第五幕 【それぞれの頂へ】



「お前、僕の子孫か。でかいな」

 サルマーンは自分とよく似た砂色の髪を持つ少年に、なかば無理やりに連れ去られた。〈雷神〉と〈風神〉の二人を相手取って戦いをはじめたメレアの助太刀に入ろうとしていたときに。

 路地裏から現れたその少年は、とても幼い見た目に反して何事にも達観しているかのような目をしていた。そして彼のシャツの下に強い発光を見せる〈魔拳〉の術式紋様を見たとき、サルマーンはすべての状況を察した。

「お前、誰だ」

「セレン=アウナス・フォン・ルーサー」

 それは第八代〈拳帝〉の名前。自国を〈魔拳〉の力で壊滅させた当時のルーサー家当主の名前だった。

「お前は自分にどんな字あざなをつけたんだ?」

「……サルマーン」

「サルマーンか。歴代にはあまりないタイプの名前だな。本名は?」

 サルマーンは身体をなにかに拘束されて歩いている。なにが自分を拘束しているのかはわからないのだが、前へ歩く以外に身体がまったく動かなかった。まるで見えない巨大な手に握られているかのような感覚だ。

「ゼウス・フォン・ルーサー」

「サルマーン=ゼウス・フォン・ルーサーか。ハハ、大仰な名前だ。僕のも相当だがお前のも大概だな」

「俺をどこに連れていくつもりだ」

「少し離れたところに。ここは〈魔拳〉同士の戦いをするには狭すぎる」

 本当にこの男はセレンなのだろうか。話で聞いていたよりもずいぶん落ち着いているように見える。とてもではないがみずからの感情を〈魔拳〉とともに爆発させてルーサー王国を焦土にした男には見えない。

「気になるのか? 僕は間違いなくセレンだ。ルーサー王国を滅ぼしたあのセレンだよ」

 鼻につく雰囲気ではある。少年ながら尊大な態度を取るものだ、とも思うが、ただのわがままな子どものようには見えない。

「僕だって子どものままじゃない。こんな形なりでもお前よりずいぶん長いこと世界に生きているからな。……いや、生きているというのもおかしな話か」

 セレンはふと商業区と歓楽区の間にある広場を見つけて、そこに向かう先を変えた。サルマーンの身体も同じようにほぼ無理やりに歩く方向を変え、またなにかに誘導されるように進みはじめる。

「てかこれはなんだ。俺はいったいなにに拘束されてるんだ」

「なんだ、見えないのか。お前、〈魔拳〉と相性が良くないのか?」

 サルマーンはセレンの言っている意味がわからない。

 訝いぶかしげな視線を向けていると、セレンが鼻で笑って言った。

「見たところ相性はとてもいいように見えるんだけどな。──ああ、お前が一方的に〈魔拳〉の声を拒絶してるのか」

 セレンは手をポケットに突っ込みながら大口を開けて「カカ」と笑った。

「僕は〈魔拳〉の力を使ってお前を大きな手で拘束している。僕の思念をくみ取った〈魔拳〉が、僕の望む事象を表現してくれているんだ。不可視化するように小細工はしているけど、お前が本物の〈魔拳〉の使い手なら見えるはず。この手は〈魔拳〉の術素を使って作られているから。お前が〈魔拳〉と十分に親和しているのなら、その眼を通して見えるはずだ」

 広場につくとふっとサルマーンを拘束していた力が消えた。サルマーンは結局最後までセレンの言う巨大な手を見ることができなかった。

「これは思った以上に良くない事態になっているな。そうか、僕のせいでのちの時代の〈拳帝〉は〈魔拳〉の力を恐れるようになったのか。それでは〈魔拳〉も報われないだろう」

「こんなもの、ねえほうがいいだろう」

 サルマーンはセレンの言葉に少しむっとして答えた。

 セレンはそんなサルマーンの声を聞いてあざ笑うかのように鼻を鳴らす。

「それはお前が平和な時代に生きているから言える言葉だ」

 平和なものか。

 この世界は〈魔王〉に厳しい。

 そもそも誰のせいで魔王なんて呼ばれるようになったと思ってる。

 不意にサルマーンは目の前の少年を思い切り殴りたくなった。

「せっかくお前は〈魔拳〉に好かれているのに。下手したら僕以上だ」

「こいつは人間を好いたりしねえ」

 サルマーンは顔をしかめて言う。

 セレンはまたおかしそうに笑った。

「違う、〈魔拳〉は人間が好きだ。自分が取り憑ついた人間はなおさら好きだ。だから魔拳は憑ひよう依いしている人間に進んで力を貸そうとする。所持者の願いに応こたえようとする」

 ただ、とセレンが続けた。

「その気持ちが強烈すぎて、ときどき魔拳はやりすぎるんだ。汲くまなくていい人間の思いも汲み取ろうとする。そして再現しようとする。〈魔拳〉は悪魔や怪物なんかではなくて、所持者である親をどうにかして喜ばせようと四苦八苦する幼い子どものようなものだ。子どもだから、親に無視されれば泣くだろうし、ふてくされたりもするだろう」

 それで一国を滅ぼされても困る。サルマーンは内心で苦々しい記憶を辿たどった。

「だから、所持者である僕たちは、彼に道を示してやらないとならない。力の使い方を、僕たちが教えてやるんだ」

「いったいどうやって」

 どうやってこんなじゃじゃ馬にまともな力の使い方を教えろというのだ。

「対話しろ。そして感情で誘導しろ。お前はどうやら自分の感情を抑えることで〈魔拳〉の力を制御しているようだが、それはただ抑えつけているだけだ。自分自身の感情を的確に発散させて、その感情でもって魔拳の力を誘導しろ」

 そんなもの、一歩間違えればかつての惨劇と同じことが起きるではないか。

「不安だろう。でも、それをしなければならない。魔拳はそういう力だ。戦乱の時代が繰り返されるこの世の中で、ルーサー家が生き残るにはそういう手段を取るしかなかった。だからこその当主なんだ。一族の長おさである当主は、そのぎりぎりの挑戦を常に成功させなければならない。長の責任を忘れるな。そして嘆くな。お前はルーサー家の王子として生を受けた」

 好きでそこに生まれたんじゃない。サルマーンはついそんな言葉を胸に浮かべてしまう。

「逃げるなよ、サルマーン。逃げるくらいなら自分の望む環境を自分の力で手に入れてみせろ。不運な生まれや理不尽な世界に恨みを吐くことなら誰にだってできる。必要なのは意志だ。たとえ不運な星のもとに生まれついたとしても、なおも自分の望むものを手に入れようとする強い意志。お前はなにを望む。お前はなにを成し遂げたい?」

 サルマーンはみずからに問うた。

 ──俺には、俺自身に関わるたいそうな望みなんてものはない。

 金もいらない。知識だって多くは望まない。誰もが一度は願うような、永遠の命だって欲しくはない。自分は基本的に冷めている。もしかしたら、〈魔王連合〉の中で一番周りに流されているのは自分かもしれない。

 ──でも。

 ふと、サルマーンの脳裏にリィナとミィナの姿がよぎった。

 ──あいつらのような子どもが、二度と現れない世の中であって欲しい。

 そして、あの歳であれほどの悲劇を経てきた二人が、せめてこれからの人生は笑って暮らせるようであって欲しい。

「俺は、俺自身に望むことはあまりない」

「ふむ」

「だが、今の世の中には見てらんねえものがある。そんで、我ながらどうかしてると思うんだが、なぜだかそういうものをどうにかしてやりてえって思うことがある。俺はたぶん、生まれついての貧乏くじ体質なんだろう」

 よくみなにからかわれる。

 でも、それが実は嫌いではない。

 自分に根差す強い欲望がないから、そうして周りと関わっているときに、自分を実感することがある。

「──そうか」

 セレンはわずかの間を置いて、短く答えた。

「なら、その本能を貫き通してみせろ」

 ふと、セレンが構えを見せた。中段に構えた右の拳。冗談かと思うほどの紫色の光子がその拳に収束する。それでもなお抑えきれない魔拳の力が、ゆらゆらと燃えあがる炎のように天に昇った。

「おいおい、──冗談だろ」

「これから僕はお前の大事なものを壊す。だから、死ぬ気で守ってみせろ」

 不意にセレンの視線がサルマーンから外れた。サルマーンの心臓がどくりと跳ねる。とっさにセレンの視線の行先を追うと──

「サル!」「サルー!」

 涙を流しながら自分のもとへ駆けてくる双子の姿があった。

 ──ッ。

「来るなッ!!」

 サルマーンが叫んだ直後、セレンの魔拳が轟ごう音おんとともに振り抜かれた。紫色の光子が、巨大な炎の塊のようになって、双子目がけて走る。


◆◆◆


「わっ」「きゃっ!」

 セレンの拳から放たれた炎弾は、双子の頭のすれすれを通って向こうの建物に直撃した。たったの一撃で三棟の建物が木こつ端ぱ微み塵じんに吹き飛び、なおも炎弾は勢いを弱めず空に昇っていく。馬鹿げた威力だった。

「久々に解放すると調整が難しいな」

 セレンがしくじったとばかりに首をかしげる。

「なんで来た!」

 その間にサルマーンは双子のもとへ走り寄り、二人の首根っこをつかんで持ち上げた。

「怖かったんだもん!」「怖かったの!」

 なにが。そう訊たずねようとして、しかしその言葉は双子に遮られた。

「パパとママがいたの!」「でもすぐにいなくなっちゃった」

 その言葉を聞いた瞬間サルマーンの表情が固まる。二人の親がどういう存在だったのかは知っていた。

〈水王〉と〈氷王〉。

 この双子はその二人の間に生まれた子どもだ。

「いなく、なった?」

「一回だけわたしたちのことを抱きしめて、消えちゃった」「パパとママ、泣いてた」

 サルマーンの身体の中をひやりとしたものが通過する。

「なんで消えちゃったんだろう」「せっかくまた会えたのに」

 双子は不思議そうに首をかしげている。

「おそらく自死したんだろう。お互いがお互いを殺す形で」

 後ろからセレンの声が聞こえた。

「そんなことができるのか」

「できる。どうやら僕たちを再び現世に召喚した術士は一度に多くの魂を降ろしたことで、その束縛を完全なものにできていないんだ。あと、呼んだ魂によって束縛の力の強弱も違う。僕は自分を殺すことができないが、もしかしたらその英雄たちはもっと束縛が緩かったのかもしれない。お互いを攻撃することくらいはできたんだろう」

 そんな言葉を聞いた瞬間、サルマーンの腹の底に今度はぐつぐつと熱いものが込み上げた。

「くそったれだな」

 双子がそのことに気づいていないのがなによりも幸いだ。おそらく双子の両親も、それを気遣って極力二人にはわからないように自死したのだろう。

 二度も親の死を体験させないために。

「本当に、くそったれだ」

 そんなものを仕組んだ〈死神〉に対する怒りがサルマーンの中に渦巻く。

 それは自分では抑えきれないほどの怒りだった。

「おい、八代目」

 サルマーンが双子の頭を優しく撫なでて、それからセレンの方に向き直った。

「今、俺に望みが出来た」

「ほう」

「俺は、このくそみたいな茶番を仕組んだ〈死神〉をぶっ殺す。絶対に、ぶっ殺す」

「悪くない。怒りは人間の感情の中でもっとも苛か烈れつなものだ。〈魔拳〉も怒りには感応しやすい」

 なら、とセレンは続けた。

「僕が最後の一押しをくれてやろう」

 少年が無む垢くな微笑みを見せる。

「やり遂げろよ、十三代目。僕は歴代の中でもっとも〈魔拳〉の力を引き出した男だ。お前には今、僕をここで殺すしか望みを叶かなえる術すべはない」

 セレンが再び拳を構える。狙いはさきほどと同じだ。

「やらせねえ。俺はもう我慢することをやめる」

 そのときサルマーンの両拳に、セレンをも上回るほどの光子が宿った。

 サルマーンの頭の中に、声が響いていた。

 それが〈魔拳〉の声であることを、もうサルマーンは否定しなかった。

「打ち砕け、〈魔拳ゼステイス〉!!」


◆◆◆


「まあ、悪くはないな」

「そうかよ」

「まだ遠慮がある。お前と魔拳ならこの国ごと吹き飛ばすなんてわけなかったはずだ」

「そうしたら俺たちの家が無くなる。それはダメだ。俺たちには帰る場所が必要なんだ」

「そうか」

 サルマーンの一撃は人智を超越した一撃だった。

 セレンの拳から放たれた光子の塊を片手で軽々と弾いたあと、サルマーンは一気に近接して全身全霊を込めた右の魔拳を振り抜く。その拳を同じく自分の魔拳で迎撃しようとしたセレンだったが、拳と拳が真正面から直撃したとき、セレンの腕は半身ともども粉々に砕け散った。衝突の瞬間に発生した爆音があたり一帯を震わせ、サルマーンの拳は文字通り空間にヒビを入れる。

「拳の一撃で空間に亀裂を入れたのはお前がはじめてだろうな」

 世界が揺らいだ。そのヒビ割れはあたりに走り、触れた物質を同じく粉々に砕いた。

「──お前、死ぬのか」

「死ぬとは少し違う。僕はもともと死んでいる身だ」

「でも、ここからいなくなるんだろう」

「そうだな。僕を縛っていた術式は今の一撃で粉々に吹き飛ばされた」

 半身のなくなった状態でセレンが笑った。

「なにか言い残すことはあるか」

「ない。それにすでに死んでいる僕は言葉を残すべきじゃない」

 サルマーンの頭の中には例の惨劇のことが浮かんでいた。サルマーンには、とてもではないがこの男がルーサーの悲劇を望んで起こしたようには思えなかった。駄々をこねて国家を半壊させた〈魔王〉。

 ──本当に、そうなのだろうか。

「お前の言いたいことはだいたいわかっているつもりだ。だが、僕はそれについてはなにも言わない。後世の判断がすべてだ」

「……わかった。なら八代目の意志を尊重しよう」

 サルマーンはわずかに悲しげな表情を見せてうなずいた。

「でも」

 が、ふと残る半身もきらきらとした粒子になって消えはじめたセレンが、逆接の言葉を繫つなぐ。

「僕は、ルーサーが好きだった。この言葉に偽りはない」

 そしてセレンの身体は完全に光になって消えた。

「……ああ、そうだろうな」

 サルマーンは空に昇っていく光の粒たちに、優しく、言葉を投げかけた。


◆◆◆


「ずいぶん良くなってきたけど、やっぱり術素は解放できないようね」

 イース・エルイーザが言った。

「いきなり術士になれと言われてもできるわけがないだろう」

「まあ、もっともね」

 エルマは身体のいたるところに切り傷を作りながら、それでもまだなんとか立っていた。呼吸は荒く、こめかみから流れる血が頰を伝って顎あごからぽたりと垂れている。

「でも、そうでもしないとあなたは私を倒せないわよ」

「そうと決まったわけじゃない」

「悪あがきの好きな子ね。嫌いじゃないけど、それだけじゃ世界は変えられない」

 イースは再び魔剣クリシューラを構える。

「今からあなたの魔剣を折るわ。部分開放できていないクリシューラでは、事象割断を発動させたクリシューラをこれ以上止められないでしょう。その剣はほかのどんな剣よりも丈夫だけど、限界はあるわ」

 たしかにエルマの魔剣にはずいぶんと傷がつきはじめていた。イースの魔剣は傷一つない。それが部分開放されたクリシューラとの差なのだろう。言うなれば存在の格の差だ。

「自分の力でどうにかすることね。そろそろ私もこの死霊術式ネクロ・フアンタズムの束縛に耐えるのがつらくなってきたから、あなたの魔剣が折れたらそのままあなたを殺してしまうと思う。悲しいけど、恨まないでね」

 もちろん、恨むまい。

 ──恨むなら、私の力の無さを恨もう。

 それが〈剣帝〉としての最後の意地だ。

「行くわよ」

「ああ」

 エルマは魔剣を上段に構えた。

〈無む想そう天てん水すい〉の構え。

 ヴァージリアで見たメレアの〈剣魔の一いつ閃せん〉を思い出し、目をつむりながら何度も頭の中で反はん芻すうさせる。

 足音がした。

 イースが地を蹴けった。

 目を開く。

「〈帝型三式・踏ふみ切きり紫し電でん〉」

「〈帝型一式・無想天水〉」