アリアとクオーツが退室し、今後の話を終えてからは本格的に酒を飲み始め、ツマミになるような昔話にも飽きて他愛もない近況話になった頃、ジークが唐突に「最近の若い連中との距離感が分からん」と言い出した。

直前までの会話内容が若手の討伐依頼の失敗談だったので、それ絡みで何かあったのだろう。中年の愚痴はツマミとしては物足りないが、無言で飲むのも味気ない。面白くなりそうになかったらさっさと打ち切って、次の話題ツマミが出てくるまで無言になればいいかと適当に話を合わせることにした。

「へぇ、新人の小娘に声でもかけて気持ち悪がられたの?」

「馬鹿言うな。オレは女も酒も熟成派だ。酒の樽に例えるなら小娘は原料の木の香りが強すぎる。その点良い女ってのは酒の持つ醸造香と時を経た木の香りが絶妙に合わさって──」

「はいはい、気持ち悪い気持ち悪い。黙ってオッサン」

「ぐ……まぁ、確かに今のは気持ち悪いか。でもそういう話じゃねぇんだわ」

「正気に戻ったようで良かったわ。もう少し熱弁してたら横っ面を引っ叩いてたところよ。で? どういう話なのよ。若手に〝こんな冴えないジジイがギルドマスターかよ〟とでも言われたの?」

自室に向かったアリア達がいつ起きてくるか分からないので、言葉遣いはそのまま継続だが、酒のせいでつい本音が出てしまった。ジークはそんなこちらにジトリとした視線を送ってくるがそこは流す。

「お前がオレのことをどう思ってるか気になるとこだが、そういうのでもねぇんだよ。喩えばだルーカス。お前さんアリアにちゃんと礼とか言ってるか?」

「はぁ? 何よ急に。あんたの口から礼なんてまともな単語が出るなんて。うちに来るまでに拾い食いか怪しい薬でもやったの?」

「おい人聞きの悪いこと言うな。誰がするか。そうじゃなくてな、レイラにこの間、最近若手の離職率が高いって話をしてたんだよ。そうしたら〝ギルマスはわたしを含め、古参や成長株にはお礼や労いの言葉をかけてくださいますが、新人にはあまりされませんね〟とか言われてな」

話しながらその時のことを思い出したのか、ジークは眉間に皺を刻みひらひらと片手を振った。こいつは確かにギルドマスターとしては不真面目な方だが、長年この地位にいるだけあって有益な人間と無益な人間の目利きはできている。だからこの男が言葉をかけない相手というのは、無益な部類に足を突っ込んでいるということだ。

とはいえ、やはり話の流れが突拍子もないのが気になるが。ジークの顔色に変化はないものの、歳のせいで酔いが回り始めているのかもしれない。

「ふぅん? よく分からないけど、結果を出さない人間に礼を言ったりねぎらったりはしないわ。無駄だもの」

「だよな。やっぱそうだよなぁ? オレがおかしいのかと思ったぜ」

「あんたと同じ答えっていうのも癪だけどこればかりはね。それよりも若いギルド員に愚痴るオッサン上司って最低だわぁ。逃げたくても逃げられないもの。通報しようかしら」

「言ってろ。こちとらうちの受付嬢達には頭が上がらねぇんだよ」

大袈裟に安堵した表情を見せるあたり、意外と気にしていたのだろう。ギルドマスターの重圧を感じるタイプでもなさそうなのに、レイラという良心にあてられたのかもしれない。何にせよ酔いが回ったわけではなさそうだ。

こちらもまだ飲み足りないので、からかい半分にそう言いながら新しい酒を開封する。それを見たジークが不貞腐ふてくされた顔で「それとこれは愚痴じゃなくて世間話だ。いいから聞け」と言うので、差し出してきた空のゴブレットに酒を注いでやりながら続きを促した。

「レイラが言うには最近の若い連中は自分に自信が持てなくて、それ故に承認欲求が強いらしい。だからできれば礼や労いはこまめに言ってやった方が良いんだとさ。仕事への姿勢ややる気も変わるってよ」

「分からなくはないけど、あんたのギルドは荒事専門なんだから、そんなことでやる気をなくす人間は元から向いてないんじゃない?」

「オレも一応レイラにそう言ったんだが、もの凄いがっかりしながら〝ギルマスはわたしに新しい女性像を教えてくださったのに、若手の新人には古い考えを持たれてるんですね〟とか言われちまってな」

「あんたに期待しちゃうなんて、本当に今まで男運がなかったのねぇ」

「だーもー、そらそうだが話の腰をいちいちこまめに折るなっつーの。とにかく、仕方なくこの頃は一応オレなりに若手を労ってるんだわ。そしたら確かにちょっとだけだが若手との関係が円滑になった。レイラや受付嬢達からの視線も柔らかくなったしよ。結果としては良いこと尽くめだ」

前言撤回。酔ってなくても絡み酒に移行したらしいジークの話の内容から、余計な説教臭を感じ取って聞く気が失せた。もう無言で良い。

その空気を隠さず「あっそ」と生返事を返して、空になった自分のゴブレットに酒を注ぐが、ジークはそんな俺の手からひったくるように酒瓶を奪うと、眉間に刻んだ皺を深くして口を開いた。

「おっと、待て待て。興味なさすぎだろルーカス。お前さんにも学びのある話だったろうが。今どきサラッと礼が言えない男とか流行らんぞ」

「酔っ払いの戯言ざれごと聞いてあげてるだけ感謝なさいよ。それに改まって礼なんて言わなくたって、アリアは自分の仕事に責任を持ってるし、見返りを求めて働くあの子なんて想像もつかないわ」

「いや、そりゃあそうかもしれんがなぁ。そうじゃなくて、自分の働きに礼を言われたら純粋に嬉しいだろうって話だったんだぞ。お前さん最近いつアリアに礼を言ってやった? 胸に手を当てて考えてみろ」

「酒の席で自分の成功体験を押し付けてくるオッサンは鬱陶しいわねぇ……第一礼を言えって言うけど、一緒に住んでるんだから、アリアがやってる仕事は自分のためでもあるのよ?」

「まぁな。だが何も改まって礼を言えってんじゃねぇよ。軽いやつで良いんだ、かるーいやつで。ほら〝いつも掃除ありがとね〟くらいの。お前さんは見た目だけは若いんだから、もっと若い奴のノリに合わせてやれ」

散らかった部屋……と毎日アリアは言うが、俺はそこまで散らかっている意識はないし、掃除をしたいならすれば良い。代わりに俺は自分の食べるもののついでにアリアとクオーツの分も作る。クオーツは家賃として鱗を提出し、日中はアリアを手伝う。

別にそれに不満を感じている様子はない──が。

「はー……お前さんがもっとこまめに礼を言えば、アリアの自己肯定力も上がりそうなもんなんだがなぁ」

癇に障る溜息をつきながらジークが当てこするように零したそんな言葉に、つい気の迷いか耳を傾けてしまったのが運の尽き。

その翌日から掃除をするアリアを目で追い、どんな時にジークが言うような言葉をかければいいのか見計らう羽目になった。しかしすぐに手慣れた仕事を急に褒めるというのは意外と困難だと知る。

まず一処ひとところの掃除に時間をかけない。

決まった場所を決まった時間に毎日磨く。

広範囲の掃除にはデッキブラシの浄化魔法を。細かなシミや焦げ付きもパッと汚れを見ただけで、最適解の薬剤と掃除方法を用いて落としてしまう。洗濯にしても同じことだ。掃除が終われば畑の手入れ、肥料の改良、隙間時間には籠を編み、掃除に使うスライムの採集など、手広くやっているなと思う。

クオーツもアリアの仕事の順序を憶えているらしく、次に必要な道具などを咥えて近くを飛んでいる。対する俺はアリアが次に向かう掃除場所さえ知らない。

考えてみればアリアも俺も採集に行くか自分の仕事がない日は、朝食の次に顔を合わせるのは昼食頃、その次は夕食頃だ。それまでは各々の仕事をしているため、森のどこにいるかを把握してはいても、こういう時でもないとアリアの仕事ぶりをじっくり見ることはない。ジークの愚痴もたまには聞くものだ。

そんな感じで弟子のことを観察して──……四日目にやっと褒めるというか、ジークが言うような軽い礼とやらを言おうという気持ちが固まった。

いつものように朝食後の後片付けの時間になり、クオーツが布巾でテーブルを拭いている間、スライム水に食器を浸けにいくアリアの後を追って洗い場へ。

桶の中のスライム水に手を突っ込んで濃度を測っているその背に向け、何となく深呼吸を一つ挟んで「いつも掃除ありがとね」と口にした次の瞬間、スライム水をかき混ぜていた手をピタッと止めて振り向いたアリアが一言。

「ど、どうしたんですか、師匠。さては何かまた汚れを放置してた服でも出てきました? 今すぐ持ってきてくれます?」

「……ちょっと、何でそうなるのよ」

「何でって、普段そんなこと一つも言ってくれない人がそんなこと言ったら、絶対何か隠してるなって思うじゃないですか。ほら、怒りませんから、ね?」

「ないわよ、そんなもの」

「え……じゃあ一体どういう風の吹き回しなんですか」

「あのね、師が弟子を労うのがそんなにおかしいわけ?」

「………………」

今度こそ本気で訝しむ表情になったアリアを見ているうちに、顔に血が上る感覚をおぼえてアリアから視線を外す。余計な恥をかいた。今日にでもジークをシメよう。やっぱりあの馬鹿の言葉なんて聞くんじゃなかった。

「ということは、師匠、今のは本当にただのお礼だったわけですか」

「だから、そう言ってるだろう。もっともお前には必要なかったらしいがな」

思わずアリアの再確認に対して、バツの悪さから地の言葉と声が出たものの、もうどうでもいい。さっさと洗い場を出てジークをシメにいこうと身を翻したその時、ドンッと背中を急襲された。振り返らなくてもここにはアリアと俺しかいない。腰に回された腕を振りほどかずに溜息をつく。けれど──。

「んふ、んへへへへ……」

「人の背中で気持ち悪い笑い方しないで頂戴」

「だって嬉しいんですもん。まさか今になって褒められるとは思ってなくて」

「……今更そんな反応いらないわよ」

「じゃあ押しつけるだけなんで気にしないでください。あと噛みしめる間だけ、背中を貸してくださいね」

その宣言通り腰に回された腕にギュウッと力がこもるから。ジークをシメにギルドへ乗り込むのは、またあいつが次のしくじりをしでかすまでの短い時間くらい、待ってやってもいいだろう。