「おい、リリウム」

「……そうよ、この子が〈医王〉。待ちなさいサルマーン、言いたいことはわかるけどみんな思ってることだからあえて言わなくてもいいわ」

 見た目は少女。だぼだぼな白衣が余計にこの少女のうさんくささを助長させている。

「あと見た目で判断してついこの子とか言っちゃうけど、これでもこの人はあたしたちより年上よ。たぶん金の亡者よりも」

「うっそだぁ」

「そうだよー、わたしこれでも年増よー。若くなるツボを毎日押してるからきゃっぴきゃぴなだけだよー」

「なぜだろうな、俺は無性にこいつの額を小突きたい。痕あとがつくくらい連続で小突きたい。絶妙にムカつくんだ」

 サルマーンが額を押さえて天井を仰ぎ見ながら言う。

「失敬な! 君より十歳は年上だぞ! 本当ならわたしが君の失礼な言動に対して激怒して解剖刀メスでお腹搔かっ捌さばいて内臓ぐるぐるしてもいいところなんだぞ! ……あ、想像したらちょっと興奮してきた」

「やべえなこいつ……」

 サルマーンが引くのに合わせてほかの魔王たちも各々にリアクションを見せる。

「そこのあなた」

 すると、そんな中でも唯一まったく動じていなかったマリーザが、白衣の少女に声を掛けた。

「本当にメレア様の身体に異常はないのですね」

「うん、ないよ。少なくともわたしが見たかぎりではこの人の身体は健康そのもの。身体組織の構成が常人とかけ離れてる部分もあるからわたしの経験則による補完も混じってはいるけど、わたしは〈医王〉の末まつ裔えいとしてこの人に健康体であるという太鼓判を押すね」

「では、なぜ目を覚まされないのでしょうか」

「わからない。わたしが見ることができるのは主に身体の変調について。精神面についてもある程度は見ることができるけど、それが高度な術式によるものだったり、もっとずっと心の内側に根差すものだったりすると、わたしも見ただけでは不具合についてはわからない。話ができればまだカウンセリングのしようもあるけど、そもそも目を覚まさないんじゃどうしようもないかな」

 白衣の少女はため息とともに「困ったね」と肩をすくめる。

「どういう原理で人の身体の具合を判断してるんだ?」

「それはこれだよ」

 と、サルマーンが不思議そうに訊たずねたところで、白衣の少女は顔にかけていた大きな黒縁の眼鏡を取った。分厚いレンズの向こう側から露わになったのは術式紋様が浮かんだ深緑色の眼である。

「魔眼か」

「そう。言うのが遅れたね、わたしは〈ナタリア・ツヴァイウッド〉。〈医王〉と呼ばれた魔へん王じんの末裔で、つい二週間前にムーゼッグの檻おりから逃げ出してきた勇なき逃亡者だよ」

「ムーゼッグに捕まってたのか」

「ちょっと下手を打っちゃってね。逃げられたのは幸運──というか悪運が強かった。正直わたしもなんで逃げてこられたのかいまだに不思議に思ってしまうんだけど、どうやらムーゼッグも一枚岩じゃないようでね」

「どういうことだ?」

 サルマーンが訊ねたところで、不意に部屋の外がざわめき立った。部屋の中にいた魔王たちが一斉に入口の扉の方を見る。

「おれが説明しよう」

 部屋の外にいた魔王たちをかき分けるようにやってきたのは、このレミューゼ王国の現王、ハーシム・クード・レミューゼその人だった。


◆◆◆


 ハーシムはややくたびれた様子で上着を脱ぎながら部屋の中に入ってくると、寝ているメレアを一いち瞥べつしてからメレアの執務机の角に腰かけた。ハーシムの後ろからは侍女であるアイシャが黒い密偵装束を着たままついてきていて、ハーシムの上着を受け取ると慣れた仕草で畳みはじめる。

「あんた、まさかもうフィラルフィア王国から帰ってきたの?」

「そうだ、おかげでくたくただ」

「それ、物理的に不可能だってわかってて答えてる?」

 リリウムはハーシムがいつレミューゼを出立したのか知っている。ほんの数日前だ。いかにレミューゼが〈三ツ国〉と隣接しているからといって、そう易々と帰って来られる距離ではない。

「普通は無理だな。だから当然特別な手段を使った。おれがくたびれているのはそのせいでもある。……まあ、気になるだろうがまずはメレアの容体と、今そこの〈医王〉が言ったムーゼッグが一枚岩ではないという点について説明をしよう」

 ハーシムは首の筋を伸ばすように頭を左右に振りながら言った。その際に軽く散った汗に混じって、血のような赤い液体がわずかに零こぼれたのを、一部の目の良い魔王たちは目ざとく察知する。

「メレアが目を覚まさないのは十中八九〈魔眼〉の変調が原因だろう。魔眼の発現や特殊な身体器官の後天的な習得に際して、身体の統率を司る脳が休眠期間を必要とする事例が数多くある。おれも最近調べて知ったことだが、脳に直結している眼の変化のときなどには、よく倒れる者がいるらしい。〈術神〉しかり、〈時じ帝てい〉しかり、〈心しん王おう〉と呼ばれた英雄もそうだった」

「あ、そういえばわたしも小さいとき一週間くらい気絶してたことあったかも」

〈医王〉ナタリア・ツヴァイウッドが「おー」と納得の表情を浮かべながらうなずく。

「てことはメレアの魔眼がまた別のものになろうとしてるってことか」

「あるいはな」

「〈術神の魔眼〉からいったいなにになるってんだ。これ以上の魔眼なんてねえだろ」

「そればかりはわからん。ともあれ、身体に異常がないというのであればおれたちにできることはない。メレアの脳が新たな体構成に慣れて、再び自分から覚かく醒せいするときを待つしかないだろう」

 ハーシムが大きく深呼吸をしながら言った。さきほどから息が荒い。まるで時間遅れで疲れを感じているようだ。

「そうか。……なら、待とう」

「ただじっとして待つわけでもあるまいな、〈拳帝〉」

 ハーシムがにやりとおちょくるような笑みを浮かべてサルマーンに言う。

 サルマーンはその言葉にわずかにムッとして答えた。

「当然だ。メレアがいなくても俺たちにはやることが山ほどある」

「なによりだ。ならおれはお前たちがすべきことを見つけるヒントをやろう。──っ」

 笑みを浮かべたまま言ったあと、最後にハーシムの顔が苦痛に歪ゆがんだ。

「お前、さっきから様子がおかしいぞ。どうした」

「フィラルフィア王国から戻って来るのに少し無理をした。思ったよりあれは身体に負担が掛かるな」

 そう言ってメレアの執務机から立ち上がろうとしたハーシムだったが、その身体は支えを失うとゆらりと横に大きく揺れる。サルマーンがとっさにハーシムを支えようとしたが、それよりも先にアイシャが素早い身のこなしで前に出てきて、ハーシムの肩を支えた。

「申し訳ございません、みなさま。陛下は少しお疲れのようです。積もる話もあると思いますが、少々お時間をください」

 ただならぬハーシムの状態を見て、魔王たちも首を横には振れなかった。

「こっちはひとまずメレアの無事が確認できたから構わない」

「お気遣い感謝致します。陛下の容体が回復し次第、また使いの者をやるので、みなさまも旅路の疲れを今のうちに癒いやしておいてくださるよう」

「ああ、そうさせてもらう」

「では、一度失礼します」

 アイシャがぜえぜえと呼吸を荒らげるハーシムを連れて部屋を出て行く。その場に残った魔王たちは連続してやってきたただならぬ出来事の数々に、息を詰めずにはいられなかった。