森上空より不審者来たりて毒を吐く
「今日は店が終わった後レイラと今後の打ち合わせをしてくるから、あんたはクオーツとしっかり留守番しておくように。もしもおかしなことが起こった場合は、憶えたての魔術を過信しないで、クオーツと一緒に城に隠れていなさいね?」
「も~……子供じゃないんだから分かってますってば」
白い絹のシャツと長い脚をさらに長く見せるスラックスを颯爽と着こなし、髪を緩く纏めた師匠は今朝も靴下を探し回らせたくせにそう保護者ぶった。今日は目蓋にのせた極淡い水色の化粧とサファイアの耳飾りで夏らしさを演出している。
その手には昨日あれからささっと完成させてしまった美容パックの完成品。恐るべきことにスライムパックは皮膚の表面に残った不純物だけを綺麗に溶かし、必要な部分はかぶれもしない夢のアイテムだった。
私の傷痕の表面は常に少しがさついているのに、スライムパックを一晩我慢してつけたところややしっとりとしている。これなら原材料を知らなければダロイオと同じく売れ筋商品になること間違いなしだろう。だから──。
「自分から申告するのは子供の証拠よ。ほら、良いからこっちにいらっしゃい」
口調の割に有無を言わさない感じで引き寄せられて、その唇が魔力を流し込むために傷痕へ触れて。いつもなら師匠の唇に傷がつかないかと冷や冷やするけれど、今朝はしっとりとしているから安心だ。まぁスライムのおかげというのが素直に喜べないけど。
時間にして三分ほど。じんわりと感じていた熱が離れて「じゃあ行ってくるわ」と言い残すや、こちらの答えも待たずに師匠は工房に行ってしまった。
残された私の溜息と「人の気も知らないで……」という呟きを聞いていたのは、テーブルの上に残ったソーセージを囓るクオーツだけだった。
その後はすっかり人間のご飯に慣れ、ドラゴンとしての食生活を忘れたクオーツを急かして食後の後片づけと、やりかけだった第二図書室を掃除し、日が真上からややずれた頃に汚城で出た生ゴミとあるものを手に外へ出た。
誰も見ていないのを良いことに前髪をスッキリ上げて、傷の残る顔を八月の陽射しの下に晒す。正常な肌と異常な肌が平等に晒せるこの森は、やっぱり私にとって特別な場所である。
「えっとねクオーツ、ちょっとこの紙を見てくれる?」
足下に立っていたクオーツが私の言葉にどれどれとでもいうふうに伸び上がり、簡単な図を描いた紙を覗き込んでくれる。しばらくその黄色い瞳がキョロキョロと紙の上を行き来して、やがて理解を示すように「ギュッ」と鳴いた。賢い子だ。
「ん、見たね? それじゃあ早速お願いなんだけど、今から大きくなってあの木から……あっちの木までの間にある雑木を尻尾で薙ぎ払ってほしいの。師匠が帰ってくるまでにある程度形にしておきたいから、一緒に頑張ってくれる?」
手を合わせてお願いの格好をすれば、クオーツは「ギャウッ!」と元気良く返事をしてから一度その場で蹲り、陽炎のような光を纏い始める。その間に私は近くの木の根元に座り込み、猫くらいだった体躯が遠近感の狂う変化を遂げて再び立ち上がるのを見ていた。
元の大きさよりほんの少し小さいくらいの大きさになったクオーツが、地上を見下ろして私の居場所を確かめる。
こっちも見つけてもらいやすいように木の根元から出て大きく手を振って見せると、クオーツは一つ頷き、次いで太い尻尾を使って地面を掃いた。それだけで人間の木こりが数ヵ月かけてこなしそうな仕事が、一瞬で終わるのだから凄いものだ。
空を飛ぶなとは言われたけれど、森の中で暴れてはいけないとは言われていないし、できれば化粧品には普通に草木系の材料を使いたい。
ベキボキと凄まじい音を立てて倒れていく木々。飛び立つ小鳥に交じって魔物もチラホラ。その轟音と土煙から私を護ってくれるのは、師匠にもらった耳飾り形の護符である。これがなかったら鼓膜が破れて土煙で肺をやられているところだ。師匠に感謝。
「良いね~、かっこいいよクオーツ! それじゃあ次は薙ぎ倒した木を一ヶ所に集めてその立派な爪で樹皮を剥いたあと、ついでに地面を抉ってほしいな~?」
現場監督にしかなれない私は、森の中にある畑のさらなる拡大作業に着手するべく、無垢なレッドドラゴンをおだてて土木作業を頼む。まず必要なのは生ゴミを
本当なら岩盤にも穴を開けられそうな爪で地面に穴を掘り、そこに生ゴミと掘り戻した土を混ぜ込む。
器用に座り込んでベリベリと生木から樹皮を剥くクオーツと、籠編みに向いている樹皮の選別をする私。けれど急に手許が暗くなって顔を上げれば、隣でクオーツが翼を広げて私を庇うようにして、空を見上げたまま喉の奥で唸り始めた。
翼の下から少し顔を出してクオーツの睨む先を見上げると、森の上空にワイバーンらしきものが一頭大きく旋回している。キラキラ光る様から何か金属的なものをつけている可能性大。ということは背に誰か乗せているっぽい。
「ね、クオーツ。何か分からないけどまずい感じがするから城にもど──」
〝ろう〟と続ける前に、上空を旋回していたワイバーンが一声大きく啼いて。その直後にカパッと開いたクオーツの口から上空に向かって巨大な火柱が上がった。
***
昼の十二時まではまだ三十分ほど残っていたものの、今日も今日とて持ち込まれるギルドの連中が依頼中に壊した機材、建物、人間関係、その他諸々の始末書や請求書なんかの処理で、もう腰も精神もボロボロだ。何で頼んだ仕事の報酬よりも被害総額の方が多くなるんだうちの連中は。脳筋しかいないのか?
ギルドマスターとして己の健康は大事な飯の種。それを守るために早めに昼休みに入るのは褒められて然るべき行為だ。ということで、ギルドの連中と真面目なレイラに鉢合わせしないように、こっそり窓から執務室を抜け出そうとしていたら、運悪く控えめなノック音に首根っこを掴まれちまった。
「あー……誰だ」
『お忙しいところをすみません。レイラです。お耳に入れておきたいお話があるのですが、お時間よろしいでしょうか?』
「おぉ、そうか……分かった。入れ」
真面目ちゃんな奴からの〝耳に入れたい話〟は面倒でしかない。でも聞いてやらねぇともっと面倒なことが起こるのは、これまでに無視して痛い目を見た過去からも自明の理。内容としては報酬持ってよそのギルドにトンズラしたり、メンバー内の色恋の仲裁を断って
ろくでもない記憶にこめかみを押さえている間にドアが開き、おずおずと遠慮がちにレイラが入室してきた。今日はレザーパンツにコルセット? とかいう、これもまた同素材の装備だ。以前までのヒラヒラした動き辛そうな格好よりよっぽど良い。
──と、いかんいかん。
ジロジロ女の装備を見てたらアリアに何を言われるか分からねぇ。レイラに向けていた視線を執務机の書類に落とし、無言で手招く。それに従って執務机の前に立ったレイラは、元から短いタレ眉をさらに下げ、唇を引き結んでいる。
「どうした。そんな辛気くさい面して。何かあったんなら、この優しくて頼りになるオジサンに話してみろ。正直解決できるかは分からんが、聞くだけなら聞いてやる。勿論解決できそうなことなら多少は手も貸してやるぞぉ」
思い詰めた表情の相手から話を聞き出すには若干ふざけた方が良い。椅子にふんぞり返ってやる気のない声でそう言ってやると、レイラは肩に入れていた力を抜いて「まぁオジサンだなんて御冗談を。ですが、ありがとうございますギルマス」と微かに笑った。
そうして良い感じに緊張がほぐれたレイラが語り始めた内容は、確かにこの娘からしてみれば少々戸惑うものだっただろう。ただギルドマスターなんてまともじゃない職に就いているオレからしてみれば、そんなに珍しいことでも驚く話でもなかった。
「ふぅん、母校の図書館で試験に使えそうな本を探してたら、魔導協会に所属してる教授達が、ルーカス達の住んでる森に国からの調査が入ると話していたんだな?」
「不法占拠者がいた場合は強制排除も視野に入れているとか……」
「その話自体は数年に一回くらい持ち上がるんだが、実際にあそこに巣食ってる魔物を退治しながらの調査ともなると、そうそう現実的じゃねぇんだわ。うちにも依頼がきたことはあったが全部蹴った。割に合わねぇんでな。だから何回も話題に上がってはポシャっていやがる」
「そ、そうなのですね。わたしったら早とちりしてしまって、お恥ずかしいですわ。お仕事の手を止めてしまい申し訳ありません」
「いい、いい、それくらいアリア達が心配だったんだろ。こう見えて友達思いの子は嫌いじゃねぇのよ、オジサン。あそこはかなり危険だが一攫千金に値するものがウジャウジャある。連中はそれが喉から手が出るほど欲しいんだよ。ま、わざわざまたそんな話題が上がったってことは、多少何か使えそうな手でも見つけたんだろ」
「ええと、使えそうな手というか、人材でしょうか。はっきりとは聞き取れなかったのですが、派遣されるのはかなり優秀な方のようでした」
「ははぁ。連中の言う〝かなり優秀な人材〟ってのは、潰しておきたい若手のことだ。誰かは知らねぇが運のない奴には違いねぇな」
勝手に手柄を焦って有望な若手が死ぬ脳筋な一般の冒険者ギルドとは違って、頭でっかちな魔導協会の連中は、将来有望そうな若手潰しに〝調査依頼〟を出す。
無事に調査から帰ってきたらそれはそれでめっけもの。駄目なら優秀な人材はそこで死んで退場し、自分達を脅かす存在は去る。魔導協会に所属する奴等の全員が全員そうだとは言わないまでも、半分くらいはそういう連中の集まりなのだ。
魔導協会に所属するのは強制ではないし、入会にも魔術師の資格保有者が優先されるので、所属しないものも多い。ギルドに所属しないで仕事をする輩もいるしな。どっちにしても手数料や加入できる保険の問題が大きいから、所属する方が楽なのは楽だ。
けど縛られるのが嫌だと抜かす連中も一定数いる。これはどんな業種でもあるあるだろう。
「それでお前さんはこの話をルーカスのとこに直接持っていかずに、オレに話しに来たのはどうしてだ。言っちゃあなんだがよ、オレができることはないだろ?」
「それは……あの、し、信用してもらえるか、怖くて」
「ああ?」
「ルーカス様はあんな凶行に及んだわたしにも親切に接してくれる方ですが、それはアリアさんが間に入ってくれるからかもしれなくて、それで、もしも──」
「あー、成程な。この話を直接持っていったとしても、ルーカスの奴が〝まだ自分を信用してくれていなかったらどうしよう〟ってことか?」
なんだそりゃ。今さら過ぎるだろ。あいつはどの道誰も心から信用したりしない。しないでも付き合えるのは奴がとんでもなく強いからだ。
だから人間関係で信用されていないから云々は、あいつに説くだけ、期待するだけ無駄なのだ。とはいえそんなことを教えてこの娘の気遣いを潰すのもなぁとは思う。まだまだ真っ直ぐに伸びられる人間に現実を突きつけるような嫌な役は、オレ以外の誰かがしてくれればいいってもんだよな。
「よぅし、そういうことなら手伝ってやれそうだ。ちょうどもうすぐ昼休みだしよ、ちょっと早いがルーカスの店に顔を出しに行くか」
「ありがとうございます!!」
というようなことで話が纏まったので、今度は窓から抜け出すようなことはせずに、堂々とギルドの表玄関から出たものの──。ギルドの連中から「若い子に悪いこと教えないでよ~」「レイラちゃん、ギルマスなんかとデートするなら俺としよ」「どうせだからさ、何か臭い消しとか見繕ってやってよ」「ついでに何か貢がせろ」などなど。
すれ違う度にかけられる優しい言葉に「てめぇ等、次に器物破損したら全額自腹だからな」と言い残し、ルーカスの店に向かった。
道中隣を歩くレイラの方から忍び笑いが聞こえてきたものの、さっきまでみたいな悲愴な顔をされてるよりはマシだ。昼休みだけでは時間が足りないだろうから、昼飯とご機嫌取りの菓子も購入した。これで午後の仕事もサボれる。今日は久々に直帰だな。
そんなことを考えているうちにいつの間にかルーカスの店の前に立っていた。無意識に来られるくらいにサボりに来てんのか。反省する気は全然ないが。
誰が来たのか一発で分かるように無遠慮に叩けば、ぼんやりとガラス越しに透けて見える輪郭に「壊したら弁償させるわよ」と投げかけられて、ドアへの暴行を止める。錠が外れる音と同時にドアから不機嫌な面が出てきた。
「おうルーカス、邪魔するぞ」
「営業中に失礼しますベイリー様」
「ジークはいつも邪魔しにくるけど、レイラはいったいどうしたの? 今日の約束は確か閉店後だったわよね?」
オレはともかく一緒にいた人物が意外だったのか、ルーカスの顔から怒気が薄れる。その当然の疑問に緊張しているレイラに合図をしてやると、頷いたレイラが不安そうに口を開いた。
「先程わたしの母校の図書館に試験で使えそうな記述のある本を借りに行ったのですが、そこで教授達が話している会話を聞いてしまったのです。その内容が少し気になったのでお耳に入れておこうと参りましたわ」
彼女の声音の硬さにルーカスが黙って続きを待っていたその時。何かオレ達には見えないものを感じたらしいルーカスが、ほんの一瞬目を見開いた。
***
突如至近距離で上がった火柱の熱と迫力に呆然としたのは一瞬。恐怖で気絶してしまったのか、地上にいたこちらに向かって雄々しく啼いたワイバーンは、クルクルと
その背中には鞍らしきものに必死にしがみついて手綱を引いている人の姿。ワイバーンの正気を取り戻そうとしているみたいだけど、あれではもろとも地面に激突してしまう。
「クオーツ、あのワイバーンごと受け止められる!?」
「グルル……」
「危険人物っぽい人だったら食べちゃっても良いから!」
「ギャウ!」
物騒だけど短いやり取りの直後。クオーツが本来の大きさに戻り、ご機嫌で墜ちてくるワイバーンの確保に飛び立った。ワイバーンは魔力を持たないため、墜ちる速度はそのまま重さとして換算される。その勢いを殺すのは至難の業だろうが、クオーツは地面に激突する前に手綱や鞍を留める金具ごと鉤爪に引っかけ、体勢を崩すこともなく受け止めた。
宙吊りの状態になったワイバーンとその飼い主を、クオーツがそのままブラブラと揺らしながら降りてくる。絶対にわざとだ。左右に揺られるワイバーンは無反応だけど、手綱を身体に巻きつけている乗り手は何か叫んでいる。たぶん〝やめろ馬鹿〟とかそんなふうな内容だと思う。
降りてくる前に上げていた前髪を撫でつけながら下で待っていると、ようやく気が済んだらしいクオーツが降りてきた。その姿たるやまさに捕食者。手に持ってるお土産感よ。さっきまで元気に叫んでいた背中に乗っている人も、気絶したのかぐったりとしてしまっている。
クオーツは私の前にベッとワイバーンと乗っていた人を捨てた。完全にどうでもいい荷物の扱い方だ。中身が壊れてないと良いけど……お高そうな紫紺のローブに身を包んだ不審者はピクリともしない。
「ご苦労様。咥えて降ろしてくる時にこの人のこと囓ったりした?」
「クルルル……ギュー?」
「してないか。偉い偉い。お前は本当に器用で賢いね~」
言われる前に開墾作業時の大きさまで戻り、得意気に鼻面を擦り寄せてくるクオーツを撫でつつ、取り敢えず安否確認のためと、武器の所持の有無を確かめるために、そーっと近付いて爪先でローブをなぞる。
するとやや予想はついていたものの、爪先で探るローブの中。腰の辺りに硬い感触があった。爪先でその部分のローブを払い除けると、そこには華美な剣帯に繋がれた細剣が。そこで思わずさっき掘ったばかりの堆肥作り用縦穴に視線が向かう。
幸いにもまだ目撃者は私とクオーツだけだ。明らかに面倒事を持ち込んできたらしい人間一人くらいなら、当初の約束通りクオーツに食べさせてあげようか?
それとも埋めて堆肥の原料にしてしまうか、迷う。でも考えてみたらクオーツが人の味を憶えてしまっても困るのか……ということは。
「懐の深い森に召し上がっていただくしかないかぁ」
「ギャウウウゥ……」
「人間なんて大してお腹に溜まらないって。師匠が帰ってきたらもっと美味しいもの食べさせてくれるから」
猫なで声で説得を試みると、すっかり師匠の作る人間のご飯に胃袋を掴まれてしまっていたのか、クオーツは案外あっさりと納得してくれた。話も纏まったし、それじゃあ早速とクオーツがワイバーンの首根っこを咥え、私がローブの人物の両脇を抱えたその時、目の前に良く見知った魔法陣が浮かび上がって──。
「そこまでよ馬鹿弟子と馬鹿ドラ。今すぐその抱えてる侵入者を離しなさい」
「え、えへへ? え~と……師匠、随分お早いお帰りです……ね?」
「あら、あたしの留守中に森の結界に大穴が開いた気配がしたら、普通に帰ってくるわよ。当然でしょう。それにもしもあたしが帰って来なかった場合、その侵入者はどうなってたのかしらね?」
言葉は質問の体を取っているけれど、視線は堆肥作り用に作った穴の方へと向けられている。隣でクオーツがワイバーンの首根っこを離して、いつもの猫くらいの大きさへと縮んだ。それを見た私もゆっくりと不審者の両脇から腕を引き抜く。
すると師匠はそんな私達を見て呆れたふうに眉根を寄せ、でも怒ってはいない声音で「よく留守を守ったわね」と言ってくれた。そのことが嬉しくて頬がだらしなく緩む。けれどそれも次に師匠の口から出た言葉で凍りつく。
「本当、あんた達が埋める前に間に合って良かったわ。レイラが教えてくれた情報だと、その不審者一応それでも宮廷のお抱え魔導師の一人らしいから」
面倒の桁が想定よりさらに三つほど上っぽい謎の人物は、頭痛を感じ始めたこちらの気も知らないで、視界の中で暢気に一つ寝返りを打った。
聞けば、師匠は店でレイラさんにちょうど宮廷魔導師の噂を聞いていたところ、森の結界の揺らぎを察知して飛んできたそうだ。
ひとまず気絶したワイバーンはクオーツに見張りを頼み、不審者を日陰に引っ張り込んで暑苦しそうなローブを剥ぐと、中から現れたのは随分不健康そうな顔色をした青年だった。真夏なのに日焼け一つしていないというか、日に当たったことがあるのかという色白さ。
常時気怠げなのに美しい師匠とは違って、どことなく影のあるくせに目を引くのは、珍しい夜の宵闇に近い紫紺がかった髪と、夏にもかかわらずしっかり首の上まである襟の下にチラリと覗いた
刺青が気になっていた私を追い立てるように、師匠が近くの水場まで水を汲みに行けというから従って、さらに汲んできた水でお高そうなローブの端を濡らして顔を拭ってあげたのだけど──。
「いきなり攻撃をしかけてくるなんて……非常識だ」
起き抜けのその掠れた第一声に呆れて溜息をついてしまった。
何だこいつ。
でも何だこいつと思っているのはお互い様なのか、濡らしたローブを見て微妙な顔をされてしまった。すぐ腰の剣帯を探って、そこに剣がないことでまた睨まれる。
師匠が「危ない玩具はあたしが預かってるわよ」と自身の後ろから取り出して見せると、無言で唇を噛む。非礼なのは絶対に突然上空から来た方なのに。
「それは悪かったですってば。でも先にクオーツを馬鹿にしたのは、たぶん
「何故そんなことが言い切れる。君はドラゴンの言葉が分かるのか?」
小馬鹿にするというのではないけれど、一から十まで筋の通った論理とかを求めてきそうな人だ。
隣で立て膝をして座っている師匠の顔を見上げれば、師匠は「質問されてるのはあんたよ」と笑った。それは確かにそうなんだけど、ほんの少し距離を置かれたみたいで心細く感じてしまった。でも敵の前で気弱な素振りを見せちゃ駄目だ。傷痕のある方の前髪をしっかり押さえたまま毅然と口を開く。
「分かりませんよ。単にクオーツはこの森に来てから、自分で何かに襲いかかったりはしていないから憶測です。宮廷魔導師だか何だか知りませんが、この森に人が住んでないと勝手に思い込んで、押し入ろうとした状況なのはそっちですよ」
頑張った。レイラさんと知り合ってからマシになったとはいえ、元人見知りとは思えないくらい頑張った。なのに──。
「貴重な動植物をあんなふうに粗末に扱う君に言われる筋合いはない。僕が今日ここに来たのは、この森の生態系の可能性に興味が湧いたからだ。それに調査許可は国と魔導協会に得ている。不法占拠者はそちらの方だ」
バッサリ一刀両断だった。この人の言う〝あんなふう〟とはあの畑にしようとした一帯のことである。立て板に水な屁理屈に今日一番イラッときた。
第一今までだって森はここにあったのに、今日まで放置しておいて不法占拠者呼ばわりとは何たる言い様だ。
「へえぇ。そんなこと言って、単にこの森に棲んでいる魔物を怖がって今まで手が出せなかっただけでしょう。多少開拓して住みやすい土地になったからって横取りしに来たんですか?」
「はいはい、そこまで。落ち着きなさいなアリア。一応彼の言い分には筋が通っているわ。不法占拠者はあたし達の方よ」
まだまだ言いたいことは山程あっても、師匠にそう言われてしまっては流石に引き下がらないわけにもいかない。私が口を閉ざせば、今度は師匠が無礼な侵入者の彼に向かってにこりと微笑みかけた。その表情であっと思う。
一見優しげに見えるその微笑みには、師匠が私の勉強を見てくれている時の愉悦が交じっていたからだ。
「うちの弟子が失礼したわ。でもね、貴重な動植物だとかどうだとか、そういう建前は良いのよ。あんたが狙ってるのはこの森の魔物でしょう。だってあんたはテイムの魔術に特化しているものね?」
師匠のその言葉に驚いたように目を見開いた彼は、観察する私の視線に気付いてすぐに俯いたものの、苦々しげに「何故分かった」と言った。すると師匠は自身の首をトントンと叩く。小首を傾げてとる小さな動きすら、いちいち芝居がかっていて綺麗だ。
「あんたの身体に入ったその刺青よ。この子に水を汲みに行かせている間に怪我がないか診るためにひん剥いたの。そうしたらクオーツがあんたのそれを見て酷く嫌がったわ」
ひん剥いた云々はまぁ置いておくとして、クオーツが嫌がったということが気になって「テイムに特化してるはずなのに何で嫌がったんです?」と訊くと、師匠は授業をしてくれる時のようにゆったりと頷いて続ける。
「簡単なことよ。一般的な魔導師──いいえ、人間の持つ魔力程度では、ドラゴンみたいな長命で知能の高い魔物はテイムできないの。でもその他の魔物なら方法によっては可能よ。こうやって隷属性の魔術を構築することができればね」
そう言った師匠の表情に感情の揺らぎは見られない。かなり道徳的に問題があるように思えるけど、たぶんまたいつもの〝魔術狂い〟な人種にしか分からない何かがあるのだろう。そう思ってやや悔しい気持ちになった私の心情を察してか、師匠の手が優しく頭を撫でてくれた。
「まぁ何にしても、この森を出ていけと言うのなら出ていってやらなくもないけど、その場合は宮廷魔導師を十人は使って結界を維持することね。勿論あんたが一人で支えても良いのよ? 最年少宮廷魔導師のエドモント・オルフェウス殿」
居丈高で、慇懃無礼にかっこよく。相手を最大限に小馬鹿にした笑みを含んだ師匠の発言に、エドモントと呼ばれた彼が明確な敵意を向けてくるのが分かったけど。言い返せない弟子の腹立たしさを代弁してくれた師匠の姿にドヤってしまう雑魚な私なのである。
***
真夏の青空からやってきた不審者との邂逅から三時間後。穏やかな世界から目覚めて震えるワイバーンと、悠々とその背中を尻尾で押さえつけるクオーツ。
私はそのクオーツの鼻の頭を撫でながら木陰で膝を抱え、目の前で繰り広げられる光景を興味深く眺めていた。彼の魔法陣は黒い蔓植物のように
師匠が監督する結界張り直し現場で手伝えることのない私は、黙って二人の作業風景を見つめることさらに一時間後。
「変ね……そこまで無理難題を言ったつもりじゃなかったんだけど、口ほどにもないじゃないのこの子。今の宮廷魔導師って広範囲の結界を張ったりするのは得意じゃないのかしら」
顎に指先を添えてそう言う師匠の前には、焚き付けられて結界を修復しようとした不審者、もとい若い宮廷魔導師様が倒れている。もっとすかした人かと思っていただけに、魔力切れまで頑張って倒れてしまったのは意外だ。
そしてやっぱり師匠は化物並の魔力を持っているということも分かった。宮廷魔導師といえば引きこもりの私でも本で読んで、海をレンズ状に凹ませて津波を止めたり、三ヶ月も居座った雨雲を蒸発させたりという〝超人〟として記憶している。
「またまた師匠ってば昔を知ってるふうな言い方しますね~。というか、どうするんですかこの人。自力で帰らせるのはもう無理っぽいですけど」
熱中症ではないにしても、夏の陽射しの下で魔術を酷使して魔力切れを起こしている彼の顔をハンカチで扇ぎつつそう言えば、師匠は「あてがあるから大丈夫よ」とにっこり笑うや中空に魔法陣を展開させて。あっと思った時には、淡く青白い輝きがクオーツとワイバーンをおいて私達を包み込んでしまった。
──で、その転移先といえば……。
「すみませんジークさん。勤務時間中にお邪魔します~」
「おー……昼に店を閉めて帰ったっきりだったってのに、急にギルドマスターの部屋に直接訪問か。ったく、お前さん達が暗殺稼業に手を出してたらとんでもない商売敵になってただろうな。ただな、こっちだって仕事ってもんがあんだぞ?」
どっしりとしたオーク材製の書き物机に片脚を乗せ、もう片方の脚を組んだ上に書類の束を抱えていたジークさんは、突然何もない場所から現れた私達を見てさして驚いた様子もなくそう言った。
師匠はこんなふうに受信する魔法陣がなくとも、師匠がはっきりと像を結べるほど憶えている場所に行くことも可能なので、実のところ特に時間帯について問題らしい問題もなかったりする。
「いつもサボりに来るくせに急に真面目になったふりはやめなさいよ。昼間の情報提供助かったわ。ついでにちょっと預けたいものがあるから持ってきたの」
そう言うや師匠が小脇に抱えていた彼を床に転がした。師匠は細身で魔術師なのに意外と力持ちなのが解せない。
「あのなぁ……いくら何でも引き受けるのが売りのうちのギルドでも、流石に宮廷魔導師の死体処理は請けてねぇんだが」
「大丈夫です。ちゃんと生きてますよ」
「あ? そうなのか? じゃあ何でこんなにぐったりしちまってんだよ」
手にしていた書類を机に置いて席を立ったジークさんが、こちらにやってきて気を失った彼を覗き込む。その説明のために口を開こうとした私を師匠が手で制して「森の結界を破ったから、その弁償をさせたのよ」とザックリと説明してくれた。
それを聞いたジークさんがさも呆れた様子で「あのお前さんが張った頭がおかしい魔力量の結界を一人でか?」と言うのに、師匠は悪びれた様子もなく「最年少の天才宮廷魔導師様ですもの。あれくらいできて当然よぉ」とのたまう。天才の言うあれくらいの範囲は広くて深い。
「気絶した奴見せられて言われてもな。そんで、何でオレがこの魔導師様を預からなきゃならねぇんだ?」
「ギルドマスターじゃない。それにあんたが前からにおわせてた面倒な仕事って、大方魔導協会の案件でしょう?」
「そこまでバレてんなら仕方がねぇか。でもま、オレはちゃんと断ってたぜ」
「でも結局来たんだもの。防げてないわ。一般市民の安全を守れてないじゃないの」
胡乱な表情でジークさんが「一般市民」と言うと、師匠が私の方を指さして「これ」と答える。指をさされた私が「善良な一般市民です」と頷いて見せるも、ジークさんは眉間に苦々しい皺を刻んだ。
もう一押し説得力が必要そうだったので「師匠みたいな超人と並べたら、一般的で善良な市民です」と胸を張れば、ジークさんは舌打ちと溜息を交互にくれた。
「一応目を覚ますまでは預かるが、こいつがまたお前さん達のところに行くっつっても、オレには止められねぇぞ。魔導協会の連中に目をつけられるのは面倒だ」
「それで良いわよ。今のところはね。じゃあ、後は頼んだわ。あたしとアリアはボロボロでツギハギだらけの結界を直しに戻らないと」
そう言ってやや強引に話を打ち切った師匠が「ほら、帰るわよ」と手を差し伸べてくれる。私は一瞬だけ床に転がったままの彼を視界に入れたけれど、すぐに興味を失くして師匠の手を掴んだのだった。
***
ゴツゴツとした厳つい石造りのテーブルの上。レイラさんの白い指先から生み出されたレース編み用の絹糸のような魔力が、術者である彼女の意思を介して編み上げられ、宙に芸術的に構築されていく。
溜息が溢れそうな繊細な輝きを放って編まれていた魔術だけれど、その途中で絡まって動きを止め、構築された時のように宙に解けた。レイラさんは煙か飴細工のように消えてしまった魔術の名残を切なげに眺めると、こちらに視線を寄越して微苦笑を浮かべた。
「せっかく意見を聞こうと思ってお呼びしたのにごめんなさい。また駄目だったわ。どうしてもここから先の座標を思いつかなくて」
「私は仕事のついでだし、師匠も少し早い出勤くらいの話だから大丈夫ですよ。それに今の魔法陣も途中までは本当に凄く綺麗でしたよ。ね? 師匠」
「そうね、悪くはないわ。今みたいな美しい術式は好まれるし、試験官によってはこのままでも通す可能性はあるわね。でもあんたはそれだと納得できない、と」
「はい。できれば本番までに確実に形にしておきたいですわ」
疲れの滲む、けれど充実した表情を浮かべて頷く彼女の肩口から、ここ最近輝きを取り戻し始めた赤みがかった茶色の髪が流れ落ちる。
先週作ったばかりの森林スライム製髪用パックの効果恐るべし。
あのワイバーンに乗った宮廷魔導師に襲撃されてから三週間。あれから何の動きもないのは不気味だけれど……今はもっと大事なことが目前に迫っているのでひとまず保留にしている。
何と言っても八月も残すところあと四日しか残っていないから、本日はレイラさんたってのお願いで、九月十日の魔術師昇格をかけた試験に向けて、最後の追い込みに付き合っている。
顔用に使えたんだからと直後に髪用に転用した師匠は流石だ。同じものの被験者になった私とレイラさんでは元の素材が違うのは致し方ない。
このまま師匠の言っていた食生活を続けていけば、十月までに彼女の美貌は取り戻されることだろうと考えていたら、ふと目が合った師匠がニンマリと口角を上げた。瞬時に激しく嫌な予感が背中を走る。
「ふぅん? 良い心意気ね。煮詰まってる時は違う人間の構築するところを見てみると
……ほらね。だがしかし長い付き合いだから、これくらいの予測はついているので驚きませんとも。ちょっとしかね。
「も~……師匠のことだから絶対何か無茶なことを言い出すと思ってましたよ。でも残念、無理です。お粗末な私の魔術構築なんかよりも、師匠の完璧なやつを見せてあげれば良いじゃないですか」
「あんたはこのあたしの弟子なのに、いつまで経ってもお馬鹿ねぇ。完璧なものを見せたって、手直しをする箇所を思いついたりできないでしょう。こういうのは不完全なものを見せて自分ならどうするかを分析させるものなのよ」
師匠のしれっと自身の有能さをひけらかすところが好きだ。私達のやり取りを聞いていたレイラさんはちょっと驚いた表情をしたけれど、すぐにただじゃれているだけだと気付いたのか「わたしからもお願いしたいわ」と笑う。
そう言われてしまっては俄然ヤル気が出たので、笑いを取るつもりで最近クオーツを相手に披露していた魔法陣を見せようと思ったのだけれど、そこに待ったをかける人物が現れた。
「おーい……ギルドの営業前にここで魔術談義をするのは構わんがな、時計はしっかり見ろよー? 他の奴等に見つかって困るのはお前さん達の方なんだぞ。特にあの宮廷魔導師の坊っちゃんとかな」
「うわぁ、止めてくださいよジークさん。せっかく向こうが接触してこないのにそういうこと言うの。
「へいへい。つってもなぁ、お前さん達があの坊っちゃんを置いていったあと、本当に死んでるみたいに眠りっぱなしだったんだぞ? おかげでオレは自宅に戻れないで二日間ここで泊まり込みだよ。文句くらい言わせてくれっての」
そう言いつつ苦々しい表情で頭を掻くジークさんに対し、師匠が間髪を容れずに「どうせ自宅に戻ったって中年男の独り暮らしなんだし、別に良いじゃない」「オレは睡眠には質を求めるたちなんだよ。職場で寝たところで疲れなんて取れるわけがねぇだろ」とかやり始めた。何だろうね、この長年付き合いのあるお店の売れっ子と常連感は。
簡単に割って入れない二人の関係性(昔一緒にパーティーを組んでた)に若干嫉妬し、レイラさんの隣に並んでこっそり舌打ちをする。それを聞きつけたレイラさんに「今度舌打ちの仕方も教えてね」と言われ、簡単に人前で舌打ちをするのを控えようと思った。
結局最後は「ほらほら、お喋りは終いだ。時間だぞ」というジークさんの言葉に追い立てられ、師匠の「しょうがないわね。後で見てあげるから、またうちの閉店時間に来なさい」というグダグダな感じで、それぞれの仕事の持ち場に散ったのだけど──。
森に戻ってクオーツと畑の手入れに精を出して。ついでに朝レイラさんに披露しようと思っていた魔術構築を練習中の頭上に、三週間前と同じ影が降ってきたのは、それからたった四時間後のことだった。
上空でこちらを見下ろすワイバーンは前回の子とは違うようだけど、乗っている人物はほぼ間違いなくあの人だ。
でも今回はワイバーンの口に口輪のようなものをはめてあるから、前回みたいなことにならないようにという配慮は窺えた。単に前回みたいに撃ち落とされたくないからかもしれないけど。
というか、そもそも結界をぶち破ったことについては私もクオーツも師匠にこってり怒られたので、もう一度あれを試す気にはなれない。普段の美食に馴れていたから、じゃがバターだけの食卓は想像以上に辛かった。
「うーん……ねぇクオーツ。あの人ってさ、師匠がいない時間を狙って来たんだと思う?」
「ギャウ!」
「あ、やっぱりそうだよね。クオーツの炎に頼れない私ってそこまで雑魚だと思われてるんだ」
「ギャウー……」
「違う違う、クオーツのことを責めてるわけでも自分を卑下してるわけでもないよ。ただ単に現状を把握してるだけ。でもそうだとしたら、あの人また性懲りもなくこの森に押し入ろうとか思ってるのかな~」
私の言葉にしょぼくれて項垂れるクオーツの顎を片手で持ち上げつつ、もう片方の手で太陽光を遮りながら影を落とす人物を見上げる。新しいワイバーンの手綱を持ち、こちらを見下ろす彼の表情は逆光でよく分からない。が、たぶん良い印象を持てる表情はしていないだろう。
こちらの言葉を理解しているクオーツとは違い、不思議と私も言葉が通じなくてもクオーツが何を言っているのか大体分かる。何でなのかはまったく原理が分からないけど、こういう時にはとても便利だ。師匠に言ったら『もう少し物事を深く考えて生きなさいよ?』と呆れられたけど。
あの時の師匠の言葉に倣い、ひとまず考えようと地面にどっかり腰をおろして、上空の影を無視したまま猫の大きさになっているクオーツを膝に抱き上げ、思案する。どのみちあの後師匠の手によって厳重に張り直された結界に、彼の魔術が通用するとは思えないし。
考えうる一番の可能性としては恥をかかされたお礼参り。宮廷魔導師なら在野の魔術師に負けるのはかなり腹立たしいだろうから。でもそれだったら師匠に直接喧嘩を売りに行けばいいだけだから、わざわざ師匠の留守を狙うのは変だ。
次いで考えられるのは鬼の留守中を狙っての森への侵入。ただしこれは可能性として低い。何てったって彼はこの森に張り巡らされた結界の脅威を身を以て知っているわけだから。
最後にあり得そうなのは、師匠の横でドヤッた私への報復。格の違いを見せつけてきた相手は畏怖の対象になるだろうけど、その横にいた腰巾着には殺意しか抱かないはず──って、おっと?
最後に挙げたこの可能性が一番濃厚そうだ。でもまぁ、そういうことならこっちの取る方針は決まった。
「よし。それじゃクオーツ、今日はもう帰ろっか!」
強い敵に自らぶち当たりに行く気はさらさらない。勇敢と無謀は全然違う。そう思っての言葉だったのに、膝の上のクオーツは「ギャウッ!?」と驚いたように鳴いた。その反動で口から小さな炎が出る。ビックリ炎の火力で数千度。取り扱いに注意のいる子だ。
「いや、だってさ、この結界の中にいれば絶対に私達の身の安全は保証されてるわけだし。危ないことして師匠にまた怒られるのも嫌じゃない? ジャガイモは嫌いじゃないけど、またジャガイモばっかの食卓になるのはさ~」
不満顔なクオーツのちょっとしっとりしている鼻面を指先でうりうりしつつ、何とか穏便にこの場をやり過ごそうと思っていたその時。上空で口輪を外されたらしいワイバーンが吼えた。直後。
真っ赤なクオーツの身体が膝から浮き、次の瞬間凄まじい速さで上空付近まで飛び立ったかと思うと、猫の子大の身体のまま結界とワイバーンに乗った彼ギリギリの距離で炎を噴いた。
極限まで絞られた炎の一閃。地上からは赤い毛糸のように見えたそれは、寸分違わずワイバーンの片翼を貫いた。血の一滴も降ってこないのは、高温過ぎる炎が傷口まで焼いたから。
浮力を失って悲鳴を上げながら結界に激突するワイバーンと、背中に乗ったままの彼。
結界に開いた穴が小さ過ぎてそこから破られることはないけど……あのままだと結界の外に墜ちてペシャンコだ!
宮廷魔導師を墜落死させたら師匠が捕まるかもしれない。そう考えた時に、咄嗟に結界の外側を滑り落ちる彼等を追って駆け出した頭の中に、魔術が構築されていく感覚があった。それはさっきレイラさんに披露して見せようとした術式の完成形のようだった。
今までは不完全だったもの。上手く組み立てられないかもしれない。失敗した時の想像に血の気が引く。それでも──!
「えーと、えっと、十八目、三十六目、飛んで六十四目に……二百五目……編み目を封じ、彼の者達を掬いて留めよ!!」
力の限りに叫んだ先で、突然地面から伸び上がった魔力が不格好な籠を編み上げていく。ただその魔力で編み上げた籠に引きずられるみたいに、ゴッソリと身体の中から魔力が抜き取られていく感覚があって。
駆けていた膝がグニャリと力をなくして顔から地面に突っ込みそうになった。けど、幸いそうはならなかった。若干首吊り状態になったものの、服の襟を咥えてくれたクオーツが「グウゥ」と申し訳なさそうに唸るのが聞こえて。
霞む視界の中で愚かなワイバーンと、もっと愚かな宮廷魔術師が急拵えの魔力の籠に受け止められるのを見たところで、意識が途切れ……たかったけど、その前に奴を一発殴らないと気が済まない。ついでに捕まえて師匠の前に引きずり出してジャガイモの食卓から逃れるべく、折れかけていた膝に力を込めた。
──……が。
「前回も思ったが、君は安い挑発に乗るうえにお人好しだな」
私の編み上げた籠の中でワイバーンの傷を癒しながら、そんなふうに皮肉を口にした彼は、呆気にとられた表情の私に向かって「君の師匠に、君の地力を確かめるよう頼まれた」と。耳を疑うようなことを言ったのだ。
***
ふと目の前で棚に商品を並べていたルーカスが手を止めた。伏し目がちになると長い睫毛が頬に影を落とす。その表情から
「結界が反応したか?」
「そうよ」
「あーあ……なぁんか騙し討ちしたみたいで気分が悪ぃな」
「何よ、雇っている間にアリアに情でも移ったの?」
「まぁな。あれだけお前に懐いてる姿を見てりゃそういう気にもなるし、オレは直接仕事の依頼を持ちかけて給金払ってる。多少は情も移るだろうが」
「あら意外。金にがめつくて弱い奴はさっさと切り捨てるって有名なハーヴィーのマスターがそんなこと言うなんて。ねぇ?」
「言ってろ言ってろ。帰った時のアリアの反応が楽しみだぜ。大好きな師匠に騙されたとなりゃあどんな顔するかね」
あの娘の保護者枠を気取るわけじゃねぇが、ほんの少しばかり今回の件に関しては片棒を担がされたことにモヤッとしたので、思わず唇をつき出してそう皮肉れば「オッサンが可愛い子ぶらないでよ、気色悪い」と悪態をつかれたので「お前に言われたかねぇよ」と悪態をつき返した。
事前に今日の予定の打ち合わせはしていたものの、つい次の仕事の時にアリアが向けてくるに違いない軽蔑しきった視線を想像して、下手な芝居を打っちまった。元々あの年頃の娘ってのは、オジサンを虫系の魔物かなんかだと思ってる節があるからな……。
「大体何で宮廷魔導師を脅してまでアリアの能力を確かめる必要があるんだ? あいつに元々魔力がないのは師匠のお前さんなら知ってるだろ。ましてお前さんの魔力が多少蓄積されたくらいじゃ、掃除婦の仕事以外に就ける職なんてないぞ。下手に魔術師になれるかもなんて希望を持たせるのは残酷だ」
邪険にされる覚悟で頭を掻きながらそう言ったが、ルーカスはこちらの訴えに軽く考える素振りを見せた。人の話を煙に巻くこいつにしては珍しい。そして適当な答えに辿り着いたのか、飄々とした様子で口を開いた。
「あたしは別にアリアがこのまま掃除婦を続けようが、魔術師に憧れようが、そこは別に何でも良いのよ。ただ自己評価の低さは看過できない。いつまでも師匠のあたしの背中に隠れていれば良いってものじゃないわ。アリアに自信をつけさせたいし、同年代に負けて悔しいって感情を植え付けたいのよ」
要するにあのガキを自分の弟子の踏み台にしようって魂胆だが、その言葉はあんまりにも普通で、こいつから最も遠い場所にある人間らしさだと思った。おまけに同年代に負けて悔しいと植え付けるために使うのだ。最年少宮廷魔導師を。
何が別に何でも良いだ。これだとアリアの自己評価を上げてやりたいのか、完膚なきまでに叩き潰したいのか分かったもんじゃねぇ。
しかしだったらアリアが一方的にやられっ放しになるかと言えば、答えは否だ。どうせこいつが選んだというのなら、宮廷魔導師のガキには何らかの制約が設けられてるだろう。それこそ破ったら命に関わるか、それ以上のものが。
オレが昔馴染みの危ない一面に改めて顔を顰めていると、店の前で馬車が停まった。
するとそれまで薄っすらと笑っていたルーカスが馬車の方を見て身構えたように思え、つい気になって同じ方を向いたものの、馬車から降りてきたのはここでサボっている時に何度か見た貴族の女だった。再び視線をルーカスの方へ向けるが、こちらも身体から余分な力が抜けている。妙だな……気のせいか?
歳のせいか戦場での勘働きが鈍ってきたのかと首を傾げていると、ルーカスが扉の向こうから手を振ってくる女に手を振り返す。胡散くさいが非の打ち所がない微笑だ。これにコロッと騙される奴等の暢気さが羨ましいぜ。
「嘘の片棒を担いでくれて助かったわ」
「おう、そう思うなら今度酒でも奢ってくれ」
店のドアが開かれる直前のこのやり取りに頷きつつ、接客用の微笑みを浮かべながらカウンター下で中指を立てるルーカスに追い立てられて店を出た。
***
「ひっっっどいですよ師匠、あんな迷惑な人を私に相談もなく手引きするなんて! 報連相って言葉知ってますか!?」
帰宅後の師匠に向かって大音量で苦情申し立てをしたら、耳を塞ぐ仕草でそれを回避された。腰に手を当てて立腹しているのだと見せつける私の隣では、クオーツが「グルルル!」と同意するように牙を剥いている。
「あの宮廷魔導師の人、また勝手に来たのかと思ってうんざりしてたら懲りもせずにクオーツを挑発するし!」
でも師匠に無言で荷物を差し出されると悲しいかな、素直に受け取ってリビングに運び込んで、今夜の夕飯に使う材料と備蓄分を仕分け、備蓄分は手際よく棚に片付けてしまう我が身を呪う。最早私の意識が介入しているというよりは、長年の経験から自動でそう動くようになっているのだ。
ひとしきり荷物の仕分けと片付けを終え、いつの間にか背後でくつろいでいた師匠に再び向き直って口を開いた。
「こっちが必死で魔力を構築して助けてあげたら『三十点。構築に甘さと粗さが目立つ。咄嗟の判断としては悪くなかったが、最善ではない。あれだけの魔術師に師事していてこの程度となると、君は元の魔力がほぼない人種のようだ』とか……本当に何様なんですか?」
やりたくないと思いつつあの屈辱を知ってほしくて一人芝居をしたけれど、思い出すだけでも
身ぶり手ぶりを加えて話す私を見て、クオーツもワイバーンの翼を撃ち抜いて墜落させる場面と、墜とされたワイバーンの両方を演じてくれる。その後に自家中毒を起こすところまで同じだ。流石は相棒である。
しかし私達の迫真の演技を見た師匠はそれとは全然別のことが気になったらしい。
「ふぅん? 今のあんたの話を聞く分には、あの魔導師のことを助けた魔力の構築座標は籠……と言うか、ザルみたいな形状だったのかしら?」
「そ……そうですよ。だから馬鹿にされたし、今朝も言ったじゃないですか。どうせ私にはろくな魔力構築はできないって」
身ぶり手ぶりで伝えようとしていた情報を纏めた師匠に、自分が構築した魔術の形を言い当てられて項垂れる。ザルみたいな形状。確かにあれはそう例えられても仕方ない出来だった。私は稀代の天才ルーカス・ベイリーの弟子なのに。
床から飛び立ったクオーツが顎を持ち上げてくれなかったら、そのまま座り込んで膝を抱えてしまっていたかもしれない。親愛の情を込めてクオーツの眉間を指で引っ掻いてやると、気持ち良さそうに目を細めた。最早レッドドラゴンの威厳はどこにもないけど、可愛いから何の問題もないのだ──と。
「違うわよ。咄嗟だった割にはまともに考えて構築したから驚いてるの。確かにあんたの編む籠の出来は良いわ。そんなあんたがあたしの模倣でなく自分で魔力を構築するとそうなるのね。使う時のイメージはあるの?」
不貞腐れていたところで急にそう言われて戸惑いながらも、あの時のことを思い出しつつ問いかけへの答えを考える。きっとこういう時は長く悩んでも仕方がない。だからフッと閃いた直感を頼りに口を開いた。
「え……今回はちょっと本来の用途とずれましたけど、たぶん防御、ですかね。こう上からカポッと被せて外からの攻撃から護るような感じの」
「成程、良いわね面白い解釈よ。でもだとしたら術者を覆うための深さが足りないわね。もっと厚みのある構築をしないと、このままだと壁みたいにして横からの攻撃を防ぐ防御壁にしかならない」
「は、はい」
「それでくくりの公式は何を使ったの?」
くくりの公式というのは、駆け出し魔術師の手引き書に載っている、数式の証明問題の求め方的なものだ。これを使えばどの術式に当てはめたか分かりやすくて想像しやすくなる半面、あてにしすぎると独自性にかけた面白味のない魔術師になる……らしい。
「最初は〝故に此れを貫く刃は在らず。溶け落ち果てよ〟にしようかと思ったんですけど、何となく〝編み目を封じ、彼の者達を掬いて留めよ〟って出てきてしまって。失敗したんだとしたらたぶんあの時だと思います」
クオーツのせいで俯けなくなった視線を師匠に向けて答えを待つ。すると師匠はこの上なく素晴らしい微笑みを浮かべて──……。
「ちょうど良いわアリア、あんたもこの際レイラと一緒に今度の魔術師昇格試験に出てみなさい。記念受験よ」
馬鹿みたいにとんでもないことを、さも当然のように、決定事項として提示したのである。