第三幕 【際会は満月の夜に】



 夢を見ていた。

 わずかに雪の積もるどこかの山頂。

 見たこともない青く透明な蛇が、首を高くあげて座っている。

『こんにちは』

 蛇が口を開け、言葉を紡いだ。

『やっと顔が見れた。ずっとどんな顔なのか想像していたけど、わたしの想像よりずっと格好いいのね』

 メレアは蛇の言葉に首をかしげて応こたえる。なぜか、声が出ない。

『声も聞きたかったけど、さすがにそこまではできないか、残念。でも、顔を見れただけでも感謝しないとね』

 蛇がゆっくりとメレアに近づいてくる。

『みんな、あなたのこと心配してたわ。あなたはとても強いけど、ときどきおっちょこちょいで、それでいてとても優しいから。今の世の中を生き抜いていくのに、その優しさが足かせになるんじゃないかって、思ってた人もいるみたい』

 みんなとは誰のことだろうか。思い当たる節を探そうとするが、どうにも頭がぼうっとしてうまく働かない。

『さて、あんまり時間もないから、伝えたいことを伝えていくね』

 蛇はメレアの足元にたどり着くと、メレアの顔を見上げた。

 メレアは蛇を両手で優しくすくい上げて、顔の前に持ってくる。

『あなたのことが、好きでした。一度も会ったことはないけれど、わたしに生きる希望を与えてくれたあなたのことが、ずっと好きでした。だから、これからも誰かにとっての希望になってあげてください。あなたならそれができる。ここにいるみんなと、わたしが保証します。これからあなたにとても辛いことがあると思うけど、負けないで。わたしたちは空からあなたのことを応援しています』

 手の上の瑠る璃り色いろの蛇が急に薄くなった。

 存在が、消えていく。

『今まで、本当にありがとう。もし生まれ変われるのなら、どうかあなたの隣にいられますように』

 そこで、夢は途切れた。


◆◆◆


「──行くなッ!!」

 メレアは泣きそうな自分の声と同時に目を覚ました。そこにはもうどこかの山の景色はない。あるのは自分が寝ていたベッドと、窓の外から差しこむ月光だけ。そしてメレアは、自分が目から涙を流していることに気づいた。金色の涙でもなんでもない、透明な涙。

「俺は──」

 記憶が錯さく綜そうしている。ヴァージリアからの帰り道、眼前に広がった膨大な量の術式に頭を締めつけられて、そこで──

「倒れたのか……」

 たぶん、そうだろう。そして自分は仲間たちに運ばれた。

「大星樹……」

 窓から見える景色に目を凝らすと、レミューゼの象徴である大星樹が見えた。青と緑と、綺き麗れいな黄金の光の粒をゆらゆらと放出する大星樹。メレアは自分の部屋から見える夜の大星樹が好きだった。

「メレア?」

 すると、部屋の扉が不意に音を立てて開いて、外からエルマが顔を出した。

「──エルマ」

「起きたのか。良かった」

 エルマは言葉数少なく、しかし本当に安心したような顔で大きく息をついた。

「ほかのみんなは?」

「近くにいる。でも、ほとんど寝てしまっている。昨日からみな寝ずにお前が起きるのを待っていたからな。なにかあってからいざ動けないでは困るから、寝られるうちに寝ておけと言ったんだが」

 エルマが苦笑を浮かべながら部屋の中へ入ってきて言った。静かに部屋の扉を閉め、メレアが寝ているベッドの傍へ歩み寄ってくる。

「特にマリーザなんかひどいものだ。お前が目覚めるまでずっと傍で看病してるんじゃないかと思うような状態だったんだぞ。鬼気迫るとはあのことだな。結局お前の隣で椅子に座ったまま気絶したから、隣の部屋に寝かせた」

 エルマがベッドに腰掛け、視線はメレアに向けないままで言う。

「そうか……、心配かけたみたいだね」

「まったくだ。新しい魔王も来て、すぐにでもお前に見てもらおうと思っていたのに、お前はおよそ二日の間寝たまま。まあ、寝ていたくて寝ていたわけではないんだろうが」

 新しい魔王。その言葉にメレアは眉をあげた。

「何人か来ている。私たちがヴァージリアにいる間に〈ザイナス戦役〉でのお前の活躍を耳にした魔王たちが、星樹城の門を叩きに来たらしい」

「やっぱりほかにも身を隠している魔王はいたんだね」

 メレアは汗で額に張り付いた前髪を手でどかしながら言った。顔には少し嬉うれしそうな笑みがある。

「じっとしてろ」

 するとようやくエルマがメレアの顔を正面から見て、続けてメレアの髪を自分の手で整えはじめた。

「私は戦場育ちだからあんまり身だしなみに気を遣うのは得意ではないが、お前はそんな私よりもひどいからな。それに、私もリリウムやマリーザ、アイズあたりに言われて少しは気を遣うようになったし、髪の整え方もならったから、大丈夫だ」

 エルマは手のかかる弟の髪を梳とかすように、ゆっくりと、丁寧にメレアの髪をほぐしていく。

「身体に異常はないか?」

 エルマの顔を近くに感じながら、メレアは自分の身体に意識を傾けた。

「うん、今のところは」

 特段に痛みもなければ、違和感もない。一番気掛かりだった眼の方も、今は普通だ。

「そうか。ならもう少し寝ていろ。みんな体力の限界が来て寝はじめたばかりだ。今お前が起きたのでは、たいした休みも取れずにまた起き出してしまう」

「そっか。──うん、ならそうしよう」

「お前が大人しくもう一度寝るまで、私が傍にいる」

 エルマが何食わぬ顔で言った。しかしその頰は、少しだけ朱に染まっていた。

 メレアはそのことに気づいていたが、なにも言わなかった。

 自分が寝るまで隣に彼女がいてくれることが、ありがたく感じられる。

 誰かに見守られながら寝るのはいつぶりだろうか。

 メレアは幼子が母の腕の中で寝入るときのような安心感を得ながら、再び目を閉じた。

 次に見る夢が、悲しい夢ではないことを、心のどこかで祈っていた。


◆◆◆


「ハーシム様、メレア様が目を覚まされたようです」

「そうか。まあ、もう少しの間寝かせてやれ」

 ハーシム・クード・レミューゼは〈白王城〉の自室でアイシャからの報告を受けていた。

「あいつの眼はどうなっただろうな」

「わかりません。ただ、なにかしらの変化はあったでしょう」

 アイシャは表情を曇らせながら言った。

「そう気を落とすな。その変化はメレアにとっては良いものになるだろう」

「ですが、〈白帝の碑文〉のとおりであるなら、あなたにとっては──」

 アイシャがそこまで言ったところで、ハーシムは片手をあげてアイシャを制した。

「まだ〈碑文〉のとおりになるとは決まっていない。お前らしくもなく判断が性急だぞ」

「……かの〈白帝レイラス・リフ・レミユーゼ〉はなにを見て、どうしてあんなものを遺のこしたのでしょう」

 珍しくアイシャは怒った様子で言った。ハーシムはそうやって感情を表に出すアイシャのことが嫌いではない。だから、あえて諭すこともなく、苦笑して優しく言った。

「警告と願いのためだろう。レイラスも悩んだはずだ。だからわかりづらいところに分割して記されている。本のようなわかりやすい形に残さなかったのが、レイラスの葛かつ藤とうを如実に表しているんだよ」

「……メレア様は〈白帝の魔眼〉を覚かく醒せいさせたのでしょうか」

「そればかりはおれにもわからんさ。メレアの眼の変化はレイラスの因子によるものだと決まったわけではない。……だが、おそらくそうだろうという予想もある。メレア自身、レイラスから継いだものがどんなものだかわかっていないだろう」

「確かめねばなりませんね」

「ああ。いずれにせよ明日あしたになればわかる。ちょうど明日は満月だ。夜中、メレアを白王城の蔵書室に連れていく。そこで〈パラディオンの狂書〉をあいつが自力で見つけたら、レイラスの魔眼を継いでいると見て間違いないだろう」

 ハーシムはふと真面目な表情を浮かべて窓辺に歩み寄った。薄く月明かりを通すカーテンを手でどかして、大星樹の向こう側に見える〈星樹城〉を眺める。

「おれたちにはあれになにが書いてあるのかがわからない。特定の眼と『感覚』を持つ者しか内容を読み取ることができないらしいからな」

「一説には、この世の真理が書かれているとか」

「真理、か」

 そこでハーシムはにやりとした笑みを浮かべてアイシャの方を振り返った。

「お前には珍しくロマンに満ち溢あふれたことを言ったな」

「一般論を述べただけです。私はさして信じていません」

「本当か? だがお前は術式を扱うじゃないか。術士は術式を学ぶ前にこの世界の絶対的な原則を教えられるだろう?」

 この世界の事象はすべて式で表現される。

 それは術士たちが最初に学ぶこの世界の一般原則である。

「だからといって〈パラディオンの狂書〉に世界の真理が書かれていることには直接繫つながりません」

「まあ、それもそうだな。──ともあれ、おれには異様に細かく書き込まれた落書きにしか見えんが、レイラス・リフ・レミューゼはあの本の内容の一部を読み取ったと言われているし、フランダー・クロウ・ムーゼッグもまた別のページの内容をわずかではあるが解読したと言われている。どちらも狂書に対してほとんど言葉を残さなかったが、その二人の因子を継いでいるメレアは果たしてどれほどの量を解読するかな」

 ハーシムはどこか楽しげな、一方でどこかさびしげな顔でまた窓の外を見た。

「〈白帝〉と〈術神〉が〈異界草〉なんていうあるかどうかもわからない植物を血眼になって探し、そして実際にこの世にとある魂を呼び寄せた。──〈異界の魂〉がおれたちにとっての希望となり得ることを祈ろう」

 ハーシムは大星樹から舞い上がる光の粒たちを見ながら、言った。


◆◆◆


 次の日。

 メレアが目覚めたとき、そこにエルマの姿はなかった。

 その代わり、執務机の上に一通の置手紙がある。

 メレアはベッドから抜け出て手紙を手に取ると、書かれている文章を読んだ。

「正午の鐘がなったら玉座の間に集合、ね」

 この字はリリウムのものだ。適度に簡略化された字体だが、曲線がなめらかで、とても読みやすい。

「よし」

 肩を回し、ふとももの筋肉を伸ばして身体の状態を確かめる。

 ──悪くない。

 長く寝ただけあって身体は軽いくらいだ。

 手紙を懐にしまったメレアは、それから部屋の隅にある姿見に歩み寄り、自分の顔を観察した。

「……少し、変わったかな」

 自分が金色の涙を流して倒れたことはなんとなく覚えている。

 ゆえに、意を決して〈術神の魔眼〉を発動させ、そこになにか変化が表れていないかを確かめた。

 赤い瞳ひとみは変わらないが、そこに浮かび上がった術式紋様に明らかな違いがある。

 ──紋様が金色に。

 加えて術式自体にもわずかな変化が見て取れる。だからといって魔眼の力に変化があったかまではわからないが、現状ではそれを確かめる方法もなかった。

「昼までは自由行動かな」

 ヴァージリアから帰ってきた面々にも、休息が必要だろう。メレアとしてはすぐにでも新しく加入してきた魔王たちと顔を合わせたいという思いがあったが、わざわざリリウムがこんな手紙を置いていったことにも考えが及んで、メレアは大人しく昼までの時間を一人で過ごすことにした。


 自室の窓から飛び降りて、大星樹の巨大な枝に着地したメレアは、自分しか通らないであろうルートでレミューゼの街中に出た。

 街は変わらず盛況だが、ヴァージリアに行く前と比べるといくぶん人が増えたようにも感じる。

 特に、子どもの数が多い。

 出店も少し種類が増えて、鼻び腔こうをくすぐる甘い匂いがそこかしこからした。

 ──それと、交易商が増えたかな。

 背中に大きな鞄かばんを背負った旅人風の男たちが、隊商キヤラバンを組んで通りを行くのを何度か見た。

 向かう先はおそらくシャーウッド商会だろう。

 通りにそびえる煉れん瓦がの壁に知らない商会の取引募集広告も貼ってあった。ムーゼッグの脅威から一時的に解放されたレミューゼに、続々と経済の流れがなだれ込んできている。

「もし。そこの白い髪のあなた」

「ん?」

 街を歩いていると、不意にメレアは後ろから誰かに呼び止められた。

「あなた、とてもいい顔をしているのね」

 唐突に褒められてメレアは思わずたじたじとした。

 声をかけてきたのは女だ。

 人通りが多くて、その姿は人の隙間でとぎれとぎれに映る。けれど、その女が真っ白なヴェールを頭からかぶった超俗的な格好の女であることはわかった。

「あの人によく似てる」

「いったいなんのこと?」

 メレアは人垣を縫ってその女に近づこうとした。

 だが、一歩進めば女は一歩退き、二歩進めばやはり女は二歩下がった。

 それと、不思議なことに、そんな超俗的な格好をしているにもかかわらず、周囲の人間は誰も彼女に目をくれていなかった。

「これ以上は近づけないの。でも、一目見ておきたかったから」

 メレアは目を凝らした。

 白いヴェールの奥から、わずかに同じ色の髪が垂れているのが見えた。

「それじゃあ、また。次に会ったときは、あまり話ができないかもしれないから、今のうちに言っておくわ。──私はあなたを愛している、メレア」

「っ、待──」

 メレアが大きく一歩を踏み込んだとき、すでに女の姿は消えていた。

 心臓が強い鼓動を打っている。

「……」

 メレアは得も言われぬもやもやを胸の内に感じながら、いくばくかの間そこに呆ぼう然ぜんと立ち尽くした。


◆◆◆


 正午。メレアは星樹城へと戻り、足早に玉座の間に向かった。

 通路の奥からはがやがやとした仲間たちの声が聞こえる。

 玉座の間の扉を開けると、向こう側にいた仲間たちの視線が一斉に集まった。

「三十五秒の遅刻です、我が主あるじ?」

 最初に声を掛けてきたのは金色の懐中時計を片手に妖あやしい笑みを浮かべる〈錬金王〉シャウ・ジュール・シャーウッドだった。

「時は金なりと言いますよ?」

「悪かったよ、シャウ。道中でいろいろあってね」

「金にまつわる話なら聞きましょう」

「残念ながら、期待には応こたえられそうにないな」

 メレアは苦笑しながらゆっくりと仲間たちの間を歩いていく。

「お身体の具合はどうですか、メレア様」

 次に声を掛けてきたのはマリーザだ。ぴしりと整った姿勢で、まっすぐにメレアを見つめる彼女は、まだどこか顔に心配そうな色を残していた。

「大丈夫だよ、マリーザ。心配をかけたね。あと、ありがとう。付きっきりで看病してくれてたらしいね」

「あなたのためならどこまでも、いつまでも。わたくしはあなたのメイドなのですから」

 マリーザの隣を通るときに、メレアは彼女の肩を優しく叩たたいた。

「よお、調子はどうだ」

 今度は砕けた口調の男の声。声の方を見ると両肩にミィナとリィナを乗せた〈拳帝〉サルマーンの姿があった。

「調子はどうだー」「どうだー!」

「おかげさまで良くなったよ、二人とも」

 メレアは微笑を浮かべて双子に手を伸ばす。ミィナとリィナはまるで「撫なでろ」とでも言わんばかりにメレアの方に頭を差し出して笑った。メレアはまた苦笑しながら二人の頭を撫でてやる。

「メレア、くん、だいじょう、ぶ?」

 玉座へ続く階段が近づいたところで、集団の先頭の方にいた少女が控えめに声をあげた。

「ああ、もう大丈夫だよ、アイズ。アイズも疲れは溜たまってない?」

「うん、わたしは、大丈夫」

「そっか。なら良かった」

〈天てん魔ま〉アイズ。

 そしてその隣にはすらりと背の高い桃色の髪の女がいる。

「中でなら、鎧よろい、脱げるようになったよ」

「ホント? シラディスはその方がかわいいよ。鎧姿も精せい悍かんでいいけどね」

〈獣じゆう神しん〉シラディスである。ヴァージリアに出る前は星樹城の中でもときどき鎧を着ていた彼女だが、今はそのすべてを脱いで、少し恥ずかしそうに姿をさらしていた。

「あんた、少しはヴァージリアに行って世間の一般常識にくわしくなってきたんでしょうね?」

 先頭にいるメンバーは残り二人。そのうちの一人、〈炎帝〉リリウムが肩に炎の鳥を乗せながら腕を組んで言った。

「いやぁ、正直あんまりかもしれない」

「じゃあ、あとで復習ね。ヴァージリアからレミューゼまでの道は実際に通ってきたんだから、そのあたりにまつわる歴史の話からはじめるわよ」

「すでに頭が痛いよ、リリウム」

 メレアは困ったように頭を搔かいてリリウムの前を通り過ぎる。

 最後、そこにはいつかの霊山ではじめてあったときと同じ格好をした黒髪の美女がいた。

「き、昨日はよく眠れたか」

「──うん、おかげさまでね」

〈剣けん帝てい〉エルマ。彼女は顔を真っ赤にして伏し目がちになりながらメレアに声をかけた。

「そ、その、なんだ、昨日の夜は私も疲れていてだな、言わなくていいような台詞せりふをまた言ってしまった気がするんだが、あ、あんまり気にするな。そうだ、気にするな。その方がいい」

 まるで自分に言い聞かせているようでもある。そう言いながら、視線をきょろきょろと泳がせるエルマにメレアは微笑を投げかけて、それから彼女の黒髪を優しく撫でた。

「またお願いするかも」

「……えっ!? ま、また!? お、おまっ、あれに、私がどれだけ勇気を──じゃない、あ、いや、なんでもない!」

 メレアは優しげな笑みをもう一度エルマに見せたあと、その横を通り抜ける。

 玉座に続く階段を一歩ずつ登り、ついに、頂上で仲間たちの方を振り返った。

 ──少しずつ、集まってきている。

 最初、自分を含めて二十二人の魔王がいた。それが今は、優に三十を超えている。玉座の間の壁際にずらりと並ぶのはおそらく〈魔王〉ではないが、自分の信念に賛同してくれている者たちだ。ここへ来るまでに魔王を助けてきた物好きや、肉親であるがゆえに、魔王を助けようとした者たち。ヴァージリアで出会った〈光こう魔ま〉の弟、アルター・ミナイラスも壁際でもじもじと居づらそうにしていた。

「〈医王〉、〈盗王〉、〈樹神〉、〈空帝〉、〈幻王〉、〈刀王〉、〈血神〉、〈時魔〉、計八人。あんたがヴァージリアに行っている間に星樹城を訪れてきた魔王たちよ」

「本当に、ずいぶん増えたな」

「それに加えて、あんたが連れてきた〈魅魔〉と〈光魔〉を加えて合計十人。そうね、たしかに増えたわ」

 リリウムが名を読み上げると、それぞれ新たに〈魔王連合〉に加わった魔王たちが前へ出てくる。

 性別、年齢、着ている服装もさまざまだが、メレアは彼らの眼の中にまっすぐな光を見た。

「はじめまして」

 メレアは最初、柔和な表情で言った。

「俺が〈魔王連合メア・ネサイア〉の長おさ、メレア・メアだ」

 起きているメレアをはじめて見た新加入の魔王たちは、それぞれ違う表情で、メレアを見上げていた。


◆◆◆


 ──一分持てばいい方か。

 実際に相対してわかることがある。

 その場にいた新顔の魔王の一人──〈盗王〉クライルート・ファーレンはメレアを見上げながら思った。

 ──単純な戦闘力じゃ、敵いそうにないな。

 おそらく自分は、命を賭としてあの男に戦いを挑んでも、およそ一分も持たずに倒されるだろう。

 幼い頃から生き残るために裏の世界を行き、力がついてからはより強く生きるために賊団を率い、数々の修羅場を潜り抜けてきたクライルートは、生死が懸かった状況に陥ったときの自分の勘を強く信奉している。

 その勘が、玉座の前でなにげなく立っている男の、底の知れない強さを知らせていた。

「一つ、あんたに訊きいていいかな」

 クライルートはリリウムとはまた少し色味の違う赤い髪を揺らして言った。

 ほかの魔王たちの視線がいったんクライルートに集まる。

「あんたの望みは、なに。こうして魔王を率いて、なにを為なそうとしているの」

 その問いが玉座の間に響くと、また魔王たちはメレアを見る。

「俺は、ムーゼッグの創った〈魔王〉にまつわる悪い流れを、断ち切りたい」

「それを為すにはムーゼッグを倒す以外にもやらなければならないことがたくさんある。そもそもそんなことが可能なのかどうかもわからない。少なくとも僕はそう思うし、正直に言えば──不可能なんじゃないかと思うところもある。あんたはそれができると思ってるの?」

 クライルートの問いに、メレアは即答しなかった。

 少しの間をおいて、ようやく口にした答えは、

「わからない」

 そんな、なんでもない答えだった。

 しかしクライルートにとってその答えは──

「──ハハ、そっか」

 嫌いな答えではなかった。

「今、あんたがなにも考えずに即断で『できる』と答えたら、僕はここを去ろうと思っていた。あのサイサリスのように、口先ばかりの甘言で魔王を囲おうとするような男なら、適当に悪戯いたずらでもして帰ろうと。でも、違ったみたいだ」

 クライルートはなにかに納得したようにうなずく。

「なら、あんたは達成できるかもわからない目標を、それでもなんとかして達成させようと、足あ搔がいて、もがきながら生きていくと、そう言うんだ」

「俺は不器用だ。頭もさして良くない。でも、今までこの世界を生きてきて、これだけは譲れないと抱いた矜きよう持じがある。だから、俺はその矜持のもとに足搔き続けると決めた」

「……ああ、わかったよ」

 クライルートは初めて等身大のメレアを見た気がした。噂はかねがね聞いている。〈魔神〉、〈白神〉、〈ヴァージリアの動く芸術〉。この雪白色の髪の男にまつわる噂は、どれもがどれも信じがたいものだった。だから、普通の人間とは違うのではないか、力なく虐げられる魔王たちの気持ちなどわからぬ、偶像化された救世主なのではないか。そう思っていた節があった。

「君は、むしろ噂よりずっと人間らしい」

 クライルートは小さく笑って言う。

「なら、僕もその矜持に寄り添わせてもらってもいいかな。正直僕は褒められたような人生を送ってきていない。けれど、だからといって社会に対して絶望しきっているわけでもない。これでも人並みに社会的な価値を追い求めようとする意志だってある。もちろん僕の今までの人生を忘れるわけではないけれど、ここいらで少し、まともに生きてみようとも思っているんだ」

「構わない。そのためにこの集団はある。魔王であっても魔王でなくても、同じ信念を持つ者たちが集まって、まずはここに居場所を見出すことができるのなら、それもまた俺の望みの一つが叶かなったことになる」

 メレアの言葉に、クライルート以外の魔王たちも感じ入るように目を閉じた。

「去りたくなったら去ってくれていい。ここより良い居場所を見つけたときも同じくだ。でも、それまでは、ここに望んでいるかぎりは、俺は自分の持てる力でみんなを守る。それがかつての英雄たちから学んだ、俺なりの『魔王の英雄』としての在り方だ」

 その日メレアのもとに集まった新たな魔王たちは頭こうべを垂れた。

 こんな世界にあってここまで堂々と魔王の味方をするバカは、たぶんこの男をおいてほかにはいないだろう。

 魔王の英雄としてあろうとするまっすぐな思いと、それを本当に成し遂げてしまいそうな力の証明に、彼らは尊敬と畏い怖ふを抱く。

 この男にならついていってもいい。

 そう思わせるなにかを、彼らはメレアの目と言葉の中に見た。


◆◆◆


 その後、魔王たちは玉座の間でしばし情報の共有を図った。

 メレアを含むヴァージリア遠征組が仕入れてきた情報。

 メレアたちがいない間に星樹城に集まった情報。

 そして新たな魔王たちが持っていたそれぞれの情報。

 メレアは最初こそ玉座に座って話を聞いていたが、すぐにもどかしそうに席を立って、階段下で話しこむ仲間たちのもとへ加わる。

「ムーゼッグに離反者?」

「うん、そうなのよー。なんか健康状態最悪そうな銀髪の兄ちゃんが楽しそうに笑いながらわたしたちを移送していたムーゼッグの騎兵隊をグッチャグッチャと」

「その擬音語はやめてくれ……」

「えー? じゃあヌッチャヌッチャ?」

「それもやめろ」

 食堂から玉座の間に持ち運ばれた椅子に座りながら、大きな身振り手振りで説明するのは新たに〈魔王連合〉に加入した〈医王〉ナタリアだった。

 ナタリアは袖そでが長すぎて手が完全に隠れている白衣をぶんぶんと振り回しながら、ときおり気味の悪い擬音語を使って自分がここまで来た経緯を説明する。

「ともかく、おかげでわたしたちが閉じ込められていた檻おりが壊れて、そのときに『うっひょあー!』って逃げ出したわけ」

「くそ、こいつの説明は下手したらリィナとミィナよりひでえぞ……」

 これまでも散々ツッコみを入れていたサルマーンがげんなりとした表情で頭を抱える。

「あ、君、胃がだいぶ疲れてるね。せっかくだし解剖しとく?」

「なにが『せっかく』なのかまったくわからねえ……!! それと胃が痛ぇのはだいたいお前のせいだ……!!」

「わたしの術式刃メスよく切れるから大丈夫だよ。痛みを感じる間もなくスッパリだから!」

「なあ、おい、久々に会話がうまく成立しないやつに出会った。メレア、なんとかしろよ」

「うわ、その術式刃ってどんな術式使ってんの!?」

 サルマーンがメレアに助けを求めると、メレアはナタリアが指先に灯ともした小型の術式刃を見て興奮しているところだった。

「……」

「あ、ごめんサルマーン、見たことのない術式系だったからつい」

「……」

「いや、だから悪かったって……」

 無言のままジトッとした目でサルマーンに見られたメレアは申し訳なさそうな顔で謝る。だがその間にもときおり視線はナタリアの術式刃にちらちらと逸それていた。

「なに? なんなの? なんでこの集団には自分の欲望に忠実なやつが多いわけ?」

「今にはじまったことじゃないでしょ」

 すると、そんな状態を見かねたリリウムが口を挟む。紅の髪を背中で一本に結って、完全に仕事モードに入っているようだ。

「ともかく話を戻すと、ムーゼッグも一枚岩じゃないってことね。まあ今の話を聞くとその銀髪の男も厄介そうではあるけど」

 グッチャグッチャだしね……、と語尾に小さく付け加えて、リリウムはため息をついた。

「その銀髪の男というのはヴァージリアで見たあの不気味な男性ではありませんか?」

 ふと、別の場所から異様なほど耳を心地よく撫なでる声が響く。声のみで男を虜とりこにしてしまいそうな美声だ。

「ジュリアナ──さんだっけ。ヴァージリアでそんな男を見たの?」

 リリウムが声の主──〈魅魔〉ジュリアナ・ヴェ・ローナを見て言った。二人はほとんど初対面だったが、お互いになんとなく、気が合いそうな気はしている。

「ジュリアナで構いません、リリウムさん」

 ジュリアナはリリウムに向けて嬉うれしげな笑みを浮かべながら言う。

「お、おお……。この笑顔の破壊力はんぱないわね。あたしも女だけどちょっと惚ほれかけたわ……」

 リリウムはジュリアナの笑みを見て思わずたじたじとする。ジュリアナはそんなリリウムを見て今度は小動物のように可愛らしく小首をかしげた。リリウムの後ろにいたアルターが顔を真っ赤にしてのぼせたように倒れかけたが、すぐさま倒れ込む方向からザラスのフック気味の一撃を喰らって体勢を立て直していた。

「あたしもリリウムでいいわ、ジュリアナ」

「わかりました。お言葉に甘えてそうさせてもらいますね、リリウム」

 あとでとびっきりの紅茶を持って部屋に行こう。そんなことを頭の端で考えながら、リリウムは話を進める。

「それで、さっきの男に関してだけど」

「ええ、たしかメレアさんがムーゼッグの刺客と戦っていたとき、横よこ槍やりを入れるように現れた男が不気味な銀髪の男でした」

「あいつか」

 と、再びサルマーン。どうやら少しは気力を回復させたようで、会談に飽きてきてサルマーンの髪で遊びはじめた双子を適当にあしらいながら、真面目な顔で続けた。

「たしか〈死神〉って名乗ってたな。実際に〈死霊術式ネクロ・フアンタズム〉を使うところも見た。得体の知れないやつだったし、ムーゼッグとも揉もめてたみたいだから、可能性はある」