そんな私達のような人は他にもいて。けれど当然肩を落として掲示板の前から去っていく人達もいた。無神経に騒いでしまったことを恥じつつ、慌てて掲示板の前から移動した私の視界にこれまで二度顔を合わせておきながら、ろくに建設的な会話をしなかった人物が映り込んだ。

──というか、映り込まない方が無理。だってかなりな人だかりだ。中身があんなに無礼な人でも顔と才能があれば人気者になれるらしい。すると私の視線の行方に気が付いたレイラさんが「ああ」と何かを納得したふうに頷く。

「エドモント・オルフェウス様ね。たぶん彼は今日の実技試験の試験官に選ばれたのではないかしら。才能の問題が大きいけれど、史上最年少の宮廷魔導師の肩書きは夢があるもの」

そう言うレイラさんにとっても憧れの対象なのか、少し頬を染める横顔が可愛い。しかし私にしてみれば彼が実技試験の試験官だなんてゾッとする話だ。これまで二回しか顔合わせをしていないけど、私と彼の相性は最悪だと思う。絶対に凄まじい酷評をしてくれるだろうことが今からすでに予想される。

けれどまぁ、彼女の憧れと私と彼の禍根はまったく無関係なので、下手に心配させるようなことは言わないでおこう。

「成程。有名な広告塔を連れてきて、この試験に挑む人達を活気付けようって魂胆なんですね」

「分かりやすく言えばそうね。市井しせいの魔法使いはなかなか魔術師に昇格しようとする人は少ないの。普通に魔力があってそれを行使できるだけでも仕事には困らないから、変に束縛されて自由を失うのは嫌みたい」

レイラさんのその言葉に、考えてみれば確かにそうだなと思う。誰だって重たい鎖に繋がれるのは嫌だ。多くを望まないで身の丈にあった生活と自由が手許にあるならそこで満足して良いんじゃないかと。勿論個人の自由だし上昇志向があるのはいいことだけども……と。

一瞬だけこちらを見た彼と視線がぶつかった。でもそれだけ。顔を顰めるようなことはなかった代わりに、その他の感情も何もない。けれどそれはこっちにしても同じこと。できればこっちの実技試験の試験官が彼でないことを祈りつつ、午後の試験開始の鐘が鳴ったので、レイラさんと帰りの約束を交わしてそこで別れた。

──だがしかし、嫌な予感というのは往々にして当たるもので……。

「これから行う実技試験は二人一組になってもらい、互いに魔術を構築してぶつけ合ってもらう。ただ分かっていると思うがこれは私闘ではない。過度な攻撃性を見せた者には相応の処置をとる。では先程掲示板に張り出された成績順に組んで」

講堂に立ってそう告げるのは、当たったら嫌だな~と思っていたエドモント・オルフェウスその人だった。おまけに説明する間に何故かこちらを数度チラチラと見てきたことを鑑みるに、過度な攻撃性の持ち主だと思われているのだろうか。だとしたら心外な。侵入者の排除に攻撃性を見せない人間なんていないだろうに……。

私を含めて三十人の受験者に対し試験官は六人。筆記の時よりも人数が増えているのは、実技がそれだけ危険ということだ。五組に分かれたあとの実技の披露は成績順なので、最初は下位の人達から。

見取り稽古のつもりで受験者達の技を眺めて順番を待つ。流石に五年以上の実務経験者の集まりとあって激しい。迫力はたぶん普通の受験者よりあるけれど、誰もが最初の注意事項を守って技をぶつけ合う。

防戦一方という人。攻戦一方の人。両方上手くこなすけど決め手に欠ける人。捕縛に長けた人。変わったところだと相手の操作に長けた人などもいた。皆師事している先生の特徴らしきものを術式のどこかに持っていて面白い。けれどその違いを楽しんでばかりもいられない。

どの受験者にも言えるのは元から持つ魔力量の多さだ。見取り稽古といっても元の魔力がゼロで、師匠の魔力を蓄積しただけの私とは違う。

勿論試験に挑むことになってからも毎日師匠の魔力はもらっている。師匠は言わないけれど、きっといつもより多めに注いでくれていた。彼等、彼女等の戦い方をしていては、私はあっという間に魔力切れを起こすだろう。

加えて私の組む相手は三番目の成績の人だ。筋骨隆々の魔術師というよりは戦士寄りの体型をした若い男性。左手を何らかの理由で欠損したらしく、義手だった。でもそれを補ってあまりある筋肉。連続して術式を練れる体力もあるに違いない。

戦い方を考えないと制限時間の二十分よりも前に倒れてしまうだろう。考えている間にもどんどん順番は近付いてきて、いよいよ私の出番が回ってきてしまった。

「次、三番と四番、前へ」

この試験の最高責任者はエドモント・オルフェウスらしく、鋭い声で呼ばれて広く場所を空けられた部屋の中心に進み出る。そこで両者相対して一礼。彼の「始め」の声がかかった直後、対戦相手の放った火球が私に襲いかかる。

それを師匠直伝の雪の魔法陣から構築した氷柱で相殺そうさい。見学中の受験者達の間から歓声が上がる。大量の水蒸気に遮られた視界の向こうから新しく魔術を構築する気配を感じて、なるべく魔力消費の少ない魔法陣を構築していく。

次いで飛んできた炎の鞭には氷の盾。構築の範囲はできるだけ小さく密度を持たせて。今度はこちらから氷の飛礫つぶて。難なく炎の壁で溶かし尽くされた。攻防一対。相手側の方が属性的にも能力的にも有利。

そんな結構絶望的な状態なのに──……ああ、変だな。こんなにも師匠を近くに感じて楽しいなんて! 唇の端が笑みの形に持ち上がる感覚をどこか他人事のように感じながら、私は自分の術式を発動させて構築していく。

勝てるかな。勝てたら良いな。師匠の弟子として胸を張りたい。そんな思いが編み込まれた術式を「残り制限時間三分!」という声を意識の片隅に聞いて、全力で相手に放った。

***

「ひとまずは二人ともお疲れ様。あとは二週間後の結果待ちね」

「たぶん私は落ちてますけど、本来魔力を持ってないのに師匠の魔力を借りてのズルイ受験生ですから問題ないです。でもきっとレイラさんは受かってますよ!」

陽気にそう笑って何度目かの乾杯をして、一気にビアマグを傾けた。中身は極薄い果実酒だけど、何杯も飲めばほんのりふわふわと心地好い酔いが回ってくる。

試験後は朝の打ち合わせ通り師匠の店に顔を出し、早めに店を閉めてもらってご苦労様会の席を提供してもらった私とレイラさん。首飾りからお留守番だったクオーツも喚び、店の応接用テーブルの上に並べられた果実酒と師匠特製のご馳走を食べて、ここにいる全員がご機嫌である。

「あら、そんなことないわよ。筆記試験四位の結果はあんたのこれまでの努力によるものでしょうが。あたしの魔力を借りていようがいなかろうが、筆記でふるい落とされたらおしまいよ」

「その通りよアリアさん。まだ魔力の構築を始めて数ヵ月しか経っていないのに、貴女の考えた籠形魔法陣の効果はとても面白かった。自身を覆って防壁にするだけでなく、敵にかぶせてその力を奪い攻撃を軽減させる。もしわたしが今日の試験官だったら通してしまうわ」

レイラさんの言う面白い魔法陣の効果というのは、ほんの僅かにしか発動しない吸収ドレインのことだ。

魔力量が少ないからこその情けない発想だけど、実技試験で最後まで膝をつくことがなかったのはこの属性付与のおかげである。三番手の義手の男性から魔力を少々いただいたのだ。

「え、え~? 二人とも褒めすぎですよ~」

「その割にニヤニヤしてるじゃない?」

「褒め言葉は自身を成長させる糧になりますわ。貯蓄だと思って受け取って頂戴」

尊敬している二人からそう言われて満更でもない私の膝の上で、クオーツまでもが「ギャワワゥウウー!!」とご機嫌に鳴いた。その口の周りはソーセージの油でテカテカと輝いている。すっかり街っ子なレッドドラゴンだ。

構築練習の過程で副産物として得た吸収の能力。師匠との練習の時に偶然〝魔力が多くて羨ましい〟という感情が座標として現れ、それが何の座標かも分からずに組み込んだところ、師匠から『ふぅん? あたしから魔力を奪おうだなんて生意気じゃない』と笑われて。

直後に視界が真っ暗になった。それが肉体に収まりきらない魔力の過剰摂取のせいだと知ったのは、丸一日寝込んだあとだった。師匠の魔力を注がれるには私の小さな器は役立たずで、収まりきらない魔力を注がれたことでそうなったらしい。目を覚ましたその日に枕元で、

『諸刃の剣ね、この能力。あたしと同等の魔術師か、あんたより魔力量の多い理詰めの奴には使わない方が良いわ。女のあんたが敵前で気絶したりすれば、その間に何されるか分かったもんじゃないもの』

──と、微苦笑を浮かべた師匠に言われてしまった。一応女性扱いをされたことに喜んだのも束の間。私が気絶していた一日の間に城の中はもれなく腐海と化していた。ちなみに今も靴下四足の片割れが行方不明だ。度し難い。

「あ、そういえばその魔力吸収のことで気になってたんですけど、普通はあんまり使われない術式なんですか?」

私程度が使っても魔力不足で失神しなくなるくらいしか恩恵はない。むしろ師匠やレイラさんのように強い人が使った方が絶対に恩恵は大きいはず。なのに今日の実技試験では相手をしてくれた三番手の人を含め、結構驚かれてしまった。

すると私の質問に顔を見合わせた師匠とレイラさんの二人が笑う。何かおかしなことを聞いたかと思って首を捻っていると、そんな私を見ていたレイラさんが口を開いた。

「ええとね……魔力は一旦体内に取り込んでしまうと、個人を割り出せるくらい術者の肉体に根付いてしまうの。血液や肉と同じ扱いなのは知っていると思うけれど、兄弟や親子間だとたまに適合することもあるわ」

返事をして頷こうとした私の口に、膝に乗ったまま忘れ去られていたクオーツがフォークで器用に抗議の肉団子を突っ込んでくる。師匠が作ってくれた肉汁たっぷりの肉団子は美味しいけど、予想より中が熱くて舌を火傷した。仕返しにクオーツの鼻に細切りセロリを突っ込んだ。

クオーツからさらなる仕返しにディップを頬に塗り付けられたので、無言でパセリを口に突っ込んで応戦したところで師匠に「食べ物で遊ぶんじゃないわよ」と、喧嘩両成敗デコピンをくらった。

お馬鹿な私とクオーツのやり取りを見て顔を手で覆い隠し、肩を震わせて笑うレイラさん。お酒が良い感じに回っているのだろう。意外と笑い上戸なのかとジト目で見ていたら、師匠が「あたしが引き継ぐわ」と笑いの収まらないレイラさんの代わりをかって出てくれた。

「要するにただ奪う方法だと思いつく魔術師はいるけど、その能力で得た魔力を自分のものにできる魔術師は稀なのよ。普通は自分の中に持っている魔力と融合させられない。他者の魔力っていうのは本来水と油のように弾き合うの」

「ええ? でも現に私は師匠の魔力をそのままずっと蓄積できてるんですよね?」

「そこが不思議なのよねぇ。よっぽどあたし達の魔力の相性が良いのか、どんな魔力でも節操なく吸収できるあんたの体質が特殊なのか……」

眉間に皺を寄せて顎に手を当て、悩ましげに小首を傾げる師匠。節操がないという表現にひっそり傷ついていたら、笑いの発作から解放されたレイラさんが「節操がないだなんてとんでもない。師弟愛が為せる技ですよ」とフォローをしてくれた。そのことにほんの少し慰められていたら、クオーツまでもが小さく炎を吐いて抗議してくれる。

レッドドラゴンと良家のお嬢さんに責められた師匠は、新しいワインのコルク栓を抜きながら苦笑して。これ以上絡まれる前に潰してやろうという魂胆見え見えの体で、私達に最高級のワインを記憶が飛ぶまで飲ませてくれた。

***

何だかんだで楽しい思い出となった魔術師昇格試験から二週間。

ちょうど師匠のお店が定休日だったので、せっかくだから師匠のお店前で待ち合わせて三人で試験の結果発表を見に来たのだけれど──。

「おめでとうレイラ。これであんたも今日からこの国の魔術師の一人ね」

「ありがとう、ございます。これもお付き合いくださったお二人のおかげですわ」

「何を言ってるの。努力したのはあんたでしょ。あたし達は発破をかけただけよ。それに今回は残念だったけど、あんたも良く頑張ったわアリア。付け焼き刃でここまで構築が上達したんだから大したものよ」

「ありがとうございます師匠。師匠の鬼のようなしごきに耐えた甲斐がありました。それからレイラさん、昇格試験合格おめでとうございます」

受験者でごった返す視線の先に掲げられた合格発表の掲示板に私の番号はない。当然の結果なので驚きはないのだけれど、当の私よりもレイラさんの方がしょんぼりと項垂れている。私のことで落ち込んでくれるのは若干嬉しいけれど、せっかく合格したのに勿体ない。

そんな地面を見つめているレイラさんを挟んで師匠と目配せ。こんなことになるだろうと思って用意していたっておきをポケットの中で軽く握り込み、明るい声音で「レイラさん」と彼女の名を呼んで、ゆっくりと顔を上げる彼女の前に拳を突き出す。

「これ、師匠と私から。合格祝いです」

「え? でもわたしは何も──、」

「あたしは加工を担当しただけよ。ほとんどはアリアの頑張りね。何にも考えずに受け取ってやって頂戴」

師匠の付け加えた最後の一言で、咄嗟に辞退しようとしかけていた手を、申し訳なさそうに受け取る形にしてくれた。水を掬う形に揃えられた両の掌に私お手製の小さな蓋付きの籠を乗せる。視線で開けるように促すと、彼女はそっと壊れ物を扱うみたいに蓋を開けて。次の瞬間息を呑んだ。

彼女の細い指先が摘み上げたそれは、私が採取して師匠が加工してくれたドロップツリーの樹液でできたブローチ。台座はプラチナの蔓形で、据えられた樹液はその模様をそのまま活かした。

ドロップツリーの樹液は百年ほど経つとダイヤと同じ硬度を持つようになる。おまけに魔力も含んでいるので魔装具品として有名だ。効果は魔法陣構築時の魔力消費量減少。

薄いピンク色の樹液は固まった時代の差で濃度が変わり、何重にも連なった花弁の如く形成されるとあって大変市場人気が高い。加えてドロップツリー自体が結構強い気根系モンスター。うちの森の奥地にしか生息しないうえに個体数も少ない。

要約すれば〝超稀少品〟である。地面から私を突き殺そうとしてくる気根を、クオーツの背に乗ってやり過ごし、空からドロップツリーの本体真上に籠を構築。全体までは覆えなくても、本体の魔力を吸収して気根の動きを鈍らせるくらいならできた。そのうえで樹液を奪取したのだ。

「こんな──……こんな稀少なもの、とてもいただけませんわ」

「でもレイラさんがもらってくれないと、それジークさんにあげちゃいますよ」

「そうね。それであっという間に飲み代に消えるわ」

勿論嘘だ。そんなに容易くあげたりしない。私も師匠も慈善事業者ではないので、市場に出回るより多少お安く売り付ける。あくまでも多少。ギルドマスターの月給を四ヶ月分ほどいただくけどね。

だけど本来ギルドに入るようなお育ちではないレイラさんは素直に「はっ……ええ? こんなに稀少で美しいものを飲み代にですか?」と戸惑い顔だ。よーし、あと一押し。

「流石に全部ではないと信じたいですけど、あの人のことだから飲み代にはすると思いますよ。ね、師匠?」

「間違いなく、迷うことなくするわね。あの馬鹿なら。たぶん〝稀少だろうが何だろうが、アイテムで腹は膨れねぇ〟くらいは言うと思うわ」

ジークさんなら絶対言う。むしろ言う姿しか想像できない。二人でたたみかける要領で追い詰めると彼女はようやく納得したのか、表情を硬くして「慎んで頂戴致しますわ」と強く頷くと、おずおずと服の胸元にブローチをつけてくれた。

飾り気の少ない強そうな衣装のそこだけが乙女の色合いに染まって、非常に可憐である。大満足な装いになった彼女に「思った通り似合ってますよ」と言えば、レイラさんはほんのりと頬を染めてはにかんだ。

「さてと、それじゃあもうここに長居する必要もないわね。アリア、次はあんたへのご褒美の番よ。三人で何か甘いものでも買い食いしましょう。この間裏通りに新しくできた店があるの。穴場だから人もそこまで多くないわ」

「外で食べられる甘いもの! しかも人目が少ないってことは……」

「前髪だけ気をつけてたらフードは脱いでても大丈夫ってことよ」

「ですよね。やった~!」

「あの、わたしもご一緒してよろしいのですか?」

「良いわよ。勿論あたしの奢り。あんたも十月目前で体重が気になってるでしょうけど、今日くらい好きなだけ食べなさい」

そんな感じで午後の予定が決まり、さてそれじゃあ出発しようかと三人で受験者達の人だかりから離れかけたその時、不意に掲示板の方が騒がしくなった。師匠が背の高さを活かして、陽射しを手びさしで遮りながら状況を探ろうとしてくれる。

宝石みたいな紅い双眸がすがめられるだけでも美の暴力。それを下から見上げつつ「何か見えました?」と私が尋ねると、こちらを見下ろした師匠が微妙な表情で「ちょっと面倒なことになるかもしれないわねぇ」と言う。

何のことかとレイラさんと二人で首を傾げれば、師匠の口から「今ね、掲示板に新しい情報が足されたのよ」と続き。その言葉にさらに二人で頷くと、にわかに周囲の受験者達が戸惑いながら口にする数字が耳に入ってきた。

ふとついさっきまで手にしていて、もう必要がなくなったのでポケットにねじ込んだ受験票が頭を過る。

「アリア、あんたいったい何したの?」

麗しの師匠にそう悩ましげな溜息と共に聞かれましても、私にも身に覚えがないのですが。たぶんそんな困惑の表情が浮かんだんだろう。師匠は一瞬考え込む素振りをした。

「本当に試験官や受験者達に目をつけられるようなことをした覚えはないのね?」

「してませんよ~。初めての場所で右も左も分からないのに」

「それに受験の追試というのもおかしな話ですわ。普通は来年度の昇格試験まで待たなければならないのに……」

掲示板に新たに書き足されたのは、私の受験番号と明日にでも魔法学園に追試に来るようにとの内容だった。勿論追試をされるような心当たりはまったくない。

ひとまずあのままあそこにいても、同じ教室で受験した人に見つかれば妙なやっかみを買いそうだという師匠の言葉で、当初の目的通り穴場の甘味どころに場所を移し、可愛らしいケーキをつつきながら思案顔でのお茶会となった。

せっかく受験の重圧から解き放たれて美味しい甘味を食べに来たのに、いまいち素直に楽しめない。誰が何のためにわざわざあんな追記をしたのか分からないものの、水を差されて腹立たしいことこの上ないぞ。

「ま、本人に覚えがないなら話は簡単ね。今回の受験はそもそもあたしが弟子のあんたの成長を知りたくて、あの宮廷魔導師の坊やをけしかけただけだもの。そのおかげで今のあんたの力量も大体分かった。後はあんたが魔術師になることに興味がないのだったら、もうあの呼び出しに応じる必要はないわ」

「レイラさんの前でこんなことを言うのは失礼かもなんですけど……魔術師になることに特に興味はないですね。それよりも師匠の言葉をそのまま受け取るなら、招集を無視するってことですか? そんなことしても大丈夫なんです?」

「ええ。アリアさんはまだ国に登録される魔術師としての縛りがない状態だから、あの呼び出しに拘束力はないわ」

「そういうこと。分かったらもう情けない顔をしてないで、おかわりでも注文なさい。クオーツのお土産もあんたが選ぶのよ?」

二人から心強い答えをもらったことで安心した私は、汚城で留守番をしてくれているクオーツのためと、しばらく街に出てくることのない自分のために、師匠が呆れるくらい大量のお土産を注文したのだった。

***

──三日後。

ひとまず無視したところで何の音沙汰もなく無事に日が過ぎたので、例によって例の如く早朝ギルドの掃除に励んでいる。しかし毎日不思議なくらい新しい汚れが見つかるものだ。おかげで掃除用具の消耗の早いこと早いこと。

先日経費でデッキブラシを新調してもらっていなかったら、また毛の少なくなったたわしで床を磨かないといけないところだ──と、大まかにスライム溶液で床石の血の染みを溶かしてデッキブラシで磨きながら思う。

「あ、クオーツ。血の臭いがするからってバケツのお水飲んじゃ駄目だよ。時間が経ってるやつだとお腹壊すかもしれないから」

「クルルルル……」

「うわ不満そう~。冗談だってば。毎日師匠の美味しいご飯食べてるんだから、血の臭いがする程度でバケツのお水は飲まないよね~」

「ギャウギャウ!」

心配性な師匠の依頼を受け、護衛としてついてきてくれたクオーツをからかったら、クオーツは縁をおさえて覗き込んでいたバケツから顔を上げて抗議してくる。でもちょっぴり舐めようと伸ばしていた舌がしまえてませんよ。

「今夜は久しぶりに師匠に頼んで未調理の生肉でも食べてみる?」

「キュー……ウウウ!」

「あはは、一瞬悩んだけど嫌か~。本当に街の子になっちゃったね~」

なんてことを話しながら目地めじに残った血液汚れを雑巾の端をスライム溶液に浸し、指に巻き付けて拭っていく。

多少指先が溶液に溶かされてピリピリするものの、希釈してあるからすぐに洗い流せば大事にはならない。二日ほど指紋はなくなるし、細かく傷ができるから料理はできなくなる。まぁ……私の場合は傷がなくても食材に触らせてもらえないけど。

いったいここで何があったんだ、まさか殺人ではあるまいなと思いつつ黙々と錆色の床を磨ききり、掃除道具を元の場所に片付けきったところで柱時計が鳴り、まるで見計らったように裏口のドアノブが回った。

けれどいつものように両手を給金袋が置きやすい形にしてドアに近付くより早く、クオーツが私の襟首を咥えて魔法陣の方へと引きずろうとして。その奇妙な行動に怪訝な表情を浮かべながらも従うと、薄く開かれたドアの向こうから思いがけない二人組が姿を現した。

「ほらよ。まだ誰もいねぇだろうが。ったく、宮廷魔導師様だかなんだか知らんがな、こっちの就業時間を無視するのはやめてもらいたいもんだぜ」

「それについては申し訳ない。だが金はそちらの言い値で払う」

「そういう問題でもないんだわ。うちが貸せるのは戦闘員であって掃除婦じゃあない。掃除婦が欲しいなら家政ギルドの方に行ってくれると助かるんだがな?」

凄く不本意そうな表情のジークさんとあのエドモント・オルフェウス。接点らしい接点なんて私が彼をここに放置したことくらいのはずだけど……と思っていたら、急に彼が迷いなく私とクオーツの隠れている方に向かって歩いてくる。

慌てて魔法陣に飛び乗ろうとしたその時運悪く魔法陣が光り、そこから泉の精霊と見紛う師匠が現れたかと思うと、いきなり抱き寄せられて。

「……彼女をお借りしたい」

「残念、お断りよ」

師匠の良い匂いだけど硬い胸に顔を埋めた状態の私の頭上で、何か分からないけど緊張が走った……って、ええ? 本当に何ごと?

朝の爽やかな気配から一転、どす黒い空気が渦巻いた空間に待ったをかけてくれたジークさんに連れられ、話し合いの場所をギルドマスター……要するにジークさんの執務室に移した。

宮廷魔導師様な彼は前回ここに来る羽目になった経緯のためか、この部屋に入るなりうっすら嫌な表情を浮かべたけど気にしない。

大きくて立派だけどかなり年季の入った応接ソファーの上からジークさんの脱ぎ散らかした服や、食べこぼしの目立つ書類を端に避けることから始まった。ちなみに片付けをしたのは私一人。いつもお手伝いをしてくれるクオーツ以外の男性三人は役に立ちそうもなかったから、部屋の隅に寄っていてもらった。

時間外労働なのであとでお給金の追加を申し出ようと心密かに決めつつ、最終的に師匠と私、膝の上にクオーツ、向かい側に毎度お騒がせな登場をする彼、ジークさんは執務椅子という場所に落ち着いた。

「え~と……それで、エドモント・オルフェウス様でしたっけ? 追試の呼び出しに応じなかったからこんなところまで来たんですか?」

「待て待て。こんなところとか言うなって。一応うちだって裏じゃあそれなりに名前が売れてるギルドなんだぞ」

ギルドの就業時間が近付いているのでさっさと核心をついた質問をしたのに、それを聞いていたジークさんからこちらの気遣いを無視したヤジが飛ぶ。

クオーツだって静かに空気を読んでくれているのに……と思っていたら、隣に座っていた師匠が「ジーク、裏で有名っていうのは表じゃ無名と同義なのよ」と容赦のない突っ込みを入れて黙らせてしまった。

部屋を貸してくれている手前少し可哀想だなとは思ったものの、ジークさんは室内の時計に視線をやると、伸びを一つ。執務椅子から立ち上がるとドアの方に向かって歩き出す。

「へいへい。そんじゃあそろそろ一番早い連中が仕事に来る時間帯だからよ、うちの連中に表の方にまで轟くような仕事でもさせてくるわ。まぁ、書類に触らない限りはこの部屋は好きに使っとけ。じゃあな」

そう言うが早いかジークさんの姿はドアの向こうへと消えて。室内には正当な部屋の主をそっちのけにした三人と一匹だけが残された。

「では……話を続けるが、そういえばそんな話もあったな。僕はその件とは別件だが、一応そちらの話もしておこう」

おかしいな。別件って言ったこの人? という疑問は隣の師匠に筒抜けだったらしく、こちらに視線を寄越す師匠の瞳に〝様子見するわよ〟とあったので、ひとまず頷いた。クオーツは分かっているのかいないのか、長い首を緩く上下に揺らす。

でも向かいの彼を見る目が怖いのは何でだろうね。

「合格者発表の日に掲示板に付け加えられた君の受験番号と〝追試〟の理由は、まず君の年頃で実務経験が五年あるということと、筆記試験の結果。そして実技試験で見せた魔術構築の独自性に注目した他の試験官達が、君を入学させて一から学ばせてみてはどうかという見解を持ったからだ」

こうして淡々と理由を語られてみて一応は合点がいった。私としても今まで学校に通うという経験がないので憧れがないわけでもない。決して悪い条件ではないんだろうけど、だからといって今さら引きこもりの私が一般の子達と机を並べて勉強ができるかというと──……自信がない。

何よりも顔の傷について絶対に何か言われるのは間違いないだろう。あの日は私の他にもそういう人がいたから気にならなかったけれど、基本的に外の人間は怖い。こちらが何もしていなくても瑕疵かしを探してくる視線を思い出して、思わず膝の上にいたクオーツを抱き締めた。

「そう。そういうことなら一応合点がいくわ。でもね、魔導師の坊や。あたしは弟子が怖がる場所に通わせるつもりはないの。この子はこれまで通りあたしの下で魔術を学ばせるわ。この子にその気があるのなら、そして本当にその道を目指すつもりなら。あたしは師として次の試験までに魔術師として仕上げる」

きっぱりとした声でそう言ってのけてくれた師匠を見つめると、こちらを見ないまま「不細工な表情してるんじゃないわよ」と呆れたような、甘やかすような声が返ってきた。この人は普段の生活態度が全然しっかりしてないのに、時々こうやって大人なところを見せては私のなけなしの乙女心をくすぐってくる。

弟子で良かった。師匠の珍しく険しさの残る横顔に見惚れていたら、オルフェウス様が「次は僕の用件だが」と、無粋にこの空気をぶった切ってくれた。どこまで好感度を下げるつもりなのだろうかと思いながらも嫌々そちらへ視線を移せば、彼はこちらの不機嫌さをものともせずに無表情に口を開く。

「無駄は嫌いなので単刀直入に言う。君に僕の助手になってもらいたい。移動に使う新しいワイバーンを捕らえに行きたい」

──ほうほう、成程。これは非常に簡単な問題で師匠に伺いを立てるまでもない。無駄は嫌いだそうなのでこちらも言葉を選ばずにバッサリ答えることにした。

「は? 単刀直入に言って嫌です。でも一応興味本位で聞きますけど、前にいた二頭はどうしたんですか? あとどうして魔力もほとんどない私にそんな面倒……おっと、重要そうな仕事ができると思うんです?」

流石に間髪を容れずに断られると思っていなかったのだろう。一瞬だけ髪と同じ紫紺色の目が見開かれたことに内心愉快な気分になった。

すると彼は苦虫を噛み潰したような表情で「断るなら聞く必要はないだろう」と、宣言通りこれ以上の会話に費やす時間の無駄を悟って席を立とうとしたのだけれど、隣にいた師匠が「ちょっと面白そうな依頼ねぇ」とぽつりと言ったので。

「座って。もう少し詳しい話でも聞かせてもらいましょうか。特に私の何が助手として求められているのか教えてほしいです」

まぁ師匠が乗り気だって言うなら? 断るのもなんですし? さっきの言葉はなかったことに。前言撤回と決め込みますとも。

こっちの掌返しにオルフェウス様の顔に苦々しい感情が広がっていく。そこは話を聞いてもらえることを喜ぶところでしょうが。会話の主導権を握ってドヤッている私を見て、師匠がニヤッと悪い笑みを浮かべながら「ですってよ?」とさらに追撃する。

ドヤッとニヤッに挟まれ、宮廷魔導師の肩書が魔物が跋扈ばっこする森に住む私達に効かないと分かったのか、オルフェウス様は溜息をひとつ吐き、不機嫌そうに口を開いた。

「君の大雑把で適当な魔術が、数で押してくるワイバーンの捕獲に最も適しているからだ」

「ふむふむ、籠編みの魔術は私みたいに懐が広くないと使えない魔術で、オルフェウス様はみみっち……いえ、正確無比な遊びのない魔術しか使えないから、自在に飛び回るワイバーンを捕まえるのに適さないってことですか。理解しました」

「君は余計な言葉を挟まないと会話ができないのか?」

「オルフェウス様こそ素直に〝オレの魔術だと相性が悪いんだよね。だから手伝ってほしいんだ。勿論無料でとは言わないよ〟くらい言えないんです? 私は別に貴男の同僚でも、部下でも、友人でもないんですから。その鼻につく態度を改めないと職場で絶対嫌われてますよ」

「…………余計なお世話だ」

「あ、すみません。図星指しちゃいましたね」

ひゅー、睨んでる睨んでる。普段毒舌な師匠と会話をしている私と皮肉の応酬をしようなんて百年早いわ。ここでさらに〝疲れ目になりますよ?〟とか煽ったらどうなるんだろうと思っていたら、ようやく師匠が「あんまり坊やをイジメないの」と口を開いたので、お利口さんな私は口を閉じた。

「アリア、魔術は想像力だって教えたでしょう?」

「はい。百万回は聞いてると思います」

「どれだけ頭に留めてるのかは気になるとこだけど、まぁいいわ。おそらくだけど、坊やの魔術の術式の中にも大量に敵を拘束するものはあるわ。ただあんたが今言ったように、とても精緻なものよ。これは憶測だけれど対象者の影を縛る系だと思うわ。この手のものは陽の下やほんの僅かでも光があれば使える。多人数の足止めには最適よ。でも弱点がある。それが何か分かるかしら?」

歌うような師匠の美声に聴き入る私の正面で、オルフェウス様が眉間の皺を一層深くした。今日はやたらと図星を指される日だと思ってるんだろうか。でも止めに入らないということはこの弱点は聞いても良いってことなんだろう。そもそも宮廷魔導師の弱点を一つ知ったところで私が勝てるわけもないもんね。

ということで、師匠から出された問題を考えてみる。

光があれば大勢を一網打尽にできる。わざわざほんの僅かでもというからには、よっぽど弱い光でも薄く影ができれば大丈夫で、大勢が一斉に止まってる状態なんてほとんどないだろうから、対象者が動いていても問題なさそう。

大事なのは影を使うことだけど、出題内容から考えるに〝影ができない雨天や新月を想定しないものとする〟はあり得る。

それ以外で影を使えない条件となると──……。

「ああ、分かりました! 影を映す地面ないし壁や天井がないと使えないんだ!!

閃きの興奮のまま思わず割と大きな声で答えた私に、図星を指されすぎたオルフェウス様から「言っておくが他にも捕縛する魔術は使える。効率的に複数捕まえた中から選びたいんだ」という、胸のすく負け犬の遠吠えを聞けたけど。

師匠の「正解。やるじゃない」の言葉の前には無価値なんですよ。