かつて、〈白帝〉レイラス・リフ・レミューゼは未来を見ることができると言われていた。
一度、彼女にその真偽を問うてみたことがある。
「レイラス、お前には未来が見えているというのは本当か」
そんな問いを投げかけたとき、彼女は少し驚いたように目を丸くして、それからすぐにあの快活な笑顔を浮かべた。
「まさか、そんなわけがないだろう。未来とは定まったものだ。そんなものが見えたら、私はとっくに心を壊して生きるのを
レイラスは高山花の咲き誇るとある山の頂上で、適当な岩場に腰かけながら空を見上げて言う。
「だが、お前は今まで数々の人知を超越した先見の明を見せてきた。あれは未来でも見えていなければ到底説明しえない事柄だ」
「未来ではないんだ、クルティスタ。私に見えるのはあくまで『可能性』なんだよ」
「可能性?」
「そう、可能性だ。私の魔眼はこの世界のさまざまな事象の式を可視化させる。空間に散在する取り留めもない式、人の心を表す式、物に刻まれた誰かの思念式。この世のありとあらゆるものには式が存在するが、私はそういうものを見て、なんとなくこうなるだろうな、という答えを見出すことができる」
「それはつまり未来そのものではないか」
「違う。式というのは必ずしも固定的なものではない。特に世界式は、さまざまな別の式から影響を受けて、日々変動する。
自分には到底理解し得ない感覚。いったいこの人間の娘はどんな世界を見ているのだろうか。興味深いと同時になぜかおそろしくも感じられた。
「とするならば、〈時帝〉の時読みも同じ原理か?」
「そうだな。クラウスの魔眼もそのときそのときの周囲の世界式を読み取って次の事象を予測しているんだろう。ただ、クラウスはあまり先のことを読むことができない。その分短い未来のことを読むのは得意だが、まああれもあれで絶対的な未来ではないんだ」
「あくまで可能性だと」
「そう、読む先が至極近いところにあるものだから、なかなか外れることがない。だから絶対的な未来が見えるとも言われるが、決してそういうわけではないぞ。その証明に、フランダーはクラウスの未来を覆したことがある。あいつが読み切れないほど膨大な術式を、すさまじい速さで展開することでな」
「フランダーらしい力技だな。今でこそあいつは小器用に戦うが、昔はもっと力ずくで相手をねじ伏せていたものだ」
かつてフランダーとやり合ったときのことを思い出す。あのときのフランダーはまだ成人すらしていなかったが、その時点ですでに世の術士の頂点に立っていた。古今東西さまざまな種類の術式を披露し、〈
「魔眼というのはな、もともと〈世界式〉を見る能力なのだ。そして見る世界式──いや、見える世界式はそれぞれに違う。それは式に慣れ親しんだ者が最も近しく感じる事象に対して、第六感とでも言うべき視力をもたらすのだ。〈術神〉は人の生み出した術式を。〈時帝〉は自分の周囲の人間を含めた世界式の揺らめきを。〈天魔〉はより広い範囲の物質的世界式を。〈魅魔〉は視線を合わせた者の心の式を。厳密になにを見ているのかは当人もほとんど理解していないだろう。だが、彼らはそれぞれの式にこれでもかと親しみ、ある一線を越えたとき魔眼という形で第六感を形成する」
「だが、世界式を見るのみでは説明しきれない魔眼の力が数々あるぞ」
「世界式が見える段階からもう一歩進むと、その式に干渉できるようになるんだ。〈魅魔の魔眼〉なんかはそのうちの一つだろう。あれは視線を合わせた者の心の術式を見、それに干渉することができる。〈天魔の魔眼〉もそれに近いと私は考えていてな。あれは遠視のほかに透視をこなす眼だが、考えてもみれば天から見ただけでは透視まではこなせないはずだろう。おそらくあれは一定の範囲の世界式に干渉、同化して、空間内の世界式を完全に読み取っているんだ。だから建物の中の状況も見る──あるいは感じる──ことができる」
「小難しいな。私には理解しがたい」
「私も同じ気持ちだ」
「ではレイラス、お前はその眼でなにを見ているのだ? あるいは、その見たものに干渉することができるのか?」
「私は──」
そこでレイラスはぼうっと遠くを見て押し黙った。晴れ渡った空。遠くに見える別の山が春の気配にさざめいている。しばらくすればあの山は新緑に覆われ、美しい自然を人々に感じさせてくれるだろう。
「ただ、見ることだけに特化している。その分、人よりいろいろなものの世界式が見える。昔一度だけ世界式に干渉してみようと思ったことがあるが、そのとき私の指が二本折れた。世界式に触れようとしただけでだ。どうやら世界式はゆらゆらしているわりにほかの事象との連結が強固らしくてな。特に私の場合は触れられる世界式の範囲が大きいから、少しなにかを動かそうとしただけでその反作用のようなものが自分の身に降りかかってくるのだ。目の前の椅子を空間の式に干渉して手を使わず動かそうとしただけでそれだから、より大きな干渉をしようとすれば私の身体など瞬く間に壊れてしまうだろう」
「大きなものを動かすには相応の頑健さが必要なのか」
「いや、頑健さじゃないぞ、クルティスタ。これは身体の丈夫さ
「そうなるとさまざまなものの世界式が見えるというのもかえって不都合だな。一部の事象に慣れ親しんでいた方が適度な干渉で済むゆえ、被害も少ない」
「まあ、世界をどうにかしたくてこの眼を得たわけじゃないからな、別に構わん。そもそも私が見える範囲の世界式に干渉できるようになってしまえば、それはおそらく〈神〉に近くなる。私は人間でいたい。これ以上世のしがらみにがんじがらめにされるのは嫌だよ」
「そうか。……そうだな」
そこで会話をやめ、クルティスタは最後にレイラスの顔を見た。レイラスは相変わらずぼうっと遠くの山を見ていたが、一瞬、その眼にひどく悲しげな光が混じったのを見る。
「でも、希望と可能性は、
レイラスがつぶやいた言葉は、そのときのクルティスタには届いていなかった。