エピローグ
華美すぎず、地味すぎず。品の良いレースのカーテンが、開け放たれた窓から流れ込む朝の爽やかな風をはらんで翻る。
パステルピンクの天蓋つきのベッドとダークブラウンで統一された猫足の家具は、部屋の主の乙女趣味な人物像を物語っていた。そんな窓辺の程近くにある大きな鏡台の前には、一目見れば誰しも目を奪われるであろう絶世の美貌を持った青年。
一瞬この部屋の主の恋人かもしれないと思えど、クリーム色のシルクで仕立てられたドレス風のネグリジェに身を包んだ姿に、その考えは儚い夢と消える。歳はおよそ二十代前後。座っているから分かりにくいが、組まれた長い脚から立てばかなりの高身長だと思われる。
彼は化粧を終えた自身の顔を鏡で確認し、ドアの向こうの廊下から聞こえてくる騒がしい足音に片方の眉を持ち上げて、優雅で尊大に部屋の入口へと向き直った。その直後、ノックもなしに部屋のドアがズバァンッ! と大きな音を立てて開く。御伽の時間の終わりである。
「おはようございます師匠。それと毎日毎日靴下を丸めたままで洗濯物に出さないでくださいってば! それから色物と白物は分けてください。仕分けやすいようにちゃんと籠も分けて、札もつけてるじゃないですか」
「ギャワワワウッッッ!!」
部屋に飛び込んで来たのは、白いエプロンを翻し、後ろで一本にキリリと結ばれた狐色の髪を揺らしながら、やたらときらびやかなデッキブラシ(?)を手に母親のような理由で怒れる少女と、その隣を飛ぶ猫の子大の翼を生やした赤い蜥蜴。青年はそんな少女の言葉を聞いても悪びれるどころか、自身の美しさを最大限活かす角度を使って鼻で笑った。
「嫌よ、面倒くさいんだもの。それにあたしは美容業界の寵児でとっても忙しいから、いちいちそんな些末なことを気にかけてなんていられないのよ。そういうのは弟子のあんたの仕事」
「またそうやってああ言えばこう言う。お美しいのはご自身だけで、生活空間の大半は汚部屋だって世間様が知ったら幻滅されちゃいますよ?」
「別に世間の連中なんて構いやしないわよ。それにあんたは幻滅したりしないでしょう?」
「それはまぁそうですけど。でもこれって慣れとか諦めの境地なので。師匠に比べたらクオーツの方がお掃除上手なくらいですよ」
「もう、分かったわよ。悪かったわ。気が向いたらちゃんと色物と白物は分ける。これで良い?」
「また口先だけの謝罪をしますね。前回も前々回も前前前回も言ってましたよねー……って、ま、それこそいつものことですね。じゃあ今回分は許してあげるかわりに、私の買ってきた靴下履いてくださいよ」
二人の口ぶりから青年と少女の関係性は師弟関係のようではあるが、交わす言葉はお互いにかなり遠慮がなく砕けていて、ともすればまるで仲の良い兄妹か、年若い新婚夫婦のようでもある。隣に浮かぶ赤い蜥蜴が猫であれば、これは普通の家庭で毎朝ある出来事の一幕でしかない。
しかし少女側からの結構力の籠もった譲歩の言葉に青年はにっこりと微笑み──。
「却下。柄が好みじゃないって何回言わせるつもりなの」
あまりにも無情な言葉で直前の謝罪をひっくり返した。当然この状況には流石の少女も怒り出しそうなものだが、彼女はその慎ましい胸に芸術的な装飾を施したデッキブラシを抱くと、芝居がかった動きで浮かんですらいない涙を拭った。
「酷い。嘘つき。あんまりです。こんなに師匠のことを思っていて、先日まだ習ってなかった中級難度素材のジェキルの根の下準備を、初見でやってのけた有能な弟子の気持ちを受け止めてくれないだなんて。懐の深さ人差し指の第二関節くらいまでしかないんじゃないですか?」
正直に申し上げて幼児すら騙せなさそうな酷い演技である。劇場に数合わせの端役で出ていたら、脚本家が助走をつけて演出家をぶん殴るレベルだ。幸いにも彼女が頭抜けた人見知りであるため、このクソみたいな演技が外の世界に披露されることは未来永劫ありはしないが。
「あらそう。あたしの指はあんたと違って長いから、結構深いと思うんだけど」
「とんでもない自信ですね。懐から溢れちゃってるじゃないですか」
「ギャウ、ギャワワウー……」
「溢れてるだなんて品のない言い方はしないで頂戴。見せびらかしているのよ」
「えー……そっちの表現の方が品がないことありません?」
自らの演技が完全に流されても全然めげない彼女に、赤い蜥蜴もややジト目である。もしかすると蜥蜴の方がまだその辺は繊細かもしれない。それでもやはりこれがここの日常であることは、無言のまま鏡台の前から立ち上がり、代わりに少女を座らせる青年の自然な動きで分かることだろう。
彼は彼女の手からデッキブラシを引き抜くと赤い蜥蜴にそれを手渡し、自らは豚の毛でできたブラシに持ち替え、座らせた少女の髪を解いて優しい手つきで梳っていく。
「良いからほら、さっさと今日履く靴下を出して」
「はいはい、分かりましたよ。どれをはきたいんですか?」
「今日の気分は黒地に白抜きで角板付樹枝柄が編まれてるやつね」
「そこは普通に雪の結晶柄って言ってくださいよ。しかもそれそろそろ言われそうだと思ってたので、昨日から私も探してるやつですし。今日はもう他の柄の靴下にしませんか?」
「あれでないとお店を開ける気にならないわねぇ。朝食の準備をしてる間に探しておいて頂戴」
「やだも~朝から我儘なんですから~」
「我儘でごめん遊ばせ? その代わり今朝のパンはあんたの好きな黒糖入りよ」
「ぐわあぁ、それはずるい! 頑張ってクオーツと一緒に探してきますぅ」
今度はこれまでの保護者的な立ち位置を少しだけ入れ替えて、青年の方が母親的な発言をする番らしい。少女の頭上で軽口を叩きながらも、その手はみるみるうちに狐色の髪を複雑に編み込んでいく。仕上げに緑の葉と赤い実のついた髪飾りをつけ、鏡台の中ではにかみ笑いを浮かべる少女の、何故か白い包帯で覆った顔の側に、軽く触れるだけの口付けを落とす。
「頼んだわよ。はい、完成。ちょっとは垢抜けたんじゃない?」
悪戯っぽく蠱惑的に微笑んだ青年の言葉に「ウッス……」と答えた少女の頬は、その髪を飾る赤い実のように真っ赤に染まって、見るものに幸せな面映ゆはさを感じさせる。
これが彼と彼女……森の魔術師ルーカス・ベイリーと、その弟子アリアと、