高嶺の美貌も一歩から
人生でたぶん初となるお友達申請を受けた五日後。
前日からクオーツにお留守番を頼んで不興を買ったものの、帰ってから鱗に入り込んだ埃を取ってあげるからと言い含めて待つ閉店後の師匠の店。何度目かの時報を気にしていたところで時間外の来客を報せるベルが鳴った。
「ほ、本日よりお世話になりますわ」
「いらっしゃいませ、レイラさん」
「よく来たわね。それじゃあ早速だけど奥の方で簡単な質問と、現在のお肌の調子を見せてもらおうかしら」
簡単な挨拶を交わした後、緊張した面持ちのレイラさんを衝立の向こうに設けた応接用の区画に案内する。使い込まれたダークグリーンのソファーとダークブラウンのテーブルは、私と師匠のお気に入りだ。
片方のソファーに師匠と私、向かいのソファーにレイラさんと対面方式で座る。師匠は彼女がしっかりソファーに座ったのを確認すると、無遠慮に向かい側からじっくりレイラさんの顔を眺めた。そして──。
「あー……やっぱりね。地がすでに全っ然なってないわ。睡眠、栄養、油分に水分、どれもまったく足りてないわね。まあね? 化粧をして討伐に出ると化粧が落ちるのは大前提なのは分かるわ。しかもどこかで化粧を直すような暇がないこともね。でもだからって素っぴんで良いわけじゃあないのよ?」
「ええと……これでも化粧水と乳液くらいはつけてますわね」
「頻度と量はどれくらい?」
「頻度は……夜の寝る前に一回で、時々疲れていたらせずに寝ます。量は、あの、掌にこれくらいですわね」
「はい、おブス決定」
「私より俄然ちゃんとしてますよ?」
「あんたが何もしなさすぎなの。この子もかなりサボってるけどあんたは論外。あたしが作ったご飯を食べてるんだから肌が綺麗なのはそのせいよ」
何と……すでに師匠の魔法(美容に良い食生活)を半分くらいかけてもらっていてこれなのか、私。だとしたらサボりすぎなくらいサボっていることになる。
美味しいものをお腹一杯食べて、適度に働いて(肉体労働)筋肉もあるし、睡眠もよっぽど調子を崩さない限り充分取れているから──レイラさんと同列に並ぶのも烏滸がましいのでは? 七年越しの事実に大反省だ。
「まず化粧水と乳液は最低でも朝と夜に一回ずつ。朝はテカるから乳液は少なめで良いけど、その分化粧水はたっぷりめに。値段は安いもので充分だから、浴びるくらいの気持ちで使いなさい。掌で温めて使った方が肌の吸収が良いものもあるから説明書はしっかり読むのよ?」
手許の顧客用聞き取り書類に症状を書き込みながら話す師匠の言葉に、レイラさんも懸命に頷きながらノートを取る。何だか昔の私の授業風景に似ているような気がして、こっそり師匠の横顔を盗み見た。
すると視線に気付かれたのか紅い双眸がちらりと私の方を見て、今日は夕日色のニエラの花で作った口紅で彩られた唇が弧を描く。次いで「見惚れてないで、あんたも聞いておきなさいよ」と人差し指で頬を突かれた。
「次にあんたの頬の艶と血行の悪さも気になるわね。ああ、ほら。唇なんかやけに冷たいもの。朝ご飯はちゃんと食べる方?」
「いえ、出勤に時間がかかるので、パンと牛乳だけですわ。夜は街のカフェで適当に食べています」
普通はいきなり女性の唇に手の甲を当てたら案件だろうけど、下心の一切ない師匠が相手だといやらしさがまったくない。事実唇に触れられたレイラさんも少しも意識した様子がなく受け答えをしていた。
「確かにサラダは手間がかかるものね。それにあんたの場合は胃腸が冷えてるから、夏でも朝に冷たいものはなるべく避けた方が良いわ。牛乳とパンの代わりに温めたヨーグルトに蜂蜜とナッツ、ドライフルーツを入れたものを食べなさい。あれならお店で買う時に配分を決めて一緒に詰めてもらえばすぐよ」
「ドライフルーツとかナッツはどんなものが良いのでしょうか?」
「ドライフルーツはベリー系や、シシリーの実なんかが良いわね。基本そのまま食べて少し酸っぱい果物がお薦めよ。それからナッツ類はかさついた肌や髪に艶を出すのに必要な油分を持ってるから、これは好みのものを使いなさい」
そう言うや否や即座に出てくる美容に良い食べ物リスト。
パッと見ただけで三十品目は優に超えている。色ごとに分けられているので意外にも見やすいけど、一気に憶えるのはとても無理そうだ。
レイラさんもそう思ったのか、必死に書き出していっている。私も彼女を見習ってできるだけ憶えようと思う。
「あとは髪や肌に艶が出てきたらナッツ類の量は少し減らして。同じ量で食べ続けると吹出物や脂性肌の原因になるわよ。因みに温めたヨーグルトは吸収されやすくて、弱った胃腸の調子を整えてくれるの」
聞き取りと食生活の改善方法の説明が一通り終われば、今度はお客に化粧品を売りつける前にお試しをする鏡の前にレイラさんを連れていき、彼女を椅子に座らせてから数色あるスカーフを手にした師匠が背後に立った。
急に背後を取られて何をされるのかと怯えるレイラさんに「怖いことはしないですよ」と笑うと、彼女はぎこちなく微笑んで俯く。まるで鏡の中にいる自分を直視したくないとでもいうように。
その気持ちがよく分かるだけ、彼女が元婚約者や両親に投げかけられた言葉で傷ついたのだと知った。でもまぁ、そこはうちの師匠なので──。
「今日から人や自分の視線から逃げて俯くたびにおブスになると思いなさい」
相変わらずのバッサリ感。言葉を選ばない強者の発言に顔色を失くしたレイラさんが「どうして、ですか?」と弱々しく口を挟んだ。
「あんたが自分で自分に呪いをかけてるからよ。ここでこうしているのに、内心では〝どうせ私なんて綺麗になれない〟とか思ってるでしょう? あんた達はちゃんと自分に似合った綺麗を持ってるの。それを他の人間にどうこう言われた程度で見失ってちゃ駄目よ」
「でもそんなこと──」
「魔法使いが自分に魔法をかけられないはずがないわ。かけられる。かけるのよ。あんたは魔法をブッ放して高笑いしてる時の方が綺麗だわ。だったら誰がどう言おうと、あれがあんたの綺麗の形なのよ」
……どんな状況で見られる綺麗なんだろうか、それは。
気になりつつも不安げな視線を鏡越しに向けられたので、取り敢えず力強く頷いておいた。元より美容についてはほぼ何も口出しできない。
「それからあんたは今日家に帰ったら、沈んだ寒色系の服は全部捨てなさい。見て、この色とかだと貧相に見えるでしょう? その代わりにこの色の方が肌に合ってるの。分かる?」
手にしたスカーフをあてがう師匠と、言われてそーっと視線をあげるレイラさんと、どれどれと近付いて覗き込む私。三者三様の動きを映し出す鏡にはご苦労様と言ってあげたい。
──と、確かに後ろから見ていただけだと彼女に強すぎるように見えた色が、ちょうど良い感じに顔色を明るく見せることに気付いた。
「本当だわ……でも、こんな色、着たことはないのだけど」
「本当ですね。私も漠然と知的なレイラさんには、絶対寒色系か暗色系が似合うと思ってました」
「似合いそうと似合うは別物よ。分かったら残すのは淡い色と明るい色のものだけで良いわ。化粧も魔法を使ってる時のあんたに合わせるから、服も強そうな色と形のものがいるわね。適当に知り合いの店を幾つか教えておくわ。その中の好きな場所で選んでみなさい」
その言葉に汚城の籠に今日も大量に放り込んだお高い服がよぎる。
あれを基準に店を選んだ場合の彼女のお財布事情が気になったけれど、やや明るさを持ち始めた表情で頷くレイラさんを見ていたら水を差すこともないかと思い直した。
「確か次に顔を合わせそうな機会は、双方の知り合いの誕生日の席だったかしら?」
「は、はい。十月ですわ」
「そう、あたしが教えるなら充分な期間ね。途中でダレたりしないようにうちのおブスを学友として貸してあげる」
うーん、この。最後の一言がなかったら最高にかっこよかったはずなんだけど……それがうちの師匠らしさなので。苦笑する私を鏡の中から微笑ましそうに見つめているレイラさんに、下手くそに片目を瞑って見せた。
***
六月の残りは駆け足に過ぎて、昨日から
今年は四月からこっち、社会学習に出たり、ドラゴンの鱗をむしりに行ったり、衝撃的な出会い方をした女性と人生初の友達になったりと慌ただしい。まるで今までひっそり師匠と森にいた七年間を一気に塗り替えていくみたいな日々だ。
この頃はレイラさんの頬もふっくらとしてきたし、唇も皮が剥けたりしていない。頑固なクマだってほぼなくなった顔は、流石に貴族の娘さんといった気品に彩られている。私も恩恵に
元の静か(?)な生活も充分に楽しかったけれど、新しい日常も楽しい。師匠はお給金を全部は受け取ってくれないから、私の手許にも〝自由になるお金〟というものができた。まだ明るい時間帯に街に出かけるのは怖くて無理だけど、いつか師匠に何か贈り物を買いに行きたいという新しい野望を抱きつつ──。
「おはようございます、ジークさん。お給金ください」
特にやることは変わらない。欠伸を噛み殺しながら出勤してきたジークさんの前でズイッと両手を差し出すと、ジークさんは「うーい、ご苦労さん。その挨拶はいい加減どうにかならんのか」とお酒臭い溜息交じりにそう言った。
とはいえギルドマスターという責任のある立場についていながら、翌日に残る勢いで飲んだ人に言われたくない。
袋をひっくり返して中身を確認しながら「無理ですね。私はお金のためにここに来てるので」と答えれば、彼は頭を掻きながら「うちのギルドの奴等と同じようなこと言いやがる」と笑ったけれど、私はそんなジークさんよりも壁に新しく設けられた黒板に釘付けになった。
黒板にはギルドに登録してある人の名前と、請け負った仕事の内容と件数、最短依頼達成と最長依頼達成の表記、得意な依頼や苦手な依頼、顧客の再依頼率、それらすべてを考慮したギルド員の順位などが細かく記載されている。
「それよりもコレを設置してから皆さん凄いですね。こういうふうに業績を可視化するのってやっぱり大事なんだな~」
「だろ。オレもルーカスの野郎に言われた時は半信半疑だったが、コレをつけるようになってからギルドの奴等の働きが
「そりゃそうですよ。誰が褒めてくれるわけでもないなら、自分で頑張ったなーって一目で分かるものがあった方が嬉しいですもん。でも師匠の提案を聞き入れといて正解だったでしょう」
──というのは半分本当で半分嘘だ。
実際にはレイラさんの名前が広がって、ご両親や元婚約者のクズに届けば良いという目論見である。それでもこれを導入したおかげで皆のやる気が上がっているのなら、きっと遅かれ早かれ必要になったものだと思う。
事実師匠が言うには他の風通しの良いギルドではすでに採用されているらしい。今までここになかったのは、単にお行儀の悪い人達があっという間に汚すか破壊するからだというのは、掃除婦として働いている私が一番よく知っている。
「ふーん……オレは金が入りゃあ何でも良いがね。ま、何にせよお前さんのお友達はガンガン上がってきてるぜ。このまま行けばうちの看板の一人になれる」
そう最初に気のない返事を挟みはしたものの、どこか面白がる声音でジークさんが黒板を軽く叩く。そこにある名前を見て思わずにんまりしてしまった。それと同時にようやく
でも元から魔力がないんだから、ここは比べて落ち込むだけ無駄。師匠も『爪の大きさ程度とはいえ、座標が結べるようになっただけマシね』と言っていたから、たぶん成長はしてるんだ……と思いたい。
「本当だ。レイラさんこの一週間でさらに四つも依頼をこなしたんですね」
「おう。それも魔物討伐ばっかりな。自信がついてきたのか、仕事もどんどんえげつなくなっていってるらしいぞ」
「それは……良いことです?」
「少なくともうちのギルドじゃあ良いことだな。組みたいって奴が増える。あの子はちょっとここで浮いてたからな。その点最近はお育ちの良さが全く感じられん。オレ達の界隈で人気がある血の気が多くて戦闘力が高い良い女になったよ」
これがジークさんなりの最上級の褒め言葉だというのは分かる。分かるけど世間で言うところの良い女像からは離れていっている気がしてならない。
しかしそこを目指しているのは当の本人だし、けしかけた私達でもあるので〝まぁ良いか〟に落ち着く。その時裏口のドアがノックされ、ジークさんが「噂をすればなんとやらってやつだな。そら、おはよーさん」と笑いながらドアを開けた。
現れたのは、あまりヒラヒラしない素材の真っ黒な服に身を包んだレイラさんだった。師匠に言われたお化粧方法を実践しているらしく、垂れ気味で短い優しそうな眉を、キリリと太めに描いている。目蓋の縁に入れた赤い線がかっこいい。
「あ、レイラさん、おはようございます。四日ぶりですね! 今ちょうどレイラさんの話で盛り上がってたんですよ」
「ま、まぁ……アリアさんに朝イチで会えるなんて嬉しいわ。それにギルドマスターもおはようございます。何のお話で盛り上がってたのかしら……?」
「また順位が上がってるから凄いなって話をしてたんです」
「そーそー。もうすぐうちの看板張れる一人になるんじゃないかってな」
私達が二人で口々にそう褒めると、彼女は「ありがとう」と嬉しそうにはにかんだ。太めの眉が下がると何だか可愛い。でも残念なことにそこでちょうど八時半の時報が鳴ってしまった。
「あ~、時間切れ。私はもう帰りますけど、レイラさんも無理しないでくださいね」
「ええ。今日もまた閉店後にお邪魔させていただくわ。その時にちょっと耳に入れておきたいこともあるの」
「はい。それじゃあ師匠と一緒にお待ちしてますね~」
控えめに手を振るレイラさんと適当に手を振るジークさんに手を振り返して、淡く輝く魔法陣に乗ってギルドをあとにした。
──……そうして、朝の約束から九時間半。
夕暮れ時でもまだ夜の闇には程遠い夏場の六時。
師匠を狙って抜け駆けを目論むお姉様方の姿がないか、表の人目を気にしつつやって来たレイラさんが、コンと軽くステンドグラスのはまったドアをノックする音を聞きつけ、直前までダラダラと師匠としていた下らない話を切り上げる。
フードを目深にかぶってドアに近付き鍵を開けると同時に、素早くドアの隙間からレイラさんが身体を滑り込ませてきた。最早板についた動きだ。
「いらっしゃいませ、レイラさん」
「こんにちは……いえ、もうこんばんはかしら? お時間をつくってくださってありがとうございます、ベイリー様にアリアさん。お邪魔しますわ」
これも同じくお馴染みとなった言葉を交わして微笑み合えば、カウンターの向こう側の師匠が「いらっしゃい」と気怠く応じる。さっきまで如何に今日来たお客に気力を吸われたか聞いたところなので注意できない。
けれどそれも織り込み済みなのか、レイラさんは片手に持っていた紙袋を持ち上げて「これ、美味しいと評判だったから一緒に食べたくて」と嬉しい提案をしてくれる。街の流行りに疎い私と違って敏感な師匠は、彼女が手にした紙袋の絵を見るなり唇を笑みの形に持ち上げた。
「あら気が利くじゃない。この時間でも結構並んでたでしょう?」
「ええ。でも実はこのお店の店主とは実家が懇意にしていたので、家名を使って取置き注文してしまいましたわ」
「良いわねぇ、やるじゃない」
「私達と一緒に過ごしたせいでレイラさんが不良になってしまった」
「ふふふ、このくらいのことで不良になれるだなんて初めて知ったわ。それに良い子でいた頃よりもずっと刺激的で楽しいの」
入口付近から奥の応接セットのある衝立の向こう側に移動しつつ、そんな軽口を叩き合う。気軽な仲になってからのレイラさんは、貴族のお嬢様でない顔で良く笑うようになった。以前の沈んだ表情しか知らない元婚約者が見たら驚くだろう。
ワイワイとしながらお客に出すティーセットの準備をし、お持たせのお菓子の箱を開ける空間は、男性が一人交じっているとは思えない圧倒的女子会感がある。むしろ女子でないのは自分の方かと誤認するくらいだ。
そして紅茶の蒸らし時間を待つ間に選んで取り分けられたケーキを前に、レイラさんが「それではそろそろ本題に入りますわね」と、今日ここを訪れた理由について切り出した。
「今回依頼先で他のギルドメンバーと一緒になることがあったのですけれど、ミスティカの森の上空を飛ぶレッドドラゴンの目撃情報が出ていまして……もしかして、クオーツちゃんのことではないかと思って」
「あ~……間違いなくうちの子ですね。時々私がギルドに掃除に出かけてる間に古巣の山に行って英気を養ってるみたいで。ね、師匠」
「ああ。生態系を無視してうちにいるけど、レッドドラゴンは本来火の精霊が多いところの方が好きなはずだもの」
彼女の言葉に師弟揃って頷き返したものの、そのことの何が問題なのか分からず首を傾げた私に対して、隣に座っている師匠が馬鹿な子を見る視線を送ってくる。そして残念ながらその視線より温かみはあるとはいえ、不憫がるような色を宿した目でレイラさんが私を見つめてきた。
「ええ、それでその本能に準じた行動を目撃されて、鱗が欲しいから森に降りられる前に捕まえたいと言っていたのです。捕まえるというのは冗談にしても、鱗を採るために攻撃を仕掛けることは考えられますわ」
言いづらそうに言葉を紡ぐ彼女を前に、すっかり忘れかけていたクオーツの種族の稀少価値を思い出す。毎朝洗濯物の紐を張るのを手伝ってもらったり、籠を運んでもらったり、荷物を寄せてもらったりしていたせいで忘れていたけれど、あの子は由緒あるレッドドラゴン様だった。何ということでしょう。
自分のお気楽暢気な世間知らずさに頭を抱えていたら、横で脚を組み直した師匠がわざと私の
「そこまで心配しないでも平気よ。今この街のギルド内で登録している連中の中で、ドラゴンを相手にできる奴等なんてほとんどいないわ。いてもそれだけ強いなら場数を踏んでる連中だから、ドラゴンを相手にして利益を得ようだなんて採算に見合わないことはしない。しばらく森から巨大化して出なければ良いだけの話よ」
おたつく私の隣でさして面白くもなさそうにそう言った師匠が、私のケーキからオレンジ色に熟したペルミの実を取り上げて口に運ぶ。最後に食べようと思って残しておいたものだけど、今はその言葉に救われたのでよしとしよう。
レイラさんにしてもほぼ同意見だったようで、師匠の言葉で納得したのか軽く頷いて微笑んでくれた。ついでに自身のケーキから黄緑色のホムベリーを私のケーキの上に置いてくれる。優しい。
けれど彼女が「悪いお話は今のでおしまい。次は楽しいお話ですわ」と前置いて手を打ち合わせたのだけれど──。
「は? ギルド内で私にファンがついてる……ですか?」
「ええ。前までの魔術師協会や魔法学園の教員室のようだったギルドが、アリアさんが来てからというもの本当に綺麗になりましたもの。きっと心の美しい女性なんだろうって、ギルドメンバーが話しているのをよく聞くわ」
成程。さっぱり意味が分からない。そもそもどうして影すら見たことのない相手にそんな夢が見られるんだろう? という私の疑問は、師匠の「単に片付けができない連中が母親代わりを欲しがってるだけじゃない?」といった完璧な解の前に霧散した。
「その言葉そっくり師匠に返してあげますね~」
「餌付けはあたしがしてるんだから、母親代わりはこっちの領分よ」
言うと思った。でもやはり師匠にはそっちの願望があるのか。分かっていたからそこまで落ち込まないものの、仕事量から察するに領分は
そう思って「そっちがその気なら、明日からお母さんって呼びますよ?」と言ったら、師匠はそんな私の言葉を鼻で笑って「昔はよく眠れないってベッドに潜り込んできたものね?」と打ち返してきた。
レイラさんには私の生い立ちについてふわっとした説明をしていたけれど、それはあくまで拾われたことくらいだったのに!
お育ちの良いレイラさんが「あらあら、まぁまぁ……」と、ちょっぴり頬を染めているのが居たたまれない。あれは断じて頬を赤らめる
確かに当時のあれは拾ってもらっておきながらコイツ、くらいは思われていてもおかしくなかった。捨て直されても文句を言えない立場のくせに何ということをしたのか、当時の私。
その後、頬を染めて「仲が良いのね」と理解のある表情をされて。涼しい顔でケーキと紅茶に舌鼓を打つ師匠を横目に、必死に「そういうのじゃないです」と否定し続ける羽目になってしまった。
***
アリアさんとお友達になってからまだ日も浅いのに、これまでの自分の後ろ向きで鬱陶しい性格を見直そうと思えるようになった。
最初の出会い方が最低なものだったにもかかわらず、彼女は全てを水に流してくれるどころか、わたしに『私も美容関連はからっきしなんですけど、一緒に頑張れる学友ができて嬉しいです。師匠は気分屋で厳しいけど仕事は一流なんですよ。安心して綺麗になって元婚約者と両親を煽り散らかしてやりましょう!』とまで言ってくれた。
その言葉通りベイリー様は厳しいけれど、とても分かりやすくわたしの食事改善や、生活習慣の見直すべき点、肌にあった化粧品や服の流行など多岐に亘って面倒を見てくださる。今まで勉強してこなかった分野を憶えるのは大変だけれど、隣で一緒に頭を抱えて唸ってくれる
二人して憶える内容が異なるものの、わたしの持っているドレスの中で彼女に似合いそうなものを見繕ったり、逆に彼女が持っている活溌そうな印象の服の中から、わたしが着られそうなものを見繕ってくれたりもする。
ふとした瞬間に顔に傷があることを気にする彼女。そんな彼女に『自意識過剰ねぇ。あたしみたいに人目を気にする美女になるには百年早いわよ。レイラもそう思うわよね?』と
二人の何気ない軽口と前向きにさせてくれる言葉のおかげで、この間は初めて女性用のレザーパンツを購入した。ギルドに仕事をもらいに行く時に穿いてみたら、何だかうんと強くなれた気がして年甲斐もなく心が躍ったわ。
見慣れない格好のわたしを見て、ギルドマスターが『お、良いねぇ。強そうじゃないの。女っぷりが上がったぜ』と笑ってくれた。
今まで頭からかぶっていたローブも仕事中に視界を遮るのでやめた。そうしたら自分の攻撃魔法の及ぶ範囲を確認しやすくなり、撃ち漏らしも減って自信に繋がる……と。ずっと俯いていた顔をほんの少し上げる努力をした結果、物事を見る視野も広がったのだと思う。
もっと早くこうしていれば、彼から婚約解消をされることもなかったのかもしれない。幼い頃から要領が悪いわたしの手を引いて、色々なことを教えてくれたあの人に恋をした。婚約解消の際、どれだけ失敗しても根気強く遊びに誘ってくれた理由が、自身の優秀な兄達と比べられる鬱憤晴らしだったと打ち明けられても。
出来が悪いせいで両親からの関心を引けず、引っ込み思案で同年代の友人がいないわたしには、足繁く屋敷に通ってくれる彼だけが世界の全てだった。どんな思惑が彼にあったとしても、あの楽しかった幼い頃の日々を忘れるのは難しい。けれど……それでも。
アリアさんを見ていると、恋とは切なくても楽しいものなのだと。彼女がベイリー様に向ける視線から、仕草から、言葉の端々から、幸せを感じている姿を見てそう気付いた。
わたしが彼に向けていたものはただの妄執だったのかもしれない。ベイリー様に向けていたものは、彼の代わりにわたしに価値があると思わせてくれたことによる執着。誰かにもたれかかっていないと立っていられない弱虫な自分。そんなわたしに寄り添ってくれる彼女に、今度こそもたれかかったりしないで友人として対等に接したい。
そのためにできることをと頭を悩ませた末、森から頻繁に出てこられない彼女の心配事を減らす手段として、ベイリー様の周辺に以前までのわたしのような人間がいないか調べようと、仕事がない日は時々こっそり遠目からお店を覗くことにした。
するとたった数日で、わたしのようなものの予備軍の多さに驚くことになったのだ。ベイリー様のお店は貴族のご婦人方の間では有名なので、訪れるお客のほとんどはわたしも社交の場で見たことがある人ばかり。
さらには呆れたことに既婚者も婚約中のご令嬢も大勢いた。そしてそんな彼女達は遊びの恋の相手としてベイリー様を狙っている様子なので、そこまでアリアさんの邪魔にはならなさそうだと思えたものの──。
「あの方……やはり今日も……」
ここ最近他のご令嬢よりも熱心に通っている方がお一人いらっしゃる。
他のご令嬢達と違って見目が地味な、どちらかといえばわたしとよく似たお化粧や服の流行を知らない方。社交場でも見かけたことがないことから、そういう部分でも半分隠居生活のわたしに似ていると思う。
それだけならばあまり目に留まることもなかったのだけれど、彼女は毎回人の少ない時を見計らったように、手土産を持参して来店するのだ。勿論それは偶然わたしが居合わせてしまっただけの勘違いかもしれない。
「自分がそうだったからといって、誰もが同じだと思うなんていけないわね」
けれど彼を見上げる彼女の横顔に、ふと以前の自分を垣間見るような気がした。
***
レイラさんがクオーツのことで注意した方が良いと助言をくれた女子会から一ヶ月。特にギルドで見初められるといった甘い出会いがあるでもなく。
八月の気候は汚城の掃除と洗濯と畑仕事と細々した薬の調合に加え、現在二日に一度のギルドの掃除に精を出す私の体力と気力を奪っていくが、最近ではさらにそれとはまた別の試練が私を突き動かしていた。
それが現在相対している身体の九割が水でできたスライムである。
スライムといえばギルドではお馴染みの低級魔物……と、戦闘力のない私にはとても言えないけど。奴等の特技は忍び寄ってからの強襲。
ドプンとあの九割くらい水なんじゃないかという身体で呑み込んだら、あとは獲物の穴という穴から自身の一部を流し込み、窒息死させる。それから獲物の大きさによっては二時間から一日ほどかけて消化するのだ。
以前小型の魔物を呑み込んで消化されて白骨化する前の、半分肉が残った状態のやつを見てゾッとしたことがある。師匠にもらった護符のおかげで魔物に感知されないと分かっていても怖い。
しかも目の前にいる個体はさっきしくじったせいで、他の個体と合体して今や牛くらいの大きさに成長してしまっていた。
「ほらほら、どうするのアリア。あんたがさっき二重目の座標の組立をしくじったせいで、またそいつが大きくなったわよ。次に仲間を呼ばれて合体されたら手におえなくなるんじゃない?」
「わ、分かってます。えっと……十六、五十三、十五、引くこと三十……それから四十四の、じゅう……じゅう……」
術者の迷いを感じ取るように淡い輝きを放つ雪の形の魔法陣。その中でも一番弱くて小さい角板が私の唯一操れる術式なんだけど……。
「対象物が大きくなった場合は座標を重ねて結晶の枝を増やしなさい。今のだと威力が足りないわ。それからクオーツはアリアを庇おうとしないの。あんたが倒したら特訓の意味がなくなるでしょう」
師匠にぴしゃりと怒られて、私の足下で援護をしようとしていたクオーツが「グギュー……」と不満げに鳴いた。不甲斐ない相棒でごめん。私も泣きたい。でも眼前にはグニグニと奇妙に形を変えて触手を伸ばしてくるスライム。早くあの核に届く攻撃をしないと呑み込まれる──!
「じゅ、十二、四百飛んで九十七、重ね十五の……ああもう!
気がついた時には
その光景に緊張の糸が切れて腰が抜けそうになった私を、師匠がグイッと引き上げて立たせてくれた。膝が完全に笑っている。
「あんた本当に座標の組立てが下手くそねぇ。今のだって最後まで構築しきれてないじゃないの。スライムの餌になるような弱い弟子とか嫌よあたし」
「ごめんなさい師匠……」
「まぁ元々スライムと初級の氷魔術は相性が悪いし? 今回はスライムの粘液が必要だったから核を狙わせたけど、本来は火をぶつけた方が手っ取り早いのよ。あとは敵と対峙する時に怯えない。戦闘は目を逸らした方が死ぬ。今の感覚を憶えて次に活かせば良いわ」
そんな師匠の言葉を聞いて、クオーツが知っているとばかりに小さく炎を吐く。戦闘力があるのに数に入れてもらえなくてご立腹みたいだ。擦り寄って慰めてくれるクオーツの頭を撫でれば、ツルリとゴツゴツの中間、冷たいと温かいの間の手触りがした。
何で掃除婦が戦闘訓練の真似事なんかしなくちゃならないんだとは思うけど、レイラさんの持ってきてくれた話の翌日から、クオーツが大きくなれない時や傍にいない時のことについて二人で話し合った結果がこれなのだ。
私としても知らず識らずのうちとはいえ、今まで師匠にもらっていた魔力が蓄積されているなら有用に使いたかった。だから師匠ほどの魔術師に魔力を分けてもらっていても実力が全然伴わない自分の無能さが悔しい──……と。
「それよりも今みたいに座標を叫ぶ方が問題ねぇ。もし森の外であたしの組み立てた芸術的な座標をばらしたりしたら破門よ。は・も・ん。だからさっさと無詠唱で魔法陣の構築ができるようになりなさいね?」
何気ないふうを装ったつもりでしょうが師匠、弧を描いてる唇と違って目がちっとも笑ってないです。けれどビクつく私のことなんてすでに師匠の眼中にはなくて。地面に吸い込まれ始めたスライムを前に膝をつき、服のポケットから小瓶を五、六本取り出すと、スライムを掬い取って瓶詰めにしていく。
あれの使い道が以前師匠が失敗した美容パックレシピ改良版に活かされるということと、その最初の被験者になる我が身の不幸。
要するに殺されかけた魔物の成れの果てに良い香りのする香油をぶち込み、美容パックとして生まれ変わらせたものを顔面に塗布するのだ。ひんやりしてて、この時季にぴったりの目玉商品になるのは分かっている。
実際にお肌の状態もとても良くなるし、レイラさんの十月の予定までにさらに彼女を磨く手伝いもしたい。
分かってるんだけど……好奇心旺盛で更には努力を惜しまず、九月の昇格試験の勉強をしながら仕事にも手を抜かない努力家な彼女にあれの原材料を聞かれたら、どう答えれば良いものだろうか。そんな悩ましい思いを抱える私を振り向いた師匠は「あんたも早く掬いなさい。次は泥スライムを狩りに行くわよ」と。
無慈悲にそう言う師匠は、ええ、とても。とても輝いて見えたのでした。