豪快に教えを乞う人

「何だお前さん、今日はまた随分と御大層なアイテムつけてるな」

掃除を終えてお給金の中身を確認している最中にジークさんにそう声をかけられて、手許の給与袋から顔をそちらに向けた。

「これのことですか? 師匠が作ってくれたんです」

襟の中に隠れるよう身に着けていた首飾りを指さされ、やっぱり食い付かれたかと思いつつ、パッと見ただけでこれが気になるとは流石ギルドマスターだと少し感心する。あと、どこ見てるんだとも思ったけど。

「そうそれだ。小さいけどドラゴンの鱗だろう? どこで手に入れたんだよ」

「師匠が『あいつは目敏いから絶対に出処でどころを知りたがるでしょうけど、親しくないオッサンの質問になんか答えちゃ駄目よ』って言ってました。なのでジークさんには教えてあげません」

「あーはいはい。そう言うだろうと思ってたよ。お前さんは本当にあいつの言うことに忠実だよな。ったく、オレは一応雇い主だぜ?」

こちらの返答にぶつくさ言うジークさんが目敏く見つけたのは、私の着けている小さいドラゴンの鱗でできた首飾りだ。緋色の貝殻のように輝きを放つ全部で七枚連なっている鱗の表面には、それぞれに転移の魔法陣が描かれている。

ただし私が飛ぶのではなく、鱗の持ち主であるクオーツが私のいる場所……師匠の言を借りるなら座標に喚ばれる仕様になっていた。私の胸元に揺れる首飾りもその契約の一環である。

「雇い主だろうが何だろうが、私にとっての一番は師匠だけですからね~。世間知らずの私から見ても非常識なジークさんの入り込む余地はないんです」

「三年経ってもアリアはオジサンに対して容赦がない。悲しいね」

「オジサンに対してというか、師匠に面倒事を持ち込むジークさんに対してですよ。私には知り合いらしい知り合いはいませんから」

理由としては記憶がないからというのもあるけれど、主にこの顔に残った傷痕のせいで私が外に出たくないからというのが大きい。

「そういやそのルーカスに聞いたんだがよ、アリア。お前さん豆粒ほど魔力持ちになったんだって?」

表現力に若干引っかかりを感じなかったわけではないけど、純粋に師匠がジークさんにそのことを伝えていたことに喜びを感じる。だって豆粒程度の魔力とはいえ、やっと魔術師の弟子を名乗って良さそうになったんだから。

「そうなんです。七年間ずっと師匠に傷を治療してもらってたから、その副産物だろうって師匠は言ってました」

ドヤッとした顔で言ってはみたものの、実際のところはこの一週間ほど師匠が暇な時に魔力の使い方を教わっているけれど、未だに紙に火すらつけられない。当然のことながら火力調整もお手のものなクオーツの方が上手だ。でも大事なのは魔力の有無なので! 零と五なら絶対後者の方がマシってものですし?

「ほお、あのルーカス・ベイリーの魔力をね。面白いこともあるもんだ。そういう事例はないこともないが大抵は兄弟や親子なんかで起こる現象なんだが……」

「記憶は失くしてますけど、師匠と私が兄妹である可能性が皆無なのは顔の時点で証明されてますね」

「そりゃ確かに違いねえな!」

自分で下げたのだからこの反応も当然なんだけど、ここまで全肯定されるのも地味に腹立つなぁ。

そんなだから女の人にモテないんだと思いつつ、ゲラゲラと笑うジークさんに呆れた視線を送っていたら、まだギルドが開くには一時間も早いというのに、誰かがエントランスホールのドアを叩く音がした。

随分せっかちな人もいるものだと思っていると、ジークさんも同じことを思ったらしい。面倒そうに「この間ルーカスの奴がドラゴンの鱗を持ってきてから、若手の一部がえらくやる気になっちまってよ」と頭を掻いている。

その言葉に若干誇らしい気分になると同時に、人間の埒外らちがいにいる師匠と張り合おうとしたらいくら命があっても足りないので、即刻身の丈にあった努力をしてほしいと切に思った。

でも何にせよ他に人が来てしまったのなら、私はさっさと退散すべきだろう。元から目深にかぶっているフードをさらに深くかぶり直し、掃除道具を手に魔法陣の方へと戻ろうとしたその時。

『マスター、いるんでしょう? 今日という今日こそはルーカス様に取り次ぎしてください! わたしをあの人と組ませて!!

──というまだ若い女性の声で不穏な言葉が聞こえてきたので、何事かとジークさんの方を見やれば、彼もまた珍しく微妙な表情を浮かべている。こちらと目が合うと、意外にも無言のまま魔法陣の方を指さされた。

どうやら言葉の内容から以前言っていた魔法使いの女の子っぽい。触らぬ精霊とお貴族様に祟りなし。その指示に頷いて掃除用具置き場の方に身を翻そうとしていたら、相手側はさらに『どうしても出てこないつもりならここをぶち破ります。ああ、安心してください。修繕費は払いますわ』と、かなり乱暴なことを言い出した。

そもそも修繕費を払ったからといって、ギルドのドアを破壊していいことにはならないのでは? というようなことを考えていたのがいけなかった。

「まずい、避けろアリア!」

直後に宣言通りギルドのドアが爆風で吹き飛び、巻き添えをくった観葉植物の鉢がやけにゆっくり私の方に迫ってくるように見えて。

フードを押さえることに必死になっていたせいで回避行動が遅れた私の胸元で、師匠お手製の首飾りが眩く輝いた。

真っ暗な場所──……ではない。

見上げた先には、星が見える。

ということは、屋外だ。

耳鳴りがする。

ゴウゴウともビュウビュウともつかない。

『     !!

どこかで誰かの声がした。ひきつれるような声。

悲鳴をあげすぎて掠れたあれは……誰の。

違う、あれは…………【 】の、声。

***

非常に悲しいことだが出勤直後に、オレの爽やかな朝は失われた。

理由は以前からルーカスと組ませろと言っていたギルドメンバーの暴走だ。まったく、浅はかなことをしてくれたもんだ。

血の気の有り余っている馬鹿が多いからギルドで爆発騒ぎが起こることは少なくない。だから対策としてギルド保険組合に依頼して、安くはない防音、防火、防風、防水の結界が張ってある。

結界の四重がけをしているところなんてのは相当珍しいそうだ。今朝の騒動も日頃の小競り合いも、この結界のおかげで内々に処理できたわけだから無駄ではないが……今回はちょっと相手が悪すぎた。

「ルーカス。頼むから一旦落ち着いてくれ。気絶してはいるが、お前さんの護符のおかげでアリアは無傷だ。吹き飛ばした犯人も確保済みで本人に抵抗の意思もない。反省してる」

「だから?」

「だから、絶対に殺すな」

「何故?」

「相手がまだ先のある若者だからだよ。オレはハーヴィーのギルドマスターとして、うちのギルドに登録している連中を守る義務がある」

「それは妙な話だな。その理由で良いなら今回の犯人よりもアリアの方が若く、こちらには師としてアリアを守る義務がある。違うか?」

何ならたった今説得に失敗して、明日からの朝も約束されない身になっちまった。傭兵時代の情とかいうのはないらしい。深紅の双眸は極上の宝石のように美しいが、それが填まっているのが生身の人間だとそうもいかないもんだ。こいつの元から作り物めいた見た目がさらに化物じみてきやがる。

「ああ、ああ、そりゃあ勿論お前さんの言う通りだよ」

「ならそこを退け。この部屋にいるのだろう。以前から会いたがっていた人物が直々に会いに来てやったんだ。お前も会わせたがっていたじゃないか」

そう言って冷たく微笑む様は目を見張るほどの色気に満ちている。背中を冷たい汗が滑り落ちる緊張感なんてここ十年以上ご無沙汰だ。まだ幸いなのは、護符から飛び出して来たレッドドラゴンがここに加わっていないことか。

気絶したアリアの傍を離れない忠犬ぶりに、ドラゴンの使役は案外容易いんじゃないかと誤認しそうになる。そしてそれはこの男にも言えた。

アリアは魔力を持っていない、掃除だけが得意だとしょげていたが、とんでもない。あいつには天性の猛獣使いの才能があると思う。掃除婦どころかうちに入れば一ヶ月もしないうちにランカーになれる。それぐらい尖った才能だ。尖りすぎて使いどころが難しいのは否めないが。

「そんなに殺気をみなぎらせてる奴には会わせられねぇ。うちはよそが受けない危ない仕事が多いんでな、その分他ギルドより欠けた人員の補充が難しいんだ。今回ばかりはほこを収めてくれ。頼む」

「やけにこのドアの向こうにいる人物に肩入れしているらしいな」

「あー……まぁ、そこそこの訳ありだ。少なくとも魔法使いとしての筋は悪くない。もう三、四回大きい仕事をさせりゃあ化ける可能性もある奴だと思ってる。おまけにまだ若い」

「それだけの理由で庇うのか。お前は昔から変わらず甘いな」

「自覚はあるさ。だがギルドマスターとしては後進の育成も大事なんでな。そういうことでここは退けねぇ」

ギルド内で派手に揉めた連中をぶち込むための〝反省室〟のドアを前に、一触即発の睨み合いをこの歳でこいつとすることになるとは、実に運がない。全盛期ですら勝てる見込みがなかったってのに、今となっては逆立ちしたって無理だ。

最悪目を覚ましたばかりのアリアに仲裁を頼む羽目になるか。そんな算段をこちらがつけていると、不意にルーカスが目を細めて考え込むように顎に指を這わせた。

「……見返りは?」

「あ?」

「見返りはあるのかって聞いてるのよ。加齢で耳が遠くなったの?」

ふっと殺気を消していつもの口調に戻ったルーカスは、皮肉っぽい笑みを浮かべて唇を歪める。老若男女を問わない見た目も中身を知っていれば、この後の無茶振りを警戒してしまう。若い頃に散々な目に遭った記憶がまざまざと甦って胃が鈍く痛みやがる。

「まだそんな歳じゃねぇっての。見返り、見返りな……オレの力の及ぶ範囲でできることなら、三回までは無償で協力する。労力や規模は問わん。それでどうだ?」

「五回よ。それ以上は現金で顔面をぶん殴って手伝わせてあげる」

「五回は……多くねぇか?」

「あらそう? だったら交渉は決裂。このギルドに張られた子供だましな結界が弾け飛ぶだけね。高い授業料だこと」

ふざけた口調にそぐわない威圧感のある笑みを浮かべるルーカスを前に「五回な。任せろ」と食い気味に頷いたその時、アリアを寝かせている部屋の方からレッドドラゴンが飛んできて。生きた心地のしない時間を終わらせてくれた伝説級の生き物を指して「これはただの赤いトカゲ。分かってるでしょうけど」と脅しをかけられちまった。

***

──……後頭部にフカフカとした枕の気配を感じる。

朝の仕事を一段落させた気持ちでいた分、かなり落胆しながら目蓋を持ち上げたのだけど……枕元にいたのは、やや厳しい表情をした師匠だった。

「おはようアリア。どこか痛むところはあるかしら?」

「…………」

私はまだ寝ているのかもしれない。そうでないと師匠より起きるのが遅かったことになってしまう。考えの纏まらない頭で無言を貫くと、師匠が表情を緩めて熱を測るように額に掌を当ててくれた。変な夢だけど役得かもしれない。

そんなことをチラリと考えながらぼんやりとされるままになっていたら、不意に「ギュグー」と声がして。次いでお腹にポフッと何かが飛び乗ってきた。視線を師匠からお腹の方に動かしてみると、何かの正体はクオーツだった。

「……師匠」

そして思い出されるこうなる前に見た最後の映像。こちらに向かって飛んでくる観葉植物の大きな鉢植えだ。痛みがないということは直撃は免れたらしい。そう思いつつお腹の上のクオーツを下ろしてベッドから起き上がると、微かに顔の傷がひきつれて痛んだ。

「そうよ。こんなに美しい顔の人間がそうそういるはずないでしょう。あとね、あたしはあんたに〝痛むところはあるかしら?〟って訊いたのよ。答えなさい」

続く師匠の圧を感じる発言にすぐにこれが現実の出来事なのだと考えを改め、ここが自室でもなければ城でもないことを尋ねるより先に「顔の傷がひきつれて痛いです」と、素直に自己申告をする。

その直後に鋭い舌打ちをされてしまい、謝ろうとしたところで「あんたに向けたわけじゃないの。それは後で処置してあげる。他には何があったか思い出した?」とさらに問われた。

「師匠の追っかけの女性の魔法に巻き込まれて、鉢植えが吹き飛んできたと思うんですけど……私、無傷っぽいですね?」

ジークさんの必死な声を聞いたことも相まって、間違いなく当たったと思った。だというのに顔の傷痕が痛むのはどういった状況だ。すると師匠は私の腕の中にいるドラゴンと胸元で揺れる首飾りを指して、何でもないふうに「それならクオーツが消し炭にしたわ。流石はあたしね。術式は完璧よ」と言った。

鉢植えといえども一応ギルドの所有物。致し方なかったとはいえ器物損壊をしてしまったということは、給金からの天引になるのだろうか。

その可能性にゲンナリしていると、まるで見透かしたように師匠が「あんたは被害者なんだから、加害者側に弁償させたわよ」と言って笑った。腕の中ではクオーツが「ギャウッ」と鳴いて胸を張っている。撫でろというように頭を差し出してくるので応じながら、ベッド脇に座る師匠に質問をすることにした。

「師匠、あの人はどうなるんでしょう?」

「勝手にあたしに夢中になって、挙げ句の果てにギルドの玄関ドアを魔法で破壊。他人のあんたに怪我をさせるところだった。最悪ギルドから除名されるかもね。馬鹿な子よ」

吐き捨てるような冷たい声音だ。炎の色をした双眸まで同じくらい冷たい。ジークさんとの会話以外で、あまりこういう声を聞くことはないので驚いた。

それに同情するわけではないけれど、相手の女性は師匠のことが好きすぎて暴走しただけだし。私は汚城の掃除婦として同居しているけど、仮に同じ立場だったら、会いたさに過激なこともするかもしれない。だから少しだけ、好きな人にこんなふうに言われる彼女を思って悲しくなった。

でも師匠は迷惑しているわけだから……と、不意に傷のある方の前髪がけられて。朝の再来とばかりに師匠の唇が触れた。ジワジワと体温が上がるのは、分け与えられる癒しの魔力のせいか、それとも──。

「おーい……お取り込み中申し訳ないんだがよ、医務室とはいえここ一応ギルド内なんだがなー」

「はあぁぁあぁい!?

「うるさいわよ、馬鹿弟子っ。あんたはあたしの鼓膜を破る気なの? ジークも気配遮断とか使ってないでノックくらいしなさいよね」

「つってもお前さんはオレの接近に気付いてただろうに」

「あたしはそうでもこの子は分からないのよ。ほら、治療は終わり。さっさと立ちなさいアリア。帰るわよ」

耳を押さえた師匠に軽く額を叩かれてそう促され、クオーツを抱え直してベッドから立ち上がる。その私の腕の中にジークさんの視線が注がれた。

それを察した師匠が「これはただのペットのトカゲよ。良いわね?」と滅茶苦茶な先回りをしたけれど、意外にもジークさんは肩をすくめただけだった。絶対に鱗の二、三枚寄越せとか言われると思ってたのに。

ただその代わりに廊下へ向かって誰かを呼ぶような仕草を取ったジークさんに、師匠が胡乱うろんな表情を浮かべ──……おずおずと現れた人物の姿に対して、さらに盛大に眉を顰めて見せたのだった。

***

街道を走る馬車の中。

普段はギルドと汚城の行き来しかしていないので、馬車の窓から見える外の景色の移ろいに、ついそわそわと身体を揺らしてしまう。

本日はギルドの事故での謝罪と、師匠から彼女が今後一切私達に接近しないという約束を取り付けてもらうために、お貴族様達が保養を目的として別荘を構えている一角へと出向いているのだ。ちなみにクオーツは連れて歩くには目立つから、可哀想だけど今日は森でお留守番中。

目映まばゆい夏の陽光が小川や木々の緑にぶつかって照り返す。本当は顔の傷にはあんまり強い陽射しを当てては駄目なんだけど、それを気にして綺麗な景色を見逃すのは勿体ない。何より師匠とこんなふうに馬車に乗って出かける機会なんてそうあるものではないのだ。

この贅沢な時間を満喫しないと──……と、思っていた矢先。ずっと不機嫌そうにしていた師匠が窓のカーテンを半分引いた。

「あ、師匠は焼けたくないんでしたね。気がつかないでごめんなさい」

おっとっと、一人で浮かれすぎてた。私は今さら日焼けを気にしたところで程度の見目だけど、師匠はそうもいかない。慌てて全部閉めようとカーテンを引っ張ったら、いきなり師匠に手首を掴まれた。

「……閉めきったらつまらないわ」

「良かったぁ。同じこと考えてたんですよ」

分かり難いけどこれはたぶん師匠なりの優しい嘘だ。でもここで〝さっきから全然外の景色なんか気にしてなかったの、知ってるんですよ〟なんて言うのは野暮ってもの。カーテンを引っ張っていた手から力を抜いたら、師匠も手首を離してくれた。

「この辺りの道って全然分からないんですけど、今どこら辺なんでしょうか師匠」

「呼び出された場所が貴族達の保養地だから、あと一時間くらいよ」

「へ~、街から結構遠いんですね」

「保養地が街から近かったら保養にならないでしょう」

「そっか、それもそうですね」

成程、納得な理由だった。呆れ顔の師匠からまた視線をウッキウキで窓の外に向けてさらに一時間半後。無事こぢんまりとした可愛いお屋敷前に到着した。そうして馭者ぎょしゃさんに指し示された趣味の良い屋敷の玄関先に立ち、呼び鈴を鳴らすこと数回。

突然お屋敷の中から小さな悲鳴が聞こえてきた。師匠と二人で何事……? と顔を見合わせたものの、悲鳴からややあってドアノブが無事に動き、中から若草色の瞳に深い紫色の髪の女性──先日暴走したレイラさんが現れた。

彼女はこちらを認めるや否やカーテシーをしようとして……やめた。それはこちらが貴族ではないからという以前に、彼女の今の装いでしたところで格好がつかないからだろうと予想がついてしまう。

仕立てこそ良いものの町娘のようなワンピース姿は少し奇妙に思えたけど、事前にジークさんから聞いていた話のおかげで顔に出さずに済んだ。

「あの、本日はいらしてくださってありがとうございます。奥へどうぞ」

ドアを開けるなり視線を下げるこの人物が、三日前と同一人物だと誰が信じられよう。というよりも、内装は壁が見えないほど本や巻物が室内を圧迫していて、すでに帰宅していたのだろうかと思える既視感を感じた。

師匠だけの奇癖かと思っていたけれど、魔術師界隈は皆こうなのかもしれない。戸惑いつつ屋敷内に足を踏み入れたのだけれど──。

「あ、空いてる場所におかけになってくださいませ。お茶の用意をして参りますわ」

「そうは言ってもね……座れる場所なんてあるの? 仮に座れたとしてもお茶ができるようには思えないんだけれど」

咄嗟に脊髄反射で〝どの口でそれを言うんですか師匠〟と突っ込まなかった自分を褒めたい。完全におま言う案件である。しかし口には出さずとも釘くらい刺しても良いんじゃないだろうかと思い直し、隣の師匠をじっとりと見上げて……。

「え、師匠がそれを言います? あるじゃないですか。ソファーに三人座れそうな場所が。テーブルの上も積んであるものを平らにしたらお茶のトレイを置けますよ。それに本が多いのは勉強熱心な証しです。ギルドの仕事をしながら勉強なんてなかなかできませんよ」

やっぱり口も出てしまった。だって黙ってられんでしょう、こんな己を見直してもらえる好機に。急に話を振られたレイラさんは驚いたように瞬きをし、やがて小さく「ありがとう」とお礼を言ってくれた。

「いえ、本当のことですから。これって魔術師になるための勉強ですよね。すでに魔法が使えるのにまだ上を目指すのは、とてもかっこいいです」

「貴女……本を見ただけで分かるの?」

「師匠の蔵書にも似たような題名のものがありましたから。魔法使いの人向けというより、魔術師の人向けなのかなと思ったんですよ。ほら師匠、これなんか見覚えありませんか?」

そう言って雪崩なだれを起こしていた本の中から一冊の本を取り上げ、師匠に寄越す。表表紙と裏表紙を見てもすぐには分からなかったが、背表紙の題名には見覚えがあった。

「これの改訂版って出てたのね」

「ね? そうでしょう?」

「ええ、そうね。その通りだわ。それじゃあこれを慰謝料代わりにもらっていこうかしら」

「え!? あの、それは──」

「大人気のないこと言わないでくださいよ師匠。凄い付箋の数じゃないですか。大事にしてるんですよ」

「それくらい見れば分かるわよ。大切にしてないものを慰謝料代わりにもらってどうするのよ」

「分かってて言うのは尚更悪いですってば。すみません、レイラさん。こういう人なので気にしないでください」

「魔力もほとんど持ってないお人好しのお馬鹿のくせに、師匠に向かっての口のきき方がなってないわねぇ。ま、良いわ。それよりも今日ここに来たら、もう二度とあたしに付きまとわないと言ったわね。魔道契約を交わすのかしら?」

魔道契約とは文字通り魔力を持つもの同士が結べる最も強制力の強い契約のこと。師匠達のような者にとって魔力は血と肉のようなものだから、それを反発し合うように特殊な呪いを当人同士でかけあう。

交わしたからといって直接命にかかわることはないものの、近付けば加害者側の身体にかかる魔力負荷が激しい吐き気やら眩暈めまいとなって現れる。被害者側は当然何も負荷はない……だったかな? 物騒極まりないし、今回の件に対して罰が重すぎる。

見つめる先で彼女は項垂れ、可哀想なくらいしおらしく「はい……お二人には、ご迷惑をおかけしました」と頭を下げた。その姿から疲れているからだけでなく、本来は大人しい人なのだと窺わせる。

「ジークに聞いたわ。貴女、一方的に婚約解消されたそうね。その時からずっとあの汚いギルドに入り浸って仕事を受けていたそうだけど、だとしたら元婚約者への未練を吹っ切るためにあたしに執着したのかしら?」

はいはいはい、出ました師匠の敢えて空気を読まない強攻撃。すでに充分反省してる人間に追い打ちで飛び蹴りを食らわせるような悪の所業。この悪癖のおかげで素直に優しい人だと敬い難いのだ。当たり前ながら普通の感性の持ち主であるレイラさんは、唇を噛みしめて震えながらワンピースの裾を握りしめている。

「と、とにかく! 喉も渇いてきちゃったことですし、お茶にしましょう! でもまずは先にちょっと片付けかなぁ? あは、あはははは!!

少々無理矢理ながらも、何とか最悪な場の空気を変えようと腕まくりをしたら、レイラさんもハッとした顔で動き出してくれた。

取り敢えず奇跡の角度で崩落を免れた本を平らにならすことに三十分。

それが済んだら私が台所で発掘したティーセットを使い、師匠の淹れた紅茶を家主が受け取るという謎環境を整えられた。

まだ相変わらず気不味い雰囲気ではあるものの、小声で「こんな茶器、うちにあったのね」と少し嬉しそうに漏らす彼女を盗み見て、師匠の淹れてくれた美味しい紅茶で徐々に緊張がとけていくのを感じる。

隣に座る師匠は「屋敷の中はこんなだけど、茶葉の趣味は悪くないわね」と、またしても自分を棚上げにする発言をしていた。簡単には普段の自分を見直すつもりはないらしい。でもさっきまでの不機嫌さは薄れているので、この隙にまずは情報を一度整理してみよう。

彼女の名前はレイラ・ウォーカー、二十一歳。身分は子爵令嬢だという。

若草色の瞳に赤みがかった茶色の髪の美人さん……なんだけれど。瞳は充血していて目の下はクマができているし、きっと本来は綺麗なのだろう髪も今はごわごわだ。美人は疲れていても美人と言うけど、これは限度がある。

馬車で一時間半以上かかる街のギルドで依頼をこなし、帰ってからは魔術師になるための勉強。貴族の令嬢が日課にするには厳しすぎる内容だと思う。

加えて私の顔が三日前の事故でできた傷ではないかと思っていたそうで、その心労でさらにくたびれている。

事件のあった日は起き抜け直後に平身低頭謝られてしまったが、風魔法で火傷を負うはずはないのだけれど、それくらい気が動転していたらしい。どうして師匠もジークさんも、私が気を失っている間に否定してあげなかったんだ。

しかも何故か師匠は私を拾った日のことについては一言も語ってくれず、自分で分かる範囲で教える羽目になってしまって居たたまれなかった。彼女の反応からも顔に傷があるというのは、やはり外の世界では就職で大きな不利になるようだ。

けれど私の傷を心配してくれるレイラさんの左手には不格好に包帯が巻かれていた。師匠が脅すまでもなく、彼女は今日魔道契約をするつもりだったのだろう。書類に添える魔法陣に、加害側本人の血が必要だから先に準備していたのかもしれない。

チラチラと観察しているこちらの視線に気付いたのか、彼女は儚げに微笑んで「あの……少しだけ、話を聞いていただいてもよろしいでしょうか?」と言ったので、返事をしない師匠の代わりに頷く。ついでに師匠の脇腹に肘鉄砲を打ち込むのも忘れないが、行動を先読みされて掌であっさり防がれてしまった。

「大まかにはすでにギルドマスターからお聞き及びになっていると思います。わたしは貴族の娘です。とはいっても、家の末席を汚す落ちこぼれなのですけれど」

ゆったりとした口調で語り始められた内容はこうだった。

貴族の娘が魔法など極めて何になる、はしたない、婚約者を立てろ、挙げ句の果てがお前のような可愛げのない女と結婚などあり得ない、婚約は解消すると一方的に婚約者に告げられたこと。

でもその男はその後すぐに新しい婚約者を迎えてしまったこと。彼女は両親から不名誉な噂が消えるまでここで療養するよう勧められ、社交界からも家からも締め出されたこと。そうしてそれは貴族としての実質流刑だということ。

どこか他人事のように淡々と語る彼女は、そうすることで精神と肉体を切り離しているように見えて。たぶん話しながら自分が泣いていることにも気付いていないんだろう。

その上で彼女はまだ幼い頃から婚約関係にあったボンクラ子爵家の男に心を残している。師匠を追いかけ回していたのは、魔術師としての才に憧れを抱いたのは勿論、初めて自分を認めてくれた人だからだと告白した。

自棄やけになってギルドに加入し、師匠と一回だけ組んだパーティーで『あら、あんたなかなか筋が良いじゃない』と言われ、その一言に救われたことや、魔法への強い思いだけは捨てられなかったことも洗いざらい。もう一度パーティーを組むことができれば、自身の地に堕ちた価値もマシになると思ったからで。

その小さな自己満足を胸に、もうまともな縁談は期待できない自分に今後実家から新たに宛がわれるだろう、高齢な貴族の後妻話を受けるつもりだったそうだ。とんでもないな、貴族社会。それはあれだけ必死にもなるだろう。

そして顔に一目惚れされたのではないと分かってからは、師匠も皮肉ることなく話を聞いていた──……が。やっぱりそれで終わらないのが師匠である。

案の定レイラさんが話し終えたところで手にしていたティーカップを本の上に置き、嫌みなくらい長い脚を窮屈そうに組み直して口を開いた。

「よーく分かったわ。要するにあんたは相手のクズ男にも、頭の古い両親にも何も言い返せず泣き寝入りした挙げ句、あたし達に迷惑をかけたのね?」

本日二度目の遠慮なし発言に、レイラさんの表情が今度こそ完全に消え去った。代わりに手にしているティーカップの中身が動揺を表すように飛び散り、大事な本の上に降り注いだ。

「しーしょーうー! 話を聞いてましたよね? 彼女の非は師匠につきまとったことと、ギルドのドアを破壊したことくらいですよ。それを何でトドメを刺そうとしてるんです。鬼なんですか?」

「大きな声を出さないで頂戴。第一あんただって結構トドメを刺してるわよ」

さも鬱陶しそうな表情で指摘され、師匠の視線を辿った先には、本の上にほぼティーカップの中身をぶちまけきったレイラさんが突っ伏していた。ええ……何で? 私ったら何かグサッとやっちゃいました? バラけた髪が紅茶を吸ってみるみるうちに膨らんでいく。それを見た師匠は「正論で殴られる方が痛い時もあるのよ」と澄まし顔でのたまった。

「ま、でもウジウジしたあんたがやるべきことが今決まったわ」

そう言うや否や、師匠は本の上に散らばったレイラさんの髪をすくい上げる。

死にそうな表情で顔を上げた彼女は「魔道契約への署名ですか?」と震える声で言った。でも師匠はこれ以上ないほど魅力的で蠱惑的な微笑みを浮かべて首を横に振ると、そのままの表情で口を開く。

「お馬鹿。まずはとっととそのしけた顔と格好をどうにかするわよ。ジークには話をつけてあげるから、あんたはこれまで通りバンバン依頼を受けて名を上げなさい。あたし達に直接的な迷惑をかけたのはあんただけど、間接的な迷惑をかけてきた男と親に吠え面をかかせてやるわよ」

その言葉を聞いた彼女は「そんなこと、わたしにできませんわ……」と悲しげに笑い、すぐに俯こうとしたけれど、それを許す師匠ではない。

「あのねぇ、何事もやってみる前には可能性しかないわけ。そこにいるアリアは卵を爆発させるくらい料理音痴なのに、それでも料理をしてたら周りをウロウロして何か手伝いたそうにするし、魔力の欠片もないくせに魔法が使いたくてあたしに教えを乞うわ。できないことを即決する前に、やりたいかどうかを決めなさい」

半分くらいは私への誹謗中傷だけど、師匠のこういうところは昔から嫌いではなかった。この人はいつも何をするにも〝やるな〟とも〝できっこない〟とも言わない。何よりやられたらやった元を断つのがこの人の流儀。サラッと彼女の左手に魔術を行使したのか、雪の結晶のような魔法陣が浮かび上がる。

それを見届けた私はひとまずこの屋敷のどこかに埋まっている掃除道具と、まだ着れそうなドレスを発掘するためにソファーを立った。

汚城から汚屋敷に出張掃除とは泣けるけど、レイラさんの瞳に光が宿ったので良しとする。どうせ師匠の美容指導で彼女の興味がこっちに向くこともないだろうし、私は私でお留守番中のクオーツを助手として召喚しようっと。

その後、打倒クズ男話ですっかり和解した私達はざっくりと今後の作戦を練り、窓の外の陽が傾き始めたのに気付いて席を立った。思いのほか長居してしまったみたいだ。

師匠に促され、作戦会議中は暇を持て余して寝ていたクオーツを突いて起こし、来た時と同じくゴミを避けながら玄関へと向かった。

「本当に帰りの馬車を呼ばないでも良いのですか?」

そう言うレイラさんの視線が、私の腕に抱かれて鱗についた埃を落とされている最中のクオーツに注がれる。クオーツはクオーツで初顔合わせが最悪だったレイラさんのことを快く思っていないのか、舌をちらつかせて彼女を威嚇していた。

でも私がその鼻面をコショコショとくすぐってやると、すぐに「グルルル」とご機嫌に喉を鳴らす。その姿にドラゴンの威厳は皆無だ。可愛いから良いけど。

「ええ。どうせここにはまた来ることになるでしょうし。そうしたら次からは馬車でチンタラ来るのも面倒だから、空間転移の魔法陣を考えておきたいのよね。そうなると上空から俯瞰して全体を掴む必要があるの」

しれっと決定事項のように言う師匠の脇腹を肘でつつけば、お綺麗な顔を不満げに顰めて「何よ」と言った。何よじゃないんだよナー。毎回のことながら、自分に恋愛感情的な好意がないことが分かると途端に判定がおかしくなる人だ。

……まぁ、だから私は七年間もずっとそういうふうに接しているのだけど。弟子の心師匠知らず。それで良いのだ。しかしレイラさんはそうではない。クズとはいえまだ元婚約者を想っている婚前のお嬢さんなのだから。

「師匠……普通はその前に家主である彼女に、敷地内に魔法陣を作っても良いか聞くもんですよ。うら若き女性の一人暮らしなんですから」

「面倒ねぇ。でもまぁ、一応聞くわ。作って良いわよね?」

「は、はい、勿論ですわ」

「圧力をかけろとは言ってないんですよ師匠。レイラさんも流されちゃ駄目です。あの初対面でギルドのドアを破壊した勢いはどうしたんですか」

「ま、魔法を使っている時は気分が高揚してるから……何でもできる気がするの」

ややけた頬に手を添えてフフフと暗黒微笑を浮かべるレイラさん。クマの目立つ顔でその笑い方は黒魔法使いっぽかった。どうもこの人は魔法を使っている間だけ無敵感があるらしい。魔術師にはまともな人種はいないのだろうか。

というか、元婚約者のところにあの勢いで突っ込んでやれば良かったのではとも思ったものの、惚れた弱味とか乙女心とかあるんだろう。そう考えたら彼女の元婚約者の顔は知らないけどムカムカしてきてしまった。

「あの、レイラさん」

「はい?」

「うちの師匠はこんな人ですけど、魔術と美容に関しては本当に凄い人なんです。だからここに転移魔法陣を作っておいたら色々お得ですよ。うんと綺麗になって、元婚約者──いえ、そのクズに勿体ないことしたって後悔させてやりましょう」

握った拳を二、三度突き出して元婚約者のことを殴る格好をすると、彼女は一瞬だけ目を大きく見開き、今度こそ柔らかく「そうね」と笑った。こちらがつられて笑ってしまうような、そんな穏やかな笑顔。

師匠に逢う前の記憶がない私には、ジークさんと師匠以外で初めて見る他人の笑顔だ。顔の傷痕を見てもこんなふうに笑ってくれる人がいるとは思ってなかったから、何だかむず痒い気持ちになる。

急に恥ずかしくなってきたので師匠の後ろに隠れて、クオーツに大きくなってほしいと耳打ちすると、クオーツが心得たとばかりに鼻息荒く上空に舞い上がり、瞬き一つの間に巨大化して降り立った。

大きくなったクオーツの背中に乗るのは初めてのことなので、先に師匠が登り、差し伸べられる手を取って引っ張り上げてもらう。見下ろした先でレイラさんが一度何かを躊躇う素振りを見せた。けれどクオーツが翼に魔力を送り込み始めたことに気付いたのか、意を決したようにこちらを見上げて口を開いた。

「こんなに迷惑をかけてしまったあとで言うのは烏滸おこがましいと分かっているの。でも……あの、アリアさん。わたしとお友達になって……いただけない、かしら?」

終わりに近づくにつれて徐々に聞き取りにくくなっていく声。その言葉の意味を咀嚼する間に翼に魔力を充填したクオーツが軽く翼を振るう。皺だらけのワンピースの裾がはためき、地面から離れる浮遊感にハッとして「私でよければ!」と返した。

彼女が嬉しそうに目を細めるけれど、直後にグワッとクオーツの巨体が浮かび地面に堂々とした影を落として地上が遠ざかる。手を振ってくれるレイラさんの姿があっという間に豆粒ほどの大きさになった。

今まで感じたことのない重力が全身にかかって、足の下に地面がないことに本当の意味で恐怖を感じる高さまできたのに、そのことが些細なことに感じるくらい心臓が騒がしい。

「し……師匠」

「何よ」

「ど、どうしよう、友達ができちゃいました……」

「良かったじゃない。イケてない同士気も合うんじゃないの?」

「そこは歳が近い同性で纏めてくださいよ」

「あんたくらいの歳頃であれだけ手入れしてない子はそうそういないわよ。類友ができて良かったわね」

素直じゃない。一言も二言も、何なら会話内容の半分くらいは余計な言葉のことも多いけど。この人なりのひねくれた優しさを知っている。たぶん。だから──。

「はい。私、同年代の友人ができるなんて思ってなかったから嬉しいです。出会い方はあれでしたけど、きっかけをくれてありがとうございます師匠」

もう屋根の色と形でしか判別がつかなくなった〝友達の家〟を眼下に、クオーツの背中で師匠を見上げてへらりと笑えば、背後で支えてくれる師匠が呆れた声で「締まりのない顔ねぇ」と言うから。もっと締まりのない顔で笑いながら、汚城までの空の旅を楽しんだ。