「うっ、ん、まぁぁぁ~!! 師匠、これ本当に美味しいですね! 料理のことで師匠を疑うつもりはないですけど、信じて頼んでみて良かったです!」
「はいはい、それは良かったわね。でも若い娘があんまり口にものを詰めて喋るものじゃないわよ」
「でも美味しいものは美味しいって言いながら食べた方が、より美味しくなる気がするじゃないですか。あ、でも師匠のご飯は美味しすぎて無言になっちゃうことがありますね。遅れて出てきちゃうんです」
「あんたらしい馬鹿っぽい言い分だけど、そこまで喜んでもらえるなら作る側としては冥利に尽きるわねぇ」
「そうでしょうそうでしょう。美味しい料理はどれだけ褒めたって良いんですよ。むしろお客さんが皆大きな声で褒めたら、料理人さんだって気分良くお仕事ができると思います」
「フォークを握ったまま馬鹿なこと力説してないで、そんなに美味しいなら冷めないうちに食べちゃいなさい」
「んへへ、はぁい」
夕方のまだ早い時間帯、仕事終わりの職人や冒険者ギルドの人間達で賑わう下町の酒場で、そう言って入店まで顔布を気にしていたアリアが暢気に笑う姿を見て、現金なものだとこちらまでつられて笑ってしまう。
今日はオルフェウスの付き添いの下、クソみたいな魔力測定を受け、その後も魔導協会の連中の下らない質問でやたらと引き止められ。アリアにとっては緊張続きの一日だっただろうから、その息抜きになればと連れてきてやったものの、この反応だと正解だったらしい。
本人は気付いていなさそうだが、顔布よりも椅子に立てかけているデッキブラシよりも、こんな下町の酒場で出てくるご飯を美味しそうに食べてはしゃぐ姿の方が目立っている。
新しく入店してきた客の数組が、この席と同じものを注文しているのがその証拠だろう。食前酒として注文したラムラタ酒でほろ酔い気分なのだろうけれど、外食ひとつでこうもはしゃぐのは少し不憫にも感じる。
それにアリアのおかげでこちらに向けられる煩わしい視線も少ない。他人の保護者をそういう目で見るのは、マナー違反だという意識が多少は働いているのかもしれなかった。
本人が気にしている顔の傷痕がなければ、もっと自由に外の世界を楽しませてやれるのにとふと感じて、朝にマーロウと交わした会話を思い出す。前半は呪いについてのこと。問題は後半の他愛ない会話だ。
『あの子のこと随分気に入ってるみたいだけど、その身体のことを知られたらどうするつもりなノ? もう拾って七年なんでしょウ? 若作りってことで人間の真似事を続けるにしても、そう長くその言い逃れはできないヨ』
あいつに言われるまでもなくそんなことは分かっている。アリアがいくら暢気な娘だとはいえ、あと十年同じ言葉で言い逃れるのは難しいということも。というよりも、そもそもここまで長く過ごすことは考えていなかった。恐らく拾われたアリアの方も思っていなかっただろう。
適度なところまで成長したら人の中に帰してやるつもりでいた。けれどその計画を暗礁に乗り上げさせているのがあの傷痕なのだ。あれを消さないとアリアは自由になれない。しかし無理に消せば呪いをかけた術者に居場所が特定されてしまう。殺す算段をつけてからしか傷痕を消せない。
『あのねぇ、それは……いや、うん、野暮なのは言いっこなしだネ。ただまぁわたしとしては、ルーカスが生き物を拾って世話してるのがすでに驚きだけド。アリアちゃんだっケ? 凄いよね、あの子』
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべたマーロウに何が凄いのかと問えば、あいつは『ルーカスを人間みたいなことで悩ませるところと、人間みたいな部屋で生活させてるとこロ』と
『何にしても、あの子はルーカスを盲信してル。しすぎるくらいにネ。でもそれはルーカスの方もカ。甘えてるよねェ。ふふ、弟子ってあんなに可愛いものなのかと思ったら、わたしも欲しくなっちゃっタ。どこかに良い子いないかナ。もしくはさ、あの子を譲る気なイ?』
魔術のために人間性を手放した男が言うと冗談に聞こえないどころか、目が若干本気だった。
とはいえマーロウが魔術好きを拗らせた説明は最初にしたので、年を取らない言い訳を考える必要はない。
むしろそこだけについて考えれば、アリアの傍にずっといても問題がないのはマーロウの方だとも言える。解呪についての知識も魔術師としての腕も、アリアが教わる上では何の不足もない。だとしたら何故あの時、あいつのあの言葉に頷いてしまえなかった──と。
いきなり鼻先に香ばしい魚介の匂いを突きつけられた。こんな不粋な現実への引き戻し方をするのは一人しか思いつかない。ぼんやりしていた焦点を絞ってフォークを持つ手を辿れば、こちらを探るようなアリアの視線とぶつかった。ふいっと大海老が刺さったフォークが上下したので、思わず食いつく。
直後に隣の席から口笛が聞こえてきたものの、それがこの状況へのからかいを含んでいるとは微塵も思っていないアリアは、こちらの大海老への反応の方が気になるらしい。見つめ合ったまま口の中の大海老を咀嚼すること少し。
先に咀嚼を終えて呑み込んだアリアが「これ美味しいですよね。うちでも作れますか?」と尋ねてきたので、口の中の大海老を呑み込んでから「あたしならもっと美味しくできるわよ」と答える。別にただ〝作れる〟と言えば良かっただけなのに、咄嗟とはいえ妙な張り合い方をしてしまった。
そうしてふとテーブルの上に視線を落とせば、いつの間にかジャガイモ料理が届いていて、その見た目と香りで瞬時に何を使っているのかを予測する。これももう少し上手く調理できそうだ。
すでに手をつけられた跡があるのだから、きっとこれもアリアの好みの味だろう。もしかするとぼんやりしている間に、料理の味について何か感想を求められたかもしれない。そう推測した直後に「師匠、全然私の話を聞いてませんでしたね?」とジト目で睨まれた。
「そんなことないわよ。それよりこれ美味しいじゃない。クオーツへのお土産にしたら?」
「いやもうまったく平気で見え透いた嘘つきますよね~。でもまぁ、この料理が美味しいのは本当ですし、そうしましょうか」
苦し紛れに交わしたこの会話の直後、周囲の席から大海老料理の注文が殺到してしまい、残念ながらクオーツへのお土産は骨付き牛肉のグリルになってしまった。お土産が焼き上がるのを待ちつつ、さらにお酒と料理のお代わりを注文していると、何か言いたげなアリアの視線を感じる。
「なぁに、アリア。こっちが食べたいの?」
「いーえー、別にそういうわけじゃないですけど。でもまぁ、そう言われたらそっちのも美味しそうだなって気になります」
「ふふ、素直でよろしい。あたしはこっち側から齧ったから、あんたはこっち側から齧ると良いわ。中身が熱いから気をつけるのよ」
「む、熱々のシチュー入りパイを前に何気に難易度高いですね。でも、うん。良い匂いがしてるんで頑張ります」
適当に会話をはぐらかしても、それに乗ってくるくらいの気遣いはできる。三角形のパイを反対側から真顔で齧る姿からは考えられないことだが、アリアは人の心の機微に聡い。マーロウの奴が言う俺の甘えとは、そういうところを指しているのだろう。
「む……あふっ、あっふぃ」
──いや、どうだろう。少し買い被りすぎたかもしれない。口をつけている方の反対側から漏れるシチューを指で止めようと悪戦苦闘する様に、思わず苦笑が零れた。こんなことなら新しいものを注文してやれば良かったか。
「あーあー、指も唇もシチューでベタベタじゃない。第一熱いんでしょう? 諦めて一旦口から離したら?」
「んえ、らいじょう、あっふっ!」
「大丈夫じゃないじゃない。馬鹿をやって舌を火傷する前に口から離しなさい。それもう全部食べちゃって良いから」
呆れつつ空いてる皿を差し出してパイを受けてやると、涙目になったアリアが「最初っかりゃそう言っへくれらら、もっろはやふ離しまひらよ」とゴネた。その言葉に周辺の席から忍び笑いが漏れる。
ただその笑いに含まれているものは嘲笑ではなくもっと温かな、微笑ましくも残念な子を見ているそれだった。
そこでふとあのマーロウの提案に頷けなかったのは、食べることに執着がないマーロウでは、この弟子を餓死させそうだと思ったのではないかと。冷えた果実水に手を伸ばすアリアを見ながらそう結論づけることにした。