わたしの一生は、たぶん世間一般の人の一生と比較するとそれなりに悲惨なものであっただろう。わたしの一生を大いに彩ったさまざまな不幸が、わたし自身の行いによって招かれたものであるのなら、まだ納得はできたが、その大半は、世の事情と自分ではどうすることもできない生まれゆえにやってくるものだった。
──でも、最近はやっと、この一生を愛せるかもしれないと思えるようになっていた。
父と母の思い。
祖父母の願い。
遠い先祖たちの
今の時代では重荷になってしまうそれらを憎むこともあったけれど、彼らには彼らの考えがあった。
わたしは世界の歴史というものを学ぶにつれて、憎しみしか抱かなかった彼らの高潔な矜持に、誇りを持てるようになった。
──かつて英雄と呼ばれた者たちの行いを、決して間違っていなかったと、『あの人』が言ってくれたから。
きっかけは東大陸で起こった〈ザイナス戦役〉にある。亡国間近だったレミューゼ王国が、今や最も世界の覇者に近いと言われるムーゼッグ王国に
──かつての英雄たちの墓が、あの山の天辺にあるって。
誰が言ったのだろうか。うわさ話だ。わたしには仲の良い友人もいないから、そういう与太話を聞くには街に出て耳をそばだてるしかない。
ともあれ、そんな真偽も不確かな話を聞いて、わたしはリンドホルム霊山に登ってみようと思った。
──あそこですぐにレミューゼ王国へ向かえば良かった。
ザイナス戦役の情報が世界に広まってまもなく、〈
白い髪に赤い
──どんな顔をしていたのかな。
きっと格好いいに違いない。わたしはずっと、その人に会いたかった。彼がムーゼッグの王子──〈時代の
──彼ならきっと、わたしのこれからの一生を、もっと誇れるように彩ってくれただろう。
だからわたしも、そんな彼のために力を貸したいと思っていた。
たぶんわたしは──まだ見ぬ彼に恋をしていたのだ。
でも──
「顔を上げろ、〈
きっとわたしの恋は、ここで終わる。
◆◆◆
黒を基調とした荘厳な広間。
高い天井に、金の
広間の床には同じく
その椅子の裏側には、ムーゼッグ王国の紋章が刻まれた黒い垂れ幕が
「ハハ、死んだら
顔をあげると、最初に玉座の手前の階段、その中段に立っている銀髪の男が目に映った。不気味なまでに白い顔と、腰にまで届きそうな長髪。長い前髪の隙間からのぞく目は、ひどく生気が薄い。
「貴様の
すると、その男より二段高い場所に立っていたもう一人の男が、わずらわしそうに言った。こちらは高貴な空気が漂うものの、銀長髪の男よりずっと人間らしい。歳もまだ若く、少年に近い印象を受けた。
「おや、コワイコワイ」
「貴様に対する処遇はこのあと殿下みずから決めなさる。せいぜいそれまで首を洗って待っていろ」
金糸のような髪を持った少年は、
「いい、ミハイ」
「は、失礼いたしました」
すると最後に、玉座のあたりから声が聞こえた。目線をあげると、黒い宝石のような石材で作られた玉座の上に、フード付きのローブを羽織った男が悠然と座っているのが見える。フードを目深にかぶっていて、表情は
「〈水帝〉ミール・ミュール。お前はなぜ自分がここに呼ばれたか知っているか」
フードの奥から、また声が響いた。
「──わたしを殺すため」
「違うな。間違ってはいないが、正解でもない」
玉座の上の男は言った。
「お前の術式を喰ったあとで、殺すためだ」
「さして違いはないじゃない」
「いや、大いに違う。お前を殺すだけが目的なら、とっくに殺していた」
フードの奥から眼光がのぞいた。ひどく冷たい青の光が見える。
不覚にもその光を美しいと思った。
「つまり、貴様が少しでも長くこの世に生きていられたのは、私がそういう選択をしたからだ」
「……なにが言いたいの」
「人の命はかくも軽い。その尊厳もまた同じく」
そう言ったときの男の目は、どこか
「だが、そういう
「たしかに命は脆い。けど、脆いからといって軽く扱われていいものじゃない」
そんな脆い命が、されどほかの人々の心を照らす。
脆いからといって、人はなにもできないわけではない。
ほかの誰かを、幸せにできる力がある。
「〈魔王〉らしくない言葉だ」
男は鼻で笑ってから言った。その意味は、なんとなく理解できた。
〈魔王〉は人に、絶望しやすいから。
「なら、
言われなくても。
わたしは足搔くつもりだ。
あの人の言葉を聞いたときから、そうしようと決めていた。
「わたしは、あなたに
せめてほんの少しでも、あの人の役に立ちたい。
たとえ敵わないとわかっていても、ここでただ
だから──
「行きなさい、〈
床に術式を展開する。無数の半透明な蛇が床から湧き出た。
わたしは玉座に座る男──〈セリアス・ブラッド・ムーゼッグ〉を見上げた。
直後。
「──用済みだ」
水の蛇たちは、わたしもろとも、その男の左上の空間から突如出現した赤黒い巨手に──
「あ」
「──」
──人の命は、かくも軽い。
意識が途切れる間際、嘆くような彼の声が、聞こえた気がした。