸に一つずつはあります。それと──」

 エーテルはごくりと息を吞んでから言う。

「〈リンドホルム霊山〉にも」

 メレアはエーテルの答えを聞いて目を伏せる。長いまつげがメレアの表情を艶つややかに彩った。

「なら、霊山への〈空帝門〉を使わせてくれ。そのあとは当てがある。〈空帝門〉がなくても各地へ移動するのは楽だろう」

 いったいどんな手段が、とその場にいる誰もが思ったが、今のメレアの確信めいた言い草に即座に疑問は飛ばせなかった。

「で、でも、ぼくの〈空帝門〉は不完全なものなので、通ったときに身体にダメージが残るかもしれません……」

 いや、たぶんこの男ならその程度のダメージなどものともしないだろう。そう思いながらもエーテルは可能性の一つをしっかりとメレアに伝えた。

「それは外傷か?」

「主に」

「なら大丈夫だ」

 そこで間髪容いれずに大丈夫だと言えてしまえる自信。とてもではないが同じ次元にいる人間のものとは思えない。

「おれは一往復したところで倒れたがな」

 ハーシムが横から自じ嘲ちようするような笑みを浮かべながら言った。

「お前が一往復できる程度なら、より問題ないだろう」

「そうに違いない。まったく笑える頑丈さだな、お前は」

 ハーシムがやれやれと肩をすくめた。

「それに、傷がつく原理はなんとなく予想がつく。門を出るときに空間式を多少いじれば傷自体つかないかもしれない」

「それは──そうかもしれません。〈空帝門〉は世界式の一部である空間の式に無理やり新たな式をねじ込むみたいな術式です。うまく世界式との調和が取れれば不具合も生じないかもしれませんが……」

 普通の人間にはそんなことできない。そもそもこの術式を継いでいる自分ができないのだから、それ以外の人間には到底不可能だろう。破格の効力を持つこの〈空帝門〉という術式は、当然門外不出で秘術とされてきた。

「あとで一度見せてくれ。あとはなんとなくで合わせる」

「は、はいっ」

 メレアの有無を言わせぬ声に、エーテルは裏返りそうな声で答えた。

 それからメレアはまた別の魔王に視線を移す。

「シャウ、サルマーン、リリウム。俺がいない間どう動くべきかをこれから協議する」

 メレアは三人を順に見て、そう言った。

「待って、あんたその言い草だと一人で各地の英霊を鎮圧するつもり?」

 最後にメレアの視線が移ったリリウムが抗議するように言う。

「そうだ」

「ちなみにあたしがなにか言って、あんたは止まる?」

 リリウムは答えを知っていた。それでも訊ねた。

「止まらないよ、リリウム。これが〈魔王連合〉にとって一番良い方法だと俺は信じてるから」

 やっぱり、とリリウムは内心で思った。こういう目をしているときのメレアは、容易には止まらない。そしてリリウム自身、メレアのやり方がたしかに〈魔王連合〉にとって有効な手段だということを頭のどこかで理解していた。

「俺以外はリンドホルム霊山までの〈空帝門〉を通れないだろう。通れたとしてもダメージが残る。そんな状態でサイサリスまで行くのは無理だ」

 サイサリス。メレアの口から出た言葉で、ほかの魔王たちは自分たちがどんな任を任されるのかを確信した。

「……あんたが霊山に登って、そこから各地の英霊を鎮圧している間、あたしたちはサイサリス教国へ向かって、対ムーゼッグ戦に備えるのね」

 リリウムがすべてを察したように言う。

「そうだ。今、サイサリスをムーゼッグに奪われるのは避けたい。レミューゼとしてもそうだろうし、なにより俺たち〈魔王連合〉としてもムーゼッグにサイサリスを支配されるのは望まない展開だ。──おそらくあの国には何人もの〈魔王〉がいる」

 ヴァージリアからレミューゼへ連れてこられた〈魅魔〉ジュリアナと、〈光魔〉ザラスが小さくうなずいた。たしかな情報こそなかったが、彼女たちも自分たちと同じ境遇の魔王が今でもサイサリス教国内にいるであろうことは予想していた。

「もしそこに魔王がいたとして、彼らがどういう選択を取るのかは彼らの自由だ。でも、俺たちが伸ばした手が彼らにとっての選択肢の一つになる可能性があるというのなら、俺は手を伸ばす」

 そう決めた。

 メレアはここにいるすべての魔王たちに、そして空に昇った英霊たちに誓った自分の決意を曲げない。可能性があるのならば、そこに全霊を投げ込もう。

「俺は〈魔王連合〉の長おさ、メレア・メアだ」

 のちに〈百魔の主あるじ〉と呼ばれる男は、この時からさらなる飛躍を遂げる。

〈サイサリス戦役〉と呼ばれ、この時代における最大規模となる戦いは、もう目の前に迫っていた。